こども革命独立国

僕たちの「こども革命独立国」は、僕たちの卒業を機に小説となる。

第七章 出穂

  地にはういわゆる雑草をおおむね取り払った後、テツオは聖なる泉から流れてくる小川の水を、いよいよ田んぼに引き入れる。長く放置されたうえ一反もあるその広さを、小川の水で満たすのは用意ではないはずだ。しかし田んぼに畝をたて高低差があるなかで、早めに水を通しながら溝を掘って土を練り、畦を塗っていかねばならない。その畝の溝を水で満たせば、稲が育つ湿った土壌ができるというし、テツオは心配そうに水の流れを追っている。しかし彼が心配するのをよそに、小川の水は潤沢に流れてきて地表のひびを次々と埋め尽くし、乾いた層を総なめにして一反すべてに及んでいく。これで土がやわらかくなったので、テツオは四方に溝を切り、畝を分けることができた。

  初夏の6月、初年度はオバアの種籾を分けてもらって前もって育ててきた苗床の苗たちも、はや田植えの時期に達したので、テツオは生まれて初めて田植えに入る。一本植えとする苗は、白くちちじれて根もかぼそく、自分の今の心境を映しているのか心細く感じられる。テツオは田んぼの端から端へとロープをはって、それに沿って条間、株間の印のついた古い木型の大きな枠を動かしながら、それにあわせて一つ一つ立っては屈みを繰り返し、自分の手で田植えをしていく。水をたっぷり吸った土は、今や彼の田植え用の地下足袋はいた両足を泥の中にしっかりとらえ、なかなか放そうとはしない。植えるときは足を踏ん張り、踏ん張れば泥にめりこみ、片足ずつ引っこ抜いてはまた泥にさすを繰り返す。これは農作業というよりも、その運動量は一歩一歩踏みしめながらよじ登るまるで登山のそれである。太陽が真上にあがり、また正午の時をさしてきた。午前中でも目の前わずか数メートルしか進んでいない。これが一反=約1000㎡もあるのである。テツオはこの一反の田んぼ以外に実験用に小さな陸稲も手がけている。ズブの素人の体力では、やがて農作業の段取りはおろか自然の日々の変化にも追いつけないのがわかってくる。テツオは途方にくれたのか作業中に立ちくらみがしそうになったが、こういう時はとりあえず小川に戻って、手と首すじとをよく洗い、まずは落ち着こうとするのだった。

 

  …こいつは登山よりもはるかにキツイや…。テツオは小川に日焼けした両手を浸して思うのだった。

  …山登りか、懐かしいなあ…。

  彼はかつて父に連れられ山に登った日のことを思い出す。そのころ父はまだ健康だったように思う。

  …そう、俺が親父とよく山に行ったのは九州にいた頃で、親父は大分の由布岳をいたく気に入り、その東峰を登った後に別府の竹瓦温泉に入ってから、駅裏のビジネスホテルに荷物を置いて、俺を酒のお供に連れ出して、人生訓みたいなことを垂れるのが常だった。

  -テツオ、俺が登山をさせるのは、この国でありがちな“根性を鍛える”ためじゃない。移り行く状況に即応して、いつでも自分で判断ができるようにするためだ。たとえ俺がいなくても、お前一人で考えて行動するのだ。決して周囲にあわせるな。まわりの奴らがお前のことをどう言おうと気にとめるな。何か悩みにぶち当たり一人で解決できない時は、自分の好きな山に登れ。そしたら山が自然にお前に答えてくれる。友達を持とうとするな。あらゆる自然の生き物と同様に人間は孤独なものだ。とえ一晩酔いつぶれて、夜明けの浜辺でドラム缶を蹴飛ばすような醜態をさらしても、友達なんかいらねえって叫ぶ(1)方がまだマシだろう。みみっちい話だがたとえば千円、友達に貸してみろ。百人中百人までが催促するまで返しやしねえ。“カネは貸しても借りてもならぬ。そうすれば、友もカネもともに失う(2)”なんてセリフがあったがな。俺に言わせりゃ最初から、カネには表と裏とがあるが、友達っていうのにはもとから裏のが多いんだ。集団に属するな。特にサラリーマンにはなっちゃあならねえ。組織人はヒラメの僻目の上司に忖度、己の是非を食いつぶす。“凡庸な悪”(3)なんて言葉があるが、誰だってナチスに入ればナチスに染まるし、どんな組織もしょせんはナチスに似た所があるものだ。権威と権力、またそれらが流布する通説なんてのを信じるな。死ぬまで一生勉強し、何事も自分の頭で考えて、自分の確信にこそ従え。誰にも自分を評価させるな。他人の評価を当てにするな。自分の評価は自分でしろ。お前は俺の子なんだから、理系で頭はいいはずだ-

  原発事故後、俺が官邸前デモや、経産省前テント広場、文科省前に行くようになってから、親父と話したことがある。

  -テツオ、そのカッコウ脱原発か。ちゃんと自分で意思表示してるじゃねえか。成長したな。あのブタ首相とアホ首相らのクソッタレ官邸に、何か一席ぶってやったか。演説をぶつ時にはな、腰に手を当て堂々と、ムッソリーニみたいにやれよ。泣きべそこきながらやるんじゃねえぞ-

  俺はその時、ふと親父に聞いたんだ。原発関連の仕事をしている父のおかげで飯食っている息子の俺が、脱原発なんてヘンなのかなって。

  -テツオ、お前たちの言うとおり、脱原発というのが正しい。なのに俺が原発に向かうのは、俺が手がけた所というのは技術面でも設計面でも一流だからだ。これができるのはベテランだけだ。若い者はまだ未熟だし、これから子どもを持つのもいれば、まだ幼子を抱えているのも多いのだ。俺のような年寄りが向かわなければ、若い者が行かされる。そんな可愛そうなこと、できやしねえよ。若者を犠牲にして寄生虫みたいな金満の年寄りの権力者らが大儲けする。これは戦争と同じなのだ。戦争ってのは人殺しだ。テツオ、お前はそのまま脱原発で行け。しかし本質を見逃すな。原発問題の本質ってのは“人間”なのだ。この問題の本命は、人に犠牲を強いないこと、人に被ばくをさせないことこそにある。特に子どもと女性、そして俺たちみたいな労働者に対してだ。エネルギー問題なんてのは二の次だ。それにこうした運動には、これに乗じてあらたな利権を嗅ぎ付けてくるタカリのような連中が、味方のフリしてお前のような純情なのを利用しようと手ぐすね引いて待っている。そういうのには用心しろ。くれぐれも自分自身を大事にしろ。決して己を損なうな-

 

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  正午の陽はますます強く、しばらくおさまりそうにない。テツオはもう休憩ということにして、ここはいつもの喫茶室へと向かっていった。

  今日の店長はアタカの女房。スリシスたちは他におらず、ミセス・シンは子どもと外出、タカノ夫人はまた座り込みに行ったという。

「タカノさん? あの人はまた辺野古へと座り込みに行ったのよ。もう夏だというのに、歩くだけでも熱くってたまらないのに、熱いからこそ住民の人たちは大変だからって行っちゃったのよ。あそこってアスファルトの上だしさ、トイレだって最寄のコンビニまで車がいるし…。」

  そしてアタカ女房-テツオたちの担任であるレイコは、ここでテツオに微笑みかける。

「テツオ君も熱いなかの農作業は大変でしょう。水出しのアイスコーヒー作ってみたけど、どう?」

  テツオがにっこりうなずきながらレイコのいるカウンターに腰掛けると、レイコは二人分のを用意して、喫茶室はテツオとレイコだけとなる。

「先生、ところで午後からの、授業のテーマは何ですか?」

「そうね。教科書だけでは楽しくないから、またガリレオの『天文対話』を読もうかなと。」

「先生、先生は物理が専門ですけれど、どうして理系を選ばれたのですか?」

  テツオは実は、この年上の美人のレイコ先生に、ずっと惹かれていたのである。だからいつかは二人だけで差しさわりのない話でもと思っていたが、レイコはいつものアルトの美声で、テツオに優しく語りかける。

「テツオ君、あなたはユークリッド幾何学って、聞かれたことある?」

ユークリッド…。ええ、名前だけは…。」

  テツオはまずは話題がつながったと、自分をレイコの目線に乗せる。喫茶室のBGMには、シューベルトの『鱒』がかかる。

「前の学校で教わったと思うのだけど、いわゆる図形ね。あれは二千年以上も前のギリシャの名著『ユークリッド原論』から来てるのよ。私がこの原論を読んでいてふと気づいたのは、この原論はいずれも末尾が“これが証明すべきことであった”で終わっているけど、では一体そもそも何が証明できたのかって思ったのね。本的な概念は、証明に先立って定義の形で前もって与えられ、また定義すべき性質も公理によって定められている(4)ものだから、証明できたとされるものは、これらの定義や公理で構成される人間が自然界から抽出したミニチュア世界を人間が考えられる-ということなんじゃないかって思ったのね。それで私は、人間が自然に対して証明できたとするものとは、人間の自作自演でないとするなら、本当はいったい何なのか-ということを知りたく思って、理数系を選んだのね。」

  テツオがレイコに好感を覚えるのは、難しい話でも偉そばらずに遠慮せずに、思いのまま自分の言葉で話してくれるということであり、これが彼には自分も彼女と対等な者として、一人前の者として扱われているように思えるのである。

  そしてレイコはコーヒーを入れるサイフォンを取り出してはカウンターの前に置き、また一方で平たいカウンター上に、その指先で三角形を描いてみせる。

「この平面上に三角形があるとして、の三角形のどの二角をとってもその和は二直角より小さい(5)-これがユークリッドの世界なのね。そして、」

  レイコはここでまた指先で、サイフォンのフラスコの球面に三角形を描いてみせる。

「この球面上の三角形はどうなのか。見てのとおり三角形はふくらんでるので、の三角形の内角の和は180度よりも大きい(6)-つまり、先のユークリッドとはまた別の幾何学の世界があることになる。」

  テツオは説明するレイコの、細く華麗な指先に魅せられている。

 

 

ニュートン力学は、このユークリッド幾何学の平面で構成される3次元の空間をもとにしてるし、アインシュタイン一般相対性理論は、このフラスコみたいな曲率のある非ユークリッド幾何学のまがった空間をもとにしている。現代ではこの相対性理論が示す宇宙観が、ニュートン時代のそれよりも正しいとされているけど、ではそのニュートンは、自分は何を証明したと思っていたのか。彼は主著である『プリンキピア』の最後の方でこう記すのよ。-はあるものの真の実体が何であるのか少しも知らない。私たちはものの形と色とを見るだけ。その音を聞くだけ、その外面に触れるだけ、その臭いをかぐだけ、その風味を味わうだけにすぎず、その内奥の実体については、いかなる感覚、いかなる省察作用によっても、うかがい知ることはないのである(7)-と。」

「先生! それって般若心経の、“無限耳鼻舌身意、無色声香味触法、無眼界乃至無意識界”に似ていると、思いませんか?」

  テツオは修行の身のユリコから般若心経を聞かされて覚えていたので、ここはツッコミのつもりで言ったのだが、レイコはすっかり感心して、テツオを見つめて言うのだった。

「テツオ君、あなたはやっぱり冴えてるわねえ。そこがあなたのいいとこなのよね…。」

  レイコのアルトの美声の語尾が、一瞬か細くなったようだが、もち直しては言葉を続ける。

「私ね、さっきは人間が証明するって言ったけど、むしろ最近はこう思うのよ。人間は自分で考えているように思ってるけど、実は知恵そのものは、天か宇宙か神か仏か、人間を離れた所にあるのであって、人間はただそれにアクセスしてるにすぎないんじゃないかって。人間が自分の脳で考えているように思うことそれ自体が、むしろ錯覚なのではないのだろうかってね。」

「先生、そのお話、僕もとても興味があります。人間の知恵と知性って、本当はいったい何なのでしょうか。特に核の時代に生きている人間の知性って。」

「そうね。原発のもとである原爆を作ったのは、科学者、特に物理学者たちでしょう。宇宙の神秘を考えられる人の知性が、同時にどうして生命すべてを滅ぼすような核兵器を平然と作れるのかって、思うよね。」

  レイコは水だしアイスコーヒーをゆっくりと飲んでいる。テツオはその紙ストローの先端に、ついた赤い口紅の跡を見る。

ガリレオはその『天文対話』で、“間の知り方は、推論と、結論から結論への推移とによって進むのだが、神の英知は光のように一瞬に通過する”(8)って言っているのよ。ガリレオは科学者なのに知のことで神に言及するなんて、昔の科学者たちは理知的だと思うのね。」

  レイコはテツオの反応を確かめるのか、その眼を一瞬見つめると、また話へと戻っていく。

「でね、中国の荘子はね、“はその知らざる所に止まれば即ち至れり…しかもその由りて来たる所を知らず。これをほう光という”(9)-つまり、人の知は知ることができないと気づく所できわまるのであり、しかもその源は知れず、それはつつまれた光である-と言っているのね。この荘子の言葉って、先のニュートンとこのガリレオの言葉と、何だか似ていると思わない?」

「そうですね。僕は荘子ガリレオも、ともに光と言う所で共通するのが興味深いと思います…。」

  テツオは、レイコがグラスから滲み出ている水滴を、その指先でぬぐっていくのを見つめている。そしてレイコは独り言のようにして、そっとつぶやく。

「神が旧約聖書の創世記のはじめに、“光あれ”と言ったことで万物の創造がはじまったと言われている。どちらも光が源なのね…。」

  レイコはここで、もっとお話したいのだけど今日は用事があるからと、喫茶室をあとにする。テツオはこれでますますレイコに魅せられ-ユークリッドも非ユークリッドも、万有引力も時空のゆがみも、僕にとってはどっちでもよく、僕はただレイコ先生に思いっきり惹かれてしまった-のだった。だが、しばらくして落ち着くと、テツオにはこのレイコの優しい雰囲気が、何だかとても懐かしい気もするのだった。

 

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  初夏もすぎて盛夏となった。少しは慣れはしたものの、田植えは遅々として進まず、今日も泥との戦いだ。真夏の太陽…その照りつけは本当に容赦がない。日焼けと体力消耗予防のため長袖の白シャツを着てみても、熱すぎてすぐ半袖にまくりあげてしまうから、日焼けして皮がめくれたその跡に、また日焼けを重ねてするという二度焼きの刑となる。

  今日もテツオは太陽がいっぱいのもと、田植え苦行についている。今まで田植えをしてきた所の条間・株間の格子縞が、無数の十字架に見えてきて、恨めしくさえあった。田植え用の地下足袋は窮屈なうえ、足指先にかかる圧が強くなり、踏ん張るたびに血豆がつぶれて更にまた血豆ができる感じがして、しかも立ったり屈んだりの連続で腰も心も折れそうだ。もう熱中症の寸前だ。テツオは改めて田んぼを見回し、少し考えてみることにした。吹いてくる海風が、熱さを少しやわらげてくれるようだ。

  …コメも野菜の一つだが、他のどんな野菜に比べても、水田にかかるロードは別格だ。それは畑とは異なって、農地一面に水を張ることにある。何だって自分たちのご先祖は何百年もの間、こんなことをやってきたのか。同じ主食でもムギならば、水も少なく全然手間いらずだというのに。また同じコメをやるにしても、陸稲をやればいいではないか。であれば用水がなかった昔は、水に悩まずともできたはずだ。どうしてダムも用水もなかった昔に、わざわざ水利権の争いのもととなる水田なんかを奨励したのか。本当に収穫量のためだけに水田をやったのだろうか。それにムギも充分とれるのに、どうしてコメが主食なのか。どうしてそんなに“コメ文化”を、民族の証のように神聖視するのだろうか。本当に灌漑は必要なのか。もし別に灌漑なしでも人間は生きていけたとするのなら、人間の文明とは何だったのか…

  テツオはここでニュートンではないが、ある仮説を立ててみる。-ひょっとして水田による稲作とは“国策”であり、人民支配のワナではないか-と。

  …もし水田を奨励すれば、大規模な灌漑がいるだろう。つまり、身分制度のその上に、人々がいがみ合う水利権を調整するため権力が必要とされ、また権力者は民を支配しやすくなる。民には水を入れれば雑草が生えてこないと言いくるめ、この国民の異常なほどの雑草嫌いのルーツは実はここにあるのではないか。実際に雑草が多少あっても、農作物の生育にはたいして影響なかったし、農薬の毒の方が影響あると俺には思える。そしてこの国民の異常なほどの草嫌いは、枯山水の美意識と、玉砕の精神にも通じるように俺には思える。そしてこの草皆殺しの慣行こそが、世界有数の農薬消費と、かつての軍が行った南京その他の大虐殺や、戦後では公害という名の大量傷害・大量殺戮にもつながっているのではないか。

  また水田は、水をいっせい供給するため、集団での一斉作業が求められる。となれば民はそれこそ田植えのようにして、皆と並んで横並びに、いつも同じことをしてさえいれば何事も安全だと思うだろうし、その反射として、常に村八分=仲間はずれを作っておいて、そいつを皆でイジメれば、集団の和が保たれてわが身の保身も安心だ。差別と棄民がこの国の運営の基本であり、その根本たる民族の“奴隷根性”の大本は、どうやらこの田んぼにあるのではないか。そこからは個人という観念は起こり得ないし、この国で人権意識がほとんど根付かず、戦争も原発もまともに責任取ろうせず、輸入モノの民主主義も成功をしなかった本当の原因は、ココじゃないのか。

  また、コメそのものの性質にも問題があるだろう。コメの栄養価は非常に高い-というのはあの真夏の太陽エネルギーで光合成を行って養分を作るから。この高すぎる栄養を日々三食も取る必要があるのだろうか。あり余ったエネルギーのはけ口は、結局は“暴力”にこそ向かうのではないだろうか。

  とすればコメとはつまり、暴力と奴隷根性の“第二の知恵の実”なのではないか…

 

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「すごい! コメが第二の知恵の実だっただなんて、まさに目からウロコが落ちる思いだ。」

  テツオは思いついたこの仮説を、教会兼図書館でいつも本に埋もれているキンゴのもとへと話にいった。

「でもなキンゴ、コメだったらタイ、ベトナムでもやってるだろう。じゃあ何で同じコメ文化でも、こんなに違いが出たのだろうか。」

「それはさ、多分、こういうことだろうと思うよ。」

  キンゴはある書物を取り出して、洗練された指先の手のこなしでテツオに示す。その細面の横顔は、テツオと違って日焼けのない色白のシルク肌に赤い頬。教会にいる時は黒っぽい服のせいか、まるで修道士のようにも見える。

ご飯一膳分で約5勺、1勺は18mlから1石は180Lとこの表にある(10)。年貢米は石高で計量された。ということはこの国では、命の糧であるコメは、同時にカネでもあったのさ。だからこの国では伝統的に、“命とカネ”は等価なのさ。これも等価原理の一つかもよ。そのうえ経済大国化して拝金主義がまかり通れば、“命よりカネが大事”って簡単になるだろう。」

  キンゴのやや甲高い声の調子が、天使が飛びかう天井画に、余韻を伝えているようだ。

「テツオ、君がこの前、田んぼはキリングフィールドだって言ってた通り、そしてかのルファーディングが言った通り、暴力こそが全てに先行する(11)ようだ。戦争も経済も根は同じで、しょせんは己の権力を打ち立てる手段であり、その本質は暴力に他ならない。これに経済的発展とその必然たる拝金主義がはびこるとどうなるか。」

  テツオはじっとキンゴを見つめる。彼の華奢な身体から、マルクスみたいに図書館に閉じこもりの生活から、彼はいよいよ成果物たる自分たちの革命思想を言おうとするのか。

「拝金主義…、かつてはカネは金だった。金といえばそれは結局、旧約聖書がいう所の“黄金の子牛”(12)なのさ。人々はそれを自分らの頭に掲げる神として、それを拝み、犠牲を捧げて堕落する。金は、要は“ラインの黄金”でもあるわけさ。ライン川にある黄金は自然のままでは美しく輝くままだが、人がそれを加工して自分のものにしてしまうと、その者には永遠の呪いがかかり、世界を支配する権力を手にする代わりに愛を断念せねばならない。しかし人の欲望は金でも足りず、他の物質をもカネとする。金、銀、銅、石や貝、タバコすらカネになる。、銀、銅、石や木でつくられて、見ることも聞くことも歩くこともできない偶像を礼拝してはやめようとしない(13)という黙示録のこの言葉は、多分大いに示唆的なのさ。そして人は最も安い紙そのものをカネとした。それは20世紀になって、ついにニクソンショックという名前で、世界の紙幣-基軸通貨であるドルは、金とのリンクを切るに及ぶ。カネの価値は、インカやスキタイの古から続いていた黄金ではもう担保されない。でも、それではいったい、そもそも価値って何なんだ? カネは価値を媒介するのか、それともカネがあるから価値がつくのか。カネの源とはいったい何だ?」

  もともとキンゴはKY-すなわち空気を読まないタチなので、彼のこうした独りごちた語り口調にテツオは慣れてはいたのだが…。今あらめて見てみると、よく整えられた黒髪に、細眉の瓜実顔…。彼が女形みたいになれば、ユリコやレイコ先生とは違った、また一つの美形になれるのかも-とテツオが思っていたところ、キンゴはこのまま持論を続ける。

「つまりさ、カネや貨幣というものは、価値を担保するものでもされるものでもないんだよ。結論を言ってしまえば、カネの価値はその媒体ではなく、そのカネを手にする人々の貧困こそが支えるのさ。だからカネの媒体は何だっていい。石や貝、金属、タバコにコメだって、何だってカネになる。ということは、僕たちヒトもカネになるし、現にもうなっている。」

「でも、その価値を認識するのは、人間だろう。」

「そう。でもむしろ、カネは人が守ってきた価値体系を破壊するのさ。人はカネを媒体として、あえて戦争なんかしなくてもその破壊欲を実現できる。権力を維持しながらその再生産をするためには、常に破壊の再生産が必要なのさ。神への信仰、伝統文化、自然環境、またそれらと調和した農林漁業と食生活…、これらのものはあの高度経済成長でその多くが失われてしまったように、ものの価値は市場至上主義という蟻地獄のすり鉢に投げ込まれて、カネというすりこぎがそれらを打ち砕いてしまうのさ。カネは価値を媒介せず、価値そのものを壊すんだよ。なぜなら、カネは権力と同様に人々の貧困という犠牲の上にわくものだから。つまりカネとは権力の潤滑油でもあるわけさ。その犠牲を生産し、再生産していくのは、暴力でしかあり得ない。だから経済発展でカネが全てを商品化していく世界とは、かのアダム・スミスのそれ以来、経済学の主流派が伝えるような神の見えざる手が導く均衡ある世界ではなく、人のカネという媒体による、見えざる暴力が繰り返される果てしない破壊と、更なる貧困の再生産という無限連鎖の地獄なんだよ。そしてそうしたカネが媒介するヒトとヒトとの関係とは、万人の万人に対する支配と隷従、つまり奴隷と奴隷の関係になるほかないのさ。」

「その最果てが、原発というわけか。」

「そう。貧困の再生産とは権力の再生産の反映であり、今やその権力を担保するのは、暴力の頂点に立つ“核”そのものだ。貧困とは何も金銭だけにあらわれず精神にもあらわれるから、核に依存する権力体系が強ければ強いほど、精神は極貧になっていく。だから生気のない幽霊みたいな奴隷根性そのものの国民は、みんな核との共存が平気なんだよ。」

  キンゴはテツオの理解をよそに語り続け、またテツオはそれでも何となく、彼が言わんとすることはわかるような気がしている。キンゴが語り振るう手が、何だか指揮者の手のように華麗に見える。

「でもテツオ、僕たちはそれを拒否して、この島で革命と独立とを実行している。僕たちの革命と独立とは、この黙示録の核の世で、それこそ価値あることなんだよ。この革命には哲学が必要なのさ。この核の時代は人類には未経験で、たしかに未曾有のことかもしれない。しかし僕らはこの核の世でさえ、そこに現に生きている者として、自分たちを過去の歴史に位置づけながらその因果を必ず見出し、次の世代へとつなげていかねばならないのさ。僕は是非、この哲学を得たいんだよ。」

  そしてキンゴは、テツオがやや見とれていたそのきれいな両手で、テツオの手を握ってきた。指先のピンク色がますます赤るみ、テツオは思わずゾワっとしてくる。

「テツオ、本当にありがとう。何もかも君のおかげだ。君が労働してくれているおかげで、僕はかのマルクスみたいに図書館で思索と著作に没頭できる。労働なき知識だけじゃダメなんだけど、君の話がそれを補ってくれるのさ。僕は暑いのが苦手だから畑は少ししかできないし…。」

  低体温ぎみなのか、キンゴの手は時おり冷たく感じられるが、テツオは手を握られたまま、言葉をつなげる。

「いいんだよ。お互いの得意分野で頑張れば。お前のいうマルクスエンゲル係数も、好きなだけやればいいのさ。確かに今俺たちに必要なのは、食の安全と、自分たちの哲学だよな…。」

 

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  テツオが文字通り田んぼにはまって抜けられないのを知ってか知らぬか、ある日レイコが、テツオの田んぼを体験したいと言ってきた。

「もちろんいいですけど。先生、どうしてまた田植えなんかを。」

「祖父が農家だったんだけど、子どもの頃に手伝ったっきりで。テツオ君が無農薬、無肥料で、手で植えてるって聞いたのでね…。」

  聞けばユリコも、遅れて一緒に参加するということだ。

  さてその当日、天気も晴れて、テツオは自分ひとりで開いた田んぼ一反に、素敵な女性2人のゲストを待ちうける。彼は2人の手植え用にと、苗床から苗を取り置き、2人用の田植え場を準備して、やや緊張の面持ちで立っている。

「テツオくーんッ! こっち、こっちィーッ!」

  振り向けば、向こう側の田の淵で、レイコがテツオに手を振っている。麦藁帽子にトップスは青のTシャツ、ボトムズはテツオと同じく登山用のニッカボッカをはいている。

「先生! 先生にやって頂く所と苗を、こちらに準備していますから。」

  レイコは田に近づくとシューズを脱いで素足にかえり、田んぼの中へと入ってくる。テツオはいつもはパンプスに隠されているレイコの素足を初めて見そめて、田んぼが清められていくようにも思え、また彼女が足をつけた所のコメは、格別においしく感じられるのではとも思いもした。

「先生、裸足って、ケガとか心配ないんですか?」

「えっ? だって子どもと一緒にやる時は、みんな気持ちがいいからさ、だれもが裸足よ。」

  意外なほど安定した足取りで田を渡ってくるレイコを迎えて、テツオは彼なりの田植えの手順を説明する。

「ああーっ! この条間・株間印のついた木の枠って、おじいちゃんの家にあったよねぇ!」

  レイコはここでテツオの目を見つめるが、テツオは、こんなの古い農家ならどこでもあるさといった感じで、ただこう答えてしまうのだった。

「ああ。これはオバアの納屋にあったのをユリコが見つけて、オバアが貸してくれたんですよ。」

  レイコはとても嬉しそうに、テツオの示した手順通りに大きな木枠を動かしながら、田植え作業に入っていく。テツオは室内派と思っていたレイコが、彼に劣らぬ筋力でスイスイと田植えをこなしていくのを見て、少々意外に感じている。

  やがてユリコも加わって、ユリコは修行でオバアの田んぼを任されてるからテツオ以上に器用なもの。テツオの田んぼは、レイコとユリコが左右半々並びあう田植えに慣れた女2人の独断場となっていき、彼はやることがなくなって、畦を直すと女2人の後ろにさがる。見れば女たち2人は、自分の方がより田植えがうまいのだと競い合い、男一人の僕に対して見せつけようとしているようだ-ともテツオには感じられる。

  しかしそんなことより、今や田植えに興じる2人の女の後姿を、自在に眺める位置にあるテツオにとって、その視点も関心も、当然ある特異点に集中する。

  -田植え女の後姿といったって…、要はお尻しか見えないのだ…。こんなに大きかったっけ-

  テツオは正直、その大きさと存在感とに圧倒される。…二本の足に支えられた虚空に在る大きなマルと、田に映る大きなマル。西海にダルマ夕日というのがあるけど、この目の前の大マルは、幾多の輪廻を乗り越えて、ガンジスの彼岸に達した悠久の夕日のような存在感だ。いや、ひょっとして、無限の力でこの特異点に引かれていく僕にとっては、これはブラックホールの疑似体験かも…。でも、このブラックホール、その名の割にはこんなにも目に美しく、触感ゆたかな魅力あふれるものだろうか…。

  見開かれた瞳孔に、陽の光がさらにまぶしく、また額の汗も目にしみだしてきた頃に、女2人は田植えを終えて小川に引き上げ、テツオ君も休みましょうと、どうやら呼んでくれているようだ。

 

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  小川の淵にはクスノキがあり、木漏れ日きらめく木陰の下で、女2人がルノアールの絵のように楽しそうに談笑している。テツオも呼ばれて加わるが、その目はしだいに会話目線からは外れて、より下方へと移されていく。…見れば、小川で洗いたての、女たちの生足素足がそのままに、各々くの字に折り曲げられて、初出しのダイコンみたいに草むらの上に在る。ダイコンとはいえ太いのではなく、上質で艶がいい喩えとして。その先端には、まるで茹で加減で、朱に紅、ピンクにレッドと、彩り移るラッディッシュみたいな足指先が、かかとにかけて並んでいる…。

  その時、ユリコの目に何かあったか、彼女は急に小川で目を注ぎはじめる。

「ユリちゃん、どうしたの? 目に何か、入ったの?」

「い、いえ、大丈夫です。たぶん、またまつ毛が入ったのかと・・・。」

  レイコは急いでユリコに駆け寄り、片手で彼女の上体を起こしつつ、その目に見入る。

「目にまつ毛が入りかけてるわ。私が取ってあげるから、こっちを向いて。」

  ユリコはひざまづいたまま、起こした彼女の上半身をレイコに預けるかのように傾け、レイコはそこで同じようにひざまづくと、左手でユリコの肩を支えつつ、見開かれたユリコのその目にじっと見入ると、細く華奢な指先で注意深くまつ毛をはらった。そして続いて-もう大丈夫よ-といった感じで、レイコの朱るむ指先がさっとユリコの頬を撫でた時、ユリコの頬がバラ色に染まっていくのを、テツオは何か美しいものを見るような、羨ましげな心持で、見つめていた。

 

  日は午後になり、3時の時が近づいている。

「テツオ君、今日は本当にありがとう。もしよかったら、ユリちゃんもご一緒に、私の家でお茶しない?ガーデンはまだ途中だけれど、玄関のハーブの園とミニトマトのアーチまでは出来たのよ。」

  太陽が西へとかたむき、女2人はパラソルをさしながら、小路に声を響かせあって楽しそうに歩いていく。その後を一人ついていくテツオ。直立二足歩行の上に、傘の丸みが乗っかって、その下で大きな尻が、振り子のように揺れているのが目に映る。

  レイコ宅のガーデンでのお茶の席。ユリコとテツオは、ハーブの園を前にしたベンチに腰掛け、ハーブティーとレイコ手製のパウンドケーキをたしなんでいる。ユリコは応接間に置かれているレイコのピアノが、やや気になっているようだ。

「先生、私、よろしければ、一曲弾かせてもらっていいですか。」

  ピアノに向かうユリコの姿が、そのアップライトの漆のような黒い躯体におぼろげながら映っている。ユリコが奏でる一曲は、テツオもギターをやっているので、これがシューマントロイメライであるのに気づく。ユリコは和音の響きをゆっくりと、一音一音確かめるかのように弾いていく。

「じゃあ、私も一曲、弾かせてもらおうかしら。」

  今度はレイコがピアノを奏でる。テツオは曲を知ってはいたが、あえてその名と弾き手の気持ちを確かめたいと、レイコ自身に尋ねてみる。

ドビュッシーの『映像』からの『夢』なんだけど、今の私の気持ちとしては、夢のような嬉しさとでも、いうのかなあ…。」

  レイコは顔を赤らめながら、ピアノに向かって目を伏せつつ、微笑んだ。

 

 

  田植えの終わりが来るとともに、いよいよ真夏も盛りとなる。植えた初めはわずかな風にもしなっていた手植えの苗は、五葉七葉とぐんぐん育ち、分けつを重ねては、やがては孔雀のような扇形を装うものまであらわれた。稲の葉は、その初々しい明るい緑の葉の先を、天に向かってまっすぐ突きたて、その身はすでにコメの香りを発している。テツオは今、こうして揺れる稲の向こうへ歩いていった、レイコとユリコのあの時の、後姿を思い浮かべる。

  その夜も、彼は床につくまま長いこと、なかなか寝付けぬ夏の夜空を窓越しに見上げている。…月の光、夏の夜風にいざなわれ、あの『夢』が、脳裏の奥から聞こえてきそうだ…。彼もすでに夢の中にいるのだろうか、歳月はさかのぼり、テツオは一人の幼児にかえって、また同じく若返ったレイコと一緒に、古い農家の二階の部屋で寝転びながら、夏の夜風を楽しんでいる。

「テツオ、今日は田植え、楽しかったね。何かまた新しいもの、見つけた?」

「姉さん、ボクさ、バッタが脱皮するところを見たんだ。こうやって葉の裏にしがみついて、全身バックで、バッタなのに海老ぞり姿勢で脱皮するんだ。頭の中に血が上らないかって思うんだけど。ちなみに姉さん、バッタの血って紫色って、知ってた?」

「テツオ、あなた、その脱皮しているバッタを掴んで、つぶしたりしたの?」

「姉さん、ボクはそんな可愛そうなことしないよ。じっとそばで見てたんだよ。脱皮から新しい姿で出てくるバッタは、透明ですごく綺麗なんだよ。…たしかにボクは、バッタはいくらか殺したけどね。だってあいつら放っとくと葉を食べちゃうし、うちは農薬まかないから、それくらいは仕方ないって、姉さんも言ってくれたし…。」

  レイコはテツオに目をやりながら、ゆっくりと微笑んでいる。テツオはレイコにふと言ってみる。

「姉さん、週末だけじゃなくってさ、毎日ここには来れないの?」

  蚊帳にただよう線香の煙を眺めて、テツオは恥ずかしそうになりながらも、自分の思いを口にする。

「ボクさ、ここは大きくて暗いから、一人じゃ怖くて寝れないんだよ。…それに夜中のトイレも、連れてってほしいしさ…。」

  レイコはやや、胸につまってきそうになるのを抑えながら、テツオのそばに寄り添うと、その頬を右手で撫でつつ、彼の目を見て語りかける。

「テツオ、わかったわ。実家の祖父母の介護があるって会社を定時に引き上げて、私の家から毎日ここに泊まっては、翌朝ここから出勤すればいいだろうから…。お爺ちゃんもお婆ちゃんも別にかまわないって言うだろうし…。」

  テツオはあまりの嬉しさに、よくやるようにレイコの浴衣、その胸元のVの字に鼻先をつっこむと、胸全体にその頬をこすりつけようとするのだった。レイコはくすぐったいよ-と言いながらも、ここはいつもテツオをその手で抱きしめる。やがてテツオは、胸元から顔をあげてはレイコに尋ねる。

「姉さん、ボクが大人になった時、ボクと結婚してくれる?」

  レイコは特に驚かず、かといって子どもの話と軽んじもせず、再びテツオの目を見て語る。

「もしも、あなたが、今のその良い所を保ってくれていたのなら、私はOKするけれど、でもテツオが大人になる頃は、私はすでに若くはないのよ。それでもいいの?」

「いいよ。だってボクにとっての姉さんは、永遠の女性だもん。じゃあ、もうひとつ聞いていい?」

  レイコはテツオを、慈しむようにじっと見つめて、優しくうなずく。

「年をとればボクたちも、いつかはきっと死ぬんでしょ。死んだあとには、何があるの?」

  レイコはここはやや考えた後、テツオに向かってゆっくりと語りかける。

「死んだらね…、私たちはきっと“光”に、なると思うよ。」

「どうして死んだら光になるの? 幽霊になるんじゃないの?」

「光はね、他の何よりも速いのよ。光の速さに近づいても逆に時間の方が遅くなるから、何ものも光を掴むことはできない。これは命を掴むことができないのと似ていると私は思うの。なぜって命は、何より大事なものだから。それに臨死体験といって、病気や手術で死の間際を体験した人たちは、皆一様にまばゆい光を見たって言うのよ。」

  レイコは寝むたそうになりながらも聞こうとするテツオを見つめて、微笑みながらも言葉を続ける。

「死んだ後も、生まれる前も、多分同じ。そこはきっと全てが光で、自分もなければ他人もないのよ。」

「じゃあ、やがてはボクも光にとけて、いなくなるの? 姉さんも同じように、いなくなるの?」

「いいえ。私たちはなくならない。確かにレイコとかテツオとかいう身体はなくなるけれど、私たちの魂はなくならない。それは始まりのない所から永遠に続いていると私は思うの。そしてどのみち一つのところへ帰るのよ。テツオも私も、やがては一つの光へと、帰っていくのよ。」

  レイコはここで添い寝をしていたテツオから少しだけ身を起こして、彼の目を見て話しかける。

「テツオ。もしもあなたがこの先ずっと、心のどこかで私のことを想い続けてくれるのなら、私が先に天にいっても、魂の片鱗を天国の門に預けておくから、その門であなたと再び会えると思うわ。そして私たち二人は、来世で結ばれるのかもしれないわね。」

  レイコはここで、テツオの髪から頬までを撫で、キスをする。

「だからテツオ、私は今日、あなたがプロポーズをしてくれたこの姿の魂で、天国の門で待っているから、あなたは自分の一番カッコいい時の姿で、私のもとへと会いにきてね…。」

  青年テツオは、ここで夢から目が覚めた。レイコの声がはっきり耳に残っている。彼はレイコの温もりと感触とが、まだある頬に手をあてて考えようとするのだが、野良仕事の辛さのせいか、この日もまもなく何もかも忘れたように、寝入ってしまった。

 

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  テツオが寝付けぬ夏の月夜を重ねるうちにも、彼の田んぼの稲たちは、潤沢な小川の水に潤され、やがては剣のような葉をめぐらし、分けつのピークを迎える。そして最後の止葉をあげた後、静かに次なる命の宿し-出穂の時を待つ。

  盛夏の最中の8月中旬、テツオの田んぼはついに出穂の時を迎えた。分けつを終えた稲株の茎の中から、実をはらんだ穂の数々が、茎をつきぬけ天にむかって勢いよく伸びている。そしてまるでタイミングをあわせるように、ある日の午前いっせいに、コメの花を咲かせたのだ。それはちょうど一年前、タカノの田んぼで見たように、あまりに小さく可憐な花で、わずかな風にもプルプルと打ち振るえ、一瞬のうちにも受精を行い、命のリレーをつなげていく-彼は再び、それを見つめているのだった。

  テツオは寝付けぬ夜の最中に、出穂の穂ばらみで満ち溢れた彼の田んぼのことを想う。盆を過ぎた夏の夜は、今やすっかり鈴虫たちの声におおわれ、月の光を受けながら、次なる命を宿した稲穂は、点々とコメの花を咲かせながら、青い田んぼの稲葉の波間に、白く淡い輝きを放っている。

  …出穂-それは母なる地球の重力から、天へ宇宙へかけ登る、生の姿、性の姿。コメの花、その雄しべと雌しべが、ほんのわずかな刹那をとらえて交わしあう、愛の賛歌がめぐる時-僕はこの一反の田んぼから、出穂をうながしている自然の流れ、自然の響きを感じている。それは目には見えないが、何か意思があるような響きがするのさ…。白い、白い、コメの花、コメの花。あの日昇った太陽みたいに、今や月が天高くかざされて、この島の四海を白く、くまなく照らしている…。

  そして彼も、暑苦しさに耐えかねて、白いシーツの床中で着衣を脱ぎ捨て、窓からしのぶ月の光を、その艶やかな小麦色の身体に受けとめる。月の光は、彼の四肢をくまなく包んで、白くふちどり、なま暖かな夏の夜の幕間に、くっきりと浮き上がらせる。なめらかなその背中の丘陵には、ゆるやかな肋骨が波打って、腰から尻への山坂を経て、片膝を宙に浮かせた両足は、掛け橋のように長く伸ばされ、その先端の爪先からは、貝がらの反射のように月の光が散らされる。彼のその身の寝返りがうたれる度に、波打つようなうねりが床に伝わって、白いシーツの衣擦れの音韻を、夜の帷にさざめかせる。

  彼はあらためて全身を大きくよじって、月の光が身の側面を白くまばゆく照らしていくのを目で追いながら、自己のペニス-その特異なる造形を撫で擦りつつ、これはやはり出穂と同じなのだ-と、心の中で叫ぶのだった。そしてまた、このペニスを受け入れる女陰も含めて、それらは本来“花”であるとの、確信を得るのだった。

  …本来ヒトは、あらゆる木の実は食べてよく、辛く苦しい農作業などしなくてよかった。ところが、ある禁じられた知恵の実を食べた時から、自分たちのこの“花”を葉で隠して、羞恥という禁忌の中に入れてしまった。草木の花は愛でるのに、どうして我が身の花をタブー視し、見下し、ひやかし、忌み嫌い、醜いとまでこき下ろし、あろうことか猥褻とまで因縁つけて、葬ってしまったのか-本来は、何も恥じ入るものではなかったのに。性を正視しないというのは、生を直視しないのと、実は同じなのではないか…。

  …僕はこの島に来て、大地に根ざして生きてきて、見てきた花を思い出す。アネモネの赤、キンポウゲの黄、キンセンカの橙にカキツバタの青紫、そしてスイセンの白とユリの白…。どうしてこうも花々は、美しく、愛らしく、また鮮やかなのか。種は芽となり葉となり茎となり、そしてやがては花となり、受精し再び種となる。植物たちに脳はないから自我はおそらくないのだろうが、僕は彼らに意思があるのを知っている。彼らが織りなす花々は、その生殖の機能を超えた存在で、この世で何より美しくありたいという意思が、結実したのが花なのだ-僕にはそうとしか思えない。あの花たちの複雑な造形と色彩と香りとは、子孫をつなげる種を宿すと同時期になされるもので、ともすれば生存をかけるほどの莫大なエネルギーを要するはずだ。そして単に虫たちをポリネーターとして寄せ付ける必要以上の工芸品でさえあるのだ。あのニンジンの白いレースのような、アラビア中を探しても見出せない、どんな幾何模様もおよばない緻密な様は、工芸品をはるかに越えた存在なのだ。

  自然はまさに、こうしてその芸術を尽くすのだろう。命をつなぐ生の間際を性にたくして、その美の彼岸に達しようとするのだろう。そしてその身とその実を、愛する神に見てもらおうとするのだろう。  このように、生と性と美と愛とは一体のものであり、もとより分けることなどできず、花はそれを体現し、あらゆる命あるものに、見せ、かぐわせ、触れさせ、味あわせる。つまり花は、この世の真実、“美の絶対性”をあらわしているのである…。

 

 

  盛夏が去り、季節はいよいよ秋へと近づく。あれだけ激しく鳴いていたセミにかわって、今や鈴虫たちの鳴き声が、嘉南岳を中にいただくこの島のここかしこから聞こえるようになってくる。

  テツオが手がけた一反の田んぼの稲も、今や穂は垂れ、金色に色づきはじめる。テツオは風に吹かれて金色に波打つ田んぼを見つめつつ、出穂して30日を過ぎたある日に、田に入る水をせき止めたのを思い出す。この水は、ノロのユリコが注いでくれた聖なる泉の小川からくる水。彼はその小川より田に引き入れる給水口に、木の板を差し込んで水をせき止め、同時にまた排水口より田に残っていた水を落とした。これからあと刈り取りまでは、穂の茎の色合いが緑から黄色へと移りゆくのを見きわめながら、テツオは稲が登熟するのを見守ってきたのである。そして彼は、この日ユリコが、こちらに向かって歩いてくるのに目をとめる。

 

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  ユリコは麻の浄衣に野袴の白装束の行者の装い。彼女はオバアを師僧として島のノロを継いだので、日々この嘉南岳と島の行場であるウタキを廻る回峰行を行じていて、この日はその道すがら、テツオの田んぼに寄ったのだろう。

「ユリコ、水をありがとう。おかげでコメが無事にできたよ。」

  テツオがそう語りかけると、ユリコは微笑みうなずいた。彼女は金色の稲の穂を、片手で軽く撫でながら-稲刈りまであと少しね-とつぶやいた。テツオはユリコのその白い体に目をとめる。…ユリコはこの前、田植えで改めてその大きなお尻を見せてくれた…。もうカップル歴も長いから、キスも着衣のお触りも、テツオは今まで一通りこなしてきたと思っているが、ユリコが田の淵にあるクスノキに彼と一緒に座ってくれても、いくら彼女とはいえ行者相手に手は出せないと思うのだった。

  そしてユリコは、金色に実った稲と同じく、おごそかな雰囲気でテツオに語る。

「私の白帯行者姿って、初めて見るでしょ。…もうすぐ父の命日なので…。」

「そうか、そうだったね。もう、そんなになるんだ…。」

  稲の穂と同じように、やや頭を垂れて話すテツオに、ユリコはさらに話しかける。

「ねえ、テツオ。私たち人間って、どうしてこの地球上に、どうしてこの生物界に、生まれてきたんだと思う?」

  花や草を観察しては、いつもはユリコに語っているテツオだが、この日はややうつむいたまま、ユリコの言葉を待っている。

「私はどうしてこんなことを思うのか。父は兵士として戦死-つまり殺された。その意味で私は被害者。でもその前に、兵士の父は誰かを殺したのかもしれない。では私は、同時に加害者としてのカルマを背負うことになる。だとしたら、この私の運命は、はたして神に望まれたものかどうか…。」

  テツオは今まで何回か、ユリコのこうした発言を聞いている。しかし彼にはほとんどいつも何事も答えられない。それはいくら原発事業で働く父を持つとはいえ、戦争で父を失うなど想像もできないような恐ろしいことだから…。しかしテツオは、ユリコがこうした自問をするたびに発する次の言葉には、確かに強い共感を抱くのだった。

  -私は世間を、原発放射能、そしてその後の戦争で、私たちを弄び、捨てた世間を呪っている-

  これはテツオも同じだった。そして彼は、こう言うユリコを哀れむどころか、逆に強い連帯感を抱くのだった。

「こうした白装束を着て行を行じる者については、俗にお遍路さんとか、心を癒す供養の旅人とか言われているけど、実際にやってみても、私の中での“怨”の思いは強まるばかり。私は自分がこの“怨”に生きているとさえ思う。それは全くこれから先も変わらない。でも私は、自分がこうして心の内に怨を秘めても、それが私の精神を蝕むとも思えない。いやむしろ、怨を秘めて日々行を行じている私は、精神的には向上しているような気がする。」

  テツオはこんなことを言うユリコに対して、同情ではなく、むしろ好意を深めていく。

「俺、ユリコのその思いには、まだ遠く及ばないけれど、俺も偽善と欺瞞は嫌いだから…。」

  テツオはこの日、ユリコにこう答えるのが精一杯だったようだ。だがユリコは、いつも聞き役にまわってくれる彼の手を取り、一瞬だけ強く握ると、身をひるがえして足早に、またもとの行へと戻っていった。

 

 

  金色の稲の穂がすべて垂れ、穂ばかりでなく稲全体がその緑の余りを減らせていき、登熟はピークを迎えた。テツオは鎌をたずさえて、一反の田んぼに向かう。いよいよ初から手がけて実らせた自身のコメを、収穫として刈り取る時がきたのである。

  収穫の秋-その一言では収穫しきれぬ時間と労苦の重みとが、テツオには思い出される。その重みが鎌を手にする彼の手に込められて、テツオは豊かに実った田んぼをかき分け足を踏み入れ、分けつを重ねた太い一本を、腰の高さに達するほど成長した稲の束を、その根元をつかんで慎重に、だが勢いよく、鎌の刃をあて手前へと引いてみる。“ザクリ”と、太くて鈍い音がする。それとともに彼の手には、今まさにコメを収穫したという実感が、茎から上の全質量をともなって響いてくる。テツオは足を踏みしめながら、一列また一列と刈り取って、収穫の実感と喜びとを、腕から肩、そして胸へといき渡らせ、全身へと広がるのを感じている。

  そしてテツオは刈ったばかりの稲を抱えて、これから脱穀してみようとハウスの中へと入っていく。

  彼は自分の目の前に、竹で編んだ箕を置いて、低めの椅子に腰掛けると大股ひらき、その股の間で数本ごとに稲の首をつかんでは、片手でシゴいて種モミを箕の中へと散らしていく。テツオはこの作業を繰り返しているうちに、…まるで片手で握ってシゴいている稲穂の束が自分のペニスで、飛び散っていく種モミたちが精子のようにも思えてきて、またそれを受け止めているゆるやかな曲線の竹の箕が、女性の子宮のようにも思えてくる…。しかし彼は、こんな所でオナニーするより、これからいよいよ、自分たち人間一人が生きるに足る、真に必須な耕作面積-限界耕作面積を、種籾ベースで計算せねばと思うのだった。

 

  そしてテツオが計量してみたところ、無農薬・無肥料の条件下で、次の結果が得られたようだ。

① コメの収量確保には分けつが欠かせないけど、始終溜水できるような田んぼでなくても、畑で日に何回か溜水できれば、分けつはある程度はするものだ。それは僕の今年の経験では、一般的な慣行農法の30~50%、よくて平均14分けつほどだと思う。水をはらず草花と同様にかけて育てるだけならば、せいぜい3~7本しか分けつせず、また実りも少ないようである。

② 今回、条間は30cm、株間は20cmで、苗を1本植えとして、分けつ1本1茎あたりを平均2.5gとして14分けつとした場合、5㎡で14分けつが70株できるとして、1人が1年間消費する平均的なコメの量を60kgとしてみれば、必要な面積は次のとおり約120㎡と算出できる。

 30cm×20cm=600c㎡×70株=42000c㎡は50000c㎡より小さいから5㎡として、

 5㎡(70株)⇒平均14分ケツ×2.5g=35g/1株×70株=2450g

 60kg÷2450g×5㎡=122.5㎡⇒約120㎡

  (ただし気象その他の要因でこの値は変動する)

 

  ということは、田んぼが借りれず畑しかない場合でも、コメだけで120㎡、コメの裏作にはムギを作って、あと野菜も含めてこの倍の240㎡ほどあれば、つまり多く見積もっても300㎡ほどあれば、人間一人、何とか生きていけるという、これが限界耕作面積というにことになるのだろう。

 

  テツオは、あくまで今年の彼個人の経験による計量とした上で、以上の結果を、キンゴ、ヨシノとユリコたち、革命の同士3人へと説明し、そして4人は皆そろってこう考える。-人間一人がその生存に必要なのは、仮に試算をしてみてもせいぜい300㎡ほどで、痩せた土地もあるとはいえ、人間だけに広大な土地面積などそもそも要らなかったのだ。本当は人類は、分かち合えば誰もが生存できたのに、何千年も土地を争い、戦争し続け、ついには核の支配に自ら入って自滅に向かっていくなんて、何て愚かなのだろうか-と。

 

  4人はこれで、この当面の約束の地である嘉南の島に来て1年ほどで、テツオによる大地の糧と、ヨシノによる海の幸、そしてキンゴのブログによるプロパガンダと、あとユリコのノロの行によるお祈りとで、自分たちの革命と独立とが、何とか形になりつつあることを実感しているようである。

  しかし、これで話はおさまらない。人間の物理的な存在は、その他のあらゆる生き物たちと同様に、地球の許容範囲であることは実証できた彼らにとって、次ぎなるテーマは、ではその人間の核の時代に生きる意味そのものを問うことである-と、4人はそろって、また思いを一つにしたようである。

 

 

  テツオの初の新米は、さっそく島の日々の糧とするため、オバアの家で精米されて、ミセス・シンの厨房で食用に供されることとなった。

  しかし、せっかくの手作業田植えの初米ということだし、何かはやってあげたいと思ったレイコは、ある日授業がはねた後、テツオを呼んで話しかける。

「テツオ君、新米の無事収穫、おめでとう。それでね、私たち、いつか3人で田植えをしたもの同士で、いやそれだけじゃなく、ヨシノちゃんもキンゴ君も誘ってさ、新米の試食会ということで、この教室での自給自足第一歩のお祝い会をしてみてはと思うのだけど・・。

  会場は私の家で・・。というのは、ガーデンも整ってきたところだし・・。私がお茶とお菓子を用意するから、事前にお米を持ってきてもらえれば、私が何かつくってあげるよ・・。」

  この提案にテツオはあまりに嬉しくなって、おおいにレイコに感謝しつつも-それではお言葉に甘えまして是非“おにぎり”を-と言ってしまった。

「“おにぎり”? そんな簡単なのでいいの?」

「いえ、新米の試食会というからは、コメそのものの味わいを、じっくり味わってみたいみたいな・・」

 

  当日となり、4人は彼らの担任レイコの自宅で、テツオの初米試食会をガーデン前のオープンデッキで準備している。テツオが事前に持ち込んだ新米は、ヨシノが差し入れ調理した海の幸を具に仕込んで、彼が熱烈所望したレイコ手製の“おにぎり”へと、立派に成就をしたようだ・・。

「これらはすべて、あなたたちの収穫だから、本当に感謝しないとね・・。」

  ガーデンの花々を目前にして、オープンデッキのテーブルに並べられた数々のおにぎりたち・・。聞けば、ヨシノの煮魚焼き魚などの具材に応じて、おにぎりの握り手はレイコとユリコが分担し、出来上がった今となってははっきりしないが、レイコはワカメのおにぎりは確実に握ったとのこと・・。

  食べ盛りなものだから、つぎつぎと食していく4人。なかでもテツオは、おにぎりを1個1個ていねいかつ慎重に味わっていくのだった。

  -ああ、このおコメの風味もさることながら、このほどよい塩加減は・・。これははたして塩なのか、それともレイコさんの手の汗なのか・・-

「テツオ君、今日は本当に幸せそうな顔をして・・。夏にあれほど苦労して、今その収穫した手製のおコメを食べるのだから、その気持ちはよくわかるよ・・。」

  と、レイコは優しいねぎらいの言葉をかけてくれるのだが、4人が集うとまた公平にチェックが入ってくるらしい。

「テぇツオぉ~。でも、あなた、さっきからワカメのばっかし食べてるしぃぃ・・。ちょっとはあたしが作った魚のも、食べてよね!」

「ヨ、ヨシノ・・。いや、僕は最初に主にサカナ系を食べたから、今はバランスとって海藻へと・・。」

「テツオ。そうして常日頃からヨウ素をたくさん取っておくと、いざまた原発事故が起こった時に備えになるのかもしれない。君はさすがにこの革命の言い出しっぺのことだけあるよ!」

「キ、キンゴ・・。ありがとう、助けてくれて・・。でも、どうせ文筆とるのなら、もう少し想像力があった方が・・。」

 

  宴もよろしくたけなわとなり、皆が充分満腹になったところで、レイコ手製のお菓子つきティータイムへと入っていく。テツオの限界耕作面積をネタに、今度はキンゴが、彼が言うにはデイビッド・リカードもどきの経済理論を打ちたてたと披露するのを、レイコだけは最後まで熱心に聴いているのが果てたころ、ヨシノとキンゴは各々実家に帰っていく時間となり、レイコの宅にはテツオとユリコの2人が残り、2回目のティータイムとなっていく。

 

  午後の日差しが傾きはじめ、ガーデン前のデッキから部屋の中へと入ってくると、ユリコはまた、応接間のアップライトピアノの方へと目が移っていくようだ。

「先生、また、私に一曲、弾かせてもらっていいですか?」

  と、この前と同じようにピアノを弾いていくユリコ。自分もギターをたしなむテツオは、クラシックでも有名な曲目ならば知っているようである。

  -・・これはたしか、ドビュッシーの『月の光』か・・-

ユリコの和音を残して響かせていくような、ゆっくりとした演奏を受け、じっと見守っていたレイコもまた、つづいて今度は私がと、代わってピアノを奏ではじめる。

  -・・これはあまりに有名な、ベートーヴェンの『月光ソナタ』だ・・-

奏でるレイコの傍らで、ともに譜面を見つめるユリコ。レイコがその物憂げとも思われる第1楽章を弾き終ると、今度はユリコがその思いを引きついでいくかのように、つづく第2楽章を、やや軽やかに奏でていく。

  -・・そしてさらにレイコさんが弾かれるのは、これはいったい、何という曲だろう?・・-

  テツオがレイコにその曲名を尋ねてみると、彼女は少しうつむき加減に、

「これはね・・、ショパンの『子守唄』よ・・。」

  と、目を伏せつつもやや口元に笑みを浮かべて、声を細めてテツオに語る。

  -それを受けてユリコが次に弾く曲とは、これもまた有名な、リストの『愛の夢』だろうか・・-

  だが、ユリコは譜面を目にしつつも、やがてはこの難曲に行き詰ってしまったようだ。

「先生・・、もしよろしければ、この曲は、いかがですか?・・」

  恥ずかしそうに顔を赤くしながらも、振り返ってレイコに振ってみるユリコに、笑いながらも-できるかなあ-と応じるレイコ。しかし、レイコもまた、同じ所で行き詰ってしまったようだ。

  譜面をじっと見つめたまま、お手上げというように、両手を左右に広げるレイコ。

「・・多分、私たち二人とも、お互いにまだ“思い”というのが、足りないのかな・・」

  そんな冗談めいたレイコの言葉に、傍らに立ったまま譜面を見ていたユリコもまた、ますます顔を赤らめて、笑って開いた口元を両手で覆ってしまうのだった。

 

  テツオは、しかし、そんな二人を後ろのソファーに座りながらも眺めつつ、羨ましく思うのだった。レイコの目は『子守唄』を奏している一瞬だけ、テツオの方を見た以外は、ずっとピアノの方を見つめていて、ユリコもまた自らピアノを弾く時以外も、ずっとその傍らを離れなかった。

  

  テツオは二人に気をきかして、先にレイコの家を後にしたが、テツオが去っていった後、二人はそれから連弾ができるようにと、アップライトピアノの前に、今度は並んで腰かけた。

  二人は再度『月光ソナタ』を、連弾で弾き始める。第一楽章の中ほどか、二人は本の一瞬だけ、その手と足を、鍵盤とペダルからそらせたようだが、ほどなく連弾へと戻り、第二楽章まで弾き終わった。

  これからは月光とは思えない燃えるような第三楽章となるのだが、二人は互いに譜面を見ながら、やがてお手上げといった感じで、肩をすぼめて手を広げ、恥ずかしそうに微笑みあった・・・。