こども革命独立国

僕たちの「こども革命独立国」は、僕たちの卒業を機に小説となる。

第四章 コメの花と首実検

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  二つの事務所をあとにして、今さらながらさらに今さら、また絶望を深めた4人。さ迷ううちに耕作放棄地みたいな所で、行き止りとなってしまった。

  いやこれは、ただの耕作放棄地ではない。一反ほどの面積に果樹も草木も茂っているが、よく見てみるとマルチこそはないものの畝がきちんとたてられて、雑草に覆われてはいるものの作物も一列に並んでいる。ここは放棄地なのではなく立派な畑なのだった。人間の農作業と自然とが普通に共存できているといった感じで、さらに奥は田圃のようで、そこには一人の、初老の男が立っている。

  男はやせてはいるが背は高く、大きく被った笠の下にはゆるやかな藍の作務衣が風に吹かれて、その姿は田圃と同じ青色に染まっている。男の目は大きく開かれ、一心に見つめている稲の緑も映るようだ。そして男は不思議そうに眺めている4人を見ると、微笑んで語りかける。

「今、コメの花が咲こうとしてるよ。いっしょに見るかね?」

「えっ?、おコメに花なんか、咲くの?」

  見ると、分けつの進んだ稲のピンと張った葉の隙間から、一本の細い茎が陽に向かってまっすぐに昇り立ち、その先頭は出穂でふくらんだ穂を頂いている。この穂の上から下にかけて白い小さな本当に小さな粒々が飛び出していて、それは確かに言われてみれば花のようにも見えてくる。

「この飛び出ているのが雄蕊の花糸で、風によって雄蕊の花粉はそのまま雌蕊に自家受粉する。いわば雌雄同体だな。この受精のあとには胚ができ、私たちが食べるおコメは実はこの胚乳なのだ。これはコメにとっては命そのもの、そして同時に私たちには命のもととなるわけだ。」

  日焼けした男のさした指先からは、百姓の強い意志がこもって見える。それが細くそば立つ稲の穂先と、点々と咲く白い花の繊細さと可憐さを、いっそうきわだたせて見せる。男と4人が立つ田圃には、今花をつけ無数の命を宿そうとする稲穂たちが、風に吹かれて青く波打ち、陽の光が揺れる波間にさし込んで、コメの花を青い海に放たれた泡粒みたいに、白く白く照らしている。

  ふいにテツオの白シャツを、ユリコが引いた。テツオは今、肘に触れたユリコの指先、そのほのかな温もりを感じ取って振り返ると、ユリコはそのとび色の瞳をして彼に“GO!”と言ってるようだ。

「おじさん、僕たちのする話を、少し聞いて下さいませんか。」

 

  4人は男に連れられて、そこからは歩いてすぐの、彼の言う自分の仕事場“タカノ行政書士事務所”へと案内された。また事務所かと4人ははじめ警戒したが、笠をとったタカノの顔は、白髪まじりのハゲ頭、ツルリと日焼けのおでんに浮かんでいるような卵ッ面に、口髭が不詳無精にくっついているような感じで、何かとても打ち解けそうなものがあり、4人はそれで今までのトラウマを弾き飛ばすかのように、思い思いにあれえざれえをブチまけて、一気に語り終えたのだった。

  4人が語り終えたあと、タカノはやおら大きな片手を後ろにまわし、その禿げ上がった後頭部をゆっくりと撫でさすった。そしてしばらく考えた後、タカノはあついバリトンで、まるで山から降りた仙人みたいに、このように語りかけた。

ここにいる君たちの苦悩と苦境を、私はつぶさに知ったのだ。また虐げられた君たち子どもの叫び声も、私は確かに聞いたのだ。それゆえ私は君たちを、君たちの言う見えないゲットー・収容所から救い出し、そこから広々とした沃地へと、乳と蜜が流れるような約束の地へ、君たちを導き上がらせたく思う(1)。」

  そう言うタカノの顔からは、確かに光が見えていた。それはハゲとは関係ない、一種の後光ではないか-と4人は思った。そしてタカノは言葉をつづける。

「君たちが侵害されていると言う君たちの生存権と生存圏は、裁判や政治によるのではなく、もはや自分たちで取り戻すしかないだろう。土地はある-というか借りられる。水もあるし陽の光もある。だが食料は、環境汚染を根本的に避けるためには、自分たちで作るのが一番だ。地から糧を得るのに君たちは苦労する。生えてくるイバラやアザミに悩まされ、君たちは野菜をかじり、額に汗してコメを食う。我々ヒトは、所詮は土から出て土へとかえる身の上だからな(2)。」

「タカノさん、土地はあるって、具体的にはいったいどこにあるのですか?」

「嘉南島だよ。」

「エーッ、かなんの島って、父ちゃんの漁場の近くよ。」

「この県南の漁港のむかえから見える、あの中央に山がそびえる小島ですか?」

「そうだ。あの嘉南の島だ。過疎化が進んだあの島は、今は私の知り合いのオジイとオバアの一世帯だけ住んでいて、土地は借りられ、古い木造校舎を改修すれば学校にも寮にもなるし、おまけに教会だってある。国が教育行政まで民間に丸投げした最近のフリースクール制度を活用し、私が君らの学校の理事に納まり、そこでエネルギーに頼らない自給自足を試みながら、君らが理想とする学校と独立した生活を目指してみてはどうだろうか。」

  タカノはここで両手のひらをかざしつつ、指を7本折りながら子どもたちに語ってみせる。

「士と師の字こそは異なるものの、君らが独立する上で、学業やら医療やら何かと補佐する専門職が要るだろう。それキンゴの父は医師、スタッフには看護師もいて、君らがケガや病気の時は国民健保にかかわらず診てもらうことにしよう。ヨシノの父は漁師だから海の幸を届けてもらおう。私タカノは行政書士、君らに関する法的な届出ごとは代理できる。私の妻は保育士なので、福祉は何かとサポートできる。私の知人のミセス・シンは管理栄養士ときてるから、君らの食事はまかなえよう。ここまでで6人か、あと君たちには肝心の学業を見なければいけないから教師が要るが、これがそろえば7人の士だな。」

 

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  4人がタカノの事務所を経たある日、担任が過労でしばらく休むと言って、彼らのクラスに隣の工業高校から代用教員が来るという。新しい先生は、かなり変わった人とのことだが、今日の社会の公民からこのクラスを受け持つとのことらしい。

  始業のベルが終わらぬうちに、廊下のすみからガラガラとゲタ履き音が聞こえてくるや、クラスの扉がガラリと開かれ、最初にチョンマゲ次にヒゲ、赤っ面に藍色の剣道着を着た男がヌッとあらわれた。

「かように候者は、この県の住人、アタカの左衛門にて候。慮外ながら憚りながら、しばしの間、この組の代用教員あい勤める。方々さよう心得てよかろう。」

  クラスの中はドッと笑いに包まれた。変わり者とは聞いてはいたが、まさかここまでカブキ者とは。しかし、ざわめいている生徒の中から、“先生まずは自己紹介!”と呼ばれたのにニヤリとすると、このカブキ者の先生は、片手を袖から襟へと繰り出し、ヒゲッ面を撫でながら、低音のバスの声で物語る。

われて名乗るもおこがましいが、生まれは遠州浜松在、十四の時に親に別れ、身の生業も白浜の、沖を越えては夜学を修め、人の情けを掛川から、金谷をかけて静大出、以前を言やぁ江ノ島で、定時制の夜働き、続いて後に勤めしは、ガキのころから手癖が悪く、中学校からグレ出した、タバコは吸えど非道はせず、不良相手に西国を、まわって首尾も吉野川、黒板一枚その下は、地獄と名によぶ暗闇も、明るくなって度胸がすわり、教師技量の鈍い刃も、砥上ケ原に身の錆を、研ぎすましては剣山、教師のその身の境界も、もはや五十に人間の定年わずかに六十歳(3)…。 俺は今や50歳、最後の十年間ぐらい自分の意思で仕事がしたいと、今回のこの代用、自ら志願をしてきたわけだ。

  では諸君! 手にする国定教科書は『公民』の、まずは“新憲法”の章、グッと開いてもらいたい。」

  クラス中に教科書を開く音が、つぎつぎと響き渡る。

「この新憲法の名のとおり、我が国の憲法は戦後70余年を経てとうとう改憲されてしまった。この新憲法の条文の一つひとつは、実は人間ならば生まれながら当然に持っている自由そして人権とをことごとく突き崩すアリの一穴。それはいずれも戦争への地ならしがされていて地獄の門へと通じている。その門には“働けば自由になれる”(4)と書いてあるかもしれないが、君たちは今その門へと引き込まれ、その奥には国家という怪物が君たちの生き血を吸おうと待ち構える。この憲法とはその装置、言ってみれば国家が仕掛けた“ワナ”なのだ。」

「先生! 新憲法って、そんなおもろそうなこと、書いたるんすか?」

「そうだ。見方さえ正しければ、この新憲法憲法とは呼ぶに呼べないチープにしてチンプきわまるおかしなものだが、たいていの先生方は、笑いのツボがどこにあるのか見抜けてないから授業が面白くないというジレンマに陥っているようなのだ。さて、ちょうどいい質問をしてくれた君、この新憲法の前文をひとつ読んではくれまいか。」

文…我が国は長い歴史と固有の文化を持ち、国民統合の象徴である天皇を戴く国家であって…国民は国と郷土を誇りと気概を持って自ら守り…和を尊び家族や社会全体が助け合って国家を形成する(5)…」

  アタカ先生はこの少年のボー読みのあと、解説に入っていく。

「うむ。前文とは憲法の顔なのだが、この新憲法の前文には旧憲法にはあった国民主権も平和的生存権も全て葬り去られている。しかしこの前文の段階では、新憲法でもまだ貴女のお面を被っている。これからその条文へと入っていけば、茨木の童子あるいは道成寺白拍子よろしく、貴女が雲行く鬼女となり自由の鐘を絞め上げる大蛇ともなっていく。では次にこの列の面々、前文からその次の第一条と第三条を読んでほしい。」

「第一条、天皇は我が国の元首であり…、第三条、国民は国旗及び国歌を尊重しなければならない。」

「うむ。続く第五条では、天皇は国政に関する機能を有しないと旧憲法と同じことを言っときながら、天皇は国家の元首と宣言し、ヒノマル・キミガヨを敬えと命令まで下しておいて、明らかに天皇に主君の権威そのものを、本来は権力を縛るべき憲法にて定めている。では次に、飛ばして第十三条と二十四条とを読んでほしい。」

「第十三条、全て国民は人として尊重される。」

「第二十四条、家族は社会の自然かつ基礎的な単位として尊重される。家族は互いに助け合わなければならない。」

「うむ。ここでだ君たち。この新憲法、ここまで来れば何か変だと思わないか? この新憲法、いったい誰のための憲法なんだ? いやさ、どなたのための憲法なんだ?」

  アタカはカブイたセリフまわしを交えながらも、生徒たちをキッと見回す。

「やれ尊重しろだの助け合えだの、上から目線で、これって元号と同じ字の“命令”だよねえ。」

「家族内での虐待や崩壊もあるってのによ。家族、家族ってウザいものを感じるさ。これじゃまるで家族ファシズム。家族は互いに助け合えって、これでまた福祉予算を削る気でいるんじゃねえの?」

「そうだ! 要はこれはファシズムなのだ。第十三条の人として尊重されるは個人として尊重されるのとは大違い。個人とは、国民主権基本的人権の主体としての個人の意味。それに対してただの人とはサルに対するヒトの意味。だからサルよりヒトが尊重されると、これはその程度の条文なのだ。こんなこたぁ憲法に書くまでもねえ、何のことはねえ、ただのお笑ぇ草さぁ!」

  クラス中、またこのカブイたセリフに大笑い。

「しかし、これはお笑ぇ草じゃぁ済まされねえ。前文からここまできて、民主主義の根幹たる個人の尊重、国民主権がとうに没却されちまい、それにかわって復古したのが天皇の主君の権威と、家族尊重たる美名のお家大事の感覚だ。これはナポレオン民法以来の近代法の原理を否定し、前近代-江戸時代に先祖がえりするってことだ。これに前文がいう所の我が国の固有の文化と良き伝統がそなわるとどうなるか。ここからがこの新憲法のワナ、特に君たち子どもに対する“ワナ”となる。」

  アタカはここで、ここが見せ場といった面持ちで、見得きるような睨みをきかし、バスの低音きかせながら語ってみせる。

「江戸時代に先祖がえり-たとえばこんな話がある。伊達家のお家騒動よりとった先代萩(6)というお話。殿様御殿にあい勤める乳母政岡なる女性。主君の跡目おさない若君鶴千代を守るため、始終わが子の千松をそばに遣わせ、いざとなったらお前こそが若君の身代わりにと躾けている。それで本当に若君を毒殺しようと献上された饅頭を、察知し先に食ったわが子千松、敵方の手で証拠隠滅のためなぶり殺しにされていくのを目前にしながらこの政岡、七転八倒するわが子を見ながらただ若君を抱き守り、涙一滴目に持たぬ男まさりの政岡は、忠義は先代末代まで、またあるまじき烈女の鑑、“これ千松、よう死んだ。これというのもこの母が常々教えおいたこと、死ぬるを忠義ということはいつの世からの習わしぞ、こり固まりし鉄石心…”」

  クラス中またゲラゲラの大笑い。アタカは再びキッとなる。

「笑うなバカ者! ここは本来、泣かせ所どころだ!」

「だあって、先生、そんなむさくるしいヒゲ面で、わざわざ女形の声出すんだもん。」

「これはな、六代目歌右衛門の声色なのだ! ではもうひとつ。ところで君たち、古文の授業で平家物語の『敦盛最後』を習うだろ。熊谷次郎直実が討ち取ったる平家の公達敦盛卿。しかしこの史実をねじ曲げて、実は敦盛は生き延びて、その身代わりに直実の子の小次郎が実の父の直実に殺されたって話がある。」

「エエーッ! また主君のためにわが子を殺すの?? 先生、何でこの手の話がこの国には、何種類もあるのですか?」

「話はこうだ。熊谷陣屋(7)の桜の下に、主君義経の命により、“一枝を切らば一指を切るべし”とのなぞ賭けみたいな制札が立てられた。桜の一枝は後白河院の胤である敦盛をさし、身の一指とは同年齢のわが子をさすと主君の意を忖度した直実。討ち取ったという敦盛の首のかわりにわが子の首を義経の検分に差し出そうとする。この戦場のならいの儀を“首実検”いうのだが、その首を実検した義経は“花を惜しむ義経が心を察し、よくぞ討ったり。敦盛の首に相違ない”などとのたまい、しかも加えてこの直実、わが子の首を自分の妻、わが子の母である相模に、敦盛の母である藤の方に、お目にかけよと持っていかせようとさえするのである。」

「コワイ~、キモイ~。」

「ここまでくれば、オカルト、カルトも、いいとこだよねぇ。」

「そうだ。これは少しも美談ではなく、野蛮でまさにカルトなのだ。同じ首実検であるとはいえ、ヘロデアがお盆に乗ったヨハネの首を見るのとはわけが違うし、また同じ忠義であるとはいえ、マクベスリア王で語られる忠義ともわけが違う。主君のためにわが子を殺すなんてこと、外国にこんなバカげたお話があるだろうか。ところで君たち、国語の授業で魯迅の『故郷』を習うだろ。その魯迅出世作に『狂人日記』があるように、東洋には同様の“子殺し思想”の底流があるかもしれん。今でも歌舞伎や人形浄瑠璃で、『先代萩』や『熊谷陣屋』で物語の前近代性、不条理や不合理性を指摘するより、ただ単純に泣く人が多いのだから、この国民性に君たちは油断してはならないのだ。」

  ここでアタカはまた教科書に目を移し、新憲法に戻ろうとする。生徒たちも集中し、もはや誰もが真剣に臨みはじめる。

「さあ、ここからがこの新憲法のキモになる。旧憲法の大看板の戦争放棄の第九条、新憲法はその一項は戦争放棄を謳っているが、二項目は自衛権の発動は妨げられるものではないと記している。この自衛権とは個別的自衛権集団的自衛権とどっちとも解される。歴史上のありとあらゆる戦争は、“自衛のため”と称しながら始まったのだ。ヒットラールーズベルトも東条も自衛のためを口にしたし、ブッシュがイラクを攻撃したのも、根拠のない大量破壊兵器からの自衛のためだとされたのだ。つまりこの条文は何を隠そう“戦争許可状・免罪符”なのである。

  では何を持って自衛権を発動するというのだろうか。そのキーワードは公益というものだ。しかもこの公益たるや公の秩序と同じく、新憲法では個人より優位なものとなっている。この公益とは誰のものだ? いやさ、どなたのための公益だ? いったい誰が、どんな理由で、何を公益とするというのか。

  電力が公益なら永遠に原発は動かし得るし、日米安保が公益なら地位協定星条旗と同様に永遠になり得るし、またアメリカに追従の参戦だって充分な公益とされ得るだろうし、核兵器の保持すらも中国や北朝鮮の脅威からする公益とされ得るのだ。要は、お上の言うことヤバいことは、何だって公益にされ得るし、それに反する一切は、“公の秩序に反すること”と、弾圧されかねないことになる。

  そしてこの新憲法の極め付きは、この条文のケツっぺた、九十九条こそにある。そこには、“緊急事態の宣言が発せられたその時には、内閣は法律と同一の効力の政令を制定できる”と記されている。これは緊急事態の口実さえ見つければ、ナチスの全権授与法とほとんど同じ内容だ。以前、ナチスの手口をマネたらいかが、と言った漢字の読めないアホな政治屋がいたそうだが、こうして実際新憲法に、緊急事態の名を借りて政府に全権委任する条文が、堂々と混入されたわけである。

  君たち、これで私がこの新憲法はワナだといったその意味を、君らはわかってくれただろう。」

  生徒たち、今や誰もが押し黙り、うつむいたっきりとなる。アタカ先生、そんな生徒に目をやりながら、静まり返った彼らに対して、心のうちを吐露しはじめる。

「俺はな、かつてこの中学校にいたものだが、免許を持ってたそのせいで隣の工業高校へと赴任した。そしたらその三年で就職志望の生徒が出てくる。以前は生徒の希望を第一に進路指導をやっていたのが、新憲法への改憲後、今や合法的に国防軍と称する軍に生徒たちを誘導せよとの、教師各位の忖度を期待するかの圧力が、校長からかけられるようになってきた。どうやら、かつて自衛隊への勧誘ポスター応募等で高校を競わせていたのと同じ手口で、今度はより直接的に軍隊への入隊数を高校で競わせて、それが校長職の評価と保身になってるらしい。学校ってのは企業と同じくやり方がえげつない。学力テストを頻繁に繰り返し、テストの点の低いものが自分は頭が悪いからと、根拠のない劣等感を抱くように仕向けていく。それでそれを逆手にとって、お前でもお国に大きく貢献できる道があると、軍隊に自主的に志願させる作戦なのだ。あるいは貧しい家庭の生徒にはその足元を見て、進学して親に迷惑かける気かと。大学出て就職したって右も左もブラック企業、どうせ一生派遣労働。国防軍は公務員だし給料いいし資格も取れると、進路指導で誘導している。俺は自分の息のかかった教え子には戦場にはぜったいに行かせねえと決意して、国防軍への志願者はずっとゼロで通したから、ついには担任はずされて、三年進級も止められた。俺はあらたに一年生から反戦教育をやることにしたんだが、そしたら校長の古ダヌキ、教頭のメギツネといっしょになって、職員会議の真っ最中に、まるであの文化大革命人民裁判みたいにして、みんなで非難し罵倒する集会を、俺に対して仕掛けてきた。まわりの教師連中はみな校長らに忖度の、ゴマスリおもねりヒラメ野郎ときたもんだ。俺はついに言ってやったさ。

  “おう、もう化けちゃいられねえ。俺ァ、尻尾を脱いじまうぜ。どいつもこいつも尻腰のねえ、その長ぇ舌でベラシャラベラシャラしゃべりやがって、昨日までは調子をあわせた相ずりの尻押しもできねえわけだ。こちとらァ生まれが漁師で波の上、人となったる浜育ち、仁義の道も白浪の、浪にきらめく稲妻の、白刃で脅す人殺しに、教え子を戦地に送るとあったれば、背負って立てねぇその罪科、重さに耐えねぇ虎が石、ただ己の保身やカネ欲しさに、上目づかいのヒラメに徹するつもりなら、教壇の語りが騙りに化けちまう。たとえ塩噌に困ろうとも、教え子の戦場送りはご免こうむる。どなたもまっぴらご免なせえっ(8)”、てな。」

  アタカ先生、セリフを終えるや、廊下側の生徒たちが-だれかがいるよ-と合図する。ふと外を見やると白髪の影が、スッと隠れていなくなった。

「なぁるほど。この学校も、校長自ら隠密か。」

  アタカはここで教科書を、バシッと閉じて生徒たちを目覚めさせる。

「ではここからはアイスブレイク。少し楽しい話をしよう。そんなわけでこの俺は、久方ぶりにこの中学校へと戻ったのだが…、時に女生徒諸君、この学校に、時おり大きなヘビが出るという…。」

「エエーッ、コワイ~。」

ハリー・ポッターみたいよねえ。」

も怖ぇヘビじゃねえ。ツラは力んで総白髪、とんとミノスケによく似たヘビだあ!」

  クラス中、腹を抱えて大爆笑。ミノスケとは校長の名前である。

「そいつが時よりキャラを焚く。何のために焚くかと思えばそいつのヒゲにシラミがたかる。キャラはシラミの大禁物(9)。学習指導要領で教師をしばり、校則つくって生徒をしばり、己のタヌキのキンタマはフンドシでふんじまる。その保身には隙のねえ、首は太ぇが肝は細ぇな。このミノスケヘビ、人の授業の覗き見をするったぁ、何とキャラ臭ッえ執着の深えヘビだあ!」

  クラス中は爆笑につぐ爆笑で、成田屋音羽屋、高麗屋、おまけに松緑そっくりや、と掛け声さえ出る始末。こうしてこのカブキ者のアタカ先生、この管理統制教育のなか、やっと本当のことを教えてくれる人が来たと、生徒たちに受け入れられたようである。

 

  しかしその日の終業時のホームルームに、担任となるはずのこの先生はあらわれず、呼ばれもしない教頭が来て、ただ事務的に訓示をたれて帰っただけ。テツオら4人はもしやと思い、職員室に急行すると、職員室にはただひとりアタカだけが、腕を組み、ゲタ履きのまま足を組んで、何もない机を前に憮然として座っている。

「先生! 僕たち待ってたのに…。どうしてホームルームに来なかったんですか?」

  するとアタカは、自分の首にサッと手をあて、そのままスッと横へと引いた。

「先生、また首実検ですか?」

「ちがうわい。解雇だ、カイコ!」

「えーっ! センセー、そりゃまたいったい、どういうことよ?」

  アタカ自身の話によれば、彼はここでも職員会議で糾弾の雨あられにあったという。

「白髪でシラミの校長がのたまうにはだ、俺の新憲法の授業はだな、その第百二条、憲法尊重擁護義務-全て国民はこの憲法を尊重しなければならない-に違反するというものだ。だから俺はもう解雇だ。君たちとはわずか一日、これが最初にして最後の授業さ。一日授業の給金も伊達の無尽の掛け捨て。こうして見えてもこの俺は、見かけは小さぇ野郎だが肝が大っきい。遠くは教育委員会の炭焼きババアに歯かけっジジイ、近くは学年主任の梅干ババアに至るまで、相手が増えれば龍に水、金龍殿の客殿から目黒の尊像に至るまでご存知の、憲法話の喧嘩沙汰ではついに引けをとったことがねえ男だ(9)。慮外ながら今さらながら、自分の意思に反してまで他の学校に行く気もねえし、首実検でクビともなれば、これで俺の教員人生すんなり終わり。あとは気楽に釣りでもしようか。」

  4人は思わず互いに見合って、その顔をほころばせた。ヨシノが言う。

「センセー。先生さっき、生まれは漁師で波の上、なぁんて言ってましたけど、父ちゃん、後継者を探しているし、ついでにあたしたちの島の先生、やってみません?」

 

  そんな訳でこの先生、4人といっしょにタカノの事務所にやって来た。そして4人はまた改めて、自分たちが思う所のあれえざれえを、このアタカに話したのだ。

「委細承り候。君らの言い分よくわかった。この国の国民はあの大戦でも原発事故でも変わらなかった永遠の12歳だ(10)。たとえこの先プルトニウムが24000年の半減期を遂げたとしても、やはり永遠に12歳のままだろう。君たちは今この12歳から独立して、独立してないこの国とこの国民から、自分たちこそ独立しようとするのだろう。」

「先生、一つ質問ですが、あの敗戦後、不戦と平和を誓ったはずの旧憲法が、どうしていとも簡単に戦争できる憲法へと変わってしまったのでしょうか?」

  アタカはここで、ヒゲッ面をしごきながら答えはじめる。

「そりゃあな、この俺が思うにはだ。まず原発事故が原因なのだが、この事故がバラしたのは、五重の層の安全神話のウソのみならず、五重のウソにおおわれたこの国の先進国、経済大国の偽善と欺瞞の正体なのだ。敗戦で悔い改めたといいながら、朝鮮戦争ベトナム戦争、他国の犠牲で高度成長カネ儲け。種子島のロケットがミサイルの準備なら、核武装プルトニウムの器でもある原子炉の格納容器の釜の中の死の灰までもすっかりバレたものだから、もう化けちゃいられねえ、うまくはまった狂言もこう見出されちゃ訳はねえと、その推進勢力経済界=原子力ムラ・安保ムラは、もはや隠れ蓑に隠れたる遠慮さえもいらねえと、今や戦後の70余年、お友達の慈民党を尻押しして、敗戦より虎視眈々と狙っていた戦争できる国づくりを、あのナチスと同じく選挙という合法手段でやってのけ、死の商人の大願成就となったのさ。

  また、旧憲法それ自身にも問題があったと思う。旧憲法は民主主義憲法とはいうものの、それは戦勝国アメリカのこの国の属国化のため安保条約とワンセットのものだった。だからいくら九条で戦争を放棄しても、占領軍=在日米軍の居座りを安保条約・地位協定で合法化し合理化しており、その一方で自衛隊は、安保と日米同盟の名の下で着々と増強され、英仏独とあい並ぶすでに立派な国防軍だったてぇわけだ。英仏は核保有国だが、この国も原発と再処理工場、もんじゅ高速増殖炉の三点セットで、事実上の核保有はできたってぇわけだ。てぇことはだな、戦争放棄も核反対も本気の人もいたけれど、相当多数はウソだったてぇことよ。」

  アタカはここで茶をすすりつつ、ため息はいて語りつづける。

「要はだな、習いも伝授もマネしだいってことなのよ。かつては西欧の植民地帝国主義のマネをして、弱者イジメのアイヌや台湾、朝鮮支配で満足できず、歴史的に勝てるはずない中国に攻め込んでおきながら、案の定いき詰ったものだから、人マネ小猿の自己欺瞞がゴマかせず、さらにウソはランクアップ、ルーズベルトの仕掛けたワナにまんまとはまり、今度はもっと勝てるはずないアメリカと戦争して、人マネ帝国主義は見るも惨めな敗戦に終わったのさ。しかしこの国民は、日清日露の辛勝で思い上がって外国を蔑んでは驕り高ぶり、それが因で滅亡の瀬戸際まできたというのに、反省すべきを反省せず、勝者のお裁き東京裁判をいいことに、全部を軍部のせいにして、自分たちはただダマされたので悪くはないと、今度は天皇よりも権威と権力とに満ちたアメリカの子分におさまり、また器用なマネ芸発揮して、今度は人マネ民主主義に鞍替えしたっていうわけさ。昨日までは鬼畜鬼畜といいながら、浮き川竹の身のならい、昨日にまさる今日の花と、ここやかしこの占領先で小耳に聞いたアメリカの似ぬ声語りで個人主義やら民主主義、名せえゆかりの永遠の12歳ったぁ誰のことだ? その一方で沖縄を踏みつけにして、安保条約をテコの原理に原子力の平和利用を引き出して、これもまた人マネ再処理核武装と来たのだろうが、結局いずれも自分のものにはできなかったというわけなのさ。古くは中華のマネにはじまり、近くは英米のマネにおさまり、何事も自分の頭で考えず、ただその時のブームに乗って強きにしたがい弱きをいじめ、あとは己の保身と忖度を第一に、いつもまわりと同じことをしてさえすれば安心だって奴隷のような根性で、カネがほしさに騙りでことを先送りにし続けてきたその結果が、超1000兆円の借金と、狭い国土に何千里とやら核やらその他の廃棄物が所ぜましと積み重なり、悪事千里というからはどうで終えは星の果てというわけだ。」

  アタカはお茶をグイと飲みほし、湯のみをコトリと机に置いた。

  そしてタカノが、穏やかで落ち着いた面持ちを保ちながら話をつないだ。

「全ては戦争に因果がある。そして戦争は終わっておらず、形を変えて今もずっと続いている。原発が原爆の延長線上にあるように、毒ガスは農薬や殺虫剤に、アンモニア合成で生まれる火薬は化学肥料に、軍用車は大衆車に、軍需基地はコンビナートに、そのようにして戦場の大量破壊や殺戮は、環境破壊に姿を変えて高度成長を生き延びた。だから戦争と経済とは、実は車の両輪なのだ。

  結局、世界は資本の奴隷といえる。資本は多国籍企業から中小零細企業に至るまで様々にあらわれるが、それに隷従しているのは従業員と消費者だ。彼らは同時に有権者だが、すでに相当多数が雇用を通して隷従するので、小選挙区で一定数さえ確保できれば選挙結果も経済界の思いのままだ。むしろ民主主義というものは資本の支配に都合がいい。なぜならば、契約の自由、資本の移動と労働力の移動の自由が、民主主義なら憲法で保障されてくるからだ。憲法に書かれたところで社員、従業員、労働者に何も自由がないことはサラリーマンなら誰だってわかるだろう。むしろ本当は民主国家そのものが、企業が国家を媒介させて国民を隷従させる装置なのだ。国民には二大政党、政権交代さえすれば、選挙で変えることができると、さもありそうな期待感だけしゃぶらせて、時おり選挙というお祭り騒ぎでガス抜きさえさせておけば、革命も起こりはしないし、あとはグルメとスポーツというパンとサーカス、これで日常的に躍らせれば、半永久的に奴隷化できるというものだ。

  しかし君たちは、皆が集団化して歩いていくこの隷従の道(11)から独立して、ただ己一人を灯明として、これからは自分たちの道こそを歩んでいくことになる。」

  そしてタカノは4人とともに、期待を込めた眼差しでアタカを見やる。

「ち、ちょっと待ってくれよう。タカノさんは行政書士だし年金受給のご身分だが、俺は受給の70歳まであと20年もあるんだぜ。君たちのいう島の学校てぇのはよ、いくら俺の好きにやってよくても、基本的に自給自足の無給だろ。これじゃぁまるで俊寛みてえだ。」

「先生、この際もう一度、漁師に戻って兼業したらどうですか? 父ちゃんは後継者を探しているし、男手がいた方があたしも生活楽になるし。」

「先生。先生は推察するに、古文と歴史と社会には詳しいから文系ですよね。では理系はいったい、誰が担当されるのでしょうか?」

  するとアタカは剣道着の藍の袴をポンと打ち、即在に答える。

「理系? そうだ、理系は俺の女房にやらせよう。だから俺が君らの校長で、女房が君らの担任だ。」

  こうしてタカノが言うところの、子どもたちの革命と独立を補佐するための7人の士(12)は、これでそろったようである。