こども革命独立国

僕たちの「こども革命独立国」は、僕たちの卒業を機に小説となる。

第一章 茶会の勃発

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「ざけんじゃねえ…。もう、がまんできねえ。」

  テツオは怒りに震えている。

「テツオ、君は正直すぎんだよ。正直は身を滅ぼす、疑う者は救われるっていうじゃないか。」

  そう言うキンゴは、マグカップにその赤唇をそっとつける。

「俺はな、道徳で差別が課題にあがったところで、確かにこう言ったンだ。放射能汚染でこの国の産品が外国で輸入規制されるのと、人種差別は同じじゃないって。だけどあのセンコーはそれに対してどう言ったか。“なら君は、外国産の白菜キムチがそんなにも好きなのかぁ?” そしたら皆バカ受けの大笑いさ。おまけにいつも教師に忖度の悪ガキどもも、“先生、こいつこの前給食で、産地不明はザーサイだって食べやしねえって言ってましたよ”と囃し立て、それで俺はまた“非国民”呼ばわりだ。」

「テツオ…、あんたの気持ちはわかるんだけどさ…、人の世とは関わりあわぬが一番よ。」

  そう言うヨシノは、生クリームもおいしそうにコーヒーを一口すする。

  ふくれッ面のテツオに対して、キンゴはまた一言たずねる。

「ところで、お父さんの累積線量、今いくらだい?」

「わかんねえ。親父何にも言わねえしな。輸出が総崩れになって以来、新設の計画も再稼動も廃炉も続々進んでいるし…。250mSv(ミリシーベルト)までというは、あまりにひどい基準だよ…。」

  テツオの父は原発がらみの仕事のため全国まわり。留守をテツオのただ一人に預けている。

「また、父が診るといってるからさ。よその医者より、うちの医院に来るといいよ。」

  キンゴの父は町医者である。医者といってもビンボー医者で、この国の低所得者にもバカ高く、子どもの数だけ搾り取る国保制度に反抗して、こっそりと貧者からはカネを取らない医療をしている。また3.11以後タブーとなった放射線内部被ばくに取り組み始めたものだから、意見のあわない婦人とは離婚を余儀なくされたらしい。

「あたしはこれで中学生もあと少しのガマンだからね。もうすぐこの義務教育なるゲットーからも、収容所に似た学校からも解放されるし…」

  ちょっと振り向きたくなるような、南方系を思わせるくっきりとした目鼻立ち。ヨシノは生クリームを上唇につけながら、サバサバと語っている。ヨシノの父は漁師であり母は魚屋。原発事故で魚場を奪われ、家族で西の海へと逃れ、この地で生業再開した。

  そんな3人がする話を、ユリコは一人、黙ったまま聞いている。

 

  テツオは続ける。

原発だらけ、核廃棄物だらけのこの国では、公衆の許容線量は国際標準1mSvから20mSvへと引き上げられ、料品はドイツは1kgあたり成人で8Bq(ベクレル)、子どもは4Bqなのに、この国は一律100Bqだ。この100Bqというのはさ、従来なら放射性廃棄物に適用されるレベルの数字だ(1) 。少子化で世界で最も子どもが少なくなるのに、国の借金は1000兆円を超えたまま、被災者を省みない電力最大消費地のオリンピックをはじめとするいつもの“今だけカネだけ自分だけ”で全く改善の見込みもない。俺たち子どもは一生涯、大人が勝手に作り続けた核のゴミと放射能の脅威にさらされ、汚染された国土と借金を背負わされるということさ。」

  キンゴがテツオの言葉をつなぐ。

ェルノブイリの事故の後、年間5mSv以上は移住義務、1~5mSv未満でも移住の権利があったんだ。

またウクライナベラルーシでは、国自らが汚染地の子ども向けに年間20日以上の保養をおこなっているんだよ(2)。しかしこの国の行政は移住も保養も行わず、それどころか法は小中学生が原告となり集団疎開を訴えた裁判さえも棄却したのさ(3)。

  ヒロシマナガサキチェルノブイリともう何回も経験している。大人は子どもが被ばくの影響を受けやすいのを知ってるはずさ。知らなかった、また自分たちはお上に騙された-じゃあ済まないんだよ。」

  ヨシノは髪を再び束ねて、コーヒーの香の入り混じったため息をつきながら、テツオとキンゴの言葉を継いだ。

「結局、ミナマタから何も変わってないんだよ。被害がまだ局所的と見られるうちは、国とその国民はその地の民を棄民する。でも国中が汚染されれば被ばくはもう全国レベル、棄民のしようがないわけよ。だから大人は暗黙の了解で子どもを棄民してんじゃないの。だって子どもは弱いから、大人たちが抑え付けれる最後の人間集団だし。何も問題は起こってません、今までどおりカネ儲けもバカ騒ぎも続けたければ、誰かを犠牲に棄民するしかないんじゃないの。」

 

  ここまで黙って聞いていたユリコはここで、目覚めたように面を上げる。

「みんな、今度の進路指導って、どう答える?」

  ヨシノもキンゴも家業を継ぐと答えるが、キンゴは不得手な理系に悩める様子。だが、テツオはもっと深刻みたいだ。

「…俺…、親父に迷惑かけれんしな。進学は諦めて、先生が勧めるとおり、国防軍に入ろうかな…」

「テツオのバカッ! 軍隊に志願するってそんなこと、気安く言うもんじゃない!」

「ごめんな、ユリコ。そんなつもりで言ったんじゃ…」

  ユリコの父は国防軍の兵士だった。この国には大戦後、個別的自衛権として自衛隊なる戦力なき軍隊があったのだが、集団的自衛権を自由に使える軍隊として安保法と改憲後、自衛隊を改めて国防軍ができたのだった。ユリコの父は災害救助に共感して入隊したのに、やがて外国軍の後方支援に当たらされ、その地で戦死をしたとされた。またそれは霊媒師の孫娘のユリコにとって、その霊性を開花させることにもなったようである。

「そうだよ、テツオ。法人税は減税されても消費税は増税される、この国では残業代ゼロ法や、無限に働かそう改革など、原子力ムラ・安保ムラの大企業を優遇するそのかわりに、若者たちに貧困を押し付けて、経済的な徴兵に誘導していっているのさ。外国での戦争に自国の若者さし出して、国際貢献の美名のもとに弱そうな国に対して集団で空爆を仕掛けては、復興等の口実で強国同士で儲け話を山分けしようって魂胆さ。兵士になってそんな軍産共同体の犠牲になんかなることないよ。」

「それにまた原発が爆発したら西の海もやられるよ。そしたらTPPや生業どころじゃないわけよ。食べ物がなくなってしまうのよ。」

「俺たち子どもは、夢や希望も、もうないよな。」

「うん、多分。」

「それどころか、このままじゃあ、殺されるわよ。」

「うん、それも多分…」

  4人はまた現実を直視して、あらためて絶望を深めたようだ。ユリコの鋭い眼光がテツオの両目を捉えている。彼女はここで、彼氏の決意を促そうとするのだろうか。

 

「“革命”、やるったい!」

  テツオのこの一言に、3人は最近のこの国にない新鮮で真実な、言葉の響きを感じている。

フランス革命ロシア革命、革命にはさまざまあれど、子どもの革命ってのはまだないよな。俺たち子どもは人権もない、生存圏も生存権も侵害されたままじゃないか。もうこれ以上、子どもよりも無責任で幼稚きわまる大人どもに俺たちの生存を任せるわけにはいかねえな。俺たち子ども自身による子どものための革命を引き起こし、大人の国から独立してやろうばい!」

  このテツオの宣言にキンゴが続く。

「大人たちの近現代史を見てみろよ。産業革命は地表から地下資源を食い荒らし、動力を加速させ、大人たちの欲望を地球規模に及ばせて、植民地争奪戦を繰り広げた。近代国家は植民地の争奪と支配のための道具であり、その結果が2つの世界大戦さ。産業革命・大戦とで大儲けした大企業は、戦後は水俣四日市などの犠牲を強いて、高度成長を貪って多国籍企業へと変貌した。そしてカイコが繭を食い破るようにして企業は国家を食い破り、公営事業も福祉も社会も食い物にして、僕たち子どもを蝕むのさ。これらはすべて大人たち、いや人間の欲望の結果だよ。」

  ヨシノは生クリームをその鼻先につけたまま、寄り目で見つめてこうつぶやく。

「結局、すべては根底に差別があるのよ。列強と植民地、先進国と途上国、地方にある原発立地と都会に巣食う電力消費地、経営者と労働者、それでも貪る所が足りなくなれば、いよいよ大人と子どもに来るわけよ。あたしら子どもは追いつめられて、絶滅危惧種になってるかもよ。」

  そしてユリコが座った目線で言葉をつなぐ。

「私たち、ノアの箱舟に相乗るのよ。三途の川を渡らされるその前に、自らの意思でお先にルビコン川を渡るのよ。この国にはワラでレンガをこねるような仕事しかない。私たちは蜜と乳の流れている約束の地を目指すのよ。今や時が近づいてきたんだよ。」

 

  こうして革命を決意した4人は、ここでふと、自分たちが当然のように思っている“学校”というものを改めて考える。

「でも…、革命やるっつったって、学校って、どうするんだろ…。」

「学校っていうのはさ、それ自体が権力の道具だし、4人揃って不登校して、一時期の香港みたいに、革命と自由に専念するっていうのはどう?」

  しかし、この“不登校”という言葉自体に、4人は今いち違和感を覚えるようだ。

「…でもサ、この“不登校”っていう言葉って、何だか否定的な響きだし、何だか今のこの学校教育なるものを当然というか、大前提としてるというか、人間である生徒個人の存在よりも上位の存在としてるというか…。」

「学校と学校教育なるもの自体が、そもそもは富国強兵をするための、安価な兵士と労働者を生産し供給するための装置といえるし、一種の強制収容所のようなもんだし…。」

  ここで4人はやや沈黙の後、ついに妙案を覚えたようだ。

「ねえ、どうだろう。僕たち自身が自分らで、自分らのニーズに見合った専用の学校を作るってのは? ほら、黒澤明の『七人の侍』だって、百姓が侍を雇うじゃん。それと同じく、僕ら生徒が自分らで先生を雇うのさ。それでこれから中学・高校と勉強をして、もし大卒の学歴が要るんだったら、通信教育か何かを足して、大検を受けるって方法もあるだろうし…。」」

「その先生っていうのはさ、当然、不登校にオール1をつけてみたり、冬場でもコート着用を禁止したり、津波が押し寄せてきてるなか裏山に避難させずに校庭に整列させるようなクソバカは、最初から雇われねえから、俺たちの身の安全保障は自ずとできるというわけだ…。」

  

  4人のいつもの放課後の、コーヒー店でのお茶会はこうして終わったようである。彼らの茶会は日々絶望が更新されるばかりだったが、この日は決してそうではなかった。

  そして最後に、革命の言い出しッぺであるテツオは、別れの間際にこう言った。

「俺たちの今日の日付が、ボストンの茶会事件に匹敵する革命の記念日として歴史に記憶される日が、やがては来るかもしれないな。」

 

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  そう、この日、すべてが始まったのだ。ボストンの茶会事件ー今までの“革命”といえば、それは人間の社会ないしは社会制度を変えようとするものだった。

  しかし、僕らの起こしたこの革命は、やがてはそんな人間界の思惑を超え、人類レベル、生物レベル、いや、地球レベルに宇宙レベルーともいうべき次元のものとなった(と僕は秘かに思っている)。

  何を誇大妄想なーと、誰もがそう思うことだろう。だがもし、この『こども革命独立国』を最後まで読み切られたのなら、親愛なる読者諸氏には、何か考え得るものが残るのではないだろうか。

  それにしても、これから全二十四章まである全く無名な読み物なので、読者の皆様方には少しでもとっつきやすくなるようにと、ここでこれからの『予告編』を挿入しておきたく思う。

 

  ・・・僕らはそれで、自分たちの革命と独立を実践すべく、社会勉強をも兼ねて、まずは法律事務所と政治家事務所を訪問した。しかし、結果はどっちが子どもかわからないようなものであり、特に政治家を名乗る所はひどかった。

 

 

  でも、捨てる神に拾う神で、とある田んぼに僕らの主張を聞いてくれる人がいた。

 

 

  こうして僕ら4人による革命と独立が始まった。しかし、自給自足を基本とするのは、想像を絶するほどの辛さだった。でもそんななか、僕ら4人はやがて自然に役割を分担して、それを互いの得意分野とさえしていった。

 

 

  こうして僕らの活動を記録し発信するブログとして、この『こども革命独立国』は記されていったのだった。やがて、それは単なるブログの域を超え、ヒロシマナガサキチェルノブイリ、そして3.11以降、もはや既定路線とさえいえる“人類と核との共存”、しかも子どもたち次世代の犠牲を前提とする、凡庸でぼんやりした大人たちによる共存という、いわば人類の謎を解き明かし、そのような現状のなか、僕たち自身が自らの生きる意味を自分たちで問うていくという探求の書ともなった。

 

  だが、当然この国はそんな革命と独立を許さない。僕らの『こども革命独立国』は、まず文科省に攻撃され、次いで米軍基地化を口実としてこの国の国防軍に攻撃され、そしてついには8000ベクレル相当とされている放射性ゴミをも含んでいる“広域ゴミ処理場”へと狙われていったのだった。

 

 

  そう。“何事も自分自身で勉強し、自分自身の頭で考えて、自分自身の言葉であらわし行動する”―これがすべてに言える大事なことさ。これがなければ何をやってもいつまでたっても、万事につけ“永遠の12歳”のままなのさ。

 

  でも、僕らは自分たちの学校を卒業する前、すでにそんな永遠の12歳を卒業して、自分自身で考えることを突き詰めて、人間の知恵の限界点を見出した。それは教科書にもあった自然科学の最大の謎の一つとされる“光の粒子と波の二面性”への僕らなりの答えであり、そしてこれが、“人間=ホモ・サピエンスと核との共存”に通じる究極の原因であるという僕たちの仮説である。

 

 

  僕らの『こども革命独立国』は、僕らがこの核の世で、自分たちが生きる意味を自分の頭で考えたということの記録である。でも、これこそが大事なことだと思われる。だって、考えるということこそが人間の基本であるから。そして同時に僕らの仮説は、LGBTを超えるものでもあるのだから。

  いや、それどころか、本書はすべてのLGBTたちにとって福音となるはずだ。なぜなら、本書は“僕たちLGBTは決して性的少数者とされるものなのではなく、それどころかすべての生物が互いに進化をし続けていくためには、生物はLGBTでこそならねばならず、LGBTはむしろ進化の基本形だ”とまで言い切っているからだ。本書はLGBTを“少数者”というフィクション=呪縛から解放し、進化の基本形とまで明白に宣言した、この意味からでも革命的なものかもしれない。

  だから僕らは、僕らと同世代の若者たち、そして僕らに続く次世代の人たちに、僕らのこの『こども革命独立国』を是非に伝えていきたく思うのだ・・・。

 

  それでは、予告編に引き続き、本篇の第Ⅰ部第二章へとお進み下さい。