こども革命独立国

僕たちの「こども革命独立国」は、僕たちの卒業を機に小説となる。

第一章 茶会の勃発

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「ざけんじゃねえ…。もう、がまんできねえ。」

  テツオは怒りに震えている。

「テツオ、君は正直すぎんだよ。正直は身を滅ぼす、疑う者は救われるっていうじゃないか。」

  そう言うキンゴは、マグカップにその赤唇をそっとつける。

「俺はな、道徳で差別が課題にあがったところで、確かにこう言ったンだ。放射能汚染でこの国の産品が外国で輸入規制されるのと、人種差別は同じじゃないって。だけどあのセンコーはそれに対してどう言ったか。“なら君は、外国産の白菜キムチがそんなにも好きなのかぁ?” そしたら皆バカ受けの大笑いさ。おまけにいつも教師に忖度の悪ガキどもも、“先生、こいつこの前給食で、産地不明はザーサイだって食べやしねえって言ってましたよ”と囃し立て、それで俺はまた“非国民”呼ばわりだ。」

「テツオ…、あんたの気持ちはわかるんだけどさ…、人の世とは関わりあわぬが一番よ。」

  そう言うヨシノは、生クリームもおいしそうにコーヒーを一口すする。

  ふくれッ面のテツオに対して、キンゴはまた一言たずねる。

「ところで、お父さんの累積線量、今いくらだい?」

「わかんねえ。親父何にも言わねえしな。輸出が総崩れになって以来、新設の計画も再稼動も廃炉も続々進んでいるし…。250mSv(ミリシーベルト)までというは、あまりにひどい基準だよ…。」

  テツオの父は原発がらみの仕事のため全国まわり。留守をテツオのただ一人に預けている。

「また、父が診るといってるからさ。よその医者より、うちの医院に来るといいよ。」

  キンゴの父は町医者である。医者といってもビンボー医者で、この国の低所得者にもバカ高く、子どもの数だけ搾り取る国保制度に反抗して、こっそりと貧者からはカネを取らない医療をしている。また3.11以後タブーとなった放射線内部被ばくに取り組み始めたものだから、意見のあわない婦人とは離婚を余儀なくされたらしい。

「あたしはこれで中学生もあと少しのガマンだからね。もうすぐこの義務教育なるゲットーからも、収容所に似た学校からも解放されるし…」

  ちょっと振り向きたくなるような、南方系を思わせるくっきりとした目鼻立ち。ヨシノは生クリームを上唇につけながら、サバサバと語っている。ヨシノの父は漁師であり母は魚屋。原発事故で魚場を奪われ、家族で西の海へと逃れ、この地で生業再開した。

  そんな3人がする話を、ユリコは一人、黙ったまま聞いている。

 

  テツオは続ける。

原発だらけ、核廃棄物だらけのこの国では、公衆の許容線量は国際標準1mSvから20mSvへと引き上げられ、料品はドイツは1kgあたり成人で8Bq(ベクレル)、子どもは4Bqなのに、この国は一律100Bqだ。この100Bqというのはさ、従来なら放射性廃棄物に適用されるレベルの数字だ(1) 。少子化で世界で最も子どもが少なくなるのに、国の借金は1000兆円を超えたまま、被災者を省みない電力最大消費地のオリンピックをはじめとするいつもの“今だけカネだけ自分だけ”で全く改善の見込みもない。俺たち子どもは一生涯、大人が勝手に作り続けた核のゴミと放射能の脅威にさらされ、汚染された国土と借金を背負わされるということさ。」

  キンゴがテツオの言葉をつなぐ。

ェルノブイリの事故の後、年間5mSv以上は移住義務、1~5mSv未満でも移住の権利があったんだ。

またウクライナベラルーシでは、国自らが汚染地の子ども向けに年間20日以上の保養をおこなっているんだよ(2)。しかしこの国の行政は移住も保養も行わず、それどころか法は小中学生が原告となり集団疎開を訴えた裁判さえも棄却したのさ(3)。

  ヒロシマナガサキチェルノブイリともう何回も経験している。大人は子どもが被ばくの影響を受けやすいのを知ってるはずさ。知らなかった、また自分たちはお上に騙された-じゃあ済まないんだよ。」

  ヨシノは髪を再び束ねて、コーヒーの香の入り混じったため息をつきながら、テツオとキンゴの言葉を継いだ。

「結局、ミナマタから何も変わってないんだよ。被害がまだ局所的と見られるうちは、国とその国民はその地の民を棄民する。でも国中が汚染されれば被ばくはもう全国レベル、棄民のしようがないわけよ。だから大人は暗黙の了解で子どもを棄民してんじゃないの。だって子どもは弱いから、大人たちが抑え付けれる最後の人間集団だし。何も問題は起こってません、今までどおりカネ儲けもバカ騒ぎも続けたければ、誰かを犠牲に棄民するしかないんじゃないの。」

 

  ここまで黙って聞いていたユリコはここで、目覚めたように面を上げる。

「みんな、今度の進路指導って、どう答える?」

  ヨシノもキンゴも家業を継ぐと答えるが、キンゴは不得手な理系に悩める様子。だが、テツオはもっと深刻みたいだ。

「…俺…、親父に迷惑かけれんしな。進学は諦めて、先生が勧めるとおり、国防軍に入ろうかな…」

「テツオのバカッ! 軍隊に志願するってそんなこと、気安く言うもんじゃない!」

「ごめんな、ユリコ。そんなつもりで言ったんじゃ…」

  ユリコの父は国防軍の兵士だった。この国には大戦後、個別的自衛権として自衛隊なる戦力なき軍隊があったのだが、集団的自衛権を自由に使える軍隊として安保法と改憲後、自衛隊を改めて国防軍ができたのだった。ユリコの父は災害救助に共感して入隊したのに、やがて外国軍の後方支援に当たらされ、その地で戦死をしたとされた。またそれは霊媒師の孫娘のユリコにとって、その霊性を開花させることにもなったようである。

「そうだよ、テツオ。法人税は減税されても消費税は増税される、この国では残業代ゼロ法や、無限に働かそう改革など、原子力ムラ・安保ムラの大企業を優遇するそのかわりに、若者たちに貧困を押し付けて、経済的な徴兵に誘導していっているのさ。外国での戦争に自国の若者さし出して、国際貢献の美名のもとに弱そうな国に対して集団で空爆を仕掛けては、復興等の口実で強国同士で儲け話を山分けしようって魂胆さ。兵士になってそんな軍産共同体の犠牲になんかなることないよ。」

「それにまた原発が爆発したら西の海もやられるよ。そしたらTPPや生業どころじゃないわけよ。食べ物がなくなってしまうのよ。」

「俺たち子どもは、夢や希望も、もうないよな。」

「うん、多分。」

「それどころか、このままじゃあ、殺されるわよ。」

「うん、それも多分…」

  4人はまた現実を直視して、あらためて絶望を深めたようだ。ユリコの鋭い眼光がテツオの両目を捉えている。彼女はここで、彼氏の決意を促そうとするのだろうか。

 

「“革命”、やるったい!」

  テツオのこの一言に、3人は最近のこの国にない新鮮で真実な、言葉の響きを感じている。

フランス革命ロシア革命、革命にはさまざまあれど、子どもの革命ってのはまだないよな。俺たち子どもは人権もない、生存圏も生存権も侵害されたままじゃないか。もうこれ以上、子どもよりも無責任で幼稚きわまる大人どもに俺たちの生存を任せるわけにはいかねえな。俺たち子ども自身による子どものための革命を引き起こし、大人の国から独立してやろうばい!」

  このテツオの宣言にキンゴが続く。

「大人たちの近現代史を見てみろよ。産業革命は地表から地下資源を食い荒らし、動力を加速させ、大人たちの欲望を地球規模に及ばせて、植民地争奪戦を繰り広げた。近代国家は植民地の争奪と支配のための道具であり、その結果が2つの世界大戦さ。産業革命・大戦とで大儲けした大企業は、戦後は水俣四日市などの犠牲を強いて、高度成長を貪って多国籍企業へと変貌した。そしてカイコが繭を食い破るようにして企業は国家を食い破り、公営事業も福祉も社会も食い物にして、僕たち子どもを蝕むのさ。これらはすべて大人たち、いや人間の欲望の結果だよ。」

  ヨシノは生クリームをその鼻先につけたまま、寄り目で見つめてこうつぶやく。

「結局、すべては根底に差別があるのよ。列強と植民地、先進国と途上国、地方にある原発立地と都会に巣食う電力消費地、経営者と労働者、それでも貪る所が足りなくなれば、いよいよ大人と子どもに来るわけよ。あたしら子どもは追いつめられて、絶滅危惧種になってるかもよ。」

  そしてユリコが座った目線で言葉をつなぐ。

「私たち、ノアの箱舟に相乗るのよ。三途の川を渡らされるその前に、自らの意思でお先にルビコン川を渡るのよ。この国にはワラでレンガをこねるような仕事しかない。私たちは蜜と乳の流れている約束の地を目指すのよ。今や時が近づいてきたんだよ。」

 

  こうして革命を決意した4人は、ここでふと、自分たちが当然のように思っている“学校”というものを改めて考える。

「でも…、革命やるっつったって、学校って、どうするんだろ…。」

「学校っていうのはさ、それ自体が権力の道具だし、4人揃って不登校して、一時期の香港みたいに、革命と自由に専念するっていうのはどう?」

  しかし、この“不登校”という言葉自体に、4人は今いち違和感を覚えるようだ。

「…でもサ、この“不登校”っていう言葉って、何だか否定的な響きだし、何だか今のこの学校教育なるものを当然というか、大前提としてるというか、人間である生徒個人の存在よりも上位の存在としてるというか…。」

「学校と学校教育なるもの自体が、そもそもは富国強兵をするための、安価な兵士と労働者を生産し供給するための装置といえるし、一種の強制収容所のようなもんだし…。」

  ここで4人はやや沈黙の後、ついに妙案を覚えたようだ。

「ねえ、どうだろう。僕たち自身が自分らで、自分らのニーズに見合った専用の学校を作るってのは? ほら、黒澤明の『七人の侍』だって、百姓が侍を雇うじゃん。それと同じく、僕ら生徒が自分らで先生を雇うのさ。それでこれから中学・高校と勉強をして、もし大卒の学歴が要るんだったら、通信教育か何かを足して、大検を受けるって方法もあるだろうし…。」」

「その先生っていうのはさ、当然、不登校にオール1をつけてみたり、冬場でもコート着用を禁止したり、津波が押し寄せてきてるなか裏山に避難させずに校庭に整列させるようなクソバカは、最初から雇われねえから、俺たちの身の安全保障は自ずとできるというわけだ…。」

  

  4人のいつもの放課後の、コーヒー店でのお茶会はこうして終わったようである。彼らの茶会は日々絶望が更新されるばかりだったが、この日は決してそうではなかった。

  そして最後に、革命の言い出しッぺであるテツオは、別れの間際にこう言った。

「俺たちの今日の日付が、ボストンの茶会事件に匹敵する革命の記念日として歴史に記憶される日が、やがては来るかもしれないな。」

 

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  そう、この日、すべてが始まったのだ。ボストンの茶会事件ー今までの“革命”といえば、それは人間の社会ないしは社会制度を変えようとするものだった。

  しかし、僕らの起こしたこの革命は、やがてはそんな人間界の思惑を超え、人類レベル、生物レベル、いや、地球レベルに宇宙レベルーともいうべき次元のものとなった(と僕は秘かに思っている)。

  何を誇大妄想なーと、誰もがそう思うことだろう。だがもし、この『こども革命独立国』を最後まで読み切られたのなら、親愛なる読者諸氏には、何か考え得るものが残るのではないだろうか。

  それにしても、これから全二十四章まである全く無名な読み物なので、読者の皆様方には少しでもとっつきやすくなるようにと、ここでこれからの『予告編』を挿入しておきたく思う。

 

  ・・・僕らはそれで、自分たちの革命と独立を実践すべく、社会勉強をも兼ねて、まずは法律事務所と政治家事務所を訪問した。しかし、結果はどっちが子どもかわからないようなものであり、特に政治家を名乗る所はひどかった。

 

 

  でも、捨てる神に拾う神で、とある田んぼに僕らの主張を聞いてくれる人がいた。

 

 

  こうして僕ら4人による革命と独立が始まった。しかし、自給自足を基本とするのは、想像を絶するほどの辛さだった。でもそんななか、僕ら4人はやがて自然に役割を分担して、それを互いの得意分野とさえしていった。

 

 

  こうして僕らの活動を記録し発信するブログとして、この『こども革命独立国』は記されていったのだった。やがて、それは単なるブログの域を超え、ヒロシマナガサキチェルノブイリ、そして3.11以降、もはや既定路線とさえいえる“人類と核との共存”、しかも子どもたち次世代の犠牲を前提とする、凡庸でぼんやりした大人たちによる共存という、いわば人類の謎を解き明かし、そのような現状のなか、僕たち自身が自らの生きる意味を自分たちで問うていくという探求の書ともなった。

 

  だが、当然この国はそんな革命と独立を許さない。僕らの『こども革命独立国』は、まず文科省に攻撃され、次いで米軍基地化を口実としてこの国の国防軍に攻撃され、そしてついには8000ベクレル相当とされている放射性ゴミをも含んでいる“広域ゴミ処理場”へと狙われていったのだった。

 

 

  そう。“何事も自分自身で勉強し、自分自身の頭で考えて、自分自身の言葉であらわし行動する”―これがすべてに言える大事なことさ。これがなければ何をやってもいつまでたっても、万事につけ“永遠の12歳”のままなのさ。

 

  でも、僕らは自分たちの学校を卒業する前、すでにそんな永遠の12歳を卒業して、自分自身で考えることを突き詰めて、人間の知恵の限界点を見出した。それは教科書にもあった自然科学の最大の謎の一つとされる“光の粒子と波の二面性”への僕らなりの答えであり、そしてこれが、“人間=ホモ・サピエンスと核との共存”に通じる究極の原因であるという僕たちの仮説である。

 

 

  僕らの『こども革命独立国』は、僕らがこの核の世で、自分たちが生きる意味を自分の頭で考えたということの記録である。でも、これこそが大事なことだと思われる。だって、考えるということこそが人間の基本であるから。そして同時に僕らの仮説は、LGBTを超えるものでもあるのだから。

  いや、それどころか、本書はすべてのLGBTたちにとって福音となるはずだ。なぜなら、本書は“僕たちLGBTは決して性的少数者とされるものなのではなく、それどころかすべての生物が互いに進化をし続けていくためには、生物はLGBTでこそならねばならず、LGBTはむしろ進化の基本形だ”とまで言い切っているからだ。本書はLGBTを“少数者”というフィクション=呪縛から解放し、進化の基本形とまで明白に宣言した、この意味からでも革命的なものかもしれない。

  だから僕らは、僕らと同世代の若者たち、そして僕らに続く次世代の人たちに、僕らのこの『こども革命独立国』を是非に伝えていきたく思うのだ・・・。

 

  それでは、予告編に引き続き、本篇の第Ⅰ部第二章へとお進み下さい。

 

第二章 法の精神

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  さて、革命を決意した4人は、まず勉強と図書館に閉じこもり、要点を整理してから、ある法律事務所を訪ねてみることにした。

  出て来たのは…、若いというか、その顔立ちも体つきも一見同級生と間違えそうな外見の、受験勉強からそのままこの事務所に入ったような弁護士の先生である。

「ボクなりに論点整理をしたところ、君たちの訴えは、第一に平和的生存圏に関するもの、第二に君たちの独立への憲法上の法的根拠、第三に集団的自衛権国防軍による君たち世代の不利益への法的救済の可能性、第四に20mSv・100Bqなる放射線規制基準の違法性の法的追求-以上4点に整理できるかと思われますが、これらを順に法律の条文そして判例へのあてはめを行って、ボクなりの解釈(1)を君たちに解説していくということでよろしいでしょうか。あくまでボク個人なりの解釈ですけど。」

「よろしくお願いいたします。」

  4人はまずは期待できそうと快く返事をする。

「まず、第一の平和的生存圏-これは改憲前の憲法の前文に由来するものですが、これはその法規範性は肯定されても裁判規範性は肯定されない-つまりこれ自体が直接に争訟に適応される性質のものではない-とされています。また憲法25条の生存権は、いわゆるプログラム規定とされており、国民が健康で文化的な生活が営めるということを国家の政治的な努力義務として宣言したにとどまるもので、この25条を根拠として生存権の保障を直接司法に訴えることはできないとされています。」

「ということは、つまり憲法にある生存権とは、空文ということですか?」

「いや、空文というのではなく、例えば生活保護法みたいに個別的具体的に制定された法律によりはじめて裁判所の審査に適する-裁判規範性となりうる-という意味なのです。」

  …ということは、個別法がなきゃ何事も門前払いってことになるじゃん。そう言うのを世間では空文っていうんじゃないの…と、テツオは思うが、まずは先に行くことにする。

「では、二点目の、僕たちの言う革命と独立については、どうなのですか?」

憲法の22条は国籍離脱の自由を謳っていますが、それはわが国の国内に別の国が独立することは想定されていませんし、また、いわゆる革命とは、立憲主義憲法の下ではもっぱら抵抗権の問題として考えられるところでしょうが、ドイツの基本法とは違ってわが国の憲法には条文上の規定はなく、したがって君たちの革命と独立には、現行の法制上は法的根拠が存在しないことになります。」

「第三点目の、集団的自衛権や安保法の合憲性や新憲法での戦争の合法化などについての一連の問題は、これはもうこの国では常識かなとは思いますけど、終局的には日米安保体制という高度の政治性を有するもので、純司法的機能をその使命とする裁判所の審査には基本的にはナジマナイ性質のものであり、つまりは司法審査権の範囲外とされるものとされるのです。」

「つまり、要するにこの国では、安保はすなわちアンタッチャブルってことなんですか? 戦争放棄の旧憲法のもとにおいても、ほとんど憲法判断を避けて通った司法の責任、これをどう思われますか?」

「噛み砕いた表現かなとは思われますが、あいにくボクは、その言葉に関する表現の“言葉のあや”の研究を、よくおこなっていないので…」

  先生は、この時はじめてその表情に変化を見せ、その白いお顔の薄そうな皮膚の下に皮肉な笑みを浮かべたかに見えたのだが、それはここまでコンニャク問答に付き合わされた4人にとっては、イライラをつのらせただけだった。

「じゃあ、これからは抽象論では済まされない具体論を聞かせて下さい。四点目、この国で放射能の安全基準とされている年間の空間線量は、国際標準1mSvの20倍の20mSvです。一方、この国でもレントゲン室など放射線管理区域は年間5.4mSv。これは憲法14条の法の下の平等に反しているのではないですか? そして何より、重大な人権侵害ではないのですか?」

「第四の20mSvに関する問題は、原発事故後に成立した“子ども・被災者支援法”において、旧ソ連チェルノブイリ法のような5mSv以上は強制避難、1~5mSvは避難の権利といった住民避難の基準値も、それに伴う国家的な支援策も盛り込まれなかったので、この支援法に基づく訴えを起こしても有効とは思われないので、従来の公害訴訟の流れに沿ってその代表的な形態である民事訴訟行政訴訟の二面において検討する必要があろうかと思われます。それにはまず出訴形態として、民事訴訟による差止請求を提起するか、それとも行政訴訟による何らかの請求を提起するか、ということになろうかと思われます。また、この民事訴訟による差止請求においては、未だ実定法上確立した権利とまでは言い切れない環境権より、実定法の規定を待たなくても当然認容されるべき人格権において訴えるべきとかなあと思われます。」

「そうですよね。原発の再稼動差し止めを認めた福井地裁の判決でも人格権は謳われていましたからね。」

「ところがこの20mSvの問題は、基準値を引き上げた行政に対する行政権の行使の取消変更を請求するものと思われますので、行政訴訟によるのはともかくとして、通常の民事訴訟の差止請求のような私法上の給付請求を有するとの主張は成立すべきいわれはないと裁判所に却下されるおそれがあると思われます。」

「じゃあ、その行政訴訟の方法で20mSv問題を訴えるということになるのですね!」

「はい。ところがその行政訴訟の本案審査で仮に出訴期間内に提起できたとした上でも、原告は、行政処分によって直接自己の権利と利益を侵害されたものに限って法律上保護されるという“原告適格”、そして、処分後の事情の変化等があっても訴訟を追行する資格を持ち続けている“訴えの利益”という、二つの要件をクリアーせねばなりません。そしてこの二つをクリアーできたとしても、次に行政行為の“処分性”が認められるかどうかという問題があると思われます。つまり、この基準値を20mSvとした通知や通達といった行政行為が、文科省教育機関の間という行政組織内にとどまる命令にとどまらず、その影響が国民の具体的な権利義務ないし法律上の利益に変動をきたしていることが明白であることがいえなければ、処分性を否定され、却下されることがありうると思われます。」

「それで仮にこの処分性が認められたとしても、次に来るべきハードルは“行政裁量”の問題かと思われます。つまり行政は、専門技術的かつ政策的な見地から広範な裁量権を有しており、裁判所はこの裁量権の範囲を逸脱し、またはその濫用が認められる場合に限って違法とすべきと解されているのです。さらにこの場合の裁判所の審査のあり方というものは、処分の内容その適否を審査するというよりも、専門技術的な審議を受けた行政方が行った判断のあり方に不合理な点があったかどうかを審査するものとされるとされているのです。」

「では要するに、裁判所は行政の裁量の名のもとに一定の丸投げをしておいて、社会が要請するような安全審査はしないということなのですか? 20mSvや100Bqといった基準の異常と違法性を追求することはしないでおいて、ただ単にお役所の手続きしか見ようとしないということですか?」

「これは三権分立の要請から、行政よりも裁判所の判断が常に優先されるような判断代置審査が認められるわけにはいかないという理由によるとされていると思われます。」

「ちょっと待って下さい。水俣病の認定基準の昭和52年判断条件による認定棄却処分の取消の訴訟において、水俣病の認定は事実認定の問題であり行政庁の裁量にゆだねられる性質のものではないとの判例がありますよ。また、水俣病国家賠償責任を認めた最高裁判決では、国が原因企業のチッソに対し水質二法による規制権限を行使しなかったのは国家賠償法上の違法であると言っています。ということは、この20mSv・100Bqに関しても、同様に違法性は認められるのではないですか?」

「でもそれは国家賠償を求めるもので、事故後相当な時間が経過して、ヤット認められた類のものといえるでしょう。水俣病の公式発見は1956年、この国賠判決が出されたのが2004年と、実に半世紀もの時間が経過した上での判決といえるのです。」

「世間の常識が裁判所に達するまでに50年もかかるのですか? 被害者も原告の多くの人も死んだ後じゃないですか。手遅れじゃないのですか? それとも死ぬのを待っていたのですか? だいたい国は1956年の水俣病の公式発見の12年も後になって、チッソが原因物質のアセトアルデヒド製造を中止した1968年5月を見届けた同年の9月になって、つまり人命よりも企業の利益優先を満了させた後になって、やっと水俣病を公害と認めました。もし同じことが原発事故でも起こるのだったら、廃炉や最終処分場の汚染問題など一切が終了した何千年か何万年の後になって、はじめて20mSv・100Bqの違法性をはじめとするあらゆる不作為、不条理、無責任、無能そして怠慢を、ヤットコサ認めるだろうということですか?!」

「それは政治の問題であり私たち司法の問題ではありません。そうなりたくないのなら、そのような政治と政治家を皆さんが選べばいいと思われます。」

「いいかげんにしろいッ!!」

  テツオはついにブチ切れての上に飛び乗ると、先生とサシで向き合いそこに座り込んだまま(2)、話をはじめる。

「ただでさえ放射線被ばくによる健康被害の立証は困難とされているのに、それでも一つも本題に入ろうとせず、やれ適格だの利益だの処分だのとヘリクツをこね回し、落語の“寝床”じゃあるめえし、要は聞きたくないやりたくないの言い訳のオンパレードだ。あんたがた司法ときたらこんな小賢し論法で、空港の騒音や原発や軍事基地、ゴミ処理場や環境破壊の都市開発に反対する住民たちを、何年何十年間もダラダラ裁判で弄したあげく、却下や棄却の連続で足蹴りにしてきたんだろ。国民の血税で食べてるくせに、ただ裁判官たるプライドと保身のために、権力に忖度おもねり媚売って、市民住民貧乏人を虐げ踏みつけてきたんだろ。水俣病裁判で言われたような“舎芝居のごたる裁判、田舎芝居といっちょん変わらぬ”(3)ったあこのことさね。もとはと言えば、3.11原発事故後に14の小中学生らが提訴した“ふくしま集団疎開裁判”の高裁の決定で、“子どもは低線量被ばくにより生命、健康に由々しい事態の進行が懸念される。被ばくの危険を回避するには安全な地域に避難するしか手段がない。”と事実認定までしておきながら申し立てを却下した(4)。これが今日まで持続しているこの低線量被ばくという“見えないゲットー”から避難する権利の芽をつんだのさ。」

  しかしテツオのこの訴えを目前にして、先生は当然のような顔をして抗弁を開始した。

「裁判官というものは権力に忖度するか、あるいは権力よりも世論の方が強い場合は世論の方に忖度して住民側を勝たせることもありえます。しかし、こと原発について言うのなら、私が知ってる立地県のある市なんかは住民が30万人以上もいるというのに、再稼動反対集会は1万人に達することなく、やがては1千人にさえも及ばず、再稼動差止訴訟の最中でも地裁に市民は集まらず、商店街をデモしてもほとんど誰も無関心ということでした。こんなことで裁判所に何を期待するというのですか? 自分たちの生命がかかっているというのなら、どうして市民全体が原告あるいはサポーターになるなどして、裁判を支えようとしないのですか?」

 

  4人はこの先生の事務所をあとにした。そしてまた、もう一つの事務所に向かった。

第三章 政治家の関与

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  つぎに彼らが向かったのは、通称のメラニーでこの選挙区では有名な新目良氏、いわゆる“市民派”とされている政治家センセーの事務所である。このメラニーを調べたいと言い出したのはヨシノであり、以前TPPは絶対反対と選挙では言っときながら当選するやあっさり賛成鞍替えりの裏切りが、第一次産業に従事するものとして絶対に許せない、いつか問いただしてやりたいのよぉ-ということだった。

メラニーのホームページを見てみるとさ、出るわ出るわ、メラニーの顔、顔、顔、顔、顔と顔。白手袋にマイクを握り熱弁ふるう立ち姿。その目まぐるしく入れ替わる動画に割り込む“市民の味方、庶民の味方、正義の味方、命の味方”の踊る絵文字のキャッチコピー。脱原発や安保法では4人の子どもの賢母としての顔を出し、TPPや消費税では一家庭の主婦としての顔を出し、福祉では夫の両親介護して死ぬまで看取った賢妻としての顔を出し、生活保護ではホームレスのボランティアを名乗っての顔を出す。しかもこれらは選挙の時だけ、選挙の後はみんなウソって、もうわかってんだし。

  そんでさ、このホームページのマルチタスクを自分の顔でマルチにニッチにダダみたいな三面変化で埋めつくしているメラニーおばさん、最近の主たるテーマは何かというと、実はあたしたちにも直結の“教科書問題”なんだってえ!」

  ヨシノはいつものコーヒーショップの茶会にて、このようにメラニーの事前調査の報告を行った。

「でさあ、このメラニーおばさん、あの3.11以来ずっとクサイことやってんのよぉ。ほら、チェルノブイリ後と同じようにこの国でもあの原発事故以来、民間有志の団体が子どもたちの汚染地からの一時避難-いわゆる保養をやってるじゃない。で、メラニーも保養をやってます、なんて言ってんだけど、その移動に使う団体バスと宿泊先、なぜかいっつも彼女の夫が役員の観光会社ときてんのよお!」

市民派市民派といっときながら、やってることは慈民党と変わんないよな。なら慈民派とでもいうべきか。」

原発事故後に成立した“子ども・被災者支援法”、それこそ選挙対策の産物で、チェルノブイリ法とはぜんぜん違って5mSv前後の避難基準も何一つ明示されず、結局ホネ抜き、予算だけはしっかりつけられ、その予算の消化のためにあのガレキ処理の時と同じく、観光利権や修学旅行利権か何かに流れてんじゃないのかなあ。とにもかくにもメラニーが、本当は何が目的なのか、本人が何をどこまで承知してやってんのかを、直接つついてみたいのよ。」

  というわけで、4人はこれからこのメラニーの、事務所を訪れようとしている。しかし、ユリコが事務所の前で、「ここはいかにも悪い気が満ちている。私は中には行けないから外で待ってる。」と言い出したので、3人が中に入っていくことにした。

  3人は暗い顔のおばさんに控え室に通された。そこは狭くて息苦しく、窓もなければ換気も悪く、書類や本やら雑誌やら何もかもがムゾーサに積み上げられ、市民からの声なのか所々にファックスが散らかっている有様である。この乱雑な部屋の中、ホコリっぽい空調とカビ臭い冷蔵庫とに挟まれて、秘書なのだろうか何者か、あの暗い顔したおばさんが、黄色くくすんだその顔を始終うつむけたっきりで、3人とは決して目も合わせようともせず、ただパソコン画面を見つめている。

  やがて隣室から声が聞こえて、3人はおばさんに促されるままその中へと入っていった。

 

  出迎えたのは、まさしくメラニーその人だった。背は少々低いものの、その白いお顔の美白オーラはホームページの通りのようだ-とテツオは見とめる。…目尻と眉間を刻んだシワは画面では見られなかったが、弓線えがく細マユズミ、古代エジプト壁画のようなマスカラと、念入り肝いり刷り込まれた厚顔チーク、そして輝く真っ赤な口紅は、政府にひたすら“ならえ右”するハイビジョンより鮮やかだ…と、テツオは思う。

  メラニーは最初のうちこそハイハイと3人の訴えを聞いてはいたが、やがて目からは光が消えうせ、相槌もテキトーに惰性まかせになっていくのが見てとれた。今や彼女の興味も関心も、その白塗りで厚く固めた面相と、赤くぶ厚い唇とを置いたまま、はるか後ろの己の地金に至るまで後退したらしかった。そして今やメラニーの眼差しからは、何か困惑気味で忌避的な感じさえ漂いはじめる。

  そして3人の訴えのあと、いよいよ正義と命の味方のメラニーが、答える番がやってきた。

「うんうん、そうそう、シーベルトは日本史に、ベクレルは数学に、あったわよねえ!」

  メラニーは言い当てたりと得意げそうに見えたのだが、この想定外の答弁に事務所の空気も凍りつき、季節はずれの蚊もホコリもそろって落ちてきたかのようだ。だからあんなオンボロの空調や冷蔵庫でも、間に合っているのだろうか。

  だが凍ってばかりじゃ息苦しいので、まさかとは思いながらも、ここはキンゴが修正の助け舟を出してみた。

「センセー、あのそれはひょっとして、シーボルトとベクトルの、お間違えではないですか?」

  眉間のシワがいっそう深まり、古代エジプトマスカラになおも落ち込む眼差しで、何を言おうと迷うのか、ぶ厚い赤い唇が三次元の引きつりを始めたところで、やっぱり彼女は秘書だったのかさっきの暗いおばさんが、慌てて割って間に入る。

「センセーは今、教科書の問題で頭がイッパイ、地図を見ても文字を読んでもナホトカ言の葉コトノホカお忙しく、これもすべてはあなた達、子どもたちのためなのです!」

「センセー、じゃあ次に、これを質問させて頂きたい!」

  ヨシノはここでメラニーに、一枚の手にした紙をたたきつける。

「センセー、これは“原発事故子ども・被災者支援法”といって、この予算のおかげでセンセーは、毎年毎年保養と称してご主人の観光会社のバスとホテルをフル活用して子どもと保護者を旅行させては、郷土愛を育みあおうとか言って、自分の後援会であるうどん屋さんでのうどん作りに招待したりしていますよね! センセーは以前ブログで、この子どもを守る支援法の成立に政治生命かけてますなんて書いてたけれど、じゃあ何でシーベルトが日本史で、ベクレルが数学なんてトンチンカン、言えるのですか?」

  さすがにここまで突っ込まれては、メラニーのよどんだ瞳も反駁の火が灯らないわけではない。

「私は、声なき声にも耳を傾け、忍耐と寛容、決断と実行、和の政治を志し、戦後政治の総決算と、友愛の精神で、一億人が総活躍し、この人生は100年時代、何事も不退転の決意でやってるの!」

  ヨシノはここでもう一枚、紙を目前にたたきつけ、メラニーを追求する。

「じゃあ次に、もう一つ質問させて頂きたい。これは改憲前、あの集団的自衛権を合法化した安保法についてですけど、センセーは以前から、子どもたちを決して決して戦場には送らないと言ってますけど、安保法では賛成にまわってますよね! どうしてですか? TPPの時と同じく、言ってることとやってることが全然違うじゃないですか?!」

「だってそれは、沖縄だけの話でしょう。」

「安保は沖縄に押し付けとけってことですか。それって沖縄への差別ではないですか?」

「いや、集団自衛の問題は、沖縄だけの話だから、削除しても全体には影響ないと。だからこの案通ったのよ。」

  ここであまりに酷いと感じたのか、キンゴも加わり参戦する。

「センセー、集団的自衛権が削除されて通ったなんて、あまりにひどいトンチンカン、ずれまくりもいいとこですよ。集団的自衛権の行使を認める肝心の存立危機事態の文言は、アメリカ仕込みの新ガイドラインに現れてから法案の中身にまでそっくりそのまま引き写されて、一度も削除はされなかったし、第一これは、沖縄だけの問題ではないですよね!」

「でも集団自衛の問題を削除したからこそ通ったのは、歴史的事実なのよ。」

「だからァッ! 削除なんかされてないって! 集団的自衛権が安保法で合法化されてから、改憲を待たずして自衛隊は事実上の国防軍で、海外での参戦ができるようになったんじゃないですか。」

「通ったなんて、いったい何に通ったというのですか?」

「検定よ。」

「ケンテイ?」

「そうよ、教科書検定よ。」

「国会じゃあ、なかったのですかぁ??」

  ヨシノもキンゴもここで全くフリーズしたので、まさかとは思いつつも、テツオは口を挟んでみる。

「センセー、それって集団的自衛権のことではなくて、集団自決ではないですか?」

  事務所の中に絶望が、死の灰みたいに降ってきた。それはある意味、民主主義を担保する代議制の死に至る病である-と3人は感じたようだ。

  ヨシノはついにブチ切れて、たたきつけた2枚の紙を各々両手に牌のように握りしめ、メラニー突きつける(1)。

「あんたのような母国語も漢字も読めず、発音もまともにできず、文字の意味すらわからない超ボンクラが、この国の国会で法律を決めている。あの原発事故以来、甲状腺ガンだけじゃない。あたしと同じ年頃の人たちが、白血病や心臓病で死んでいる。年寄りじゃあないんだよ。この現実をゴマかすためにあんた達は戦争を仕掛けようと、集団的自衛権を持ち出して海外派兵を強行した。でも放射線健康被害はゴマかせないぞ。あたしら家族は先祖からの漁場をはじめ家も土地も何もかも捨てさせられて、放射能汚染地から避難した。あたしら両親、財産を失ったその上に、あたし達を養うために働けど働けど、あんたのような超ボンクラに税金ばかりむしり取られて、何の補償も賠償もないんだよ!

  親ですよ、両親ぁ! あたしの心がわかるかあ! 両親は働きづめに働いて、弟の面倒みながら長女として十余年、あたしが家の柱になってやってきた。わかるか、このあたしの心。どげん苦労ばしたち思うか(2)。 あんたのようなムダ金喰いの寄生虫に、このせちがない世の中をまじめに生きる心がわかるかあッ!!」

 

  3人はあきれはてて、メラニー事務所をあとにした。外ではユリコが待っていて、あきれはて疲れはてた3人を、さもありなんと迎えてくれた。

「みんな只今あの伏魔殿から出てきたばかり。悪霊が取り付いてるから私がお祓いしてあげよう。  “ソレ、形の陰鬼陽魔亡霊は九字真言をもってこれを切断せんに何の難きことやあらん。九字真言といっぱ、臨、兵、闘、者、皆、陳、列、在、前! これであらゆる五陰鬼煩悩鬼、まった悪魔外道死霊生霊、たちどころに亡ぶること霜に煮え湯を注ぐが如し!(3)」

  3人はユリコにこの九字の真言をきってもらってポンポンポンと背中をたたかれ、これでやっと正気に戻ったような気がした。

 

 

第四章 コメの花と首実検

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  二つの事務所をあとにして、今さらながらさらに今さら、また絶望を深めた4人。さ迷ううちに耕作放棄地みたいな所で、行き止りとなってしまった。

  いやこれは、ただの耕作放棄地ではない。一反ほどの面積に果樹も草木も茂っているが、よく見てみるとマルチこそはないものの畝がきちんとたてられて、雑草に覆われてはいるものの作物も一列に並んでいる。ここは放棄地なのではなく立派な畑なのだった。人間の農作業と自然とが普通に共存できているといった感じで、さらに奥は田圃のようで、そこには一人の、初老の男が立っている。

  男はやせてはいるが背は高く、大きく被った笠の下にはゆるやかな藍の作務衣が風に吹かれて、その姿は田圃と同じ青色に染まっている。男の目は大きく開かれ、一心に見つめている稲の緑も映るようだ。そして男は不思議そうに眺めている4人を見ると、微笑んで語りかける。

「今、コメの花が咲こうとしてるよ。いっしょに見るかね?」

「えっ?、おコメに花なんか、咲くの?」

  見ると、分けつの進んだ稲のピンと張った葉の隙間から、一本の細い茎が陽に向かってまっすぐに昇り立ち、その先頭は出穂でふくらんだ穂を頂いている。この穂の上から下にかけて白い小さな本当に小さな粒々が飛び出していて、それは確かに言われてみれば花のようにも見えてくる。

「この飛び出ているのが雄蕊の花糸で、風によって雄蕊の花粉はそのまま雌蕊に自家受粉する。いわば雌雄同体だな。この受精のあとには胚ができ、私たちが食べるおコメは実はこの胚乳なのだ。これはコメにとっては命そのもの、そして同時に私たちには命のもととなるわけだ。」

  日焼けした男のさした指先からは、百姓の強い意志がこもって見える。それが細くそば立つ稲の穂先と、点々と咲く白い花の繊細さと可憐さを、いっそうきわだたせて見せる。男と4人が立つ田圃には、今花をつけ無数の命を宿そうとする稲穂たちが、風に吹かれて青く波打ち、陽の光が揺れる波間にさし込んで、コメの花を青い海に放たれた泡粒みたいに、白く白く照らしている。

  ふいにテツオの白シャツを、ユリコが引いた。テツオは今、肘に触れたユリコの指先、そのほのかな温もりを感じ取って振り返ると、ユリコはそのとび色の瞳をして彼に“GO!”と言ってるようだ。

「おじさん、僕たちのする話を、少し聞いて下さいませんか。」

 

  4人は男に連れられて、そこからは歩いてすぐの、彼の言う自分の仕事場“タカノ行政書士事務所”へと案内された。また事務所かと4人ははじめ警戒したが、笠をとったタカノの顔は、白髪まじりのハゲ頭、ツルリと日焼けのおでんに浮かんでいるような卵ッ面に、口髭が不詳無精にくっついているような感じで、何かとても打ち解けそうなものがあり、4人はそれで今までのトラウマを弾き飛ばすかのように、思い思いにあれえざれえをブチまけて、一気に語り終えたのだった。

  4人が語り終えたあと、タカノはやおら大きな片手を後ろにまわし、その禿げ上がった後頭部をゆっくりと撫でさすった。そしてしばらく考えた後、タカノはあついバリトンで、まるで山から降りた仙人みたいに、このように語りかけた。

ここにいる君たちの苦悩と苦境を、私はつぶさに知ったのだ。また虐げられた君たち子どもの叫び声も、私は確かに聞いたのだ。それゆえ私は君たちを、君たちの言う見えないゲットー・収容所から救い出し、そこから広々とした沃地へと、乳と蜜が流れるような約束の地へ、君たちを導き上がらせたく思う(1)。」

  そう言うタカノの顔からは、確かに光が見えていた。それはハゲとは関係ない、一種の後光ではないか-と4人は思った。そしてタカノは言葉をつづける。

「君たちが侵害されていると言う君たちの生存権と生存圏は、裁判や政治によるのではなく、もはや自分たちで取り戻すしかないだろう。土地はある-というか借りられる。水もあるし陽の光もある。だが食料は、環境汚染を根本的に避けるためには、自分たちで作るのが一番だ。地から糧を得るのに君たちは苦労する。生えてくるイバラやアザミに悩まされ、君たちは野菜をかじり、額に汗してコメを食う。我々ヒトは、所詮は土から出て土へとかえる身の上だからな(2)。」

「タカノさん、土地はあるって、具体的にはいったいどこにあるのですか?」

「嘉南島だよ。」

「エーッ、かなんの島って、父ちゃんの漁場の近くよ。」

「この県南の漁港のむかえから見える、あの中央に山がそびえる小島ですか?」

「そうだ。あの嘉南の島だ。過疎化が進んだあの島は、今は私の知り合いのオジイとオバアの一世帯だけ住んでいて、土地は借りられ、古い木造校舎を改修すれば学校にも寮にもなるし、おまけに教会だってある。国が教育行政まで民間に丸投げした最近のフリースクール制度を活用し、私が君らの学校の理事に納まり、そこでエネルギーに頼らない自給自足を試みながら、君らが理想とする学校と独立した生活を目指してみてはどうだろうか。」

  タカノはここで両手のひらをかざしつつ、指を7本折りながら子どもたちに語ってみせる。

「士と師の字こそは異なるものの、君らが独立する上で、学業やら医療やら何かと補佐する専門職が要るだろう。それキンゴの父は医師、スタッフには看護師もいて、君らがケガや病気の時は国民健保にかかわらず診てもらうことにしよう。ヨシノの父は漁師だから海の幸を届けてもらおう。私タカノは行政書士、君らに関する法的な届出ごとは代理できる。私の妻は保育士なので、福祉は何かとサポートできる。私の知人のミセス・シンは管理栄養士ときてるから、君らの食事はまかなえよう。ここまでで6人か、あと君たちには肝心の学業を見なければいけないから教師が要るが、これがそろえば7人の士だな。」

 

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  4人がタカノの事務所を経たある日、担任が過労でしばらく休むと言って、彼らのクラスに隣の工業高校から代用教員が来るという。新しい先生は、かなり変わった人とのことだが、今日の社会の公民からこのクラスを受け持つとのことらしい。

  始業のベルが終わらぬうちに、廊下のすみからガラガラとゲタ履き音が聞こえてくるや、クラスの扉がガラリと開かれ、最初にチョンマゲ次にヒゲ、赤っ面に藍色の剣道着を着た男がヌッとあらわれた。

「かように候者は、この県の住人、アタカの左衛門にて候。慮外ながら憚りながら、しばしの間、この組の代用教員あい勤める。方々さよう心得てよかろう。」

  クラスの中はドッと笑いに包まれた。変わり者とは聞いてはいたが、まさかここまでカブキ者とは。しかし、ざわめいている生徒の中から、“先生まずは自己紹介!”と呼ばれたのにニヤリとすると、このカブキ者の先生は、片手を袖から襟へと繰り出し、ヒゲッ面を撫でながら、低音のバスの声で物語る。

われて名乗るもおこがましいが、生まれは遠州浜松在、十四の時に親に別れ、身の生業も白浜の、沖を越えては夜学を修め、人の情けを掛川から、金谷をかけて静大出、以前を言やぁ江ノ島で、定時制の夜働き、続いて後に勤めしは、ガキのころから手癖が悪く、中学校からグレ出した、タバコは吸えど非道はせず、不良相手に西国を、まわって首尾も吉野川、黒板一枚その下は、地獄と名によぶ暗闇も、明るくなって度胸がすわり、教師技量の鈍い刃も、砥上ケ原に身の錆を、研ぎすましては剣山、教師のその身の境界も、もはや五十に人間の定年わずかに六十歳(3)…。 俺は今や50歳、最後の十年間ぐらい自分の意思で仕事がしたいと、今回のこの代用、自ら志願をしてきたわけだ。

  では諸君! 手にする国定教科書は『公民』の、まずは“新憲法”の章、グッと開いてもらいたい。」

  クラス中に教科書を開く音が、つぎつぎと響き渡る。

「この新憲法の名のとおり、我が国の憲法は戦後70余年を経てとうとう改憲されてしまった。この新憲法の条文の一つひとつは、実は人間ならば生まれながら当然に持っている自由そして人権とをことごとく突き崩すアリの一穴。それはいずれも戦争への地ならしがされていて地獄の門へと通じている。その門には“働けば自由になれる”(4)と書いてあるかもしれないが、君たちは今その門へと引き込まれ、その奥には国家という怪物が君たちの生き血を吸おうと待ち構える。この憲法とはその装置、言ってみれば国家が仕掛けた“ワナ”なのだ。」

「先生! 新憲法って、そんなおもろそうなこと、書いたるんすか?」

「そうだ。見方さえ正しければ、この新憲法憲法とは呼ぶに呼べないチープにしてチンプきわまるおかしなものだが、たいていの先生方は、笑いのツボがどこにあるのか見抜けてないから授業が面白くないというジレンマに陥っているようなのだ。さて、ちょうどいい質問をしてくれた君、この新憲法の前文をひとつ読んではくれまいか。」

文…我が国は長い歴史と固有の文化を持ち、国民統合の象徴である天皇を戴く国家であって…国民は国と郷土を誇りと気概を持って自ら守り…和を尊び家族や社会全体が助け合って国家を形成する(5)…」

  アタカ先生はこの少年のボー読みのあと、解説に入っていく。

「うむ。前文とは憲法の顔なのだが、この新憲法の前文には旧憲法にはあった国民主権も平和的生存権も全て葬り去られている。しかしこの前文の段階では、新憲法でもまだ貴女のお面を被っている。これからその条文へと入っていけば、茨木の童子あるいは道成寺白拍子よろしく、貴女が雲行く鬼女となり自由の鐘を絞め上げる大蛇ともなっていく。では次にこの列の面々、前文からその次の第一条と第三条を読んでほしい。」

「第一条、天皇は我が国の元首であり…、第三条、国民は国旗及び国歌を尊重しなければならない。」

「うむ。続く第五条では、天皇は国政に関する機能を有しないと旧憲法と同じことを言っときながら、天皇は国家の元首と宣言し、ヒノマル・キミガヨを敬えと命令まで下しておいて、明らかに天皇に主君の権威そのものを、本来は権力を縛るべき憲法にて定めている。では次に、飛ばして第十三条と二十四条とを読んでほしい。」

「第十三条、全て国民は人として尊重される。」

「第二十四条、家族は社会の自然かつ基礎的な単位として尊重される。家族は互いに助け合わなければならない。」

「うむ。ここでだ君たち。この新憲法、ここまで来れば何か変だと思わないか? この新憲法、いったい誰のための憲法なんだ? いやさ、どなたのための憲法なんだ?」

  アタカはカブイたセリフまわしを交えながらも、生徒たちをキッと見回す。

「やれ尊重しろだの助け合えだの、上から目線で、これって元号と同じ字の“命令”だよねえ。」

「家族内での虐待や崩壊もあるってのによ。家族、家族ってウザいものを感じるさ。これじゃまるで家族ファシズム。家族は互いに助け合えって、これでまた福祉予算を削る気でいるんじゃねえの?」

「そうだ! 要はこれはファシズムなのだ。第十三条の人として尊重されるは個人として尊重されるのとは大違い。個人とは、国民主権基本的人権の主体としての個人の意味。それに対してただの人とはサルに対するヒトの意味。だからサルよりヒトが尊重されると、これはその程度の条文なのだ。こんなこたぁ憲法に書くまでもねえ、何のことはねえ、ただのお笑ぇ草さぁ!」

  クラス中、またこのカブイたセリフに大笑い。

「しかし、これはお笑ぇ草じゃぁ済まされねえ。前文からここまできて、民主主義の根幹たる個人の尊重、国民主権がとうに没却されちまい、それにかわって復古したのが天皇の主君の権威と、家族尊重たる美名のお家大事の感覚だ。これはナポレオン民法以来の近代法の原理を否定し、前近代-江戸時代に先祖がえりするってことだ。これに前文がいう所の我が国の固有の文化と良き伝統がそなわるとどうなるか。ここからがこの新憲法のワナ、特に君たち子どもに対する“ワナ”となる。」

  アタカはここで、ここが見せ場といった面持ちで、見得きるような睨みをきかし、バスの低音きかせながら語ってみせる。

「江戸時代に先祖がえり-たとえばこんな話がある。伊達家のお家騒動よりとった先代萩(6)というお話。殿様御殿にあい勤める乳母政岡なる女性。主君の跡目おさない若君鶴千代を守るため、始終わが子の千松をそばに遣わせ、いざとなったらお前こそが若君の身代わりにと躾けている。それで本当に若君を毒殺しようと献上された饅頭を、察知し先に食ったわが子千松、敵方の手で証拠隠滅のためなぶり殺しにされていくのを目前にしながらこの政岡、七転八倒するわが子を見ながらただ若君を抱き守り、涙一滴目に持たぬ男まさりの政岡は、忠義は先代末代まで、またあるまじき烈女の鑑、“これ千松、よう死んだ。これというのもこの母が常々教えおいたこと、死ぬるを忠義ということはいつの世からの習わしぞ、こり固まりし鉄石心…”」

  クラス中またゲラゲラの大笑い。アタカは再びキッとなる。

「笑うなバカ者! ここは本来、泣かせ所どころだ!」

「だあって、先生、そんなむさくるしいヒゲ面で、わざわざ女形の声出すんだもん。」

「これはな、六代目歌右衛門の声色なのだ! ではもうひとつ。ところで君たち、古文の授業で平家物語の『敦盛最後』を習うだろ。熊谷次郎直実が討ち取ったる平家の公達敦盛卿。しかしこの史実をねじ曲げて、実は敦盛は生き延びて、その身代わりに直実の子の小次郎が実の父の直実に殺されたって話がある。」

「エエーッ! また主君のためにわが子を殺すの?? 先生、何でこの手の話がこの国には、何種類もあるのですか?」

「話はこうだ。熊谷陣屋(7)の桜の下に、主君義経の命により、“一枝を切らば一指を切るべし”とのなぞ賭けみたいな制札が立てられた。桜の一枝は後白河院の胤である敦盛をさし、身の一指とは同年齢のわが子をさすと主君の意を忖度した直実。討ち取ったという敦盛の首のかわりにわが子の首を義経の検分に差し出そうとする。この戦場のならいの儀を“首実検”いうのだが、その首を実検した義経は“花を惜しむ義経が心を察し、よくぞ討ったり。敦盛の首に相違ない”などとのたまい、しかも加えてこの直実、わが子の首を自分の妻、わが子の母である相模に、敦盛の母である藤の方に、お目にかけよと持っていかせようとさえするのである。」

「コワイ~、キモイ~。」

「ここまでくれば、オカルト、カルトも、いいとこだよねぇ。」

「そうだ。これは少しも美談ではなく、野蛮でまさにカルトなのだ。同じ首実検であるとはいえ、ヘロデアがお盆に乗ったヨハネの首を見るのとはわけが違うし、また同じ忠義であるとはいえ、マクベスリア王で語られる忠義ともわけが違う。主君のためにわが子を殺すなんてこと、外国にこんなバカげたお話があるだろうか。ところで君たち、国語の授業で魯迅の『故郷』を習うだろ。その魯迅出世作に『狂人日記』があるように、東洋には同様の“子殺し思想”の底流があるかもしれん。今でも歌舞伎や人形浄瑠璃で、『先代萩』や『熊谷陣屋』で物語の前近代性、不条理や不合理性を指摘するより、ただ単純に泣く人が多いのだから、この国民性に君たちは油断してはならないのだ。」

  ここでアタカはまた教科書に目を移し、新憲法に戻ろうとする。生徒たちも集中し、もはや誰もが真剣に臨みはじめる。

「さあ、ここからがこの新憲法のキモになる。旧憲法の大看板の戦争放棄の第九条、新憲法はその一項は戦争放棄を謳っているが、二項目は自衛権の発動は妨げられるものではないと記している。この自衛権とは個別的自衛権集団的自衛権とどっちとも解される。歴史上のありとあらゆる戦争は、“自衛のため”と称しながら始まったのだ。ヒットラールーズベルトも東条も自衛のためを口にしたし、ブッシュがイラクを攻撃したのも、根拠のない大量破壊兵器からの自衛のためだとされたのだ。つまりこの条文は何を隠そう“戦争許可状・免罪符”なのである。

  では何を持って自衛権を発動するというのだろうか。そのキーワードは公益というものだ。しかもこの公益たるや公の秩序と同じく、新憲法では個人より優位なものとなっている。この公益とは誰のものだ? いやさ、どなたのための公益だ? いったい誰が、どんな理由で、何を公益とするというのか。

  電力が公益なら永遠に原発は動かし得るし、日米安保が公益なら地位協定星条旗と同様に永遠になり得るし、またアメリカに追従の参戦だって充分な公益とされ得るだろうし、核兵器の保持すらも中国や北朝鮮の脅威からする公益とされ得るのだ。要は、お上の言うことヤバいことは、何だって公益にされ得るし、それに反する一切は、“公の秩序に反すること”と、弾圧されかねないことになる。

  そしてこの新憲法の極め付きは、この条文のケツっぺた、九十九条こそにある。そこには、“緊急事態の宣言が発せられたその時には、内閣は法律と同一の効力の政令を制定できる”と記されている。これは緊急事態の口実さえ見つければ、ナチスの全権授与法とほとんど同じ内容だ。以前、ナチスの手口をマネたらいかが、と言った漢字の読めないアホな政治屋がいたそうだが、こうして実際新憲法に、緊急事態の名を借りて政府に全権委任する条文が、堂々と混入されたわけである。

  君たち、これで私がこの新憲法はワナだといったその意味を、君らはわかってくれただろう。」

  生徒たち、今や誰もが押し黙り、うつむいたっきりとなる。アタカ先生、そんな生徒に目をやりながら、静まり返った彼らに対して、心のうちを吐露しはじめる。

「俺はな、かつてこの中学校にいたものだが、免許を持ってたそのせいで隣の工業高校へと赴任した。そしたらその三年で就職志望の生徒が出てくる。以前は生徒の希望を第一に進路指導をやっていたのが、新憲法への改憲後、今や合法的に国防軍と称する軍に生徒たちを誘導せよとの、教師各位の忖度を期待するかの圧力が、校長からかけられるようになってきた。どうやら、かつて自衛隊への勧誘ポスター応募等で高校を競わせていたのと同じ手口で、今度はより直接的に軍隊への入隊数を高校で競わせて、それが校長職の評価と保身になってるらしい。学校ってのは企業と同じくやり方がえげつない。学力テストを頻繁に繰り返し、テストの点の低いものが自分は頭が悪いからと、根拠のない劣等感を抱くように仕向けていく。それでそれを逆手にとって、お前でもお国に大きく貢献できる道があると、軍隊に自主的に志願させる作戦なのだ。あるいは貧しい家庭の生徒にはその足元を見て、進学して親に迷惑かける気かと。大学出て就職したって右も左もブラック企業、どうせ一生派遣労働。国防軍は公務員だし給料いいし資格も取れると、進路指導で誘導している。俺は自分の息のかかった教え子には戦場にはぜったいに行かせねえと決意して、国防軍への志願者はずっとゼロで通したから、ついには担任はずされて、三年進級も止められた。俺はあらたに一年生から反戦教育をやることにしたんだが、そしたら校長の古ダヌキ、教頭のメギツネといっしょになって、職員会議の真っ最中に、まるであの文化大革命人民裁判みたいにして、みんなで非難し罵倒する集会を、俺に対して仕掛けてきた。まわりの教師連中はみな校長らに忖度の、ゴマスリおもねりヒラメ野郎ときたもんだ。俺はついに言ってやったさ。

  “おう、もう化けちゃいられねえ。俺ァ、尻尾を脱いじまうぜ。どいつもこいつも尻腰のねえ、その長ぇ舌でベラシャラベラシャラしゃべりやがって、昨日までは調子をあわせた相ずりの尻押しもできねえわけだ。こちとらァ生まれが漁師で波の上、人となったる浜育ち、仁義の道も白浪の、浪にきらめく稲妻の、白刃で脅す人殺しに、教え子を戦地に送るとあったれば、背負って立てねぇその罪科、重さに耐えねぇ虎が石、ただ己の保身やカネ欲しさに、上目づかいのヒラメに徹するつもりなら、教壇の語りが騙りに化けちまう。たとえ塩噌に困ろうとも、教え子の戦場送りはご免こうむる。どなたもまっぴらご免なせえっ(8)”、てな。」

  アタカ先生、セリフを終えるや、廊下側の生徒たちが-だれかがいるよ-と合図する。ふと外を見やると白髪の影が、スッと隠れていなくなった。

「なぁるほど。この学校も、校長自ら隠密か。」

  アタカはここで教科書を、バシッと閉じて生徒たちを目覚めさせる。

「ではここからはアイスブレイク。少し楽しい話をしよう。そんなわけでこの俺は、久方ぶりにこの中学校へと戻ったのだが…、時に女生徒諸君、この学校に、時おり大きなヘビが出るという…。」

「エエーッ、コワイ~。」

ハリー・ポッターみたいよねえ。」

も怖ぇヘビじゃねえ。ツラは力んで総白髪、とんとミノスケによく似たヘビだあ!」

  クラス中、腹を抱えて大爆笑。ミノスケとは校長の名前である。

「そいつが時よりキャラを焚く。何のために焚くかと思えばそいつのヒゲにシラミがたかる。キャラはシラミの大禁物(9)。学習指導要領で教師をしばり、校則つくって生徒をしばり、己のタヌキのキンタマはフンドシでふんじまる。その保身には隙のねえ、首は太ぇが肝は細ぇな。このミノスケヘビ、人の授業の覗き見をするったぁ、何とキャラ臭ッえ執着の深えヘビだあ!」

  クラス中は爆笑につぐ爆笑で、成田屋音羽屋、高麗屋、おまけに松緑そっくりや、と掛け声さえ出る始末。こうしてこのカブキ者のアタカ先生、この管理統制教育のなか、やっと本当のことを教えてくれる人が来たと、生徒たちに受け入れられたようである。

 

  しかしその日の終業時のホームルームに、担任となるはずのこの先生はあらわれず、呼ばれもしない教頭が来て、ただ事務的に訓示をたれて帰っただけ。テツオら4人はもしやと思い、職員室に急行すると、職員室にはただひとりアタカだけが、腕を組み、ゲタ履きのまま足を組んで、何もない机を前に憮然として座っている。

「先生! 僕たち待ってたのに…。どうしてホームルームに来なかったんですか?」

  するとアタカは、自分の首にサッと手をあて、そのままスッと横へと引いた。

「先生、また首実検ですか?」

「ちがうわい。解雇だ、カイコ!」

「えーっ! センセー、そりゃまたいったい、どういうことよ?」

  アタカ自身の話によれば、彼はここでも職員会議で糾弾の雨あられにあったという。

「白髪でシラミの校長がのたまうにはだ、俺の新憲法の授業はだな、その第百二条、憲法尊重擁護義務-全て国民はこの憲法を尊重しなければならない-に違反するというものだ。だから俺はもう解雇だ。君たちとはわずか一日、これが最初にして最後の授業さ。一日授業の給金も伊達の無尽の掛け捨て。こうして見えてもこの俺は、見かけは小さぇ野郎だが肝が大っきい。遠くは教育委員会の炭焼きババアに歯かけっジジイ、近くは学年主任の梅干ババアに至るまで、相手が増えれば龍に水、金龍殿の客殿から目黒の尊像に至るまでご存知の、憲法話の喧嘩沙汰ではついに引けをとったことがねえ男だ(9)。慮外ながら今さらながら、自分の意思に反してまで他の学校に行く気もねえし、首実検でクビともなれば、これで俺の教員人生すんなり終わり。あとは気楽に釣りでもしようか。」

  4人は思わず互いに見合って、その顔をほころばせた。ヨシノが言う。

「センセー。先生さっき、生まれは漁師で波の上、なぁんて言ってましたけど、父ちゃん、後継者を探しているし、ついでにあたしたちの島の先生、やってみません?」

 

  そんな訳でこの先生、4人といっしょにタカノの事務所にやって来た。そして4人はまた改めて、自分たちが思う所のあれえざれえを、このアタカに話したのだ。

「委細承り候。君らの言い分よくわかった。この国の国民はあの大戦でも原発事故でも変わらなかった永遠の12歳だ(10)。たとえこの先プルトニウムが24000年の半減期を遂げたとしても、やはり永遠に12歳のままだろう。君たちは今この12歳から独立して、独立してないこの国とこの国民から、自分たちこそ独立しようとするのだろう。」

「先生、一つ質問ですが、あの敗戦後、不戦と平和を誓ったはずの旧憲法が、どうしていとも簡単に戦争できる憲法へと変わってしまったのでしょうか?」

  アタカはここで、ヒゲッ面をしごきながら答えはじめる。

「そりゃあな、この俺が思うにはだ。まず原発事故が原因なのだが、この事故がバラしたのは、五重の層の安全神話のウソのみならず、五重のウソにおおわれたこの国の先進国、経済大国の偽善と欺瞞の正体なのだ。敗戦で悔い改めたといいながら、朝鮮戦争ベトナム戦争、他国の犠牲で高度成長カネ儲け。種子島のロケットがミサイルの準備なら、核武装プルトニウムの器でもある原子炉の格納容器の釜の中の死の灰までもすっかりバレたものだから、もう化けちゃいられねえ、うまくはまった狂言もこう見出されちゃ訳はねえと、その推進勢力経済界=原子力ムラ・安保ムラは、もはや隠れ蓑に隠れたる遠慮さえもいらねえと、今や戦後の70余年、お友達の慈民党を尻押しして、敗戦より虎視眈々と狙っていた戦争できる国づくりを、あのナチスと同じく選挙という合法手段でやってのけ、死の商人の大願成就となったのさ。

  また、旧憲法それ自身にも問題があったと思う。旧憲法は民主主義憲法とはいうものの、それは戦勝国アメリカのこの国の属国化のため安保条約とワンセットのものだった。だからいくら九条で戦争を放棄しても、占領軍=在日米軍の居座りを安保条約・地位協定で合法化し合理化しており、その一方で自衛隊は、安保と日米同盟の名の下で着々と増強され、英仏独とあい並ぶすでに立派な国防軍だったてぇわけだ。英仏は核保有国だが、この国も原発と再処理工場、もんじゅ高速増殖炉の三点セットで、事実上の核保有はできたってぇわけだ。てぇことはだな、戦争放棄も核反対も本気の人もいたけれど、相当多数はウソだったてぇことよ。」

  アタカはここで茶をすすりつつ、ため息はいて語りつづける。

「要はだな、習いも伝授もマネしだいってことなのよ。かつては西欧の植民地帝国主義のマネをして、弱者イジメのアイヌや台湾、朝鮮支配で満足できず、歴史的に勝てるはずない中国に攻め込んでおきながら、案の定いき詰ったものだから、人マネ小猿の自己欺瞞がゴマかせず、さらにウソはランクアップ、ルーズベルトの仕掛けたワナにまんまとはまり、今度はもっと勝てるはずないアメリカと戦争して、人マネ帝国主義は見るも惨めな敗戦に終わったのさ。しかしこの国民は、日清日露の辛勝で思い上がって外国を蔑んでは驕り高ぶり、それが因で滅亡の瀬戸際まできたというのに、反省すべきを反省せず、勝者のお裁き東京裁判をいいことに、全部を軍部のせいにして、自分たちはただダマされたので悪くはないと、今度は天皇よりも権威と権力とに満ちたアメリカの子分におさまり、また器用なマネ芸発揮して、今度は人マネ民主主義に鞍替えしたっていうわけさ。昨日までは鬼畜鬼畜といいながら、浮き川竹の身のならい、昨日にまさる今日の花と、ここやかしこの占領先で小耳に聞いたアメリカの似ぬ声語りで個人主義やら民主主義、名せえゆかりの永遠の12歳ったぁ誰のことだ? その一方で沖縄を踏みつけにして、安保条約をテコの原理に原子力の平和利用を引き出して、これもまた人マネ再処理核武装と来たのだろうが、結局いずれも自分のものにはできなかったというわけなのさ。古くは中華のマネにはじまり、近くは英米のマネにおさまり、何事も自分の頭で考えず、ただその時のブームに乗って強きにしたがい弱きをいじめ、あとは己の保身と忖度を第一に、いつもまわりと同じことをしてさえすれば安心だって奴隷のような根性で、カネがほしさに騙りでことを先送りにし続けてきたその結果が、超1000兆円の借金と、狭い国土に何千里とやら核やらその他の廃棄物が所ぜましと積み重なり、悪事千里というからはどうで終えは星の果てというわけだ。」

  アタカはお茶をグイと飲みほし、湯のみをコトリと机に置いた。

  そしてタカノが、穏やかで落ち着いた面持ちを保ちながら話をつないだ。

「全ては戦争に因果がある。そして戦争は終わっておらず、形を変えて今もずっと続いている。原発が原爆の延長線上にあるように、毒ガスは農薬や殺虫剤に、アンモニア合成で生まれる火薬は化学肥料に、軍用車は大衆車に、軍需基地はコンビナートに、そのようにして戦場の大量破壊や殺戮は、環境破壊に姿を変えて高度成長を生き延びた。だから戦争と経済とは、実は車の両輪なのだ。

  結局、世界は資本の奴隷といえる。資本は多国籍企業から中小零細企業に至るまで様々にあらわれるが、それに隷従しているのは従業員と消費者だ。彼らは同時に有権者だが、すでに相当多数が雇用を通して隷従するので、小選挙区で一定数さえ確保できれば選挙結果も経済界の思いのままだ。むしろ民主主義というものは資本の支配に都合がいい。なぜならば、契約の自由、資本の移動と労働力の移動の自由が、民主主義なら憲法で保障されてくるからだ。憲法に書かれたところで社員、従業員、労働者に何も自由がないことはサラリーマンなら誰だってわかるだろう。むしろ本当は民主国家そのものが、企業が国家を媒介させて国民を隷従させる装置なのだ。国民には二大政党、政権交代さえすれば、選挙で変えることができると、さもありそうな期待感だけしゃぶらせて、時おり選挙というお祭り騒ぎでガス抜きさえさせておけば、革命も起こりはしないし、あとはグルメとスポーツというパンとサーカス、これで日常的に躍らせれば、半永久的に奴隷化できるというものだ。

  しかし君たちは、皆が集団化して歩いていくこの隷従の道(11)から独立して、ただ己一人を灯明として、これからは自分たちの道こそを歩んでいくことになる。」

  そしてタカノは4人とともに、期待を込めた眼差しでアタカを見やる。

「ち、ちょっと待ってくれよう。タカノさんは行政書士だし年金受給のご身分だが、俺は受給の70歳まであと20年もあるんだぜ。君たちのいう島の学校てぇのはよ、いくら俺の好きにやってよくても、基本的に自給自足の無給だろ。これじゃぁまるで俊寛みてえだ。」

「先生、この際もう一度、漁師に戻って兼業したらどうですか? 父ちゃんは後継者を探しているし、男手がいた方があたしも生活楽になるし。」

「先生。先生は推察するに、古文と歴史と社会には詳しいから文系ですよね。では理系はいったい、誰が担当されるのでしょうか?」

  するとアタカは剣道着の藍の袴をポンと打ち、即在に答える。

「理系? そうだ、理系は俺の女房にやらせよう。だから俺が君らの校長で、女房が君らの担任だ。」

  こうしてタカノが言うところの、子どもたちの革命と独立を補佐するための7人の士(12)は、これでそろったようである。

 

 

第五章 嘉南の島

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  さてそれから夏休みとなり、タカノと4人は移住の準備と島の主たるオジイとオバアに挨拶のため、嘉南の島に向かっていく。嘉南岳という山を頂く嘉南島は、すでに県南の漁港のむかえに見えるのだが、漁港から島へと向かった一艘の釣り船が、波間に一路の渡航線を白く先へとつけながら進んでいくのが、あたかも海を二つに分けていくかに見える。

  4人が船に乗ろうとした時、一本の大きな虹が、ちょうど嘉南岳をその半円内におさめるように、島に大きくかかっているのが目に入る。空は真夏の青空で、雨もないのに虹がさすのは不思議だが、大人たちは誰ひとりそれに気づいていないらしい。

  オジイとオバアの古民家は、島のほぼ真ん中にある嘉南岳の麓にあって、その後ろには山を前に静かな森がたたずんでいるのだが、百姓姿のオジイとオバアは曾孫みたいな4人を前に、こんな所に若い子達が来てくれるのは有難いと、大いに歓迎した様子。お茶やお菓子と振るまいながら、やがてみんなが落ち着き出すと、伽羅の香炉を焚きはじめる。伽羅の煙が部屋に満ち、香りが立ち込め出したころ、伽羅の昇りに誘われて、4人が意識をゆだねていたところ、ふと気がつけば彼らは広間に座っていた。そこは総板張りの床、樹木がただ茂ったような壁に囲まれ、屋根は煙でよく見えないが天井の丸く開いた窓からはうっすらと光が差し込み、その光が広間のすべての空間をとてもやさしく包んでいる。

「この島に君らが来るのはわかっていた。青空に雲をわかし、海と山に虹の弓をあらわしたのは、君らを迎えるためである。」

  見れば、オジイとオバアは白装束に正座姿で、少しはなれた壇上から4人に向かって話しかける。

「君らが今座っている周辺をよく見渡しておきなさい。その空間が、君たち人が一人ひとり年々食べていくのに充分な糧を生み出す土地の広さだ。」

  見れば4人もお互いに、離れて正座しているのに気づく。その広さは狭くもなくさして離れてもいない。互いの顔もよく見える。

「この広さをよく覚えておくことだ。この土地で、人はに汗して糧を得て、ついにはもとの土へと帰る。この法をこえなければ、人は本来争わず、自然の恵みはその生存を保障する。それでも人が争うのは、己の分をわきまえず、他人を貪るからである。人は本来何も生み出すことはない。自然の恵みがあればこそ人は生きていられるのだ。だから自然の恵みというものは全て分かち合わねばならず、決して他人を貪ってはならないのだ。これが君たちとの契約だ(1)。」

「本来いっさいの争いも戦争も不要なのだ。オレたちは蝦夷地の侵攻、琉球処分、日韓、日清、日露このかた、日中から日米、そして経済成長と姿を変えた全ての戦争・争いごとを知っている。そして今や放射能死の灰までが降ってきた。君たち世代の苦悩と苦痛は察するに余りある。君たちは人の子で、その行く末に長く希望が見えてこない初の世代かもしれぬ。」

「おじいさん、おばあさん、あなた方は本当はいったい誰なのですか? ひょっとして死なない人?」

  オジイとオバアは、微笑みながらも言葉をつづける。

「かつて人は長生きだった。アダムは930歳まで生きて、ノアは600歳で洪水にあったという。オレたちは君らにこうして会えるのを、今日この日まで待っていたのだ。」

「人があい争うのは、人に“執着”があるからだ。この執着が人をして“私”という牢獄と“他人”という貪り先をつねにもたらし、人は欲という毒にまみれた奴隷のごとき一生を無為に送る。君たちの年齢がこの“私”がまだ固まらないギリギリの線なのだ。そしてこの“私”は実は存在しない。それに対して真の“わたし”は実在し、永遠に死ぬこともない。霊と肉体は別ではなく、空間と物質も別ではない。色即是空、空即是色というではないか。」

  天からの光の波と伽羅の香りがやわらかく混じりあい、4人はまたうっとりしてくる。やがてオバアはニッコリ笑ってこう告げる。

 

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「ところでユリコ。この島は代々島の女だけでノロという神官を立て、神をまつり、島の祭祀を守ってきた。お前たちがこの島に住むからには、お前たち自身の中から当代のノロを立てねばならない。お前は霊媒師の孫娘と聞いているが、この島に住む間、しばらくノロを預からないか。」

  ユリコが予見していたようにゆっくりとうなずくと、オバアはその微笑んでいた目を一瞬強く輝かせ、ユリコはその反動か、ドウッと後ろにつんのめった。

「アララ、ご免ご免。まだ少しキツいと見える。これがオレからお前への贈り物だ。大丈夫、お前の父と姉さんが、いつもお前を見守ってくれているから。」

「どうして死産した姉のことを…。家族だけしか知らないのに…。あなたはもしや、最後のノロ…。」

  そしてオジイとオバアはこう続けた。

「君たちは今日一日のことを一度忘れる。しかしこれらのことは石の板に刻むがごとく、君らの心に留め置かれて、時おり思い出されるだろう。今日君たちに見せたように、あの虹がこれから永きに渡って結ばれる君たちとの契約の証である。地の上に雲がわき、その中に虹の弓があらわれる時、君たちはこの契約を思い起こすがよいだろう。」

  オジイとオバアがそう言い終わると、伽羅の煙は昇りつめ、天井の丸窓から光とともに消えてしまった。気がつけば、広間はもとの古民家の居間へと戻り、オジイとオバアも百姓に戻っていた。

 

  さて夏休みで準備は整い、予定通り二学期より、4人はこの嘉南の島に開設された彼らの革命と独立のためのフリースクールへと転校した。タカノは、これからも継続する放射線被ばくによる特に子どもの健康被害に幅広く対応するため、この活動をNPO法人化し、理事長にはタカノがついて、学校長にはアタカがついた。

  4人が新たに移住するこの嘉南島は、島のほぼ中央に嘉南岳という山をいただき、そこから裾が広がるように丘陵地が続いている。島の周囲はほぼ円形で絶壁に囲まれてはいるものの、県南の漁港を望む海に面した所は浜で、島唯一の船着場が置かれている。この浜の名を納瑠卍(のるまんじ)の浜といい、かつて隠れキリシタンが流れ着いたとの伝説がある。その伝説の証としてか浜を上がった片側には小さな教会が建っていて、その向かいのもう片側には、かつての島の小学校、木造平屋の旧校舎が残っている。この建物の後ろには防風林が細く連なり、それを抜けると丘陵地が広がって、以前はオジイとオバアの親族たちが住んでいたが、今はそれが空き家と耕作放棄地となって点在している。オジイとオバアの古民家はその山の手にあり、森をはさんだその後ろには嘉南岳の姿が見える。この森の中には聖なる泉があるといわれ、その泉を源とする小川が丘陵地を左右に分けて浜まで下り、水を供給するとともに、聖水を海へとそのまま流している。

  4人に続いて汚染地から逃れてくる難民に対応するため、この木造校舎を寮として改装し、タカノ夫妻を住み込みの寮母として、まずはテツオの個室を割り当てた。キンゴとヨシノは実家に住むまま、島の学校・生活は通いとし、その往来は漁師であるヨシノのパパが受け持った。アタカ夫妻とミセス・シンのご家族は、オジイとオバアが子孫のために建ててやったが誰も島には帰らずに空き家となった民家にそのまま入ってもらい、ユリコはノロの修行のためオバアの家に住み込みとした。これらの改修費用などは、大企業脱サラのタカノの年金、また開業医であるキンゴのパパの寄付をあて、あとはひたすらアタカやヨシノのパパ、また4人の革命独立に賛同する漁師仲間の実労働でまかなうことにしたのである。NPO法人だからといって安直な寄付金だよりは、独立の妨げになると同時に、おかしなヒモつきカネつきの敵か見方か得体の知れない人脈をよんでくるから受け付けない-これが理事長タカノの方針だった。

  このように島民の衣食住の衣と住とは定まったようなのだが、食についてはヨシノたちの海の幸と、当面はオジイとオバアのおすそ分けによる他は、島の耕作放棄地より額に汗して得る他はなく、その主たる労働力は、もうじき後期高齢者となるタカノと、東北育ちで西の暑さに極めて弱いキンゴとに頼るわけにもいかないので、いきおいテツオが背負うことになったのである。

 

  今日もテツオは耕作放棄地を前にして、一人ポツンと立っている。ここは嘉南岳を背に、広がる海を目前にして、青空の下、空の雲と海の波間の白さが互いに行き来しあっているのが見える。吹き上げられる海風が肌に通っていく様子が心地よい。テツオの手元足元には、スコップ、ヒラグワ、ノコギリガマの、百姓基本三点セットがあるだけだ。彼らの革命独立は、まずエネルギーに頼らない。

「テツオ、君らは恵まれている。ここには土地も水も陽の光もある。あとは少々、人の力が加わればよいのだから…。」

  麦藁帽子に藍の作務衣姿のタカノが、ただずっと前の海を見つめながらつぶやいている。いきなり全部を田畑にするのは無理だからと、テツオは最も農薬の影響のなさそうな、17年間人の手が入っていない8畝=800㎡の果樹が残った放棄地を、まずは畑にすることにした。

  しかし、この8畝の土地は見るからに草ボウボウで、その大半はセンダン草-この地方の方言でヌスットという-に文字通り占拠され、これをノコギリガマで刈り取ることがまず第一歩。このヌスット、猛々しくも根っこばかりか茎からもまた根を出して地に張り付いているものだから、刈り取るばかりか掴んで寄せては引っこ抜くを繰り返さねばどうにもならない。しかもその小さな花にはハチが群がり、花のあとは放射状のトゲの実となり、手袋はめても突き抜け刺さってくるものだから、まさに“イバラとアザミに悩まされ”を地で行くような作業である。

  それでもようやくヌスットたち雑草を取り払い、いよいよタネをまくために、ここでやっと百姓らしく畝たての作業に入る。畝の溝はスコップで土を切っては掘り返し、その土を積み上げて両足で踏み固めては畝とするが、しかしそのスコップが簡単に土に入らず、根だの石だのに遮られ、いちいち掘っては捨てながらの労苦となれば、農というより土木である。こうしてテツオの一日は、立っては屈み掘っては捨ての、まるでシャクトリ虫みたいな運動で終わっていった。

 

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  農地が開墾中なので、ヨシノたちがとってくる魚以外の食材は、当面オジイとオバアの援助を受けて、みんなで食事をする時はミセス・シンが栄養士として作ってくれる。このミセス・シン、顔つきは東アジア系なのだが、英中韓日と四ヶ国語が解せるらしく、今や世界が多国籍企業に乗っ取られていることに対抗して、自らは多国籍人として国境にしばられない生き方を、ミュージシャンの夫であるブルーノ氏と共々に標榜している。この夫婦の2人の娘はハーフであり、それもあってか母親のミセス・シンが、給食の食材の放射能Bq検査をいくら要求してみても、全く相手にされないのに嫌気がさして、この島に合流したとのことだった。

「つッーか、権力の本質っていうのはさ、本ッ当に暴力だよねえ!」

  世界のあちこちを見てまわり、サバイバルの経験もあるミセス・シン。日焼けした丸顔に小さなメガネを鼻にのせ、食事の後に一席ぶちだす。

「こうしてさ、機動隊に引っ張り出される頃合にさ、痛いイタイッて大声で叫んでおいて連中をこわばらせて、彼らが私を抱え込むや、いきなりダラ~っと思いッきり脱力するのォ。そしたらおばさんだから重いでしょオ! ただ排除されては面白くないからさ、これで奴らの腰を痛めてやろうと…。だいたいあの機動隊ってのは何様なのよ。私たちの子どものような年のクセして、私たちの税金で住民守らず核を漏らす電力会社や米軍守り、私たち国民には暴力を振るうのだから!」

  そういうタカノ夫人は、経産省前テント広場や各地の原発ゲート前、辺野古キャンプシュワブゲート前など、旅行やグルメや買い物ばかりに興じている同年代にあきれながらも、自分一人で年金元手に各地各種の座り込みへと行くという。

「省庁の地方移転というのなら、霞ヶ関も永田町も国策の責任とって、みんな福島に移ればいいと思いますよ。彼らが避難解除するのだから、自分たちで20mSvの所で暮らして、100Bqまで毎日食べて、8000Bqのゴミ処理場の近くに住んで、それで本当に自分のその身で安全を立証してから、住民の帰還を促せばいいんじゃないかと思いますけど。」

  こういうアタカの女房は理系なのか、数値がらみのつっこみ所ははずさないようである。

  この3人の女たち、共通の趣味が喫茶というだけで、島で知り合いそのまますぐに意気投合。ミセス・シンはアフリカのコーヒー事情に詳しいらしく、タカノ夫人はゲート前より喫茶店の座り込みの方が長く、アタカ女房はよんどころなく鎌倉の、有名喫茶の常連だったということだ。

 

  畝たてがそこそこ進んで、テツオはいよいよ種降ろしへと入っていく。秋冬野菜の播種時期は9~10月がピークなので、本来は長く収穫を得るためには時間差でまくのがよいのだろうが、テツオにはまだその感覚がなく、畝ができるが早いか一斉にまいてしまった。

「まあそれは、経験によるしかないな。四季の移ろいにあわせながら、その折々の旬のものをいかに切らさず植え収穫していくかは、何年も経験して体で覚えるしかないんだよ。」

  タカノはテツオの畑をしげしげと眺めては言う。タカノの農の指導とは、エネルギーに頼らないという他は、農薬も化学肥料も使わない。要は、人も含めて一切は自然の力だけでせよ-ということらしい。タカノは農の教えとして、常々テツオにこう語る。

々畑を観察して答えは畑に聞くがよい。草ある土地には作物は必ずできる。作物は最初から育とうとする性質と姿勢とを持っている(2)。人間がしていることはそれを自分の都合にあわせようとすることだけだ。作物が自ら生えて育つのであり、人が働いているのではない。人はただ自然を盗んで貪り取っているだけだ。」

  タカノの他にはミセス・シンもテツオの畑によく来てくれる。いつも着ているアフリカの民族衣装が陽に映える。

「テツオ、無農薬野菜ってのはね、農薬野菜に比べると大きさや形こそショボイのかもしれないけれど、味も風味も密度も濃くて、それらがボヤケた農薬野菜に勝るのよ。」

「シンさん、こんなので本当に自給自足って、できるのでしょうか?」

「できるわよオ。何いってるの。だけど自給自足というのはね、コツがあるのよ。要は料理の方から見て、ベースになる野菜は何かと考えながら、それが保存がきくものか、保存ができねば時間差で植えることで長期収穫できるものかを考えて、農には脳を使いながらやればいいのよ。」

  さすがサバイバルのミセス・シンの言うことには、妙に説得力がある。

「たとえばパスタを見てご覧なさい。パスタのためにはまずはコムギを作ればいい。何でコムギかというと、コメをやるより簡単だから。畑は案外借りられても田圃はなかなか借りられないし、また借りたとしても水が充分出なかったりする。コムギだったら畑でできるし、水の管理も不要だし、何かにつけて手間いらずよ。コムギの次は塩とオリーブ、あるいは卵を買うといっても大量ではない。この島だったらオリーブの樹も植えれるし、ニワトリだって飼えるわよ。

  次にソースはどうかというと、トマトさえ切らさなければ他の野菜は、イモやマメ、根菜、葉ものと何だって、茹でたり蒸したり炒めたりのバリエーションで使えるわけさ。トマトは大玉中玉よりかはミニトマトを苗を買って育てればより確実だし、ドライトマトにして保存する方法もある。トマトは赤くてきれいだし、酸味と甘みとジュウシイさと、うまいの全部そろっているし、とにかく生命力が強いから、いくらでも増殖して育て甲斐があるのよねえ。あとニンニクとトウガラシも好みによってはいるけれど、これも大量ではないから買うか少し作ればいいし、ニンニクがわりにタマネギだって結構いけるよ。それにパスタは和食のように一汁三菜みたいなこと言わないから、献立を考える手間はぶけるし、ワンプレートで完結するから、一つ作れば格好つくよ。」

  テツオもおおいに頷いている。

「そう考えると狭い土地しかない場合、優先したいこれらの野菜をこのパスタプランで見てみると、トマト以外はたとえばジャガイモ、保存もきくし年2回できるから。そしてサツマイモ、5~6月にツルを植えれば後は放ったらかしたまま、11月に掘ればいい。サツマイモでも一冬もつよ。それからあとはタマネギ、ニンジン、ラディッシュ含めカブやダイコン、ホウレンソウにルッコラなんかがいいんじゃないの。パスタにルッコラ乗っけたら、味も風味もグンとあがるよ。みんなここなら年2回も収穫できるし、間引きのうちから食べれるしさ。しかもこの野菜たち、トマト、ジャガイモ、サツマイモ、タマネギ、ニンジン、カブやダイコン、あとホウレンソウは、順にナス、ヒルガオ、ユリ、セリ、アブラナアカザ科ときているから、連作の管理もしやすくなるっていうわけさ。

  この7種類の野菜たち、10本ほどの畝を使うとした場合、幅60cm×長さ400cmの畝の場合で、畝の通路を考慮に入れても50㎡の土地さえあれば、立派な家庭菜園が成り立つってことなのよ。」

  ミセス・シンの熱弁はまだまだ続く。

「あとアタシのこのパスタプラン、エネルギー効率だっていいんだから。パスタ茹でるのって沸騰させてせいぜい9分。コメを焚くよりはるかに早いし、またパスタといっしょに野菜も茹でて、茹で汁も再利用してしまえば、ガスもお水も節約できるよ。コメみたいにとぎ汁を捨てなくてもいいんだし。」

「ち、ちょっとシンさん、待って下さい。学校でも聞けないような貴重なお話。部屋に帰ってノートを持って来ますから。」

「こんなのいつでも教えたげるよ。だいたいこれはタカノさんに、教えたげたことなんだから。」

「えっ、タカノさんに、何でまた?」

「タカノさんはね、大企業の社員の時に、この国がアメリカのイラク侵略に加担したのを目の当たりに、自分も侵略戦争の元凶たる死の商人多国籍企業に大企業、原子力ムラ、安保ムラの一員たるのを恥として、この経済国家の大企業のブランドとプライド捨てて、いきなり脱サラしちゃったのさ。そういう一種おバカなところに皆あの人にほれるんだけど、彼が言うには、世界が石油を安く貪り続けるために戦争が作られる-それは第一次大戦オスマン・トルコが解体されたその時から欧米の植民地列強の一貫した戦略で、戦争は私たちのエネルギーを貪っている生活こそに因があると-彼はエネルギーに頼らない生活をするために脱サラを遂げたのよ。最初のうちは自宅の庭しか土地がないって苦労して、アタシはその頃マクロビのレストランをやってたからさ、よく来てくれた彼に対してこのパスタプランの十八番を、教えたげたってわけなのよ。」

 

  ミセス・シンの影響で、テツオはこの8畝の畑をまた開墾して、コムギを時間差でまくことにした。これで人類史上、長らく主食を支えてきたコムギを早くも自給できるのかもと、夢はふくらむばかりである。再びヌスットらを四苦八苦して刈り取って、何とか玄麦を手に入れて、点まき条まきいろいろ変えて、何とか時期は間に合った。発芽までの不安というのはいつもの通り、先にまいた所からツンツンと勢いよく緑の葉が垂直に出揃ったのを喜んだのも束の間か、あとの所はみな一斉にトリにやられて、点まきにした所は一箇所残らずことごとくほじくり返され穴だらけ、見るも無残な有様である。

  テツオはさすがにがっかりして、それを見るなり畑の淵に座り込んだ。彼はトリにほじられ散らされた、コムギの粒の残骸をじっと見つめた。コムギは今や白い根を宙にむき出し、自ら生きようとしたその矢先に、トリにちぎられあちこちに切れ切れになったまま、捨てられてしまったのだ。ちくしょう、せっかくまいたのに…。こんな惨めな気持ちになるなんて…。

 

  やがてテツオの脳裏には、原発事故で故郷を追われた、心の底に自分で鎮めたあの記憶が、むざむざとよみがえってきたのだった。

  …3.11、俺はあの時、東京のある本屋で立ち読みをしていたんだ。突然大きな地震があって、俺のいた6階は紙細工のビルのように揺れに揺れた。このままぶっ倒れて終わるのかと自分でカウントダウンをする気になるほど、意外にも人間は、死の間際には冷静になれるもんだ。そして外に出てみたら、そこいらのオフィスビルから黄色っぽいヘルメットと白い軍手をしたスーツ姿のサラリーマンが、小ぎれいに整列しては上司の点呼を待っている。まだビルの揺れもおさまらず、ガラスの落下や倒壊の恐れもあるというのに、何であんたら逃げねえんだ、今さら何で上司の指示を待ってんだって、俺はこの国の国民はどこまで奴隷根性かと思ったぜ。鉄道はサッサと終わり、バスやタクシーももう止まってくれねえから、歩いて歩いて歩き続けてようやく秋葉原までたどり着いた。駅の真上に大きなテレビ画面があって、今まさに東北の村々が津波に押し流されていこうとするのが映ってたよな。そこにいた人たちは、それを見るなり“アーッ”て一声上げたっきりで、あとは押し黙ってしまったよ。鉄道は復旧しないし、まだ寒い3月の夜の中、とりあえず家の方角に向かって歩くほかなかった。ケータイは通じないし、母も家も無事なのかもわかりもしない。まわりも人、人、人の人だらけだ。えらく長く幅の広い人間の行列が出来上がった。歩道から車道に溢れ、もはや信号をも無視をして、誰もが闇の中をただ黙々と歩いている。俺は彼らの中にいて、まわりから生気というのを感じなかった。不気味なほどに無口にして無表情、そして無感覚な人間の群れ。まるで映画で見たような、何万人もの捕虜、敗残兵。ただ隷従の道に乗った奴隷の行軍。それが点滅する自動車の赤いテールライトに吸い寄せられていくように、ただ自動的に進んでいく。彼らは毎日この東京で働くフリして、本当はいったい何をやっていたのだろうって、思いもした。思えばこれが、この時すでに危機的だった人という種の、終わりの始まりだったのかも…。それでも荒川を渡ってから、ようやく動いているバスとタクシーを乗り継いで、やっとのことで帰りついたら、幸いにも母も家も無事だった。

  しかし今までの天災とは異なって、今度はこれでは終わらなかった。西の原発にいた親父から、東はもう危ないから今すぐ西へ脱出しろッて。シーベルトが倍以上になっているって連絡が来て、とりあえず母の実家に避難はしたが、親父はこのまま西へ移住しろって言ってきて、母は実家の父といっしょになってイヤだという。国が安全と言っているのに自分さえ助かればいいの?なんてさ…。俺は放射能への危機感がなく、かといって自分で調べようともしない母に対して、子である俺も自分自身も守れない母に対して、心底ダメだと思ったね。結局その後、親父は俺だけ無理やり西へと移住・転校させ、これが因で親父と母はまもなく離婚。親父とはしばらく一緒に暮らしたのも束の間か、再稼動が始まって、親父も再び原発へと戻っていった。そしてそれからはずっと一人さ。まあ、幼児の頃から一人暮らしは、慣れてるけどな…。転校先ではセシウムが伝染ってくるとバカにされ、それで頭にきた俺は、“お前らクソバカ国民が、この国であいも変わらずバカッ面を引っさげながら日々三度のメシを貪れるのは、俺の親父みてえな原発で被ばくしながら働いている労働者のおかげだろッ!”って言ってやったら、それっきり誰も俺には近寄らないってことらしい。

  そしたらある日、目の前に女の子があらわれて、“あなた、この前、かっこよかった! いっしょにシバキに行きましょう”って、きれいな大きな眼をして言うんで、“シバクって、俺は暴力嫌いだよ”って答えたら、彼女笑って“お茶シバクって、関西では喫茶するって意味なのよ。私はユリコ。あなたに友達紹介するわ”と言うものだから、ついて行ったらそこにヨシノとキンゴがいたってわけさ…。

 

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  テツオは畑の片隅で、両膝を抱えたまま一人でじっと座っている。海風が丘陵を上がってきて、彼の頬をやさしくなでる。

  テツオは目を落とした眼差しのその先に、一本のムギが生え残っているのを見つけた。それは種まきの際、最後の方で面倒になり、雑に畝から落としたこぼれ種から出たムギだった。いわば見捨てたようなこのムギが、今やたった一本生き残り、大地にしっかり白い根を張り、剣のような緑の葉を天に向かって突きたてている。この一本のムギの葉は、テツオの両目にその身を映し、彼が流した大きな涙の一滴をその全身に受け止めている。そして彼はこの時、自分が今まで、いかに食べ物を粗末にしてきたかを知ったのである。

  ちくしょう! ちくしょう! ちくしょう!

  テツオは心の中で慟哭し、ひざまづいて、何度も何度も拳で地を打ち、土と草を握りしめる。

  -あの3.11の直後、原発が爆発したその日から、直ちに健康に影響はないだの、飲ませるはずのヨウ素剤を配らないだの、スピーディーを隠すだの、100mSvまで安心安全だの、核が降りしきるなか子どもはどんどん外で遊んでいいだの…。俺はあの時、確かに殺されそうになったんだ。地震にじゃないよ。核にだよ。いやもっと正確に言うのなら“人”にだよ。しかし、俺はこうして生きている。まるで目の前のこの一本のムギのように…。だから俺はまだ生きる、いや、絶対に生きてやる!

  俺は決して忘れない(3)。核がまさに降っているにもかかわらず、マラソンが強行されて、足が痛いと倒れた子どもがいたことも。鼻血のことを書いたマンガがよってたかってのバッシングの末、一滴の血も出なかったかのようにされ押しつぶされていったことも。心筋梗塞白血病で俺と同世代の子どもたちが死んだことも。学校の給食がわざわざBq入りの食材で調理されるものだから、親が持たせた弁当を周囲を恐れて食べていた子供に対して、まわりの奴らが“自分だけ助かる気か、この非国民!”とイジメぬいていたことも。そして総じてこの国の国民が、原発事故も何事もなかったことにするように、全てをウソぶき、雨漏りする仮説住居の住民も、日々被ばくする原発の労働者も、20mSvを押し付けられている子どもたちも、意識の中から消し去って、電力の最大消費地トウキョウで、福島原発の電力を貪り食った張本人のあのトウキョウで、これ見よがしにオリンピックをやってやろうと、労働者をかき集め、何億円もの競技場を新設してはバブルに浮かれ興じたことも。そんなカネと労力とがあるのなら、子供たちの集団疎開も、仮説住居の改善も、被ばく労働の軽減だって何だってできたのに。世界第三位の経済大国であるこの国の国民は、総じて見て見ぬフリをしながら、何もかも見殺しにした。俺は決して決してこのことを忘れない!! 最後の一人になってまで忘れない!!-

  テツオの拳は血がにじみ、彼はその血のつく土を、両手で固く握りしめる。

  -独立してやる。国として独立してないこの国から、人として独立してないこの国民から、俺たちは独立して、必ず独りで立ってやる。ここはまだ小さな島にすぎないが、俺たちのこの革命と独立とで、生きることを蔑ろにされている子どもたちを救ってやりたい。みんなここに来るがいい。この畑に立つがいい。そして独立するがいい。何よりも人間の、ウソと擬制と偽善と欺瞞、そしてあらゆる奴隷根性から独立するのだ!-

 

  気がつくと、テツオの下の地面には、彼の打った血の痕跡が残っていた。-間の血、その生命の損失には、人間の責任を追及する。人の血を流すものは、人によって血を流される(4)-、彼は心の奥底から、こんな声を聞いた気がした。

  テツオは今やムギから離れ、畑を去った。テツオが去ったその後も、ムギはなおも海風に吹かれたまま、緑の葉先を揺らせていた。何事もなかったかのように…。

 

 

第六章 復活

  テツオがあらたに百姓として成長を始めたころ、移住してきた他の島民たちにもいくばくかの変化が起こった。4人の革命独立に共感を抱くほかは、ただ喫茶好きというだけで意気投合した、タカノ夫人とミセス・シン、そしてアタカ女房の例の女3人たちは、自らを“スリーシスターズ”と名乗り、特にこの島の料理長たるミセス・シンの強い主張で、木造校舎の一室を厨房と喫茶室にと、男どもに改装をさせたのだった。

  そればかりではない。木造校舎の向えにある、かつての隠れキリシタンの教会は、木造校舎が寮と事務所と喫茶室へと化したので、教会が学校の校舎を兼ね、また図書館も兼ねるようになったのだが、そこが授業が終わればほぼキンゴが独占する場になったのである。これはタカノとアタカが、寄付金を受けるかわりに本が欲しいと、少子化や予算減で廃止が続く図書館から多量の図書を寄付してもらった賜物なのだが、彼は西の暑さが辛いからと食料自給をテツオに預けるそのかわりに、自分はこの革命と独立を文字にすると、自分たちの革命理論と哲学を作るのだと、島では万巻の書物に向き合っては入り浸る、マルクスみたいな生活へと入っていったわけである。そればかりではない。自称ワグネリアンである彼は、実家でなかなかできないからと、自室にあったパソコン・ネット、またオーディオセットを教会へと持ち込んで、ここで大好きなワーグナーを大音響で鳴らしながら聞きながら、ネット発信し始めたものだから、その延々たる音響に恐れをなして、誰も彼がいる時には教会には入ってこなくなったのである。

「キンゴ、また今日もこんな大音響で。難聴なっても知らねえぞ。お前いっつもこれ聞いて、音楽といやぁギターしかやらねぇ俺さえ覚えちまったが、これっていったい何て曲だよ?」

  そんななか、テツオは農に疲れると、涼しい所で一休みと教会にやってくる。テツオは白の長袖のコットンシャツに、緑色の登山用ニッカボッカに黒長靴の百姓スタイル。対するキンゴは魯迅のような黒長の胡服のような服をまとって、教会の祭壇下のいつもの彼の特等席で執筆に向かっている。

「リヒァルト・ワァーグナーの楽劇『ラインの黄金』の最後の場面、大空に虹の橋があらわれて、そこを渡っていくシーンだよ。ライン川の岩肌にある黄金から作った指輪を手にしたものは、世界を手に入れる権力を有するが、その代償として愛を断念せねばならない。この物語が意味するところは実に示唆的だと思うんだよ。」

  キンゴは白くきれいなシルク肌に、耳まで被った艶のある黒い髪をゆらせつつ、テツオに語る。

「それはそうと、お前、ブログを始めたんだろ。題名、何ていうんだよ?」

「僕が書いてるブログはね、その名も『子ども革命独立国』だ。つまりこれは、僕らの革命・独立の日々の思いと活動を、広く世界に伝えるための理論とプロパガンダの書といえる。文章は僕が起草し、英文訳はシンさんが同時に発信してくれる。今はつれづれなるままの日記だが、僕はゆくゆくこれを小説として、同世代と次世代の子どもたちと若者、そして後世の人類に伝えようと思うんだ。」

  ワーグナーばかりを聞いて、マルクスみたいに本に埋もれてばかりいると、こんな大風呂敷を広げるものかとテツオは思うが、キンゴの方はテツオに何か言いたいらしい。

「テツオ、僕は暑さに弱いから、農作業は全て君にやってもらって、僕は本当に感謝している。それで僕は、僕たちの革命理論を構築中だが、君がいつか言っていた、人間一人が生きていくのに必要な耕作面積-リカード的にいうならば限界耕作面積とでもいうのかなぁ、僕はこれが知りたいんだよ。それとテツオ、野菜、ムギとその次には、コメをやってみたらと思うんだけど。」

「何、コメだ? この島じゃ用水はありはしないし、あるとすれば嘉南岳の麓の森の聖なる泉から流れてくるあの小川しか…」

「水田をやるためには水が足りないっていうんだろ。でもこれを見てよ。」

  とキンゴは、農業を理論的に援助しようと調べたのか、一枚の記事を見せる。

「…自然農法…。始終、潅水させなくてもコメはできる-そうかタカノさんが言っていたのはこれだったのか。よし、じゃあ、コメもやってやろう!」

 

  ムギを最後に年内の播種は終わり、島は最初の正月を静かに向かえた。皆は朝から浜に集まり、正装のオジイとオバアを先頭に、東からの日の出を拝み、昼は改修新たな木造校舎の喫茶室で、ミセス・シンを中心に皆で作った料理を持ちより、彼女の弾く三線による“かじゃあで風”を聞きながら正月の宴を祝う。宴もたけなわとなった頃、ヨシノはいつも一緒に船に乗る校長に気遣いしてか、今日はまだ出番のない彼のために一席作ってやろうとする。

「こうして無事にこの島で最初の正月祝えたのも、校長先生のおかげです。宴もたけなわのこの辺で、校長センセの寿新春プチ歌舞伎を、聞いてみたいと思いませんか?」

  ところがそんなヨシノの気遣いに、その女房が意外にも待ったをかける。

「いいえ皆さん、そんな気を使わないで下さいな。この人ったら教育委員会から解放されたのをいいことに、古文の授業を荒事、世話物、心中物で私物化しちゃって。中高生なら必須の源氏物語枕草子徒然草はどこへやら。」

  これで出番も出鼻も新年早々くじかれたと思ったのか、校長は悔しまぎれに言い返す。

「そんな王朝きどりの馴れ初めごとや坊主くずれの辛気くせえの、江戸っ子気質の男伊達の総本山のこの俺に、今さらできるかッてんだ。第一、うちの女房は言うことも固ければ理系だけに頭もカタイ。見るもの聞くもの幾何模様。モノはといえば剛体しか頭に浮かばず、N極やらS極やら二本ざしが怖くなくても焼き豆腐や田楽なんてヤワイものは食べもしねえ。やわらかかった脳みそもハチの巣みてぇに正六角形の穴だらけだ。自然科学の鉄石心を風呂敷かけて隠そうとも、理系女ならばなおのこと、加速度つけて転がり落ちる女心の赤坂ってぇもんよ。」

「先生、それじゃあんまり奥さんに失礼ですよ。それに先生、最近キンゴのパパの影響か、今のセリフもますます落語にはまってるしぃ。」

  女房はしかし、怖そうな顔をしながら怒るどころか、どうせ夫の引き出しはこれまでと、これ見よがしに哀れみの目を浮かべつつ、4人の生徒にこう伝える。

「この人はもうしょうがないのよ。あなた達には私が教えてあげますから、いつでも家にいらっしゃい。大学の通信課程で、私ももうすぐ国語系の免許が取れるし。今ね、家の前の放棄地をガーデン風のお花畑にアレンジしようとしてるのよ。玄関にハーブを植えてお迎えして、ミニトマトのアーチをくぐり、ラベンダーの花咲くレンガの古径をゆっくり歩いて、そこにアンティークのジョウロなんかが可愛く置かれて、ブルーベリーの紅葉をむかえるなんて素敵じゃない。ベンチに座ってハーブティーでもたしなみながら、シェイクスピアの朗読会というのもいいわね。」

「先生、それは素敵ですね。ぜひ実現しましょうよ。」

  しかし、ここで引き出しが開いたのか、アタカが話しに復帰する。

「へッ! イヤミな人だね女房は。油紙に火がついたのか、ペラペラペラペラカタカナ英語を奉ってよ。そういうのってイングリッシュガーデンっていうんだろ。女房はこの俺が、からっきし英語ができねえ、仇討ちだって、リベンジ、左団次、居残り佐平次、その内どれだかわからねえと思っているかもしれねえが、シェイクといっても飲めやしないシェイクスピア小咄(1)の一つや二つは知ってるさ。

  ハムのカツレツ-ハムレッツと、ケーキといえばレアチーズ、パスタといえばボローニアと、洋食屋のメニュウから出てきたような三人の色奴、花の色里吉原へとあらわれた。大門をぬっとくぐると、桜の下にはヘビも隠れるハーブが茂り、仲ノ町の両側にはトマトのような赤提灯、通りを行けば女郎のつけた白粉や、遊郭のベランダからのラベンダーがほのかに香り、三人の色奴たち、ひやかしついでに郭の露、濡れてみたさに来てみれば、初手から相違の愛想尽かし。そのくせ銭はしっかりと取られちまい、古径の古い水差しを、“アンチクショウ女郎!”とばかりに蹴飛ばした。」

「先生、話はそれからどうなるんです?」

「あなた達、ウチの人の言うことを信じちゃダメよ。この手の話は口からの出まかせだから。」

「実はハムレッツには許婚がいたのだが、彼にふられて尼寺に行けと言われたのを苦に、この吉原の苦界へと身を落としていたのである。それで自棄のやんぱちで他の男と心中をしようとしたのだが、男の方だけ入水して自分は死に切れずに生き残り、せめて男の回向はせねばと髪をスッポリ剃ったんだと。そしたら百年目の向島といわんばかりに、ここでばったりハム公と会ったという。」

「アナタッ。私そのサゲ知ってるわよ。“お前さんがあんまり客を釣ろうとするから、比丘(魚籠)にされたんだ”っていうんでしょ!」

  女房、勝ち取ったかのようにサゲを先に言ってやり、夫の噺のハイライト、フッと消してやろうとする。

  しかし、アタカは大きなため息。

「ハアア。女房、お前さんはだから女心の赤坂だっていうんだよ。そのサゲじゃ古いままだろ。今やこの噺のサゲは例えばこうだ。“あれ、オフィーリア。お前さん、本当に尼になったんだね!”」

 

  正月すぎて二月となった。一年で最も寒いこの時期に、テツオは百姓プランを立てている。彼は去年の10月に播種した100㎡の秋冬野菜の畑を見ながら、春から夏へと考えを巡らせている。すでにダイコン、カブ、ニンジンはなんとか実り、ルッコラはトウ立ちし始め、ホウレンソウは葉が黄ばんできている。彼はこの100㎡の畑からまず50㎡を切り出して、これから先も放射能やTPP等への懸念から、安全な野菜を自給したい人のために、誰もが参入できそうな小さな家庭菜園のモデルケースを示せたらと考えている。50㎡の広さがあれば、畝は幅60cm、長さ420cmの面積約2.5㎡で12本の畝を立てて計30㎡の畑ができる。畝を12本とした理由は、連作しにくいナス科やマメ科で畝3本を使っても、連作障害を考えて作付け期間を3年おきとできるためだ。テツオはミセス・シンのパスタプランの影響で、トマト、ジャガイモでまず3畝を考えた。トマトはミニトマトを中心とし、苗を買って時間差で定植すれば、6月からうまくいけば9月頃まで収穫が見込めるだろうし、ジャガイモは春秋と年2回収穫ができ、しかも保存が可能である。つぎにサツマイモに2畝をあて、5月に定植、11月に収穫して、冬場に備えることとする。そしてエダマメにも2畝をあて、これも早生、中生、晩生と時間差でずらしていけば長期収穫、そしてダイズとしての味噌作りにもつなげられる。ここまでで7畝が決まり、残りの5畝はダイコン、カブ、ニンジンなどを入れておき、間引きから葉を食べてその後に太った根を食べれば、一播きで二度おいしいということになる。これらが成長するまでのつなぎとしては、手早く育つラディッシュコマツナなんかを植えればいいし、他にもホウレンソウ、チンゲンサイといろいろある。これらは一年おきで作れるのもあり、応用がきくだろう。そして年の後半の秋冬野菜も、また同様に計画立てればいいのである。

  さて3月すぎて春夏野菜本番となり、テツオは意気も盛んに自分の畑に向かっていく。しかしやはり自然は厳しく、思い通りにいかないものだ。このテツオの取り組み、結果はどうなったかというと、露地のトマトは発芽はしても、また花が咲くまで至っても、成長をやめたのもあり、中玉は実をつけても赤黒く、ミニトマトは実をつけてもそんなに長くは続かない。ジャガイモは芽かきをしても増殖せず、親イモの1.5倍ほどもできず、まるで一人っ子政策である。サツマイモのツルはツユクサにすっかり覆われ、土の中でどうなってるのかわからない。チンゲンサイは雑草に負けて消えてしまい、ニンジンは小さかったり白かったり又割れしたりで、カブ、コマツナラディッシュの葉は虫に食われてボロボロになってしまった。ところが小さなビニールハウスで植えてみたミニトマトは、高温ゆえか生えに生え実りに実り、わき芽かきもわけがわからずジャングルみたいになってしまって、全くの想定外だがこれが百姓テツオの初の豊作となったようだ。

  テツオが畑でボロボロの野菜を見ながらユーウツな気でいる時に、通りかかった校長がまた余計なことを言う。

「テツオ。お前近ごろ、水もしたたるシッタルタとお釈迦様でも気がつくほどのイイ男になったじゃねえか。こいつぁ、かの十一代目団十郎助六と似て、俺と同じく、頭の髪のハケ先から阿波高越山が浮絵のようにあらわれる男伊達の総本山てぇやつだ。ワハハハハ!」

  校長がこんなのだから、畑を見に来たミセス・シンもまたこうである。

「テツオ~。あんた、最近ますます男前になったわねえぇ。こんな小島でくすぶらないで、たまには県の天神街をカッポして、女の子に口説かれてみなんしては。たとえ足の太い娘でも、ダイコンもトウが立てば露地の花なんッていうからサ、つれなくして振ったりすればバチがあたるよ。えっ、何だって。僕がイケメンだとしても畑がイマイチ? どれどれ見せてごらんなさいな。」

  と、ミセス・シンはテツオの畑に入ってきては、シゲシゲ見やる。

「立派よぉ、立派、立派。農薬も肥料もいっさい使わず、百姓の一年目でここまでできれば大したモンよ。2年3年やってるうちに、絶対にコツつかめるようになるからさ。これって見た目はショボくても料理すれば農薬だらけのスーパーの野菜より味も風味も別格なのよ。あなたも料理をしてみれば、包丁を当てるだけでも一発でわかるんだから。そうだ!テツオ、あんたこの際料理の修業もすればいいのよ。百姓やって料理しないのモッタイナイよ。あたしが教えてあげるから!」

  と、ミセス・シンはテツオの畑のミニトマトを一粒ほお張る。

「じゃあ、手始めに、あたしが立証したげるからさ。今日のお昼、この野菜たちでパスタするからいつものように喫茶室に昼食に来て。スリーシスターズにも声かけとくから。」

  スリシスたちも来ると聞いて、テツオは少し不安になるが、その3人女が喫茶室にすでに集い、各々すっかり食べ終わり、これからコーヒーしようかなという頃合に、テツオが一人、畑帰りに入ってくる。

「テツオ。午前中はお疲れ様。さあ、こっち座って。えっ、そんな部屋の隅でいいの? 遠慮しないでいいってのに。今パスタ出したげるから。」

  テツオは女たち3人に囲まれるのを警戒したのか、少し離れて座ったが、出されたパスタの一皿はことのほかうまいのだった。

「ドウ?おいしいでしょう。これはあなたが、ウズラの卵みたいに小さいとぼやいていたタマネギを、ニンニクがわりにオリーブオイルで熱して風味を出したあと、虫食い部分を取り除いた中玉トマトとミニトマトをそのまま入れて、水を足さずにジュウシーにトロリと煮込んでソースにしてバジルの葉を乗っけただけの、オリーブオイルとパスタ以外は全てあなたの育てた野菜たちによる一品なのよ。」

「いえ僕が育てたのではなく、野菜が自然に生ったのですよ。みんな畑のおかげです。」

「でもその畑の守り主はあなたでしょう。あなたがやんなきゃこの野菜たち生まれてきなかったんだから。 テツオ、おめでとう! まだ完全ではないとはいえ、あなたは今こうして立派に自給自足の第一歩を踏み出したのよ。これは、カネさえ出せば何でも食えると思っている現代人の世の中で、とても誇れることなのよ!」

  ミセス・シンは微笑しながらこう誉めてくれたのだった。そして彼女はまたもう一皿を出してくる。それはただのマメなのだが、食べた瞬間、テツオは思わず息をとめた。

「これもあなたが作ったエダマメよ。春のソラマメはまっ黒けで終わったけれど、グリーンピースはからまりながらもそこそこできたし、エダマメもそれに続いてよかったわね。これただ塩茹でをしただけで、何も手を加えていないんだから。でも風味豊かでいろんな味がするでしょう。見た目も青い宝石みたいにきれいだし。本当の料理というのは、あたしが思うにこのように、料理をしない料理なのよ。」

  コーヒー党のスリシスたちは、かわるがわる店長ゴッコを楽しんでいて、この日はアタカの女房が店長役を勤めている。彼女たちはお好みのBGMを聞きながら、茶飲み話につぎつぎ花を咲かせていくのが好きらしく、その日の気分と空気にあわせてマメを選び、コーヒーカップでアレンジしながら、それにあったBGMを選ぶのが、店長のセンスとされているようだ。アタカ女房が選んだのはマンデリンで、彼女はそれにマーラーのアダージェットをあわせたいと、CDをかけるのだった。

 

  そしてアダージェットが流れ始める。喫茶室の柱時計に入れ替わり、音楽が時の流れに染み渡るころ、この曲を聴くうちにテツオの脳裏にある情景が浮かんでくる。片時も忘れていない親のこと、故郷のこと、だれもいなくなった町、緑ゆたかだった野原に積み上げられたフレコンバッグの黒い山並み…。

  テツオはテーブルの青いマメが、また涙でゆらいでくるのが見える。彼は食事のお礼もそこそこに喫茶室をあとにして、校舎の隅まで歩いてくると、初夏の木漏れ日を前にして足を止めた。

 

  …3.11、あの原発事故を境として根本的な何かが見えた。放射能は目に見えないし五感でも察知できない。しかし何よりはっきり見えてきたのは“人間の本質”だ。3.11の直後からこの国には脱原発が響き渡った。海外ではそれを実現した国もある。しかしその後の総選挙で国民は、国防軍改憲を公にし、原発と安保利権の守り主たる慈民党を政権に復帰させた。俺はこの時、国民あるいは世間というのに、“自分たちは捨てられた”と確信した。そして同時に沖縄や水俣病や世界中の難民といった人たちに、初めて思いをはせることができた。まったく情けないことだが、それが俺の現実だった。

  その後、大量の放射能もれで傾いたこの国の権力も、それを支える経済界も、それに対峙のふりをする勢力も、被ばくの現実から目をそむけて、集団的自衛権とか安保とか9条だとか騒いでたよな。俺はもう誰も信じなかった。一番緊急の問題は、100万人に1人といわれる小児甲状腺ガンが早々に100人を超え、原発労働者を原発に向かわせていることでもわかっている“被ばく”を、いかにして防いで助けるかということのはずだろ。9条は沖縄を見れば初から無いのは明らかだ。アメリカの戦争に協力している日米安保そのものが問題なのに、9条をいくら言っても意味が無いのは明らかだ。誰もが現実を見ないようにとした上で、自己正当化とおしゃべりばかりしてるのさ。このように、世間は本当の犠牲者を作っては捨て続けてきたんだよ。

  俺の思いは当時も今も変わらない。9条も安保も日米同盟も、中国や北朝鮮の脅威とやらも通り抜け、この国で現実に起こっているのは“核戦争”だということだ。そして20mSvや100Bqという、核のなかば“強制収容所”に住んでいるということだ。汚染地のことを言ってるんじゃないんだよ。国全体、国民の全体がそうなのさ。もう宣戦布告も将軍も兵士もない。有刺鉄線もガス室もない。そんなものは核の前には今さら要らない、似たものが見えないままで存在しているってことさ。敵も見えず味方もいない。誰もが一人孤独の中で、日常の生活で、放射能やら有害物に静かに死傷に追いやられる-それが今日の戦争のやり方だ。地震が起これば原発がどうなるのかを経験し、ヒロシマナガサキを経験した国民自身が、再稼動を容認し、被ばくを見て見ぬふりをする。年5mSvほどのレントゲン室は鉛が覆う立ち入り禁止の小部屋だが、空間線量20mSv、食料品100Bq、廃棄物8000Bqなどというのは、そんな国民が自分自身を囲い込んだ“今日のゲットー”だよ。

  俺は3.11のあの晩に、生気の無い人々の群れの中を一人歩いていたことを思い出す。“きているのは名ばかりで、実はすでに死んでいる”(2)という言葉があるが、まさにその通りだった。まわりの人はすでに幽霊。丸木夫妻の『原爆の図』のはじまりは『幽霊』だったが、あれは外見だけを言ってやしない。もし人が本当に生きているなら、自分も子孫も死傷に追いやる原発放射能を認めるはずはないだろう。それに反応しないのは、もはや生きていないも同じだ。俺は3.11の以前からゴーストタウンにいたんだよ。これは汚染地のことじゃない。この国民が住んでいるこの国自体が実はゴーストタウンだったのさ。それを見せてくれたのが、目には見えない放射能だったんだよ…

 

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  畑の次にはテツオには、田んぼの準備が待っていた。始終浸水せずとはいえ、陸稲ではなく水稲をやるのだから一定の水量は必要で、彼は嘉南岳の麓の森から流れ出る、聖なる泉の小川に接する放棄された田んぼの一つを、まずは一反=1000㎡の水田として復活させることにした。初年の今年はオバアから種籾を分けてもらって、すでに苗は成長をはじめている。

  テツオは来る日も来るも鎌一本で、この草ボウボウの放棄田んぼ一反の草刈りに励もうとするのだが…。1000㎡もある広さをすでに日差しも熱くなって木陰もないなか、白シャツも汗びっしょりの重労働、しかも日焼けヘビよけ虫よけの長袖が熱くってしょうがない。ボタンをはずして胸を開ければいいのだが、彼は生えてきた胸の毛を見られるのがイヤでたまらず、上一つしかはずさないし、おまけにシャツが透けて見られるのもイヤと、下着までも着るものだから余計に熱い。

  このところ雨の降らない炎天下が続いている。これも何かの刑罰なのかと思えてくる。テツオは額に汗するどころか顎の先から汗水を垂らしながら、昨日も今日も鎌を振ってはザクリ、ザクリと草を刈る。ただひたすらザクリ、ザクリと刈りまわす。ザクリ、ザクリと…。

  しかし一度慣れてくると、このザクリザクリが快感に転じはじめる。この音、そして草どもを頭ごなしに引っ掴んでは束にして刈る、あるいは根こそぎ引っこ抜いては投げ捨てる、己の筋力の高揚が快感になってくる。テツオの若い筋肉は鍛えるほどにたくましく、鎌を握る手から腕へと、またそれを支える胸板から背筋までをぐるりとめぐって、地を踏みしめる足から尻、太ももまでの全筋肉が、皆その男らしさをギラギラとみなぎらせていくようだ。これこそ輝かしい青春の目に見える証だろうか。

  …人間で、鎌という武器を手にしたこの俺が、あのマクベスみたいに宙に刃をかざしては、静かな大地に振り下ろす。その瞬間、虫もカエルも面白いように逃げていく。もしこれが草刈機でやったのなら、彼らは瞬時で八つ裂きにされただろうに…。ザクリ、ザクリ、ザクリ、ザクリと刈っては捨て、刈っては捨てを繰り返す。筋肉のみなぎりは一度その味をしめてしまうと、次から次へと新たな獲物を求めるように、俺を駆り立てていくようだ。虫もカエルも遠慮なく踏みつぶす。根を抜いたその中に幼虫が寝ていても、投げ捨てるか、面倒くさけりゃ踏みつぶす。彼らに声があったのなら悲鳴の一つも上げただろうに…。

  “痛ッ!!”

  テツオの鎌が、草刈りの勢いあまってその左手を直撃した。見てみると、人差し指の手袋の先っちょがとんでいる。幸い指はとんでおらず、かすり傷ですんだようだ。テツオはにじみ出てきた指先の自分の血を、なめるようにすすり始める。…血で穢れた俺の手は、俺の口で清められる…。でも、なぜいったい自分の血が、穢れだというのだろうか。虫を殺していたのは己自身だというのに…。

  テツオの舌の一面に、すすった己の血の味わいが、じっとりと広がってくる。そして彼は、マクベスみたいに宙に刃を振りかざす、武器を手にした人間の、己自身の凶暴さに気づきはじめる。

  …自分が今やっていることは、実はホロコースト、大虐殺ではないのだろうか。それにここを水田にしてしまえば、地にある命は窒息して死に絶えてしまうだろう。また秋に水を落としてしまうのなら、今度は水の命が死に絶える。水田が里の心の原風景など、よく言えたものである。しょせんは水攻めホロコーストかジェノサイド、この地は今やキリングフィールドではないか。それを誰も抵抗できない暴力で無感覚にも執行するのは、他ならぬこの自分なのだ。自分は原発事故で難民となり、たしかにこの地に逃れてきたが、今度は自分自身のそのせいで新たな難民を生み出してやもうとしない。これまで自分が刈ってきたこの痕跡は、人間には雑草をきれいにしたという清潔感と満足感の証なのかもしれないが、草や虫には見るも無残な死に跡だと思われる…。

 

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  テツオは放心したようにひざまづく。彼は心の奥底で、無意識にもこんな声を聞いた気がする。

  -お前のために、地が呪われる(3)-

  もう涙も何も出なかった。もはや諦めとでもいうのだろうか。…どうせこの地も放射能に汚染されれば、またもとの放棄地-ただの自然の原野に帰って、人間もいなくなり、その方が草や虫にはいいかもしれない…。

  テツオは握っていた鎌を投げ捨て、地を踏みしめて大の字につっ立ったまま、じっと己の両手のひらを見つめている。…まるで殺戮の返り血が、ジッとにじみ出てくるようだ…。

  -お前たち人間の血、生命の損失には、その責任を追及する(4)-

  テツオはそのまま地に座り込む。…もう何もしたくない。生きているのは名ばかりなのは、実は自分のことでもあるのだ…。

  テツオは田んぼの横の斜面、青々とした草むらにその長身を横たえる。重たかった長靴を脱ぎ、熱くッてたまらなかった上着も脱いで上半身裸となり、そのまま風を身に受ける。風が腋毛と胸毛をそよがせるのがくすぐったく、それにまじいる夏草の澄んだ匂いが香しい。彼は腕を枕にしてその筋肉に頬をよせる。墨のような黒い眉に通った鼻筋、締まった口元、その横顔が青空のもと、地の青草に彫り込まれる。

  テツオはふとまどろんでしまったのか、不思議な夢を見たようだ。初夏の午後、青空のもと、心地よい海風に吹かれている草花たちが、その身を風に揺らせながら合唱曲を歌っている。

  …なたは何を心配するのか。あなたは何を憂うのか。私たち野の花が、どう育つのかを見るがいい。苦労もせず紡ぎもしない。繁栄の極みにある人の都も、私たちほど着飾れはしない。私たち今日は盛り、明日は炉に投げ込まれる野の花も、神はこれほど装いたもう。何を食べると心配するな。明日のために心配するな。一日はその日の苦労で充分だ(5)…。

  そしてその草花たちから、まるで出穂するかのように、一人の女性があらわれて、メゾソプラノで独唱する。

  …おお、紅の小さなバラよ。人間は悩み苦しむ。人はもとより土くれから取られた身。私はしょせん土くれから土くれへと帰るだけ。私は神から出たもので、再び神のもとへと帰る。-よみがえる、そうよみがえるだろう。わが塵なるものよ、わずかな生の憩いをすませて、お前は再び花咲くために、再び種として播かれる。収穫の主は歩み来て、穀物の束なる我らを、死んだ我らを拾い集める(6)…。

  そしてその女性の独唱は、やがて確かな声となり、テツオの心にささやきかける。

「テツオ、あなたは優しい人。草や虫、私たちみな生き物は、互いに食べていくことで互いの命をつないでいる。それしか互いの生存を取る方法がないのだから。あなたは今、人間の原罪をかいま見た。あなたの行為は人の欲や業からではなく、己自身の生存を保つためだけのもの。あなたの行為は許される。自らの原罪を認めるまで絶望した今のあなたは、これから復活を遂げていく。」

 

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  テツオはハッと目が覚めた。小川の向こうにユリコがいる。ノロとなり、長く伸ばした黒髪をひとつに束ねた白い服の立ち姿で。しかし彼が起き上がろうとしたその時、ユリコの方が目をむいた。

「テツオッ! あなた、その胸っ!」

  ユリコは駆け寄り、はげしい息づかいのまま彼の体にすがりついく。テツオは瞬時に飛びのいて、急いで上着で胸を隠した。

  …ち、乳首を先に、まさぐられた…

  テツオが胸をシャツで隠したまま、顔を赤らめうずくまるのを見て、ユリコは草にへたり込む。

「テツオ。あなたまさか、自殺しようとしたんじゃないよね?」

「何で俺が、自殺しなきゃなんないんだよ。」

「…テツオ…。だって、あなたって…、実はLGBT…、だよね?」

「…なんだよ急に、藪から棒に、ぶっきろぼうに…。それで、俺の“棒”に、なんか文句あんのかよ?」

「…あたしたちカップル歴があるからって、カミングアウトはまだかもしれない…。

  いや、あたしが言いたいのはね、LGBTってほら、男女の障壁が低いじゃない。だからあたしが思うのは、男女の区別の障壁が低いっていうことは、人間の認識は相対的っていうからさ、ひょっとしたら生死の区別の障壁も低いことにつながるんじゃないかって思ったのよ。だってLGBTの当事者たちで、自殺を考えた人って少なくないって聞いたから…。」

「…じゃあ、ユリコは今まで、自殺を考えたことってあるの?」

「あたしは父の死を通じて、人の死がどういうものかを体験したから、自殺しようとは思わない。それに今はあたしは行者だから、もう自殺を思うことすらない。だって行をするうちに、自分の命は自分の一存で決めれるものではないんだって分かったから。」

「じゃあ、何で俺が自殺しようとしてるって、思ったのさ?」

「だって胸もシャツも血まみれよ。じゃあその出血はどこからなの? 鼻から、それとも口から?」

  テツオはようやく気がついた。指先の出血は、実は止まってなかったのだ。

「鎌で指を切ったって? テツオ、あなた足は長いし腰も落とせず、だいたい体固くてしゃがめないし、いつも鎌を振り回して刈るものだから、いつかケガするんじゃないかって思ってたのよ。」

  恥ずかしさと半ば悔しさ入り混じり、背を向けながら上着を着つつあるテツオ。ユリコは彼の手を取ると、小川に連れては傷口を洗ってやり、ハンカチで包んだ後、束ねていた髪の輪ゴムで指の根元をくくりつけた。テツオはユリコのその振る舞いを、痛みを忘れてただうっとりと見つめている。

「テツオ。今年、あなた、この田んぼ、どこまでやるの?」

「一反さ。まずは一反、やろうと思う。でも水が、この小川から水を引こうと思うのだけど、水がはたして足りるかどうか…。」

  ユリコは田んぼを眺めると、嘉南岳の方を見やってテツオに告げる。

「あの山に、弘法大師の修行跡と伝えられる竜頭の滝と金剛の滝という二つの小さな滝があるのよ。この滝は一日のごく限られた時間帯だけ滝つぼに小さな虹をめぐらせるの。そこは聖なる泉の水源だと思われるので、滝行とまではいかないけれど私がそこで祈ってあげる。だからテツオ、水のことは心配しないで。聖なる泉から出るこの小川は、きっと枯れることはない。それよりもおコメのことを。あなたの故郷の水田を、この地に復活させてほしい。」

「わかった、ユリコ。約束するよ。」

  ユリコは少し微笑んだのか、口元をゆるませると足早に立ち去った。テツオの両目はずっとユリコの後姿を追っている。ユリコは後ろ髪を揺らせながら小川をそのまま駆け上がると、嘉南岳の麓にあるオバアの家の裏の森へと入っていった。ユリコの長い黒髪と白い後姿とが、嘉南岳の緑の中へと帰っていった。

 

 

第七章 出穂

  地にはういわゆる雑草をおおむね取り払った後、テツオは聖なる泉から流れてくる小川の水を、いよいよ田んぼに引き入れる。長く放置されたうえ一反もあるその広さを、小川の水で満たすのは用意ではないはずだ。しかし田んぼに畝をたて高低差があるなかで、早めに水を通しながら溝を掘って土を練り、畦を塗っていかねばならない。その畝の溝を水で満たせば、稲が育つ湿った土壌ができるというし、テツオは心配そうに水の流れを追っている。しかし彼が心配するのをよそに、小川の水は潤沢に流れてきて地表のひびを次々と埋め尽くし、乾いた層を総なめにして一反すべてに及んでいく。これで土がやわらかくなったので、テツオは四方に溝を切り、畝を分けることができた。

  初夏の6月、初年度はオバアの種籾を分けてもらって前もって育ててきた苗床の苗たちも、はや田植えの時期に達したので、テツオは生まれて初めて田植えに入る。一本植えとする苗は、白くちちじれて根もかぼそく、自分の今の心境を映しているのか心細く感じられる。テツオは田んぼの端から端へとロープをはって、それに沿って条間、株間の印のついた古い木型の大きな枠を動かしながら、それにあわせて一つ一つ立っては屈みを繰り返し、自分の手で田植えをしていく。水をたっぷり吸った土は、今や彼の田植え用の地下足袋はいた両足を泥の中にしっかりとらえ、なかなか放そうとはしない。植えるときは足を踏ん張り、踏ん張れば泥にめりこみ、片足ずつ引っこ抜いてはまた泥にさすを繰り返す。これは農作業というよりも、その運動量は一歩一歩踏みしめながらよじ登るまるで登山のそれである。太陽が真上にあがり、また正午の時をさしてきた。午前中でも目の前わずか数メートルしか進んでいない。これが一反=約1000㎡もあるのである。テツオはこの一反の田んぼ以外に実験用に小さな陸稲も手がけている。ズブの素人の体力では、やがて農作業の段取りはおろか自然の日々の変化にも追いつけないのがわかってくる。テツオは途方にくれたのか作業中に立ちくらみがしそうになったが、こういう時はとりあえず小川に戻って、手と首すじとをよく洗い、まずは落ち着こうとするのだった。

 

  …こいつは登山よりもはるかにキツイや…。テツオは小川に日焼けした両手を浸して思うのだった。

  …山登りか、懐かしいなあ…。

  彼はかつて父に連れられ山に登った日のことを思い出す。そのころ父はまだ健康だったように思う。

  …そう、俺が親父とよく山に行ったのは九州にいた頃で、親父は大分の由布岳をいたく気に入り、その東峰を登った後に別府の竹瓦温泉に入ってから、駅裏のビジネスホテルに荷物を置いて、俺を酒のお供に連れ出して、人生訓みたいなことを垂れるのが常だった。

  -テツオ、俺が登山をさせるのは、この国でありがちな“根性を鍛える”ためじゃない。移り行く状況に即応して、いつでも自分で判断ができるようにするためだ。たとえ俺がいなくても、お前一人で考えて行動するのだ。決して周囲にあわせるな。まわりの奴らがお前のことをどう言おうと気にとめるな。何か悩みにぶち当たり一人で解決できない時は、自分の好きな山に登れ。そしたら山が自然にお前に答えてくれる。友達を持とうとするな。あらゆる自然の生き物と同様に人間は孤独なものだ。とえ一晩酔いつぶれて、夜明けの浜辺でドラム缶を蹴飛ばすような醜態をさらしても、友達なんかいらねえって叫ぶ(1)方がまだマシだろう。みみっちい話だがたとえば千円、友達に貸してみろ。百人中百人までが催促するまで返しやしねえ。“カネは貸しても借りてもならぬ。そうすれば、友もカネもともに失う(2)”なんてセリフがあったがな。俺に言わせりゃ最初から、カネには表と裏とがあるが、友達っていうのにはもとから裏のが多いんだ。集団に属するな。特にサラリーマンにはなっちゃあならねえ。組織人はヒラメの僻目の上司に忖度、己の是非を食いつぶす。“凡庸な悪”(3)なんて言葉があるが、誰だってナチスに入ればナチスに染まるし、どんな組織もしょせんはナチスに似た所があるものだ。権威と権力、またそれらが流布する通説なんてのを信じるな。死ぬまで一生勉強し、何事も自分の頭で考えて、自分の確信にこそ従え。誰にも自分を評価させるな。他人の評価を当てにするな。自分の評価は自分でしろ。お前は俺の子なんだから、理系で頭はいいはずだ-

  原発事故後、俺が官邸前デモや、経産省前テント広場、文科省前に行くようになってから、親父と話したことがある。

  -テツオ、そのカッコウ脱原発か。ちゃんと自分で意思表示してるじゃねえか。成長したな。あのブタ首相とアホ首相らのクソッタレ官邸に、何か一席ぶってやったか。演説をぶつ時にはな、腰に手を当て堂々と、ムッソリーニみたいにやれよ。泣きべそこきながらやるんじゃねえぞ-

  俺はその時、ふと親父に聞いたんだ。原発関連の仕事をしている父のおかげで飯食っている息子の俺が、脱原発なんてヘンなのかなって。

  -テツオ、お前たちの言うとおり、脱原発というのが正しい。なのに俺が原発に向かうのは、俺が手がけた所というのは技術面でも設計面でも一流だからだ。これができるのはベテランだけだ。若い者はまだ未熟だし、これから子どもを持つのもいれば、まだ幼子を抱えているのも多いのだ。俺のような年寄りが向かわなければ、若い者が行かされる。そんな可愛そうなこと、できやしねえよ。若者を犠牲にして寄生虫みたいな金満の年寄りの権力者らが大儲けする。これは戦争と同じなのだ。戦争ってのは人殺しだ。テツオ、お前はそのまま脱原発で行け。しかし本質を見逃すな。原発問題の本質ってのは“人間”なのだ。この問題の本命は、人に犠牲を強いないこと、人に被ばくをさせないことこそにある。特に子どもと女性、そして俺たちみたいな労働者に対してだ。エネルギー問題なんてのは二の次だ。それにこうした運動には、これに乗じてあらたな利権を嗅ぎ付けてくるタカリのような連中が、味方のフリしてお前のような純情なのを利用しようと手ぐすね引いて待っている。そういうのには用心しろ。くれぐれも自分自身を大事にしろ。決して己を損なうな-

 

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  正午の陽はますます強く、しばらくおさまりそうにない。テツオはもう休憩ということにして、ここはいつもの喫茶室へと向かっていった。

  今日の店長はアタカの女房。スリシスたちは他におらず、ミセス・シンは子どもと外出、タカノ夫人はまた座り込みに行ったという。

「タカノさん? あの人はまた辺野古へと座り込みに行ったのよ。もう夏だというのに、歩くだけでも熱くってたまらないのに、熱いからこそ住民の人たちは大変だからって行っちゃったのよ。あそこってアスファルトの上だしさ、トイレだって最寄のコンビニまで車がいるし…。」

  そしてアタカ女房-テツオたちの担任であるレイコは、ここでテツオに微笑みかける。

「テツオ君も熱いなかの農作業は大変でしょう。水出しのアイスコーヒー作ってみたけど、どう?」

  テツオがにっこりうなずきながらレイコのいるカウンターに腰掛けると、レイコは二人分のを用意して、喫茶室はテツオとレイコだけとなる。

「先生、ところで午後からの、授業のテーマは何ですか?」

「そうね。教科書だけでは楽しくないから、またガリレオの『天文対話』を読もうかなと。」

「先生、先生は物理が専門ですけれど、どうして理系を選ばれたのですか?」

  テツオは実は、この年上の美人のレイコ先生に、ずっと惹かれていたのである。だからいつかは二人だけで差しさわりのない話でもと思っていたが、レイコはいつものアルトの美声で、テツオに優しく語りかける。

「テツオ君、あなたはユークリッド幾何学って、聞かれたことある?」

ユークリッド…。ええ、名前だけは…。」

  テツオはまずは話題がつながったと、自分をレイコの目線に乗せる。喫茶室のBGMには、シューベルトの『鱒』がかかる。

「前の学校で教わったと思うのだけど、いわゆる図形ね。あれは二千年以上も前のギリシャの名著『ユークリッド原論』から来てるのよ。私がこの原論を読んでいてふと気づいたのは、この原論はいずれも末尾が“これが証明すべきことであった”で終わっているけど、では一体そもそも何が証明できたのかって思ったのね。本的な概念は、証明に先立って定義の形で前もって与えられ、また定義すべき性質も公理によって定められている(4)ものだから、証明できたとされるものは、これらの定義や公理で構成される人間が自然界から抽出したミニチュア世界を人間が考えられる-ということなんじゃないかって思ったのね。それで私は、人間が自然に対して証明できたとするものとは、人間の自作自演でないとするなら、本当はいったい何なのか-ということを知りたく思って、理数系を選んだのね。」

  テツオがレイコに好感を覚えるのは、難しい話でも偉そばらずに遠慮せずに、思いのまま自分の言葉で話してくれるということであり、これが彼には自分も彼女と対等な者として、一人前の者として扱われているように思えるのである。

  そしてレイコはコーヒーを入れるサイフォンを取り出してはカウンターの前に置き、また一方で平たいカウンター上に、その指先で三角形を描いてみせる。

「この平面上に三角形があるとして、の三角形のどの二角をとってもその和は二直角より小さい(5)-これがユークリッドの世界なのね。そして、」

  レイコはここでまた指先で、サイフォンのフラスコの球面に三角形を描いてみせる。

「この球面上の三角形はどうなのか。見てのとおり三角形はふくらんでるので、の三角形の内角の和は180度よりも大きい(6)-つまり、先のユークリッドとはまた別の幾何学の世界があることになる。」

  テツオは説明するレイコの、細く華麗な指先に魅せられている。

 

 

ニュートン力学は、このユークリッド幾何学の平面で構成される3次元の空間をもとにしてるし、アインシュタイン一般相対性理論は、このフラスコみたいな曲率のある非ユークリッド幾何学のまがった空間をもとにしている。現代ではこの相対性理論が示す宇宙観が、ニュートン時代のそれよりも正しいとされているけど、ではそのニュートンは、自分は何を証明したと思っていたのか。彼は主著である『プリンキピア』の最後の方でこう記すのよ。-はあるものの真の実体が何であるのか少しも知らない。私たちはものの形と色とを見るだけ。その音を聞くだけ、その外面に触れるだけ、その臭いをかぐだけ、その風味を味わうだけにすぎず、その内奥の実体については、いかなる感覚、いかなる省察作用によっても、うかがい知ることはないのである(7)-と。」

「先生! それって般若心経の、“無限耳鼻舌身意、無色声香味触法、無眼界乃至無意識界”に似ていると、思いませんか?」

  テツオは修行の身のユリコから般若心経を聞かされて覚えていたので、ここはツッコミのつもりで言ったのだが、レイコはすっかり感心して、テツオを見つめて言うのだった。

「テツオ君、あなたはやっぱり冴えてるわねえ。そこがあなたのいいとこなのよね…。」

  レイコのアルトの美声の語尾が、一瞬か細くなったようだが、もち直しては言葉を続ける。

「私ね、さっきは人間が証明するって言ったけど、むしろ最近はこう思うのよ。人間は自分で考えているように思ってるけど、実は知恵そのものは、天か宇宙か神か仏か、人間を離れた所にあるのであって、人間はただそれにアクセスしてるにすぎないんじゃないかって。人間が自分の脳で考えているように思うことそれ自体が、むしろ錯覚なのではないのだろうかってね。」

「先生、そのお話、僕もとても興味があります。人間の知恵と知性って、本当はいったい何なのでしょうか。特に核の時代に生きている人間の知性って。」

「そうね。原発のもとである原爆を作ったのは、科学者、特に物理学者たちでしょう。宇宙の神秘を考えられる人の知性が、同時にどうして生命すべてを滅ぼすような核兵器を平然と作れるのかって、思うよね。」

  レイコは水だしアイスコーヒーをゆっくりと飲んでいる。テツオはその紙ストローの先端に、ついた赤い口紅の跡を見る。

ガリレオはその『天文対話』で、“間の知り方は、推論と、結論から結論への推移とによって進むのだが、神の英知は光のように一瞬に通過する”(8)って言っているのよ。ガリレオは科学者なのに知のことで神に言及するなんて、昔の科学者たちは理知的だと思うのね。」

  レイコはテツオの反応を確かめるのか、その眼を一瞬見つめると、また話へと戻っていく。

「でね、中国の荘子はね、“はその知らざる所に止まれば即ち至れり…しかもその由りて来たる所を知らず。これをほう光という”(9)-つまり、人の知は知ることができないと気づく所できわまるのであり、しかもその源は知れず、それはつつまれた光である-と言っているのね。この荘子の言葉って、先のニュートンとこのガリレオの言葉と、何だか似ていると思わない?」

「そうですね。僕は荘子ガリレオも、ともに光と言う所で共通するのが興味深いと思います…。」

  テツオは、レイコがグラスから滲み出ている水滴を、その指先でぬぐっていくのを見つめている。そしてレイコは独り言のようにして、そっとつぶやく。

「神が旧約聖書の創世記のはじめに、“光あれ”と言ったことで万物の創造がはじまったと言われている。どちらも光が源なのね…。」

  レイコはここで、もっとお話したいのだけど今日は用事があるからと、喫茶室をあとにする。テツオはこれでますますレイコに魅せられ-ユークリッドも非ユークリッドも、万有引力も時空のゆがみも、僕にとってはどっちでもよく、僕はただレイコ先生に思いっきり惹かれてしまった-のだった。だが、しばらくして落ち着くと、テツオにはこのレイコの優しい雰囲気が、何だかとても懐かしい気もするのだった。

 

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  初夏もすぎて盛夏となった。少しは慣れはしたものの、田植えは遅々として進まず、今日も泥との戦いだ。真夏の太陽…その照りつけは本当に容赦がない。日焼けと体力消耗予防のため長袖の白シャツを着てみても、熱すぎてすぐ半袖にまくりあげてしまうから、日焼けして皮がめくれたその跡に、また日焼けを重ねてするという二度焼きの刑となる。

  今日もテツオは太陽がいっぱいのもと、田植え苦行についている。今まで田植えをしてきた所の条間・株間の格子縞が、無数の十字架に見えてきて、恨めしくさえあった。田植え用の地下足袋は窮屈なうえ、足指先にかかる圧が強くなり、踏ん張るたびに血豆がつぶれて更にまた血豆ができる感じがして、しかも立ったり屈んだりの連続で腰も心も折れそうだ。もう熱中症の寸前だ。テツオは改めて田んぼを見回し、少し考えてみることにした。吹いてくる海風が、熱さを少しやわらげてくれるようだ。

  …コメも野菜の一つだが、他のどんな野菜に比べても、水田にかかるロードは別格だ。それは畑とは異なって、農地一面に水を張ることにある。何だって自分たちのご先祖は何百年もの間、こんなことをやってきたのか。同じ主食でもムギならば、水も少なく全然手間いらずだというのに。また同じコメをやるにしても、陸稲をやればいいではないか。であれば用水がなかった昔は、水に悩まずともできたはずだ。どうしてダムも用水もなかった昔に、わざわざ水利権の争いのもととなる水田なんかを奨励したのか。本当に収穫量のためだけに水田をやったのだろうか。それにムギも充分とれるのに、どうしてコメが主食なのか。どうしてそんなに“コメ文化”を、民族の証のように神聖視するのだろうか。本当に灌漑は必要なのか。もし別に灌漑なしでも人間は生きていけたとするのなら、人間の文明とは何だったのか…

  テツオはここでニュートンではないが、ある仮説を立ててみる。-ひょっとして水田による稲作とは“国策”であり、人民支配のワナではないか-と。

  …もし水田を奨励すれば、大規模な灌漑がいるだろう。つまり、身分制度のその上に、人々がいがみ合う水利権を調整するため権力が必要とされ、また権力者は民を支配しやすくなる。民には水を入れれば雑草が生えてこないと言いくるめ、この国民の異常なほどの雑草嫌いのルーツは実はここにあるのではないか。実際に雑草が多少あっても、農作物の生育にはたいして影響なかったし、農薬の毒の方が影響あると俺には思える。そしてこの国民の異常なほどの草嫌いは、枯山水の美意識と、玉砕の精神にも通じるように俺には思える。そしてこの草皆殺しの慣行こそが、世界有数の農薬消費と、かつての軍が行った南京その他の大虐殺や、戦後では公害という名の大量傷害・大量殺戮にもつながっているのではないか。

  また水田は、水をいっせい供給するため、集団での一斉作業が求められる。となれば民はそれこそ田植えのようにして、皆と並んで横並びに、いつも同じことをしてさえいれば何事も安全だと思うだろうし、その反射として、常に村八分=仲間はずれを作っておいて、そいつを皆でイジメれば、集団の和が保たれてわが身の保身も安心だ。差別と棄民がこの国の運営の基本であり、その根本たる民族の“奴隷根性”の大本は、どうやらこの田んぼにあるのではないか。そこからは個人という観念は起こり得ないし、この国で人権意識がほとんど根付かず、戦争も原発もまともに責任取ろうせず、輸入モノの民主主義も成功をしなかった本当の原因は、ココじゃないのか。

  また、コメそのものの性質にも問題があるだろう。コメの栄養価は非常に高い-というのはあの真夏の太陽エネルギーで光合成を行って養分を作るから。この高すぎる栄養を日々三食も取る必要があるのだろうか。あり余ったエネルギーのはけ口は、結局は“暴力”にこそ向かうのではないだろうか。

  とすればコメとはつまり、暴力と奴隷根性の“第二の知恵の実”なのではないか…

 

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「すごい! コメが第二の知恵の実だっただなんて、まさに目からウロコが落ちる思いだ。」

  テツオは思いついたこの仮説を、教会兼図書館でいつも本に埋もれているキンゴのもとへと話にいった。

「でもなキンゴ、コメだったらタイ、ベトナムでもやってるだろう。じゃあ何で同じコメ文化でも、こんなに違いが出たのだろうか。」

「それはさ、多分、こういうことだろうと思うよ。」

  キンゴはある書物を取り出して、洗練された指先の手のこなしでテツオに示す。その細面の横顔は、テツオと違って日焼けのない色白のシルク肌に赤い頬。教会にいる時は黒っぽい服のせいか、まるで修道士のようにも見える。

ご飯一膳分で約5勺、1勺は18mlから1石は180Lとこの表にある(10)。年貢米は石高で計量された。ということはこの国では、命の糧であるコメは、同時にカネでもあったのさ。だからこの国では伝統的に、“命とカネ”は等価なのさ。これも等価原理の一つかもよ。そのうえ経済大国化して拝金主義がまかり通れば、“命よりカネが大事”って簡単になるだろう。」

  キンゴのやや甲高い声の調子が、天使が飛びかう天井画に、余韻を伝えているようだ。

「テツオ、君がこの前、田んぼはキリングフィールドだって言ってた通り、そしてかのルファーディングが言った通り、暴力こそが全てに先行する(11)ようだ。戦争も経済も根は同じで、しょせんは己の権力を打ち立てる手段であり、その本質は暴力に他ならない。これに経済的発展とその必然たる拝金主義がはびこるとどうなるか。」

  テツオはじっとキンゴを見つめる。彼の華奢な身体から、マルクスみたいに図書館に閉じこもりの生活から、彼はいよいよ成果物たる自分たちの革命思想を言おうとするのか。

「拝金主義…、かつてはカネは金だった。金といえばそれは結局、旧約聖書がいう所の“黄金の子牛”(12)なのさ。人々はそれを自分らの頭に掲げる神として、それを拝み、犠牲を捧げて堕落する。金は、要は“ラインの黄金”でもあるわけさ。ライン川にある黄金は自然のままでは美しく輝くままだが、人がそれを加工して自分のものにしてしまうと、その者には永遠の呪いがかかり、世界を支配する権力を手にする代わりに愛を断念せねばならない。しかし人の欲望は金でも足りず、他の物質をもカネとする。金、銀、銅、石や貝、タバコすらカネになる。、銀、銅、石や木でつくられて、見ることも聞くことも歩くこともできない偶像を礼拝してはやめようとしない(13)という黙示録のこの言葉は、多分大いに示唆的なのさ。そして人は最も安い紙そのものをカネとした。それは20世紀になって、ついにニクソンショックという名前で、世界の紙幣-基軸通貨であるドルは、金とのリンクを切るに及ぶ。カネの価値は、インカやスキタイの古から続いていた黄金ではもう担保されない。でも、それではいったい、そもそも価値って何なんだ? カネは価値を媒介するのか、それともカネがあるから価値がつくのか。カネの源とはいったい何だ?」

  もともとキンゴはKY-すなわち空気を読まないタチなので、彼のこうした独りごちた語り口調にテツオは慣れてはいたのだが…。今あらめて見てみると、よく整えられた黒髪に、細眉の瓜実顔…。彼が女形みたいになれば、ユリコやレイコ先生とは違った、また一つの美形になれるのかも-とテツオが思っていたところ、キンゴはこのまま持論を続ける。

「つまりさ、カネや貨幣というものは、価値を担保するものでもされるものでもないんだよ。結論を言ってしまえば、カネの価値はその媒体ではなく、そのカネを手にする人々の貧困こそが支えるのさ。だからカネの媒体は何だっていい。石や貝、金属、タバコにコメだって、何だってカネになる。ということは、僕たちヒトもカネになるし、現にもうなっている。」

「でも、その価値を認識するのは、人間だろう。」

「そう。でもむしろ、カネは人が守ってきた価値体系を破壊するのさ。人はカネを媒体として、あえて戦争なんかしなくてもその破壊欲を実現できる。権力を維持しながらその再生産をするためには、常に破壊の再生産が必要なのさ。神への信仰、伝統文化、自然環境、またそれらと調和した農林漁業と食生活…、これらのものはあの高度経済成長でその多くが失われてしまったように、ものの価値は市場至上主義という蟻地獄のすり鉢に投げ込まれて、カネというすりこぎがそれらを打ち砕いてしまうのさ。カネは価値を媒介せず、価値そのものを壊すんだよ。なぜなら、カネは権力と同様に人々の貧困という犠牲の上にわくものだから。つまりカネとは権力の潤滑油でもあるわけさ。その犠牲を生産し、再生産していくのは、暴力でしかあり得ない。だから経済発展でカネが全てを商品化していく世界とは、かのアダム・スミスのそれ以来、経済学の主流派が伝えるような神の見えざる手が導く均衡ある世界ではなく、人のカネという媒体による、見えざる暴力が繰り返される果てしない破壊と、更なる貧困の再生産という無限連鎖の地獄なんだよ。そしてそうしたカネが媒介するヒトとヒトとの関係とは、万人の万人に対する支配と隷従、つまり奴隷と奴隷の関係になるほかないのさ。」

「その最果てが、原発というわけか。」

「そう。貧困の再生産とは権力の再生産の反映であり、今やその権力を担保するのは、暴力の頂点に立つ“核”そのものだ。貧困とは何も金銭だけにあらわれず精神にもあらわれるから、核に依存する権力体系が強ければ強いほど、精神は極貧になっていく。だから生気のない幽霊みたいな奴隷根性そのものの国民は、みんな核との共存が平気なんだよ。」

  キンゴはテツオの理解をよそに語り続け、またテツオはそれでも何となく、彼が言わんとすることはわかるような気がしている。キンゴが語り振るう手が、何だか指揮者の手のように華麗に見える。

「でもテツオ、僕たちはそれを拒否して、この島で革命と独立とを実行している。僕たちの革命と独立とは、この黙示録の核の世で、それこそ価値あることなんだよ。この革命には哲学が必要なのさ。この核の時代は人類には未経験で、たしかに未曾有のことかもしれない。しかし僕らはこの核の世でさえ、そこに現に生きている者として、自分たちを過去の歴史に位置づけながらその因果を必ず見出し、次の世代へとつなげていかねばならないのさ。僕は是非、この哲学を得たいんだよ。」

  そしてキンゴは、テツオがやや見とれていたそのきれいな両手で、テツオの手を握ってきた。指先のピンク色がますます赤るみ、テツオは思わずゾワっとしてくる。

「テツオ、本当にありがとう。何もかも君のおかげだ。君が労働してくれているおかげで、僕はかのマルクスみたいに図書館で思索と著作に没頭できる。労働なき知識だけじゃダメなんだけど、君の話がそれを補ってくれるのさ。僕は暑いのが苦手だから畑は少ししかできないし…。」

  低体温ぎみなのか、キンゴの手は時おり冷たく感じられるが、テツオは手を握られたまま、言葉をつなげる。

「いいんだよ。お互いの得意分野で頑張れば。お前のいうマルクスエンゲル係数も、好きなだけやればいいのさ。確かに今俺たちに必要なのは、食の安全と、自分たちの哲学だよな…。」

 

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  テツオが文字通り田んぼにはまって抜けられないのを知ってか知らぬか、ある日レイコが、テツオの田んぼを体験したいと言ってきた。

「もちろんいいですけど。先生、どうしてまた田植えなんかを。」

「祖父が農家だったんだけど、子どもの頃に手伝ったっきりで。テツオ君が無農薬、無肥料で、手で植えてるって聞いたのでね…。」

  聞けばユリコも、遅れて一緒に参加するということだ。

  さてその当日、天気も晴れて、テツオは自分ひとりで開いた田んぼ一反に、素敵な女性2人のゲストを待ちうける。彼は2人の手植え用にと、苗床から苗を取り置き、2人用の田植え場を準備して、やや緊張の面持ちで立っている。

「テツオくーんッ! こっち、こっちィーッ!」

  振り向けば、向こう側の田の淵で、レイコがテツオに手を振っている。麦藁帽子にトップスは青のTシャツ、ボトムズはテツオと同じく登山用のニッカボッカをはいている。

「先生! 先生にやって頂く所と苗を、こちらに準備していますから。」

  レイコは田に近づくとシューズを脱いで素足にかえり、田んぼの中へと入ってくる。テツオはいつもはパンプスに隠されているレイコの素足を初めて見そめて、田んぼが清められていくようにも思え、また彼女が足をつけた所のコメは、格別においしく感じられるのではとも思いもした。

「先生、裸足って、ケガとか心配ないんですか?」

「えっ? だって子どもと一緒にやる時は、みんな気持ちがいいからさ、だれもが裸足よ。」

  意外なほど安定した足取りで田を渡ってくるレイコを迎えて、テツオは彼なりの田植えの手順を説明する。

「ああーっ! この条間・株間印のついた木の枠って、おじいちゃんの家にあったよねぇ!」

  レイコはここでテツオの目を見つめるが、テツオは、こんなの古い農家ならどこでもあるさといった感じで、ただこう答えてしまうのだった。

「ああ。これはオバアの納屋にあったのをユリコが見つけて、オバアが貸してくれたんですよ。」

  レイコはとても嬉しそうに、テツオの示した手順通りに大きな木枠を動かしながら、田植え作業に入っていく。テツオは室内派と思っていたレイコが、彼に劣らぬ筋力でスイスイと田植えをこなしていくのを見て、少々意外に感じている。

  やがてユリコも加わって、ユリコは修行でオバアの田んぼを任されてるからテツオ以上に器用なもの。テツオの田んぼは、レイコとユリコが左右半々並びあう田植えに慣れた女2人の独断場となっていき、彼はやることがなくなって、畦を直すと女2人の後ろにさがる。見れば女たち2人は、自分の方がより田植えがうまいのだと競い合い、男一人の僕に対して見せつけようとしているようだ-ともテツオには感じられる。

  しかしそんなことより、今や田植えに興じる2人の女の後姿を、自在に眺める位置にあるテツオにとって、その視点も関心も、当然ある特異点に集中する。

  -田植え女の後姿といったって…、要はお尻しか見えないのだ…。こんなに大きかったっけ-

  テツオは正直、その大きさと存在感とに圧倒される。…二本の足に支えられた虚空に在る大きなマルと、田に映る大きなマル。西海にダルマ夕日というのがあるけど、この目の前の大マルは、幾多の輪廻を乗り越えて、ガンジスの彼岸に達した悠久の夕日のような存在感だ。いや、ひょっとして、無限の力でこの特異点に引かれていく僕にとっては、これはブラックホールの疑似体験かも…。でも、このブラックホール、その名の割にはこんなにも目に美しく、触感ゆたかな魅力あふれるものだろうか…。

  見開かれた瞳孔に、陽の光がさらにまぶしく、また額の汗も目にしみだしてきた頃に、女2人は田植えを終えて小川に引き上げ、テツオ君も休みましょうと、どうやら呼んでくれているようだ。

 

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  小川の淵にはクスノキがあり、木漏れ日きらめく木陰の下で、女2人がルノアールの絵のように楽しそうに談笑している。テツオも呼ばれて加わるが、その目はしだいに会話目線からは外れて、より下方へと移されていく。…見れば、小川で洗いたての、女たちの生足素足がそのままに、各々くの字に折り曲げられて、初出しのダイコンみたいに草むらの上に在る。ダイコンとはいえ太いのではなく、上質で艶がいい喩えとして。その先端には、まるで茹で加減で、朱に紅、ピンクにレッドと、彩り移るラッディッシュみたいな足指先が、かかとにかけて並んでいる…。

  その時、ユリコの目に何かあったか、彼女は急に小川で目を注ぎはじめる。

「ユリちゃん、どうしたの? 目に何か、入ったの?」

「い、いえ、大丈夫です。たぶん、またまつ毛が入ったのかと・・・。」

  レイコは急いでユリコに駆け寄り、片手で彼女の上体を起こしつつ、その目に見入る。

「目にまつ毛が入りかけてるわ。私が取ってあげるから、こっちを向いて。」

  ユリコはひざまづいたまま、起こした彼女の上半身をレイコに預けるかのように傾け、レイコはそこで同じようにひざまづくと、左手でユリコの肩を支えつつ、見開かれたユリコのその目にじっと見入ると、細く華奢な指先で注意深くまつ毛をはらった。そして続いて-もう大丈夫よ-といった感じで、レイコの朱るむ指先がさっとユリコの頬を撫でた時、ユリコの頬がバラ色に染まっていくのを、テツオは何か美しいものを見るような、羨ましげな心持で、見つめていた。

 

  日は午後になり、3時の時が近づいている。

「テツオ君、今日は本当にありがとう。もしよかったら、ユリちゃんもご一緒に、私の家でお茶しない?ガーデンはまだ途中だけれど、玄関のハーブの園とミニトマトのアーチまでは出来たのよ。」

  太陽が西へとかたむき、女2人はパラソルをさしながら、小路に声を響かせあって楽しそうに歩いていく。その後を一人ついていくテツオ。直立二足歩行の上に、傘の丸みが乗っかって、その下で大きな尻が、振り子のように揺れているのが目に映る。

  レイコ宅のガーデンでのお茶の席。ユリコとテツオは、ハーブの園を前にしたベンチに腰掛け、ハーブティーとレイコ手製のパウンドケーキをたしなんでいる。ユリコは応接間に置かれているレイコのピアノが、やや気になっているようだ。

「先生、私、よろしければ、一曲弾かせてもらっていいですか。」

  ピアノに向かうユリコの姿が、そのアップライトの漆のような黒い躯体におぼろげながら映っている。ユリコが奏でる一曲は、テツオもギターをやっているので、これがシューマントロイメライであるのに気づく。ユリコは和音の響きをゆっくりと、一音一音確かめるかのように弾いていく。

「じゃあ、私も一曲、弾かせてもらおうかしら。」

  今度はレイコがピアノを奏でる。テツオは曲を知ってはいたが、あえてその名と弾き手の気持ちを確かめたいと、レイコ自身に尋ねてみる。

ドビュッシーの『映像』からの『夢』なんだけど、今の私の気持ちとしては、夢のような嬉しさとでも、いうのかなあ…。」

  レイコは顔を赤らめながら、ピアノに向かって目を伏せつつ、微笑んだ。

 

 

  田植えの終わりが来るとともに、いよいよ真夏も盛りとなる。植えた初めはわずかな風にもしなっていた手植えの苗は、五葉七葉とぐんぐん育ち、分けつを重ねては、やがては孔雀のような扇形を装うものまであらわれた。稲の葉は、その初々しい明るい緑の葉の先を、天に向かってまっすぐ突きたて、その身はすでにコメの香りを発している。テツオは今、こうして揺れる稲の向こうへ歩いていった、レイコとユリコのあの時の、後姿を思い浮かべる。

  その夜も、彼は床につくまま長いこと、なかなか寝付けぬ夏の夜空を窓越しに見上げている。…月の光、夏の夜風にいざなわれ、あの『夢』が、脳裏の奥から聞こえてきそうだ…。彼もすでに夢の中にいるのだろうか、歳月はさかのぼり、テツオは一人の幼児にかえって、また同じく若返ったレイコと一緒に、古い農家の二階の部屋で寝転びながら、夏の夜風を楽しんでいる。

「テツオ、今日は田植え、楽しかったね。何かまた新しいもの、見つけた?」

「姉さん、ボクさ、バッタが脱皮するところを見たんだ。こうやって葉の裏にしがみついて、全身バックで、バッタなのに海老ぞり姿勢で脱皮するんだ。頭の中に血が上らないかって思うんだけど。ちなみに姉さん、バッタの血って紫色って、知ってた?」

「テツオ、あなた、その脱皮しているバッタを掴んで、つぶしたりしたの?」

「姉さん、ボクはそんな可愛そうなことしないよ。じっとそばで見てたんだよ。脱皮から新しい姿で出てくるバッタは、透明ですごく綺麗なんだよ。…たしかにボクは、バッタはいくらか殺したけどね。だってあいつら放っとくと葉を食べちゃうし、うちは農薬まかないから、それくらいは仕方ないって、姉さんも言ってくれたし…。」

  レイコはテツオに目をやりながら、ゆっくりと微笑んでいる。テツオはレイコにふと言ってみる。

「姉さん、週末だけじゃなくってさ、毎日ここには来れないの?」

  蚊帳にただよう線香の煙を眺めて、テツオは恥ずかしそうになりながらも、自分の思いを口にする。

「ボクさ、ここは大きくて暗いから、一人じゃ怖くて寝れないんだよ。…それに夜中のトイレも、連れてってほしいしさ…。」

  レイコはやや、胸につまってきそうになるのを抑えながら、テツオのそばに寄り添うと、その頬を右手で撫でつつ、彼の目を見て語りかける。

「テツオ、わかったわ。実家の祖父母の介護があるって会社を定時に引き上げて、私の家から毎日ここに泊まっては、翌朝ここから出勤すればいいだろうから…。お爺ちゃんもお婆ちゃんも別にかまわないって言うだろうし…。」

  テツオはあまりの嬉しさに、よくやるようにレイコの浴衣、その胸元のVの字に鼻先をつっこむと、胸全体にその頬をこすりつけようとするのだった。レイコはくすぐったいよ-と言いながらも、ここはいつもテツオをその手で抱きしめる。やがてテツオは、胸元から顔をあげてはレイコに尋ねる。

「姉さん、ボクが大人になった時、ボクと結婚してくれる?」

  レイコは特に驚かず、かといって子どもの話と軽んじもせず、再びテツオの目を見て語る。

「もしも、あなたが、今のその良い所を保ってくれていたのなら、私はOKするけれど、でもテツオが大人になる頃は、私はすでに若くはないのよ。それでもいいの?」

「いいよ。だってボクにとっての姉さんは、永遠の女性だもん。じゃあ、もうひとつ聞いていい?」

  レイコはテツオを、慈しむようにじっと見つめて、優しくうなずく。

「年をとればボクたちも、いつかはきっと死ぬんでしょ。死んだあとには、何があるの?」

  レイコはここはやや考えた後、テツオに向かってゆっくりと語りかける。

「死んだらね…、私たちはきっと“光”に、なると思うよ。」

「どうして死んだら光になるの? 幽霊になるんじゃないの?」

「光はね、他の何よりも速いのよ。光の速さに近づいても逆に時間の方が遅くなるから、何ものも光を掴むことはできない。これは命を掴むことができないのと似ていると私は思うの。なぜって命は、何より大事なものだから。それに臨死体験といって、病気や手術で死の間際を体験した人たちは、皆一様にまばゆい光を見たって言うのよ。」

  レイコは寝むたそうになりながらも聞こうとするテツオを見つめて、微笑みながらも言葉を続ける。

「死んだ後も、生まれる前も、多分同じ。そこはきっと全てが光で、自分もなければ他人もないのよ。」

「じゃあ、やがてはボクも光にとけて、いなくなるの? 姉さんも同じように、いなくなるの?」

「いいえ。私たちはなくならない。確かにレイコとかテツオとかいう身体はなくなるけれど、私たちの魂はなくならない。それは始まりのない所から永遠に続いていると私は思うの。そしてどのみち一つのところへ帰るのよ。テツオも私も、やがては一つの光へと、帰っていくのよ。」

  レイコはここで添い寝をしていたテツオから少しだけ身を起こして、彼の目を見て話しかける。

「テツオ。もしもあなたがこの先ずっと、心のどこかで私のことを想い続けてくれるのなら、私が先に天にいっても、魂の片鱗を天国の門に預けておくから、その門であなたと再び会えると思うわ。そして私たち二人は、来世で結ばれるのかもしれないわね。」

  レイコはここで、テツオの髪から頬までを撫で、キスをする。

「だからテツオ、私は今日、あなたがプロポーズをしてくれたこの姿の魂で、天国の門で待っているから、あなたは自分の一番カッコいい時の姿で、私のもとへと会いにきてね…。」

  青年テツオは、ここで夢から目が覚めた。レイコの声がはっきり耳に残っている。彼はレイコの温もりと感触とが、まだある頬に手をあてて考えようとするのだが、野良仕事の辛さのせいか、この日もまもなく何もかも忘れたように、寝入ってしまった。

 

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  テツオが寝付けぬ夏の月夜を重ねるうちにも、彼の田んぼの稲たちは、潤沢な小川の水に潤され、やがては剣のような葉をめぐらし、分けつのピークを迎える。そして最後の止葉をあげた後、静かに次なる命の宿し-出穂の時を待つ。

  盛夏の最中の8月中旬、テツオの田んぼはついに出穂の時を迎えた。分けつを終えた稲株の茎の中から、実をはらんだ穂の数々が、茎をつきぬけ天にむかって勢いよく伸びている。そしてまるでタイミングをあわせるように、ある日の午前いっせいに、コメの花を咲かせたのだ。それはちょうど一年前、タカノの田んぼで見たように、あまりに小さく可憐な花で、わずかな風にもプルプルと打ち振るえ、一瞬のうちにも受精を行い、命のリレーをつなげていく-彼は再び、それを見つめているのだった。

  テツオは寝付けぬ夜の最中に、出穂の穂ばらみで満ち溢れた彼の田んぼのことを想う。盆を過ぎた夏の夜は、今やすっかり鈴虫たちの声におおわれ、月の光を受けながら、次なる命を宿した稲穂は、点々とコメの花を咲かせながら、青い田んぼの稲葉の波間に、白く淡い輝きを放っている。

  …出穂-それは母なる地球の重力から、天へ宇宙へかけ登る、生の姿、性の姿。コメの花、その雄しべと雌しべが、ほんのわずかな刹那をとらえて交わしあう、愛の賛歌がめぐる時-僕はこの一反の田んぼから、出穂をうながしている自然の流れ、自然の響きを感じている。それは目には見えないが、何か意思があるような響きがするのさ…。白い、白い、コメの花、コメの花。あの日昇った太陽みたいに、今や月が天高くかざされて、この島の四海を白く、くまなく照らしている…。

  そして彼も、暑苦しさに耐えかねて、白いシーツの床中で着衣を脱ぎ捨て、窓からしのぶ月の光を、その艶やかな小麦色の身体に受けとめる。月の光は、彼の四肢をくまなく包んで、白くふちどり、なま暖かな夏の夜の幕間に、くっきりと浮き上がらせる。なめらかなその背中の丘陵には、ゆるやかな肋骨が波打って、腰から尻への山坂を経て、片膝を宙に浮かせた両足は、掛け橋のように長く伸ばされ、その先端の爪先からは、貝がらの反射のように月の光が散らされる。彼のその身の寝返りがうたれる度に、波打つようなうねりが床に伝わって、白いシーツの衣擦れの音韻を、夜の帷にさざめかせる。

  彼はあらためて全身を大きくよじって、月の光が身の側面を白くまばゆく照らしていくのを目で追いながら、自己のペニス-その特異なる造形を撫で擦りつつ、これはやはり出穂と同じなのだ-と、心の中で叫ぶのだった。そしてまた、このペニスを受け入れる女陰も含めて、それらは本来“花”であるとの、確信を得るのだった。

  …本来ヒトは、あらゆる木の実は食べてよく、辛く苦しい農作業などしなくてよかった。ところが、ある禁じられた知恵の実を食べた時から、自分たちのこの“花”を葉で隠して、羞恥という禁忌の中に入れてしまった。草木の花は愛でるのに、どうして我が身の花をタブー視し、見下し、ひやかし、忌み嫌い、醜いとまでこき下ろし、あろうことか猥褻とまで因縁つけて、葬ってしまったのか-本来は、何も恥じ入るものではなかったのに。性を正視しないというのは、生を直視しないのと、実は同じなのではないか…。

  …僕はこの島に来て、大地に根ざして生きてきて、見てきた花を思い出す。アネモネの赤、キンポウゲの黄、キンセンカの橙にカキツバタの青紫、そしてスイセンの白とユリの白…。どうしてこうも花々は、美しく、愛らしく、また鮮やかなのか。種は芽となり葉となり茎となり、そしてやがては花となり、受精し再び種となる。植物たちに脳はないから自我はおそらくないのだろうが、僕は彼らに意思があるのを知っている。彼らが織りなす花々は、その生殖の機能を超えた存在で、この世で何より美しくありたいという意思が、結実したのが花なのだ-僕にはそうとしか思えない。あの花たちの複雑な造形と色彩と香りとは、子孫をつなげる種を宿すと同時期になされるもので、ともすれば生存をかけるほどの莫大なエネルギーを要するはずだ。そして単に虫たちをポリネーターとして寄せ付ける必要以上の工芸品でさえあるのだ。あのニンジンの白いレースのような、アラビア中を探しても見出せない、どんな幾何模様もおよばない緻密な様は、工芸品をはるかに越えた存在なのだ。

  自然はまさに、こうしてその芸術を尽くすのだろう。命をつなぐ生の間際を性にたくして、その美の彼岸に達しようとするのだろう。そしてその身とその実を、愛する神に見てもらおうとするのだろう。  このように、生と性と美と愛とは一体のものであり、もとより分けることなどできず、花はそれを体現し、あらゆる命あるものに、見せ、かぐわせ、触れさせ、味あわせる。つまり花は、この世の真実、“美の絶対性”をあらわしているのである…。

 

 

  盛夏が去り、季節はいよいよ秋へと近づく。あれだけ激しく鳴いていたセミにかわって、今や鈴虫たちの鳴き声が、嘉南岳を中にいただくこの島のここかしこから聞こえるようになってくる。

  テツオが手がけた一反の田んぼの稲も、今や穂は垂れ、金色に色づきはじめる。テツオは風に吹かれて金色に波打つ田んぼを見つめつつ、出穂して30日を過ぎたある日に、田に入る水をせき止めたのを思い出す。この水は、ノロのユリコが注いでくれた聖なる泉の小川からくる水。彼はその小川より田に引き入れる給水口に、木の板を差し込んで水をせき止め、同時にまた排水口より田に残っていた水を落とした。これからあと刈り取りまでは、穂の茎の色合いが緑から黄色へと移りゆくのを見きわめながら、テツオは稲が登熟するのを見守ってきたのである。そして彼は、この日ユリコが、こちらに向かって歩いてくるのに目をとめる。

 

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  ユリコは麻の浄衣に野袴の白装束の行者の装い。彼女はオバアを師僧として島のノロを継いだので、日々この嘉南岳と島の行場であるウタキを廻る回峰行を行じていて、この日はその道すがら、テツオの田んぼに寄ったのだろう。

「ユリコ、水をありがとう。おかげでコメが無事にできたよ。」

  テツオがそう語りかけると、ユリコは微笑みうなずいた。彼女は金色の稲の穂を、片手で軽く撫でながら-稲刈りまであと少しね-とつぶやいた。テツオはユリコのその白い体に目をとめる。…ユリコはこの前、田植えで改めてその大きなお尻を見せてくれた…。もうカップル歴も長いから、キスも着衣のお触りも、テツオは今まで一通りこなしてきたと思っているが、ユリコが田の淵にあるクスノキに彼と一緒に座ってくれても、いくら彼女とはいえ行者相手に手は出せないと思うのだった。

  そしてユリコは、金色に実った稲と同じく、おごそかな雰囲気でテツオに語る。

「私の白帯行者姿って、初めて見るでしょ。…もうすぐ父の命日なので…。」

「そうか、そうだったね。もう、そんなになるんだ…。」

  稲の穂と同じように、やや頭を垂れて話すテツオに、ユリコはさらに話しかける。

「ねえ、テツオ。私たち人間って、どうしてこの地球上に、どうしてこの生物界に、生まれてきたんだと思う?」

  花や草を観察しては、いつもはユリコに語っているテツオだが、この日はややうつむいたまま、ユリコの言葉を待っている。

「私はどうしてこんなことを思うのか。父は兵士として戦死-つまり殺された。その意味で私は被害者。でもその前に、兵士の父は誰かを殺したのかもしれない。では私は、同時に加害者としてのカルマを背負うことになる。だとしたら、この私の運命は、はたして神に望まれたものかどうか…。」

  テツオは今まで何回か、ユリコのこうした発言を聞いている。しかし彼にはほとんどいつも何事も答えられない。それはいくら原発事業で働く父を持つとはいえ、戦争で父を失うなど想像もできないような恐ろしいことだから…。しかしテツオは、ユリコがこうした自問をするたびに発する次の言葉には、確かに強い共感を抱くのだった。

  -私は世間を、原発放射能、そしてその後の戦争で、私たちを弄び、捨てた世間を呪っている-

  これはテツオも同じだった。そして彼は、こう言うユリコを哀れむどころか、逆に強い連帯感を抱くのだった。

「こうした白装束を着て行を行じる者については、俗にお遍路さんとか、心を癒す供養の旅人とか言われているけど、実際にやってみても、私の中での“怨”の思いは強まるばかり。私は自分がこの“怨”に生きているとさえ思う。それは全くこれから先も変わらない。でも私は、自分がこうして心の内に怨を秘めても、それが私の精神を蝕むとも思えない。いやむしろ、怨を秘めて日々行を行じている私は、精神的には向上しているような気がする。」

  テツオはこんなことを言うユリコに対して、同情ではなく、むしろ好意を深めていく。

「俺、ユリコのその思いには、まだ遠く及ばないけれど、俺も偽善と欺瞞は嫌いだから…。」

  テツオはこの日、ユリコにこう答えるのが精一杯だったようだ。だがユリコは、いつも聞き役にまわってくれる彼の手を取り、一瞬だけ強く握ると、身をひるがえして足早に、またもとの行へと戻っていった。

 

 

  金色の稲の穂がすべて垂れ、穂ばかりでなく稲全体がその緑の余りを減らせていき、登熟はピークを迎えた。テツオは鎌をたずさえて、一反の田んぼに向かう。いよいよ初から手がけて実らせた自身のコメを、収穫として刈り取る時がきたのである。

  収穫の秋-その一言では収穫しきれぬ時間と労苦の重みとが、テツオには思い出される。その重みが鎌を手にする彼の手に込められて、テツオは豊かに実った田んぼをかき分け足を踏み入れ、分けつを重ねた太い一本を、腰の高さに達するほど成長した稲の束を、その根元をつかんで慎重に、だが勢いよく、鎌の刃をあて手前へと引いてみる。“ザクリ”と、太くて鈍い音がする。それとともに彼の手には、今まさにコメを収穫したという実感が、茎から上の全質量をともなって響いてくる。テツオは足を踏みしめながら、一列また一列と刈り取って、収穫の実感と喜びとを、腕から肩、そして胸へといき渡らせ、全身へと広がるのを感じている。

  そしてテツオは刈ったばかりの稲を抱えて、これから脱穀してみようとハウスの中へと入っていく。

  彼は自分の目の前に、竹で編んだ箕を置いて、低めの椅子に腰掛けると大股ひらき、その股の間で数本ごとに稲の首をつかんでは、片手でシゴいて種モミを箕の中へと散らしていく。テツオはこの作業を繰り返しているうちに、…まるで片手で握ってシゴいている稲穂の束が自分のペニスで、飛び散っていく種モミたちが精子のようにも思えてきて、またそれを受け止めているゆるやかな曲線の竹の箕が、女性の子宮のようにも思えてくる…。しかし彼は、こんな所でオナニーするより、これからいよいよ、自分たち人間一人が生きるに足る、真に必須な耕作面積-限界耕作面積を、種籾ベースで計算せねばと思うのだった。

 

  そしてテツオが計量してみたところ、無農薬・無肥料の条件下で、次の結果が得られたようだ。

① コメの収量確保には分けつが欠かせないけど、始終溜水できるような田んぼでなくても、畑で日に何回か溜水できれば、分けつはある程度はするものだ。それは僕の今年の経験では、一般的な慣行農法の30~50%、よくて平均14分けつほどだと思う。水をはらず草花と同様にかけて育てるだけならば、せいぜい3~7本しか分けつせず、また実りも少ないようである。

② 今回、条間は30cm、株間は20cmで、苗を1本植えとして、分けつ1本1茎あたりを平均2.5gとして14分けつとした場合、5㎡で14分けつが70株できるとして、1人が1年間消費する平均的なコメの量を60kgとしてみれば、必要な面積は次のとおり約120㎡と算出できる。

 30cm×20cm=600c㎡×70株=42000c㎡は50000c㎡より小さいから5㎡として、

 5㎡(70株)⇒平均14分ケツ×2.5g=35g/1株×70株=2450g

 60kg÷2450g×5㎡=122.5㎡⇒約120㎡

  (ただし気象その他の要因でこの値は変動する)

 

  ということは、田んぼが借りれず畑しかない場合でも、コメだけで120㎡、コメの裏作にはムギを作って、あと野菜も含めてこの倍の240㎡ほどあれば、つまり多く見積もっても300㎡ほどあれば、人間一人、何とか生きていけるという、これが限界耕作面積というにことになるのだろう。

 

  テツオは、あくまで今年の彼個人の経験による計量とした上で、以上の結果を、キンゴ、ヨシノとユリコたち、革命の同士3人へと説明し、そして4人は皆そろってこう考える。-人間一人がその生存に必要なのは、仮に試算をしてみてもせいぜい300㎡ほどで、痩せた土地もあるとはいえ、人間だけに広大な土地面積などそもそも要らなかったのだ。本当は人類は、分かち合えば誰もが生存できたのに、何千年も土地を争い、戦争し続け、ついには核の支配に自ら入って自滅に向かっていくなんて、何て愚かなのだろうか-と。

 

  4人はこれで、この当面の約束の地である嘉南の島に来て1年ほどで、テツオによる大地の糧と、ヨシノによる海の幸、そしてキンゴのブログによるプロパガンダと、あとユリコのノロの行によるお祈りとで、自分たちの革命と独立とが、何とか形になりつつあることを実感しているようである。

  しかし、これで話はおさまらない。人間の物理的な存在は、その他のあらゆる生き物たちと同様に、地球の許容範囲であることは実証できた彼らにとって、次ぎなるテーマは、ではその人間の核の時代に生きる意味そのものを問うことである-と、4人はそろって、また思いを一つにしたようである。

 

 

  テツオの初の新米は、さっそく島の日々の糧とするため、オバアの家で精米されて、ミセス・シンの厨房で食用に供されることとなった。

  しかし、せっかくの手作業田植えの初米ということだし、何かはやってあげたいと思ったレイコは、ある日授業がはねた後、テツオを呼んで話しかける。

「テツオ君、新米の無事収穫、おめでとう。それでね、私たち、いつか3人で田植えをしたもの同士で、いやそれだけじゃなく、ヨシノちゃんもキンゴ君も誘ってさ、新米の試食会ということで、この教室での自給自足第一歩のお祝い会をしてみてはと思うのだけど・・。

  会場は私の家で・・。というのは、ガーデンも整ってきたところだし・・。私がお茶とお菓子を用意するから、事前にお米を持ってきてもらえれば、私が何かつくってあげるよ・・。」

  この提案にテツオはあまりに嬉しくなって、おおいにレイコに感謝しつつも-それではお言葉に甘えまして是非“おにぎり”を-と言ってしまった。

「“おにぎり”? そんな簡単なのでいいの?」

「いえ、新米の試食会というからは、コメそのものの味わいを、じっくり味わってみたいみたいな・・」

 

  当日となり、4人は彼らの担任レイコの自宅で、テツオの初米試食会をガーデン前のオープンデッキで準備している。テツオが事前に持ち込んだ新米は、ヨシノが差し入れ調理した海の幸を具に仕込んで、彼が熱烈所望したレイコ手製の“おにぎり”へと、立派に成就をしたようだ・・。

「これらはすべて、あなたたちの収穫だから、本当に感謝しないとね・・。」

  ガーデンの花々を目前にして、オープンデッキのテーブルに並べられた数々のおにぎりたち・・。聞けば、ヨシノの煮魚焼き魚などの具材に応じて、おにぎりの握り手はレイコとユリコが分担し、出来上がった今となってははっきりしないが、レイコはワカメのおにぎりは確実に握ったとのこと・・。

  食べ盛りなものだから、つぎつぎと食していく4人。なかでもテツオは、おにぎりを1個1個ていねいかつ慎重に味わっていくのだった。

  -ああ、このおコメの風味もさることながら、このほどよい塩加減は・・。これははたして塩なのか、それともレイコさんの手の汗なのか・・-

「テツオ君、今日は本当に幸せそうな顔をして・・。夏にあれほど苦労して、今その収穫した手製のおコメを食べるのだから、その気持ちはよくわかるよ・・。」

  と、レイコは優しいねぎらいの言葉をかけてくれるのだが、4人が集うとまた公平にチェックが入ってくるらしい。

「テぇツオぉ~。でも、あなた、さっきからワカメのばっかし食べてるしぃぃ・・。ちょっとはあたしが作った魚のも、食べてよね!」

「ヨ、ヨシノ・・。いや、僕は最初に主にサカナ系を食べたから、今はバランスとって海藻へと・・。」

「テツオ。そうして常日頃からヨウ素をたくさん取っておくと、いざまた原発事故が起こった時に備えになるのかもしれない。君はさすがにこの革命の言い出しっぺのことだけあるよ!」

「キ、キンゴ・・。ありがとう、助けてくれて・・。でも、どうせ文筆とるのなら、もう少し想像力があった方が・・。」

 

  宴もよろしくたけなわとなり、皆が充分満腹になったところで、レイコ手製のお菓子つきティータイムへと入っていく。テツオの限界耕作面積をネタに、今度はキンゴが、彼が言うにはデイビッド・リカードもどきの経済理論を打ちたてたと披露するのを、レイコだけは最後まで熱心に聴いているのが果てたころ、ヨシノとキンゴは各々実家に帰っていく時間となり、レイコの宅にはテツオとユリコの2人が残り、2回目のティータイムとなっていく。

 

  午後の日差しが傾きはじめ、ガーデン前のデッキから部屋の中へと入ってくると、ユリコはまた、応接間のアップライトピアノの方へと目が移っていくようだ。

「先生、また、私に一曲、弾かせてもらっていいですか?」

  と、この前と同じようにピアノを弾いていくユリコ。自分もギターをたしなむテツオは、クラシックでも有名な曲目ならば知っているようである。

  -・・これはたしか、ドビュッシーの『月の光』か・・-

ユリコの和音を残して響かせていくような、ゆっくりとした演奏を受け、じっと見守っていたレイコもまた、つづいて今度は私がと、代わってピアノを奏ではじめる。

  -・・これはあまりに有名な、ベートーヴェンの『月光ソナタ』だ・・-

奏でるレイコの傍らで、ともに譜面を見つめるユリコ。レイコがその物憂げとも思われる第1楽章を弾き終ると、今度はユリコがその思いを引きついでいくかのように、つづく第2楽章を、やや軽やかに奏でていく。

  -・・そしてさらにレイコさんが弾かれるのは、これはいったい、何という曲だろう?・・-

  テツオがレイコにその曲名を尋ねてみると、彼女は少しうつむき加減に、

「これはね・・、ショパンの『子守唄』よ・・。」

  と、目を伏せつつもやや口元に笑みを浮かべて、声を細めてテツオに語る。

  -それを受けてユリコが次に弾く曲とは、これもまた有名な、リストの『愛の夢』だろうか・・-

  だが、ユリコは譜面を目にしつつも、やがてはこの難曲に行き詰ってしまったようだ。

「先生・・、もしよろしければ、この曲は、いかがですか?・・」

  恥ずかしそうに顔を赤くしながらも、振り返ってレイコに振ってみるユリコに、笑いながらも-できるかなあ-と応じるレイコ。しかし、レイコもまた、同じ所で行き詰ってしまったようだ。

  譜面をじっと見つめたまま、お手上げというように、両手を左右に広げるレイコ。

「・・多分、私たち二人とも、お互いにまだ“思い”というのが、足りないのかな・・」

  そんな冗談めいたレイコの言葉に、傍らに立ったまま譜面を見ていたユリコもまた、ますます顔を赤らめて、笑って開いた口元を両手で覆ってしまうのだった。

 

  テツオは、しかし、そんな二人を後ろのソファーに座りながらも眺めつつ、羨ましく思うのだった。レイコの目は『子守唄』を奏している一瞬だけ、テツオの方を見た以外は、ずっとピアノの方を見つめていて、ユリコもまた自らピアノを弾く時以外も、ずっとその傍らを離れなかった。

  

  テツオは二人に気をきかして、先にレイコの家を後にしたが、テツオが去っていった後、二人はそれから連弾ができるようにと、アップライトピアノの前に、今度は並んで腰かけた。

  二人は再度『月光ソナタ』を、連弾で弾き始める。第一楽章の中ほどか、二人は本の一瞬だけ、その手と足を、鍵盤とペダルからそらせたようだが、ほどなく連弾へと戻り、第二楽章まで弾き終わった。

  これからは月光とは思えない燃えるような第三楽章となるのだが、二人は互いに譜面を見ながら、やがてお手上げといった感じで、肩をすぼめて手を広げ、恥ずかしそうに微笑みあった・・・。