こども革命独立国

僕たちの「こども革命独立国」は、僕たちの卒業を機に小説となる。

第六章 復活

  テツオがあらたに百姓として成長を始めたころ、移住してきた他の島民たちにもいくばくかの変化が起こった。4人の革命独立に共感を抱くほかは、ただ喫茶好きというだけで意気投合した、タカノ夫人とミセス・シン、そしてアタカ女房の例の女3人たちは、自らを“スリーシスターズ”と名乗り、特にこの島の料理長たるミセス・シンの強い主張で、木造校舎の一室を厨房と喫茶室にと、男どもに改装をさせたのだった。

  そればかりではない。木造校舎の向えにある、かつての隠れキリシタンの教会は、木造校舎が寮と事務所と喫茶室へと化したので、教会が学校の校舎を兼ね、また図書館も兼ねるようになったのだが、そこが授業が終わればほぼキンゴが独占する場になったのである。これはタカノとアタカが、寄付金を受けるかわりに本が欲しいと、少子化や予算減で廃止が続く図書館から多量の図書を寄付してもらった賜物なのだが、彼は西の暑さが辛いからと食料自給をテツオに預けるそのかわりに、自分はこの革命と独立を文字にすると、自分たちの革命理論と哲学を作るのだと、島では万巻の書物に向き合っては入り浸る、マルクスみたいな生活へと入っていったわけである。そればかりではない。自称ワグネリアンである彼は、実家でなかなかできないからと、自室にあったパソコン・ネット、またオーディオセットを教会へと持ち込んで、ここで大好きなワーグナーを大音響で鳴らしながら聞きながら、ネット発信し始めたものだから、その延々たる音響に恐れをなして、誰も彼がいる時には教会には入ってこなくなったのである。

「キンゴ、また今日もこんな大音響で。難聴なっても知らねえぞ。お前いっつもこれ聞いて、音楽といやぁギターしかやらねぇ俺さえ覚えちまったが、これっていったい何て曲だよ?」

  そんななか、テツオは農に疲れると、涼しい所で一休みと教会にやってくる。テツオは白の長袖のコットンシャツに、緑色の登山用ニッカボッカに黒長靴の百姓スタイル。対するキンゴは魯迅のような黒長の胡服のような服をまとって、教会の祭壇下のいつもの彼の特等席で執筆に向かっている。

「リヒァルト・ワァーグナーの楽劇『ラインの黄金』の最後の場面、大空に虹の橋があらわれて、そこを渡っていくシーンだよ。ライン川の岩肌にある黄金から作った指輪を手にしたものは、世界を手に入れる権力を有するが、その代償として愛を断念せねばならない。この物語が意味するところは実に示唆的だと思うんだよ。」

  キンゴは白くきれいなシルク肌に、耳まで被った艶のある黒い髪をゆらせつつ、テツオに語る。

「それはそうと、お前、ブログを始めたんだろ。題名、何ていうんだよ?」

「僕が書いてるブログはね、その名も『子ども革命独立国』だ。つまりこれは、僕らの革命・独立の日々の思いと活動を、広く世界に伝えるための理論とプロパガンダの書といえる。文章は僕が起草し、英文訳はシンさんが同時に発信してくれる。今はつれづれなるままの日記だが、僕はゆくゆくこれを小説として、同世代と次世代の子どもたちと若者、そして後世の人類に伝えようと思うんだ。」

  ワーグナーばかりを聞いて、マルクスみたいに本に埋もれてばかりいると、こんな大風呂敷を広げるものかとテツオは思うが、キンゴの方はテツオに何か言いたいらしい。

「テツオ、僕は暑さに弱いから、農作業は全て君にやってもらって、僕は本当に感謝している。それで僕は、僕たちの革命理論を構築中だが、君がいつか言っていた、人間一人が生きていくのに必要な耕作面積-リカード的にいうならば限界耕作面積とでもいうのかなぁ、僕はこれが知りたいんだよ。それとテツオ、野菜、ムギとその次には、コメをやってみたらと思うんだけど。」

「何、コメだ? この島じゃ用水はありはしないし、あるとすれば嘉南岳の麓の森の聖なる泉から流れてくるあの小川しか…」

「水田をやるためには水が足りないっていうんだろ。でもこれを見てよ。」

  とキンゴは、農業を理論的に援助しようと調べたのか、一枚の記事を見せる。

「…自然農法…。始終、潅水させなくてもコメはできる-そうかタカノさんが言っていたのはこれだったのか。よし、じゃあ、コメもやってやろう!」

 

  ムギを最後に年内の播種は終わり、島は最初の正月を静かに向かえた。皆は朝から浜に集まり、正装のオジイとオバアを先頭に、東からの日の出を拝み、昼は改修新たな木造校舎の喫茶室で、ミセス・シンを中心に皆で作った料理を持ちより、彼女の弾く三線による“かじゃあで風”を聞きながら正月の宴を祝う。宴もたけなわとなった頃、ヨシノはいつも一緒に船に乗る校長に気遣いしてか、今日はまだ出番のない彼のために一席作ってやろうとする。

「こうして無事にこの島で最初の正月祝えたのも、校長先生のおかげです。宴もたけなわのこの辺で、校長センセの寿新春プチ歌舞伎を、聞いてみたいと思いませんか?」

  ところがそんなヨシノの気遣いに、その女房が意外にも待ったをかける。

「いいえ皆さん、そんな気を使わないで下さいな。この人ったら教育委員会から解放されたのをいいことに、古文の授業を荒事、世話物、心中物で私物化しちゃって。中高生なら必須の源氏物語枕草子徒然草はどこへやら。」

  これで出番も出鼻も新年早々くじかれたと思ったのか、校長は悔しまぎれに言い返す。

「そんな王朝きどりの馴れ初めごとや坊主くずれの辛気くせえの、江戸っ子気質の男伊達の総本山のこの俺に、今さらできるかッてんだ。第一、うちの女房は言うことも固ければ理系だけに頭もカタイ。見るもの聞くもの幾何模様。モノはといえば剛体しか頭に浮かばず、N極やらS極やら二本ざしが怖くなくても焼き豆腐や田楽なんてヤワイものは食べもしねえ。やわらかかった脳みそもハチの巣みてぇに正六角形の穴だらけだ。自然科学の鉄石心を風呂敷かけて隠そうとも、理系女ならばなおのこと、加速度つけて転がり落ちる女心の赤坂ってぇもんよ。」

「先生、それじゃあんまり奥さんに失礼ですよ。それに先生、最近キンゴのパパの影響か、今のセリフもますます落語にはまってるしぃ。」

  女房はしかし、怖そうな顔をしながら怒るどころか、どうせ夫の引き出しはこれまでと、これ見よがしに哀れみの目を浮かべつつ、4人の生徒にこう伝える。

「この人はもうしょうがないのよ。あなた達には私が教えてあげますから、いつでも家にいらっしゃい。大学の通信課程で、私ももうすぐ国語系の免許が取れるし。今ね、家の前の放棄地をガーデン風のお花畑にアレンジしようとしてるのよ。玄関にハーブを植えてお迎えして、ミニトマトのアーチをくぐり、ラベンダーの花咲くレンガの古径をゆっくり歩いて、そこにアンティークのジョウロなんかが可愛く置かれて、ブルーベリーの紅葉をむかえるなんて素敵じゃない。ベンチに座ってハーブティーでもたしなみながら、シェイクスピアの朗読会というのもいいわね。」

「先生、それは素敵ですね。ぜひ実現しましょうよ。」

  しかし、ここで引き出しが開いたのか、アタカが話しに復帰する。

「へッ! イヤミな人だね女房は。油紙に火がついたのか、ペラペラペラペラカタカナ英語を奉ってよ。そういうのってイングリッシュガーデンっていうんだろ。女房はこの俺が、からっきし英語ができねえ、仇討ちだって、リベンジ、左団次、居残り佐平次、その内どれだかわからねえと思っているかもしれねえが、シェイクといっても飲めやしないシェイクスピア小咄(1)の一つや二つは知ってるさ。

  ハムのカツレツ-ハムレッツと、ケーキといえばレアチーズ、パスタといえばボローニアと、洋食屋のメニュウから出てきたような三人の色奴、花の色里吉原へとあらわれた。大門をぬっとくぐると、桜の下にはヘビも隠れるハーブが茂り、仲ノ町の両側にはトマトのような赤提灯、通りを行けば女郎のつけた白粉や、遊郭のベランダからのラベンダーがほのかに香り、三人の色奴たち、ひやかしついでに郭の露、濡れてみたさに来てみれば、初手から相違の愛想尽かし。そのくせ銭はしっかりと取られちまい、古径の古い水差しを、“アンチクショウ女郎!”とばかりに蹴飛ばした。」

「先生、話はそれからどうなるんです?」

「あなた達、ウチの人の言うことを信じちゃダメよ。この手の話は口からの出まかせだから。」

「実はハムレッツには許婚がいたのだが、彼にふられて尼寺に行けと言われたのを苦に、この吉原の苦界へと身を落としていたのである。それで自棄のやんぱちで他の男と心中をしようとしたのだが、男の方だけ入水して自分は死に切れずに生き残り、せめて男の回向はせねばと髪をスッポリ剃ったんだと。そしたら百年目の向島といわんばかりに、ここでばったりハム公と会ったという。」

「アナタッ。私そのサゲ知ってるわよ。“お前さんがあんまり客を釣ろうとするから、比丘(魚籠)にされたんだ”っていうんでしょ!」

  女房、勝ち取ったかのようにサゲを先に言ってやり、夫の噺のハイライト、フッと消してやろうとする。

  しかし、アタカは大きなため息。

「ハアア。女房、お前さんはだから女心の赤坂だっていうんだよ。そのサゲじゃ古いままだろ。今やこの噺のサゲは例えばこうだ。“あれ、オフィーリア。お前さん、本当に尼になったんだね!”」

 

  正月すぎて二月となった。一年で最も寒いこの時期に、テツオは百姓プランを立てている。彼は去年の10月に播種した100㎡の秋冬野菜の畑を見ながら、春から夏へと考えを巡らせている。すでにダイコン、カブ、ニンジンはなんとか実り、ルッコラはトウ立ちし始め、ホウレンソウは葉が黄ばんできている。彼はこの100㎡の畑からまず50㎡を切り出して、これから先も放射能やTPP等への懸念から、安全な野菜を自給したい人のために、誰もが参入できそうな小さな家庭菜園のモデルケースを示せたらと考えている。50㎡の広さがあれば、畝は幅60cm、長さ420cmの面積約2.5㎡で12本の畝を立てて計30㎡の畑ができる。畝を12本とした理由は、連作しにくいナス科やマメ科で畝3本を使っても、連作障害を考えて作付け期間を3年おきとできるためだ。テツオはミセス・シンのパスタプランの影響で、トマト、ジャガイモでまず3畝を考えた。トマトはミニトマトを中心とし、苗を買って時間差で定植すれば、6月からうまくいけば9月頃まで収穫が見込めるだろうし、ジャガイモは春秋と年2回収穫ができ、しかも保存が可能である。つぎにサツマイモに2畝をあて、5月に定植、11月に収穫して、冬場に備えることとする。そしてエダマメにも2畝をあて、これも早生、中生、晩生と時間差でずらしていけば長期収穫、そしてダイズとしての味噌作りにもつなげられる。ここまでで7畝が決まり、残りの5畝はダイコン、カブ、ニンジンなどを入れておき、間引きから葉を食べてその後に太った根を食べれば、一播きで二度おいしいということになる。これらが成長するまでのつなぎとしては、手早く育つラディッシュコマツナなんかを植えればいいし、他にもホウレンソウ、チンゲンサイといろいろある。これらは一年おきで作れるのもあり、応用がきくだろう。そして年の後半の秋冬野菜も、また同様に計画立てればいいのである。

  さて3月すぎて春夏野菜本番となり、テツオは意気も盛んに自分の畑に向かっていく。しかしやはり自然は厳しく、思い通りにいかないものだ。このテツオの取り組み、結果はどうなったかというと、露地のトマトは発芽はしても、また花が咲くまで至っても、成長をやめたのもあり、中玉は実をつけても赤黒く、ミニトマトは実をつけてもそんなに長くは続かない。ジャガイモは芽かきをしても増殖せず、親イモの1.5倍ほどもできず、まるで一人っ子政策である。サツマイモのツルはツユクサにすっかり覆われ、土の中でどうなってるのかわからない。チンゲンサイは雑草に負けて消えてしまい、ニンジンは小さかったり白かったり又割れしたりで、カブ、コマツナラディッシュの葉は虫に食われてボロボロになってしまった。ところが小さなビニールハウスで植えてみたミニトマトは、高温ゆえか生えに生え実りに実り、わき芽かきもわけがわからずジャングルみたいになってしまって、全くの想定外だがこれが百姓テツオの初の豊作となったようだ。

  テツオが畑でボロボロの野菜を見ながらユーウツな気でいる時に、通りかかった校長がまた余計なことを言う。

「テツオ。お前近ごろ、水もしたたるシッタルタとお釈迦様でも気がつくほどのイイ男になったじゃねえか。こいつぁ、かの十一代目団十郎助六と似て、俺と同じく、頭の髪のハケ先から阿波高越山が浮絵のようにあらわれる男伊達の総本山てぇやつだ。ワハハハハ!」

  校長がこんなのだから、畑を見に来たミセス・シンもまたこうである。

「テツオ~。あんた、最近ますます男前になったわねえぇ。こんな小島でくすぶらないで、たまには県の天神街をカッポして、女の子に口説かれてみなんしては。たとえ足の太い娘でも、ダイコンもトウが立てば露地の花なんッていうからサ、つれなくして振ったりすればバチがあたるよ。えっ、何だって。僕がイケメンだとしても畑がイマイチ? どれどれ見せてごらんなさいな。」

  と、ミセス・シンはテツオの畑に入ってきては、シゲシゲ見やる。

「立派よぉ、立派、立派。農薬も肥料もいっさい使わず、百姓の一年目でここまでできれば大したモンよ。2年3年やってるうちに、絶対にコツつかめるようになるからさ。これって見た目はショボくても料理すれば農薬だらけのスーパーの野菜より味も風味も別格なのよ。あなたも料理をしてみれば、包丁を当てるだけでも一発でわかるんだから。そうだ!テツオ、あんたこの際料理の修業もすればいいのよ。百姓やって料理しないのモッタイナイよ。あたしが教えてあげるから!」

  と、ミセス・シンはテツオの畑のミニトマトを一粒ほお張る。

「じゃあ、手始めに、あたしが立証したげるからさ。今日のお昼、この野菜たちでパスタするからいつものように喫茶室に昼食に来て。スリーシスターズにも声かけとくから。」

  スリシスたちも来ると聞いて、テツオは少し不安になるが、その3人女が喫茶室にすでに集い、各々すっかり食べ終わり、これからコーヒーしようかなという頃合に、テツオが一人、畑帰りに入ってくる。

「テツオ。午前中はお疲れ様。さあ、こっち座って。えっ、そんな部屋の隅でいいの? 遠慮しないでいいってのに。今パスタ出したげるから。」

  テツオは女たち3人に囲まれるのを警戒したのか、少し離れて座ったが、出されたパスタの一皿はことのほかうまいのだった。

「ドウ?おいしいでしょう。これはあなたが、ウズラの卵みたいに小さいとぼやいていたタマネギを、ニンニクがわりにオリーブオイルで熱して風味を出したあと、虫食い部分を取り除いた中玉トマトとミニトマトをそのまま入れて、水を足さずにジュウシーにトロリと煮込んでソースにしてバジルの葉を乗っけただけの、オリーブオイルとパスタ以外は全てあなたの育てた野菜たちによる一品なのよ。」

「いえ僕が育てたのではなく、野菜が自然に生ったのですよ。みんな畑のおかげです。」

「でもその畑の守り主はあなたでしょう。あなたがやんなきゃこの野菜たち生まれてきなかったんだから。 テツオ、おめでとう! まだ完全ではないとはいえ、あなたは今こうして立派に自給自足の第一歩を踏み出したのよ。これは、カネさえ出せば何でも食えると思っている現代人の世の中で、とても誇れることなのよ!」

  ミセス・シンは微笑しながらこう誉めてくれたのだった。そして彼女はまたもう一皿を出してくる。それはただのマメなのだが、食べた瞬間、テツオは思わず息をとめた。

「これもあなたが作ったエダマメよ。春のソラマメはまっ黒けで終わったけれど、グリーンピースはからまりながらもそこそこできたし、エダマメもそれに続いてよかったわね。これただ塩茹でをしただけで、何も手を加えていないんだから。でも風味豊かでいろんな味がするでしょう。見た目も青い宝石みたいにきれいだし。本当の料理というのは、あたしが思うにこのように、料理をしない料理なのよ。」

  コーヒー党のスリシスたちは、かわるがわる店長ゴッコを楽しんでいて、この日はアタカの女房が店長役を勤めている。彼女たちはお好みのBGMを聞きながら、茶飲み話につぎつぎ花を咲かせていくのが好きらしく、その日の気分と空気にあわせてマメを選び、コーヒーカップでアレンジしながら、それにあったBGMを選ぶのが、店長のセンスとされているようだ。アタカ女房が選んだのはマンデリンで、彼女はそれにマーラーのアダージェットをあわせたいと、CDをかけるのだった。

 

  そしてアダージェットが流れ始める。喫茶室の柱時計に入れ替わり、音楽が時の流れに染み渡るころ、この曲を聴くうちにテツオの脳裏にある情景が浮かんでくる。片時も忘れていない親のこと、故郷のこと、だれもいなくなった町、緑ゆたかだった野原に積み上げられたフレコンバッグの黒い山並み…。

  テツオはテーブルの青いマメが、また涙でゆらいでくるのが見える。彼は食事のお礼もそこそこに喫茶室をあとにして、校舎の隅まで歩いてくると、初夏の木漏れ日を前にして足を止めた。

 

  …3.11、あの原発事故を境として根本的な何かが見えた。放射能は目に見えないし五感でも察知できない。しかし何よりはっきり見えてきたのは“人間の本質”だ。3.11の直後からこの国には脱原発が響き渡った。海外ではそれを実現した国もある。しかしその後の総選挙で国民は、国防軍改憲を公にし、原発と安保利権の守り主たる慈民党を政権に復帰させた。俺はこの時、国民あるいは世間というのに、“自分たちは捨てられた”と確信した。そして同時に沖縄や水俣病や世界中の難民といった人たちに、初めて思いをはせることができた。まったく情けないことだが、それが俺の現実だった。

  その後、大量の放射能もれで傾いたこの国の権力も、それを支える経済界も、それに対峙のふりをする勢力も、被ばくの現実から目をそむけて、集団的自衛権とか安保とか9条だとか騒いでたよな。俺はもう誰も信じなかった。一番緊急の問題は、100万人に1人といわれる小児甲状腺ガンが早々に100人を超え、原発労働者を原発に向かわせていることでもわかっている“被ばく”を、いかにして防いで助けるかということのはずだろ。9条は沖縄を見れば初から無いのは明らかだ。アメリカの戦争に協力している日米安保そのものが問題なのに、9条をいくら言っても意味が無いのは明らかだ。誰もが現実を見ないようにとした上で、自己正当化とおしゃべりばかりしてるのさ。このように、世間は本当の犠牲者を作っては捨て続けてきたんだよ。

  俺の思いは当時も今も変わらない。9条も安保も日米同盟も、中国や北朝鮮の脅威とやらも通り抜け、この国で現実に起こっているのは“核戦争”だということだ。そして20mSvや100Bqという、核のなかば“強制収容所”に住んでいるということだ。汚染地のことを言ってるんじゃないんだよ。国全体、国民の全体がそうなのさ。もう宣戦布告も将軍も兵士もない。有刺鉄線もガス室もない。そんなものは核の前には今さら要らない、似たものが見えないままで存在しているってことさ。敵も見えず味方もいない。誰もが一人孤独の中で、日常の生活で、放射能やら有害物に静かに死傷に追いやられる-それが今日の戦争のやり方だ。地震が起これば原発がどうなるのかを経験し、ヒロシマナガサキを経験した国民自身が、再稼動を容認し、被ばくを見て見ぬふりをする。年5mSvほどのレントゲン室は鉛が覆う立ち入り禁止の小部屋だが、空間線量20mSv、食料品100Bq、廃棄物8000Bqなどというのは、そんな国民が自分自身を囲い込んだ“今日のゲットー”だよ。

  俺は3.11のあの晩に、生気の無い人々の群れの中を一人歩いていたことを思い出す。“きているのは名ばかりで、実はすでに死んでいる”(2)という言葉があるが、まさにその通りだった。まわりの人はすでに幽霊。丸木夫妻の『原爆の図』のはじまりは『幽霊』だったが、あれは外見だけを言ってやしない。もし人が本当に生きているなら、自分も子孫も死傷に追いやる原発放射能を認めるはずはないだろう。それに反応しないのは、もはや生きていないも同じだ。俺は3.11の以前からゴーストタウンにいたんだよ。これは汚染地のことじゃない。この国民が住んでいるこの国自体が実はゴーストタウンだったのさ。それを見せてくれたのが、目には見えない放射能だったんだよ…

 

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  畑の次にはテツオには、田んぼの準備が待っていた。始終浸水せずとはいえ、陸稲ではなく水稲をやるのだから一定の水量は必要で、彼は嘉南岳の麓の森から流れ出る、聖なる泉の小川に接する放棄された田んぼの一つを、まずは一反=1000㎡の水田として復活させることにした。初年の今年はオバアから種籾を分けてもらって、すでに苗は成長をはじめている。

  テツオは来る日も来るも鎌一本で、この草ボウボウの放棄田んぼ一反の草刈りに励もうとするのだが…。1000㎡もある広さをすでに日差しも熱くなって木陰もないなか、白シャツも汗びっしょりの重労働、しかも日焼けヘビよけ虫よけの長袖が熱くってしょうがない。ボタンをはずして胸を開ければいいのだが、彼は生えてきた胸の毛を見られるのがイヤでたまらず、上一つしかはずさないし、おまけにシャツが透けて見られるのもイヤと、下着までも着るものだから余計に熱い。

  このところ雨の降らない炎天下が続いている。これも何かの刑罰なのかと思えてくる。テツオは額に汗するどころか顎の先から汗水を垂らしながら、昨日も今日も鎌を振ってはザクリ、ザクリと草を刈る。ただひたすらザクリ、ザクリと刈りまわす。ザクリ、ザクリと…。

  しかし一度慣れてくると、このザクリザクリが快感に転じはじめる。この音、そして草どもを頭ごなしに引っ掴んでは束にして刈る、あるいは根こそぎ引っこ抜いては投げ捨てる、己の筋力の高揚が快感になってくる。テツオの若い筋肉は鍛えるほどにたくましく、鎌を握る手から腕へと、またそれを支える胸板から背筋までをぐるりとめぐって、地を踏みしめる足から尻、太ももまでの全筋肉が、皆その男らしさをギラギラとみなぎらせていくようだ。これこそ輝かしい青春の目に見える証だろうか。

  …人間で、鎌という武器を手にしたこの俺が、あのマクベスみたいに宙に刃をかざしては、静かな大地に振り下ろす。その瞬間、虫もカエルも面白いように逃げていく。もしこれが草刈機でやったのなら、彼らは瞬時で八つ裂きにされただろうに…。ザクリ、ザクリ、ザクリ、ザクリと刈っては捨て、刈っては捨てを繰り返す。筋肉のみなぎりは一度その味をしめてしまうと、次から次へと新たな獲物を求めるように、俺を駆り立てていくようだ。虫もカエルも遠慮なく踏みつぶす。根を抜いたその中に幼虫が寝ていても、投げ捨てるか、面倒くさけりゃ踏みつぶす。彼らに声があったのなら悲鳴の一つも上げただろうに…。

  “痛ッ!!”

  テツオの鎌が、草刈りの勢いあまってその左手を直撃した。見てみると、人差し指の手袋の先っちょがとんでいる。幸い指はとんでおらず、かすり傷ですんだようだ。テツオはにじみ出てきた指先の自分の血を、なめるようにすすり始める。…血で穢れた俺の手は、俺の口で清められる…。でも、なぜいったい自分の血が、穢れだというのだろうか。虫を殺していたのは己自身だというのに…。

  テツオの舌の一面に、すすった己の血の味わいが、じっとりと広がってくる。そして彼は、マクベスみたいに宙に刃を振りかざす、武器を手にした人間の、己自身の凶暴さに気づきはじめる。

  …自分が今やっていることは、実はホロコースト、大虐殺ではないのだろうか。それにここを水田にしてしまえば、地にある命は窒息して死に絶えてしまうだろう。また秋に水を落としてしまうのなら、今度は水の命が死に絶える。水田が里の心の原風景など、よく言えたものである。しょせんは水攻めホロコーストかジェノサイド、この地は今やキリングフィールドではないか。それを誰も抵抗できない暴力で無感覚にも執行するのは、他ならぬこの自分なのだ。自分は原発事故で難民となり、たしかにこの地に逃れてきたが、今度は自分自身のそのせいで新たな難民を生み出してやもうとしない。これまで自分が刈ってきたこの痕跡は、人間には雑草をきれいにしたという清潔感と満足感の証なのかもしれないが、草や虫には見るも無残な死に跡だと思われる…。

 

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  テツオは放心したようにひざまづく。彼は心の奥底で、無意識にもこんな声を聞いた気がする。

  -お前のために、地が呪われる(3)-

  もう涙も何も出なかった。もはや諦めとでもいうのだろうか。…どうせこの地も放射能に汚染されれば、またもとの放棄地-ただの自然の原野に帰って、人間もいなくなり、その方が草や虫にはいいかもしれない…。

  テツオは握っていた鎌を投げ捨て、地を踏みしめて大の字につっ立ったまま、じっと己の両手のひらを見つめている。…まるで殺戮の返り血が、ジッとにじみ出てくるようだ…。

  -お前たち人間の血、生命の損失には、その責任を追及する(4)-

  テツオはそのまま地に座り込む。…もう何もしたくない。生きているのは名ばかりなのは、実は自分のことでもあるのだ…。

  テツオは田んぼの横の斜面、青々とした草むらにその長身を横たえる。重たかった長靴を脱ぎ、熱くッてたまらなかった上着も脱いで上半身裸となり、そのまま風を身に受ける。風が腋毛と胸毛をそよがせるのがくすぐったく、それにまじいる夏草の澄んだ匂いが香しい。彼は腕を枕にしてその筋肉に頬をよせる。墨のような黒い眉に通った鼻筋、締まった口元、その横顔が青空のもと、地の青草に彫り込まれる。

  テツオはふとまどろんでしまったのか、不思議な夢を見たようだ。初夏の午後、青空のもと、心地よい海風に吹かれている草花たちが、その身を風に揺らせながら合唱曲を歌っている。

  …なたは何を心配するのか。あなたは何を憂うのか。私たち野の花が、どう育つのかを見るがいい。苦労もせず紡ぎもしない。繁栄の極みにある人の都も、私たちほど着飾れはしない。私たち今日は盛り、明日は炉に投げ込まれる野の花も、神はこれほど装いたもう。何を食べると心配するな。明日のために心配するな。一日はその日の苦労で充分だ(5)…。

  そしてその草花たちから、まるで出穂するかのように、一人の女性があらわれて、メゾソプラノで独唱する。

  …おお、紅の小さなバラよ。人間は悩み苦しむ。人はもとより土くれから取られた身。私はしょせん土くれから土くれへと帰るだけ。私は神から出たもので、再び神のもとへと帰る。-よみがえる、そうよみがえるだろう。わが塵なるものよ、わずかな生の憩いをすませて、お前は再び花咲くために、再び種として播かれる。収穫の主は歩み来て、穀物の束なる我らを、死んだ我らを拾い集める(6)…。

  そしてその女性の独唱は、やがて確かな声となり、テツオの心にささやきかける。

「テツオ、あなたは優しい人。草や虫、私たちみな生き物は、互いに食べていくことで互いの命をつないでいる。それしか互いの生存を取る方法がないのだから。あなたは今、人間の原罪をかいま見た。あなたの行為は人の欲や業からではなく、己自身の生存を保つためだけのもの。あなたの行為は許される。自らの原罪を認めるまで絶望した今のあなたは、これから復活を遂げていく。」

 

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  テツオはハッと目が覚めた。小川の向こうにユリコがいる。ノロとなり、長く伸ばした黒髪をひとつに束ねた白い服の立ち姿で。しかし彼が起き上がろうとしたその時、ユリコの方が目をむいた。

「テツオッ! あなた、その胸っ!」

  ユリコは駆け寄り、はげしい息づかいのまま彼の体にすがりついく。テツオは瞬時に飛びのいて、急いで上着で胸を隠した。

  …ち、乳首を先に、まさぐられた…

  テツオが胸をシャツで隠したまま、顔を赤らめうずくまるのを見て、ユリコは草にへたり込む。

「テツオ。あなたまさか、自殺しようとしたんじゃないよね?」

「何で俺が、自殺しなきゃなんないんだよ。」

「…テツオ…。だって、あなたって…、実はLGBT…、だよね?」

「…なんだよ急に、藪から棒に、ぶっきろぼうに…。それで、俺の“棒”に、なんか文句あんのかよ?」

「…あたしたちカップル歴があるからって、カミングアウトはまだかもしれない…。

  いや、あたしが言いたいのはね、LGBTってほら、男女の障壁が低いじゃない。だからあたしが思うのは、男女の区別の障壁が低いっていうことは、人間の認識は相対的っていうからさ、ひょっとしたら生死の区別の障壁も低いことにつながるんじゃないかって思ったのよ。だってLGBTの当事者たちで、自殺を考えた人って少なくないって聞いたから…。」

「…じゃあ、ユリコは今まで、自殺を考えたことってあるの?」

「あたしは父の死を通じて、人の死がどういうものかを体験したから、自殺しようとは思わない。それに今はあたしは行者だから、もう自殺を思うことすらない。だって行をするうちに、自分の命は自分の一存で決めれるものではないんだって分かったから。」

「じゃあ、何で俺が自殺しようとしてるって、思ったのさ?」

「だって胸もシャツも血まみれよ。じゃあその出血はどこからなの? 鼻から、それとも口から?」

  テツオはようやく気がついた。指先の出血は、実は止まってなかったのだ。

「鎌で指を切ったって? テツオ、あなた足は長いし腰も落とせず、だいたい体固くてしゃがめないし、いつも鎌を振り回して刈るものだから、いつかケガするんじゃないかって思ってたのよ。」

  恥ずかしさと半ば悔しさ入り混じり、背を向けながら上着を着つつあるテツオ。ユリコは彼の手を取ると、小川に連れては傷口を洗ってやり、ハンカチで包んだ後、束ねていた髪の輪ゴムで指の根元をくくりつけた。テツオはユリコのその振る舞いを、痛みを忘れてただうっとりと見つめている。

「テツオ。今年、あなた、この田んぼ、どこまでやるの?」

「一反さ。まずは一反、やろうと思う。でも水が、この小川から水を引こうと思うのだけど、水がはたして足りるかどうか…。」

  ユリコは田んぼを眺めると、嘉南岳の方を見やってテツオに告げる。

「あの山に、弘法大師の修行跡と伝えられる竜頭の滝と金剛の滝という二つの小さな滝があるのよ。この滝は一日のごく限られた時間帯だけ滝つぼに小さな虹をめぐらせるの。そこは聖なる泉の水源だと思われるので、滝行とまではいかないけれど私がそこで祈ってあげる。だからテツオ、水のことは心配しないで。聖なる泉から出るこの小川は、きっと枯れることはない。それよりもおコメのことを。あなたの故郷の水田を、この地に復活させてほしい。」

「わかった、ユリコ。約束するよ。」

  ユリコは少し微笑んだのか、口元をゆるませると足早に立ち去った。テツオの両目はずっとユリコの後姿を追っている。ユリコは後ろ髪を揺らせながら小川をそのまま駆け上がると、嘉南岳の麓にあるオバアの家の裏の森へと入っていった。ユリコの長い黒髪と白い後姿とが、嘉南岳の緑の中へと帰っていった。