こども革命独立国

僕たちの「こども革命独立国」は、僕たちの卒業を機に小説となる。

第十章 黄金ひ

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  ドキュメンタリーがリリースされて冬が来て、高校2年から3年への年が明けた。今日もテツオはキンゴがいる教会兼図書館で、彼が思う新人類への進化に向けて話をしている。そして話が進んでいくうちに、キンゴはふと、こんなことをテツオに尋ねる。

「ねえ、テツオ。“性・SEX”って、何であるんだと思う?」

  キンゴの男にしてはやや高いキンキン声が、SEXという発音を教会の壁に妙に残響させながら、テツオの耳へと入ってくる。

「それはその名の由来どおり、生物同士を“分ける”っていうことから来てんじゃないか。オスとメスとに分かれた個体が生殖の際、遺伝子を交換しあうことにより、多様性をより保ち、遺伝子コピーの損傷を修復しつつ、突然変異の不安定をセーブしながら、環境の変化にも適応できるようにするため-というのが定説らしいよ。」

「定説というのなら、僕たちならまず疑ってみたいよね。多様性の面ではさ、確かに有性生殖は有利だろうと思えるけど、でもオスとメスの有性生殖っていうのはさ、メスだけで何世代もメスを生み続ける無性生殖・単為生殖とは異なって、配偶者が得られないリスクって大きいと思うんだよ。性生殖の方がより確実で効率よく生殖できるし(1)、有性生殖の方が環境変化に適応できるというけれど、境が安定したら性生殖を捨てる生物が出てくるなかで(2)、何で多数の生物が有性生殖を維持するのか。また、環境変化に対応する突然変異が進化の原動力という説があるなか、有性生殖するおかげで変異遺伝子の組み合わせは進むだろけど、また一方ではせっかく変異してみても有性で掛け合わされてボツになるってこともあるだろ。突然変異があらわれる頻度自体が何万分の一の低さで、それがなおかつ環境変化に有益なのは、また更に低いだろ。」

  キンゴはここまで語ったところで、疑わしげに声を低めて言うのだった。

「この定説にはさ、ある学者が言うように、性生殖は進化のためだという暗黙の仮定がある(3)のかもしれないよ。だから僕が思うには、有性生殖、性・SEXがあるのには、他にも何かワケがあるんじゃないだろうか。」

「・・・、SEXの快感が、欲しいからかな・・・」

  と、テツオは返してみるのだが、キンゴはそれは想定内といった感じで、またすぐ返してくるのだった。

「いーや、それがサ、二人でやるSEXの快感は、実はさほどのモンじゃなくって、一人でやるオナニーに、男女ともにはるかにイクッて話だよ!」

  キンゴはまたこんな事を、平気な顔してテツオに言うが、テツオはこれはキンゴのKYというよりも、ひょっとして自分に何かを暗示しようとしているのではと、妙に構えたい気がしてくる。

「そ、それは、人間だけのことだろよ。動物でもするのはいても、人間みたいに誰もかしこも、隙あればオナニーなんて、しねえだろ。」

  しかしキンゴは、またすぐに返してくる。

「いや、まさにそこン所が肝心なんだよ。有性生殖をしているクセに、あえて単為生殖みたいなオナニーにSEXの快感を託している人間って、不思議だと思わないか? つまり僕が言いたいのは、他の動物たちとは異なって、人間だけが性・SEXを快感とか享楽とか、あるいや愛や聖とかに、“分ける”すなわち、相対化させているのではないだろうかってことなんだよ。」

  テツオはここで、キンゴもしっかり考えてくれてるようだと安堵して、思ったことを口にする。

「なあ、キンゴ。快感って感覚でしかないからさ、この問題って例えばさ、旧約聖書の創世記にある、アダムとイヴが知恵の実を食べ、知恵を得たあと、真っ先にしたことが自分の陰部をイチジクの葉で覆い隠した-ということに、何か暗示されているのではないだろうか・・・。」

「そうだよなあ! だってその時楽園には、人間の男女といえばこの二人っきりで、それなら葉で隠すよりかは、そのまま直に濡れ場に入ってズッコンバッコンやりまくってもよかったわけさ。だけどそれなら、聖書が性書になっちまうよな。」

  テツオはキンゴのこの返しに、いい加減疲れてくるが、しかしキンゴはここでまた、理論家みたいな顔になる。

「・・でも確かにそうだよな・・。何で最初にしたことが、SEXよりイチジクの葉隠しなのか・・・。

  テツオ、やっぱりそうだよ。この話が暗示するのは、最初のヒトのアダムとイヴは、知恵の実を食べ知恵を得て、まず自分たちヒトが、男と女に分けられることを知った-ということなんじゃないだろうか。だから彼らは、そのまま性欲にかられてSEXするより、知恵のために男女の性が分けられるのを知ったことがまず大事で、その印がイチジクの葉隠しなんだよ。」

  そしてキンゴはここまで話すと、テツオの目をじっと見つめる。それはより核心に入ろうとする前触れか、もしくはやはり、彼は僕に何らかの気があるのか-と、テツオは感じる。そして同じ美形でも、テツオとはまた趣の違うキンゴの柳腰の細身の体が、室内仕立てのシルク肌に艶やかな黒髪とバラ色の頬とを伴って、近づいてくるかのように思えてくる。

「・・それどころか、僕が今言った“性欲にかられてSEXする”という、僕ら普通の人間の発想を、知恵の実を食べるまで、ヒトは持ってなかったかもよ。つまり、性を男女・雌雄に分けたことが、ヒトの知恵である“分ける=すなわち相対知”の始まりと解釈するなら、ここから初めて性・SEXと快楽とをヒモづける=相対化することができるわけさ。だから、やっぱりテツオ、オナニーなんだよ。」

「な、何で、ここでまた、オナニーなんかに戻るんだよ?」

「いや、だからさ、性・SEXから快感だけを分けて取り出し、本来は自然の生殖行為であるSEXから、人間はその快感だけを独立させて分けて取り出し、刺激をまさに極大化したオナニーを、いわば自然から分離抽出したってわけだ。ひょっとすると、この人間の器用な手先も、オナニーから進化したかもしれないよ。」

  テツオは、畑の鳥の対策を思い出したとか言って、キンゴの教会兼図書館から抜け出てくる。

  -あー、疲れた、疲れた。あいつは何でいっつもあーなんだ。そういやお釈迦様のお弟子にもアーナンダっていたみたいだが・・。あいつは局所的にどうもリアルで、それが空気を読めないKYなのか、言葉が読めないKYのせいなのか・・・。だからどこまでがマジな理論で、どこからがジョークになって、どこからが俺に対するフェイントなのかが読めねぇんだな・・・-

  テツオはキンゴに言われたのを気にしながら、左手先をあえて器用にこねくりまわして、彼の仮説を検証しているその間に、気になる思いが湧いてくる。

  -アイツ、まさか、ひょっとして、俺より先に筆おろし、童貞を破棄したんじゃないだろうか?-

  テツオは今さらながら同じ男のキンゴに対して、妙なライバル心を抱きながらも、ここはやっぱし放っとけねーと、通りすがりのフリをして、浜辺で作業をするヨシノと話そうと思うのだった。

  -ヨシノはキンゴパパの影響を受け、受験のストレス解消にも効果ありと、最近落語にはまっているよな。だからここは『明烏(あけがらす)』という噺で振りつつ、少々意地ワルかもしれないが、その反応からキンゴの様子を探ってみよう-

  『明烏』とは、大店の跡継ぎのボンボンが、世間知らずで勉強ばかりしているのを見かねた親父が、悪友二人にそそのかせ、息子を無理やり吉原で遊ばせて童貞を放棄させるというお話しなのだが、テツオが県の商店街の電気屋でテレビで見たとの話をつくると、ヨシノは作業もそこそこに、テツオと話をし続けようと漁船を出てくる。

「そう、そう、それってあたしもこの間、キンゴと一緒に図書館のパソコンでDVDで見たんだから!」

「えっ、DVDって、文楽の?」

「いや、人形じゃなくって本物よお。ホラ、写真のとおり目じりを上げたマスカラに、真っ赤な唇ゥ。」

「・・・、それで、キンゴは、何て言ってた?」

「彼・・? 彼はやたらに興奮してさ、きれいだ、きれいだ、美しいって。勢いがあり、伸びがあって、太くて、艶やか。特に高い所から低い所へしなる感じがタマらないって! でも彼には少々悪いんだけど、あたしはそのまま寝入りそうな・・。でさ、彼が言うには、全盛期は30歳代までなんだって。だから聞くなら今っていうみたいな・・・」

「・・30歳代まで、利くなら今って。・・それって、ちょっと、短いような・・・。あと、彼は何か言ってた?」

「なんでもそれから、オナ何とかが、どうのこうのと・・・」

「彼はまたしても、オナ・・・。 ・・ところで、ヨシノ、この話って、本当に明烏・・?」

「エッ?テツオ、『あたしはカラス』って映画の話をしてんじゃないの?」

  テツオはキンゴの筆おろしは、どうやら思い過ごしらしいと、一人浜から帰っていった。

 

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  冬が去って、春となった。4人もこれで高校の3年生。いよいよ卒業まであと一年を残すのみとなってきた。テツオの畑も、島での最後の春まきになるかもしれない。冬にまいた小麦たちも寒さをしのいで無事育ち、エンドウもソラマメも虫に喰われず収穫を迎えれそうだ。シュンギクなどアブラナ科の黄色い花が春先に、目覚めるようにいっせいに咲いている。枯れていた冬の茶色が再び青く覆われて、鳥がさえずり虫が飛びかい、大地の歌がこの島のここかしこから聞こえてきそうだ。

  卒業まで一年となるに及んで、テツオはますますレイコのことを思うのだった。彼はスリーシスターズが喫茶室でたむろしていて、彼女たち三羽カラスのダベリングがない時に、レイコが一人、店番しながらお茶しながら、BGMに耳をゆだねて、本を読んだり書き物したりしているのを知っていた。

 

  ある晴れた春の午後、木漏れ日の降りかかる喫茶室の窓越しに、そんなレイコを見とめたテツオは、思い切って彼一人で喫茶室へと入っていく。レイコはカウンター席の奥、いつもの店長席にいる。

「あら、テツオ君。今日は畑、もう終わったの? もしよろしければ、お茶していかない?」

  テツオはこのレイコの一言に、実はレイコも彼と話をしたいのではと、期待した。彼は少し高めのカウンター席、テーブルはさんでレイコのちょうど真向いに腰を掛ける。

  いつでもお茶が入れれるようにと、ニッケルメッキのケトルには、すでにお湯が沸かせてあった。

  レイコはそこからまた同じメッキのポットへとお湯を移すと、コーヒーカップを選ぼうと、戸棚に向かって手を伸ばすが、テツオの目はその後姿を追っている。

  -トップスは、レイコさん定番の白いブラウス、なだらかな肩、背中から腰にかけてのJライン、ボトムズは僕の好きなボルドーのタイトスカート・・・。まだ寒さの抜けぬ春このごろ、この色合いがマホガニーのカウンターによく映える。レイコさんの髪の色とも相まって、ケトルとポットのメッキには、午後の光が反射し合って、この人の白い背筋をいっそう際立たせているかに見える。-

  -レイコさんが選んだカップは、ワインレッドの縁取りに金メッキが入ったもの・・、レイコさんはマンデリンを飲まれる時、いつもこれを合わせるんだ。だから僕も今日はマンデリンを・・。そして僕のは、シャガールの絵入りのカップを、選んでくれた・・・-

  レイコはカップに湯を注ぎ、あたためながら、ミルで豆をひいたあと、ドリップでコーヒーを入れるのだが、テツオは陶製のカリタ式にペーパーをセットする時、レイコがいつも指先でチョンと押すのが、心地よく見えるのだった。豆の香りが室内に漂いはじめ、テツオがその香りを追いつつ、湯気の動きを見つめていると、レイコの方から先に話しかけてくれた。

「テツオ君、渡航に向けてシンさんから、料理と英語は順調に、習っているの?」

「エ? ええ、まあ、それは、ボチボチです・・。」

  レイコは優しく微笑みながら、ポットからカップに乗せたカリタ式へと湯を注ぐ。マンデリンの滴の音さえ、聞こえてきそうだ。レイコもじっと、その抽出の様子を見ている。

「あなた達の進化論の研究は、進んでいるの? 大学みたいに卒論が、出来たりして・・。」

  恥ずかしそうにうつ向いているテツオを横目に、レイコはなおも嬉しそうに湯で盛り上がったカリタの中へと、二回目の湯を注いでいき、マンデリンの香が室内にたちこめ始める。レイコのかけたBGMが聞こえてくる。曲はバッハの、無伴奏チェロ組曲・・か。

  二人はそろって、それぞれのカップの縁へと、唇をつけていく。

「あ、そう、そう、私ね。テツオ君には是非これを、話そうと思っていたのよ。」

  と、レイコは思い出したように席の下より本を取り出し、ページを開いて前のテツオにさして見せる。見れば、植物の葉の配列と、茎の図があり、そのまわりには細かく数字が打ってある。

「これは『自然にひそむ数学』(4)という本で、植物の葉が茎につくのは順序があって、これを“葉序”というんだけど、太陽光を有効に受け取るために、“隣り合う葉がお互いに重ならない”という一定の法則があるらしいのね。それで葉は茎のまわりを回転してらせん状について上がっていくんだけど、その回転数と葉の数とを追っていくとね、各々、“1,1,2,3,5,8,13,21,34・・・”って数列になっているのよ。で、このことは、木の幹の枝分かれの本数を年ごとに追っていっても見られる現象なんですって。もちろんこれらは植物すべてではないらしいけど。」

「それって不思議な数列ですよね。この数列には、ひょっとして規則性があるのですか?」

  テツオはレイコの襟なしブラウス、ピンタックの白い胸元、その間の、ブラックパールのようなボタンが織り成している幾何模様にも気を取られつつ、この数列に目を近づけようとするのだった。

「この数列は“フィボナッチ数列”といってね、その各項は、1,1,2,3,5,8・・・と続くのだけど、1+1=2、1+2=3、2+3=5、というように、連続する直前の2項がその次の数になるわけで、つまりこれは、“葉がお互いに重ならず日の光を受け取れる”ということの、数列的表現といえるのよ。」

  レイコはここでまた一つ、ページをめくる。

「で、この数を辺の長さとする正方形を、巻貝みたいにうず巻状に敷きつめていった場合、その形は“黄金長方形”になっていくらしいのよ。つまり、“無限に続く平面は、1辺の長さが無限に続くフィボナッチ数列=1,1,2,3,5・・・で与えられる無限の正方形によって、うず巻状にすき間なく覆うことができる”、その上に、“その正方形で覆われた長方形の縦と横との辺の比は、限りなく黄金比に近づいていく”ということなんですって!」

  テツオには目の前にいるレイコが、いつになくハイになっているようなのだが、彼は見せられた正方形も長方形も、わざと見えにくそうに眉をしかめて見入るのだった。

「先生、すみません。その“黄金比”って、何ですか?」

「テツオ君、あなた絵が好きなのに、黄金比を知らないの? じゃあ、このページも見るといいわよ。」

  と、レイコ先生が開かれたのは、

  -ワッ! これは女性のヌード像! 先生みずから何でまた? 左側は“ミロのヴィーナス”、右側には“アングルの泉”・・。へそを境として頭から足先までが、“1:1.618の黄金比”で分割されるのが最も美しいとされる・・、そうか、これが理想の裸体美なのか・・・-

  テツオがなおも眉をしかめて見入っていると、

「テツオ君、あなたって、近視だっけ?」

  と、レイコは少しいぶかしげだが、彼の願いとねらい通りに、隣に座ってあげるからと、カウンターから出てきてくれる。

  -ボルドーのタイトスカートは、“アングルの泉”よりも線もはっきり膝下丈で、その続きは黒の透け過ぎないストッキングにブラウンのスエードパンプス・・・-

  テツオはレイコが隣に腰かけてくるわずかな間、配色と、ゆるやかな肢体のライン、そしてそれらがこの黄金比に適うかどうかを見極めようとするものだから、たちまちキャパオーバーとなってしまった。

「でね、テツオ君、この話のオチはこれではなくてね・・・、」

  と、レイコは新たにページを見開く。

「また、1、2、3、それから4=1+3、5、6=1+5、7=2+5、8、9=1+8・・と続くように、“すべての自然数はフィボナッチ数の和で表せる”ということなのよ。これをまた、5=1の二乗+2の二乗、8=2の二乗+2の二乗、13=3の二乗+2の二乗、21=4の二乗+2の二乗+1の二乗・・と続くように、“自然数は高々4個の平方数の和で表せる”という四平方の定理と関連付けると・・・、」

  レイコはここで先ほどの、フィボナッチ数列による黄金長方形の図を見せる。

「これは全て正方形でできているから、各々の対角線も無数にひけて、全て直角三角形でできているということになる。そこで、直角三角形の2辺と斜辺の間には、各々2辺の二乗の和は斜辺の二乗に等しいという“ピタゴラスの定理”が成り立つよね。これを今まで見てきた所と関連をつけてみると、

○光が植物へと教えたフィボナッチ数により、すべての自然数が表せる。そして、

○それは黄金比の美をあわせもつ。その上、

○フィボナッチ数の正方形は無限の黄金比の長方形を形成し、そこには常にピタゴラスの定理がある。

 ということが言えるよね。」

  レイコはその目でテツオを見ながら、マンデリンを一口すする。テツオもゆっくりうなずきながら、あわせるようにマンデリンを、一口すする。彼は説明してくれるレイコの、ゆるやかなスリーブに締められたカフスから出る綺麗な手と指先とに魅せられつつも、ここは何とかついていっているようだ。

「ではここで、この本の内容とフィボナッチ数からは一度離れて、改めて“ピタゴラスの定理”を見てみるとね、まず、この定理から、“光が時間と空間の絶対的な基準となる”という意味でのアインシュタインの『特殊相対性理論』が導けるのね。

  それとピタゴラス(5)は、弦を弾いた際の調和音=協和音程の数の比が簡単な整数で表されることを発見して、ピタゴラス音階というのを作っていて、これが現在まで使われている楽曲の12平均律にきわめて近いといわれている。

  そしてこれは、ニュートンの『光学』からの一節(6)だけど、ニュートンはここで光の色のスペクタルと音階とが調和することを論じていて、その音階はドリア旋法=教会旋法を意識したといわれている。教会旋法とは、かのグレゴリウス聖歌がその起源とされていて、ドリア旋法による有名な曲の中には、あの“グリーンスリーブス”も含まれるのよ。ちなみに、テツオ君、この曲をギターで弾ける?」

「は、はい。一応、弾けます。」

  レイコは安心したように目で微笑むと、また別の本を取り出しては話し続ける。

「これは“色度図”(7)といってね、どんな色でも赤・青・緑の3原色で表せて、この3つをベクトルの成分として扱うと、すべての色を平面上に表すことができるのね。それがこの色度図では、すべての色はこの図の三角形みたいな曲線で囲まれた内側で表せるというものなのよ。

  要するに、ここまで来て私が思っていることは、“光と、音と、色と、幾何=数学とは、互いに調和しあっていて、その元とはやはり光なのではないだろうか”ということなのよ!」

  レイコはここまで一気に話すと、再びカップに口をつけ、目に微笑みをたたえながら、テツオの方をじっと見つめる。

  テツオはレイコの目線を感じながらも、彼もカップに一口つけると、レイコにいざなわれるままに、何か閃いたようである。

「先生、ここに“元素の周期表”と紙って、あります?」

「あるわよ。ちょっと待っててね。」

  レイコはカウンターの内に戻ると、席の下から元素図鑑と紙とを取り出し、目の前のテツオに示す。テツオはしばらく本をめくりつつ周期表を眺めていたが、考えているうちに、やがて元素の電子殻と、そこに入る電子の最大数とを次のように紙に書き出す。

 

  電子殻-そこに入る電子の最大数

  K殻-2、L殻-8、M殻-18、N殻-32、O殻-50、P殻-72

 

「テツオ君、それ、何をやろうと、されてるの?」

「先生、いつか、ニールス・ボーアの説として、“電子がその軌道を移る際にスペクトル=光の色を放つ”と言われて、また、ニュートンの『光学』からは、“質と光とは、互いに転換できるのでは。物質から光へと、また光から物質へと変化するのは、自然の過程にふさわしい”(8)との一節も紹介して下さいました。それで僕が閃いたのは、電子が光を放つのなら、物質=元素の世界にもフィボナッチ数があるんじゃないかと。元素はその原子核の陽子の数=電子の数で決まるのだから、例えばこの周期表の電子殻の電子配置や電子の最大数などに、フィボナッチ数が秘められているのではないだろうかと。そしてそのことが、ニュートンが言った所の物質と光との互換性の証の一つになるのではと-思ったのです。」

  レイコはテツオの言葉を聞き終わると、静かに、しかし感嘆を込めた強い口調で、こう答えた。

「テツオ君、あなたの今のその発想って、素晴らしいと思うわよ。ぜひ考えてみるといいわ。」

「先生、僕、今からここでマンデリンを飲みながら、考えていていいですか?」

「ええ、どうぞ。私は前で豆選びの作業をするから、質問があれば、何でもしてね。」

  レイコは店長席で豆選びの作業をしながら、元素図鑑を参照しつつ、紙に数字を書いては消し、書いては消しを繰り返すテツオの様子を、静かに見守ろうとする。テツオはテツオで、これでレイコと時空間を、至近距離で長時間、共有できる喜びを感じながら、言葉に甘えてこの際何でも聞こうとして、彼が質問する度に、前から身を乗り出してくるレイコに見入る。-ああ、美しい元素図鑑に、美しい女性が映る。元素の原子の微小さに負けず劣らず、僕の目鼻は、彼女のその髪はもとより眉のはえぎわ、ファンデやチークの匂いまで、今日のこの日の感覚の収穫におさめようとしているようだ・・・-

  しかし、そうこうする内に、テツオはある算式を思いつき、レイコがそれを、更に8の倍数で表したらとのヒントを得て、テツオは最終的に次の式を得たようである。

 

主量子数 電子殻 最大電子数 この最大電子数をフィボナッチ数Fで表す

               F8 ×{F(1~5)+F(1~3)+F1}+F2

 1   K   2  2= 2 × 1

 2   L   8  8= 8 × 1

 3   M  18 18= 8 ×{1 + 1}+2

 4   N  32 32= 8 ×{2 + 1 + 1}

 5   O  50 50= 8 ×{3 + 2 + 1}+2

 6   P  72 72= 8 ×{5 + 3 + 1}

 

  レイコはこの算式を見つめながら、テツオを見て深くうなずく。

「うん。概ね、第1項はフィボナッチ数の8でくくられ、第2項と第3項とは、各々1,1,2,3,5と、連続するフィボナッチ数となり、第4項は1,1,2とはならないで1,1,1となっているから、ここでフィボナッチ数の連続は止まるのね。でも、M18とO50の式の第5項の+2って、何だろうね?」

  レイコもテツオと同様に、元素図鑑の周期表と電子の配置図すべてに渡ってページをめくって、考え続ける。テツオはこの時、レイコがいつもの先生としてではなく、今や彼と同じ目線でいっしょに事を考えてくれるのに、とても幸せな気持ちがしたが、ややあって、どうやら解明できたようだ。

「この図をちょっと見てごらん。これは電子配置のエレルギー順位の列なんだけど、3・M、4・Nとは主量子数と電子殻で、その各々に3s、3p、3dみたいにs、p、d、fって電子軌道があるのだけど、電子はそのエネルギーの低い順から入っていくのね。それで、M18式の+2は、M殻の3s、3p、3dの計18個の電子が埋まるその前に、最外殻の4sの2個の電子が先に埋まるということを示しているんじゃないのかな。同様にO50式の+2も、O殻の5s、5p、5d・・、これは実際に埋まることはないのだけど、原子番号80のHg=水銀までは最外殻の6sの2個の電子が先に埋まるということかしらね。

  というのは、元素の性質はその最外殻の電子の数に深く関係しているから、フィボナッチ数はそれを予見しているのかもしれないよ。」

「でも先生、それならなぜN32式の5sや、P72式の7sにも、各々+2とあらわれてこないのでしょうか?」

「それはおそらく、この電子配置の図にあるように、N殻の4s、4p、4d、4f計32個の電子が埋まるその前に、先に5s、5p、6sと最外殻が埋まっても、その電子数は1から8まで変わるので、+2とはあらわせないって解釈すれば一応の説明はつくのかな。それとね、P72式に+2がない理由は、この周期表にあるように、電子が7s軌道に入った後の元素はすべて放射性元素になっていくのね。それとP72式が、8×{5+3+1}となって、最後の1が2とならず、ここでフィボナッチ数の連続が止まるのも、6pまでは進めても、放射性元素に入る7Q殻へはフィボナッチ数は進めないというように解釈できるよ。Q98=8×{8+5・・・}も成り立たないでしょ。」

「ということは・・、フィボナッチ数で元素の周期表を読んだ場合、フィボナッチ数は放射性物質を自ら拒む-ということでしょうか。」

「非常に興味深いけど、確かにそう読めるのかもね。自然の光に由来するフィボナッチ数という“光の教え”あるいは“光の知恵”は、ガンマー線も光ではあるとはいえ、元素としての放射性物質を認めていないと解釈できるということに、私はやはり“光が世界を統べている”と、思うのだけどね・・。

  でも、もちろん例外はあるにせよ、元素の周期表と電子の世界に、フィボナッチ数を関連させて簡潔な算式で示してくれたテツオ君の発想って、素晴らしいと思うわよ。」

  テツオは、レイコと一緒にいたかったから始めたこの元素とフィボナッチの思いつきを、かつてないほどレイコに深く褒められたのに、思わず照れ笑いをしてしまったが、レイコはそこで店長席から立ち上がると、腰に手をあて、目を見開き、紙上の苦闘の跡を振り返って、感嘆の敬意のこもった眼差しでテツオを見つつ、言葉を発する。

「テツオ! あなた、本当に成長したね!」

  テツオはレイコに、初めてこんな風に呼び捨てにされたのが、何だかとても嬉しくなって、思わず涙が出そうになった。しかし彼は、ここで自分が涙を流せばレイコさんも泣くのかもと思いとどまり、嬉しそうに見守っているレイコの前で、なおも照れて、笑みを浮かべてしまうのだった。

 

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  数日後、テツオは畑仕事の休息にと、木造校舎の喫茶室へと近づくと、今度はスリーシスターズの豪快な笑い声が聞こえてくる。

「テぇツオぉーッ! あんたもちょっとこっち来て、姉様たちと、いっしょにお茶していかれなんし。」

  そう言うのは、アフリカのケバい民族衣装のその上にクジャク模様のド派手な帽子を被っているミセス・シン。そればかりでなく、カウンターの店長席のレイコの前には、堂々たる友禅の着物姿のタカノ夫人も座っている。

「み、みなさん・・、お揃いでモリにモった盛装されて・・、県で何か行事でも、あったのですか?」

「テツオ君。あなた達に続いてね、私たちオバサマも、ついにこれから革命を起こすのよ。」

  と、タカノ夫人は鎮めた口調で、テツオに語りかけるのだが、あとの2人は、そのオバサマという呼称には、違和感を感じているようにも見える。

「でネ、今日がその決起集会の日で、闘争方針採択の後、県のメインストリートの銀天街から県庁まで、全員で久々のデモ行進、してやったのよ!」

  と、ミセス・シンはお披露目といわんばかりに帽子をゆらせて、テツオに一枚、紙を手渡す。

「・・・“熱烈愛国Veni女たちの会”って。こんなウヨクっぽい名前、これが皆さんの革命の会なのですか?」

  見ればその会の名の真横には、コスメチックな面持ちで、白地に赤紅キスマークの、シンボルまでがついている。

「こうでもしてカムフラージュしないとね、どっこも会場貸さないのよ。」

共謀罪でどんどん逮捕してくるからさ、中国と同様に、上に政策あれば下に対策ありってことなのよ。」

「でも、この会のスローガンって、“国土防衛、子孫繁栄、我が闘争に勝利万歳=ジーク・ハイル”って、まるでナチスじゃないですか。それに“Veni Veni 神の国は近づいた。シダのムスまで栄えあれ”なんてことも書いてるし・・・」

「いや、この会ってもとはと言えば、牧師様が立ち上げた“子供たちの未来を守るスダチ女たちの会”っていう名前だったのだけど、それだけで標的にされちゃうし、家宅捜査でパソコン押収されるのもバカバカしいから、名よりも実を取ったのよ。それに、別にこんなスローガンでも、反原発に反被ばく、反安保、反対米従属、反軍国主義って内容も、満たせるっていうもんですよ。いえ、それどころか、これこそが、国土と子孫とを守る究極の愛国心、私たちこそ正統の国防婦人会って言えるのです!」

  タカノ夫人のこの物言いは、本会の代表として議事を仕切った余韻だろうと思われる。

「3.11の原発事故を契機として、原発の再稼働に特定秘密に共謀罪、安保法に改憲国防軍、そしてついには徴兵制と、権力には好き放題やられているけど、あたしたち、オネエサン、オバサンたちは、子供たちの未来のために、口をつぐんだままヘタばるわけにはいかないのよ!」

  ミセス・シンも頭にのせたド派手な帽子のクジャクの羽根を、小鼻にのせた銀ぶちメガネに連動させてゆらせては、テツオに語る。そしてタカノ夫人は身を乗り出し、本会の決起の意志を示しているのか、真っ赤な口紅テカらせながら、ベッコウみたいなメガネの奥から座った目線を光らせながら、テツオに語る。

「テツオ君、これはね、あなたたち次世代をこんな腐った世の中に晒してしまった私たちの責任なんです。この国の行き詰まりは、すべて3.11で明らかになったというのに、相も変わらず原子力ムラ=安保ムラ=軍産官共同体の思惑に乗り、彼らの投げる変化球ばかりにとらわれ、人権の要である被ばくを置き去りにしておきながら、やれ憲法だの民主主義だの9条だのと、もともと実態のないものを流行みたいに追いかけては、人権の本質を無視してきた私たちの市民運動を立て直さねばなりません。あなたたち次世代は、人間としてのカルマはあっても責任は及ばない。健康で文化的に自由に生きる権利がある。こうしたデモや座り込みの闘争ごとは、私たちの世代が負うのが当然のこと。あなたたちは徴兵制で捕まる前に、軍や核など権力の魔の手を逃れて、この国を出てもう国外で、勉学に修業、そして芸術など文化にこそ、その青春を費やしていらっしゃい。」

  そして実際、海外で生活していたミセス・シンが続いて述べる。

「そうよ、テツオ。確かに外国に行ったとしても、現実に差別はあるし、水もあわず言葉も習慣も異なるから、苦労は多いと思うけど、核汚染を省みず、子供に20mSvや100Bqを適用し、徴兵制で殺し殺され殺させようと若者を扱う国には未来はない。それにまた地震津波原発事故が起こった際、実際にあり得ただろう250km圏外への強制避難ってことになったら、住める所などどこにあるの?

  外国へ行くことが根本的な解決にはならないとはいえ、それでもまずあなた達次の世代が生きていけるということ自体が大切なのよ。だから可能性のあるうちから、一度は外国へ出ておいて、世界のどこでも生きていけるよう勉強して、気概を持っておくことは大事だと思うのね。」

  オバサン、そしてオネエサンの励ましに、テツオは目頭が熱くなり、涙声をつまらせながら、言葉をつなげる。

「皆さん、僕らのために本当に有難うございます。本当は僕もこの3年間、この島にいながらも、共謀罪で脅かされても、すでに街へ出て頑張ってやっている同世代の男子のことを考えると、自分がまだやれてないのが悔しくて、たまりにたまった思いだってあるのです。今は僕、まだまだ情けないけれど、僕だって男ですから、外へと出たら、もとより共謀で罪つくられて、もの言えなくなる彼らの分まで、それこそ自由にいろいろ街で、この国の陰翳礼讃の文化と違う他国の文化も、何でも見てやってやろう、男なんだし若い力で精力が尽きるまで、やりたいことをやりまくろうと思っています・・・。」

「そうね、テツオ君。そこまで言うなら、あなたはもう外へ出るしかありません。」

「そうよ、テツオ。あなたはもう一人前の男子なんだし、やりたいことがあるんだったら一人立ちして、外へ出てやるべきなのよ。」

  するといきなり喫茶室の扉が開かれ、ユリコが一人入ってくる。そしてテツオはユリコを見るなり、その装いに一目で惹かれてしまうのだった。

  -あれは・・、アンゴラニットのワンピース。しかもアシンメトリーの。光によっては白地が銀色にも見える。紅いハンドバッグを手に、さし色効果で同じ真紅の細ベルトでウエストマーク。足元は黒タイツにショートブーツと黒で引き締め、全体的にまるでタンチョウのイメージだ・・・-

  タカノ夫人も目覚めたように、ユリコの姿に目をとめる。

「アラ、ユリコちゃん! この春先に、その服とってもお似合いよ。これからどこか、お出掛けするの?」

「わかった! テツオとここで待ち合わせね。テツオ、厨房のことはやっとくからさ、気にせず二人で行ってきな。」

  しかしユリコの表情は、こわばったままである。

「イーエ。私はどっこも行きまッせん! ドキュメンタリーのDVDを、ただ返しに来ただけ。」

  さすがにレイコは心配する。

「ユリちゃん・・、どうしたの? どこか具合でも、悪いの?」

「そうだよ、ユリコ。いつもと違って、顔色悪いぞ。」

「テツオこそ、泣きべそ顔で。また皆さんに、叱られたんでしょ。」

「な、何だよ、いきなりブッきらぼーに。何で俺が、叱られなきゃアいけねーんだよ?!」

  だが、ユリコはテツオをにらみつける。

「あなたのたった今の発言、私しっかりこの耳で、聞いたンだから!」

「な、何だよ、俺が今、何言ったっていうんだよ? ヘビ女みたいな目ェしてにらんで、この地獄耳女!」

「テツオ君!やめなさい!! 女の子にそんな言い方、しちゃいけないわ。 ・・・でも、ユリちゃん、テツオ君がいったい何を、変なこと言ったというの?」

  -何だよ、レイコさんまで、俺を叱って・・・-

「・・恥ずかしくって言いたくないけど、真相究明のためとあれば・・。テツオ、確かに今、あなたの声で、“すでに街でヤッテいる同世代の男子に比べて、自分はまだヤレてなくて悔しい、タマリにタマリ、情けない、僕も男、外へと出たら、もとより凶暴、罪づくり、イロ町行って、夜来香(イエライシャン)で何でも見てヤッテやろう、言えなくなるまで、男の精力つきるまでヤリマクル”って、言ってたのを聞いたんだから。それで今皆さんに、やるなら外へ出てやりなさいって、叱られたんでしょ。」

  ユリコは顔を真っ赤にしながら、陳述する。

「・・あの、ユリコちゃん、それは完全な誤解ですよ。実はテツオ君と私たちとは、今こんな話を・・」

  そこは最年長のタカノ夫人が、うまく取りなしてくれたのだった。

「・・そうでしたか・・。安心しました・・。」

「あッたりめーだろ! 何で俺、そんなに信用、ねーんだよ!?」

「まあまあ、テツオ君。あなたは男の子なんだから、ここはユリコちゃんの気持ちを察して、一歩引いてあげなさい。」

「そーよ、テツオ。ユリコはかえって、とってもいじらしいわよ。あなたのこと、こんだけ心配してるんだから。」

  -ッたく、何だよ。女どもって。男を前に、にわかに連合、つくってよォ! 事の是非を問わずして、自分たち女の都合にあわせては、男、おとこ、オトコって、俺をはずして。これじゃ、排除のゲームじゃんかよ。-

  しかしユリコは、こうしたテツオの孤立をよそに、息を吹き返したようにして意見を述べる。

「皆さんのおっしゃること、私もとても感謝します。徴兵制は男女問わずと聞いてますので、私も国外へ出て、働きながら勉強しようと思っています。確かに苦労はするけれど、同世代の女の子も外国へ行く子は多いし、徴兵制で殺し殺され殺させるような存在を強いられるのは、絶対受け入れられないし。それに、むしろ私たちが、この先これから海外での拠点となって、この島を経由する後輩たちの受け皿役を果たせれば、より多くの子供たち、若者たちが救われるのではないでしょうか。」

  タカノ夫人はこれを聞いて感心している。

「さすがァ、ユリコちゃんはいい事を言うわねえ。私も何度か沖縄とかで座り込んでいるけれど、こういう若い子が出てきてくれて、あの熱い日差しと焼かれるようなアスファルトに耐えた甲斐があったのか、オバサン、とっても嬉しいわ。」

  ミセス・シンもこれに続く。

「そうよ。ユリコは本当に偉いわよ。この島のノロをつとめて、陰に日向にあたし達を守ってくれて。その上、この子どもの革命を輸出しようとの心意気。オネエサンも熱烈、非常感謝よ。」

  女二人が相次いで、ユリコを絶賛するものだから、テツオはますますふくれてくる。

「何だよ、ユリコ。その話って、俺と言ってたことじゃんか。それを俺に疑惑をかけて沈めておいて、アンゴラニットの超カワイイかっこうして注目あびて、自分だけの意見みたいにご披露してさ、俺の名誉はどーなるんだよ。」

「まァまァ、テツオ君ってば。あなたは九州男児でしょ! こういう時は、女性を立てるもンですよ。」

「そーよ、テツオ。外国行ったら、きちんとした場はどこでもレイディーファーストなんだから。こんなことでヒガんでちゃあ、レイディーたちから“ガキ”って言われるのがオチよ!」

  -レイコさん、何でここで吹き出すんだよ・・・-

  身に覚えなき疑惑をかけられ、潔白が証明されてもユリコばかりが褒められて、おまけにガキとまで言われ、レイコにまでも笑われて、テツオはもう帰ろうかと思い始める。

 

  しかし、ここでミセス・シンが真顔に戻る。

「でも、テツオ。あなた今回、ちょっときわどい所まで行ったけど、絶対に“オヤジ”だけにはなってはダメよ。あたしたち、今日のこの集会でも、さんざん議論のマトになったのは、実はオヤジなんだから。」

  女三人、ここで大いに共感しあい、その表情には非難と禁忌のオーラが灯る。

「み、皆さん、どうしたのですか。反戦反核、反貧困そっちのけで、何で“オヤジ”ばかりがクローズアップされたのですか。」

  流れが変わってきたとはいえ、やはりテツオに関係するので、彼は少々不安になる。

「テツオ君、よぉく考えてごらんなさい。貧困、戦争、原発と、環境破壊に複合汚染、遺伝子操作に食糧支配、大企業による国民の奴隷化と、政治と司法とマスコミのはてしない腐敗と堕落。これらこの世の害悪を現出させる最大の原動力とは、まさに“オヤジたちの権力の意志と隷従への道”(9)。要はオヤジたちの欲望で、地球は危機に晒され続けているのです。」

  タカノ夫人は眼光するどく、唇はますますどぎつく真っ赤にテカる。

「そぉよ、テツオ。原発にしたってさ、最大の問題は、あなた達の言うように“子供の被ばく”というのにさ、あたしら女は“命を守るが最優先”と言うのにさ、それをオヤジらときたら、自然エネルギーそのものはいいとしても、いつの間にかそれを利権に利用したり、被ばくをごまかそうとして、権力側が投げ続けた、安保、改憲国防軍や有志連合への参加などに、その都度そらされ惑わされ、“被ばく”をまるで賞味期限切れみたいに扱って、運動を分裂させていったンだから。」

  ミセス・シンも二人の子を持つ母として、給食などでBq検査を訴えても、学校や行政に無視され続けた怨念を、ここぞとばかりにブチまける。

原発事故の母子避難者に対しても、行政も国民も助けるどころかイジメの対象とさえしたしね。それに当の夫がさ、“俺の前で放射能の話をするな”とまで言ったりして、子供のために避難をする母に対して離婚を突きつけたりするんだから、そんなオヤジは子を守る父親として失格だよね。」

  レイコも目線を座らせて怒っている。

「で、でも、皆さん、オヤジたちにも、うちのタカノさんとか校長とかブルーノさんとか、いい人だっていっぱいいるじゃないですか。それに被ばくを度外視して利権に走り、運動を分裂させて壊した輩は、女たちにも大勢いますよ。」

「確かにそれはそうだけど、全体的には男社会である以上、その中核たる“オヤジたちの権力の意志と隷従への道”こそに、根本的な問題があるわけよ。オヤジたちはスッポン喰って精力つけるなんて言っても、たいてい上には隷従するヒラメたちときてるンだから。組織の上下を家庭にまで持ち込んで、妻子は上司と自分に続く後順位って、思ってるのが多いンだから。」

  ミセス・シンの口調には、社会に対する怨も恨もこもっているが、その熱弁はまだ続く。

「テツオ、よぉく聞くのよ。あなた達今、進化論に関心もってるようだけど、今のあたしら現生人類=ホモ・サピエンスはヒトとしては一種のみ、ということだけど、あたしはね、一緒にすんなって気があるのか、実は本当はサピエンスには、亜種があるんじゃなかろうかって、思う時があるンだから!」

  ミセス・シンはド派手帽子のクジャクの羽根を、これ見よがしに揺らせては、銀ぶちメガネを鼻にかけ、テツオの顔を真顔で見つめる。

「エッ!? そんな説、今初めて聞きますけど、それって、いったい、何という亜種ですか?」

「それはね、“ホモ・オヤジヌス”という亜種なのよ!」

  レイコはまたもや吹き出すが、テツオは面白そうなので、ここは真顔でつなげてみる。

「そのホモ・オヤジヌスという亜種は、肉食ですか、草食ですか。知能や感覚、身体的な能力は、ホモ・サピエンスと比較していかほどでしょうか。それと狩猟や農耕はするのですか。あと文化程度は、祭祀や象徴、土偶など、用いたりするのでしょうか。そして葬儀は、死者を悼んで花を手向けるなど情緒的な発展はあるのでしょうか。」

  レイコはここで手をたたいて笑いだし、

「テツオ君、ジョーク冴えてる! あなた、ほんとに、成長したわ。」

  と、妙なところで褒めそやすが、ミセス・シンは表情変えず、なおも熱弁よろしく振るう。

「意表をつくイイ質問ね。それ、ホモ・オヤジヌスという亜種は、いつも強欲全開だから、基本的には肉食で、息も体もクサいんだけど、年をとれば老害をいかんなく出し切るために長生きしようと、草食化するといわれている。知能といえば永遠の12歳で、感覚は、放射能やら農薬やら廃棄物やら、自分で“安全・安心”って言ってんだから、どんな毒にも平気らしいの。身体的な能力はオリンピックのメダル数にこだわる割にはとても低くて、歩かないから足は退化し、腐敗臭でクサいのね。そのクセ精力ゼツリンで、チブル星人(10)みたいにさ、“オレの足は三本だ”なんて下品なこと平気で言うのよ。狩猟の名残をとどめているのは、何事も数字にこだわることだけど、強欲の進化のはてに“命よりもカネが大事”の、生物40数億年で初めて出てきた種といえる。農耕は、今や大企業のほぼ支配下。遺伝子操作や農薬でミツバチなどの虫やカエルも皆殺し。たとえ何Bq入っていても、給食にまぎれこませて子供に食べさせ儲けようとさえするんだから。文化程度について言えば、だいたい文化という概念を持ってないし、第一、言葉が通じない。他人と会話ができないよりも、もともと人の話を聞こうとしない。だから言語以前の問題なのね。ただ権力にこびへつらい、上の言う事ただコピーして、下の者を虐げようとするだけの伝言ゲームに終わるがオチよ。象徴や土偶といっても、彼らはその専門の玩具店を連想するだろうしね。それに葬儀といえば、仕事での過労死や学校でのイジメ死、あるいは貧困等が原因の自死も自殺も、減らないし押し隠されるし、ネアンデルタール人が持っていた人の死を悼む気持ちなんてのは、未発達ともいわれているのよ。」

  ここで真面目なタカノ夫人も、赤い口紅テカらせながら、この路線の発言を試みる。

「テツオ君。でも、そんなホモ・オヤジヌスに対しても、天敵たるまた一つの亜種が、出てこようとしているのよ。」

「それは・・、何という名の亜種でしょうか?」

「それはね、私たち“ホモ・オバハヌス”。」

  その瞬間、今まで固く口をつぐんで、様子を見守っていたユリコが突然、

「キャハッ・・・」

  と、吹き出す声を上げたのだが、二人の姉からにらまれて、口を封じたのだった。

 

  しかし、オヤジに言及したことで、スリーシスターズの脳裏には、ある記憶が呼び起されたようであり、タカノ夫人が熱弁終えたミセス・シンに尋ねてくる。

「ねえ、シンさん。そんなにオヤジが嫌いなのは、あなたももしや、“OL”だったの?」

  “OL”なる言葉が出て、女三人、またそろって色めき立ってくる。

「エッ、シンさんもOLだったの? ちなみにその会社って、どこかしら?」

「あたしは最初っから外国行きを目指してたから、金竹商事でOLをイヤイヤながらやってたのよ。」

「えーっ、それって本当? 実は私も“金竹(カネダケ)”で、OLをやってたんだよ。」

「えっ、タカノさんも金竹ですか! 実は私も金竹でOLを・・。」

「えっ、何、じゃあ、レイコさんも金竹だったの? タカノさんは金竹のどこですか?」

「私? 私は金竹生命。保育士を目指してたけど、人を育てる仕事だから、まず自分が広く社会勉強しておきたくて、最初にOL経験しようと・・。」

「じゃあ、レイコさんは?」

「私? 私は金竹証券。理系わくで入ったけれど、でも辞めてからは教師になろうと・・。」

  これでスリーシスターズ、また共通のルーツをあらたに見出した。

「あたしたち、金竹=カネダケの、商事、生命、証券と、間の狭ぇ食いつめ者、争う心の鬼は外、福は内輪の女三人、同じカネダケ何ぞのご縁、福茶や豆や梅干しの、遺恨の種を残さずに、きかぬ辛子と女たち、凄みがねえのは縁起が悪い、脱OLの厄払い、女三人社名を略して、さらりと唱和してやろうか(11)。」

  と、女三人、呼吸を合わせて一声のーで、大声で、

「“コンチクショー”!!」

  と、妙にハモって唱和して、声高らかに大爆笑。

「キャハハハハ! 金竹の商事・生命・証券なんて、コンチクショーで充分よ。あんなに社員にウツやら自殺が続出するまで奴隷労働、強いてんだから。」

「あ、あの、皆さん、その金竹って、有名なあのカネダケですか? 僕らを襲ったあのオスドロンを生産している・・。」

  ここは最年長のタカノ夫人が、その平べったく大きな顔で、年若きテツオに語る。

「テツオ君。あなたは決してあんなトコ、就職してはいけないけれど、世の中を知っとくためにあえて言っときますけどね、この国はメーカー系の“金武”と、金融系の“金竹”という二つの“カネダケ”が君臨していて、それぞれが第二、第三次産業を系列まで従えて、ほぼ独占をする形で国全体を支配してるの。この二つ、もとはと言えば同族企業で、創業者は、四国は阿波の吉野川の炭焼き職人だったのが、大戦末期の本土決戦=竹ヤリ戦に備えるとして流域の竹林を買い占めて、陸軍に売却しては財を成し、大戦後は朝鮮戦争ベトナム戦争など安保体制での利権を通じて巨大化し、グローバル化の波にのり、次々と合併と統合を繰り返しては今日の超多国籍大企業へと成り上がったというわけなのよ。それでメーカー系の金武は、アメリカ企業と組んでこのかた、大規模農業、食の安全を省みず、大量の農薬に遺伝子組み換え、種子の独占へと乗り出し、家電、自動車、住宅などの民事から、ロケット、ミサイル、戦闘機にイージス艦、米軍基地の建設等の軍事まで、それこそトイレのないマンションたる原発から、トイレの竹の消臭剤に至るまで、地球を覆うモンスター企業として巨富を成し、また一方の金融系の金竹は、銀行、証券、保険を通じて、社員へのパワハラ全開、無茶苦茶なノルマによって、全国民から吸い上げたゼニ金を、この金武へと不断につぎこむサイフ役を担っていて、その他にも、クラスター爆弾等のメーカーにも融資して大儲けしていたらしいよ。普段は町の-お客様第一の銀行です-みたいな顔して、裏を返せば、“ゆすりかたりぶったくり、押しのきかない悪党も一年増しに悪業を積む、国策民営肩書の国家お抱えの盗ッ人”(12)みたいな存在だよね。」

  続いては、クジャクの羽根を揺らせつつ、ミセス・シンも解説する。

「この国の政権をたらい回しにしてきている二大政党-慈民党は金武に、民辛党は金竹に基盤があって、議員と社員・役員は、回転ドアーの関係だし、両社とも労組といえば、御用組合の“連動”に仕切られていて、正規、非正規両方とも社員を守る気概もなく、批判する勢力もまったく育つ土壌はない。それに二つのカネダケは、学校法人“金友学園”を経営していて、そのロウスクールを出た連中が司法試験を経由して、全国の裁判官へと任官している有様だから、この国の三権は、分離どころか、表は二つ裏は一つのカネダケに、完全に乗っ取られているわけよ。カネダケは研究費とか開発費の名目駆使して、ズーッと税金ゼロのくせして、法人税を消費税と同様に10%にしろなどと言っている。それでこの二つのカネダケだけで、大企業の内部留保500兆円の大半を占めてんだから、国の借金1000兆円の半分は、本来払うべきカネダケが払っていないせいでもある。しかもこうした不公平税制ばかりでなく、カネダケ支配は司法にまで及んでいるから、原発や鉄道などでどんな大事故やらかしても、裁判所はカネダケにはずっと無罪判決しか出さない。それでもこの国民は、正規、非正規問わずして、カネダケかその系列に関わることで食えているので、選挙やっても行かないか、裏は一つのカネダケの手の内で踊っている二大政党へと動員されては投票するから、カネダケ支配は盤石なのよ。」

「し、しかし、裁判官って、あの超難関の司法試験にうからなければ、なれないのではないですか?」

  ここで教師のレイコ先生も、解説に加わってくる。

「いいえ、それがね、教育界では漏れ聞こえてくるのだけど、この金友学園の先生たちが試験委員らしくって、事前にこっそり出題を漏らしているという話よ。だって金友の卒業生が常に合格率トップだなんて、おかしいでしょ。」

「じ、じゃあ、多くの受験生が押し寄せるから、その金友学園の入試が難関なんじゃないですか?」

「いや、それがね、実はその一次の筆記試験は表向きで、二次の面接試験の口実で、女子は一律50%も減点され、残った者は校長の面前で、勧進帳の弁慶みたいに教育勅語を暗唱で読み上げできれば、“は疑い晴れ候。とくとくいざない通られよ”(13)って通すんだってさ。もっともあくまで人脈と多額の寄付金積み上げた順番にとってるって話だから、政治屋か大企業の利権ひもつき子弟しか、入れないのが実情らしいよ。」

「金友学園ってロウスクールだけではなくて、教育勅語暗唱の幼稚園から、予科練の復活といわれている防衛予備校まで経営していて、その出身者が国防軍の中枢を占めているって話だし、今や国会はもちろんのこと、各県の県知事や議員にまでもその出身者が浸透しているんだってさ。そう、そう、それでサ、今のあの国防相の徳平家盛っていう男、アイツ次の首相候補なんだってさ。」

「あの男って、元カネダケの相談役で、金友の校長でしょう。漢字もかなも、もちろん英語も、読めず話せず理解せずときてるから、首相には適任だよね。」

「何でもチマタのウワサでは、この前の国会議事堂放火事件、アイツが仕掛けた陰謀だとか。国会議事堂焼け落ちて、今後の議事は歌舞伎座でやるんだとか。」

「それでまた、共謀罪やら新憲法の緊急事態宣言なんかを活用し、デモや市民運動を一斉検挙よ。」

「あの男って関西に利権と地盤があるからさ、首相になったら東京から神戸へと遷都するって言ってるらしいよ。でも本当の理由はさ、放射能汚染のせいで、官僚、政治屋、大企業の幹部たちが、本拠地たる東京から逃げ出すためって言われているけど。」

「それで女性宮家にとつがせた自分の息子のその長男を、ひそかに皇位に近づけて、天皇を京都に戻してゆくゆくは上皇にしておいて、自分は軍事と政治の切れ目ない一体運用をはかると言って、緊急事態の宣言をいいことに、政令太政大臣征夷大将軍を復活させて、首相と兼務するのだそうよ。」

「当然すでにマスコミはカネダケに買収されているんだし、大学等の研究費もカネダケのひもつきがほとんどだし、各種の文芸大賞もカネダケの人脈か金脈の産物だし、大劇場の演劇やコンサートもカネダケマネーでやってるし、福祉やいろんなNPOもカネダケあたたか財団の寄付金なくして成り立たないし、市民運動の活動でさえ助成金の大本はカネダケマネーときてるから、結局カネダケの思惑通りの活動へと歪められてしまうのよ。」

「つまり、この世はオールカネダケということで、今やカネダケ風刺ネタで笑わせる落語だけが裁判所よりこの国の表現の自由を守る最後の砦と言われていたけど、カネダケが“笑転”のスポンサーをやめると脅して、寄席も風前のともし火だとか。最後まで抵抗していた竹皮男志も落語会を飛び出しちゃったし。」

  ここまで来て、タカノ夫人は深々とため息をつきながら、こう述べる。

「これは、経済発展、民主主義の建前のもと、史上もっとも周到かつ巧妙に構築された“完全な奴隷制”といえるものです。」

  ミセス・シンも、今や怨も恨も超越した、悟ったような言葉をもらす。

「しかもそれは、権力側の計略や謀略というよりも、カネに魂を売り払った人間の、個々の奴隷根性がもたらしたものなのよ。つまり、これは、あたし達の自業自得の結果なのよ。」

  そしてトリは、やはりレイコの冷静な一言でしめられる。

「人と人との関係が、カネとカネとの関係に収斂している。ただカネだけを媒体として、支配する側、される側も、みんな同じ奴隷なのに、誰も奴隷の自覚がない。だからどこでも、ただ弱い者イジメの連鎖が続いていくだけで、政治や社会を変える力は生まれてこない。」

  女三人、みな底知れないほど、深いため息をついている。そして今まで沈黙を守っていたノロのユリコが、ここで一言、口にする。

「このカネダケに見る“現象”とは、もはや私たちの“人間性そのもの”ではないでしょうか。結局、私たち人間が、自業自得でここに収斂されたということが、生物としての多様性を失った種としてのホモ・サピエンスの末路と見れると思うのですけど。」

  皆が無言でうなずくのを見て、ユリコはさらにもう一つ、問いを発する。

「あの、皆さん、ここで一つ、質問をさせて頂きたく思うのですけど、先ほどから名の出ている、私たちサピエンスの姉妹種だった“ネアンデルタール人”って、どうして絶滅したと思われますか?」

 

 

  -あー、疲れた、疲れた。男の子の俺一人を前にした、あの女4人の結束ぶりって、まるでファシスト四天王。息もつまるる思いがしたよ-

  テツオは花苗に水をやらねばみたいな理由で、喫茶室の女どもから逃れ出て、教会へと入っていった。教会にはキンゴはおらず、彼はキンゴの指定席の、すぐそばのいつもの席へと座りつつ、今や喫茶室のカウンターの高椅子から、女4人が居並んで彼を見据える圧迫感から解放されて、やや冷静に、左端に座っていたユリコの姿に思いをめぐらす。

  -スリーシスターズらはまっすぐ前へと構えたまま、僕に対していたのだが、ユリコはそれより半身に構えて一対一を意識して、僕に面していたようだ。そこからユリコは、隣の女3人に気づかれないまま、その白いニットのワンピースでよりきわだたされ、高椅子へと座ることで重力がより効果的に見せてくれた、充実した質感に裏打ちされてふくらんだ、お尻の球面、太ももの、はりつめた造形と、スラリとした黒タイツの脚線美とのRラインを、連続して僕にアピールしようとしていたのかも・・・-

  テツオはそのRラインにふくらませた尻と、黒タイツとショートブーツの足先が示した向きが、ちょうどこの教会だったので、もしや彼女が“あとでまた教会で”と、ミツバチが花のありかを示すみたいに尻で指し示したのではと思い、ひとまず教会へと来たのであった。

  しかし、そう思うと居ても立ってもいられなくなり、教会の外へと出てみると、やはり木造校舎からこちらへ向かって歩いてくるユリコが見える。だが、ここでテツオはヘソを曲げ、彼女に対してソッポ向き、一人畑へ急ごうとする。

「テツオッ! 待ってよ! ねえ、待ってったら!」

  教会の裏手にある防風林をテツオがどんどん足を速めて行こうとするのを、ユリコはその樹の間をぬいながら何とかテツオに追いつくと、ポケットに手をつっこんでいる彼の腕に片手を入れる。

「テツオ・・、待ってってって、言ってるのにぃ・・・。」

  ユリコがそのまま体重をかけてくるので、テツオも足をゆるめだす。彼女の荒い息づかいがハァハァと耳にこだまし、海風に吹かれるまま、彼女の匂い-夏草みたいに澄んだ匂い-が、彼の鼻孔へのぼってくる。

「テツオ、さっきはゴメンね。あなたを疑ってはいないのだけど、でも、あなたも一応、男だし・・。」

「いいよ、もうそんなこと。俺、どっちみち畑へ行くし、ユリコがこのまま帰るのなら、クスノキまで送っていくよ。」

  そう言うテツオの脳裏には、尻に太もも脚線美のRラインという視覚と、ただ今の触角と嗅覚とで、何かが惹起されたようだ。そして二人は、テツオの田畑と聖なる小川の横にある、いつものクスノキへとたどり着くと、誰にも見えないその陰で、自然に抱き合い、キスをかわした。テツオはユリコの女体よりも、ニットワンピの手触りを確かめたくて、今までも触りに触ったユリコの尻、太もも、腰や背を、あらためてその二本の手で触るのだが、彼は触りながらも集中力がそれるのか、-ともすると、ヒトの直立二足と自由な両手は、“性=SEX”を単なる生殖にとどまらせずに、前戯を含めて“性=SEX”をいっそう刺激的に味わい楽しむそのために、進化してきたのかも・・-などと思い始める。そして彼の目線は、見慣れた白色コーデのユリコがはいた、黒タイツ&ショートブーツのその足へと向けられる。

「ね、ねえ、ユリコ・・。あの・・、そのブーツって、足、こらない?」

  テツオは、ノロのユリコが白装束での行の最中、歩いて熱した足の疲労を取るために、時折この聖なる小川に足をひたして休ませて、自分で軽く足もみするのを知っていた。

「え? ええ、まあ、こるけど・・。たしかにこのショートブーツってヒールがあるから、私には歩きにくくてしょうがないのよ。私はやっぱり地下足袋が一番よね・・。女の子が地下足袋が好きなんて、あまり聞かないでしょうけど・・・。」

  そう言って、やや恥ずかしそうに笑みをもらしたユリコの頬が朱くなるのが、とても愛らしく思えたのか、テツオはついねぎらいの言葉をかける。

「じ、じゃあ、少し、休もうか・・・。」

  二人はそして、クスノキ下の、小川に向かってゆるやかに傾斜してゆく、今や春の若葉が生い茂る土手の草地に腰を下ろした。そしてユリコは、行のないこの日の試着に疲れたのか、それともいつもの習性なのか、ブーツを脱ぐと、くの字座りの女の姿勢で、一人で足をもみ始める。

  -れやこの、隠すぞ春はゆかしける(14)・・・。これってまさに30デニール、20代のファッション誌に俗にいう“透けグロ”っていうやつだろ・・・。ユリコの白い生足、素足は、何度も鑑賞してきたけれど、透けグロがこれほどまでに色っぽく、エロチックに見えるとは・・・-

  テツオは思わず、固唾を飲まず、生唾を飲んでいる。

「ね、ねえ、ユリコ・・・。そんなに疲れているならさ・・、僕が足もみ、してあげようか・・?」

「えっつ?! い、いいわよ、そんな。テツオだって畑仕事で大変なのに、悪いわよ。」

  と、ユリコは取り合ってはくれないのだが、“透けグロ”の足もみは続けるので、テツオはまたその色移ろいを、じっくりと見守りながらも、こんなことを思うのだった。

  -生足、素足を凌駕して、透け過ぎないより透けるシアーな透けグロが、こんなにもエロいなんて・・。かの浮世絵美人画がそうしたように、“ほどよく隠すが最高のエロティシズム”とは、まさにこういうものなのだろう。ともすると、ヒトがサルから進化するうち、体の毛を失ったのは、すべての皮膚を性皮として、“性=SEX”を快感としてより際立たせるためだとしたら、毛を喪失したヌードはそれで楽しみながら、またそれをほどよく装い隠すエロティシズムが、ヒトの感覚・感性をヒトらしく進化させ、またこうしたエロい幻想が、ヒトの知恵や想像の発端ともなったのでは・・・-

「ユ、ユリコ、やっぱり男の手の方が、足もみにはより効果的だし、何にも遠慮、しなくていいよ。」

  ユリコはあくまですまなさそうに、結局テツオに自分の足もみをゆだねてしまうが、彼女は足を延ばしつつ、その上半身を起こしたまま、足もとで足もみをするテツオに向かって物語る。

「ねえ、テツオ。こんな話があるのだけど・・、古代インドの神話(15)によるとね、この宇宙はブラフマー神の覚醒とともに始まり、その睡眠とともに消滅を繰り返しているのだそうよ。それでそのブラフマー神はヴィシュヌ神のヘソから生える蓮華のお花の上にいて、その一昼夜は約86億年で、ブラフマーの年齢で100歳までの寿命が尽きると宇宙は消滅してしまうの。でもそれは、ヴィシュヌ神の一昼日=311兆4000億年にすぎないという・・・」

  テツオはユリコのこんな気の遠くなるような物語に、せっかくの透けグロ足もみ足触りの感触も、遠のいていくような気がしてくる。

「つまり・・、宇宙は、神の意識と意思によってあらわされるって、ことなんだろ。」

「そう。それでね、そのヴィシュヌ神は七尾のヘビの床を船として、大洋に浮かんだまままどろみながら、足もとに座すラクシュミー女神の足もみを受けているのよ・・・。だから今度は私がラクシュミー女神みたいに、田畑で疲れたテツオの足を、もみしてあげるね・・・。」

  テツオがだまって聞いてるうちに、ユリコの方は海からの、遠い波間のさざめきに合わせるようにハミングをしていたのが、やがてあまりの気持ちよさに、寝入ってしまったようである。

 

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  テツオは今や足もみからその身を起こして、草むらに、くの字に寝入ったユリコの姿を、真近にとらえる。

  -この巻貝みたいなポーズって、視覚的にはクリムトの“ダナエ”のようだが、生物的には、雌が雄を受け入れるってポーズなんだろ・・・-

  ユリコの上半身と長い髪はテツオの向こうに、そして彼の目前には、緑の草むら、その上に横たわる、まるくて大きな白い尻、そしてそこから脈々と連なっている張りつめた太ももと、透けグロに包まれたエロチックな長い足・・・が、確かに実在しているようだ。

  テツオは、その股間に熱い血潮が結集しはじめ、凝縮されて勃ちのぼるのを実感している。それはもとより彼の一部でありながら、今や彼の意思から派生した独立の意思さえ抱いて、計略さながら、獲物へと向かっていく燃えたぎるヘビのように、ズボンの圧をスッポンみたいに押し上げて、直立をしてくるようだ。

  -これはヘビか、それともペニスか(16)。鎌首を女の尻へと向けて、つかんでやる。いや、もう、つかめやしない。白いワンピにつつまれた幻の奥の院は、そのうっすらとした割れ目の中で寝静まり、目にも見えず、手で触れ得もしない・・。それとも今の俺のこの思いとは、心の描く計略か、熱にやられた脳が生み出す、まやかしの性欲なのか。今までは俺の一部にとどまっていたヘビのようなあの形・・。今こそ抜けるこのヘビは、俺の手引きをしようとするのか、これから向かおうとする所へ・・・。今、世界の半分は大自然。死んだように寝静まり、その中で邪悪な“思い”が、抜き足、差し足、大地から重力に逆らって、ヘビのように鎌首もたげて、花の蜜へと忍び寄る・・。行くは地獄か、天国か。誘うはヘビか、それともペニスか。しかし、ことここへと至ったのには、女からの誘惑も、また確かにあったのだ・・・-

  テツオの意識の奥からは、マクベスみたいなセリフもまた、聞こえてくる。そして彼はユリコの尻を直視しながら、巻貝にもあったあのフィボナッチの“黄金比”も、きっとここに秘められているのに違いないと思うのだった。しかし、彼はまた一方で、今日あらたに見出した“透けグロ足”にも、強烈に惹かれる自分を感じている。

  -いくべきか、いかざるべきか、それが問題だ(17)-

  -いけるものよ、いけるものよ、彼岸にまったくいけるものよ、悟りに幸あれ(18)-

  意識の奥から聞こえてくる、いろんな声を聞きながら、テツオは今彼の目前に現存している、白くて大きな丸い尻と、黒くて長くて細い足の、対称性の二者択一に迫られながら、しかし、やがては、自然と尻へと惹かれていく、自分自身を感じている。

  -これは性欲というよりも、相対性理論の通り、足よりも質量の大きな尻が空間を曲げているため、引かれているに違いない・・・-

  だが、それだけではおさまらず、彼は尻に引かれているのがペニスというより、自分の顔面であるのに気づく。

  -これはおそらく僕の仮説の“美の絶対性”によるものだろう。つまり、尻の美と、僕のマスクの美貌とが、お互いに引かれ引き合い、そこからまた新たな創造を生み出そうとしているのだ。つまり、この“美の絶対性”は、物理学の4つの力とはまた別の、神の創造に関する生命の“構成力”を内蔵しているのかも・・・-

  そんな想像力を駆使するうちにも、テツオの顔はユリコの尻へと近づいていき、そのワンピースにあらわれた、白でクッキリ際立たされたその割れ目に、彼の美々しいマスクからなる鼻筋をすべり込ませて、両頬を、左右二つの尻面に、対称的にいっぱいに、押しつける。

  と、その時、

“BVッ! Bu、Bu、Bu、Bぅぅぅううう・・・・・”

  しかし、テツオの頬は張り付いたまま、尻の面からはがれない。そして、さらに、

“BuO、・・bbbb・・、vv、Bッ、P~・・・”

  -さすがにはちきっているだけに、張りのある音・・、ヘ短調か・・・。しかし股間は張りを失い、急速にしぼんでいく・・・-

  ここでテツオは、気圧に押し上げられるようにして、飛び起きる。

「ユ、ユリコ! いったい俺に、何すんだよ。」

  ユリコはすばやく両足を折りたたんで、半身を起こして真っ赤な顔して、手を口元へとあてたまま、テツオを見つめる。

「・・・、でも、それはもう、“無主物”だから・・・。」

「“ムシュブツ”~??? ・・どっかで聞いたセリフだなぁ。」

  ユリコはもう笑いたいのをギリギリでこらえるしかなく、目で彼に助けを求めているようだ。テツオももう笑うしかないのだが、鼻の中がムズムズして、つい顔までもゆがんでくる。

「俺、いま、ゼンブ、直接的に吸ったんだぞ。これこそ愛の証だろー。」

「ウッソォー。それって吸うモンじゃないし、第一、向きが逆でしょーに・・・」

「よく言うぜ。俺、鼻の上から、直接放たれたっていうのによぉ・・・」

「エッツ!? じゃあ、アレって、あなたの“鼻”だったンだ・・・。」

  雲がにわかに曇り始めて、雨も降りそうになってきて、それに股間もしぼんで続行不能と思われたのか、テツオはこのまま、ユリコを家まで送っていくことにした。ユリコはやおら立ち上がると、姿勢を正し始めるのだが、テツオはその30デニールおみ足が、透けグロのなか、白、朱、ピンクと色移ろいを重ねつつ、ショートブーツに履かれていくのを見守りながら、-どうせ、クサい思いをするんだったら、あれもこの際、足の先からなめらかに、なめまわしておけばよかった-と、口惜しそうに見送るのだった。いや、それよりむしろ、彼の心の奥からは、-今度は自分が、もっともっとエロチックに、あの“透けグロ”をより美しく履いてみせる-などと、妙な対抗心の声までが聞こえるのだった。

  家までの坂の道中、ユリコは何かを反復させたそうな感じで、テツオに尋ねる。

「ねぇ、ねぇ、テツオ。さっき、あなたの言ってたことって、ホントなの?」

「ああ、確かに全部、吸ったのさ。何なら今からキスをして、肺から戻してあげようか?」

「モウ、笑わせないでよ。あなたが“愛の証”って、言ってくれたことなのよ・・・。」

  テツオもここで、笑いながらも真面目に答える。

「まあ、そうだな。愛の証だからこそ、ただの“ヘ”も、“黄金屁(ひ)”になるってこった。」

「“黄金ひ”って、何のこと?」

「それはおいおい、話してあげるよ。ヴィシュヌ神の宇宙の意思と同じくらい、自然と美と、生と性とにかかわってくる、興味深いお話しさ。」

  二人は嘉南岳の麓にあるユリコの家へと上がっていった。その道中、雲がさらにかかってきたが、その所々から、日の光がまっすぐ下へと届くのが眺められ、二人はしばらくその光に、見とれていた。