こども革命独立国

僕たちの「こども革命独立国」は、僕たちの卒業を機に小説となる。

第十六章 不屈の抵抗大作戦(後)

  浜の夕日はすでに沈んだ。座り込みの男たちはすでに残らず排除され、仮説の牢屋に入れられている。しかし、侵略してきた国防軍も、第三の防衛ライン=大落とし穴にはまり込み、その兵力の半分は失われた。

  今や浜のあちこちに灯されたかがり火が、赤々と燃え立ちながら、防風林の前三列に座り込む女たちと、それに向き合う二軍の竹やり兵らの面々を、ツラ明りのようにメラメラと照らし出す。

  女たちの最前列には、漁村のおばさん達などの支援者らが座り込み、その中央にはタカノ夫人とレイコ先生、腕を組みあい肩を寄せあい、寸分のすきもなく座り込む。その後列には保養の参加者、二列目は中堅どころのママさんたち、三列目はより若いママさんたちが座り込む。

  この全三列の女たち、竹やり兵があらたに整列完了するや、またいっせいに黄色地赤字の“不屈”のボードを、両手いっぱい持ち上げながら頭上に高くさし掲げる。浜辺に設置の隠しカメラと、ヨシノが映す移動カメラが、向かい合う女たちと兵士らの表情を世界へと発信するなか、女たちは自分の思いを次々と、兵士へとぶつけ始める(1)。キンゴはこれよりBGMを、ショスタコビッチ交響曲第5番の第3楽章に切り替える。

 

「ここの“保養”は、私たち年5.2mSv以上の放射線管理区域のような所に住む者には、真実を知る最後の砦。この国ほど経済大国でないベラルーシウクライナでも、年5mSv以上は強制避難、年1~5mSvは避難の権利が認められ、また子供の保養として年1回約1か月のサナトリウムの提供や、被災者への医療費無料、給食にはより安全な食材が提供されるなど、さまざまな公的施策がなされているのに、3.11後のこの国では、最大の電力消費地トウキョウで何兆円ものオリンピックはやるくせに、こうした被害者への公的保障は何もなく、ただ民間のボランティアがあるのみです。

  特に“自主避難”とされた者には、賠償も補償も何もないまま、汚染地への帰還施策が復興予算の支援のもとに次々と打たれていくなか、避難先の住宅支援が早々に打ち切られ、初期費用の敷金だけでも36万、仕事を失い子供もいるのに、それが支払えなければ被告として、原発事故を起こした張本人の電力会社の責任者に無罪を言い渡すようなこの国の裁判所へと引きずり出される。

  私たちは原発事故で家も土地も仕事も奪われ、それでも子供たちのためにやむにやまれず故郷を捨てて放射線被ばくを逃れ、避難先から一から出直し、子供を養っていかなければならないのに、なぜ子供を守る私たちが、経済的な兵糧攻めと、復興を妨げる非国民とのバッシングを受け、これほど惨い目にあわされ続けねばならないのか?!!」

「子供たちは頻繁に鼻血を出した。3.11事故後の4月から10日に一度が週一度に、さらに3日に一度から6月には毎日というように鼻血が出た。西に行くと週2日に減ったものの、東に戻るとまた毎日、昼も夜も鼻血が出た。言論やマンガの表現の自由はつぶせても、鼻血の事実はつぶせやしない。翌年ついに移住して、子供の鼻血はやっと止まった。

  その他にも、原因不明の体調不良や関節痛、毎月1~2回の嘔吐、その中に血が混じっていたこともある。頭痛や血便、膀胱炎になり、下痢が続いて1日に5~6回シャーッと出ていたこともある。また、アトピーが酷くなった、心臓が痛くなった、髪の毛が束で抜けた、同時に3人の子が骨折したなど、出る症状は実に様々・・・。そんな話を何度も聞かされ、その代表例の一つとして、100万人に1人といわれる小児甲状腺ガンの異常な多発があげられる。

  医者に連れて行ったとしても、放射能を口にするなり鼻で笑われ、おまけに怒鳴りつける医者までいた。医者たちは、自分に知恵も知識もなく、また現実に向き合おうとする勇気も何もないことを、すでに見てきた私たちに見抜かれるのが怖いのでしょう。

  そんななか、子供の靴の裏側から、高いガイガー値が出る最中でも、学校は子供たちに畑作業をさせてみたり、裸足でプールを掃除させたり、0.8~1μSv/hの所をマラソンさせたり、3μSv/hと伝えられた所もある学校は、すでにあり得ぬレベルの被ばく場と化していた。給食には511Bq/kgや、719Bq/kgの汚染が見つかり、しかもそれを3か月後に知らされた。8歳の小学生が“先生は僕たちがガンになってもいいのか!”と訴えても、それでもまだ学校は、10~30Bq/kgでも100Bqの基準値以下ということで、給食に出すと言った。

  本来、子供たちを守るべき学校がこんな状態だというのに、私たちはいったい誰を信じて、どこに行けばいいというのか?!!」

「3.11以来このかた、政治家たちは、“ただちに健康に被害はない”と公言し、政府と電力会社とは、“わたしたち人類は昔から放射能と共存してきた”などとうそぶく。冗談じゃない! それはもともと進化の過程で克服してきた自然放射線の話であって、核兵器由来の人工放射線の話じゃない。私たちの被ばく量は、3.11前はゼロBqだったのであり、1Bqたりとも食べ物にはなかったんです!!

  世界最悪レベルの原発事故が起こった時、いったい何人の医者や科学者が“すぐ避難しろ!”と言ったのでしょうか。それどころか、“放射能は100mSv以下ならば安全・安心、外で遊んでいても大丈夫”と言いながら、一部の医療関係者らは自分たちだけ安定ヨウ素剤を飲んでいた。

  そもそもなぜ、放射線管理区域のような線量下で、どうして勉強したり部活をしたりせねばならないのか。進学や就職やインターハイを目指すような環境が、どうして放射線が飛び交って被ばくをさせられるような環境なのか?!

 “ただちに健康被害はない”と公言しておきながら、もし将来、子供に健康被害が出た場合、いったい誰が責任を取るというのか?! 原発事故を起こした張本人の電力会社の責任者が、司法で無罪を言い渡され、結局だれも責任を取らずにすむこの国で、空間線量20mSv、食料品は100Bq、廃棄物は8000Bqが公的基準と化せられたこの国で、自分は騙され保護されないということを、見抜く子供はいると思う。そして彼らは精神的に、取り返しがつかないほど傷つけられる。

  子供たちに対するこの責任を、いったい誰が取れるというのか?!!」

国防軍の兵士たち! 私たちは今ここであなた達に聞いておきたい。

  あなた達が守るのは、私たち、現に被ばくをさせられている国民ですか? それとも、アメリカ軍ですか? それとも、あなた達の血で儲けている軍産官共同体ですか?

  あなた達国防軍は、二言目には中国と北朝鮮とが、おもにこの国の“脅威”だと言う。中国と北朝鮮とが、現実に私たちを被ばくさせたり、私たちに核汚染物質をさらしたりしていますか? 中国軍と北朝鮮軍が現実に、上空から落ちてきたり、低空飛行で日常を脅かしたり、地上で市民を暴行したり、殺害したりしたのでしょうか?

  現に行われている“脅威”というのは、いったいどこの集団、どこの軍隊による脅威ですか? あなた達が国防軍と名乗るのなら、なぜその集団や軍隊から私たち国民を守ろうとしないのですか?

  あなた達が自分の命を預けている司令官-特に、最高司令官はだれなのですか? この国のアメリカには何も言わず、沖縄県をはじめとして国民を守ろうとする意識のない内閣総理大臣なのですか? それとも戦場現地のアメリカ軍の、一司令官なのですか?

  あなた達国防軍は、愛国心に満ちている-と思います。では、なぜ、現に放射能にさらされているこの国の子供たちとその母親とを、守ろうとしないのですか? あなた達国防軍改憲で合法化されたとはいえ、結局、いったい、“何のための存在”なのですか??」

 

  夜の帳が下りた浜辺に、一抹の静けさが漂いはじめる。母親たちのこれらの言葉が、彼女らの表情をともなって、世界に中継されている。

  しかし、向かい合うこの二軍の兵隊たちは、さっきの一軍とは違って、まだ年端もいかぬ十代そこそこ。入隊したての少年兵であることは、かがり火が照らし出すその朱るんだ童顔を見るまでもなく、やがて明らかになってくる。

  最前列中央に座り込むタカノ夫人は、しかし今や、そんな彼らに、語りかけようとするのだった。

「あなた達も大変ねえ。お互いにもう、何時間もこの浜で頑張ってるけど・・。きっとお腹もすいたでしょうに・・・。まるで孫のようなあなた達、こうしてこの場で出会えたのも何かのご縁・・・。

  私たちは、あなた達が、好きでこうしているのではないことを知っています。あなた達が好きで武器を手にしているわけでもなく、ましてや好きで軍隊に入ったわけでもないことを知っています。

  あなた達は、こう言っては失礼だけど、おそらく家が貧しくて、親に楽をさせたいから、それがシングルマザーであればなおさら、自分が大きくなってまで親に苦労をかけたくないと思うから、自ら進学をあきらめて、また安い非正規就労も避け、免許も取れて正規なみの給与もある軍隊へと、入った人も少なくない。だから今あなた達は、自分の親の年齢の人たちに武器を向けてはいるけれど、本当は心の優しい、親孝行な人だって少なくないのを、私たちは知っています。

  あなた達は、学校に繰り返し何度も何度もやってきた軍隊のスカウトたちの、さもカッコよく演出された軍隊への勧誘話法と甘言にのせられて、また学校の、そして教師の“ポイント”のため、誘導尋問にのせられて、本当はもっと勉強したいし、なりたい職種もあるというのに、こうした兵糧攻めの圧力に抗しきれず、軍隊に誘導された人だって少なくはない。

  あなた達は今、上官の命令で、私たち普通の市民に、武器を向けて対しています。これがいったい何を意味しているのかが、あなた達にはわかりますか? 

  上官たちは未だ実戦経験のないあなた達に、こうして度胸をつけさせようとするのでしょう。実際に武器を持たせて、生身の人の前に立たせて、声を上げさせ、まずは人を威嚇してみる。そしてこれが終わったその次には、あなた達は本物の戦場へと連れて行かれて、再び武器を握らされる。その時、上官はこう言うでしょう。“今後は撃て!”と。“撃ってみろ!”と。そして、“一度撃ってみれば気が楽になる”と。あなた達はもはや命令に背けずに、戦場を走らされ、戦場では自分がやられてしまうから、その前に必ず引き金を引いてしまう。あとはこの連鎖反応の繰り返し。あなた達は血で血を洗う道の上を屍こえて歩かされ、度手に染みついた血の臭いは落ちはせず、他人の眠りを奪った者は二度と眠れることはない(2)。

  あなた達、そうなってからでは遅いのです!

  でも、今なら、まだ間に合うはず。今ならまだ徴兵制ではないのだから、自分の意思で軍隊を辞めることができるのです。

  あなた達、自分自身のかけがいのない人生で、最初の、そして最後ともなる大きな勇気を出してほしい。大きな勇気とはいっても、それを実行するのはとても簡単。今、武器を握っているその手をゆるめて、武器を地面に降ろすだけでいいのです。」

  しかし、少年兵たちは、いかに童顔の少年とはいえ、その表情を鉄のように強張らせたまま、少しも反応を見せようとしない。タカノ夫人はそれでもなお、そんな少年兵たちに語り続ける。

「あなた達は、何の責任もなく、何も悪くはないのです。あなた達をここまで追い込んでしまったのは、全て私たち大人の責任、特に、私のような年代の大人たちの責任なのです。

  あなた達は、無責任な大人たちのむしろ犠牲者。あなた達、次世代の若者たちに放射能をあびせかけ、核のゴミを押しつけて、被ばくさせたその上に、非正規などで貧困に陥れ、軍隊に入隊せざるを得ないように仕向けておいて、原発で儲け損ねた営業利益を、武器輸出で償おうとする。そして原発事故の取り返しのつかない被害と汚染をごまかすために、本気で戦争しそうにない仮想敵国への脅威を煽り、軍国化をすすめてきたそんな政治に背を向けて、堕落した生活をただ惰性で貪ってきた私たち大人こそ、全責任を負うべきなのです。

  だからこそ、私たちは今この座り込みをやめることはできないのです。私たちが今ここでまた諦めてしまうのなら、またあなた達のような犠牲者を出してしまう。

  私たちは、死んでもここを、動きません。

  あなた達が、もしもこのまま行くというなら、あなた達は今ここで、私を刺して、私の屍を踏みこえてから、行きなさい。」

 

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  タカノ夫人の発言を聞きながら、最前列に座るレイコは、目の前の、三人の兵士たちを見つめている。彼らはもはや少年ではなく、若手社員の年頃だが、未だ実戦経験なしとのことで、ここに連れてこられたのだろう。

  しかし、レイコは間もなく気づく。この三人の兵士たちが、彼女の教え子であることを。

  それは彼らの方が先に、気づいていた。自分たちが今、武器を突きつけているこの人が、かつて卒業した学校の先生であったことを。そして家庭事情と貧しさゆえに勉強する環境にない彼らが、成績を口実に進学をあきらめさせられ、軍隊に誘導されないよう赤点を取らせまいと、担任でもないレイコが、補習や補講のアリバイつくり成績に下駄をはかせてくれていたのを、彼らは思い出したのである。そして彼らは、レイコがそうした行為のために三年進級を止められて、担任をはずされたということも、また、卒業式の日、国防軍入隊を祝う式辞となった時、着物袴の晴れ着姿の他の先生らが微笑むなか、レイコだけがいつものスーツ姿のまま、震える手で式次第を握りしめ、怨念と後悔の入り混じった涙目をたたえていたのを、三人は思い出していたのである。

  今、レイコの瞳は、ようやく三人をとらえはじめる。三人は、緊張と疲労とで強張っているレイコの面に、教え子との再会の喜びか、懐かしさと嬉しさか、あかあかと笑顔が灯っていこうとするのを見てとるが、武器を手にする己が身の恥ずかしさか、レイコを正視できずにいる。

  三人は、それでもなお恐る恐る、今一度、あの懐かしい先生を、あらためて見ようとする。レイコはその青白い両頬に流した涙を拭こうともせず、何か言葉を発しているようだったが、彼らにはまだその言葉が聞き取れない。しかし、夜の帳から月の光が差し込んで、浜の砂の合間から水がしみ出てくるように、レイコのか細く低い声が、ようやく彼ら三人の耳元へと聞こえてくる。

  レイコはただ、“ごめんね。ごめんね・・・”と、言っていた。

  三人は、互いに顔を見合わせると、-もうこれ以上は先へはいけない-との内なる声を、互いに確かめ合った気がした。そして彼らは武器を手放し、地面に捨てて、そのままそこへと座り込んだ。

 

  隊長は、ただちに彼らに駆け寄った。

「貴様らーッツ! 何故そこに座り込むーッ?? この意気地なしの腰抜けめがーッツ!!」

  隊長はそう怒鳴りたてると、三人の背中をめがけ、ブーツオンザグラウンドの片足で、さんざんに蹴り入れる。そして腰に差した軍刀を、引き抜こうと構えてみせる。

  レイコは隊列を振りほどいて立ち上がると、地面に落ちた竹やり一本拾い上げるや、両手の甲を下にして、横向きに構えたままその竹やりの側面を前へと押し出し、隊長を思いッきり突き飛ばす。

「この子たちは私の教え子! 軍隊は一指たりとも手を出すなアーッツ!!!」

  突き飛ばされた隊長は、レイコのあまりに大きな声にも吹き飛ばされるかのように、白い粉でいっぱいの落とし穴へと転落する。

 

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  竹やりを構えたまま、目を血走らせ、肩で息するレイコを前に、怖気づく竹やりの兵士たち。前列の女たちも次々と落ちた竹やり拾い上げるや、こうなったら非暴力より正当防衛、各々自在に竹やり持って身構えて、一声啖呵を切りまくる。

「やいッ!隊長ォ! お前たちこそ、強い者の命令なしでは弱い者イジメも何もできないような意気地なしの腰抜けだ! そのお前のように安っぽい、コケ脅かしの竹ミツを、抜けるものなら抜いてみろ!」

「こんな丸腰の、無防備の女相手に、太刀かたなを抜こうとするとは、目だれ顔の振る舞い、臆病の至りかァッ(3)!」

「このタレミソ野郎のダシガラ野郎め、そんなお前の腰抜け竹ミツ、抜け、抜け、抜け、抜け、抜かァねえかぁーッ!」

  落とし穴に落ちた隊長、死の灰もどきの白粉で、鼻の穴まで粉だらけ。

「ペッペッ、プップッ・・、こ、これは、死の灰ではなく、カタクリ粉! 俺はダンゴ屋の小せがれだけによくわかる・・。オイッ! 竹やり部隊第一軍! ここ掘れワンワン穴掘りやめいッ!!」

  隊長が騙されたと、穴からはい出るタイミングに合わせるように、見るからにオンボロの木造船が浜辺へとたどり着く。

「タミ。何だ、あの漂着船のようなボロ船・・。ハングルまでが書いてあるぞ・・。今度こそ、本当に北朝鮮の登場かな?」

「いいえ。あれは竹やり部隊でも特にエリートとされている親衛隊-通称“竹やりSS”なる特殊部隊で、制服は黒一色、軍帽にはドクロのマークもついています。」

「エリートって・・、その割には年5兆円の防衛費で、何であんなボロ船に乗ってるのよ?」

「あれは確かにこの国の近海に漂着した北朝鮮の船なのですが、それらを回収したあとに、そこらで盗んだエンジンを取り付けて、再利用しているのです。

  防衛費5兆円のその多くは、軍需やその関連企業のフトコロへと消えていきます。たとえばとあるCEOのカネツキ・ボーン氏一人だけでもその報酬は年10億円といわれるように、非正規貧困労働を強いている企業の幹部連中が搾取している金額は億単位です。労働者と同様に兵隊たちは経済的徴兵制で入隊後も相変わらずの貧困のまますえ置かれ、あのSSの制服だってコスプレ屋のナチ・コレクションからの借り物です。軍としては前線に出る兵士らを、あえて貧困にさらすことで、より攻撃性と収奪心とを掻き立てようとするのでしょう。」

  このSS部隊、また何やら黒光りする竹やりを担ぎ出すのを、タミは続いて解説する。

「あの太い竹やりには、実はバズーカ砲が入っており、その名も“クロダ・バズーカ”といって、この国のアホ首相のおトモダチの名にちなんだということです。

  このクロダ・バズーカ、年2%のアップを目標に掲げていてもいっこうに達成できず、出口戦略はどうするのかとの懸念も強く、アホ首相の評価と逆に、市場の評価は下がっています。」

  そしてこのSS隊、バズーカ砲をまず宙へと一発ブッ放すと、次に女たちへと狙いを定め、隊長は、ここでまたその本調子を取り戻す。

「お前たち全員は、ただ今これより、防衛相より委嘱された司令部が指定する“特定秘密”とあいなった。お前たちの出生以降今日までの人生は、すべからく特定秘密のアンタッチャブル。もはや何人たりともお前たちの存在をたどることも知ることもできないのだ。今やお前たちはこの世に存在しないも同然。忍ぶ姿も人の目に、月影とどかぬ松まがり。今宵ぞ命の明け方に、消ゆる間近き星月夜。しかし哀れは身に知らぬ、念仏となえて覚悟せいッ(4)! バズーカ隊一同、構えーいッ!!」

  と、隊長が命ずるがままバズーカ砲に手がかけられ、ここで再び女たち、絶対絶命のピンチとなる。

 

  とその時、

「“暫く!”」

  との掛け声が、浜辺の闇夜の全域を、つらぬくように響いて渡る(5)。

「“暫く、暫く、しばらく、シバラク、しばらぁ~ぷぅ~ッ!!”」

  浜辺の一同、この甲高く、夜空をつんざく声主をさがすが早いか、女たち後方の防風林の松並木が、いっせいに浜辺に向かって歩き出してくるかに見える。

「バーナムの森が、動いたか(6)・・・。」

  動き出したかに見えた松並木の間からは、続々と白装束の女たちがあらわれる。

見ればまた大勢の女たち。鷺のごとき白の装束、頭には白鉢巻、黒髪なびかせ袖をゆらせて、素足の足も軽々と、“エファイ! エファイ!”と掛け声も高らかに調子をとって、横一列にやって来る(7)。

  白装束の女たち、順々に印を結んで頭上に掲げ、次々と横掘り穴にかけられた七つ橋を踏み越えて、兵隊ども全員を波打ち際まで押し戻す。そして再び浜の横幅いっぱいに一列にあい並ぶと、その真ん中から出た女たちは、先頭にオバアをいただき、四菩薩の型で四つ目をつくり(8)、その中に、草編みの冠かぶった白装束で正装の当代ノロのユリコをむかえ、各々印を結んでノットの体勢よろしくおさまる。

  実はこの女たち、オバアの子孫-歴代ノロをはじめとする元は島の女たちで、周辺に散っていたのを、島の一大危機を聞きつけ参集し、今の今まで嘉南岳の麓にあるフボー御嶽で護摩を焚き、当代ノロのユリコのその一身に、この嘉南島の全霊力と法力とを結集させていたのである。

  ノットの型におさまるユリコは、金剛杖を右手に握り、自らその身を不動明王の尊容にかたどって、高々と祝詞をあげる。

「それ、巫女、山伏といっぱ、役の優婆塞の行儀を受け、即身即仏の本体を、これにて打ち留め給わんことを、明王の照覧はかり難う、熊野権現の御罰当たらんことを、立ちどころにおいて疑いのあるべからず。」

 

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   バズーカ砲はいっせいに、ノロのユリコに向けられる。ユリコはそれで手にする杖を前に掲げて左右に振れば、突風たちまち吹きすさび、バズーカ隊をまとめて宙へと巻き上げて、海へザブンと投げ捨てる。

  ユリコはさらに取って返して、杖を宙へとなびかせば、突風はるかに吹きすさび、仮説の牢屋を兵隊もろとも次から次へとなぎ倒し、兵隊どもは一人残らず突風に巻き上げられて海の中へとたたき落とされ、竹やりはことごとくイージリ艦へと飛ばされて、その鋼鉄でできてるハズの船体に、一列に突き立てられていくのだった。

  仮説の牢屋を解放された男たち、イージリ艦から脱出したブルーノ氏らの一行ともども、白装束の女の指示で、座り込みの女たちを伴いながら、防風林の後方へと急ぎ避難を完了させる。

  白装束の女たちが一列に居並ぶなか、ノロのユリコが前に出て、杖を掲げて隊長へと迫りよる。

「まだこの上にもこの島に、留まる疑い候わば、天罰そら恐ろしく、風波に身をまかせ、屍を西海へと沈めようか。士卒の者ども引きつれて、とくとくいざない帰られよ。」

  しかし、竹やり隊の一群は、海水にズブ濡れのまま、隊長もろともよくあるように、とにかく上の指示がなければ何一つ考えようともしないまま、ただの木偶人形よろしく立ち尽くすばかりである。

 

「“撤収―ッツ!!”」

  突如として、浜辺のスピーカーより、司令部からとおぼしき声が響いてくる。

「“撤収”って、料理番組じゃあるまいし・・。正直に“撤退”って言えばいいのに・・。」

  そう、この声は司令部からの命令であり、タミがここで隊長に仕掛けられた盗聴マイクの音声を、浜辺のスピーカーへとつないで切り替え、盗聴していた内容すべてを白ばけにブチまける作戦に出たのだった。

「隊長! 聞こえないのか?? 撤収だ、撤収せよ!! 司令部と貴官との今までのやり取り全てが盗聴されてインターネットに流出し、ウィキリークスみたいな騒動になってるぞ!!」

  そしてタミは、すでにネットで世界へと発信した、隊長と司令部とが今まで発したやり取りの数々を、スイッチを切り替えて、浜辺のコンサート会場に設置されたプロジェクターからスクリーンへと、まとめて一挙に映し出す。

  それは、今の国際社会に稀に見る、差別意識むき出しで、あまりに酷くて非常識な、稚拙きわまる暴言の数々だった。たとえば・・・、“不潔で不埒な市民ども”、“土人、シナ人”、“売国奴プロ市民”、“左翼のクソども”、“出張ゴクロウサマ”、“白ブタを一匹捕獲”、“犯すといって犯すヤツがおりますか?”、“原発事故で死んだ人は一人もいない”、“それで何人死んだんだ?”、“放射能は集団的ヒステリー”、“私に責任はない”、“大きな音だね”、“結局はおカネでしょ”、“自主避難者は自己責任”、“まるで暴力団といっしょ”、“まずまずの災害だった”・・・等々。

「ママとお兄さんたちィ~、いよいよ各国元首からのクレームが来てますよ。たとえば、あの大統領。例のごとく上半身ムキ出しで、“俺もついにプッチンきた!”って怒ってて、その原因は、暴言録に“ハゲーッ!”と“ハダカの王様”ってあったのを、自分のことと思ったみたい・・。」

「それに暴言録にさ、“黒人奴隷の子孫らが大統領になれる国”っていうのもあったじゃない。その国の元大統領って、何か言ってる?」

「いや、現大統領の暴言もひどいから、“これで相殺、so,sigh”って、ため息をついてるみたい・・」

  そして中継室内では、キンゴがネットの別の画面をさし示す。

国防軍の撤収司令は暴言暴露もあるけれど、週明けの海外の株式市場で、ネットで中継されていたイージリ艦のダンボール混入疑惑で、カネダケ株がいっせいに売られまくられストップ安の大暴落。カネダケがこれで政府に圧力かけて、国防軍の侵攻を中止させたのかもしれない・・・。」

 

  そして国防軍の竹やり部隊は、粉だらけにズブ濡れのまま、浜辺から撤退して、イージリ艦へと引き上げていく。しかし、このイージリ艦、もとより後退不能なだけに、停泊したまま動けない。

「やっぱり! 連中は最初にこんな戦艦もどきの粗大ゴミを置き去りにすることで、この島を放射性ゴミを含んだゴミの島と化すための既成事実を作るつもりよ!!」

  しかし、ノロのユリコはそれを見破り、一身の臍を固め、その身に受けた全霊力と法力とを、いよいよ全開させていく。キンゴはここで、待ってましたと言わんばかりにBGMを、“ニーベルングの指輪”から“神々の黄昏”のフィナーレへと切り替える。

  ユリコは手にする金剛杖を、大地を突いて月に向け、天空をかき回さんと大きく振るう。すると、黒天にわかにかき曇り、雲霞のごとく雨雲が寄せてはたなびき、鳴門の海の潮のごとく渦巻きはじめる。

「“仏法王法に害をなす、悪銃毒蛇はいうに及ばず、たとわば人間なればとて、世を妨げ、仏法王法に敵する悪徒は、一殺多生の理によって、ただちに切って捨つるなり!”」

  ユリコがかく唱えれば、雷鳴はげしく轟いて、渦巻きのスピンにあわせて天からは竜巻が降り、それにつられて海面も竜の背よろしく盛り上がり、波という波ヘビのごとく竜巻へと巻きついていく。

「“そのとき急々如律令と呪するときは、あらゆる五陰鬼煩悩鬼、まった悪魔外道死霊生霊、たちどころに亡ぶること、霜に煮え湯を注ぐがごとく、げに元品の無明を切るの大利剣、莫耶が剣も何ぞ如かん!”」

  ユリコの呪文に伴って、竜巻海波あい合わさり、イージリ艦を浅瀬から沖へ沖へと押しやっていく。

  しかし、このイージリ艦、ヒビが入ればその耐用は広島から名古屋までといわれるレベル。沖へと押されていくうちに、あらゆるヒビが広がって、ついにその船体はまッぷたつへと割れていく。そして中にいた竹やりの兵士たちは、予算のためか人命軽視のためなのか救命ボートの備えもなく、また竹やりでボートを作る時間もなく、このまま海へとことごとく投げ出されていくのが見える。

  今や兵士とその軍勢は(9)、海の中へと投じられ、深淵が彼らをおおい、海面は彼らをつつみ、鉛のように海底へと沈められ、イージリ艦もろともに兵士ら全員、葦の海の藻屑へと化されていく。

  しかし、ユリコはここで、白装束の女たちから一人飛び出て、波打ち際へと走っていく。そして膝下まで打ち寄せる波という波かき分けて、黒雲よりさし込める月の光を一身に浴びながら海の中へと突き進むと、金剛杖を天高く振り上げて、九字の真言を切ったのだった。

「“臨、兵、闘、者、皆、陳、列、在、前!!”」

  すると雷鳴、三度轟き、ユリコが杖を海の上へとさし伸べると、海が二つに分かれはじめる。そして風がはげしく吹き寄せ、水を分けさせ、海が干されていくのだった。投げ出された兵士たちは、すでに乾いた海底へと足をつけ、水は彼らの左右にあって壁となる。

  ユリコはそこで、草で編んだ冠から、草の葉一枚、抜き取ると、海の中へと投げ入れる。風に吹かれた草の葉は、たちまち巨大な木の船となり、向こう岸へと閉じられていく分かれた海の合間をぬいながら、兵士たちをことごとく救い上げると、ついには県の対岸へと着いたのだった。

  ユリコは兵隊たちが、ただの一人も海に沈まず、海がもとの水位へと戻っていくのを見届けると、天に向かって一礼し、また振り返って島に向かって一礼すると、ひとすじの涙を流してそのまま息絶え、海の中へと倒れていった。

「たいへん! あの子を急いで、麓の御嶽へ!!」

  オバアのその叫びを受けて、白装束の女たちが急いでユリコのもとへと駆け寄り、彼女の身を担ぎ上げると、嘉南岳の麓の御嶽へ走り去っていってしまった。

 

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  終わった。“不屈の抵抗作戦”は、かくしてこの嘉南の島を守り抜いた市民たちの全面勝利で終わりをつげた。

  ネット上には世界中から賞賛の声があふれ、キンゴのセンスのBGMは映像ともども早や賞金にノミネート。不屈の抵抗作戦の立役者たる参謀タミは、島を救った英雄みたいに目されて、その人気ぶりは襲名当時の染五郎かと思われた。ブルーノ氏のチャリティーコンサートは予定どおりに行われ、保養の参加者親子ともども、またこの抵抗戦に加わったすべての人もお互いを祝福しあい、平和のシンボル=ゴスペルが月夜の空にこだましていく。

 

  テツオは会の進行をキンゴとヨシノとタミに託すと、自分はただユリコのもとへと、彼女が担ぎ込まれていったオバアの家の御嶽へと、月夜に一人晒されながら走っていく。オバアの御嶽をあらため見ると、そこには初めて来た時の大広間の建物が、嘉南岳の登山道へと通じる樹木の合間から、浮き出るように再びあった。

  テツオが中へと入っていくと、白装束の女たちはすでになく、大広間の中央には、眠れるユリコと、それを座って見守っているオバアの二人の、白装束の姿があった。

  テツオもそこへと駆け寄っていく。ユリコの姿はきれいな様子に戻っていたが、顔色は、あの朱るんだ頬も口も、まっ白なままである。

「オバアッ! ユリコは? ユリコはいったい、どうなったんだよ??」

  オバアはテツオを見とめると、目を座らせたまま低めた声で、テツオに語る。

「テツオ、慌てて事をし損ずな。ユリコはな・・、今、医学的には死んでいるが、その実いまだ死んではいない。」

「オバア・・、それっていったい、どういうことだよ? ユリコは、どうしてこんなことに・・? あんな呪術を使ったからか?」

「ユリコの呪術はこの島の霊のはたらき。我々は真言でそれを呼び寄せノロへと託し、ユリコは当代ノロとして代弁役を果たしたのだ。しかし、あの子はそれを越えたことをやったので、自らそのカルマを受けることになる。」

「自分のカルマを受けるったって、ユリコが何を悪いこと、したんだよ?! ユリコは味方ばかりじゃなく、敵の兵隊たちが溺れるのも、助けたんだぞ!」

  だが、オバアはこれより、一段と厳しい口調で、テツオに語る。

「ユリコが海を分けてまでして救出した国防軍の兵士たち。その中にはすでに何人もの無垢な市民を殺傷した兵士らも含まれていて、その本人と遺族らがユリコのこの救出を呪っているのだ・・・。

  それと、あの子のカルマはもうひとつ、自分の父への思慕がある。あの子はいまだに父の死が受け入れられず、しかも更にその父が、人を殺したかもしれないとの罪悪感まで負っている。このせいでこんな時に、あの子は安易に自分自身を、死の淵へと追いやってしまったのだ。」

  オバアの真っ赤な縁の目に畏怖されたのか、テツオは何も言えずにただユリコのそばへと座り込む。

「テツオ、よく聞きなさい。お前たちがこの島を当面の約束の地としてやって来た時、虹が湧きたち、お前たちは再び神との“契約”をした。そしてお前たちはその契約どおりに、貪りをやめ、自給を成し遂げ、自分たちと次世代への愛、神の愛に生きることを実践している。神はそんなお前たちを見捨てやしない。だからユリコがこうなったのも神のはからい。これは、彼女がこれから“復活”を遂げんがための、そして次なるヒトの種の母とならんがための始まりであり、彼女は自身の復活のため、夫となるお前をまさに、今ここへと呼んだのだ。」

「オバア、俺、いったい、どうすればいい?? ユリコのためなら何でもするよ! 言ってくれ!!」

  オバアはここまで言い切ったテツオの目を見て、言い放つ。

「ならば、お前もただ今これから、死んでこい!!」

「・・・、いきなり“死ね”って言われても・・・。オバア、まさか今からこの俺を、“キューライス、テケレッツのパッ!”ってな呪文(10)で、死なしちまうのか?」

「そうではない。お前も今から死ぬことで、ユリコを冥界から連れ戻し、二人でともに復活を遂げ、新しい人類をお前たちから始めるのだ。神は復活をしたお前たちを祝福して、きっとこう言われるだろう。“お前たち、生めよ、殖やせよ、地に満ちよ”と。

  そのためにはお前も一度死ぬわけだが、お前たち二人の体は腐敗したりせぬように、オレが法力で守っておく。だが、リミットがあり、金曜日の午後8時までに、お前たち二人の魂、必ずここへと返ってくるのだ。」

「金曜夜の8時に集合って、どこかで聞いたセリフだけど・・、ドリフかな・・。でも、まあ、いいや。

オバア! 俺、ユリコのために、そしてこれから二人で生きてくために、ここでイッパツ、死んでくらあァッ!」

  テツオは床のユリコを目前に、“生ませよ、殖やせよ”と言ってもらえた嬉しさからか、あまり深く考えもせず、ヤル気というか死ぬ気マンマンになったようで、そんなテツオに、オバアは喜びの笑みさえ浮かべる。

「テツオ、死んだらな、お前は道を行くのだが、それはやがてユリコに通じる仮死の道と、本当に死にいく道との二手に分かれる。その時、お前は必ず“左”の道へと行くのだぞ。生前であれ死後であれ、ゆめゆめ“右”へと行ってはならぬ。」

  そしてオバアは、今一度テツオの瞳に見入ってから、励ますように力をこめて言葉を発する。

「テツオとユリコ、そして愛する子供たちよ。お前たちは復活を遂げ、お前たちの背につづき、また、世々つないでいく新しい人類へと、これから神の愛を伝えていけ! そのためにお前はこれからユリコと二人で生き返るという“聖金曜日の不思議”(11)の奇跡を、成し遂げるのだ!」

  そう言い終ると、オバアは消えた。

 

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  その場に残ったテツオは一人、じっとユリコを見つめている。ユリコの白装束の身体は、生気こそはないものの、月光でくまなく照らされ、白磁のように美しく輝いている。

  テツオはそんなユリコの姿に見とれながら、彼の心の奥底より、何かうずいてくるものが上がってきて、それが彼の口先から出ようとするのを感じている。それは彼が少年の頃、山で出会った回峰行者が授けてくれたお加持がきっと、この日のために取っておかれて、今ユリコの前に再びこの世にあらわれようとしているようだ。

  テツオは導かれるままに、ユリコの口へとキスをする。するとそれはテツオの中から魂を引っぱり出して、ともにユリコの中へと入っていき、テツオはユリコのかたわらで、そのままうつ伏し、倒れてしまう・・・。

 

  山のなかには霧がたちこめ、日は徐々に、西の方へと傾きつつある・・・。肉体から離れ出たテツオの魂、それは今、山道を歩いていくビジョンを見ている。

  行けば、オバアが言うとおり、道はやがて二手に分かれる。-オバアはたしかに左へ行けと言ったのだけど・・。しかし、右の道の樹木には、山道を導くような赤い印がたくさん見えるが、左の道には左というのにそれがない-テツオは、山で道に迷った時はより確からしい方へ行けとの教えのとおり、右の赤い印を道しるべとして歩いていく。

  しかし、この右への道・・、やがて、道しるべの赤リボンは途絶えてしまい、悪路につぐ悪路がアクロバットのように続いて、そのうえ、死後というのに一天にわかにかき曇り、雷鳴が轟きわたり、大雨が滝のように降ってきた。

  テツオは死して早々、七転八倒の憂き目にあわされ、死んでいるにもかかわらず、ここでもまた死にそうな気分になる。そして稲妻だろうか閃光がつんざくように飛んできて、吹き飛ばされブッ倒されたテツオはほとんど、死んでるうえに気絶しそうになるのだが、その時、彼の頭の上の方より、青、白、黄色と、さまざまな色の光を伴いながら、これはお経か真言か、人の言葉が厳かに流れてくるのが聞こえてくる。

 

“オー、けだかく生まれし者たちよ(12)。

    本性が空、生来の空、何ら形のない汝自身のその知性は、真の意識、全善なるブッダである。汝の体と心とが分かれている時、汝は純粋な真実の光を見るだろう。 

 この人の世の人生を溺愛するのに執着するな。畏怖や幻覚、恐れや怯え、どのようなビジョンがあらわれても、それらを汝自身の執着として認識せよ。

   人間界を溺愛するな。それは汝の激しい我執が集まった性癖の道であり、生老病死のあらゆる苦のもととなる。

   我執を捨てよ。性癖を捨てよ。それに幻惑されるな。怯弱であるな。”

 

「テツオーッ! テツオってばァーッ! 何やってるのよ? そんな所で?!」

  聞けば、このお経か真言がやんだ時、雷鳴や嵐の合間をぬいながら、ユリコの甲高い声がしてくる。

「ユリコ! いったいどこにいるんだよ? 君を助けにわざわざ死んで来たというのに、何でこんな目にあわされるんだよ?? 俺の方からまず助けてほしいよ!」

「オバアから、“テツオも死んで、もうすぐそっちへ行くからよ”って、テレパシーが入ったのに、いっこうに来ないから、心配して探していたのよ。」

「ユリコ、何だよこの山道の悪鬼外道は?? 俺は地獄に落ちたのか?」

「そうじゃないのよ。あなたが行ったこの道は、私が行った仮死の冥界に通じる道ではなく、本当に死にいく人が行く道なのね。この道は、その人の生前のカルマに照らして、これから無事に成仏するか、悟りを得て二度と生存の苦を受けない涅槃の境地=ブラフマ・ニルバーナに達するか、それとも迷いと執着が抜けきれず、再び苦の輪廻に満ちた生を受けるか-それらのことを見極める49日に達するまでの“死者への道”といわれているのよ。」

「じゃあ、何でこの俺が、よりによって山ん中で、こんな酷い目にあってんだよ??」

「テツオ、あなたは少年のころ登山で遭難したことがあるって話、してくれたよね。あなたの場合はカルマはないけど、その遭難のトラウマが強烈に残っていて、それがあなたの執着となり、死後、肉体を失った執着が、肉体という取りつく先を失って、こうして今度は魂へと取りつこうと襲ってくるのよ。」

「ユリコ、その理屈はわかったけどさ、じゃあ、さっきまで聞こえていたお経のような声っていったい、何なんだよ?」

「あれはオバアが、私たちの遺体のもとで真言を唱えていて、その出典は『チベット死者の書=バルト・ソドル』。オバアは私たち二人がこれから復活する時に、サピエンスのそれのように、二度と再び執着に汚染されることのないよう、祈ってくれているわけよ。」

  ここまで詳しく説明されて、テツオもようやく納得して、自分自身の救済を再び求める。

「ユリコ、わかったからさ、とにかく俺のこの魂を、この遭難のトラウマから、また、この死者への道から、抜け出させてくれないか? でないとこれ、本当に死ぬんだろ?」

  テツオの頭上のユリコの声は、まず落ち着いてテツオに語る。

「テツオ、あなたが山で遭難した時、幸いにも午後の日があたっている山の斜面の下を向いたら、河川敷とトラックとが見えてきたので、その方向へと山の斜面を転がり抜けて助かったって言ってたじゃない。今からそれを思い起こして、そのビジョンを執着のトラウマに打ち勝つほど強烈に呼び起こせば、そのエネルギーであなたはここから脱出できるわ! だから今から、是非そうやってみて!」

  テツオは今度は言われた通りにしてみると、あな不思議、少年の頃に見た遭難した山の下の河川敷とトラックとが本当に見えてきたので、彼はその時やったみたいに必死のパッチで駆け下りると、その魂は閃光に包まれるや、勢いよく運び去られていったのだった。

 

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   気づいてみると、テツオは今、お花畑の中に立ち、ユリコと二人で向き合っている。お花畑は春爛漫、色とりどりで香り漂い、虫も鳥もさえずって、温かく、平和さながら。その向こうには川が流れ、その水面は波もなく灰色で、時が止まったかのようだ。

  そんななか、二人はともに浴衣のような白装束で、互いの姿を見つめながら立っている。二人とも生前のまま、顔色もすっかり生気を取り戻して、頬も口も朱るんでいる。

「ユリコ・・、まずは会えてよかったけれど・・、ここっていわゆる死後の世界で、僕らはすでに霊なんだろ。それなのに、どうして生前同様に、人間として見えるのかな?」

  このテツオの素朴な問いに、ユリコは優しい笑みを浮かべる。

「テツオ、私たちはすでに体は失っているんだけど、眼耳鼻舌身意の感覚の余韻がまだ残っていて、今お互いに見ている姿は、その感覚の残影なのね。これがだんだん時間が経つと、感覚の余韻も薄れて、最終的には純粋な魂へと還っていくのよ。」

  そしてユリコはテツオに、ここは先達として解説する。

「テツオ、せっかくあなたも、こうして死後の世界へと来たのだし、ここはノロの私が知り得る範囲で、少し説明してあげるね。

  まず、このお花畑の向こう側に流れているのが“三途の川”で、そしてこちらの岸側の少し遠くに、人々が列をなして並んでいるのが、これから三途の川を渡って、向こうの岸=彼岸に向かっていく人たちよ。彼らもまた霊なのだけど、私たちにはまだ人のように見えるのよ。」

  見れば、そこには多くの人が同じ白装束の装いで、順々に送られていくように、三途の川を渡っていく。

  テツオはここで、ふとレイコが夢で語っていた“天国の門”を思い出す。

「じゃあ、あの三途の川を渡った向こうに“天国の門”っていうのが、あるのかな?」

「“天国の門”って、テツオ! あなた、それ、どういう所か、知ってるの??」

  ユリコは生前同様に、黒い目をパッチリさせて、驚いて問うてくる。

「い、いや、それは・・、天国の門というのは、生前に添い遂げれなかった二人が、死後、来世こそは一緒になれますようにって、待ち合わせをする所なんだろ・・。」

  そういうテツオに、ユリコはなおも不思議そうな、しかし照れて嬉しそうな、まるで二人がかつてそうであったかのように、恥ずかしそうな面持ちさえ、浮かべている。

天国の門ってね、よほど契りの深い二人か、血縁者でもない限り、死者でもそう知らないのよ。」

  テツオは、まさかレイコに聞いたとは言えないまま、三途の川の向こうに見えた、何やらいかめしい姿の門を、ユリコに尋ねる。

「ああ、あれはね、それとは逆の“地獄の門”といわれるもので、ダンテがデザインしたんだなんて言われているのよ。その中身は、このお花畑を少し行った所に“地獄めぐり”というのがあって、そこからもよく見えるよ。生き返った時の話のネタに、行ってみる?」

  何だか面白そうなので、ユリコに誘われるがまま行ってみると、そこにはまず“血の池”のようなものが見えてきた。

「ここがその“地獄めぐり”で、この“血の池地獄”を覗き込むと、地獄の門を潜らなくても、いろんな地獄がまるでモデルハウスのように見て回れるの。何でこんな施設が冥界にあるかというと、自殺者が増えてきたので、自殺で本当に死ぬ前に、その人の夢を通じてここを覗かせ、地獄の現状を知らしめておくことで、自殺を思い止まらせようとの、閻魔さまのはからいなのね。」

  テツオが興味深そうに“血の池”を覗き込んでみたところ、サラリーマン姿の3人の男たちが、赤鬼と青鬼に、蹴られ殴られ鞭打たれ、うめき声や叫び声を上げながら、原子炉のような所を雑巾がけさせられているのが見える。

「あれは“原発地獄”といって、あの3人の男たちは、津波対策を怠ったばっかりに原発事故を引き起こした電力会社の責任者たちなのね。あの男らは従業員にさんざん被ばく労働させておいて、また原発事故で何万という人々の人生を奪っておいて、会長や副社長の肩書で多額の報酬を得てきたくせに、裁判では“自分には責任はない”と主張して、人間界の司法では全員無罪となったけど、当然、閻魔様はそんな輩は許さない。だからあの男たちは、まずウソをついたということで舌を抜かれて、それでも舌は生えてくるからその度に引き抜かれて、自分が人にやらせてきた原子炉の雑巾がけを、鬼たちに殴られながらやらされる地獄に落ちたというわけよ。」

「で、でも、彼らも死者で身体を失って、すでに霊になってるんだろ。なら、いくら舌を抜かれて殴られても、痛くも痒くもないんじゃないの?」

「それがね、神様と仏様は実によろしく創造されて、因果応報の理どおり、彼らはすでに霊とはいえ、生前のカネと地位と出世欲の執着があまりにも強いために、死んだとはいえ生前の感覚の余韻が消えず、見たとおりの痛み苦しみを味わったまま、この地獄に落ち続けるの。」

「じ、じゃあさ、あの男らも自分自身の執着が途絶えたのなら、成仏できるということかな?」

「いいえ。地獄といえどもそうは問屋は卸さない。確かにあの地獄の苦しみは、彼らの執着=生前の業がまねいたもので、それが消えればなくなるというものだけど、一方ではあの男らの所業のために苦しんだ人々の恨みつらみや怨念があるわけで、その相関がある限り、つまりそれが最後まで消えない限り、彼らが落ちた地獄の業火も消えないのよ。だから彼らは半永久的に、この地獄に落ち続けるの。」

  つづいてその隣の地獄には、またサラリーマン姿の男たちが縛られたまま、鬼たちに蹴られ殴られ鞭打たれ、何やら紙や金属のようなものを無理やり口に押し込まれているのが見える。

「あれは原発地獄のその中でも“還流地獄”というものなのね。あの男らもまた電力会社の幹部たちで、“値上げは権利”などど言って、庶民から電気料を徴収し、原発マネーを操って、立地地元の工作資金にしておきながら、地元の有力者から自分たちに億単位の金品を還流させていた罪で、この地獄に落ちているのよ。従業員に低賃金で被ばく労働させときながら、自分ら幹部は高額の報酬以上に、こんな不正な金品まで億単位で貪っている。だから彼らは敢えて舌は抜かれずに、“そんなに欲しけりゃ死んでもなおも喰らわしてやる”と、金や札束あるいはスーツ券みたいなものまで、食べ物として食べさせられ、それでも彼らは執着ゆえに飢え続けるから、そんなものを味わいながら食べ続けるという地獄なのよ。彼らもさっきの3人同様に、生前の欲望と執着が捨てきれず、また人々からの呪いも強く、身体の感覚を残したまま苦しみを味わいながら、半永久的にこの地獄に落ち続ける。人間界の法律では彼らの罪は問われないけど、閻魔様は当然に許さないというわけなのね。」

  そして、その隣の地獄には、今度は黒い法服姿の連中が、また鬼たちに殴られ蹴られ鞭打たれて、叫び声やうめき声を上げながら、何やら際限なく書き続けさせられているのが見える。

「あれは“法曹地獄”といって、さっきの3人らを“無罪”とした裁判官や、原発差し止め訴訟等や米軍基地訴訟等で、自分の保身と権力への忖度のため、住民側を敗訴させ足蹴りにしたあらゆる裁判官たちが、この地獄に落ちているのね。彼らが鬼たちに殴られながら書き続けるのは、自分が住民側の訴えを小賢しいヘリクツで捻じ曲げてきたウソの判決文そのもの。彼らは法に基づく身でありながら、真実にウソをつき、またそうすることで住民の弾圧に加担したということで、その罪は裁判官ゆえ人間界では裁けないけど、閻魔様は特段に重い罪を課しているのね。彼らも己の保身と出世欲への執着と、敗訴させられてきた同様の裁判でのあらゆる人々の怒りや恨みや怨念が消えない限り、感覚の苦しみを維持したまま、半永久的に自分のウソを書き続けるこの地獄に落ち続けるのよ。」

  これら地獄の苦しみを見る一方で、また隣には、意外にも一見ほがらか、笑い続ける地獄がある。

「あれは“御用学者地獄”といって、“100mSv以下は安全・安心、放射能は笑っている人にはこない”と言ったその本人と、またはそれに追従し、あるいは黙認をしたことで共犯した、あらゆる医師や学者たちが落ちている地獄なのね。彼らももちろん霊だから、今さら何mSvでも放射能の影響は受けないけれど、生前の執着とその悪業、そして被ばくさせられた人々の怒りや恨みや怨念が消えない限り、死後でもその身体の残影は残り続けて、放射能の影響を感覚的に受けさせられるというわけなのね。彼らは自分が言ったとおり、“本当に100mSv以下ならば、笑っていれば安全・安心なのだろうか”ということを、身をもって報いを受ける-というわけで、彼らはこの地獄に特につくられた100mSv以下の環境で、鬼たちに殴られ蹴られ鞭打たれつつ、それでもなおも笑い続けて放射能をあび続け、本当はどんな健康への影響が起こるのかということを、身の感覚を維持したまま、半永久的に味わい続けることになる。

  テツオ、まだこの他にも、政治家地獄や官僚地獄、あるいは、マスメディア地獄とかニセ市民運動地獄とか、無関心な国民地獄とかいろいろあるけど・・、見てみたい?」

「い、いいよ、もう。今までの流れからして、だいたいどんな所かわかるし・・。見ている方も霊とはいえ気分が悪くなるからさ・・・。」

「そうね・・。ただ私は、いい加減な人間界とは異なって、神様や仏様は、ちゃんと因果応報の理どおり、宇宙全体、この世もあの世も営まれているということを、あなたに知ってほしかったのよ。」

 

  そして二人が、この地獄めぐりを離れようとしたその時、ユリコは三途の川の向こうに、ある人影を見とめたようだ。

「テツオ・・、父が・・、父が来てるわ!」

  しかし、ユリコがいくら指さしても、テツオには何も見えない。

「たぶん、私にしか父の姿は見えないのよ・・。でも、父は何かを私に伝えようと、天国から降りてきたみたいだわ・・。そして、父は私に、そこでそのまま話を聞けと、言ってるようよ・・・。」

  ユリコはその目を彼岸に向けて、ただ黙ってたたずんでいる。テツオは横から、そんなユリコをじっと見守る。

  そしてややあってから、ユリコは緊張が解けたように一息つくと、涙をぬぐって、深々と彼岸の方へと頭を下げて合掌する。

「ユリコ・・・、お父さんと、何か話した?」

  ユリコはこれで納得できたというように頷くと、テツオにだけはといった感じで、彼に様子を語りはじめる。

「父はね・・、私に、“お前はここに来るのはまだ早すぎる。地上でもっと修行しろ!”って、父らしい厳しい口調で告げてくれたの。私がノロだと知っているのか、少し笑っていたけどね・・。」

  そしてユリコは面を上げて、彼岸の方へと向き直り、意志をこめたその口調で語り続ける。

「父はね、私にこう告げてくれたのよ・・・。

   “案ずるな。私は人を殺していない。私はもとより技官であり、武器を手にする任務にない。私はその時、治水作業の途中だった。そこを敵か味方か、誤爆を受けて、絶命したのだ。

 だが、私の霊は死んではいない。

 むしろ身体を得ていた時より、私はお前のそばに在る。

 お前が私を思うのは、お前の記憶というよりも、私がそこに在るからだ。

 その時お前は、私と語り合っているし、これからも生前以上に、私と語り合えるじゃないか。

 私はゆくゆく神の愛へと還っていくが、お前が生存している間は、二人の相関は消えないから、私は常に、愛するお前のそばに在る”と・・・。

 こう告げてくれた父の顔は、生前にはなかったような、とても優しい顔だった。」

 

 不思議そうに聞き入るテツオに、ユリコは向き直って瞳をかえし、言葉をつなげる。

 

「テツオ、父はね、あなたのことも話してくれたわ。

 “お前が夫としたその若者は素晴らしい。お前を連れ戻さんがため、己の死をも厭わない。

 彼とともに復活を遂げ、生涯、二人で愛し合い、添い遂げるがよいだろう。

 お前たちの言う新しい人類に向け、生めよ、殖やせよ、そして再び地に満ちさせよ。

 お前たちの考えは間違ってはいない。

 お前たちは、自ら信じる自分の勤めを果たすのだ。私は天よりお前たちを守護するだろう。

 そしてお前たち二人と、お前たち四人、それからお前たちを愛し、またお前たちの愛を受けるすべての人に、神のご加護のあらんことを!”

 そう言って、父は再び天国へと、帰っていったわ・・・。」

 

 ユリコはここでもう一度、彼岸の方へと向き直り、深々と頭を下げて合掌し、涙をぬぐって姿勢を正した。

 テツオもまた息をつき、納得をしたようだ。

「ユリコ、わかった。じゃあ、これで、地上に帰ろう。オバアが言ったリミットも迫っているし・・。」

 

  天空の青さに加えて、金色の光が差し込み、二人がともに生き返り、復活を遂げんとする“聖金曜日の不思議”の奇跡が近づきつつあることを、二人はともに感じはじめる。

  そして二人は地上の時と同じように、白装束姿で向き合い、お互いをあらためて見つめ合う。

  しかし、その時、テツオは天上にいながらも、さらに仰天してしまう。

 -な、ない! ユリコの体・・、腰から下が、ものの見事に、なくなっている!?-

  テツオは慌てて、ユリコに尋ねる。

「あ・・、やばい・・。私たち人間も死んでからしばらくして執着を失えば、眼耳鼻舌身意の感覚の余韻が消えて身体の残影も消え、純粋な魂へと還るのだけど、あなたを探して連れてくる時、かなりエネルギーを使ったから、私の方が消えるのが早いのよ。」

  見ればテツオは、まだ足の先までしっかり見える。

 -幽霊に足がないのは、円山応挙の創作と聞いてはいたが・・、実はホントゥだったんだ・・-

  しかし、これはテツオにとっても、もう他人事ではすまされない。

「ね、ねえ、ユリコ、これ、このままの上半身の霊だけだったら、地上の肉体へと回帰する時、はたして首尾よく、復活できるの??」

「いいえ。“仏つくって魂いれず”の諺にも似て、“仏あれども魂ぬける”ってことになるから、仮に復活遂げたとしても、魂のない体に、つまり、気合が入らない体っていうふうに、なっちゃうのかな・・?」

「ユリコ、それって、ヤベェよ。シマリのない下半身も問題だけど、それ以上にフンバリきかない下半身になったりしたら、エッチもウンチもできなくなるよ。」

「んもう、何て品のない・・。だけど、きれいごと、言ってる場合じゃないわよね・・。

  でも、ここは私の想定内。テツオ! いよいよここから、あなたの出番よ!!」

  ユリコは自身の危機のわりには、やけに期待値、高そうだ。

「何だよ、僕の出番って・・。秘仏に魂、挿入するのか?・・・」

「あなた、生前、私と抱き合い、キスするたびに、腰やお尻や太腿を、しつこくしつこく撫でまわし、またそうでなくても、しょっちゅうその目で、私の尻から足の先まで、眺めまわしていたじゃないの。

  だから、きっと私以上に客観的に覚えているから、あなたがその眼耳鼻舌身意を込めて、私のパーツをイメージして再現し、肉体へと戻る前に霊的に十分な形にまで、ためつすがめつ、ためてすぼめて、仕上げていってほしいのよ。」

「い、いいよ。俺、職人を目指しているし、そういうの、喜んで引き受けるけど・・。でも、足は足もみなんかで覚えているけど、お尻の方は・・、まだ服の上からでしか見たり触れたりしてないし・・」

「そ、そこはいいのよ。おおむねのイメージがあいさえすれば・・。つまり、霊と肉との波長があえば、それでいいから・・。だからこのまま、白装束を着た状態でつくってくれれば・・。

  とにもかくにも、私は死後こうなることを予見して、こうしてあなたを呼んだのだし・・。」

  しかし、ユリコのこの説明に、テツオは少し不満のようだ。

「ユ、ユリコ。あの、男が愛で女を復活させる時というのは、ジークフリートブリュンヒルデ、あるいは、眠れる森の美女みたいにさ、もっとカッコイイもんだろ。それをおケツのために予備的に呼んだだなんて、それじゃ俺の役割って、何だかあまりに、軽くね??」

「じ、じゃあさ、テツオ。これで地上の肉体へと復活できたら、まず真っ先に、あなたにその優先権を、“先取特権”あげてもいいよ。」

  ユリコはやや微笑を浮かべて、テツオの袖にその手を入れる。

「そ、そうか、サキドリトッケン・・か。・・ということは、僕は再建者にして債権者。これでわざわざ死んだ甲斐があったというもの・・。

 わかった、ユリコ。では、ただ今これから霊的に再現し、地上へ戻って復活を遂げ、聖金曜日の不思議の奇跡を、二人でともに成し遂げることにしよう!!」

 

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  テツオとユリコは、地上での復活に備えるために、天上で白装束で立ったまま、再び二人で抱き合った。テツオはユリコが言ったとおりに、その腰からお尻、太腿から足の先まで、眼耳鼻舌身意を込めぬいて、また生前の、色声香味触法のイメージどおりに、霊的にして麗的に、アラビア中の幾何模様をあわせるように、かの黄金比をくまなく散りばめ再現せんと、もはや消えてしまった下半身をなぞるように、両手を駆使して触って触って撫でまわす所作をしながら、己のイデアを傾注していく。

  しかし、そうこうしているうちに、本来なら膨張気味になるはずの己の股間に、なぜかスゥスゥ、天上とはいえ透き間風が吹くような感じがするので、そっと片手をやってみると・・・、

  -な、ないっ! 俺のペニスが、また跡形もなく、なっている!?!-

  これはゆゆしき御大事。しかし、死後なくなったのか、あるいは、もとからなかったのかは別として、テツオはここで職人らしく、冷静に、また創造的になろうとする。

  -そうか。これでむしろ、フンバリ、いや、フンドシ、いや、フンギリがついたというもの-

「ね、ねえ、ユリコ。少し質問したいんだけど、今こうして霊的にプロポーションを作ろうと、イデアを傾注してるじゃない。ということは、理想的なイデアを込めれば込めるほど、理想的な肉体に復活できるということなのかな?」

「いいえ。生まれる前ならともかくとして、私たちには既存の体があるからさ、それを今から作り変えることはできないのよ。でも、理想のイデアを持つことはいいことだし、それはそれでやってみれば? ほら、彫刻や印鑑を掘る時にも“入魂”っていうじゃないの。」

「そ、そうだよな・・。特に印鑑は、同じ棒の形だしな・・・。」

  -そうか。とすれば、オレのもこれからイデアを込めて再現すれば、それこそ浮世絵春画に見るような、目方があるほど立派なモノへと・・・-

 

  二人がいる冥界の天空は、すでに一面の青みが薄れて、やや金色を帯びはじめる。もうそろそろ、聖金曜日をむかえるころだ。そしてユリコの消えていた下半身も、テツオの入魂イデアのおかげか、目に映るほど明確な外形を、霊的に取り戻してきたようである。

「テツオ、おかげ様で大分よく見えてきたわよ。私、自分の感度も感覚も、余韻を取り戻してきたようだから、これからは私もイメージ再現にエネルギーを注入できるよ。」

  ユリコが余裕を示してきたので、テツオは気づかれないように、お尻の方は右手にゆだね、自らのはオナニーでよく覚えている左手に託しながらも、おのおの外形をなぞるように、撫でるように、粘土をこねる手のこなしにて、イデアをしっかり結集しながら、整えていこうとしている。

  -よぉし! こうなったら、先にイクだの平均イカだの勃ってもすぐにナエるだの、こうした過去のコンプレックスと金輪際おさらばすべく、こっそりネットで垣間見た、そッくりかえったバナナそっくりのイチモツへと、この際再生してやろう!-

  しかし、天空の金色が増し、聖金曜日が近づいてくるにつれ、白装束の上からでも、地上の体に帰るにしては、二人ともまだ充分でない気がしてくる。

「テツオ、もう時間がないわ。天空が、神々の黄昏を見るように、金色に染めあがる時、聖金曜日が到来して、私たち、いよいよ地上へ戻るのよ。

  もうこうなったら私たち、この霊の再現と肉体への復活を、二つあわせて成就していく他はない。私たち、これから天上から地上へと飛んでいくけど、このまま二人で抱き合ったまま、つまり今の工程を続けたまま、ブッ飛んでいくしかないよ。」

  テツオとしても中途半端な終わらせ方は、職人気質とプライドが許さない。

「わかった、ユリコ。“未完成”から“復活”をする以上、“Shue、Belt(靴とベルト)”が着れるように、また“マーラー”と伸びないように、お互いしっかり作るとしよう!」

  そして、まさに天空の全体が、金色に輝き渡る時が来た。

「テツオ、もうタイムリミットよ! さあ、私としっかり抱き合って!

 私たち二人はこれから、天上から地上へと“光速”で飛んでいくから!!」

 

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  二人はそのまま閃光に包まれて、天上から地上へと飛んでいく。それはとにかくもの凄いスピードで、テツオはユリコに必死に抱きつきしがみつく。

「ユ、ユリコ、何だよ、この超ハイスピードは?? 何でこんなに速いんだよ?!」

「私たちはこれから地上の肉体へと戻るのだけど、今は霊の状態で命そのもの。だから質量がないために、自然界で最高の光速で飛べるのよ。」

  やがて飛んでる二人の目前には、漆黒の宇宙の中にちっこく浮かんだ青い地球が見えてくる。

「ユリコ・・、僕らの古里、青い地球が見えてきたよ・・。あれが万里の長城で、あの、電気で一番光っているのが、僕らの国だね・・。

  でも、光速って秒速約30万kmで1秒間に地球を7周半も回れるのに、何でこんなに悠々と、地球を眺めていられるのかな?」

「光がそんなに速いのは、地球にいる人間から見ているからよ。今、私たち霊魂は、命の属性たる光にのって、逆に光の方から見ているわけで、だからゆっくり見えるのよ。

  それとね、テツオ。今、私たちの目の前にもたくさんの光が走って、地球へと向かっていくのが見えるでしょ。」

  見れば、ユリコの言うとおり、無数の光が直線状に地球に向かって流れていくのがよく見える。

「あれはね、地上にいるあらゆる生きとし生けるものたちの“赤ちゃんの命”の光なのよ。あの光たちも、私たち同様に光速で地上に向かって、これから生まれる母体へと入っていくのよ。

  テツオ、ここで地上をよく見てごらん。」

  テツオがその眼で地上を見ると、生き物たちは一生懸命、交尾やSEXしているようだ。

「テツオ、それはあくまで“人間のものの見方”よ。もう一度、心の眼でよく見てごらん。」

  するとテツオの両目には、さっきまで交尾やSEXに見えていたのが、すべからく花という花、どこもかしこも色鮮やかで香り豊かなお花畑に見えてくる。

「テツオ、これはあなたが言ってたとおり、花は本来、生殖器で、愛し合う雌雄の象徴、神の愛の具現化だから、こう見えるのよ。ゆえに花は愛らしく、美しく、色鮮やかで、艶やかで、豊潤な香りもする。そして花は、そこにフィボナッチ数が繰り返し見られるように、命の属性-光のあらわれでもあるし、だから、花も光も、生・性・美・愛も、すべては神の愛のあらわれといえるのよ。

  今、私たちが目にしている命の光は、曜日ごとに放たれていて、今回は金曜日となったのだけど、これはフィボナッチ数が自然数をあらわすことと、光のエネルギーというものが整数単位でかわるというのと、何か関係してるのかもね・・。」

  ユリコはあたかも、これから二人で宿していく新たな命を抱くように、テツオを胸にいっそう強く抱きしめようとしたところ、テツオはスルッといなくなる。

 

「テ、テツオッ! ど、どこ行っちゃたの??」

「僕はココだよ!」

  テツオの声は、どうやらユリコの下の方からしてくるようだ。

「ココって、どこよ? どこにいるのよ??」

「君の“お尻”さ。まだ、感じない??」

  テツオは何やら、ツンツンと押しつける。

「テツオ、まだ、ダメだったら! 幽霊画がみな服を着て、それなりコーデをしているように、ちゃんと白装束を着てないと、復活はできないのよ。」

「ちがうよ、ユリコ。これ、僕の“花”ではなくて“鼻”なんだよ。君の下半身の霊的再現、これから既存の肉体へと戻るに先立ち、より確かなものとするために、こうしてお尻に頭をつけて、もう直接にイデアを注入することで、地上での復活に間に合わせんとしているのさ!」

  そしてテツオは、生前のあの“黄金屁”事件のリベンジを果たそうと、ようやく外形が整ってきたユリコの左右対称的なお尻の球面、そこに再び自分の両頬を押しつけていくのだが・・、やがて、自分の顔全面に、あのふくよかな質感と暖かさ、コシと弾力、ほの白さが、霊的に充分によみがえってくるのを感じて、ますます嬉しく、鼻にツンツン、頬にフカフカさせていく。

  -しめしめ、お尻がこれほどまでの仕上がりならば、見てのとおり、太腿から足の先まですべからく、上々の出来栄えになっているな・・。ならば、オレの尺八も、しなやかさと艶やかさ、指どおりと勘所がよろしいように、最終的な仕上げに入ろう・・-

  そして、ここまで光速で飛んできた二人の霊は、大気圏を突き破り、ついに嘉南岳の御嶽にある、各々の己の体を目指しつつ、降下していく。

「あれれっ?? 急にスピードが落ちていくぞ。そして何だか、やけに体が重たくなって、がんじがらめになってくような・・。」

「テツオ、いよいよこれから私たち、肉体への復活が始まるのよ。今、私たち二人の霊は、光速から急激に減速して、徐々に肉体へと戻り、質量を得ることになる。これからは生前同様、耳鼻舌身意と色声香味触法とが、無から有へと転じていって、感覚その他、受想行識(13)も取り戻して、地上での肉体への、復活を遂げるのよ。」

「で、でも、ユリコ、これって何だか鉛のような重たい鎧を着ていくようで、窮屈でしょうがないし、あちこち痛いし痒いしで、こんなのだったら自由な霊がよかったような・・・。」

「テツオ、それはもう生きてく上でしょうがないのよ。それがつまりは生存するということで、お釈迦様が言うとおり、生存とは基本的に“苦しみ”なのよ。特に私たち人間は執着が強すぎるから、眼耳鼻舌身意の感覚に執着し、感覚に引きずられ、感覚の奴隷となり、ただひたすら刺激を求め、つまり人はよろず“阿片”を求めながら、“生”を無意味に過ごすのよ。」

  そんなユリコの甲高声が遠ざかっていくように、一緒だった二人の霊が、各々の肉体を得ていくことでまた離れ離れになっていくなか、テツオは神のメッセージか、それとも自身の妄想なのか、ある幻想を見ているようだ。

  -もし、将来、僕らニアイカナンレンシスが、ホモ・サピエンスと交代してヒト属を継承し、あらたな『創世記』が記される時、新しいアダムとイヴの創造は、こう記されるのかもしれない・・。

“・・・神は、再びヒトをつくった。神は、ヒトが充分美しく、二足歩行ができるようにと、自然の黄金比にもとづいて、そのお尻-大臀筋を豊かにした。それでなお重量バランスがいいようにと、お尻にあわせてその胸も膨らませて哺乳を兼ねさせ、ヒトの原型としてまず女をつくった。

  そして神は、ヒトが似たもの同士だと笑いのネタがつきやすく、世の中から笑いが消えると、ヒトはまた暴力に走ってよくないからと、ヒトを眠らせ、そのお尻と胸の多めの肉から男をつくった。

  それで神は、出来上がった新たなヒトの女と男を前にして、こう祝福した。

  ‘お前たち、生めよ、殖やせよ、笑わせよ。お前たち人間がつくれるものは、せいぜいゴミと笑いぐらいだ。だから大いに笑わせよ’と。

  これが、ヒトの種がかわっても、落語家に男が多い所以である・・・”-

 

  テツオが幻想から目覚めてみると、彼は麓の御嶽の中にあり、浴衣のような白装束を身に着けて、最後までイデアを注入していたせいか、股間に手を入れペニスを握りしめたまま、横たわっていたのだった。

  -・・ど、どうやら無事に、復活を果たしたようだ・・。でも、こんな、まるで朝勃ちを握ったみたいな、性感モードで生還をするなんて、新人類の祖としては超カッコワルイよな・・・。

  横にいっしょに寝ていたはずのユリコの姿がないってことは、だれにも見られていないのだから、白鳥に乗ってあらわれたとか、もっとカッコヨク復活したってことにしよう・・。

  でも、同じく復活したはずの、ユリコはどこに行ったのやら・・・-

  テツオがムックリ起き上がると、御嶽の広間の中央には、復活して先に目覚めたユリコの姿が目にとまる。

見ればユリコは、月夜のような艶やかで長い黒髪、白磁みたいに輝く肌に、桜のような朱い頬、ベリーみたいな赤唇とで、見た目に見事に美しく、また内面の充実をもともなって、復活を果たしたようだ。そしてその大広間の深く青みがかった空間には、まるく開いた天井から、白くまばゆい月の光がさし込んで、あたかもスポットライトのように、浴衣のような白装束のユリコのその立ち姿を、細く長く照らし始める。

  -・・漆のように黒艶はなって流れる髪に、地に垂いて立つIライン。真珠のように輝くお尻に、脚線美がつややかに走り降り立つ。アラビア中の幾何模様を集めても、これほどの造形美を超えられようか・・・。

  見ろ、“ミロのヴィーナス”、そして下からのアングルもばっちしな“アングルの泉”にも劣らない、これぞ黄金比の造形美。このヴァイオリンのごとき腰のくびれも、チェロのごときゆるやかな曲線のふくらみも、ともにみな職人たる僕のイデアの創造物、いや、少なくとも加勢の成果。天上より成したとはいえ、技芸神にいるとはまさにこのこと!-

  テツオはその美的趣向の喜びもさることながら、自分の目指す職人としての技量についても、人体の復活ともども、また祝福したくなってくる。

  しかし、嬉しそうなテツオに気づいたユリコの方は、美しいけど早やクレームの顔。

「・・・ねえ、テツオぉ・・、あなたがイデアを注いでくれた私のお尻、どうやら左右の大きさも質感も、ちょっと違うようなのだけど・・・。」

  テツオの生還して朱るんできた顔色が、再び青みを帯びてくる。彼はお尻のイデアを結集する際、あの田植えの日と参観の日の後遺症か、ユリコのお尻に連れられて、互いに並んだレイコの大きなお尻もまた、そのイデアに混入させてしまったらしい。

「い、いや、外見的には大差はないし、左右のその対称性もやぶれてないよ・・・。で、でも、ユリコ、それそのままだったら・・、どうなるの・・?」

「うん・・。肉体は生前のまま変わらないけど、死んだ時とは逆の理屈で、霊が戻ってしばらくの間は、霊の造形とそのイデアの余韻が残っているから、霊と肉とがきっちりマッチしない限り、違和感があるらしいのね。でも感覚がなじむにつれて、違和感は自然に消えてしまうから問題はないのだけど・・・。」

  それでもユリコは、なおも両手で左右のお尻に手をやりながら、どうもキマリが悪そうだ。

「ウ~ン・・・。右の方は、たしかに生前の私のだけど、左の方は、何だか熟女っぽいような・・・。」

復活早々、ユリコが疑惑を抱かぬように、テツオはもうごまかす他はない。

「ユ、ユリコ、お尻の左右のミスマッチは、お尻だけに後で帳尻、あわせられるよ。それに若い実も熟した実も、ともにあってもいいじゃないか! 

でも、かのアダムは一つの実しか食べてないのに、僕なんかが二つも食べても、いいのかな・・・」

  テツオはそれでもう一方の、彼のイデア入魂の副産物たる己のペニスに、ユリコの手前、露骨に手をやれるものでもないので、ピクンと意志だけ、神経で送ってみる。

  -勃ってる! すでに充分、勃ってるよォ。しかもこの感覚って、生前の僕のそれより、はるかに雄々しく、猛々しい感じがする。ネットで見て一人羨ましがっていた、外国産のバナナのような・・。同じマラでも“復活”の後に“巨人”とは、順序が逆かもしれないけれど、せめてこのイデアの余韻がまだあるうちに・・・。ああ、こうして男は、再びヘビが導くままに・・・-

「ねえ、テツオぉ、あなた、一体、どこ見てるのよお? 目が左右に、泳いでいるよ・・。

  復活しても、生前のいつものように、私の方を見てほしいって、思うのだけど・・・。」

  そんなユリコのセリフを受けて、背を押されたと解したテツオは、ヘビに前を引っ張られるまま、GO!サインを得たと感じる。

「ユ、ユリコ、それじゃあ、君が言っていた“先取特権”、それを僕がただ今これから・・・?」

  ユリコがテツオの手を取って、微笑みかえしてきたところで、二人は自分の白装束の、帯を互いに、解きはじめた・・・。

 

* * * * * * * * * * * * * * * * * * * * 

 

  漆黒の夜の帳に、月の白さがたなびく雲へと隠れていく時、二人の初夜は、終わったようだ・・。

  そして麓の御嶽のまるく開いた天井から、再び月の白い光がさし込める時、そこには復活したての全身で、美々しくポーズをとっていたユリコにかわって、裸のままでうずくまるテツオの姿が、ぽつんとあった。

  彼は広間の床に尻をつけ、両足を両腕で抱く体育座りの姿勢のまま、頭も髪もうなだれて、動こうともしないようだ。その尻から太腿、ふくらはぎへと連なる足、そしてそれらを支える両腕と背中をめぐる全ての筋肉、また脇腹からあばら骨への凹凸が、天井からの月の光で、まるで白亜の石像みたいに彫り込まれ、男性に特有の肉体の造形美をはなっている-と、少し離れた床から見つめるユリコには、確かにそう思われるのだ・・・。

「美しいテツオ・・、愛おしい私の夫・・。私がどれだけあなたのことを愛しているか・・・。

この気持ちは言葉でとても伝えられない。ああ、でも、私の心が、少しでもあなたに伝えられれば・・・。」

  男性として申し分のないほど美しいテツオの体・・、しかし、体で抱えるその中には、彼のもう一つの男性が、申し訳なさそうに垂れ下がっているのだろうか・・・。そう、テツオのそれは、またしても股の間に沈んでしまった。彼は結局、生前同様、勃ってはいたが、また途中でナエたのだった。それは同じ白いマットでも、リングに沈んだボクサーみたいに、リンガは二度と勃ち上がらず、チンチンという擬声音も、空しく響くようだった。

  疲れたせいよ、考えすぎよ、日はまた昇るし、明日があるさ-等の言葉は、むしろ男のプライドを傷つけるのかもしれないと、ユリコは声を掛けるにも掛けられそうもないのだった。確かに彼ら二人には、新人類のアダムとイヴとが担うべき子孫をつなぐ使命があるし、ただの普通のカップルのSEXがうまくいかないみたいなものとは、もとより違うものがある。しかし、これから先も長いのだし、いざとなれば私が全て吸い上げればいいのだからと、ユリコは新人類の母として覚悟をとくに決めていた。

  それよりユリコが気になるのは、テツオの-そのペニスより傾斜が下なのかもしれない-彼の精神的な落ち込みぶりであるようだ。彼女も彼に劣らずに、二人の有事に備えようと、女の子雑誌などから学習していた。しかし、よく言われているオーガニズムをめぐる説には、彼女は自分の意見があった。それは、-そんな性感覚の絶頂と、二人の愛の間には、もとより何の関係もなく、また、それを求めたいのなら、せいぜい一人で行う場合に限られ、二人で同時に達成するのは、生物的かつ精神的な差異ゆえに、ほとんどまずはあり得ない。現実は製作者と観客の欲望の反映である映画などとは違うのだから。そして人間のオーガニズムというものは、おそらくはその味覚と同じく、たしかに美味しく気持ちはよくても、人間の贅と欲、執着と妄想の、むしろ恐るべき副産物かもしれない・・-というもののようである。それに、-たとえ性的なものであっても、感覚は感覚であるにすぎず、すべては神が源の“愛”とは全く比較にならない-これが彼女の確信だった。だからユリコは、テツオが彼女を満足させてあげられないのを、あたかもそれが男の責任などのようには、思ってほしくはないのである。

 

  ユリコは再び白装束に身を整えると、テツオの衣を手に取って、そっと彼の背中から掛けてやり、そのまま彼を背中ごと抱きしめた。テツオもそれで、ようやく我にかえり出すと、衣を着込んで、ユリコがいざなってくれるまま、二人で床へと入り込む。テツオはそして、両手でユリコの上半身をもう一度抱きしめると、自分の頬をその胸元に寄せつけては擦りつけ、落ち着いていくのだった。

  ユリコは、テツオがこうするのを今まで何度か経てきたが、彼女は、-彼には母乳が出なかったので、母乳を求めるこんな仕草を繰り返すのではないだろうか・・-と、ふと思った。そしてユリコは、そんなテツオが、ますます愛おしくなるのだった・・・。

 

  ユリコの腕と胸とに抱かれるままに、テツオもまた落ち着きを取り戻して、再び彼の頭には、いろんな思いが浮かびはじめる・・。

  -そうだよな・・。そういえば、ミケランジェロのシスティーナの天井画でも、アダムのペニスはその堂々たる体躯にしては、ミミズみたいにちっちゃかったし・・・。

  ペニスを巨大に勃起させて、それを男の自信として、女をイカせ、自分のパワーにかしずかせようという発想自体が、僕たちが進化の仮説で克服してきた、いかにもアホなホモ・サピエンスの、チープなチ○ポの煩悩の産物だし、今さらこれに執着するとは、男心の赤坂だよな・・・。

  むしろ今回、僕は死後に冥界で、実は己のペニスには魂がなかったことに気づいたのだが、もしかすると、これが新人類の雄のペニスなのかもしれない・・・。

  なぜなら、率直にあえて言えば、これでレイプは物理的に不可能となり、また、もし曲りなりにも同意を装うものだとしても、女性の多大な協力なしでは挿入まではいかないので、男女によほどの信頼関係でもない限り、性的な交わりは持てなくなる。つまり、人間に特有ともいえた、男女の性の“不平等で不条理な片務的な関係”が、これでようやく終わりを告げることになる。そしてこれこそ、僕らが進化の仮説で唱えてきた、あらゆる差別と暴力の根本でもあったのだ。

  だから今回、僕のイデアにかかわらず、ペニスが不発に終わったのは、きっと神のおぼしめしで、だとすれば僕とユリコの復活は、性交には失敗してもやはり成功だったんだ・・・-

 

  テツオはここまで考えると、ようやく希望が、再び持てるような気がしてきた。そして今まで閉じていた両目を開けて、自分を抱いてくれているユリコを見上げた。

  ユリコはテツオを抱いたまま、不屈の抵抗作戦でのノロの勤めと、それにつぐ死と復活の疲れのためか、すでに寝入っていたようだった。テツオはそんなユリコを見つめながら、-ひょっとして、これで自分の孤独というのも、今度こそなくなるのかもしれない-と思いはじめた。

  -・・・幼少のころ、ずっと放っておかれていた自分の孤独・・・、夕暮れ時まで一人だった自分自身は、ただ自分一人を会話の相手にする他なかった・・・。そして孤独は自分が成長するよりも成長していき、やがては自分の心の奥底の、墓石のように敷きつめられた空間に、その影を細く長く降ろしていった・・・。自分に対する執着が、そのまま孤独になるのだろうが、それでも孤独は、できればないのが望ましい・・・。ともすればユリコだって、僕と同じく、孤独を続けていたのかも・・・-

 

  テツオはそんなことを考えながら、しばらくユリコを見やっていたが、眠りについたユリコの体を、またもう一度愛おしげに抱きしめると、その胸に頬を押しつけ、彼女に続いて自分もまた安らかな眠りへと、入っていった。