こども革命独立国

僕たちの「こども革命独立国」は、僕たちの卒業を機に小説となる。

第十一章 美の作用量子

  テツオは今日も、畑帰りに小川で顔を洗っている。春もなかごろ、畑も今や順調とはいえ、ユリコとの黄金ひの一件以来、テツオは己の感覚に、また新たな次元が加わったような気がする。

  -アラビア中の香水をふりかけても、いくら洗っても消えはしない(1)-

  布団や座布団二重にたたんで、再現しようと試みても、熱量・質感・豊潤さとも、本物には遠く及ばず、夜な夜な眠れぬ夜も続き、あの時頬を押しつけた彼の美貌も、あたかのムンクの絵のごとく、ムクんでいるような気がする。

  こういう時の頼りというのは、やはり同性の男友達-ということで、畑を終えたテツオは今日も、いつものキンゴがいる教会兼図書館へと向かう。

 

  見ればキンゴはテツオと違って、何だかイキイキして見える。

「テツオッ。また、新たなる発見だよ! ホラ、この前ボクは君に向かって“やっぱりオナニーなんだよ”って、言っただろう。」

  -何だよ、俺を見るなりいきなり・・。そんなに顔に出てンのかな・・・-

  しかしキンゴは、相手の顔を読みながら話すなんてことはしない。

「いや、発見というのはさ、オナニーよりかはペニスそのもの! ヒトの雄のペニスってのは、君の好きなミケランジェロの絵や像みたいなホーケーでもない限り、先っちょに“カリ”ってものがついてるじゃん。あれっていったい、ナゼだと思う?」

  キンゴはノリも軽げにカリィと言うが、テツオは尻の重みにだりぃのか、ついボンヤリと口をすべらす。

「・・そ、そりゃぁ、剣道の竹刀の先っちょ、当て合うみたいに、雄と雄どうしがさ、互いに相手を牽制し合うためとかさ・・・」

「プハハハハ。男どうしで互いにチ○ポを当て合って、いったいぜんたいナニすんだよ? ・・・それとも、テツオ。ひょっとして、君、そんなの、したいの?・・・」

  キンゴの目が、臨界みたいに一瞬青く光ったように見えたので、テツオは急いで先へと進む。

「ンなわけねーだろ。このクイズの答えって、何なんだよ?」

  キンゴは少し安心したのか、すんなりとこう答える。

「あの“カリ”っていうのは、分より先に雌に対してやった雄の精子を掻き出すためのものなんだってさ。つまり、多くの雄でやっている“精子競争”のあらわれの一つなんだよ。それで雌は雌で膣の内部を調節するなど、受け入れる雄の精子選択ができる(2)ようにしてるんだってさ。こういう互いに影響させあいながら進化するのを、“共進化”っていうのだそうだ。」

  テツオはここで、-そうだったのか-と納得する。彼もいつも撫でるたびに、あの造形に問題意識を持ってはいたが、掻き出すためというよりも、バイクの空冷エンジンのヒダみたいに、表面積を増やすことで感度を増しているのかも-と、考えたこともあったのである。だが、キンゴには、さらなる続きがありそうだ。

「それどころかさ、他の動物にもあるように、かつてはヒトのペニスにも、骨もあったしトゲもあった(2)らしいんだよ。これも雄が雌に自分を強く印象づけたい、あるいはしばらく他の雄とやれないようにとヒリヒリと、させておきたいからってことらしいのさ。ひでぇーよなぁ。だってそんなので傷ついて、“ペニスに死す”ってことになりゃあ、シャレにも何にもならねぇじゃん!」

  -確かに・・、“ペニスに死す”程度のものでは、シャレにも何にもならないよ・・-と、テツオは思いながらも、骨とトゲにはこだわりたくなってくる。

「あそこに骨とトゲとがあったって? でも、何で、ヒトはそれを、なくしたのかな?・・」

「だってさ、トゲがあったら手に刺さってオナニーのジャマになるから、ないのがいいに決まってるじゃん!」

「・・じゃ、じゃあ、何で、骨までなくす必要があったんだよ?」

「だろ! だって骨があればやってても、途中でナエるなんてこと、心配しなくていいのになぁ。」

「・・お前、そりゃそうだけどさ・・、骨とはいえども、あまり露骨に言うなよな・・。」

  ナエるという言葉を聞いて、非常に気になるテツオをよそに、キンゴはそのまま語り続ける。

「ヒトの雄がペニスから、骨とトゲをなくした理由は・・、ここから先はあくまでもボク個人の仮説だけど・・。テツオ、君って、今、たしかに聞いてみたい?・・・」

  そう言いながらも言いたそうに、キンゴはその赤唇を、テツオに向かって寄せてくる。

「何だよ。お前のその仮説ってのは? 言いたいことがあるんなら、さっさと言っちまいねぇ。」

「この仮説は進化論ではチン説かもしれないけれど、ボクが思うに“フェラチオ”のためじゃあないかと・・・。あれってもしや骨とトゲとがあったりすれば、男女ともどもジャマになるだろ。トゲがあったらフグみたいだし、骨があったらサカナだって食べにくいし。男はおそらく感度てぇのが鈍るだろうし、女はのどにつっかえるしで、共進化でともに互いに骨もトゲもいらねぇって、なったんだよ。」

  -だから、そこまで露骨に言うなっつってんのによ-と、テツオは赤面するのだが、キンゴはすでに理論家へと変わっている。

「いや、僕が言いたいのはさ、おそらくヒトの“性=SEX”への執着は、今の僕らの想像をはるかに超えていたはずで、僕はきっとこれこそが、ヒトをヒトたらしめた進化の最大推進力とさえ思うんだよ。それは今も基本的には何ら変わらず、人間はその性を、生や聖から分離させ、アヘンのような刺激物へとおとしめてるだろ。だいたい人間というものはさ、自分に対してモノを認識したならば、常にそれを貨幣の渦に投げ込んで、カネ取引に陥れ、何でもアヘンのような刺激物にしちゃうじゃないか。アヘンだらけの現代とは異なって、ヒトから見れば刺激が少ない原始時代に、“性=SEX”が最大かつ究極の、刺激物にしてモノ=対象物となることを、ヒトは発見したんだよ。つまり、ヒトはさ、自分を含む自然から、最初に“性=SEX”を独立のモノとして、分離し、認識しては取り出し、それを刺激物へと進化させ、同時にそれがヒトの進化そのものを牽引したんじゃないかって思うんだよ。」

「じゃ、じゃあ、何で、それがフェラチオとつながるんだよ?」

「いや、僕は特にフェラチオにこだわってるんじゃなくって、これを含めて、江戸の枕絵に見るような八十八カ所みたいな体位にも表れている、ありとあらゆる“性=SEX”の感度開拓、快楽開発、アヘン化と遊戯化こそが、ヒトの進化を引っぱったのではと思うんだよ。つまり、君が言っていたように、ヒトが直立二足歩行ができて、体毛を、その一部を陰毛として刺激物として残した以外は、きれいさっぱり捨て去って、皮膚の全体そのものを性被と化して、しかも尾っぽを廃したのは、“性=SEX”への執着が、ヒトをヒトたらしめる進化をさせたからなのではないだろうかって、僕も思っているんだよ。」

  テツオはここで、思わず深く考え込む。

「なあ、キンゴ。俺、今、ふと思ったんだけど、性=SEXへの執着と開拓、開発、直立二足歩行とそれにともなう手の機能と脳の拡大、そしてヒト特有のモノの創造っていうのはさ、おそらく同時並行の、三位一体として進化してきたのではないだろうか。」

  キンゴもそれには、深い共感と共鳴とを示してくる。

「その通り。ヒトの進化に対してはいろんな説があるけれど、性=SEXの推進力は絶大で、それがやがては絶倫につながったのかもしれないよ。でさ、ついでに言うとこんな話(3)があるんだよ。江戸時代、吉原に行こうと思えば長々と田んぼをつっきり行くんだけれど、通っていく人間たちを見ていたカエルが、自分たちも吉原へ行きたくなって、“ほれて通えば千里も一里、長い田んぼもひとまたぎ”ってんで、人間同様、二足歩行で皆して行ったんだって。」

「それ、もしかして、性=SEXへの思い入れは、カエルも二足歩行に変えるってオチなのか?」

「いや、その手のオチじゃなくってさ、カエルたちが吉原着いて、人の女郎が張り出してるのを、ひやかして回るのだけど、カエルたちが直立二足のまま正面向いても、なぜか店の反対側の女たちしか見えないって話なんだよ。」

「ということは・・、それ、もしかして、動物つまり自然界の認識と、人間との認識には、互いに相対性、あるいは相補性があるってことの暗喩かもしれないぞ・・。すごいよなあ、江戸の時から20世紀のはるか先まで見ていたなんて! “永遠の12歳”って言われても、それが大人になっても子供の良さを失わない、ないし、子供の持つ問題意識を失わないっていうことなら、まるでかの相対性理論アインシュタインが、16歳の時に抱いた“光と同じ速さで走れば光は止まって見えるのか”という疑問を持ち続けたという事と、似ていると思わないか。」

  テツオが目を輝かせてコーフン気味に言うのをよそに、キンゴはあたかも相補的に、そっけなくこう答える。

「いや、これは、ただ単に、立っているカエルの目は後ろしか見えないって、オチなんだけど・・」

 

  春も過ぎゆき、初夏へと通じる暖かさが増していくなか、テツオは今日も眠れぬ夜を過ごしている。もはやユリコの尻と足ばかりではない。今や彼の脳裏には何ものかの懐胎が近づいており、彼はすでにそのことを察知しているようである。あと必要なのは、多分そのきっかけなのだ。

  -そう、もっと光を。僕には今、きっと光が必要なんだ-

  テツオは直感的にそう感じて、深夜、月の光が部屋へと差し込むベランダの窓際へと、引かれるように歩き出す。

  -足、足、ヒトの足。今、僕は自分の足で、指先から踵まで、土踏まずを間にして、重心を前後左右と器用に渡らせ、自分の尻-その類人猿最大の大臀筋で、全身を支えつつ、大地を掴むようにして、右と左を踏みしめながら、歩きはじめる-

  そして月の引力に引かれるように、浴衣と下駄ばき姿のまま、海辺の方へと向かっていく。

  -僕は今、浜へと着いて、宇宙の先端、漆黒の、天空を仰ぎ見る。雲のたなびく合間から、藍の幕目の隙間から、月の光が白くまばゆく流れ落ち、僕の体に降り注ぐ・・・。潮風が、ほのかな磯の香をはこんで、浴衣の中へと忍び込み、僕の体を撫でめぐって、遠くからの波音も、足もとの無数の小石を響かせ合って、月の光を爪先にまで、散らしはじめる・・・-

  テツオは自分が恋しくなって、長い浴衣をすべらすように脱ぎ落とし、またブリーフも脱ぎ去ると、その裸体を月の光にくまなく照らす。心もち八文字に足を開いて、指先に力を入れて砂をつかんで踏みとどまり、胸を張りだし、重心を後ろにそらすと、プリッと締まった男の尻を両手におさめて、鋭角するどく屹立盛んな、また霊長類最大のヒトのペニスを、月へと向ける。そしてヘアに風を感じつつ、月光を受け先端がつややかに反射している己のペニスを、一人静かに眺めている。

  -リンガ、リンガ、僕のリンガ・・。これもまた、“梵我一如”の瞬間かも・・・-

  ここで、テツオには、ある声(4)が聞こえてくる。

  “神が天地を創造した初めに、光あれ、と神は言った。”

  -この声は、空からか、海からか、それとも僕の意識の奥底から、聞こえてくるのか・・-

  “その時、ヘビがもっとも狡猾だった・・。イヴはヘビにそそのかされて、自分が食べた知恵の実を、アダムにすすめた・・・。”

  -僕はすでに気づいている。ここでのヘビとは、すなわち“ペニス”の隠喩であることを-

  “見ると、その実は、とてもおいしく、目を楽しませ、賢くなりそうに思われた。”

  -ヘビがペニスであるのなら、この“実”はきっと、“女陰”の隠喩に違いない-

  “その知恵の実を、イヴも食べ、アダムも食べた。すると二人の目があいて、互いに裸であると知った。そして彼らはイチジクの葉をつづって、腰へと巻いた。”

  -そう。こうして人は、性=SEXを、その語源の通り、男女に分けた。そして、性=SEXを自然からも分離させ、これが人のその知恵の起源となった-

  “神は男のあばら骨を一本ぬき取り、それで人の女をつくった。”

  -僕はこんな説(5)を読んだのだ。ヘブライ語の“tzela”とは、聖書の英語版ではあばら骨と訳されるが、実は“支柱”という意味もあり、これが陰茎骨をさすのではというのである。というのは、陰茎骨はヒトの雄から失われていて、かたやあばら骨は一本も失われてないからである・・と-

  “禁断の知恵の実を食べた女に、神は言った。「私はお前の生みの苦しみを大いに増やす」と。”

  -立二足の最大の代償として、死にさえ至る女の難産があげられる。直立二足で脳が大きくなったせいで、ヒトの新生児の頭は産道に比して大きく、出産できる限界のギリギリで、またそのために新生児は生まれてからその脳を4倍にも成長させねばならないという。またヒトの女の骨盤は、骨産道の断面のなめらかな楕円形を損ねないよう、脊髄の最下部は後ろへとシフトしており、女が腰をゆらせて歩くのは、骨盤がやや前へと傾いて、斜めに向けて揺れやすいかららしい。胎児の頭が大きくて、肩幅も非常に広く、骨盤が二足歩行で変形をとげたため、ヒト以外の霊長類、大型類人猿でさえ順調な出産も、ヒトの分娩は平均で9時間もかかるという

  テツオはこうして考えながら、-進化論と聖書とは、相対立するというよりも、聖書はみごとに進化論の隠喩なのでは-という、彼の仮説にたどり着く。しかし、彼の仮説は今回は、この一点にとどまらず、ここで裸になったのも、ペニスを月へと晒したのも、もうオナニーのためだけではなく、今からの思考実験のためなのだった。

  -太古の昔、原始の時代。この海からはい上がり、四足から二足へと進化した僕らの先祖も、月の光に晒されて、空と海とに向き合っていたのだろう。遅くとも350万年前より、完全に直立二足で歩いていた僕らの祖先。今これを実際に再現すると、何と無防備だったことか! ただでさえ重力に逆らって、直立二足で立つこと自体が、おそらく空を飛ぶのと同じほど困難なのに、一番の急所である腹部と、霊長類最大にまで極大化させたペニスを、常に同時に前方に晒すという・・、しかも体毛をそぎ落とし、むき出しになったやわな皮膚は保護色でもないのだから・・。イヌ科と違って顔は平たくキバもなく、ネコ科と違って手足には武器となるカギ爪もない。こんな無防備な姿のままで、しかも未熟なまま産み落とした赤子をかかえて、どうして身を隠しやすい森の中から、大型肉食動物のいる草原へと出たというのか・・。長距離移動をするためだけなら、四足のまま、キリンのように、またダリの絵みたいに、足だけ伸ばす進化もあったと思うのだが・・。

  ヒトが頭蓋の容量を、チンパンジーと分岐した500ccから今の約1400ccへと3倍近くも大きくしたのも、楽器を奏で、ファッションをつくり出すほど手の機能を高めたのも、咽頭を下げ声道を長くして、鳴き声を言葉へと進化させたのも、すべてはこの直立二足歩行の結果であるということは疑いえない。しかし、重力に逆らって血のめぐりも悪いなか、心臓に負担をかけつつ、身体的な無防備を晒したまま、死にさえ至る難産のすえ、未熟なまま生まれた子供を長期に渡って養うなど、直立二足歩行には自然淘汰に反するほどの致命的なデメリットがありすぎる。だから、ヒトにしかない直立二足をあえて進化させたのは、命をかけてやるに足るよっぽど強い誘因があったればこそであり、それは性=SEX以外には考えられない。逆に言えば、性=SEXの快感とか快楽とかは、おそらく自然は生殖への誘因として備え付けてはいたのだろうが、ヒトはその快感と快楽を極大化する進化を選んだわけである。だからこそ、ヒトは体毛をそぎ落とし、しかも陰毛はわざわざ残して、皮膚をほとんど露出させては性被として感度を高め、SEXの邪魔になる尻尾を廃して、顔も胸も性器もすべて、器官としても顕示としても美としても、とぎすませて前面へと押し出した。雄は霊長類最大のペニスを持ち、雌は哺乳時以外も大いに目立つティンバルの果実のような大きな乳房と、サクランボのようなその乳首とを持ち、総じてそれらをためつすがめつ味わうために、嗅覚よりも視覚をはるかに進化させた。他の動物たちはかなりニオイに頼るのに、ヒトがより目に頼るのは、尻も足も嗅げばクサイが、目で見るには甘美だからではないか。そして対向位をはじめとする、夜毎に変わる枕の数ほど枕絵にもある体位を見出し、発情期という時間的制約も取っ払って、総じて性=SEXを原点として、ヒトは知恵も身体も進化させてきたのではないだろか。だって、仏教でもまさに、“陰果応報”というではないか。

  そして、性=SEXをこのように特典的な刺激として身体から取り出したのは、“自然”から人が最初に“モノ”を認識して“分けた”ということであり、ここに人間特有の“相対知”が芽生える起源があったのだろう。アダムとイヴが、ヘビにおされて知恵の実を食べた時より、男と女、生と死、自然とヒト、神と人というような、人間の相対知=いや相反知ともいえる“知”が、始まったのだ・・・-

  ここまで悟りが及んでくると、テツオはまた身心脱落の境地となって、波打ち寄せる砂浜に生尻をそのまま下ろすと、両手を後ろについたまま、じっと目前で黒々と打っては返す海面を眺めている。そして彼は、やがて股間に勃ちのぼる己のペニスが、今や水平線の境のない、宇宙の先端、漆黒の、夜の帳に鳴り響く、無限の海のかなたから、無数の周期の波を経て、一直線にここまで及ぶ月の光に、カリでさえも輪っかのように、白くまばゆく照らされるのを見つめている。テツオは今、ユリコのあの月のような白いお尻に思いをはせつつ、己のペニスを、あたかも天地の氣がここへと宿り、生の意思が結集して、まるでここより太古に準じた創生が、またあらたに始まるような期待を込めて、リンガのように見入るのだった。

 

  -ユリコみたいに、一発二発で吹き飛ばせれば、いいのだけど・・・-

  生尻のまま砂浜に座ったせいか、穴に感じる違和感に直面して赤面しつつも、テツオは彼の新たな仮説を伝えようと、教会兼図書館のキンゴの所へと向かう。見ればキンゴは、ついに受験勉強の方にこそ本腰を入れ始めたのか、ワーグナーでもカラスでもなく、ギコちない英語文をBGMとしながらも、テツオの仮説-聖書の進化論的解釈-を、聞いてくれた。

「そうだ。僕もそう思う。まさに初めに言葉ありきというよりも、それに先立ち“性=SEX”ありきだったんだろうな。」

  キンゴも大いに納得するものの、その表情にはどこか憂いがあるようだ。

「キンゴ。俺との話はいいからさ、受験勉強忙しいなら、もちろんそっちを優先してよ。内部被ばくを真剣に扱う医者が、これから先も末永く必要とされるんだし・・。」

「いや、もちろん、そうなんだけどさ。でも、進化論って、生物、地学、地球史&人類史と、カバーの範囲が広いじゃん。また君の言っていた植物の生態も元素の周期表だってあるし、だからかえって理系苦手のボクでさえ興味深くて、かけそばに唐辛子、うどんに美馬辛いれるみたいに、無味乾燥な受験勉強にはかえってイイ刺激になってんだよ。だからテツオ、君にはかわらず、ここに来てほしいんだ・・。」

「そうか・・。ま、受験のタシになるならいいけど・・。でも、どうしたんだよ? お前、何だか、元気ねぇみたいだけど・・・。」

そう聞くと、キンゴはその憂いの顔をすこし上げるが、テツオには、何だかそれが綺麗に見える。

「いや、受験の話をするのなら、医学部だって大学次第で難易度はピンキリだけど、受験を担当してくれるレイコ先生が言ってたように、入学試験の改定で、今や医学部受験の最大のネックってのは、数学や理科よりも現代国語なんだそうだ。」

  テツオは、-ははあ、だから悩んで元気ねえのか-と、キンゴから話を聞いてやろうとする。

「医学部入試の改定っていうのはさ、結局、あの3.11も含んでこの方、非典型の疾患が増えているのがきっかけらしい。僕らからすりゃ、放射性物質や複合汚染その他の理由で、免疫力が落ちてくれば、チェルノブイリ後と同じになるって予見はできていたんだけど、この国はいつも何でも利権にするから、この問題もあのカゲ学園だかハゲ学園だか、獣医学部の新設を急に認めだしたように、急増する疾患と慢性的な医師不足の対策として、医学部の増設と医大生を量産するってことにしたじゃん。それでかえって、弁護士ふやせど質が落ち、かんざし増やせどトウが立ちってな感じで、医師の質がまた一段と低下したのを省みて、“言葉による倫理的かつ論理的な読解力・思考力・表現力を必須とする”との、審議会の答申だか前戯の悔いの更新だか何だか知らんが、そのせいで医学部入試が改められて、今や医大受験者最大の悩みってのは、理数系の科目より、二次試験で登場する現代国語としての出題“課題による論説作文”なんだそうだ。しかもこれは医療保険制度など理数系以外の科目を含んだ横断的な課題による論説で、その場で論旨明快に書かねばならず、レイコ先生が言うように、平素から思考力を養わなっておかない限り、いわゆる受験の対策なんてのはやりようがないらしい。」

「それなら、理論家肌で文章が得意のお前の思うツボじゃねえか。たとえ理数系がイマイチでも、二次の論説作文で大いに挽回できるだろうし。」

「まあ、本当にそうなりゃいいんだけどね・・。」

  ここでキンゴは、やや嬉しそうにはなるものの、またもとの憂いの顔へと戻ってしまう。

「な、何だよ・・、受験が最大の悩み事なら、むしろ希望が見えてきたと思うのだけど・・。他にもまだ、何か悩みが、あるってのか?・・」

「いや、悩みというかさ・・、君と話し続けてきた進化論についてだけど、僕は最近、はたして僕ら人類は、今さら進化できるのだろうかと思うんだよ。だって僕たち人間は、環境に適応させようと己を進化させるより、逆に環境を己自身に適応させる、つまり、自然の方を自己都合で加工するのに何千年も全力を尽くしてきたから、今さら己を進化させるということ自体が、もう無理なんじゃないかって思ったんだよ。つまり僕ら人類は、恐竜みたいにある極限に達してこの方、進化の袋小路へと入っているのかもしれない。・・たとえ進化ができるとしても、スケベ路線の延長で、せいぜいペニスをもうちょい大きくするぐらいしか残ってないかも・・、・・あ、いや、ちょっと待てよ・・・。」

  今までの悩み顔から、またペニスのような単語を口にし始めて、キンゴはここで、何かをひらめいたようである。

「ということは、ひょっとして、雄は乳房と乳首、それとお尻を雌なみに大きくさせ、雌はクリトリスを雄なみに大きくさせて、互いにますますイイとこ取りの進化を遂げていくかもしれない・・。」

  そこまで話したキンゴの目を、テツオもハッとしたように見つめ始める。

「キンゴ、い、いや、ちょっと待て。・・ということは、つまり俺らの祖先が性=SEXで進化をしてきたのなら、今の俺たちだって同じく、性=SEXをきっかけにして、進化はできるのではないか。何も袋小路にはまっちゃいない。いや、ひょっとして、“性=SEXは進化のためにある”のかもしれない。神はわれわれ生き物を、最後まで見捨てないんだ。」

  そういうテツオの綺麗な瞳を、キンゴもまたじっと見つめる。

「・・・“性=SEXは進化のためにあるかもしれない”・・・。なぁるほど・・。で、でね、テツオ・・。僕の悩みというのはね、実はこのあたりにあるのかも・・・。」

「何だよ、お前のその悩みってのは。言ってすっきりするのなら、さっさと言っちまいねえ。」

「いや、それが、何とも言い出しにくくッて・・・。つまり、例の、ローマ字4字のことなんだけど・・」

  キンゴが文字通りのモジモジモードに入っているのが、テツオは何だかまどろっこしい。

「あー、それってきっと、理科の遺伝子“AGCT”のことなんだろ。それとも、音楽好きのお前だから、“BACH”か、あるいは“DSCH”か・・・。」

「い、いや、そうじゃないんだよ・・。実はね、“LGBT”のことなんだけど・・・。」

  -何だよ、コイツは・・。児上がりが女に化けて(6)みたいな顔して・・。チ○ポとかペニスとか、オナニーとかクリトリスとか、そんな単語はアケスケに言うくせに、何で“LGBT”にそんなに恥ずかしがるんだよ?-

  やや呆れているテツオをよそに、キンゴはそのまま話し続ける。

「いや、だってさ、僕はずっと不思議に思っているんだよ。どうして“LGBT”があるんだろうって。どうして“同性愛”があるんだろうって。同性愛って、子孫を直接つなぐには至らないかもしれないけれど、これもまた、ヒト以外のゴリラとか類人猿にもあるらしく、人間界特有のものではなくて自然界に広く一般的にあるかもしれない。それにサカナは性転換するっていうし。しかし、生物界の大原則も進化論の大前提も、種の継承とされてるわけで、自然淘汰や性選択の原理では、LGBTも同性愛も説明がつかないと思うんだよ。サカナが性転換をとげるというのも、雌の集団から雄が出て、子孫をつなぐためだというし。」

  こうして話している最中も、キンゴはテツオを見つめ続ける。テツオはキンゴが、根っからのKYで、人の目どころか顔色さえも気にとめず、しゃべくるのに慣れてはいたが、ここまでジィーッと見つめられると、やはり一種の性的“ゆらぎ”を感じてしまう。

「いや、それでね、テツオ。ここで是非、君自身にあらためて確認をしたいのだけど・・・」

  キンゴはテツオを見つめたまま、いっそう彼ににじり寄る。

「お、俺に、いったい、ナニを、確認したいと・・・?」

「いや、君の言っていた“美の絶対性”のことなんだけど・・・」

  テツオはまずは、話が抽象的になりそうなのにホッとする。

「いや、僕も君に触発されて、受験のかたわら、少し調べてみたんだよ。かのダーウィンも進化論では、雄と雌との性選択を、各個体の“美意識”にこそ求めたのと似ているしね。そして僕は、この美の絶対性は、同じく君が言っていたフィボナッチ数と黄金比とあわせてみると、あるいは非常に重要なものかもしれないって思うのさ。」

  と、キンゴは彼の付箋をつけた書物やノートを引き寄せ、開いてみせる。

「よく言われているように、フィボナッチ数列(7)の項Fnと、後項Fn+1の比は、このように進むにつれて限りなく、まるで“保存則”があるかのように、終わりもせず繰り返しもしない1.61あるいはその逆数の0.61で始まる“黄金比=φ(ファイ)”に収束していくんだよ

 

Fn/Fn+1    1.00 0.50 0.66 0.60 0.62 0.615  0.619  0.617

フィボナッチ数Fn1 1  2  3  5  8  13  21  34

Fn+1/Fn    1.00 2.00 1.50 1.66 1.60 1.625  1.615  1.619

 

  そしてこの黄金比とは、古代よりピラミッドからミロのヴィーナスまであらわれる美の比率といわれるもので、ユークリッド原論では“外中比”としてあらわされ、また、かのプラーが“幾何学にはピタゴラスの定理そして外中比の線分割という二つの宝がある”と称したほど、神秘的なものとされていたらしい(8)。」

  テツオがじっと見守るなか、キンゴは説明し続ける。

「でさ、受験勉強というものは、苦手な域にも発見をさせてくれるものだから、この黄金比の1.61や0.61を連想させるようなのが、主な物理定数にも数々あって、大きく見れば、これらはいずれも黄金比と近い比率をもつといえる。

万有引力定数G=6.672×・・、アボガドロ数NA=6.022×・・、陽子の質量mp=1.672×・・、電気素量e=1.602×・・、プランク定数h=6.626×・・。

それでこのプランク定数hとは、物質を熱すると熱放射といっていろんな色の光が出るけど、この物質の熱放射による電磁波の波長とエネルギーとの関係式(9)にあらわれる、非常に小さな定数なのさ。 

E=nhf(E:光のエネルギー、n:1,2,3・・整数、h:プランク定数、f:光の振動数)

 光と原子がやりとりするエネルギーは、hfを一固まりの粒として受渡しする。

 エネルギーはこの量子の形で、不連続な値で相互にやりとりされる。

 

  この発見が相対性理論とならぶ20世紀の物理学の双璧である量子論の幕開けとなったといわれている。ちなみに相対性理論によると、電子の速度を光速に近づけると、その質量は大きくなるけど、電子の電荷量である電気素量e=1.602×10のマイナス19乗クーロンは変化せず(10)、電気素量は普遍的といわれていて、そしてこの1.602は黄金比とほぼ同じだ。」

  キンゴの理路整然たる説明に、ときめきさえも感じながらも、うっとりと聞いているテツオを横目に、キンゴはそのまま語り続ける。

「それでこの光の振動数fは、バルマーの公式で導かれ、そこにはリュードベリ定数Rが含まれていて、この定数も原子の種類に関係しない普遍定数ということで、そしてこの定数を導く式にも電気素量e=1.602・・が入っているから、君が言ってた元素図鑑に見るような、原子が発するスペクトル線の振動数にも、常に黄金比の約1.60が潜んでいるとも言えるんだよ。それで実際、太陽系の約8割を占めるとされる水素の原子スペクトル線の、可視光領域にあらわれた波長のバルマー系列の、最大波長/最少波長の比を見てみると、6562.8/4101.7=1.6000 という具合に、また黄金比があるってわけさ。」

  テツオは、難しそうな物理の本と手書きのノートを交互に行き来させながら、解説に抑揚をつけるように振られているキンゴの手を、うっとりと見つめている。それはあたかも女性のように、細くて白く、指先と手のひらからは、ゆるやかな熱放射のせいなのか、朱るんだ肌色あいがほんのりと灯っていて、爪先の光沢と調和しながら、音楽みたいな律動を空間にもたらすように見えてくる。

「で、このリュードベリ定数Rも、さっきのプランク定数hも、光速の秒速約30万kmと、この電気素量eの2つの数字さえあれば、験的に求めることができるのさ(11)。ということは、E=nhf、つまり、光のエネルギーEには常に約1.60の比=黄金比が潜んでいると言えるんだよ。そしてnは整数だから、これもフィボナッチ数であらわされる数ってわけだ。」

  そしてキンゴはページをめくって、陽子のまわりに同心円のいくつかの軌道があって、そこに電子がまわっている原子モデルの図を見せる。

「そしてこれは、ニールス・ボーアの理論(12)だけど、さっきの子スペクトルとして出される光は、この図のように、電子が外側軌道から内側軌道へと2つの軌道の間をクオンタム・ジャンプする時、光子を発することによるのさ。たとえば水素原子の場合、n=6~2への軌道からジャンプする電子が、2つの軌道のエネルギー差に相当するエネルギーの光子を発するということだけど、それは次の4種類で、E=nhfにより、エネルギーがその光子の色を決めるんだよ。

  n=3から2へ:光の色は赤、n=4から2へ:光の色は緑、n=5から2へ:光の色は青、n=6から2へ:光の色は

  テツオ・・、ご覧よ・・・。美しいだろ・・・。虹のように・・。神秘的だと、思わないか・・・。」

  キンゴは静かに、テツオに向かって話しかける。テツオは写真を示したキンゴの細い指先にも見とれつつ、こんなに小さな量子の世界にもあった虹の光に、言いようのない感動を覚えている。

「確かに、虹だ・・・。これは神秘だ・・。こんな中にもあの黄金比が潜んでいるとは・・・。」

  そしてキンゴは、この原子スペクトルの写真の次に、意外にもテツオの好きな花々の写真も見せる。

「なぜ、花が綺麗な色合いなのか(13)。それは素分子中のπ電子が、花に光があたるとジャンプして、その時に吸収する光と補色の関係にある光が、人の目に色として映るんだよ。たとえば花が赤いという時は、その花の色素が青緑の光の色を吸収して、その補色である赤が目に映るというように。花がこんなに綺麗なのは、色鮮やかというだけでなく、その姿形も色のように、フィボナッチ数と黄金比が秘められているからなのかも・・・。」

  深くうなずくテツオを横目に、キンゴはいよいよその理論の核心へと入っていく。

「テツオ、たしかに君が気づいたように、光を受ける草の葉や花々に、黄金比のフィボナッチ数があらわれるということから、そもそも光の量子の世界にも、同様にフィボナッチ数と黄金比とがあらわれるということが、以上のように説明できると思うんだよ。そしてこの黄金比の約1.6や0.6というのは、草花、巻貝、ピラミッド、パルテノンやミロのヴィーナスあるいはモナリザというように、自然界、人間界のマクロ的な世界から、元素とその周期表、原子スペクトルにプランク定数、電気素量と、きわめてミクロな世界まで、一貫してあらわれて、しかもすべてが“光”にもとづき、また根幹的な“美”としてもあらわれるという決定的なものなんだよ。だって物理学の世界では、ニュートン力学中心のマクロの世界と、量子論不確定性原理のミクロの世界の統一が困難とされるなかで、この黄金比に近似の比率がこのように繰り返しマクロとミクロの両世界にあらわれてくるのだから。これこそまさにュートンが言ったところの、“初めに神は、物質を、その大きさと形、その他の性質および空間に対する比率を、神がそれらを形作った目的に、もっとも適うようにした(14)”という言葉の、まさしくその証の一つといえるのではないだろうか。」

「本当だ。俺も、きっと、そうだと思うよ・・。」

  テツオが感動しながらも受けとめるなか、キンゴはトーンを抑えつつ、語り続ける。

「テツオ、君の言っていた“美の絶対性”というものは、たとえばこの黄金比という自然界の実在で明確に担保され、物理学のマクロとミクロの両世界を渡るとともに、美を通じて、物質と精神の世界をも渡っているのさ。さっきのランク定数hというのは、その単位であるJs=ジュール・秒から見えるように、物理学ではこうしたエネルギー×時間というのを“作用”と呼んで、プランク定数hが存在していることを以て、作用の最小単位-すなわち“作用量子”が存在することを意味しているということだ(15)。ということはさ、まさしくこれと同様に、黄金比の1.6や0.6とは、自然界も人間界もマクロもミクロも相つなぐ、“美の作用量子”みたいに、言えるのではないだろうか!」

  テツオはここで、持論の“美の絶対性”を、ここまで昇華させてくれたキンゴに対して、深い感謝の意をささげつつも、ふと問いを発したくなってくる。

「キンゴ、そこまで考えてくれていたとは・・、本当に有難う。ところで、今までの一連のこの話と、LGBTって、どこがどう、つながっているんだろうか・・・?」

  キンゴはもはやモジモジせず、理論的にストレートに言いおさめる。

「今までの話の主役は、実は“光”というべきで、フィボナッチ数も黄金比も、またプランク定数も電気素量も、人間が観察し得た“光”の可視的な一面にすぎないと思うんだよ。で、僕が思うのには、この“光”と“美”と“性=SEX”と、“進化”そして“LGBT”とは、実はむすびついているのではって、ことなんだよ。」

  キンゴはここで、モネの絵みたいな印象的なその赤唇を、テツオに向かって寄せてくる。

「だから・・、例えば・・、どこがどう、むすびついているのだろうか・・・?」

  テツオはキンゴの赤唇を、生つば飲んで見つめ返す。

「それはまだ・・・、僕の中にも確信が持ててない所があって・・・、今すぐ君に、言える段階じゃあ、ないんだよなあ・・・。」

  と、キンゴは一寸、テツオから目をそらせて、赤唇を引っ込ませては口ごもった。テツオは-ここで妙につっこんで話をややこしくするのもアレだしと、キンゴをそっとしておこうと思うのだった。

「あ、そうそう、テツオ。ヨシノが言っているんだけど、ここらで僕らの進化論の研究を、互いに中間報告し合わないかって、提案が来てるんだけど・・・。」

  進化論はもともとは、子供を守らぬ人間に絶望したテツオが思いついたものだったが、キンゴとの共同研究が進むうちに、-それじゃあ、あたしたちも、高校の卒業記念に。受験のタシにもなるのかも-と、ヨシノとユリコも加わってきた。それでテツオとキンゴが進化論の全般をやるのに対して、彼女ら二人は人類史-それこそ原初のミトコンドリア・イヴ、アウストラロピテクスのルーシーから、後のヒトの進化について、同様に共同研究していたのである。

「そうだな。ここで一度、まとめておこうか。ユリコも何だか、あのネアンデルタール人に、やけにこだわっているようだし・・。」

 

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  そんなわけで5月のある日、4人は授業のはねた放課後に、教会へと集まった。

「イヤイヤ、テツオもキンゴも、チョットあたしたちの話を聞いてちょんまげよ。もう、こちとらはね、近ごろズゥーッと、ネアンデルにナヤンデルときてるんだから。」

  ヨシノは独りモクモクたる受験勉強、その束の間の解放感か、しゃべることそのものが殊のほか楽しいみたいなオーラである。

「ヨ、ヨシノ・・。初夏へと向かう今日この頃、さっそく寒いギャグだけど、人類史の問題って、やっぱりあのネアンデルタール人へ行きつくのかい?」

「そおよぉ。決め手はやっぱりその、ムシ歯に悩んで横になってた、寝病んデンタールな人々なのよお。」

  ヨシノは、-今後のはどお?-とでも言いたげに眉をつり上げ、目を大きく開いてくる。

「・・・で、ネアンデルタール人の話というのは、やはりその絶滅の大きな謎が、ポイントなんだろ。」

「そう!そぉなのよ。ほら、あたしらよく人間は恐竜みたいに滅びる滅びるって言ってるけれど、同じ絶滅考えるんなら、恐竜よりも同じヒト科ヒト属で、ホモ・サピエンスの姉妹種だったネアンデルタレンシスの絶滅の謎にこそ、迫るべきだと思うのよぉ!」

  ユリコもまったく同感みたいに、首を深くうなずかせる。ヨシノはそれで、竜神の絵のカバンの中から、いろんな資料を取り出して、語り始める。

「あたし達人類は類学上、霊長類のヒト科ヒト属に属していて、ゴリラやチンパンジーたちから約500万年前ごろに分岐したといわれていて、約170万年のホモ・ハビリスから脳容積がチンパンジーなみの500ccから600ccへと増え始め、約70万年前の脳容積約900ccのホモ・エレクトスが地理的に広がった最初の人類とされているのね(16)。そしてこのモ・エレクトスから火の使用と、おそらくは言語の使用も始まったといわれていて、また家を作ったとの指摘もある(17)。それであたし達ホモ・サピエンスは40~30万年ほど前にアフリカで誕生してから世界各地へ拡散し、これとはに約50万年以上の間、進化の系統をたどってきたのがホモ・ネアンデルタレンシスで、彼らはサピエンスと同時代を生きた後、約28000年前にスペイン南部で絶滅をしてしまったのよ(18)。それで、サピエンスとネアンデルタレンシスとの伝的相違というのは、サピエンスとチンパンジーとの相違の約半分らしくって、ミトコンドリアのDNAも異なっており、やっぱりこの二つのヒトは、亜種以上の大きな違いがあるらしく、別の種と見る説が有力らしいの(19)。でもさ、ほら、この写真を見てごらんよ。」

  と、ヨシノはここで一枚の、少女の写真を見せてくる。

「だれこれ? 外人の歌手かなんか?」

「これはね、復元されたネアンデルタール人の女の子よ。」

「・・・、カワイイじゃん! なあ。」

「・・・うん。かわいい。カワイイよ。」

  テツオもキンゴも興味津々。

「でしょオ! ネアンデルタール人ってさ、ーロッパを中心に生きていたから、高緯度では紫外線が強くないためメラニン色素が要らなくなり、髪は赤く、肌は白かったといわれていて、すでに服も着ていたそうだし、男性は眉上突起があるけれど、女性は地下鉄で乗り合わせても気づかないほどサピエンスと変わらなかったらしいのよ(20)。」

「じゃあさ、外見がこんなに似かよっているのなら、彼らの身体能力や文化程度って、どうだったの?」

「まずさ、彼らがを着ていた根拠は、ヒトの衣服にだけ住み着くコロモジラミが他のシラミと分岐したのが約7万年前、それでヨーロッパの寒い気候に適応し、三度の氷河期を乗り越えて20万年以上に渡って生存した彼らも当然、毛皮は着用していただろうと(21)。それとの層が一緒になって発見されたホモ・エレクトスがすでに先人としていたのだから、火も使って調理で肉も食べたであろうと(22)。それで語の使用については、彼らも言語にかかわるFOX2遺伝子をもっていて、また石器も使っていて、さほど大きくない集団を形成し、大型草食動物の狩猟で生活していたから、言語を使ってチームで作業をしていたと推測をされている(23)。ネアンデルタレンシスの身体は骨も筋肉も頑丈で、全体的にサピエンスより強靭だったといわれている。そんな彼らはマンモスみたいな大型動物の狩人で、化石にキズも多いことから、過酷な人生だったのかもね。でも、ケガした仲間を見捨てることなく病して、時には介護もしていたようだし、死者への埋葬儀礼もやっていたという話よ。埋葬をされていたのは男性で、その周辺には花粉や常緑樹があったという(24)。ということは、これはあたしの推測だけど、彼らにも男性優位の身分差があったのかもしれないし、また、死者に花を手向けたということは、死後の世界を意識して、生死を区別し、かつ、花を何か天国=楽園のイメージにむすびつけていたのかもよ。」

「じゃあ、ネアンデルタレンシスの、たとえば脳の大きさって、どれぐらいだったのかな?」

「それがさ、アンデルのは最大で約1700ccということだから、サピエンスの平均の約1400ccよりも脳は大きかったといわれているのよ(25)。これは一説には、彼らは冷地を肉食で暖かくして体力を保つため、サピエンスより一日350kcal余分に必要だったことの影響だという(26)。また、ネアンデルの頭部には出っ張った部分があって、その眼孔はサピエンスより20%大きかったそうだから、彼らが日差しが弱い所でも生きれるように視覚を特に発達させたという指摘もある(27)。そして、これもあたしの推測だけど、テツオとキンゴはよく“光”の話をしてるじゃない。で、この光に関しては、ネアンデルはアフリカ出身のサピエンスよりも、光=電磁波のエネルギーのより高い紫外線がより少ない地域に住んでいて、それでかつ、光に対して特に視覚を発達させるのにその脳のエネルギーをより費やしていたということだから、光がもしもヒトの知性と関係するということなら、この違いは大きいかもよ。というのはさ、脳の大きさは頭の良し悪しには関係ないってことだから。ナトール・フランスの脳は0.9kg強で、アインシュタインもそれより1割重い程度だったというし(28)。代謝で調べるとね、頭の大きい人たちは小さい人より代謝レベルが低いことから、結局トータルの代謝量で見た場合、人の脳の働きはその大小には関係ないっていう話よ(29)。」

  ここまで話すと、ヨシノは-あー疲れた-といった感じで、長い髪をバサッと振って戻しては、教会の長椅子に腰かけ直す。

「あ~疲れた、疲れた。あたしもここまで話すのに、かなり脳を使ったからサ、ここらで小咄をいっぱつカマして、ラリックスしよーじゃないの。」

  と、例のごとく、小咄一席、ぶとうとする。

「ネアンデルの母と娘が、マイホームの洞穴で、火を焚きながら話をしている。娘は母に、新しい服が欲しいってねだり始める。“ママー、あたしの服って、ねー、編んでる?” すると母は、外を向いてこう言うの。“雨が降ってきたからさ、狩りに出掛けたパパのことが心配で。外の雨って、ねー、やんでる?”」

「おもしろくも何ともないよ。」

「同じパターンの繰り返しで、頭を使ったヒネリもないし・・・。」

「じゃあ、これどう? ネアンデルタール人と同時代のホモ・サピエンスクロマニヨン人。この二人がある日ばったり出くわした。クロマニヨン人はさっそうと馬に乗り、それを見たネアンデルは開口一番、こう言った。“あっ、黒馬にON!”って。」

  ユリコだけは女友達のよしみもあってか、プッと吹き出す義理がたい所作を見せる。

 

「でもさ、今まで聞いた所では、ネアンデルタール人っていう人たちは、当時の我々ホモ・サピエンスより何ら劣ってないようだけど、同じ地球の時代を生きてた彼らが、どうして全員絶滅して、我々ホモ・サピエンスだけが唯一の人類として生き残ったのだろうか?」

「そう!そこなのよ、問題は。でさっ、あたしら4人、あの3.11以来この方、疑う者は救われるってな感じで、大人の定説なんてもの、まず疑ってかかるじゃない。それでヒトの進化も現存しているサピエンスが勝手に語っているんだけど、定説ではネアンデルの知恵がサピエンスより劣っていたため、気候変化についていけずに絶滅したっていうことらしいの。でもさ、土台、あたしたちサピエンスって、“差比猿子”=何ごとも差別し比べるサルの子みたいに、差別意識のかたまりじゃないの。だからネアンデルに対しても、彼らを劣等種にしてサピエンスを優越種にしたいって下心が、この定説の根底にあるんじゃないかと思うのよ。定説ではさ、ネアンデルはサピエンスより、特に“言語と抽象能力が低いか、あるいはほとんど無かった”ということになってんだけど、人間の言語なんて、あの3.11後、250万人もの強制避難が検討されるほど国の滅亡寸前まで来て、何万人もの難民が出たというのに、地震国でありながらこの国の原発再稼働差し止め裁判での原告=住民側を敗訴させる判決文によくあらわれているように、要するに不誠実なウソつくためにあるようなものじゃないの。それにさ、あたしらずっとキンゴのパパと内部被ばくの講演会やら勉強会に出向いてきたけど、どこでもいつでも思うのは、言葉があるというのにさ、“被ばくって本当に伝わらない”ってことなのよ。ということは、人間の思いというのは、その差別意識が根底にある限り、必ずしも言葉では伝わらないということよ。だってさ、互いのコミニュケーションってのは、程度の差こそはあるものの、アリやミツバチ、イカもイルカもサルたちも、その能力を持ってるじゃない。植物だって危険が来たら、フェロモン飛ばして近くの仲間に知らせるっていうんだから。というかさ・・、あたしは最近思うのだけど、人間って本当に文章を読まないよ。こんなに識字率が高い国でも、文章を読まない、読めない人たちが多い国って、この国特有の現象なのか、それとも人類共通の現象なのか。だからさ、きっと本質的には、放射能や被ばくの危険がわからない以前の問題なのよ。これはさ多分、選挙に行かないこと等にも通じている。それにさ、人間の記憶力や学習能力にしたってさ、それはさほどのものじゃないよ。オロギだって幼虫期の匂いの記憶をほぼ一生持ち続け、ハトやヒヒの実験でもかなりの記憶力が認められる(30)というのにさ、人間は戦争をいくらやってもやめないじゃない。アメリカはベトナム戦争でも懲りずにまたイラク戦争やったしさ、この国はヒロシマナガサキから約70年、3.11ときてもまだ“直ちに健康に影響ない、100mSvは安全・安心、食品基準は100Bq”と公言して、しかも当の国民はそれを受け入れ、選挙の争点にもならず、再稼働を認めているというのだから。」

  ヨシノはここまで語り終えると、-やっぱこんな話はするのも疲れる-といった感じで、はぁーっと大きなため息をつき、教会の長椅子にどっかりと座り直した。そこでユリコがその思いを引き継いで、静かな口調で言葉をつなげる。

「イエスに12使徒、釈迦に10大弟子というように、あのクラスの人たちでさえ、多くの人には伝わらないもの。かのウロが“文字は人を殺し、霊は人を生かす”(31)と言ったように、言葉はむしろ人が争いのツールとするもの。バベルの塔の物語で、神が傲慢な人間の言葉を乱して通じ合わなくさせたのは、示唆的なお話なのよ。それとサピエンスの定説でネアンデルを劣等種と決めつける決定的な証拠とするのは、彼らが祭祀や象徴性をあらわすような芸術性のあるものを残さなかったということなのね。例えばクロマニヨン人は、有名なあのラスコーの壁画を残しているけど、ネアンデルタール人はそれほどの想像力・創造力はともになかったということらしい。でも祭祀の跡といってもさ、たとえば沖縄の御嶽にせよ、アメリカなど世界各地の先住民にせよ、自然の空間そのものに神聖を見出していたのだから、そもそも自然を加工した祭祀の跡が常に残るとはいえないのよ。それに芸術の創造というのにしても、たとえば“花”の完璧な芸術性に気づいてしまえば、パウル・クレーが“芸術は神の創造に対して比喩的な関係にある”と言ったように、人為的な造形物などあえて作る必要もなかったのかもしれない。人為的な造形物は、むしろ物欲の対象とさえいえるし。だから、石器は作れど絵は残さずというだけで、抽象的・象徴的な知性や、想像力・創造力が欠けていたとはいえないと思うのね。それに、ネアンデルタール人たちは死者に対して花を手向けたという話は、他の動物たちにも仲間の死を悼む行為は見て取れるっていうけれど、生と死を区別して、死に対して花をあわせるという行為はヒトだけのものと思う。死と花とをむすびつけたということは、天国のイデアがあったのかもしれないし、個体の生死を超越した、神、あるいは、真・善・美といった抽象的な観念があったとしてもおかしくはない。ということは、テツオとキンゴが言っている、自然界の1.6の黄金比にあらわれる“美の作用量子”なるものを、その精神には持っていたのかもしれない。しかも、ネアンデルタール人たちは最大でも7万人程度だったといわれていて、毎日高カロリーを必要とする狩猟暮らしを限られた環境でしていた割には、土地を争い、殺戮し合った形跡がないらしいのよ。ということは、ネアンデルタール人たち同士の殺し合いもなかったし、逆に彼らがホモ・サピエンスに征服されてジェノサイドされたわけでもない-ということになる。」

「そう!そぉなのよ。このように、知れば知るほどネアンデルな人たちって、決して野蛮でもアホでもなく、殺し合わない、ジェノサイドしない、生産性などと言わずに介護はするしで、あたしたちサピエンスより平和的で、むしろいいヤツだったのかもよ。もし、昔、サピエンスが絶滅してさ、ネアンデルがヒトの種として生き残っていたのなら、核も汚染も戦争もない平和な地球のままだったのかもしれないよ。でも、もうサピエンスは子供を守ろうとはしないから、そのうち絶滅するんじゃないの。

  ま、あたしたちの報告は、ざっとこんなもんだけど、今後はあなたたち男子二人の共同研究、ちょいと聞かせてちょんまげよ。」

  と、ヨシノは持ってきた添加物のないお菓子の袋を皆の方へと開けながら、早や一人ボリボリとつまみ始める。テツオはキンゴが大いに真面目に物語る彼らの仮説が、性=SEXの進化論ともいえるので、女子二人の反応を注意深く見ていたのだが、意外にも彼女らにもウケていて、ヨシノもユリコもボリボリしながら笑ったり、うなずいたりを重ねている。そして4人が、最後の甘納豆をつまみ出したその頃には、彼らにはまた共通の問題意識が持ち上がってきたようである。

「結局さ、ネアンデルタール人っていうのはさ、同じ地球の環境を生きていたサピエンスと、存続と絶滅を分け合うほどの大きな差異はなさそうなのに、サピエンスより先人で、何度も氷河期を乗り切った身体的にはより頑丈なネアンデルタール人が絶滅して、サピエンス一種だけが唯一のヒトの種として生き残ったということは、やはり大きな謎といえる。性=SEXの進化論の見地をもとに、直立二足も体毛・尻尾の喪失も、男性が女性より大きく強い性的二型の特徴も、ヒト属の全体にいえるとするなら、サピエンスの一種だけが生き残ったのは、何か“見えざる所”に決定的な大きな違いがあったのでは-ということだろうね。それにまた、その生き残ったサピエンスが、ここに至ってもはや子孫を守らないのも、また生物としての大きな謎-といえるよね・・・。」

 

  さて、ここで話が一段落して、お菓子も絶えたタイミングで、ヨシノとユリコ、そしてキンゴもしめし合わせたような感じで、まずはヨシノが、テツオにこう切り出してくる。

「でねッ!テツオ~、ここであなたにゼヒ、お話しがあるんだけどぉ~。ホラ、こないださ、テツオが風邪をひいて休んでた時、こんな話があったのよぉ。ホラ、アイさんのあたしたち“子ども革命独立国”のDVDが海外で公開されて、それを見たチェルノブイリの親子保養活動を続けているヨーロッパのある市民団体がさ、あたしら4人をぜひ招待したいっていう話ィ、受験が終わって合格発表までの空きの期間に、この際、卒業記念旅行も兼ねて島のみんなで行こうってなったじゃない。それでね、その団体っていうのはさ、あたしたちと同様に独立系でどこからも支援を受けず、いっさいの利権を絶って運営をしてるんだけど、毎年長期の保養を受け入れて、今や地球各地の様々な国と地域の核汚染地から、いろんな文化の人たちがやって来るものだから、参加者たちは一種の文化交流的な、伝統舞踊とか民謡とかの小さな“余興”をやるっていうのが恒例らしいの。」

  テツオは、珍しく風邪をひいたのは、-月夜に己のペニスを晒して、棒ダチのまま、タマらなく寒かった-からだろうと思い起こした。

「ふうん・・、じゃあ、俺たちも、ここの県の文化圏の住民らしく、阿波踊り人形浄瑠璃のさわりみたいなこと、やったらいいんじゃないのかな・・・」

「いいや、それが、人形浄瑠璃じゃあ、すまないのよね・・・。」

  テツオが彼らがこの話をしていた時に、まさか校長がいたのではと、不安になる。

「・・・、まさか、歌舞伎をやるっていうんじゃ、ないだろうな・・・。」

「テツオ、そうなんだ。まさにその歌舞伎をやるのさ。演目ももう決まっていて、校長のことだから歌舞伎はそれも十八番の“勧進帳”、校長が責任もって指導をして下さるということだ。校長が言うには、何でも弁慶の勧進帳の読み上げから山伏問答を一部略して、富樫が義経たちを逃す所までやれば、15分程度で外国の皆様方にもよく理解して頂けるよう編集できるということだ。」

  ヨシノから話のバトンを渡されたキンゴが語る。

「・・・15分程度ったって・・、じゃあ、配役はどーすんだよ?」

  すると3人は待ってましたというように、ヨシノは義経、キンゴは富樫、ユリコは英語の解説役をあい勤めると、スラスラ答える。

「・・義経って、たしか座ってるだけでセリフはないし、富樫も山伏問答で短い質問発するだけで、二人とも楽勝じゃん。ってことは、弁慶役の俺一人がひたすらセリフを言えってこと・・?」

「だあってさ、あたしたちは受験勉強あるからさあ、そんなの覚えてらンないよぉ。」

「じ、じゃあ、衣装はいったい、どーすんのさ?」

「衣装はもともと、これは能がかりの演目だから、各自、着物に袴着で、メーキャップなしでも大丈夫なんだそうよ。それであたしは母の卒業式のを借りてぇ、キンゴも趣味で落語をやっているパパのを借りてくるんだって。テツオのは、校長がいつもの藍の剣道着を貸してくれるということよ!」

  テツオはここで、彼が抱いていた不安がついに、的中したようである。

「ヤダッ!ヤダ、ヤダ、ヤダ、ヤダ、いやだ、ヤダ。校長のあのコロモジラミがわくような剣道着、“道化師”じゃあるめぇし、“衣装を着けろ”と言われても、ゼッタイにヤダからな!」

「“軽ゥそう”に言われても、それでもヤダ?」

「これは歌舞伎じゃないけどさ、俺っテナー、できねえよ!」

「テツオ、だけど、着物と袴一式って揃えるのはお金かかるし、別に男同士でそれくらい、いいじゃないの。」

「校長は人間的には大好きだけど、あんなチェゲバラみたいなヒゲもじゃ、毛深く、しかも汗臭い剣道着、オトコ同士だからこそ、俺はイヤだ、イヤだッつーの!」

  そこまで言ったテツオは、ならばこれから直訴すると、校長の家に向かって飛び出した。

 

  テツオが校長の家に着こうとする時、ちょうどタイミングよく校長が釣りにでも行こうとするのか、一人玄関から出てきている。

「おおーっ!テツオくん! さすがに君はわが教え子にして今やわが友。スヴェトラーノフスメタナみたいにすべらない“わが祖国”の、数ある諸芸の最中から、バテレンたちにご披露せんと、またニセ愛国者の多い昨今、真の愛国者にふさわしく、県の伝統芸能たる阿波踊り人形浄瑠璃さしおいて、近頃殊勝の御覚悟(32)、先に承り候えば、歌舞伎はそれも十八番“勧進帳”の弁慶を、相勤め申し候とは、さらに凡慮の及ぶところにあらず、弓矢正八幡の神慮と思えば、忝く思うぞよ。これからは、弁慶は7代目幸四郎、富樫は15代目羽左衛門義経は6代目菊五郎空前絶後の名舞台のDVDを教材に、所作もきちんと教えるから、とにもかくにもそれがしに御任せあってということだ。」

  と、校長はヒゲッ面をしごきながら、いたくご満悦の様子である。

「い、いえ、先生、そ、そのことで、お話しが・・、特に衣装のことなんですけど・・、」

  すると校長、意外にも、顔をしかめてすまなさそうに、テツオに向かって頭を下げる。

「して、山伏のいでたちは-というのだろう。いや、それがだな、それがしの剣道着は、実はそれがし今月より、県の子ども道場でボランティアの剣道師範を相勤め申し候ほどに、君に貸すのがなくなっちまって、これは由々しき御大事と、悩んでいるところなのだ。」

「センセー!! 何も悩むことはありまッせんよっ! ではこの企画はボツッてことに・・」

「いや、早まり給うな。実はだな、この悩みを女房が嗅ぎつけて、やあれしばらく御待ち候えと、彼女の卒業式用の着物と袴の一式を、テツオ君に貸してあげたらって言うんだよ。だがな、俺はその時女房にこう言ってやったんだ。“女房、だからお前さんはだな、女心の赤坂(33)だっていうんだよ。そりゃァな、テツオ君はたしかに我らの教え子なれど、今やこの男伊達の総本山の俺様みたいに、チノパン履いたらかのバレンチノと称してもバレそうもない美青年へと成長したのだ。そんな彼が相勤める弁慶に、弁天小僧や阿波踊りじゃあるめえし、ファンデーションが汗に浮き、ョウタンばかりが浮くものか、あたしの心も浮いてきた(34)と、女ッ気のしたたるようなベラシャラしたお着物を着てみまァせなんてこと、この俺様が言うともなれば、千釣をあぐるそれがし、口もしびるる如く覚え候”って。」

「先生、おっしゃる言葉がイチイチ長くて僕にはよくわかりませぬが、要するに先生の剣道着が貸し出せなくなったその代わりに、レイコ先生が卒業式に準備されてた着物と袴の一式を、僕に貸して下さるということでしょうか?」

「さん候。女形義経は源氏なれど、平たく言えばそういうことだ。それにな、女房は重ねてこう言ったのだ。“ヨシノもキンゴも外国で、晴れ着としてのお着物を着るのだから、あの垢まみれの擦り切れたる剣道着を着せたりしては、テツオ君が可愛そうだし、第一、義経よりも弁慶が-いかにもくたびれたる体にもてなし-になっちゃうでしょ。テツオ君はややなで肩だし、着物だからおはしょりで調節すれば丈はきれいに収まるし、それにこの着物と袴は上下とも濃淡ちがいの無地の二藍、たしかに女物だけど、格調高く見えるから、外国でご披露するにはいいと思うよ”ってな。」

  ここまで聞けば、テツオが不安のコロモジラミも、オトコの着物の恐怖から、甘い香りをふんだんに羽根に盛ったモルフォ蝶へと変態し、金ぷくりんの鱗粉を宙の高みに放ちつつ、天にも青く舞い上がっていくかのようだ。

「先生ぇえ! かかる尊き大役を、しばしもためらい申せしは、眼あってなきが如きわが不稔。この上は勧進帳の配役につき、弁慶・富樫・義経の、三役すべてをマスターします!」

「そうか!君はやってくれるか。あら、有難の大檀那、現当二世安楽ぞ、何ぞ疑いあるべからず。」

  校長、大いに感心してにぞ見えにけるが、テツオはここで、心変わりの成果物を、決して忘れはしなかった。

「先生、重ねて申し上げますが、僕はどぉせ大役を勤めるからは、これからは日々勧進の心を養うために、まずは型から入るが大事と思いまして、レイコ先生のお着物はじめDVDなど嵩高の品々一式、ただ今僕にお預け下さい! なお、校長先生はお忙しいと思いますので、DVDによりながら僕一人でも独学できると思います。」

「そうか、君は誠に私の教え子。三年間もの長きに渡り、伝法の甲斐があったというもの。世は末世に及ぶといえども、日月いまだ地に落ち給わぬ有難さ。」

  校長が、一期の涙ぞ殊勝なると、涙ぐむのを後にして、テツオは自分の智謀を実感しながら、お着物一式風呂敷ごとたずさえて、ヒョータンばかりが浮くものか、あたしの心も浮いてきたと、一人寮へと帰っていった。

 

  そしてテツオは、寮の自室に戻るとすぐに、彼の二つのクローゼットのうち一つ-今や他にも女物が吊るされた彼のささやかなコレクション-へと、丁寧にレイコの着物と袴一式を仕舞い込もうと風呂敷から取り出し始める。そして彼はレイコの着物を仕舞う前に、彼女の旧姓入りのその生地へと頬を押しあて、匂いを嗅ぐのを忘れなかった。しかし、彼の嗅覚が覚えたのは、ただ防虫剤の芳香だけ・・・。

  -はて、しかし、これってほとんど着ていないのでは・・・-

と、テツオは一瞬思うのだが、それにも増して、レイコの着物の二藍の、色移ろいの美しさへと、目を奪われていくのだった。