こども革命独立国

僕たちの「こども革命独立国」は、僕たちの卒業を機に小説となる。

第十四章 ホモ・ニアイカナンレンシス

  それからしばらくしたある日、ユリコはクスノキそばで畑仕事をしているテツオに、それとなく声をかける。

「テツオ! 今日は少しいい話よ。これは例のネアンデルタール人絶滅へのナゾへと迫る新たな仮説となるかもよ!」

「ああ、地磁気の変化で滅びたかもって、話だろ。」

  せっかく自分の調査結果を持ってきたのに・・・、ユリコはやや拍子抜けの気分になる。

「テツオ、何で、あなた、それ知ってるのよ?・・」

「ん? それはね、“虫の知らせ”というものさ・・・。」

 

  ユリコはレイコから借りた地磁気の本を、ネアンデルタールの共同研究ネタとしてヨシノにも持ちかける。ヨシノはそれで、テツオとの話を経てキンゴが更新したブログ-『ホモ・サピエンス独立序説』を読みながら彼の話を聞くうちに、すでに自習の巣でもある大学の図書館から様々な書物を借り出し、その論拠となる科学的な証明・証拠を与えたいと思い立った。ヨシノは卒業までに自分たち4人で起こしたこの革命と独立の、自給自足の技に続いて理論的な足跡も次世代に残したいと、また、自分たちのこの仮説をより科学的にして、命に反する原子力なるニセ科学を信望するサピエンスのエセ科学者たちに、一矢報いてやりたいと思ったのだ。

  夏が近づくある晴れた日、4人は各々準備を経て、再び教会兼図書館へと集まった。いつも授業で使っているホワイトボードを前にして、ヨシノは資料をマグネットで張り付けながら話し始める。

 

「まず最初にさ、磁場や地磁気の変動が生物にどんな影響を与えるか-についてだけど、磁性細菌や伝書バトのみならず、カモメ、ツバメの渡り鳥、サケ、サメ、イルカや、ミツバチ、コマドリ、カタツムリなど、磁気に頼る生き物はいっぱいいて、彼らは地磁気の変化により飛ぶ方角を乱されたり、集団座礁したりする(1)。それでヒトへの影響は、ーロラ等で地磁気の乱れが高まれば、心筋梗塞の危険も高まり、磁場が変われば脳波も変わり、また、地磁気活動度の増減にともなって、伝染病の発生が増減する(2)など、いろんな話があるけれど、より興味深いのが、まさにテツオとキンゴが言うような“地磁気の変化と性の変化”との関係なのね。

  たとえば、経が始まる人数は地磁気の活動度に依存するという話や、地磁気偏角の減少にともなって初潮年齢が低下する、あるいは、地磁気活動度が高い時間帯には出産が多いという話があり、また植物にも、種子の幼根を北向きにすると雌花が多く、南向きにすると雄花が多いという話や、地磁気の水平分力の変化にともない、ショウジョウバエの雌と雄の性比が大きな影響を受けるとの話(3)もある。

  これはあたし達的に見るところ、テツオとキンゴが言うように、“光にゆかりの磁気の変化が、光のセンサーたる性に直に影響している”一例として考えられるのではないか、と思うのね。」

  次々と事例のコピーをボードに張り付けプレゼンしていく颯爽たるヨシノの姿に、彼氏のキンゴは疾走するワルキューレを、そしてテツオはプレゼンコーデでいっそう似合うカットソーを、各々勝手に連想しては聞き入っているようである。

 

「それでさ、次に、地磁気の変化がネアンデルタール人の知力にダメージを与えたという仮説にいく前に、では、同様に磁気の変化があたし達サピエンスに与えるダメージはあるのだろうか-という観点で少し調べてみたところ・・、この本によるとさ、続して磁気で脳を刺激すると言語機能や数を数える機能に対して障害を与えられる-とある。つまり、声を出そうと思っても、口は動かせても声はでない。それで磁気の強度を少し下げると、今度は数の数えまちがいが起こる-とある。また、赤と緑のメガネをかけて立体的に見えてたものが、磁気の後頭部への刺激で図の立体感が消えた-ともある。人間の脳については、こうした刺激実験から、大脳皮質の運動野と感覚野の機能分担などについてはある程度の解明はできているけど、でも一方で、刺激される範囲に広がりがあるために、正確にどこが刺激されたのかがよくわからないとも言われている(4)。しかし、人間なのに、磁気の刺激で言葉も話せず、幾何も算数もできなくなるということは、これは地磁気の変化がヒトの知力にダメージを与えるという仮説の証拠になり得るよね。」

「・・ということは、知恵や知性というよりも、器官としての脳に対するダメージなのかな?・・」

「それがさ、波が何であるのかもよくわかってないとも言われているし、脳領域とその働きとは一対一の対応関係にないとの説や、ある脳領域が活動しているからといって、それが特定の行動に必須の働きをしているとは限らないとの説もあって(5)、知恵や知性の働きを器官としての脳に負わせて、脳を機械的に解釈するのは限界があるんじゃないかとあたしは思うの。それに第一、植物には脳はないけど、植物には黄金比を保存するフィボナッチ数が頻繁に見られるし、花の美や、花と虫との共進化などを思えば、植物に知恵や知性があらわれないとは言えないと思うのね。また、気光学の観点からは、物質による光の吸収、反射、透過、散乱などの現象は、その物質に磁場がかかっている時といない時とで違う(6)というから、人体そして脳に対する影響はあるはずなのね。

  いずれにしても、あたし達サピエンスの知力にも、磁気や地磁気が影響するのは間違いない。そしてこの磁気が医療分野で用いられているってことは、サピエンスへの磁気作用は、あったとしても元に戻る=復旧するってことなのよ。つまり、ここからが、あたしの今日のプレゼンの、話しのキモになるってわけぇ!」

  ヨシノがその大きな目をいっそう見開き、上の白目を見せながらニヤニヤと迫ってくるので、あと3人もそれに連れられ、興味シンシンとなってくる。

「ヨシノ・・、その目すこしキモイから、早く話のキモに入ろうよ・・。」

  それでヨシノは、また次の資料を張り付ける。

 

「これさ。それであたしは、この“MRI”=磁気断層撮影装置(7)に、ヒントを得たってわけなのよォ!

  ほら、人体の約6割は水でできてるっていうじゃない。それでMRIはまずその水分子の水素原子に強力な磁場をかけ、水素原子を強制的に同じ方向へと向けたあと、電磁波をあて解除するのね。するとその約0.1~3秒後には水素原子はもとの向きへと戻るのだけど、その時放つ電磁波を測定して、水素-水を有する脳などの臓器の様子をつかむというわけ。それで、あたしが思いついたのが、このMRIの磁力の強さはT=テスラという単位で表わされ、MRIは1.5T~3.0T程なんだけど、ネアンデルとサピエンスとを比較するため、地球の北極・南極間が1/20000T程というのを基準とすると、MRIの1.5Tは1/20000Tの30000倍、つまり、サピエンスは3万倍の変化に対する復旧力=抵抗力を持ってはいるが、ネアンデルにはこれがなかったのではないか-ということなのね。

  もっとも、MRIは短時間で終わるから、時間(数時間)の磁場に対する安全基準の、たとえば200G=ガウス(8)で考えると、1G=1/10000Tだから、200G=0.02T、つまり、1/20000Tの400倍ということになるから、サピエンスは最低でも400倍、最高で3万倍の抵抗力を持っているといえるのかもしれないね。」

「なァるほどォ・・。つまり、ネアンデルタール人たちは、同じヒト科のヒト属として、知恵と知性に全く頼る生物でありながら、電磁波である“光”にゆかりの磁気や磁場の変化には、MRIにも見て取れるサピエンスのような明らかな復旧力=“抵抗力”がなかったために、地磁気変化に対応できずに滅んでしまった-ということか・・。」

「ほら、この前さ、ネアンデルは光の中では比較的エネルギーの強烈な紫外線が少ないヨーロッパを中心に暮らしていて、彼らの後頭部の出っ張りは、比較的光が少ない環境で視力を強めようとしたためではないかって説があって、ということは、ひょっとしてネアンデルは、“光”に対してこの方面に注力しすぎて、同じ“光”に対しても磁気変化に対応するって発想まではなかったのかもしれないよ。それに比べてあたし達サピエンスは、紫外線のもとから強いアフリカの出身といわれているし、この両者の差異が結局は、絶滅と存続とにつながったのかもしれないよ・・・。」

  4人は今までぼんやりと浮かんでいた、“ネアンデルタール人地磁気変化滅亡仮説”に、それなりの数値の根拠が示されたように感じたが、ここでプレゼンテーターのヨシノは脳が疲れてきたせいか、チョコやお菓子を皆へと配って、自らは真っ先に口へと放り込み、また一人小咄しようとする。

「アー、疲れた、疲れた、力つきたカツカレーた・・。ここで少しリラックスして脳細胞もリラッキング、ちょいと一発、小咄でもと・・。ネアンデルがMRIに入れられて磁場をかけられ動けない。そのココロは、ネアンデルは寝病んでるから、動くのがMRI(無理)・・・。」

  だがヨシノが、こんな不発じゃみっともねえと、新たなサゲを探しているうち、ボードをぼっと見ていたテツオは復旧をしはじめたのか、あの“虫の知らせ”を思い出し、ここでゴキブリが虫告、いや忠告をしてくれた、“ヒトが核との共存によりそのγ線で頭がおかしくなる”仮説を、再び皆に語ってきかせてみたところ、ヨシノは早や復旧したようである。

 

「そのテツオとキンゴが言う仮説って、さっきの植物の知性のように、“自然には知性があり、それは光が担っている”という話で、いわゆる被ばくで脳に障害が生じる類の話じゃないよね。たしかに医療現場でも、ん治療で全脳照射という放射線治療の後遺症として認知障害が指摘されたり、またγ線そのものを用いるガンマーナイフという脳内病変治療もあるけれど(9)、それとは違う次元の話だよね。」

  再びボードの前に立ったヨシノは、そこで確かめるかのように、男ども二人を見回す。

「そ、そうなんだよ。つまり、僕らが思うのは、知恵や知性はヒトなどの生き物が個々もつものではなく、もとより自然界に備わっているもので、それでその“自然の知性”というものは、フィボナッチ数や黄金比にも表れているように、その大本はやはり“光”で、“光が知性そのものを担っている”と思うのさ。それはいわば“神の愛”のようなもので、だからもとより、愛も知も同じなのさ。」

「ここは愛知県じゃないけどね・・。もっともあそこは表現が自由やら不自由やら・・。ま、それは別として、あなた達二人が言うのは、では人間=ホモ・サピエンス(知恵あるヒト)の知恵というのは、今言った、愛と知や、自由と不自由、生と死や男と女などといった、要するにアダムとイヴが知恵の実を食べたあとの、善と悪との分別に象徴されているような分別知=相対知だというんでしょ。」

  ヨシノの大きな目で見られて、男二人は連れられて言わされてしまいそうだ。

「そ、その通り。もとより自然は分け隔てせず、すべては相関しているのに、人間=ホモ・サピエンスだけが、たとえば男・女と分別して、相対的あるいは相反的に、ものごとを捉えてるんだよ。それで僕らは人間の分別知・相対知の原点は何だろうかと考え合っていたところ、おそらくそれは仏教がいうところの“執着力”で、この“執着”があるからこそ自我が生じ、他人が生じ、自他の区別の生じることから分別知・相対知が始まって、そこからあらゆる比較と差別、権力の意志と奴隷根性の際限なき再生産の苦の輪廻のカルマに、人間=ホモ・サピエンスは陥るのさ。

  それでは、その“執着力”の原点は何かというと、僕らが思うに、それはヒトがその知恵と知性を頼りきってる“光”において環境変化が生じた際の、その変化に対する“抵抗力”だと思うんだよ。ほら、ゴキブリなどの虫だって、殺虫剤への耐性=抵抗力をつけるじゃないか。だから、MRIでの磁場変化でも1秒たらずで復旧できる人間のその復旧力とは、電磁波でもある光の変化に対しての抵抗力でもあるんだよ。」

「それで、人間=ホモ・サピエンスは、核に依存し、核と共存するようになってから、原爆と原発による膨大なγ線3.11フクシマのセシウムCs137だけでも1.5京Bqという天文学的なγ線(10)-に晒されるようになった。もとより地球にさほどなかったγ線は、光=電磁波でもっとも強いエネルギーを有するもの。それを人は1945年のヒロシマナガサキそれ以来、大気圏内核実験、世界中の核関連施設や原発などから、天文学的な放出量で継続的に放出してきた。

  だから、“光が知恵と知性のもと”なら、同じ光でエネルギーの強烈なγ線天文学的にして継続的な放出が、ホモ・サピエンス(知恵ある人)の知性にも、きっと影響するだろうと・・。ひょっとして、サピエンスはこの光の変化に対応できず、ネアンデルタール人みたいに絶滅をするのかもと・・、これがテツオとキンゴの言いたいことね!」

「そ、そうなんだよ、その通り。ヨシノ、まったく君は僕たちを、よく理解してくれたね・・・。」

  テツオとキンゴが手を取りあって頷きあうのを、ヨシノの目はジッと見据える。そしてまた、次なる資料をボードへと張り付ける。

 

「そういうことなら、次にこの話をしようと思う。では、サピエンスが、ネアンデルにはなかったような光に関する環境変化(この場合は磁気変化)に対してのある程度の抵抗力を持っていたから唯一のヒト属として生き残った-ということにして、次にあたし達サピエンスが、被ばくによる身体的な健康被害はさておいて、“光と知恵・知性”において、地球には元来なかったγ線に、この突如登場した同じ光で高エネルギーのγ線に、このわずか一世紀たらずの間、天文学的な放出量で継続的に晒され続けてきたなかで、あたし達サピエンスは、はたしてそれに充分に抵抗し得る“抵抗力”を持っていたのか-ということを検証すべきと思うのね。

  その前段階で着眼したのが、この“太陽放出エネルギーの波長分布”(11)ってものなんだけど、これは太陽から出る電磁波の波長ごとのエネルギーの大きさを表してるのね。太陽からは人間の目で見える範囲の可視光のほか、赤外線や紫外線など様々な電磁波が出てるんだけど、その全エネルギー量は毎秒3.83×10の23乗J(ジュール)にも達し、これは原発何百兆基分にもなるんだそうよ。それでこの波長分布はちょうど山形になってんだけど、周波数3×10の16~17乗Hz(ヘルツ)の可視光域が山の頂上を成していて、エネルギーの約40%というかなりの部分は可視光によってもたらされている-ということなのね。ということは、サピエンスは太陽光エネルギーの最高部分を自分の目でとらえようと進化したといえるから、あたしはこれはサピエンスの“光”に対する執着力の証拠の一つと見れると思う。

  それともう一つ、今度はその逆、サピエンスが避けてきた超低周波の電波に対する反応で、“シューマン共振”(12)に対する話ね。地球の大気は、大地と電離層とで囲まれた閉じた大きな共振空間=超低周波の電波が反射しあっている空間で、超低周波成分が共振増幅されている。これを“シューマン共振”というのだけど、その共振周波数は、7Hzの整数倍に近い数字の、7.8Hz、14.1Hz、20.3Hz、26.4Hz、32.5Hzで、これは磁界でいえば1/100万mT(ミリテスラ)という実に微小な強さなのね。これとサピエンスの脳波とを比べてみると、θ波(睡眠時)4~8Hz、α波(まどろみ時)8~13Hz、β波(知的活動時)でβ1波13~20Hz、β2波20~30Hzと、サピエンスの脳波はこのシューマン共振の超低周波を巧みに避けているわけよ。事実、人は7Hzや15Hz前後の刺激に不快感を覚えるといわれている

  ということは、あたし達サピエンスは、一方では太陽光エネルギーの最高部分をつかまえておきながら、またもう一方ではシューマン共振の超低周波、超低いエネルギーの電磁波を巧みに避けているという、信じられないような微細で微妙な生体反応を進化の中でしてきたということになる。

  そしてここに、あたし達サピエンスの、波数では3×10の16~17乗Hz、エネルギーでは1.6~3.3eV(エレクトロンボルト)の可視光というキャパに対して、周波数では3×10の21~25乗Hz、エネルギーでは10の5~11乗eVのγ線(13)が、いわば洪水みたいに押しよせてきたってわけよ。

  つまり、地球磁場や大気層のおかげで以て、宇宙からのγ線が地球では遮断されてきたというのに、あたし達サピエンスは自分たちの可視光というキャパに比べて、こんな超高周波で超高いエネルギーのγ線を、原爆や原発などを通じつつ、ヒロシマナガサキそれ以来、わずか100年にも満たない間に継続的に、天文学的な総量で放出をしてきたわけよ。しかもその多くを占めるシウムCs137の半減期は30年、1/1000に減るまでには300年もかかる(14)のだから、その影響はないはずがないと思う。しかもγ線は光だから、秒速約30万kmで、1秒間に地球を7周半もするし、透過力もきわめて強いといわれているから、これは“直ちに影響する”ものだと思うよ。」

  ヨシノはボードに張り付けた資料を前に、ここまで一気に話してしまうと、また疲れたといった感じで、チョコをボリボリ食べ始める。

 

「・・・ということは、知恵ある人=ホモ・サピエンスのその知恵は、自ら招いたγ線の洪水で、押し流されるということか・・・。でもさ、ヨシノ、さっきのMRIの話では、サピエンスは光に関する環境変化-この場合は磁気の変化-に対しては、400倍~3万倍の抵抗力があるのかもって言ってたじゃんか。じゃあ、光の中でγ線のエネルギーはどんどん高くはなるけれど、このまさに光そのもののγ線に対応するサピエンスの“抵抗力”みたいなものって、いったいどれほど、あるのかな?・・」

  テツオが発したこの問いに、キンゴが何かを思いついたか、ヨシノ持参の資料を指さす。

「ヨシノ、その資料の中にさ、大学図書館で見つけてきた放射線医療の本で、“電子対生成”についての記述があっただろう。それがヒントになるんじゃないか。

  ほら、物理の授業のコラムにさ、宇宙誕生直後の頃って、まるでめに“光あれ”との神の言葉(15)があるかのように、光=γ線がもととなり、物質と反物質の対生成と対消滅とが起こったという話があっただろう。それで今ふと思ったのは、この物質と反物質という“対称性の存在”と、これを認識する人間=サピエンスの“相対知”との間には、何か関係があるんじゃないかということなんだよ。つまり、この相反する対称性をもつ物質を生む光=γ線のエネルギーと、それを認識できる人間=サピエンスの相対知に必要なエネルギーとの間には、この双方とも同じ光をもととするから、何か等しいようなもの、一種の等価原理みたいなものを仮定すれば、それがヒントになるんじゃないかということなんだよ。」

  テツオの問いとキンゴのこの提案に、ヨシノは新たな資料を取り出して、開いて見せる。

「そう! そういえばこの本にさ、素粒子の一つである子について、γ線(光子)のエネルギーが1.022MeV(メガエレクトロンボルト)以上になれば、電子の対生成(創生)が起きて、陰電子と陽電子が誕生し、その各々の静止エネルギーはその半分の0.511MeVになる(16)-とある。

  ということは、この1.022MeV=1.022×10の6乗eVを、人間=サピエンスの相対知に必要なエネルギーに相当すると仮定して、これをサピエンスがキャパとしている可視光のエネルギー:1.6~3.3eVと比較すると、1.022/1.6~3.3×10の6乗は、約30万~60万倍にも達するから、相対知の原点が執着力=抵抗力との仮説の上では、この約30万~60万倍というものが、あたし達サピエンスの光のエネルギー変化に対する抵抗性比といえるのかもね・・・。」

  この“抵抗性比”という言葉に、テツオはあのゴキブリが自慢げに、“環境の変化に対して抵抗力をつけるのも進化の一つ。オレ達ァ殺虫剤に対しても約100倍の抵抗性比を持っているのもいるんだぜ”と言っていたのを思い出す。

「・・そうか、100倍どころか何十万倍もあるというのか・・。これ、“光の変化への抵抗力”という面では、同じヒト科のヒト属でも、ネアンデルタール人とはおそらく桁違いの強さだろうな・・・。

  たしかに、重力にさからって、やがては空を飛ぶ種があらわれたり、あるいは俺達人類も直立二足を成し遂げたりしたのだから、何十万倍もの抵抗力を持つことはあり得るのかもしれないな・・。」

「たしかに・・・。でも、可視光域、つまり、現実に見とめている視覚より、何十万倍もの執着力=しつこさで、いわば見た目以上に現実を膨らまして思い込んでるわけだから、これはもう“妄想”といってよく、だから当然、デカルトが言うように、“我思うゆえに我あり”ってことになるよな。だから、写真を見るだけで、十分コーフンできるんだよ・・・。

  というか・・、もしかすると順序は逆で、サピエンスの性=SEXへの執着と妄想が原点で、それがこの抵抗力につながったのかもしれないな・・・。」

  キンゴもまた、サピエンスには疲れ果てたといった感じで、一言つぶやく。

「私自身について言えば、いくら修行を重ねても、“自我”という執着を滅した“悟り”は、達せられないってことになるわね・・・。」

  と、ユリコはやや自嘲気味な笑みを浮かべる。

「これだからさ、他の生物では縄張り争いレベルのことが、世界大戦やジェノサイドにもつながるわけよ。でも、たとえこれだけ抵抗力を持つとはいっても、今まで言ってきたような時間的にも量的にも地球をぬぐう洪水みたいなγ線には、もはや到底、抵抗できないだろうと思うよ・・・。」

  そして4人は、このヨシノの言葉を一種の〆のように感じて、等しく納得するのだった。

 

  午後の陽が教会のステンドグラスにさしかかり、また七色に輝くのが見えてくる。そしてここまで考えてきた所で、4人はむしろ、これでまた新たな地平が見えてきたとも思うのだった。

「そう・・、“光が知恵の源泉で、人はそれを執着力で握っているのにすぎない”という仮説は、まさに人間=ホモ・サピエンスと他の生物との最大の相違点を示すもので、これを認めることにより、われわれホモ・サピエンスを“知恵ある人”と特別視する理由はどこにもなくなり、自然界の“万物斉同・因果応報”の大原則を、われわれ人間=ホモ・サピエンスも、他の生物と同様に、公平に受け入れざるを得なくなる。だから、もとより類と他の類人猿のゴリラとチンパンジーの遺伝子レベルの相違がわずか1~2%というのも(17)、僕はこれで納得できる。」

  ミツバチやゴキブリを思いつつ、テツオは回想するようにゆっくりと言葉をつなぐ。

「私たち、ホモ・サピエンスの絶滅なんて、今までは空想がてらに言われてきたけど、その原罪の原点たる“知恵”から先に滅びるなんて、これはまさに因果応報そのものだよね・・・。」

  ノロのユリコのこの言葉に、4人はまたしばしの間、黙り込む。

  しかし、意外に不思議なことに、ここでだれもが種の絶滅は予見しても、互いにここまで考えると、だれも絶望はしてないようだ。

  そして彼らは、しばらく沈黙するうちに、ある共通の怨念が、互いの思いにわき上がってくるのを感じる。

  -“ざまあみろッツ!!”-

  4人の中からだれとなく、そんな声が聞こえた気がした。

  祭壇のステンドグラスの虹色の光が舞い降り、今や彼ら4人の顔を、明るく照らし始めている。

  そしてここまで、口数の少なかったノロのユリコが、にわかに彼らの言葉を継いで、疲労と怒りとだんまりに淀みそうなこの場の空気を、あたかも吹き改めていくかのように語り始める。

「・・あの3.11の直後より、空間線量20mSv、食料品は100Bq、廃棄物は8000Bqと、基準を勝手に引き上げて、次々と被ばくを押しつけ、私たちを棄民した人間の大人たちは、子供を守るどころかまた戦争への道を走り始めた。人間は核爆発が起こったあとも、そのカネ儲けと権力への欲望を悔い改めず、次世代の若者・子供を貧困へと突き落とし、兵舎へそして戦場へと送っていった。今までの自然破壊の悪業と非道に加え、生物の種として子孫を破棄したこんな人間=ホモ・サピエンスは、今や因果応報の理どおり、生物としてその生存の適格を失っていくに至る。

  もとより善悪を知る知恵の実により、相対知という原罪を負ってきた私たち人間は、神がそれを食べたが死ぬと言われたとおり、はじめから行き詰まりの芽をはらんでいた。この相対知による差別と暴力という槍こそ、私たち人間の進化をつないだ原動力で、それはついに核へと至った。この差別と暴力は私たちの原罪=相対知が消えない限りなくならない。だが、この終着たる核は、差別する人に対して、差別せずに被ばくさせ、そしてついにこの相対知も、知恵のもとたる光によって、因果応報の理どおり、最後の審判を受けているということを、私たちは今垣間見たのかもしれない・・・。」

  ユリコの言葉を噛みしめるように聞き入っている3人に、彼女はそのまま語り続ける。

「私たちは皆今まで、“怨”に生きてきたといえる。ヒロシマナガサキ、そしてミナマタから3.11へと、“怨”は途切れることなく、しかし賢く生き継がれてきた。でも、私は最近こう思う。実は“怨”も“愛”も、同じなのではないだろうかと・・。

  絶滅なんて、何も絶望することはない。むしろ種の絶滅こそは、宇宙と地球が変化して生きてる証。種の絶滅があるからこそ、次の種がまた生まれるのだし、これは“生”の循環でもある。私たちホモ・サピエンスも、ネアンデルタール人の絶滅と引き換えに、この地球にはびこってきたのだから。

  ねえ! みんな! 思い出そうよ!! あの3年前、初めて私たち4人が、核と共存共栄して、次世代を犠牲にする大人社会の不条理に反意を示し、革命と独立を志し、私たちのこの“子ども革命独立国”を起こしたことを!

  以来、私たち4人は、当面の約束の地としたこの嘉南の島で、共感をしてくれた大人たちの助けを経ながら、イバラやアザミに悩まされつつ額に汗して糧を得て、エネルギーに頼らない自給自足をほぼ成し遂げ、この絶望の核の世で、私たちは愛と希望を見出して、こうして自分の頭で考えることにより、ついに私たち自身の“人間が核の世に生きる意味”を見出したのよ!」

  ユリコのこのほとばしる言葉を聞いて、だれもがその目に涙を浮かべる。ユリコもまた目に涙しながら、さらに皆を励ますように語り続ける。

「ほら、みんな! 自分自身を改めて、振り返ってみましょうよ! 普通の中高生にすぎなかった私たちは、ついにここまでやってきたのよ! 私たち、自信を持っていいんだから! 私たちは何よりも誇らしい自分を愛し、また愛されている自分たちをもお互いに、私たちは祝福できる。

  ヨシノは海をこよなく愛し、この島の自給を支え、両親も生業も、そしてただ一人の弟も愛している。また次世代の子供たちを愛するからこそ、内部被ばくに真摯に向き合う数少ない医者となる。

  キンゴは書を、また作家としての自らの文を愛し、またあのお経のようなワーグナーの音楽を熱愛している。私はどちらかというと、お経の方を愛しているけど・・。そしてキンゴは私たちの行いと思いとをブログにして世に訴え、この“核の世に生きる意味”を後世そして次世代へと伝えてくれる。

  そしてテツオは、私の夫となるテツオは・・、大地を愛し、草木を愛し、花を愛し、そして他の何よりも“自分自身”を愛している。もう少し、その愛を私に向けてくれたならと、思えるくらい・・。

  でも、テツオの田畑と花々が、私たちのこの島を、より豊かな愛の楽園にしてくれた・・。

  そして私は・・、この島のノロとして、島そのものを愛してきた・・。草木や花々、虫たち、鳥たち、生き物たちすべてを含めて、もちろん私たち4人も、島の大人たちすべての人も、私は愛してきたつもり・・。それで私は“行”を通して、日々祈りを捧げてきたのだから・・・。」

  4人は、みんな、涙を流す。

  ユリコはそのまま、語りつづける。

「だから、こうして愛に満ちてる人たちは、相対知が消えるといっても、何も恐れることはない。相対知は善と悪とを知るとはいえ、それは何より“原罪”なのよ。相対知は人と自然とを分かち、さらに人と人とを二分して、争いと差別のもととなる。だから相対知を以て、自分の権力への意志と他人への差別と暴力に執着する人々は、その相対知の消失と一緒になって、自ら最後の審判を受け、自滅していくことでしょう。

  でも、愛は、もとより神と人とのつながり。これを絶対知というのだろうか、人間の相対知とは関係なく、もとから自然に普遍的にあるものだから、愛に満ちてる人々は、相対知という目隠しが消えていくだけよりいっそう賢くなっていくでしょう。愛に満ちてる人々は、γだろうがハンマーだろうが打ち滅ぼされることはなく、種としてもヒトとしても生き残り、なおもまた、愛を広めていくと思う。

  それこそ“光”が、この愛を伝えてくれる。私たちが今ここから分岐させようとする新たなヒトの種、それは、私たち各々の性からの子孫として伝えられるだけでなく、私たちが愛するすべての人々、また生き物たちへと“光”を通して伝えられ、彼らもまた新たな進化を歩みながら、互いにつながっていくと思う・・・。」

  ユリコがここまで言い終ると、ステンドグラスからの光が4人へと差し掛かり、彼らの顔もまた虹色に輝きはじめる。

 

  涙を浮かべていたヨシノは、ここで頬を拭き取って、あらためてテツオとユリコの二人に向き合う。

「テツオとユリコ。あたし達二人にために、高校の残りの授業が受験一色に染まってしまって、本当にごめんなさい。私たち、何年浪人してみても、絶対に内部被ばく医療を継ぐ医者となるから!

  あなた達二人は外国へ出て、もっと大変だろうけど、あたし達の後へと続く子どもたちが、被ばくと戦争を逃れるために、きっとあなた達二人を頼る日が来ると思う。今まではあたし達が子どもだけど、もうこれからはあたし達が子どもを守る大人になるのよ。あたしには弟だっているのだし・・。

  あたし達はしばらく互いに離れるけれど、あたし達4人の同志はこれからも、自分で考え、自分自身の自由な意思で、生存圏と生存権を切り開いていかねばならない次の世代の、子どもたちと若者のため、一緒にはたらき続けていきましょうね!」

  テツオもユリコも、ヨシノとキンゴの手を取りながら、互いに深くうなずいて、誓いを新たにするのだった。

  そしてキンゴは、あらためてテツオを見つめて語りだす。

「テツオ、僕とヨシノはこれからは受験準備に本腰を入れていかねばならないから、僕がこれまで書いてきた島のブログ-その特別編なる僕らの仮説=『自給のための限界耕作面積論』とか、『美の作用量子論』や『性=SEXによる進化論』、あるいは『ホモ・サピエンス独立序説』なども含めて、それらを一番よく知る君に、引き継ぎたいと思うんだよ。

  それで今回、せっかくここまで僕らの仮説に“科学的根拠”の裏付けができたのだから、あとは最後のツメというものを、ぜひ君に頼みたいのさ。

  その最後のツメとは、僕が思うに、さっき僕らが仮定した、“光を知恵の源泉とした場合、対称性ある物質-たとえば陽電子と陰電子-を存在させる光=γ線のエネルギーと、その対称性を認識するサピエンスの相対知のエネルギーとの間には、どちらも光をもととするから、何らかの関係があるのでは”-ということなんだよ。

  僕はこのことへの直接の証明はできないとしても、これを暗示するような何らかの科学的な現象が、ありそうな気がするんだよ。だから、それをあげさえすれば、僕らがここまで展開してきた一連の仮説についても、よりいっそうの真実味が与えられ、ともすれば科学的に証明されたに近いレベルに、見なされ得るのではないだろうかと、思うんだよ。」

  テツオは、慎重に思慮深けに言葉をつないでいくキンゴに、思わず頭を下げて答える。

「わかった、キンゴ。ヨシノもキンゴも受験準備に忙しいなか、本当にありがとう。君らの努力は無駄にはしない。卒業まで残った時間で、ユリコと二人で、僕らの仮説を完成させよう。」

  4人は互いの健闘を祈りつつ、固い握手を交わすのだった。

 

  そしてヨシノは、プレゼンの述懐をするかのようにホワイトボードを見直しながら、ここで何かを言い足したいのか、ややトーンを落として話し始める。

「あたしさ・・、今までずっとある問題意識を持ってんだけど・・、それは以前も言ったように“なぜ被ばく問題が広がらないのか”ってことなのよ。だってさ、あたし達はヒロシマナガサキ=“原爆”を直接的に経験した唯一の国民だというのにさ、空間線量年1mSvが20mSvに、もとより1Bqさえなかった食料品が100Bq、廃棄物が8000Bqまでと、3.11後はこんな何十、何百、何千倍もの数値がいきなり“許容基準です”と法定されたというのにさ、どうしてだれも反応しないの?って、あたしはずっとその問題意識を持ってんだけど、みんなもそう思わない????

  3.11直後の頃から脱原発と言ってもさ、そう言っている人達でさえ“被ばく”をスルーするんだから、あたしはそれは脱原発の意味をなさないと思うのだけど、あたしの方が違うのかな????

  あたし達キンゴのパパとよく内部被ばくの勉強会をやるんだけど、避難者たちが経験してきた話を聞くその度に、あたし達が思うのは、“被ばくって本当に伝わらない”ってことなのよ。あたし達も、放射線は五感で察知できないし、内部被ばくも目に見えない、その仕組みも科学的で難しいのかもしれないって、いろんな色刷りパンフなんかで今風にゆるくやさしくお話をしてたのだけど、どうもそういう問題ではないらしい。

  なら、これも、やはり『はだしのゲン』にあるような、原爆犠牲者に対する差別と基を同じくするのかなとも思いもした。でも、放射能は万人を無差別に襲うものだし、県境や地域も越えて広がるし、しかも食料品100Bqなどというのは、よりによって“食べ物”に放射性廃棄物レベルの数字が適用されてこれが全国基準とされてるわけで、明日は我が身どころか、これはもうすでに直に我が身に迫った話で、今さら犠牲者への差別と棄民で済まされるものではない。

  ところが、こうして3.11後、この国では内部被ばく問題への活動が、あたかも“隠れキリシタン”みたいな感じで定着化してきた頃に、香港で逃亡犯条例をめぐっての何万人もの大規模市民行動が始まった。あたしはこれをニュースで見ていて、こう思ったのよ。何で同じ人間・市民でもわが国とこんなにも違うのかなって。何で法的な人権思想を同じように西洋から輸入したアジア人でも、こんなにも違うのかなって。何で共産党独裁国家でこれだけ市民が立ち上がれるのに、わが国では隠れキリシタンみたいになるのかなって。何で逃亡犯条例反対って自由と人権を守るために立ち上がれるのに、食料品100Bq反対って子どもと命を守るために立ち上がらないのかなって。何で旧ソビエトチェルノブイリ法でできた避難と補償が、この国ではできないどころか、ソビエトや中国・香港とは違って一応選挙はあるというのに、何で選挙の争点や話題にすらならず、また第一、選挙にさえも行かないのかって。みんなもそう思わない????」

  ヨシノがあらためて純な目で問うてくるのを、3人はもっともだと共感している。

  ヨシノは続ける。

「あたし達は今までこうした事実も含めて、ホモ・サピエンスの問題として考えてきたけれど、永年水田で培われてきた奴隷根性-国民性の問題でもあるのではとも思いもした。しかし、食品100Bqなんていうのは、それは特に子供には命に係わるものだから、自分も子供を守らないのは生物的な問題で、もう国民性では説明できず、やはり人間=ホモ・サピエンスの問題として考えざるを得ないと思う。

  それで、あたしは今日、みんなと話して考えてきたなかで、ふとあることを思ったのは、それは・・、“あたし達はもうつながれないのではないか”っていうことなのよ。

光が知恵のもとであり、光が生きとし生けるものたちをつないでいるとするのなら、あたし達はヒロシマナガサキ、それに続いて大気圏内核実験から3.11へと、放射能を比較的近くで繰り返し受けてきたから、さっき話してきたように以前からγ線でヤラレ続けてきたわけで、それであたし達ヒトの方から知恵のもとたる光とはつながれなくなってしまい、自分ら人間同士でももうつながれなくなったのではって、思ったのよね。」

「・・それは、僕たち人間が、木々や草花、また他の生物たちを見て、可愛いと思ったり共感したりするのも光がつないでいるからで、人間はその光を執着力で握っているのにすぎないから、その執着力がγ線で消し飛ばされると、もはや人は光とはつながれなくなり、同じ人間同士でももうつながれないってことなのか。いや、それどころか、もはや人は知恵・知性ともつながれないということか・・・。」

「そう・・・。そう考えると、3.11後は特に目につくようになった、従来では考えられないような悪質な犯罪や法令違反、非常に非常識な言動や、国会などで象徴的な“言葉がかみ合わない現象”、あるいは世間のいたる所にあらわれている意味不明瞭な事象なんかも、すべからく説明がつく気がするのね。しかもこれらは当事者の自覚なしでされているのだとすれば、ますます救いようがなく、明白な脳や神経または精神的な疾患とも言えないのなら、あたし達が言うような“人間と光=知恵との接続異常”に原因を求めるのもありかもしれない・・・。」

  ヨシノはここで、少しチョコを補給してから、また冷静に話を続ける。

「あたしさ、キンゴパパの内部被ばく勉強会を手伝うようになってから、いろんな会館・会場へと行ったのだけど、あたし達は小会議室でやることが多いんだけど、大会議室や大ホールでは他の講演会などニギニギしくやってるわけよ。それを時々覗いてみると、“やれば出来る思いは適う”とか、“人生楽しく思えば楽しくなれる”とか、“あるがままに受け入れよう、死でさえも受け入れよう”ってな感じの、要するに“何事もあなたのココロしだい”みたいな、いわゆるスピリテュアル系みたいなものが多くって、昔のマンガの“ココロのボス”(18)じゃないけどさ、何でもココロのせいにしようとしている。この“何でもココロ”のやり口は、3.11直後にさ、“放射能は笑っている人には来ない”というのと同じで、一種の黒魔術的な催眠術だってことは、あたし達にはすぐにわかるよ。

  あたし達は最初の頃は、これは何でも“自己責任”へと持っていき、社会の悪から目をそらさせ、貧困を自分だけのせいにさせ、医療費介護費をケチろうとする権力側の陰謀かと思っていたけど、どうもそればかりではないらしく、これは時代の風潮かもと思うようにもなってきた。

  でもさ、今考えてみてみると、この“何でもココロ”の風潮って、結局は“自分だけしか見ようとしない”という点で一致するんじゃないのかな。つまりこれは、視界から自分以外のものをはずして、社会性なるものを放棄し、この“人と人とのつながり”が希薄になった環境を助長し慰めるものだから、逆に多くの人々に歓迎されるんじゃないのかな。

  だけど、これが今まであたし達が考えてきたような、本当に人間の“知恵のもとたる光へのアクセス不通”のせいだとしたら、あたし達サピエンスって、まじにかなりヤバイよね・・・。」

「でも、僕たちまさに経験をしてきた通り、人間って“核は守れど子は守らず”が現実だし、今ヨシノが言ってきたことが、被ばくには関心持たず選挙も行かない人間たちの真相なのかもしれないよ・・・。」

  4人はここで、また深々と考え込んでしまうのだった。

 

  午後の時も過ぎ行きて、ステンドグラスからの光も、やわらかさを増してきたかに見えてくる。それにつられて4人もやや落ち着きを取り戻してきたところで、やがてユリコが、再び励ますような確かな口調で、皆へと語りかける。

「ね、みんな、どうだろう。まだいろいろと宿題はあるけれど、ホモ・サピエンスはどうやら絶滅するらしいということを、空想ではなくある程度まで科学的に、私たちは考えてきたのだから、いっそこの際、私たちは今ここで、ホモ・サピエンスからの分岐を、つまり新しいヒトの種の“独立”を、私たち4人自ら宣言をしてみては、いいんじゃないの-と思うのだけど・・・。」

  このユリコの提案に、うなだれていたヨシノが真っ先に顔を起こして“いいね!”と答える。

「そお! そのとおりよ! だってもう“ホモ・サピエンス=知恵あるヒト”ということ自体、フィクションだったと知ったのだし、もうこれ以上サピエンスのウソに付き合うのもバカバカしいし、史上初めてサピエンスからの分岐・独立を自覚したあたし達自らが、ここで次なるヒトの種を命名して、自ら名付け親となり、同時にそれになっちゃえば、いいんじゃないの。」

  テツオもキンゴも-ならそれで、いいんじゃないの-みたいな顔して応じているので、ヨシノはそのまま話し続ける。

「でさぁ! あたしね、初っぱな言って悪いんだけどぉ、沖縄の“ニライカナイ”っていう言葉にさ、ことのほか惹かれんだよねえ。ニライカナイっていうのはさ、沖縄の真っ青な海の向こうを遥拝して、楽園みたいな理想郷がかなたにあって、魂がそこに帰っていくような・・、そんな感じがするんだよねぇ・・。あたし海んちゅだしさ、新しい人類も、このニライカナイへの思い・・、神への思いというのがさ、伝わればいいなと思って・・。あたし達のこの島も、海に養われてきたのだし・・・。

  ごめんね、あたしばかりしゃべっちゃって。で、ユリコはどんな名前が、いいと思うの?」

「私? 私は、私たちのこの島の“嘉南=カナン”の字が残ればいいなと・・。だからいっそ“ニライカナン”としてみるとか・・・。キンゴは、どう?」

「僕? 僕はみんながよければ何でもいいけど・・。そうだ、僕らをここまで導いたネアンデルタレンシスに敬意を表して、学名的にそれっぽく“ニライカナンレンシス”っていうのはどうかな?

  ところで、テツオは、どう思う?」

「俺? 俺もみんながよければそれでいいけど・・。あ、そうだ。その“ニライ”の所を“ニアイ”として、“ニアイカナンレンシス”っていうのはどうかな?

  そのニアイというのは、漢字の“二藍”をあてるんだけど、これは着物の色合いで、青-藍と、赤-紅花の二つの色を配合した、微妙な移ろい全体をさして言うらしいんだ。つまり、僕が言いたいのはね・・、青-男、赤-女として、進化はLGBTこそが導くとの僕たちの仮説にもとづき、これを新人類の名に入れてはと思うのさ・・・。」

  テツオがやや顔を赤らめて言うのを聞いて、3人もこれでいいと納得をしたようだ。

「じゃあ、これで決まりね。私たち4人各々、ただ今これよりホモ・サピエンスから分岐して、全員の思いがこもった“ホモ・ニアイカナンレンシス”へと独立するのよ。

  これで私たちは、地をぬぐう洪水みたいなγ線から、人類の“ノアの箱舟”へと乗った-といえると思う・・・。」

  ユリコのこの“独立宣言”ともいうべき言葉を聞いて、4人は各々心の中で、たった今彼らの中から誕生した新しいヒトの種である“ホモ・ニアイカナンレンシス”の名を、もう一度心の底に刻み込むかのようにして繰り返してみるのだった。

 

「さあ! 私たち、これで“ノアの箱舟”へと乗ったのだし、これからは“出エジプト記”のごとく、人間の奴隷状態から脱して、またサピエンスの“出アフリカ”のごとく、この嘉南の島からなおも確かな“約束の地”を目指して、私たちは今から新たな海路につこうと船出するのよ。

  今日のこの日は私たち新人類“ホモ・ニアイカナンレンシス”の新しい“創世記”が始まる日。今からこれを記念すべく、本当にこれから大海原を、見に行きましょう! 私がそれに相応しい見晴らしのいい御嶽へと、みんなを案内してあげる!」

  ノロのユリコに先導されつつ、4人はここで教会を出て、県側の浜辺からは島の反対側へと通じる一本の道を歩いて、この嘉南島の聖地の一つ、海に面するノロの行場-御嶽へと向かっていく。

  そこはいつもテツオが田畑をやっているクスノキ向こうの、木々の茂みをかいくぐって行くのだが、岩壁を小道づたいに少し下った所には、泉が湧き出て、巨大な岩と岩とが合わさった、偶然の一致にしては見事すぎるほど美しい、直角三角形のすき間があった。この人一人がやっとすり抜けられそうな三角形のすき間の向こうに、御嶽=ノロの拝所があるのだが、そこは男子禁制とのことで、4人はここより反対側の、さらに海へと面していく岩壁づたいに細い小道を歩いていく。

  やがて小道は二手に別れ、右手に行けばそれはちょうど島の裏側、小舟が数隻入れるだけの船着き場があるという。

「この島はね、もし、県側から攻められるようなことが起こっても、ここから脱出できるのよ・・。」

  と、ノロのユリコは説明する。

  左手にそのまま行けば、やがて木々の合間から、島のシンボル-嘉南岳の独立峰の勇姿があらわれ、その裾の尾をふちどるように、さらに湾曲した小道を行けば、岩の絶壁から少し突き出た、人が数人立てるくらいの小さな岬が見えてきた。

「ワァーオッ!!」

  4人はそろって歓声をあげ、岬の上に立ち並ぶと、そこから海を、行くところ遮るものなき大海原-太平洋を、間近に見入る。

 

  海は青く、なにより青く、空の青との境もなかった。

  そこは見る限り青一色で、遮るものも、隔てるものも、何もなく、時間もそして空間というものも、何もないように思われた。

  4人はそして、この空と海とのかなたにある、目には見えない“ニライカナイ”を、互いに確かに感じた気がした。

 

  4人は今、ただこの目の前の青い光に、身も心も透かされていくような一体感を覚えながら、自分たちがこれからも生きていく希望と生き残っていく意味とを、確かに見出したとの思いが、空からの陽の光と海からの潮風とがいっしょになって、身と心に満ちていくのを、幸せに感じていた。

 

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