こども革命独立国

僕たちの「こども革命独立国」は、僕たちの卒業を機に小説となる。

第十八章 討ち入り本番(後)

  来賓席で立ち上がり、日章旗を突くかのように高々と手を振り上げたメラニーの女秘書。振り上げてしまった以上、その手はどこに下ろされるかと思いきや、何と自らの髪をつかむと、それをそのままメラニーへと投げつける。

  女秘書が投げつけたのは、ここの地が京都でなくてもカツラだった。だが、カツラを脱いだからといって、これで“ゆるしてチョンマゲ”とはいかないようだ。そう、そこにはたしかに“ハゲ”があり、しかも角度によっては日章旗のもと、そのヒノマルを背景に後光を放つようにも見える。

  “ハゲー、ハゲー、ちがうだろー”と言ったメラニー。しかし、いくら彼女がウソつきとはいえ、今日の虚実の象徴とも思われたこのハゲについては、真実に違いなかった。

「もう化けちゃいられねえ。俺ぁシッポを出しちまうぜ。男と見られた上からは、窮屈な思いをするだけ無駄だ。なるほど、わっちゃァ男さ。どなたもまっぴら、ご免ねえ(1)。」

  いくらウソの多い世の中とはいえ、秘書のこの想定外の言動に、会場はまた騒然となる。

「さては女と思いきや、騙りであったか。」

「ヤア、ヤア、ヤア・・・。」

  女・・、いや、多分、生物的には男の秘書は、メラニーと会場を見据えながら、今や吹っ切れたような感じで、テツオがさっき言ったみたいに、自分の頭で考えた自分自身の思いを語る。

「そうよ。カネが欲しさに騙ってきたのさ。秋田の家ですっかり取られ、塩噌に困るところから、一本ばかり稼ごうと、損料物のスカートで、役者気取りの女秘書。その政治屋の盗人の種は尽きねえ夜働き。悪事はのぼる上の宮。香典やワインの次にはうちわを配り、夜桜を見る会と称して反社会的勢力までもオモテナシ。今さら1万5千円では雇えねえと、ここやかしこの寺島で似ぬ声色でウグイス嬢までやらされて、恥辱に恥辱を重ねた上に、ハゲーハゲーと罵られ、セクハラ罪はないといえどもこれもセクハラ。背に腹はかえられず、ついには腹にもすえかねる!」

  と、この男秘書、今や何もかも見切ったみたいにメラニーのもとを去り、気の利く人が“音羽屋!”などと叫ぶなか、花道を引きあげるかのように会場の後ろまで歩いていくと、出入り口のチャリンという音もそのままに、外へ出て行ってしまった。

 

  羅衆夫人と平目とが互いの臭さが尽きるまで口ゲンカに熱中し、もとよりメラニーファミリーとそのお友達とに利権が独占されるのを苦々しく思っていた反メラニー派の議員たちもいるなかで、秘書がカツラとともにその主人をも見捨てた今、会場のVeni女たち、ここでついにシッポを出した地域利権とよろず疑惑の総本山たるメラニーに、つもりつもった恨と怨の総反撃を開始する。

「メラニィーッ! 今日という今日こそは、私たちは絶対にアンタ自身を許さないッ!!」

  まず、ヨシノのママが立ち上がり、メラニーのこれまでの悪業を政権交代、TPPまで遡り、ついで共謀罪、秘密保護法、安保法、改憲等のetc、いずれも最初は反対のふりをしておきながら、ことごとく賛成に回ってきたウソ裏切りの数々と、その夫が役員勤めるカネダケ資本の地場企業がカネダケの下請けとして、オスドロンのヘリパッドやこの広域大型ゴミ処置施設の建設でボロ儲けしようとしていたカラクリを次々と暴露する。

メラニーッ、それにあたし達が特にアンタを許せないのは、アンタが保養事業などを通じて、原発事故の被害者や避難者たちをも利権の喰いものにしてきたということなのよ!」

  と、続いてVeni女の会に属する原発事故の避難者たちが、メラニーが多額の寄付金・補助金などを集めながら、一週間の放射能汚染地からの保養と称して、夫が役員勤めているバス会社や旅行会社らの修学旅行利権をフル回転させ、保養に参加の母子たちを郷土芸能体験とか地域おこしの一環とか言いながら、自分の後援団体に優先的に連れまわしカネを落とさせていたことや、そのくせ避難者たちが求め続けた甲状腺検査への医療支援や安定ヨウ素剤の備蓄といった内部被ばくへの対応は“今はとっても忙しいから!”などと言ってサボタージュし続けたこと、そして極め付きとして、それでもこんなメラニーが地域の人権活動の功労者として、桜の会へのご招待のみならず、カネダケ平和財団から表彰を受け、都内の超高級ホテルであるカネダケネルダケリゾートに夫婦と後援関係者らそのファミリーごと無料招待されていたことetcを、次々と暴露しては糾弾する。

「結局、アンタがやってることは、すべからく自分の利権と選挙のためで、子供の健康やその将来を真剣に考えたものじゃない。その極め付きは、アンタは安保法と改憲とに賛成した後、今や取りざたされている“徴兵制”を推進する議員連盟“わが祖国・わが闘争の会”の西部方面支部総長になってるって話じゃないの!」

「アンタは夫の企業がらみで、ずっと軍需企業カネダケの利権の傘下にあったから、国防軍自衛隊の時代から、保育士や幼稚園教諭を含む自治体の職員たちに、迷彩服で何時間もグースステップで行進させる“根性を鍛えるための体験入隊”を推進し、また、災害訓練・体力づくり・精神鍛錬などと称して、地域の行事や学校教育そのものに軍隊と軍人を関与させるということに積極的で、就職を考える年頃の高校生に対しては、その名簿を活用した勧誘をはじめとして、同じ高校生たちを使った“自衛隊勧誘ポスターコンクール”まで強力に推進した。これらは全てまさにこれから国会に上程される“徴兵制”の下準備だったんでしょ!」

  と、会場のVeni女たちが次々と立ち上がっては糾弾するのを、今や舞台前の来賓席に立ったまま、席をはずした羅衆夫人の分までもひときわ目立つ厚顔メイクで一人受けるほかないメラニー

  しかし、彼女は、

「アタシは知らない。何も知らない。義理の母に叱られようとも、アタシはホントに何にも知らない。すべてはサガワが、サガワが一人でやったことでありますから。また一般論としてですね、仮にアタシが知ったとしても、サガワにハゲしく脅されるのがコワくって結果的に仕方なくやったことでありますから。むしろアタシは、サガワにはめられた被害者なんでありますから・・・。」

  と、ここは涙声で言うメラニー。サガワとはあの女・・いや、男秘書のようである。

メラニー! 涙でマスカラ落としながら、言い逃れの‘ますから’を繰り返す。マスカラはダマになっても、もうこれ以上はダマされないぞ!」

「サガワ、サガワと、今更いない人のせいにするとは、まさにクチナシの花も供える死人に口なし。この期においてこんな手で糾弾を逃れようとは言語道断!」

「私たちが今までアンタにTPP、共謀罪、秘密保護法、安保法、改憲と、ことごとく裏切られてきたその上で、今度こそ絶対に許せないのは、次世代の子供たちや若者たちを戦場へと送りだし、殺し殺されるのを法的な義務とする“徴兵制”を、アンタがまたもや推進してるということなのよ!!」

  しかし、このメラニー議員。すべてをサガワのせいにして、知らぬ存ぜぬ貫き通すと思いきや、“徴兵制”のこの言葉には敏感に反応し、それどころか逆に反論し始める。

「“ちょうへいせい”は、何よりも天皇陛下の御ためで、この国の国民ならば陛下のお気持ち察した上で、当然に受け入れなければならないことですッ!」

  と、糾弾を受け、今まで押され気味だったメラニーの反撃が始まったみたいだが、よりによってこんな理屈に、政治生命かける気だろうか。

メラニーッ、ただ天皇陛下のためだけに国民は徴兵制を受け入れろって、それじゃあまるで戦前といっしょでしょーがッ!」

  しかし、メラニーはひるまない。それどころか、

「そうよ! こんなことはこの国の歴史において、今までも先例があったことだし、天皇制のもとにおいては、これからもあるべきことよ!」

  と、厚顔メイクのグロスづけのそのマスクをまたグロテスクに光らせながら、ドヤ顔で自信満々。

メラニー! アンタは天皇陛下の御ためには、子供若者次世代は“命を捧げろ”って言う気なの?! それってどういう精神よ??」

「アタシはこの精神に誠心こめて言ってるの! 命を捧げるというよりも、第一、陛下のお命こそを、お守りせねばなりません!」

  ここまでハッキリ言い切られては、会場さらにどよめき渡り、議員たちの中からも、さすがにそれは、“ちーがーうーだーろー”とのヤジが聞こえる。

  だが、確信に満ちるメラニー、それでもまったくひるまぬ気配で、ここでマイクを握りしめると、政治屋らしく法令違反にならぬよう、またホウレイ線も割らぬよう、失言をも辞さない覚悟で熱弁の構えに入ったようである。

「だって陛下はご高齢でご退位をあそばされ、その時同時に元号は超えられて、まさにアタシの言ったとおりになったじゃないの!」

  会場、このメラニーの一言に、一瞬、何かが“ちーがーうーだーろー”と思ったが、ここで最前列に座ったキンゴがパソコンに文字を打ち込みプロジェクターから、今や平目の画面が消えた会場のスクリーンへと投影しようと、立ち上がって発言する。

メラニー議員の言ってることって、ひょっとしてコレですか?」

  そしてスクリーンにはある文字が、拡大されたポイントで大々的に映し出される。

  “超平成”

  メラニーは我が意を得たりと大喜び。

「ピンポーン! そうよ、そうよ、コレなのよ! アタシが先から言ってるのはァ!」

  会場、怒りと呆れでブッ飛んで、そのあまりのバカバカしさにもはや誰もついてはいけず、怒りと呆れ、下らなさとしょーもなさ、絶望感が交互にうずまく感情のはけ口は、各座席の座布団飛ばしに向かう他はなさそうだ。

  今や会場のあちこちからは、メラニーめがけて座布団が入り乱れては次から次へと飛ばされる。

  “危険ですから場内では、座布団を投げないようにして下さい。また、女性の方はくれぐれも土俵にだけは上がらぬようにして下さい。”

  そんな会場アナウンスが流れるなかで、いくつかの座布団がメラニーへと命中し、彼女はそのまま机の下へとうずくまる。

「オエーッ! オエーッ! ウゲェーッ!!」

  どうやらメラニー、急に嘔吐をば、もよおしたみたいである。

メラニー、去るものは追わずといえども、『嘔吐』は去る捕る。逃げられないぞ!」

  だが、メラニー、議員席から“役者やのう!”とのヤジ受けながらも、ひたすら声だけ吐き続け、その有様はたとえ土俵の外であっても女性でも近より難し。

  だれもが尻込みするなかで、ここは形だけでもと、羅衆夫人と平目とが床にへばりつきそうなメラニーに手をかけて、介抱しようと間に入る。

そして、メラニーをかかえ起こして、三人三様、その面々を上げた瞬間、

「キャーッツ!!!」

  と、今度は最前列のプチブルマダムが、いっせいに悲鳴を上げては席を立って逃げ惑い、タミまでもが血相かえて後ろの席まで逃げてくる。

「タミ、お役目ご苦労さん。どうしたんだよ、あの騒ぎ? あの三人にいったい何があったんだ?」

「イヤ、もう、皆さん。あれときたら、驚き、轟き、ガンモドキに、願ほどきでも消せそうにないですよ。何と三人三様に、各々の額の上にはっきりと“怨”の血文字が浮き出ていて、羅衆夫人は手持ちのファンデを塗ったくってもまったく消えず、あれじゃ、シワトリ・シミトリよりも、メンドリ(面撮り)のうえオンドリ(怨取り)をやった方が・・・。」

  そこでテツオが立ち上がって双眼鏡でよく見たところ、三人の額には“怨”の血文字がはっきりと浮き出ている。

  テツオは隣の席でじっと黙って凝視をしていたユリコを見ると、ユリコは落ち着きはらったまま、こう答える。

「たとえどんな悪人でも、人間も神の創造物であり、神の絶対値の領域すなわち良心があるだろうから、その良心の片鱗が自ずと表にあらわれる。今後、彼らが自分の悪業を心から悔い改め、正しい行為に努めるならば、やがてはあの“怨”の血文字も消えるだろうと、私は思うよ。」

  だが、ここまでくれば、もう会場はてんやわんやの大騒ぎ。とてもメラニーの糾弾や疑惑解明どころではない。そしてその時、ちょうどタイミングをあわせたように、会場の入り口から黒服姿の男たちが入ってくると、議員と行政職員らにすばやく何かを耳打ちして、彼ら全員、ただちにその場をそそくさと立ち去っていったのだった。

 

  ますます何が起こったのかがわからない。また、困った時には北朝鮮が、いつものようにミサイルやら飛翔体を発射して、国民をひれ伏させる訓練もどきのJアラートでも鳴っているのか。でも、米朝会談、南北和平ムードのなかでは、もうその手も使いにくいよな・・・-などとテツオたちが思っていると、ヨシノママが手持ちのスマホを取り出して、もっとインパクトのある超号外級のニュース画面を見せてくれる。

  そこには、再び大文字で、もっと迫力のある究極のイヴェントが記してあった。

  “米軍機、首相官邸についに墜落!”と・・・。

 

  戦い済んで日は傾き、今はちょうどアフタヌーンティータイム。テツオたち4人とタミ、そしてあの勇気ある発言をしてくれた女子高生の計6人は、駅前のコーヒーショップにプクイチがてら集っている。

  羅衆夫人らの企みは、かくして無残に崩壊し、会場は引き続きVeni女の再建総会ともなって、タカノ夫人とミセス・シン、そしてレイコのスリシス=スリーシスターズの3人は、そのまま会場に残ったので、6人はではお先にと、かつて彼らが革命と独立を志した“お茶会”の記念の地であるこの店に、今日の戦勝祝いも兼ねて再び集っているのだった。

  戦勝祝いと言ったって・・・、そう、4人は今さら祝うものもなく、今日ので更にまた絶望が深まった-と各々思っているようだ。そのなかで敢えて良かったことといえば、あの勇気ある発言をした女子高生は、実はタミの彼女であり、彼女は今日を転機として、真実を語らない今の高校に見切りをつけ、来年度からタミとともに島の学校に来る決心をしてくれたと、タミが4人に彼女の紹介と報告をしてくれたことだった。そして彼女はヨシノやキンゴと同様に、内部被ばくを生涯のテーマとして、私も医学部を志望しますと、決意を語ってくれたのだった。

 

「・・・、しかし、ホントにシャレにならないよねえ・・・。米軍機がよりによってあの首相官邸に、ついに墜落しただなんて・・・。」

  と、ヨシノはママが貸してくれたスマホをいじくり回しながら、こっそりとつぶやいている。

「今まであちこちに落ちてきたし、また落としてもきていたから、官邸に落ちたとしても不思議じゃないよな。でも、それっていったい、いつ落ちたの? 朝も昼もそんなニュースはなかったけれど・・。」

「それがさ、落っこちてから炎上、消火、鎮火にガレキ化、ここまで結構時間が経っているらしいのね。こういう時はネットのウワサも、それなりに参考になるのかもね・・・。」

  と、ヨシノはスマホの画面から、いくつかのツイート等を、紹介して見せてくれる。

「・・当初、政府は、これもまた特定秘密にしようとしたようだけど、官邸ってさ、曜日がわりで何かとデモが行ってるじゃない。それでユーチューブにも流されて、隠しきれなくなったのか・・。」

「さすがに米軍機の破片が映った以上、いつものように北朝鮮のせいにするのも無理だしな・・。」

「官邸の周辺は、画像のとおり厳重に封鎖され、あの沖縄国際大学の時のように、米軍関係者以外は一切の立入禁止。またこの国の警察官も幾重にもガードしていて、少しでも近づくものなら、被害を受けたのはこの国の国民なのに、香港の警察みたいに、牙をむいて襲ってくるとか・・・。」

「この国の首相と官邸とが、また別の意味でもこの国の警察に守れられてるってことですよね・・。」

「それでも米軍による封鎖の前に、しばらく時間があったようで、ネット上には様々な人間模様が伝わってきているようよ・・・。

  たとえば当時官邸にいたなかで、かつては脱原発を唱えたクセに防衛相を雨男で顰蹙かったあの外務相。墜落直後に炎上する官邸から一人ヨロヨロ七歩ほど歩いて出てきた所で止まって、米軍機が落ちてきた天を指さし、“安保は不変!”と叫んでそのまま、バタリと倒れてしまったとか・・・。」

「“板垣死すとも自由は死せず”と、全然レベルが違いますよね・・。」

「かつて沖縄の事件の時も、この外相の父だった当時の外相、同じことを言ったじゃないの。だからこれもカルマのひとつ。因果応報、天罰よ。」

「でさ、つぎはあの財務相。この国の消防団がまだ官邸に入れた時に、ガレキの中にご愛用のボルサリーノがころがってたので、そこを掘り返してみたところ、見る側からはまさにセクハラ。何とウンチまみれのおケツ丸出し、便器にはまった状態で、発見をされたんだとか・・・。」

「あの男って、国会でもふんぞり返って座ってたから、便所でもそうしてたんだろ。」

「官邸ってこのウォシュレットの時代にさ、まだ汲み取り式だったんだ・・。あらゆる汚職は洗い流せず、民意は汲み取らないのにな・・・。」

「でも、あの男、病院に搬送されて、便器もはずされウンチもふかれた状態で、応じた記者の質問には、“はめられたという実感は今でもある”と、答えたとか・・・。」

  ヨシノはさらにスマホをいじくり、ウワサを紹介してみせる。

「当時、あの官邸にはいつものようにいろんな人がいたようで、必ずしも入館記録に残らないし、また残っても請求すれば即シュレッダーにかけられちゃうから、炎上を見物していた人によると、首相秘書官を見たんだそうよ。それでこの秘書官は記者からの質問に、“記憶の中にある限り覚えていないが、大勢の人々に混じる感じで米兵以外にいたかもしれない”って答えたとか・・・。」

「じゃあ、官邸には、まだだれか、取り残されているのかな・・・?」

「この秘書官の話によると、首相と首相夫人、あとカンボー長官と大臣ら。それと学園関係者と思われる人物と県の職員、その他にも夜桜の会でおなじみの反社会的勢力らしき人々・・と、彼がここまで語ったところで急に記憶がなくなって、集中治療室へと送られたとか・・。また現場には、誰なのかはわからないけど、すでに黒コゲになった遺体もあるんだそうで・・・。

  その黒コゲの遺体用にと棺桶が官邸に運ばれたけど、問答無用に粛々と入ったものもある一方、ここでもやはり身の丈にあったものが見つからないのもあったとか・・・。」

「これも生前のその人の、カルマと因果応報で、天罰というべきよ。」

「学園関係者らしき夫妻は、警察に引き渡された後すぐに収監されてしまって、多分しばらく出てこれないし、県職員は無事に県に帰って真実を伝えても、真相はガレキの灰の中かもね・・・。」

「じゃあ、肝心の、首相と首相夫人の2人は、どうなってしまったのかな・・・?」

「それがさ、これも炎上見物者らの複数の目撃談によるものだけど、強い者には殴られても騙されても、『阿Q正伝』の阿Q(2)のようにウィンウィンと言いたがり、弱い者にはただ解決済、国際法を守りなさいと言い張る男と、また、自分の都合で公人・私人を使い分け、下着すれすれミニスカートの女がいて、どうやら首相夫妻らしいんだけど、2人はそのまま米軍に拉致されてしまったそうよ。」

「これも自分で拉致問題に向き合わなかったカルマと因果応報の、天罰というべきよ。」

「でも、夫婦そろって黒コゲにならなかったということは、ここは“ナチスのマネ”とはいかなかった-ということでしょうか・・・。」

 

「しかし・・、ちょっと疑問なんだけど、主要人物の動向がすでに判明しているのに、ガレキと化した官邸に異様に多い米兵たち、何を捜索したいのかな?」

  と、テツオたちはスマホを覗き見しながらも、不可解な様子である。

  するとタミが、ここはオタクの素養を活かしつつ、その疑問にかないそうなツイートをすばやいタッチで検索しては、ある画面を開いて見せる。

「・・・“究極の密約”だってぇ・・・?」

「そうです。このツイッターの言い分は、“究極の密約”なるものが存在し、米軍はバレてはまずいと、それを探して回収しようとしているのでは-というものなのです。それでこれにリンクして、こんな画像が流れています。」

  と、タミはある一枚の紙の画像を指し示す。

「これは・・、“トムとジェリー”のマンガの下に、何か英語で一文が記してあるけど・・・。」

  受験生のヨシノとキンゴ、そして語学が好きなユリコとタミの彼女の4人が一緒に見たところ、この一文は和訳では“ネコが黙っているうちは、ネズミは遊んでいてもいい(3)”というもののようだ。

「・・・、こんなのが、何で“究極の密約”なのかな・・・?」

「僕もそう思いますけど、この一枚紙の下の方をよく見てください。この横一列に並んでいる小さなウンコの絵のようなもの、これがもしや“花押”ではと。花押というのは、大名なんかが書状に印したサインのことで、今でも閣議決定など大臣が自分の花押を記したりします。それでこのアメリカのマンガである“トムとジェリー”と“ネコが黙っているうちは、ネズミは遊んでいてもいい”なる英文のその下に、歴代首相がそれを了解した証として各々の花押を記したのではないだろうかと。ただ画像のせいか、消火の水でにじんだせいか、肝心のこの花押が今ひとつはっきりせず、もしかすると本物のウンコかもと-この画像の投稿者は匿名で記しています。」

「・・でも、こんなマンガに、またマンガのセリフみたいな文で、“密約”などと言えるのかな?」

「いや、かえってこんな表現だからこそ、何とでも解釈できて、忖度しだいでネコ側は、軍事・外交は無論のこと、内政やメディアの統制、司法から貿易交渉、何だって最終的には思いのままに出来る余地が残されてるというわけです。」

「そういや、かつて中国の政治家でも、“白ネコでも黒ネコでも、ネズミを捕るのがよいネコだ”と表現して、これが改革開放政策でよく引用されたらしいから、“窮鼠猫を噛む”といわれるように、窮鼠こそ究極の政治標語に相応しいかもしれないし、また窮鼠だけにチュー告としたいのかも・・・。」

「でもさ・・、この一枚紙って、そんな密約だとすれば、いったいどこのリークなのよ?」

  タミがスマホを探ったところ、リークの経緯はこうらしい。

「炎上当時、やじ馬の酔っ払いが、天からヒラヒラ振ってきた一枚紙を拾い上げ、そのまま近くのコンビニにトイレを借りに行ったそうです。ところがあいにく紙がなく、店長に紙をよこせと言った際、トイレのみのご使用はお断りですと言われたのに腹を立て、“紙一枚じゃ足りねえんだよッ!”とこの紙を出したところを防犯カメラがとらえていて、その後別の事件をきっかけにこの画像がインターネットに流出したのをたまたま見つけた-と、この匿名の投稿者は記しています。」

「でも、それで見つけたなんて、ちょッとウンが良すぎんじゃない? むしろ今時とても勇敢な記者かなんかが、米軍が来る前に官邸に突入して密約を探しだし、こうしてスッパ抜いたとか・・・?」

「しかし、これはもう、その印がウンコか本物の首相の花押かが判然としない以上、本当はあってはならない密約だけに、この消火を機に“水に流して”済ませるほかはないんじゃないの・・・。」

 

  テツオたちがそれで何とか納得しようとしているのを、さすがはタミの彼女だろうか、その女子高生が、ここで現場のある画像を指摘する。

「先輩方、この画像を見てください。捜索中の米兵に防護服姿がいます。ということは、沖縄でかつて墜落事件があった時と同様に、墜落機から放射性物質の拡散(4)があったのではないでしょうか?」

  見れば、そこには米兵に入り混じり、防護服姿で活動中の人たちが映っている。

「米軍機の回転翼にストロンチウム90が使われていて、その汚染の危険があるってことか・・・。」

「これで首相官邸が、ストロンチウムの一大ホットスポットになったのかもね。反原発デモの人が注意深く周囲のものを持ち帰り、β線など測定するから、当面デモは見合わせるって出てるわよ。」

「その件ではこの画面で、米軍もすでにコメントを出しています。曰く、“貴国の国内法の判例では、こうした事例はムシュブツ扱いされるため、地位協定によらずとも米側の賠償義務はもとより全く存在しない”-とのことです。あの青森県の湖に燃料タンクを捨てた時と同様に、お前の国で始末しろと言いたいのでしょう。ということは、やっぱりストロンチウムは散ったのではないでしょうか。」

  だが、テツオたちはこれで頭にくるよりも、むしろある種の納得感を感じているようである。

「・・・これで、20mSv、100Bq、8000Bqを法令とした張本人らのこの一画が、これから永くSvやBqの被爆地や汚染地になるってことか・・・。“ざまあみろ”-と言いたいよな・・・。」

「自分たちでこの官邸から“ただちに健康に影響はない”と言ったのだし、再建されてもこの官邸で引き続いて政治をやって、自分たちのカルマと因果を受ければいいのよ。」

  6人は後味こそはよくないものの、ここは静かに皮肉っぽく笑うしかないようだ。

 

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  だが、ここで、タミと彼の彼女とがうつむいているのを見たテツオは、これではあまりにお気の毒と思ったのか、話題を変えんと試みる。

「みんな、もういいじゃないか。サピエンスらの好きにさせれば。俺たちニアイカナンレンシスは、自分たちの未来に向かうほかはないのだし・・・。

  それより、タミがせっかく彼女を紹介し、また彼ら2人が俺たちの卒業後も島を継いでくれること、そして彼女はヨシノとキンゴと同様に内部被ばくに取り組む医者となることまでも決心してくれたんだ。

  この店は俺たちが革命と独立を志した“お茶会”の記念の地だし、今から2人を祝福しよう。俺たち、まだ酒は飲めないけれど・・、いや、酒なんて要らねえや。みんなコーヒー飲んじゃったから、アイスクリームでも食べようか。俺がおごるよ。漁村の会でおばちゃん達に花苗をプレゼントして、出荷先をまた紹介してもらったし・・。」

  するとキンゴが、ここで手を挙げ発言する。

「い、いや、おごるのなら僕が出すよ。というのは、あの不屈の抵抗大作戦、インターネットのBGM選手権でまた賞金が取れそうなんだ。あの作戦、タミが参謀をやってくれて勝てたのだから・・。」

「そういやさ、今日のこの羅衆夫人やメラニーやらあの秘書って、ママたちが交代してビデオ撮りをやってるから、あれにBGMつけて、また面白おかしく出品をしてみたら。」

「キンゴ、それなら今度は、どんな音楽、付けるんだよ?」

「そうだなあ・・。陰謀家の羅衆夫人というからにはロシアっぽく、またあの秘書に相応しく・・、」

  と、キンゴがここまで言ったところで、サゲを取ろうとタミが「ちょっと待ったァ」と手を挙げて、また、その彼女もウキウキと手を挙げたので、キンゴはかわって彼女に譲る。

「・・あの秘書さんには悪いけど、『ハゲ山の一夜』をコラージュしてBGMにしちゃうとか・・。」

  6人はこれでもう大笑い。テツオは-秘書がここまで引っ張られるとは-と、少し気の毒な感じもしたが、とにもかくにも、これで6人の今日の日は、笑いのうちに幕を閉じたようである。

 

* * * * * * * * * * * * * * * * * * * *

 

  -テツオったら、やっぱり落ち込んでいるのかしら?・・・-

  6人は、それぞれのカップル同士で別れたあと、2人で島へと帰ったユリコは、前を行くテツオの背中を見ながら思う。

  -講演会では思い残さず、自分の意見を言ったのに・・。二人っきりになった途端、また元気をなくしてしまうだなんて・・・-

  ユリコは二人で復活したあの日以来、ずっとテツオを気にかけている。

  -彼って、不恰好なその上に、ヤニ臭ささえ残っている借り物の学ラン姿がいやなんだわ・・-

  島に着いて船を下り、ユリコの先をポケットに手をつっこんだまま、学ランを引きずるように歩いて寮に帰ろうとするテツオの腕に、ユリコはサッと片手を入れては、彼に声をかけてみる。

「ねえっ、テツオ! 寮のあなたのお部屋って、私今まで見せてもらったことがないんだけど、この際一度、見せてもらっても、いい?」

 

  テツオの個室は、平屋建ての木造校舎の、玄関から入って、喫茶室、厨房と、その奥は居住空間ということで、原発事故の避難者用にと改装した元教室の一つであり、結局、一期生はテツオしか入らなかったわけなのだが、校舎には共同のトイレと洗濯、洗面所とお風呂があって、何人かが共同生活するキャパは充分あった。元教室というだけに、人ひとりが住むのにはいい広さで、テツオの場合は総板張りの床上に適当に畳をしいて間仕切りをして、質素に簡素に家具など置いて、それなりにアレンジをしているのだろうと、彼女のユリコも実際に入ってみるまでそう思っていた。

  しかし、寮とはいえプライバシーを気にするテツオが厳重に鍵をかけたその部屋に、初めて入ったユリコはここで、想像以上のものを目にする。

  -だってさぁ・・・。お部屋の真ん中、いちばん目立つ所には、メイク道具もおそろいの鏡台をはさむように全身大の姿見が二枚向き合い立てかけられて、部屋を囲んで置かれている開放型のクローゼットは、喚起よく開け放たれているんだけど、男子のものと劣らぬくらい、ブラウス、スカート、パンツ等の女子の装い、これがまた彼らしく几帳面に、まるで婦人服売り場のように整然と色鮮やかに並んではつり下げられているのだから・・・。それに、ウィッグまでもあるんだし・・。立派なヒールのパンプスやミュールまでも揃えてあるよ・・・。また、部屋中のいたる所に、彼お気に入りの大小の季節の花苗、観葉植物の数々が、まるで役者の楽屋のように所ぜましと置かれていて、香気を放っているのだから・・・。これじゃ、テツオの部屋というよりも、テツコの部屋といったほうが・・・。私は彼を薄々と知ってはいたつもりだけど、まさかこれほど“進化”をとげていたなんて・・・-

  だが、ユリコの驚きとは別に、当のテツオは弁天みたいに正体がバレちまったと、開き直る様子もなく、学ラン姿に背中を丸めて自分のベッドに腰掛けて、何だかボンヤリしたままだ。

  ユリコは冴えない姿のテツオを見ながら、彼が以前あの女っぽウォークを見せた際、イキイキウキウキしていたのを思い比べて、ここで直感的に提案してみる。

「ねえ、テツオ! あなた今からお化粧して女の子の装いをして、私と海辺を、歩いてみない?」

  テツオは穴の開いた学ラン帽子のその下から、穴の開いたような目を向けてはきたが、

「じゃあ・・・、おヒゲを剃りに風呂場のシャワーに行ってくるから、そのまま待っていてくれる?」

  と、女物の下着を取って、小股でそそくさと行ってしまった。

 

  ユリコは今、彼のシャワーを待つシチュエイションのなかにある。-通常のカップルならばこの後に、男の彼との儀式があるが、それはこの前終わっちゃったし・・、今日はまた女の彼との・・・-。

  ユリコがそんなことを思っているうち、本来なら、水もしたたるイイ男とも言えるテツオが、“恥ずかしいから、こっち見ないで”と言いながら、こっちが恥ずかしくなりそうな雰囲気で帰ってくる。

  -やだわ・・、本気にさせちゃった・・。でも、そうさせたのは、私だし・・・-

  ユリコが顔を真っ赤にしながら-じゃあ、ちょっと外の空気を吸ってくるね-と、部屋を外して校舎の庭を散策しながら、窓越しにテツオの部屋をチラ見すると、テツオはカーテンを開け閉めして光の加減を調節しては、ひとりメイクにいそしんでいるようである・・・。

  適当な時間が過ぎて、ユリコは再びテツオの・・いや、今やテツコのお部屋へと入っていった。

「テツオ・・、あなた、ウィッグを、つけたんだ・・・。」

  開門にして開口一番、まずは彼のショートヘアーに目がとまる。

「うん・・。だって、まだ残暑もあれば稲刈りも終わってないなか、男の短め刈上げヘアーが便利だし。ウィッグなら自分の髪の生え具合を気にしなくても、いつでも女装できるしね。それにこのウィッグ、コスプレ屋で売ってるもので5000円程度で買えるし、それで結構本格的よ。だいたいあたしのコレクションって、古着屋か量販店でのシーズンオフ待ち在庫処分で手に入れたものだから、そのほとんどがワンコイン500円程度で買ったものよ。」

  テツオの経済感覚は、すでにオバサン並みなのかもと、ユリコは思う。

「それで・・、チークもルージュも完成し、おヒゲも無事に隠せているけど・・。

ところでテツオ、あなた、アイメイクは、全くしないの?」

  さすがに彼女であるだけに、ごく短時間でも顔中くまなくチェックを入れてくれたことに、テツオは少し嬉しく思う。

「うん・・、今日は目にクマもなく、それに一度アイメイクをした際に、鏡を見つめた時にほら、視線がずれるというのかな、自分で自分の目の焦点が合わないような気がしたのね。だからアイメイクはまだ開発途上、どうやったらいいのやら・・。道具は一応ひととおり、揃ってはいるんだけど・・。」

「じゃあ、私が今からやったげるから、テツコとしての女子メイク、すべて完成させようよ!」

  ユリコは、自分がメイクをしないのに、どうしてこんなに乗ってくるのか、不思議な思いもしたのだが、やり方を知らないわけではない以上、テツオをモデルにさくさくと、眉毛を切って先端そろえ、剃ったり塗ったり描いたりして、ついにはテツコの女子メイクを全て完成させてしまった。

「!!~。 テツオ、ちょッとあなた、顎を引いて・・。そう、そんな感じで・・・。

  ・・わあ、どうしよう・・・。わたし、惚れなおしてしまいそう・・・」

  -惚れるだなんて、初めて聞いたよ-と、テツオが意外に思ううち、ユリコにしては珍しく、朱くなった両頬を恥ずかしそうに手でおさえつつ、鏡台前で立ち上がるのを横にして、テツオはこれで完全にメイクアップされた自分を、鏡台の中にあらためて見つめはじめる。

「おお~ォッ!!」

「おお~だんてオッサンくさい。女の子らしく、キャぁとかワァとか、その方がカワイイのに・・。

  でも、わたしが思ったとおりだわ。あなたの眉ってはっきりしててカッコイイから、これを活かしてさらに形を整えて濃く描きたせば、オードリー・ヘップバーンみたいになるのかもって・・。」

「お、おお~っ、おお道理!」

  ユリコはあくまで眉メイクのみ大女優に譬えたものと思われるが、それをテツオは顔全体に拡大解釈したかもしれない。

  -そうよ・・、そうよ! あたしは本当はこれほどまでに美しくなれるのよ・・。今まで手加減して未開拓のままにしていたアイメイク。それが実際やってもらうと、頬のチークのグラデーションを引き継いで、マスクの上部にたなびき渡る、夕日のようにオレンジがかったアイホールと、黒い眉の天の橋に、紫色の薄雲がかかったみたいな・・・-

「テツオ。あなた、顎は引いた方がいいと思うよ。顎さえ引けば、フェイスライン全体が引き締められて細く見えるし、その黒長美眉も際立つし、さらに帽子を被ったら小顔効果もはかれるわよ・・・。」

 

  木造校舎をとび出して、二人は海辺へ向かっていく。防風林の松並木を越え、浜辺へ下っていこうとして、二人は少し高い並木の端から、波打ち際にゆるやかに弧を描いてはつづいていく砂浜を見つめている。そしてその向こうの端には、海に向かって突き出した大きな岩の塊が、砂浜を遮るように横たわっているのが見える。

  午後の陽もすでに傾き、やわらかい4時の光もあかね差す頃、二人は砂浜へと歩を踏み出す。

  ユリコのボトムズはブルー、テツオもボトムズがピンクのほかは、二人ともブラウスにプリーツスカートの揃いの装い。すでに水平線の上にまで来ようとする陽は、朱るみつつあるその光を、西の海より二人の背中へと照らし、そのシルエットを影絵のように、細く長く揺らせながら、砂浜へと映し出す。

 

  ユリコは歩きにくいからと、白スニーカーをはずしては素足にかえり、波打ち際を波が寄せては引いていく湿り気のある砂浜に、足跡を残していく。

  テツオもそれと同じように、ヒールのミュールをはずしては素足にかえると、ユリコのちょうどその隣に、一回りも大きめのその足跡を刻んでいく。

  二人の足と足との間に、時より波が打ち寄せては、いきおいよく風も吹き寄せ、たがいの青とピンクのスカートも、貝のようなプリーツをまじらわせては、波と風とにあおられて、潮のしぶきを受けるようだ。

  日頃はスカートをはかないテツオは、残暑のなか、ストッキングのない己の毛剃りの二本の足がヌーディーのまま、海風に吹かれつつ冷まされながら、揺れるプリーツスカート内で潮に晒されからめ捕られていく感じで、それが時おりスカートの先端に見え隠れする爪先とあいまって、隣をいくユリコのそれよりなおいっそう、色っぽく思えてくる・・・。

 

  そして二人は、大岩が海の中まで突き出ている浜の向こう端へと着いた。

「テツオ・・・。この大きな岩の向こうには、私の行場があるんだけど・・・。行ってみない?」

  岩は浜を遮るように横たわり、その先端でしぶきを上げる波間に向かって大きくせり出し、潮風に永く晒されていたためか、その表面は黒光るほどよく磨かれている。

  ユリコはその大岩を陸の側よりまわり込み、切込みみたいに残された隙間のような通り道を、テツオを連れて進んでいくと、そこはちょうど大岩の裏側にあたる所のようである。

  そこは小さくはあるのだが、さすがに行場だけあってある種の霊気が漂いそうな、洞窟にも似た空間だった。二人は滑らないように注意をしながら更に深い所へと降り立つと、その地には砂浜が続いていたが、それはあとから堆積をしたものらしく、永年の波風の浸食により岩全体がくり抜かれたと思えるような天蓋がつくられていて、二人の背丈を充分に覆うだけの高さがあった。

  この洞窟にも似た行場の奥の方からは泉が湧き出て、それが天蓋を支えている岩壁と砂浜とを隔てるような小さな川の流れとなって海へ注いでいるのだが、海辺にせり出た浸食で複雑に造形された岩場には、潮が満ちると今度は逆にその小川から潮が上ってくるようにも思われる。

「・・・私は、この行場って古くは行者が、泉が湧き出る洞窟にこもりつつ、星を見ながら禅行を行じていたに違いないと思うのよ・・・。」

  岩壁に手を当てながら、そう言うユリコの言の葉が、天蓋に余韻しながら言霊みたいに渡っていくのを、テツオの耳は澄みきった滴の音をとらえるように聞いている。

 

  陽は西海の日没へとさしかかる。夕日は、ダルマの絵のように水平線で分かたれた上下二重の半円形の対称性を示しつつ、月に引かれてだんだんと満ちてくる潮にあわせて、だいだい色のその光を大岩の天蓋から空洞の中の方までとどかせる。そして、今や向き合おうとする二人の体は、あかあかと灯し出されていくのだった。

  これからまさに満ちていく潮の響きが、大岩の壁面にこだましあって、最奥の闇の中から漏れいずる泉の真水のささやきと互いに干渉しあうように、二人の耳には強めあい、弱めあうまま聞こえてくる。

  洞窟の空洞は、打ち寄せる波とともに潮の匂いがこもるものの、同時に吹きさぶ海風が、さらに新たな潮の匂いで空洞をいっぱいに満たしてくれる。

 

  今、テツオの目には、ユリコの立ち姿がはっきり映る。ユリコはその身を風に吹かれるままに立ち、手にしていたスニーカーを下へと下ろすと、素足で砂地をつかみつつ、足を少し左右に開いてAラインを示しては、青いプリーツスカートを扇のように風にそよがせ、やがて自ら髪の束ねをひもといて、その黒長をそのまま宙へと解き放ち、川のように泳がせる。

 

  ユリコを見つめ続けているテツオは、やがて彼の脳裏の最底から、ある叫びのような一声を、ここで再び聞くのだった。

  -“Vincere! e,Vinceremo! 征服せよ、支配するのだ!”(5)-

  その声は金属を引き裂くような金切声で、今やテツオの脳裏には、最後の審判を受けた後の、すでに断末魔へと落ちた、醜さといやらしさに満ちているかに思われる。

  -ファッショ、団結、集団、奴隷・・、それらを支える棍棒、暴力また権力、そして男根・・

   だれが今さら、そんな野蛮に乗せられるか。僕はもう、サピエンスには戻らない-

 

  テツオの目前に立つユリコは、その紅い唇を支点として、トップスの白ブラウスになびき渡る黒長の髪、ボトムズのブルースカートの各々を、まるで太極図の陰と陽の印のように渦巻かせ、その瞳はトビ色の光を放ち、ますます輝き渡って見える。

 

  テツオも手にしたミュールを下ろすと、素足で砂地をゆっくりと、ユリコの前まで進んでいく。

  互いに見つめ合う二人。だが、テツオのメイクされた目に、ユリコは何かたじろぐものを感じたのか、思わず目をふせ胸に手をあて、動悸に打たれているようだ。それでもユリコの足先は、砂地をしっかりつかんだまま、後ずさりしようとしない。

 

  テツオはユリコの手をとって、今の思いを素直に伝える。

“ユリコ・・。わたしは今、こうして男女の辺を渡っていく・・。あなたもいっしょに、このルビコン川を、渡って行かない?”

  再びテツオの目を見るユリコ。その瞳はまたトビ色に輝いて、もう迷うことはないようだ。

“テツオ、私たちは今こそ二人で渡るのよ。私たち人間を永遠に自然から遠離させ、楽園から追放される因となったあの‘原罪’を、私たちは二度と繰り返すことはない。私たち新たな人は、もう二度と原罪ゆえの生存の苦を受けない。

  私たちは今こうして男女を渡り、原罪の因である相対知の源を超えていく。そして私はついには相対知の極致である‘生死’さえも、あなたとともに超えていきたい。”

 

  テツオはユリコに、念のために確かめる。

“わたしたちは‘性=SEX’を、サピエンスの語源のとおり、‘分かつ’以前の‘分かたない’自然のままいこうとしている。

  でも、ユリコ・・、もし、このままいけば、赤ちゃんって、どうなるのかな・・?”

  ユリコはテツオのその問いに、しっかりと目を見つめて、こう答える。

“今日はその日ではないの。私にはわかるのよ。まだコウノトリが来ないことが・・。心配しないで、神がお望みになった時に、きっと恵みはもたらされるから・・・。

  だから今日は、二人でいけるところまで、いっしょにいこうよ・・・。”

 

  あともうひとつ、テツオはユリコに希望を伝える。

“ね、ねえ、ユリコ・・。ここで笑われたらアレだけど・・、あの、部分的に女子服をつけたままで、いいのかな・・・。

というのはね・・、全部脱いじゃったりしたら、男に戻ってシラケちゃいそうな気がするし・・。浮世絵の春画でも、たいてい着たままやってるし・・・。”

  テツオとしては、-ここで男に戻ったら、きっとまた途中でナエる-と、言いたい所でもあった。

  幸いユリコは理解してくれ、-じゃあ、わたしも興ざめしないように、なるべくテツコに合わせてみるね-と、答えてくれた。

 

  あとテツオにはもうひとつ、ユリコには言えないが、彼自身が思い込むべき課題があった。

  -・・・不思議なことに、まだ充分に勃ってるし・・。今日はもしやいけるのかも・・・。でも、だからといって、ここで‘ペニス’の意識を持てば、またナエてしまうのかもしれない・・・。

     こんな思考実験は初めてだけど、いっそのことこれは‘進化の過程で突然変異の巨大化したクリトリス’というふうに思い込めばいいのかな・・・。だって、もとはといえばこの二つはいっしょだし、メスが交接器を持つことも進化の過程でありうると、どこかで読んだ気がするし(6)・・・-

 

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  二人はここで改めて、互いに向き合おうとするのだった。ユリコは今、自分の目前に立つテツオが、いつものテツオでないのに気付いた。それは彼が女装をしてテツコになっているばかりではない、何か別の人格といった感じさえさせるものだが、それでもユリコはテツコの中に、彼女が愛する人物の面影を見た思いがするのだった。

  ユリコはテツコを見つめながら、とても優しく、ゆっくりと微笑んだ。だがテツコの方は自分が置かれたこの状況におどおどしていて、まるで改めて生まれ直してきた子供のように、何から手をつけてよいのかが分からない様子である。

  テツオが“女子服をつけたままで”と言ったものの、ことの性質上これからは互いに服を脱がざるを得ず、二人はトップスとボトムズを脱ぎ落した後、ブラとパンティーだけとなった。テツオはもちろん女子もののそれである。もはや暗がりなのではっきりとは見えないが、テツオのその一物は女装には相応しいと言っては何だが控えめなものであり・・・LLならばショーツにきりきり収まるくらい、あまりモッコリとはしておらず、おそらくスカートの上からだったら触っても分からぬ程度・・・これがテツコの妙な安心感にもなっているようである。

  しかし、今や新しい人類のイヴとなる決意を固めたユリコにとっては、かつてアダムと共に互いを隠した“イチジクの葉”のすべてを取っ払いたいわけであり、ユリコはそこでおもむろに、自分の方からゆっくりとブラをはずした。

  ユリコは自分の美乳に自信があったが、これがかえってテツオとテツコの自尊心に傷をつけてはならないと思っていたので、美乳にはそぐわない不安げな面持ちで、テツコの顔を見上げてみると・・・その目には彼がいつも花々を見つめる時と同じような、美しいものを愛でている優しさと愛おしさが溢れていて、やがて花びらに水滴がしたたるように、涙が零れ落ちていったのだった。

  テツコは緊張した面持ちで、震える手先でユリコの美乳に優しく触れる。ユリコの方も、ここで優しくテツコのブラをはずしてあげる。そして彼女の方も、テツオの胸にそっとその手をあててみる。

  テツオはこのシチュエーションを予見したのか、きれいに胸のあたりの毛を剃っていて、当然ながら乳首は小さく、胸の様子も女子的には貧乳ではあるものの、ユリコにとってもこれはテンションを損なわれず、高めさえする感じがする。ユリコはテツコが彼女にしたようなのをやや踏み込んで、手の平でなく手の甲がわの指先でその胸の輪郭をなぞっていく。そして爪先が乳首の先をひっかけた際、悲鳴にも似たような甲高い歓喜の声を聞くと同時に、ユリコはテツコに抱かれて、耳元でこう囁かれる。

「・・・ユリコ、あたしはね、本当はずっと女の子だったのよ・・・。ねえ、あたしのこの切なさを、あなたは分かって??」

  だがこれは、ユリコにとっては望外の喜びであり、彼女の方こそ感極まってこのように返すのだった。

「・・・テツオ・・、あたしもずっとそう思ってたのよ・・。何だかいつもお姉と話しているみたいだなあって・・。だからこそあなたはあたしの、生涯の伴侶なのよ。」

「・・ユリコ、あたし嬉しい。本当に嬉しい。ありがとう。これであたしは、吹っ切れたわ・・。」

「テツオ、あたしたち、今から愛し合いましょう。あたしたち、きっとお互い、レズビアンよ。」

  そして二人はキスを交わした。ユリコはテツコのキスが、今までのテツオのとは全く違っているのに気付く。テツコのキスは、始めはおどおどしたものではあったが、とても優しいものだった・・。

  テツコはおそるおそるユリコの顔に手を触れると、その輪郭を指先で撫で、その黒髪をまた指先ですくように撫でてくれたが、そのタッチも、テツオの指とは思えないほど繊細なものである・・。

  テツコは再びユリコの美乳を手に取ってみる。それは質感ゆたかな、見るからに美味しそうな、色合いと瑞々しさ、そしてあくまで想像上のものではあるが甘さも含めて、まるで洋ナシのようである。

  ユリコは、いつものテツオに触られている実感はすでになく、テツコの気持ちをよく汲み取って、彼女に対して同じことをやってみる。テツオはもとより撫で肩で、首も男にしては細かったが、さらに上体をやや前に屈ませ細く見せ、それがその胸元にやや膨らんだ乳房をつくる。ユリコはそんなテツコがいじらしく、また可憐にも思えてきて、彼女のそのAカップみたいな、洋ナシに比べてみれば小さなカップケーキくらいの乳房にキスをすると、まるで赤子がするようにその乳首を吸ってあげる・・・。

  やはり悲鳴にも似た喜びの声が聞こえる・・・、それはテツコにとっては内なる女性が声帯という器官を通して世に現れた瞬間であり、またユリコにとっては今さら秘めるまでもない彼女の高いテンションが解放できる時でもあった。二人はここで、もう一度自分たちの祝福のキスを交わすと、かつて自分たちを互いに隠し隔離させ、ある意味では葬り去った“イチジクの葉”を、ここで互いに取り去った。今やこの新しい二人にあるのは、もはやペニスも女陰も関係ない、ただ“自然”だけであるように思われた。

 

  やがて二人は互いに互いを触れあわせ、重ねあわせていこうとする。二人の心臓、血の脈音が、寄せては引きゆく波の音、吹きすさぶ海の音と共鳴しあって、自然が二人を導いていくかのようだ。

 

  今宵、輝こうとする月が、白いその素の姿のまま、陽が沈みゆく宙の下からあらわれて、洞窟の泉の小川が海へと通じる複雑な造形の岩場の方より、月に引かれた潮がこれより、その川の瀬を逆に上へとのぼりはじめる。

 

       二人の鼓動も、吹きすさぶ海風の音という音とともに、二人を覆う岩壁の硬い響きと交わりながら、高まり、そしてさらに高めあっていくのが聞こえる。

 

       ユリコの長い黒髪も、空洞に満たされた潮の匂いに、甘い香りをさし色みたいに混ぜあわせて、大岩の天蓋には、若々しい二人の声が、転調を重ねてはより高い響きを求めて、こだましつづける。

 

  そして・・・、

 “ユリコ、ユリコ・・、出たよ、出たのよ、できたのよ・・・。ありがとう・・・”

  テツコのしぼり出されるような涙声が、ユリコの心の奥底へと、したたるように届けられる。

 “この瞬間ってね、すっごく優しい気持ちなのよ・・・。すばらしい・・、信じられない・・。こんな優しい気持ちなんて・・・”

  ユリコもテツコを、強い力で抱きしめかえす。

 “テツコ、やったね、やったね・・。よかった、よかった・・。ありがとう・・・。

  わたしもまったく同じ気持ちよ・・。神聖さが、神聖さと優しさが、わたしにも満ちているよ・・”

 

  静けさが二人を覆い、潮の高鳴り、海の遠鳴り、波の戯れ、そんなあらゆる音という音の鳴りから、二人を隔てているようだ。

  二人は抱きしめあったまま、あたたかさの中にある。時がとまり、二人のなかで、ただ永遠の魂が生きてるような、そして互いにまさに“光”のなかにあるような、そんな思いがするのだった。

 

  やがて余韻が、二人のなかに広がりはじめる。互いの鼓動も、この間も絶えることなく打たれていたのが、落ち着いた本調子へと戻っていくのを、二人は互いの胸元へと聞き出していく。

  二人の中に満ちた潮も、その高鳴りをしだいに散らして、互いの血の脈音も、それに比例するかのように、静けさを取り戻していっている。

 

  二人はここで頭上の方より、泉の湧き出る音を聞いた。それは空間のゆらぎの中から、月の光を受けた滴がしたたり落ちてこの世にあらわれ、真水となる原初の音といえるのだろうか・・・。二人にはこれがあたかも、これから二人で宿していく命の光の音のようにも、感じられた・・・。

 

  テツオは落ち着いてきたころに、ユリコに一応、彼の思うところを話そうとする。

「ユリコ・・。でも、やはり出るのが、早かったよね・・・。これからは寸止めを、鍛えとくから・・」

  ユリコは、ここは静かに、こう答える。

「テツオ・・、そうじゃないのよ・・。あなたの愛と心遣いは、私には充分なのよ。それとあなたの女性に対する敬意というのも、私にはよくわかる・・・。

  私はすべては愛だと思う。感覚は二の次だから。私たちは感覚への刺激よりも、愛の方が大切なのよ。あなたがいつも花々を愛するように・・・。」

 

  潮がいよいよ、洞窟まで及んできそうだ。

  月がようやく昇りはじめて、宙の夕日の残影に、その白光が入れ替わろうとするのにあわせて、海の潮が再びその勢いを増してきているようである。

 

  二人は着衣を正し終えると、洞窟の岩場を出て、月の光に照らされながら、来た道をかえっていく。

  テツオは木造校舎の寮に戻ると、ユリコの髪に混じった砂と、顔中に彼のファンデやルージュのあとが付いていたのを取るために、先にお風呂に入れてあげ、その間に彼女の服に混じった砂を取ってあげた。そして後の風呂でメイクを落とし、着替えをすませて、ユリコを鏡台に座らせると、ドライヤーで黒髪を乾かせては、ブラシで整え、再び束ねてあげたのだった。

 

  今やようやく外見をもとの男に戻したテツオは、ユリコを山の麓の家まで送っていく。空にはすでに満ちた月がかかっていて、天空の藍色がその白光を丸くぼかして縁取っているのが見える。

  その道中の会話のなかで、ユリコはテツオにあることを提案してみる。

「・・・、じゃあ、ユリコは僕を、そこまで‘奨励’してくれるの・・・?」

  テツオはやや意外な感じの反応だったが、ユリコには確信があるようだ。

「奨励をするもなにも、それはあなたの人生だし、私は多分、そうした方があなたには相応しいと思うから・・・。私もこうして歩いて行をすることで、得てきたものも多いのだし・・・。」

 

  そして二人は、いつものクスノキの下へと着いた。

「テツオ、ここまで来れば、もう大丈夫よ。送ってくれてありがとう。あなたも充分気をつけて、寮まで帰って・・・。」

  と、ユリコは一人でクスノキから麓の家への上り坂をあがっていく。

  ユリコの長い後姿が、山の麓に生い茂る、樹木の合間のほの暗さに包み込まれていこうとするのを、月の光がいっそう白く照らし出していくのが見える。束ねてあげた黒髪が振り子のように揺れ動いて、その後姿の垂直さを、山の稜線、たなびき渡る雲のもとで、より際立たせて見せてくれる・・・。

 

* * * * * * * * * * * * * * * * * * * * 

 

  テツオはユリコが家へと着いて、彼に向かって手を振ってくれたのを見届けると、ひとり木造校舎へと帰っていったが、これから彼には、まだ楽しみがあるのだった。

  テツオは軽く夕食をとった後、少々手は省くものの、ここで再びメイクをほどこしウィッグをつけ、女装にもどる。島内で今日のように誰もいない日限定とはいえ、一定の女装歴のある彼は、その日は深夜に至るまで、次のコーデの考案も兼ね、二枚合わせの姿見で、ひとりで演出ファッションショーに凝るのだった。

 

  ようやく自己愛の世界へと戻ったテツオ。だが、この日ばかりは彼はユリコと愛ではっきりと物理的にもつながれたので、いつもより幸せな気分であり、ともすれば彼にとっては、今日のこの日はあらためて“自分以外の人とでも自分ひとりでいる以上に幸せな”日であったのかもしれない。

 

  テツオの今日の二番煎じの女装というのは、“余韻”を充分味わうためにも同類の、トップスはピュアホワイトのシルクブラウス、ボトムズはピンクにかわって空色のプリーツスカート。彼はユリコが座っていた温もりを保っていそうな鏡台の丸椅子に腰かけては、そして時おり立ち姿でもポーズをとっては、A,I,Rと様々なラインを見せつつ、二枚の合わせ姿見をいつものように交互に愛でて、女性化した自分の姿を心ゆくまで慈しもうとするのだった。

 

  しかし、テツオはすでに確信していた。-今日のこの日の幸せは、ユリコが直観したように、自分が男と女の辺を渡って、その相対を超え、肉体的な男性を維持したまま精神的には女性化するという、一種の“雌雄同体”を模したことに基づくもので、自分はそれを他ならぬ“花”から得たに違いない-ということを。そして-これがSEXの場に及んだとはいえ、いつもの男のままであれば、とてもこんな境地には達しなかった-ということを。

  -だってさあ・・。あの射精の瞬間に、こんなに優しい気持ちになれるなんて・・・。

  これって、どこの本にもなかったし、だれも言わなかったことじゃないの?・・・-

 

  テツオは女装の自分を見つめながら、さらにその女装の自分と対話していく。

  -ということは、人間が言うところの、性欲やSEXの快感やオーガズムというものは、人間が進化の過程で、火の使用により調理に凝って味覚を異様に発達させてきたように、性=SEXを過剰に弄ぶことにより極大的に発達させた、もはや手が届かない妄想か神話のようなものではないのか。

  そして男も女も誰もがこんな“幻想”を、エロ本やポルノまがいの三流小説等々から刷り込まれて、あたかもこれが愛の極致であるかのように思い込み、互いへの思いやりや心遣いに気をまわさず、幻想に引きずられるまま、SEXがうまくいかない、SEXに失敗したと思い込み、さらにはこれを互いに互いのせいにしているのではないだろうか・・。これは、何という不幸、そして貧しさだろうか・・・-

 

  -僕があの射精の時に感じたのは、類まれなる“やさしさ”だった。それは泉にしたたる滴のような、よほど優しく、静謐な気持ちでもない限り、人は決して気がつかないほど神妙なもののようだ。

  あえて想像しようとするなら、これは自分の体内に子が宿ったことを初めて知った、女性の気持ちと似ているのかもしれない。なぜなら精子を送るということは、命のバトンタッチをすることに等しいと思うから・・・-

 

  -僕がこの“やさしさ”に気づくことができたのは、きっと“花”を愛でてきたお陰だろうし、僕が花と同じように雌雄同体を模したせいによるかもしれない。

  花はもとより雌雄同体。可憐でかよわく、人の手で容易に破れるものだろうが、すべての命の糧となる命の大本なのであり、そして何より美しく可愛らしい。そして花がすべての命の糧というのも、きっと花が雌雄同体だということと関係があるのだろう。

  花はもとより生殖器という言葉は、やはり真実を示していて、その逆つまり、生殖器は花というのも、また同様に真実に違いない。だからSEXという極みにおいて、“花のようなやさしさ”を知るというのは、おそらくは真理であって、人はその執着の強さゆえに、このあまりにも単純で明快な真実や真理というのを、気づけないのかもしれない。

  しかし、僕があの時知ったのは、この“やさしさ”こそがSEXだという確信だった・・・-

 

  女装のテツオは、姿見に映った自分の、姿と顔と瞳とを見つめつづける。そして彼は、鏡に映った自分の瞳がユリコの瞳に通じていて、なおかつそれが永遠にも通じているように思われた。

  テツオは、彼が発した“やさしさ”という言葉以上に、ユリコが発した“神聖さ”という言葉を意識していた。-そう、“神聖さ”だ・・。そう言ってもいいかもしれない・・・-

 

  テツオは今日の日がこのまま過ぎて明日になってしまうのが、あまりにももったえなく、いっそこうして自分を見つめたまま果てていこうかとさえ思ったが、深夜に曜日がかわる頃、さすがに疲れを感じたのか、お肌にはよくないが敢えてメイクはそのままに、そしてネイルもそのままに、女装で寝入ることにした。

  -こんなのって、初めてだわ・・。だけど、あたしはこうすることで、ユリコといっしょにいる気がするのよ・・。今日のあたしはとっても幸せ・・。そしてこれからもあたしは幸せ・・・-

  ベッドの中で衣擦れの音を聞きつつ、シンデレラのタイムリミットが過ぎた後も、テツオはずっとシンデレラ気分のまま、幸せな今日一日を、閉じていった・・・。

 

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