こども革命独立国

僕たちの「こども革命独立国」は、僕たちの卒業を機に小説となる。

第八章 参観の日

「みんな、この通知書を見てほしい。やっぱりきたかという感じだ。」

  喫茶室にて、理事長タカノは全員に、通知書のコピーを手渡す。

「…文科省の官僚が、この島の学校でどういう授業がなされているのか、査察に来るって?」

「遅かれ早かれ来るだろうとは思っていたけど、問われているのは私たちの矜持ですよね。」

「子どもたちの教育現場に20mSvを適用する文科省の査察など、私たちが受ける理由はないとはいえ、革命未だならずの今日、これからの活動を邪魔されるのもシャクだしね…。」

  タカノはここで制度の話を再度する。

フリースクール制度はな、教育事業を民間企業に丸投げをしたものだが、多用な教育活動を認めるかわりに、役人による監察を受けることになっている。連中は学校が、彼らが定めた学習指導要領と国定教科書とに基づいて、彼らが想定する教育がなされているかを検分してまわるらしい。」

「20mSvの低線量被ばくを認めた張本人の文科省の役人が、どのツラ下げて私たちのこの島へやってくるのか! ちったぁ見知ってやりてぇもんよ。」

  とミセス・シンが息まけば、ヨシノもここぞと恨みを込めてこう語る。

「多年の恨みを今日ただ今。査察は飛んで火に入るナチの虫。“人はただ命令に従うだけ”って、そんな凡庸なる悪(1)は許されない。この査察でおびき寄せては虜にして、本省の役人蹴り倒し、海に落としてその上から、いっそ銛で突いてやろうか。」

  と、ヨシノが銛で突くふりをするところに、校長が言葉を発する。

あれ、しばらく、御待ち候え(2)。これは由々しき御大事にて候。この査察ひとぉつ、踏み破って越えたりとも、また同じ沙汰のある時は、求めて事を破るの道理。私が思うに査察は受けた方がいい。連中の要求は理系と歴史の2コマだけだし、それが終わればすぐ帰るさ。歴史というのがミソなのだが、今回は慎重を期して、私ではなく女房にやってもらおうと思う。」

  カブキ者の校長が出ないとわかって安心したのか、査察は受けてはいなす-と決まったようだ。

 

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  さて、いよいよ査察日の当日となり、問題の官僚が本省からやって来た。理事長タカノは策を講じてキンゴが発するブログを利用し、この査察日を、同時に保養や市民運動など、この島に共感する子どもたちと大人も含めた、公開の体験授業の参観日に当てたのだった。官僚は木造校舎の理事長室へと通されて、タカノ夫妻と校長とが迎え入れる。その様子をうかがっていたミセス・シンが始業前、テツオとユリコの2人がいる喫茶室へと戻ってくる。

「あの文科省の官僚ってさ、背ィは低くて痩せぎすで、ニヤケ気味のそのツラに、阿弥陀クジみたいなシワが幾重も入って、オールバックのその頭は、ワックスかけた中古のレコード、テカテカ光るその様はゴキブリそのもの、いやらしいたらありゃしないわ。まるでナチのゲッベルスそっくりよ!」

 

  体験授業の参観で、島の学校たる教会は満席に近かったが、1時間目は専門家による課外授業ということで、受け持つのはキンゴパパのワタナベ医師。すでにヨシノとキンゴはいつも手伝う助手役として、パソコンとプロジェクターを担当するため前の方に座っている。皆が静まりかえった頃、小太りで色白のワタナベ医師が入ってきて、そして授業が進められる。テーマは何と“内部被ばく”だ。

「…臨床事例は以上として、では内部被ばくを以下の6つの観点(3)で整理したいと思います。まず1つ目-そもそも内部被ばくと外部被ばくとの違い。2つ目-内部被ばくのメカニズム。3つ目-内部被ばくによる健康被害。4つ目-内部被ばくをめぐる基準値。5つ目-バッシングに対する反論。6つ目-安定ヨウ素剤の用意、についてです。」

  ワタナベ医師はこの6点を指摘しながら、スライド画面の指示をする。

「まず、身体の外部から放射線あびるのが外部被ばくで、それに対して放射性微粒子を身体の中に取り入れ、身体の中で出される放射線に被ばくするのが内部被ばく。原爆みたいな高線量の瞬間的な外部被爆と低線量の継続的な内部被ばくは、ヒトへの影響が大きく異なり、後者の方が免疫細胞に与える影響が大きいといわれている。アメリカのある統計では、原子炉から100マイル以内にある郡では、乳がん死者数が明らかに増加しているというのもあります。」

  そして先生はスライドで、一枚の写真を見せる。

「2つ目の内部被ばくの仕組みというのは、皆さん、この写真です。これは肺組織中で放射線を出しているプルトニウム粒子です。見てのとおり、身体の内部から放射状に線が出ている明らかな例だと思います。この放射線が身体を構成している分子を、それをつないでいる電子を弾き飛ばすことにより切断します。その結果として慢性的な免疫力の低下や健康不良があらわれる。放射線にはアルファ線ベータ線、ガンマー線と3つあり、アルファ線はヘリウムの原子核ベータ線は電子であり、ガンマー線は光と同じ電磁波です。これらはいずれもエネルギーの塊で、身体の細胞内の分子が行う化学反応よりもエネルギーが桁違いに大きいわけで、これが分子の切断と誤った再結合とを引き起こします。」

  先生はDNAの分子切断、そしてその誤った再結合の図を示す。

「では3つ目、この内部被ばくの健康被害に何があるのか-ということですが、ガンや白血病のみならず、免疫力が下がるので様々な体調不良につながるわけで、例えばチェルノブイリ後のベラルーシでは、このバンダジェフスキー博士の研究にあるように、被ばく者の心臓、脳、肝臓、甲状腺、腎臓、膵臓、骨格、筋、小腸など、あらゆる臓器にセシウム137が蓄積をしていました。また、ウクライナチェルノブイリ事故25年後に発表した政府報告書によると、汚染地にすむ子どもについて健康なのはわずか6.3%という話もあります。」

  先生は同博士による、病理解別各臓器別のセシウム137の蓄積をあらわした棒グラフを示すのだが、成人に比して子どもの方が高いのが見て取れる。そしてもう一つの右上がりのグラフも示す。

「わが国の食品中のセシウムの規制基準値は、一般食品で100Bq/kg、飲料水は10Bq/kgです。この右上がりグラフが示しているのは、毎日10Bq摂取すれば、1年程たつと約1400Bq程度の体内蓄積の状態となり、継続することを示しています。これを子どもに当てはめると、体重20kgなら70Bqになりますので、このバンダジェフスキー博士のデータによれば、90%くらいの人が心電図に異常をきたすことになります。ちなみに1Bqとは、簡単にいうならば1秒間に1発の放射線が飛び出している状態のことであり、事故直後の食品基準値500Bq/kgとは、100Bq食べれば1秒間だけで50発の放射線あびることになるわけです。これでも“直ちに健康に影響はない”などと政府は言っていた。」

「では4つ目。今のベクレルに続いてですが、内部被ばくをめぐっての基準値の話をします。原発事故以前からレントゲン室など放射線管理区域というのがあって、これが年間で5.2mSvです。放射線管理区域から、1㎡あたり4万Bqを超えて放射能汚染のものを放射線管理区域から持ち出してはならない、という法律もありました。この管理区域内では飲食を取ることも寝ることも許されず、一般人は連れてはいけない。しかし福島原発事故後では、この国の東方の広域で、1㎡あたり3万Bqから6万Bqを超える所があらわれた。そもそも一般人は年間1mSv以上の被ばくをさせてはいけないという規則があり、ECRRはこの年1mSvを0.1mSvに、原発労働者のそれも年50mSvから0.5mSvに引き下げるべきだとさえ主張している。チェルノブイリ法では年間5mSv以上は移住義務、1~5mSvでは移住の権利が認められているのにですよ。またこの国の食品基準値100Bqという数値は、放射性廃棄物に対して適用されるレベルの数値です。ドイツの飲食物の基準値は、子どもは4Bq/kg、大人は8Bq/kgなのにですよ。しかもこの国では、原発労働者の白血病労災認定で累積被ばく5mSvのを認定しておきながら、20mSvの環境下でも一般人の居住や学校教育を認めている-いや、実質的には強要している。これは国家による犯罪なのではないですか? ナチズムではないのでしょうか? さすがに、“ナチスをまねたらどうか”と言った、外国なら即免職の大臣が居座っている国だけのことはある。」

福島原発事故後の2011年6月に、県内の子ども14人が原告となり、市を相手に、年間1mSv以下の環境で学校教育を受けさせることを求める仮処分を訴えた『ふくしま集団疎開裁判』がありました。しかしこの二審にあたる高裁では“低線量の放射線に長期にわたって晒されることにより、その生命、身体、健康に対する被害の発生が危惧されるところであり、(中略)由々しい事態の進行が懸念される。”と事実認定をしておきながら、この国の裁判所らしく国にへつらい忖度して申し立てを却下した。しかもこの国の国民たるや、子どもが被ばくのない安全な所で教育を受けたいということを訴えたこの世界史的な大事件を、ほとんど知らず、また知ろうともしなかった。これは歴史に残るでしょう。」

「では5つ目のバッシングに対する反論についてです。以上のようなことをいう者に対してこの国では、風評被害を煽っているとか、復興の邪魔をする非国民とかのバッシングがあるわけです。子どもの健康被害への真っ当な考えを言う者に対しては社会的制裁が待っている-というのがこの国の現状です。では風評被害というのなら、その加害者は誰なのかと言ってやりたい。加害者とは、国か、政府か、電力会社か、経済界か、マスメディアか。私は国民だと思う。

  皆さん、この写真を見て下さい。イラク無脳症の赤ちゃんです。イラクの小児白血病の発生率は湾岸戦争前の4倍、劣化ウラン弾がその元凶といわれています。私たちのこの国は、アメリカによる一連のイラク侵略に加担しました。湾岸戦争とは何だったのか。米軍による空爆開始後、たった6週間内にイラク中のライフラインが破壊され、小児の死亡率は3倍に増え、栄養失調は100万人、人口1600万人のうち女性、子どもら多くを含む25万人もが亡くなった。これは戦争ではなく虐殺ではないでしょうか? わが国は湾岸・イラク戦争を通じて、130億ドルものカネを出し、イージス艦の派遣等で米軍の支援をした。この時点で憲法9条など死んでいた。国民はよく言いますよね。憲法9条のおかげで以ってこの国は、平和主義の平和国家で、戦後一滴たりとも戦争で血を流してないのは誇らしいと。では、この国の経済のためにはなった朝鮮戦争ベトナム戦争イラク戦争などによる犠牲者の血はその一滴には含まれないというのでしょうか?

  アメリカのイラク侵攻を強く支持したこの国の元首相、その後いろんな所で脱原発とか言ってましたが、この国は劣化ウラン弾の共犯者であり、そのカルマで脱原発を葬ったのだと私は思う。私はヒロシマナガサキを経験したこの国の国民が、なぜ内部被ばくを無視するのかが理解できない。でもこれは、米軍に破壊された国々や、米軍で苦しんでいる沖縄を無視しているのと同じではないだろうか。要は差別の問題なのだと思います。」

「だからこの国の国民は、原発事故後の総選挙で、改憲とか自衛隊国防軍にとか言っている政党をあえて政権復帰させ、嫌韓嫌華をもてはやしたりするわけです。この時の首相というのが、あの植民地満州をデザインしたと豪語した元首相のバカ孫ですよ。こんな“自分は立法府の長”などというバカ者が権力の座に担ぎ上げられ、アメリカには卑屈なほどへつらうくせに、中国と北朝鮮また韓国の悪口を繰り返し、核武装の隠れ蓑たる原発の再稼動と戦争ゴッコに走ったのは、国民が植民地略奪と侵略戦争という祖父の時代から続くカルマを、いまだ何も克服できず背負い続けているからですよ。」

「3.11の原発事故後、何度も選挙があったけれども、その度に半数近くが棄権して、改憲国防軍原発再稼動の政党が圧勝した。それはなぜか。国民が被ばく、貧困、安保に戦争といった現実を、自分は知らない考えたくない、そんなものは汚染地や沖縄とか、すでに皆で押し付けようと合意した所に落着させればそれでいいと、思っているからだと思う。他人の目もあり悲劇には、同情するフリ、哀れむフリだけしておきながら、いつも差別する、棄民する落とし所を皆で探しているわけです。そして自分ではない、自分は村八分にはされないと感じ始めたその時点から、あとは皆一斉に無関心を決め込むわけです。それがこの国の、かつて“永遠の12歳”といわれた国民の民主主義です。今までこれでどうにかやってこれたから、放射能もまた同様にやり過ごせると考えているのだろうが、この国はチェルノブイリのロシアみたいに広くはない。風評被害などと他人事のように言うのは、もう時間の問題だと私は思う。」

  しかし、ここでワタナベ先生、聴衆の反応がイマイチと思ったのか、アイスブレイクもどきとして、好きな落語をひとくさり、入れてみようとするようだ。

「国民ばかりを非難しても、互いに気分が悪そうな・・・。あ、そうだ。今日、この参観日の教室を査察とか言って、20mSvの張本人の文科省の官僚が来てんだって?」

  先生、後ろを見渡すが、ヨシノがすでに出ていきましたと伝えている。

「出てったの? あ、そう。まあ、自分に都合が悪いからね。こっちもあんな官僚野郎に居残られちゃあ気分悪いし。もとより“お呼びでない”野郎だが、官僚の本領がゴマスリ忖度ばかりなら、太鼓持ちと何ら変わらず、ちょっとばかし呼んでみようか。“おーい、居残りィ、いるかーい?”」

  すると最前列の男子生徒で、一人だけ受け笑いしたのがいる。

「おッ、君、今のわかったか。何?自分はオチ研? 頼もしいねえ。じゃあ、これ、知ってるか。かつてマッカーサーたちアメリカに占領され、“永遠の12歳”とまで言われて、この国の国民は誇りも何も忘れたのか、この際かなと漢字の入り混じる難しい母国語やめて、全部英語にしようって話が出た。で、世界に誇る紫式部を、どうやって英語にするかということになり・・・、」

「先生! それって紫式部だから、“バイオレット・シーツ”て、言うんでしょ。林家三平のギャグですよね!」

  と、すかさずその男子生徒に返されたのを、ヨシノが“先生、直して”とせっついている。

「おっ、今度は“お直し”ときたか。君、今の、わかる? 何、わからない。まだまだ修行が足りないねえ。ま、絶望が足りないよりかはいいけどね。じゃあ、お直しとの声もあり、話を続けることにしよう。」

  ここでワタナベ先生は、話の最後6点目に戻ろうとする。

「では最後の6点目、安定ヨウ素剤についてです。福島原発事故みたいな大事故が起こっても、地震火山津波などが世界で最も盛んな国で、老朽化していようが何であろうが原発を再稼動させるというこの狂気の国で、そしてそれを平気で受け入れるバカすぎる国民の中で、私たちは生きていかねばならないのだが、行政に何を言ってもポカーンとしてやらんからね、せめて私は意識のある人々だけでも、各自ガイガーカウンターで日々シーベルトを測定して、安定ヨウ素剤を用意して、いざとなれば甲状腺ガンだけでも防いだ方がいいでしょうと呼びかけているわけです。チェルノブイリ事故の時は、ポーランドは政府自ら子どもと妊婦にヨウ素剤を服用させたということですが、ポーランドナチスの被害から学んでいると思います。この国なんかヒロシマナガサキを経験したにもかかわらず、当の医者が100mSvまで安全安心って公言していて、またそれに反対する医者もほとんどいない。お前それでも医者か死ネって-私は思いますけどね…。」

 

 

  ワタナベ医師による1時間目が無事終了し、ここで休憩時間となった。喫茶室にはタカノ夫人とミセス・シン、ユリコたちの3人が、茶を飲みながら憩うている。

「ワタナベ先生、今日もまた毒舌はくかと構えてたけど、ヨシノちゃんが補佐するようになってから控えるようになったのかしらね。今までもよく、シネとかバカとかバカすぎるとか、また聴衆に“帰れ!”だなんて怒鳴りつけ、騒ぎにもなったけど…。あとヘンなギャグを所々で放つんだけど、彼が意図してない所で笑うと“ココは笑うツボじゃねえ”と怒り出すし、彼が笑ってほしい所で笑いがないと、“今日の聴衆、シャレがわかんねぇんだなぁ”と、あとでブログでグチるんだよねえ…。」

「ところで2時間目の歴史の授業、レイコさん、どんな授業にされるのかしらね。ユリちゃん、あなた、何か聞いてる?」

「そうですね・・。校長先生の方針もあり、従軍慰安婦731部隊などの歴史的犯罪に向き合わない国定教科書は使えないって。そこでレイコ先生は、物理の教科書巻末の科学史(4)をされるとのことですけど・・・。」

 

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  さて2時間目のチャイムが鳴った。ユリコの他にテツオもまた、レイコの授業を心待ちにしていたのである。彼は教会の天井からの採光を事前に確かめ、照らし出される先生の全身像が、きちんと自分の視界におさまる中ほどの彼にとってのS席を、確保し待ち構えていたのである。

  そしてレイコ先生は、並み居る聴衆を目の前に、ロゥヒールの靴音を大理石の床に響かせ、穏やかな笑みさえも浮かべながらあらわれた。いつもよりも頬紅が少し濃いめか、口紅もやや鮮やかかと思えるぐらい、メイクはさほど変わらない。コーデはきちんと感の定番たる、定番のネイビージャケット・タイトスカート。それが教会天井からの、自然光の採光によく映えている。

  先生は持ち前のアルトの美声で、流暢に講義しはじめる。春先の冷たさがまだ残るのか、バシリカ造りの教会の反響のせいなのか、いつもよりハリのあるその声は、硬質な感じさえする。

  テツオはそんなレイコの声にうっとりと聞き惚れていたのだが、やがて彼は、視界より少し離れた所に座っているユリコの姿も、また気になってくるのだった。

  テツオは聴衆の中のユリコ-それはまさにその名のとおり、植物の群生に咲く淡いユリの花のよう-を、改めてためつすがめつ見つめている。その光沢のあるストレートな黒髪の、長く束ねた間に見える、白い肌とパープルっぽい服につづいて、唇と頬からはあざやかな朱が放たれ、それらのすべてが彼女の内なる光から空間へと照らし出されているかのようだ-と、テツオには思えてくる。そしてその目線は上から下へと、ユリコの手と腕、そして胴体から腰、それから尻へと向けられる。その持ち前の感覚は、視覚から質感へと移ろいで、今や彼女の尻を起点に、その身体すべてに質量を与えようとしているようだ。

  そしてユリコは、行者としての習性か、山野を巡るその足が圧迫されていやなのか、おもむろにスニーカーを脱ぎ始める。

 

 

  その一方でテツオの耳には、レイコ先生のアルトの美声が、天から降りてくるように聞こえてくる。

万有引力で有名なニュートンは、『プリンキピア-自然哲学の数学的諸原理』という名著を1687年に著しました。それから今日に至るまで、このニュートンの力学が物理学の基礎となっているのですが、ニュートン力学といえば、慣性の法則とか、作用・反作用の法則などを思い起こしたりしますよね。」

  -作用と反作用・・・。そうだ、今、重力に引かれたユリコのお尻と同じ圧で、カタいカシの木の椅子が、あの尻を押し上げている。椅子は反発しているというが、本当は今、どんな気持ちでいるのだろうか・・・-

ニュートン万有引力は、ガリレオの相対性原理も同じく、20世紀になってから、アインシュタイン相対性理論によるある種の修正を受けることになります。ところでそのアインシュタインは、特殊相対性理論を発表した同じ年の1905年に、『光量子仮説』を発表しています。それは従来、“光は粒子である”としたニュートンに対し、“光は波である”としたヤングの説が有力になっていたのを、光を金属にあてた際に金属から電子が飛び出す“光電効果”という現象から、アインシュタインは再び“光は粒子である”説を、よみがえらせたというわけです。」

  -コウデンコウカ・・・。そうだ、きっとユリコのあのお尻にも光があたると、粒子や電子が飛び出して、何か香りがするかもしれない・・・。だからそれは、“香臀効果”というのかも・・・-

  -レイコさんのアルトの美声と、ユリコのその体とお尻。それらによって、僕の無眼耳鼻舌身意のうち、意はもちろんのこと、眼と耳と舌(というのは見ているうちに生ツバを飲み込んでしまったので)までは、感覚的にすっかりと満たされてしまったようだ。となれば、残りは鼻と身か・・・-

  テツオがこのようなことを思っていると、レイコ先生がこちらへ向かう足音が聞こえてくる。テツオはあわてて目線を前にし、彼なりの実証的な物理学史を一心に考えているようなフリをする。

  そしてレイコ先生は、テツオの席の真横で止まって、黒板へと振り返る。

  -先生の香水の香りがする・・・。これで鼻も征服されて、あと残るはこの身だけか・・・-

  レイコはテツオの真横で向きをかえ、今や彼の目の前には、ユリコの尻に引き続き、レイコのお尻もまた同時に、大きく存在しはじめる。

  -“月とてぃだ(太陽)とはゆぬ(同じ)道通う”-そう、八重山のトゥバラマという民謡に、月と太陽とは同じ軌道を通るってのが、あったよなあ・・・-

  ギターをたしなむテツオには、そんな八重山三線のやさしい調べが聞こえているのかもしれない。

ニュートン万有引力を唱えましたが、それが何によって起こるのかは明らかにしませんでした。そこで20世紀になってからアインシュタインは、その一般相対性理論によって、万有引力の原因とは、宇宙における空間の“ゆがみ”であり、そのゆがみをもたらすのは、天体などの物質の質量に他ならないとしたのです。たとえば地球は太陽のまわりをまわるのですが、これは太陽の質量により宇宙空間が巨大なすり鉢状にゆがめられ、地球はそのすり鉢に沿うように、あたかもルーレットにビー球が転がるように回転してまわるのだと説明をしたのです。そしてその現象を、彼は非ユークリッド幾何学なる球面幾何学であらわした-というわけなのです。」

  -そう、今、僕の目の前にも、見事なまでの球面幾何学が存在する・・・。その曲率は正であり、シックなまでのネイビーで引き立てられたそれ=お尻そのものは、それ自身の質量により、まさにまわりの空間をゆがめていて、そして僕のこの身もついに、その中へと引かれていくのだ・・・-

  ここでテツオの計算どおり、天井からの採光が、レイコのお尻を照らし出す。

「そしてこの空間の“ゆがみ”が、まもなく実証されることになります。アインシュタインは、遠方の星から来る光でさえも太陽による空間のゆがみによって曲がるはず-と言ったのですが、それが1919年の皆既日食で実際に観測されて彼の理論の正しさが立証され、世界中にアインシュタインフィーバーが起こったというわけです。」

  -そう、今や同じく太陽からの光でさえも、このお尻の織りなす空間のゆがみによって曲げられて、お尻のまわりをまわりまわって、かつて室戸の洞窟で修行をされた弘法大師の、口に星の光が飛び込んだのと同じように、僕の口にも入ってくるのかもしれない・・・-

  テツオがそうしてボーッとして、口をあんぐり開けた所で、引力なのかゆがみなのか、彼は鉛筆を落っことしてしまうのだった。そして彼が拾おうとして身を乗り出したその時に、レイコが先にその身をかがめて、鉛筆を拾ってくれた。

  -あたかも皆既日食がきわめて稀であるように、四次元時空をかいくぐり、この瞬間がやってきた。レイコさんのネイビージャケットからのぞく、やわらか素材のホワイトブラウス。その白い花弁のように開かれた襟元のVネック。その陰翳の谷間から、ほのかな胸のふくらみが、まるで青い池に咲くハスのお花が開くように、僕の目前にあらわれる。しかもそのふくらみをぴったり覆い隠しているブラの、アラビアの幾何模様みたいな白いレースの縁取りまで、僕は視覚におさめたのだ・・・-

  そこでテツオはふと、ある日の彼の畑を思う。

  -レース模様のニンジンの白い花。その中にコガネムシが、至福の絶頂とでもいうように、うずもれて惑溺している。コガネムシが夢見ているのか、あるいは僕が夢見ているのか・・・-

ガリレオは、物を塔から落としても、動く船から落としても、物は真下に落ちるというガリレオの相対性原理を唱えました。ニュートンが木から落ちるリンゴを眺めて、万有引力をひらめいたのは有名なエピソード。そしてアインシュタインは、落下していくエレベーター内の人は重力を感じないということから、加速度と重力とは区別できないという等価原理を、生涯で最もすばらしい考えとしたのです。この考えが、慣性系だけで成り立つ特殊相対性理論から、重力を扱う一般相対性理論へと飛躍させたといわれています。」

  そしてテツオも今や、レイコのこの授業から、脱落をしてしまったようである。

  -ガリレオニュートンアインシュタイン、みんな落ちて悟りを遂げた。道元だって悟りの際に身心脱落したではないか。今や僕もこの授業から脱落して、できればあの胸の谷間に脱落して、悟りを遂げんとするのである・・・-

  では、そのテツオのいう悟りとは、一体全体なんなのか。今一度、彼は目前に見える2つのお尻-自分にとっての月と太陽(てぃだ)とを眺めながら、こんな思考を試みる。

  -美しいユリコ、美しいレイコさん、そしてそれ以上に美しいテツオがここにいる・・・。無眼耳鼻舌身意とはいいながら、それらをすべて有に変える明らかな質感をもたらしては引き付けている彼女たちのお尻と質量。これらがまさにこの現生で、生きて、存在して、また空間に影響を与えているのだ。このように美と生と性と愛と存在とは、もとより相等しいものであり、これらは相対的なものではなく、絶対的なものなのだ。僕はこれを、“美の絶対性”と名付けよう。そう、多分、この世のあらゆるものは人間の認識により相対化できるとしても、美こそは絶対的なものなのだ-

「塔から地面に落とした物も、動く船のマストから落とした物も、同じように真下へと落ちていく-運動する系は異なっても慣性系でさえあれば、同じ物理法則が成り立つというガリレオの相対性原理は、彼が信じた地動説の確証ともなるものでした。ニュートンはこれらを踏まえて、この地球上と宇宙とは万有引力という同じ物理法則で統一できると考えたのです。

  ところが19世紀になってから、ファラデーそしてマクスウェルなどによる電磁気学が見出されると、ガリレオニュートンの力学と、特に光の速度との整合性をどうとるのかという問題が出てきました。ニュートン力学でいう速度の合成は、常に秒速約30万kmの光の速度には通じないというわけです。

  これに整合性を与えたのが、アインシュタイン特殊相対性理論であり、彼はこの理論において、①光の速度は不変であること。②ガリレオの相対性原理は光速をも含めて一般化されるべきで、そのためには光速に近づくほどに時間が遅れ、また、空間そして物質が縮まねばならない-と、主張しました。

  そして次の事実も明らかになってきます。すなわち物質を光速近くに加速するほど、速度を上げても光速には達しないので、運動量の保存則から、そのかわりに質量が増えるのであり、加速させるエネルギーが質量へと転換されることになるのです。ここで有名な“エネルギー=質量×光速の二乗”という式のとおり、質量とエネルギーとは互換性を持つことがわかります。」

  ここでレイコは一呼吸おき、気持ちを整え、少し落ち着こうとしているようだ。

「そして1945年、この原理を利用した原爆が、ヒロシマナガサキに落とされて、人類は核の時代へと入り、それは今日、世界中の核兵器原発により、私たちはまさに“核”と共存しているのです・・・。」

  そしてレイコは、ややうつむいた姿勢を正して、目線を前にし、話つづける。

旧約聖書の『創世記』のはじめに、神は“光あれ!”と言い、万物が創造されました。そして神は私たち人間を土から作り、“善悪を知る木の知恵の実は決して食べてはならないのだ。それを食べたが最後、お前は死ぬことになる。”と言ったのですが、しかし人はそれを食べ、原罪を自ら背負って楽園を追放され、この地上へと降りてきたというわけです。

  善悪を知るというのは何でしょうか。それは善と悪との二分に象徴されるような相対知を得たということです。人は知恵の実を食べたことで、もとより分けることのできない善と悪、生と死、そして男と女を相対化して分けてしまい、これで永遠に迷える子羊となったのだと思います。私なんかは、これこそ元祖の相対性原理と言いたいほどです。」

「相対知を手に入れて、楽園を追放された人間たち。それでも人は原初の光を求め続ける。あたかも子供が人の子が、永遠に母親を求めるように。その速さはどれくらいか、その正体は何なのか、粒子なのか波なのか。物理学の歴史というのは、人間が光を探求し続けた歴史でもあったのです。それは最初に光の速さを測ろうとしたガリレオから、『光学』を著したニュートン、そしてその力学と電磁気学とを光速度不変の相対性理論のもとに整合させたアインシュタインに至るまで、人間の相対知は光を求めてきたのだろうと思います。」

「でも人間は、光に追いつくことはできないとわかってきた。しかし光を追っているうちに、光速を仲介にして、物質から莫大なエネルギーが出せることはわかったのです。そしてそこから、あの原爆と原発をつくったのです・・・。

  それであの1945年の8月に、ヒロシマナガサキの上空に人工の太陽をつくり出し、ついに人間はその相対知によって光をつくり、神にかわって“光あれ!”と、言えたのです。」

  ここでレイコは、また大きく一呼吸を置いてから、感情を落ち着かせようと水を含む。だがその声は、少し震え始めているようだ。

「でもそれは、すべてを殺す光でした。神が初めに光あれと、あらゆる命を創造し、生み、育ませる光とは相対する、あらゆる命を殺す光・・・、それを人は創造した。こうして善悪を知る相対知を得る知恵の実を食べたことでお前はやがては死ぬことになると言った神の予言は成就しました。そしてここであらゆる命を創造する神と、あらゆる命を破壊する人間とは相対するものとなったのです。」

「私は現に核の時代となったこの人の世で、問われているのは“人間の存在”そのものだと思います。原爆と兄弟分の原発は、決してエネルギーの問題だけではないのです。生命に対峙する最終破壊たる核を現出させ、かつ、それを平気で受け入れている人間同士が、どうやって互いに生きていけばよいのだろうか-という問題がまさに問われているのです。大人たちは20mSvとか100Bqとか、安全保障とかいって、こうした問題から逃げていて、しかも卑怯にも子供にそれらを押しつけて、子供を守らず、知らぬふりをしています。これはもはや、人類という種としての存続が、生物的に不適格になっていることを意味しているのではないでしょうか。しかし、それでも子供たちは、やはり神に望まれてこの世に生まれ、この核の世でさえ生きていかねばならないのです。」

 

 

  こうして2コマ半日にも渡る、島の授業とその査察と参観とは、無事終了したようである。教室もこれで解散。出席の生徒たちは参観の保護者ともども、ヨシノら漁師の送迎船にて順次島を離れていく。

  テツオたちも一服するため喫茶室へと戻ってくる。キンゴとヨシノはパパのワタナベ医師とともに、安定ヨウ素の相談ごとに応じており、レイコは気分が悪いと早退し、ユリコはレイコの忘れ物を届けるために、彼女のあとを追って行った-ということだった。

 

  一方、理事長室ではタカノ氏と校長とが、査察に来た官僚と向き合っている。官僚は文科省の課長補佐で、国家Ⅰ種のキャリアらしいが、自分たちが責務を負うべき学校に適用させた20mSv問題を、あれだけ厳しく批判されたせいだろうか、授業内容にはいっさい触れず、始終ひきつった笑顔をつくり、この場を取り繕うとしていたようだが、やがて校長の剣道着が気になってきたらしい。

「ところでその服装とは、我が国の美しい伝統たる武術か何かを、されるのですかな?」

  校長は、ここはあえてニコやかに、笑って応える。

「いやナニ、これは大事な民族衣装で、私なりの愛国心のあらわれですよ。それに剣道は精神を鍛えるとされていますし、我が民族は何分にも思考なくして精神ありきの伝統ですしな。何でもただココロの問題にしようとする。気に入らない横綱にはココロの問題があるとするし、放射能もただココロの問題としようとしますな。」

  官僚は、少々顔をシカめたのだが、その頬には醜いほど品のないシワが刻まれ、そのうっすら開いた口の中には、ズラリ並んだ金歯が光る。

「ほほお、愛国心とは、学校長自らの殊勝なお言葉。ではことのついでに問いますが、御校に『教育勅語』は、ございますかな?」

教育勅語の備え付けは、法制化もされておらず、ましてや県の条例でも定めてませんが。」

  と、理事長タカノは反論するが、官僚は、しかし鼻先でセセラ笑う。

「あ、いや、それは勿論そうですよ。ただ、新憲法では、我が国は天皇を戴く国家であり、天皇陛下は我が国の元首ですから。元首が定めた勅語をですよ、まったく奉じないというのもねえ・・・。それに最近、私どもがあえて通達しなくても、忖度が板についたか自主的に勅語を奉じる学校がどんどん増えてきてましてね・・。御校はどうなっているのかなあ・・と、仮に尋ねてみたわけですよ。」

  官僚は権威の下にますます図に乗り、そのコケた両頬に十重二十重のシワをよせ、臭い口を全開に至らせて、これが彼のゴールデンスマイルなのか、威嚇のように金歯を二列にめぐらせる。

  ここで、藍色の剣道着のもとで腕組み、足を組んでいた校長。タカノの目線にサインを得たかと思いきや、“うむ”と一声、立ち上がる。

「これは失礼。勅語はたしかに大切に、木弾正がネズミに化けても奪えぬように(5)、弊職自ら密かにこちらに、安置しておりました。」

  と、戸棚の内より往来の巻物一巻(6)、取りいだし、教育勅語と名付けつつ、直立不動でうやうやしく、高らかに読み上げようと奉る。

「そぉれ、つらつら~、おもんみれば~、」

  すると、官僚、立ち上がって巻物を覗き見しようとする所を、校長サッと身をそむけ、見えないような体にして、巻物を両手に構えて向き直り、じりじりと押し開いては読み上げる。

「大恩教主の秋の月は、涅槃の雲に隠れ、生死長夜の永き夢、驚かすべき人もなし。ここに中頃、帝おわします。御名を聖武皇帝と申し奉る。最愛の夫人に別れ、追慕やみがたく、涕泣眼にあらく、涙玉を貫く思いを先路に翻し、上求菩提のため、盧舎那仏を建立し給う。」

  ここで官僚、もういいといった具合に片手を上げる。

「近頃殊勝の心ですな。教育勅語聴聞のうえは、何の疑いもあるべからずです。さりながら、ことのついでに問いますが、国歌と国旗はいかがですかな? 新憲法の第三条には、“国旗は日章旗とし、国歌は君が代とする。国民は国旗と国歌を尊重しなければならない。”とありますでしょオ! だから教育でも国歌と国旗を尊重せねば、憲法違反になるのではア?と、私なんかは思うのですがね・・・。」

  官僚は、どんより腐った両目を見開き、ニヤニヤと詰め寄るように笑うのだが、しかしこの時、木造校舎の老朽化した校内放送スピーカーから、少女の合唱みたいなものが聞こえてくる。

 

 バビヤールに記念碑はないが(7)、アウシュビッツには記念碑がある

 ARBEIT,MACHT,FREI、勤労は自由への道

 原子力、明るい未来のエネルギー(8)

 記念碑や少女像は目に見えても、放射能は目に見えない

 アウシュビッツは見えてはいたが、今はSvやBqの見えない所に収容される

 この国と国民の、見て見ぬフリの収容所

 みんなでナチのマネをしている

 鼻血が出ていない子はまだいるだろうか  

 せめて子供を、子供を救え!(9)

 

  官僚は、まったく聞こえぬフリをしている。

「・・・では、国旗の方はいかがですかな? 我が国のあの美しい日章旗は、この学校のいったいどこにあるのですかな?」

  すると、理事長室の窓の外、校庭の古いポールに、白色が見え隠れする黒い布地が、するすると上がっていくのが見えてくる。官僚も立ち上がり、窓辺にするするすり寄ると、完全に上がりきった黒い布地を、不審そうに眺めている。

  しかし、ここで風が吹き、垂れていた黒い布地が、空にハタめく瞬間がやってきた。黒地が横に広がって、“怨”の白字が浮かび上がると、やがてそれは真っ赤な血染めで描かれた“怨”の大きな一文字へと変わっていった。官僚が両目を凝らして見ているうちに、風はますます強まって、ついに血染めの“怨”の字は、血しぶきとなって官僚に向かって吹き飛び、バシャリとその面の皮へと張りついた。

 

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「ギャあああああ!!!」

  官僚は禽獣みたいな悲鳴を放って、廊下へと飛び出しては洗面所で面を洗う。そして血を流し去ったと改めて両手のひらを見つめてみると、血は再び結集して“怨”の血文字を浮き上がらせる。その血文字は、いくら何度も洗っても、都度よみがえってくるのだった。

「洗っても消えない! 洗っても消えない!(10)」

  官僚が狂ったようにバシャリバシャリと水を散らすと、ふと横に気配がする。そこには椅子に座った白い服の少女の像が確かにあった。少女は椅子に座ったまま、両手に拳を握りしめ、地の底から響くような低い声で、官僚に言葉を放つ。

「私は初めであり、終わりであり、死んだことはあるものの、また世々限りなく生きている。お前は生きているのは名ばかりで、実はすでに死んでいる(11)。」

  少女は官僚を指さして、炎のような瞳を見開き、凝視する。

「お前とお前に連なる者は、すべて虜になった者で、自らすすんで虜となり、あまりに多くの少女の私を殺したのだ。剣で人を殺す者は、自らも剣で殺されねばならない。」

「な、なにをウッ!」

  官僚はモップを取って少女に向かって斬りかかる。すると少女は二つに裂かれ、血しぶきを官僚にあびせかけると、そのまま二体に分裂しては立ち上がる。

「お前はお前が今やったように、私の肉と心を裂いた。私の同胞、私の姉妹、私の友人、彼女たちが流した血が、歴史の闇からお前の罪を告発しては叫んでいる。お前とお前に連なる者は、侵略地で、汚染地で、戦争の名の下で、経済の名の下で、少女の私の肉と心を裂いたのだ。」

「バ、バカを言え! 俺はただ、命令に従っただけだろうが。悪いのは俺じゃなく、俺に命じた上司だろ! 組織人なら命令に従うのは、むしろ組織人たる正当行為だ!」

「お前の悪事は“凡庸な悪、陳腐な悪”(12)の一言ですむようなものではない。むしろお前は組織人をいいことに、手にした刀の切れ味を試すみたいに己の権力を試そうと、あえてわざと楽しみながら、快感を味わいながら、最も無垢なる少女の命に手をかけたのだ。お前はすすんでやったのだ。自分の我欲で自らすすんでやったのだ!」

「バ、バケモノめッ、これでも喰らえ!」

  官僚はモップを振って振って振りまわし、少女を何度も斬りつける。少女は血しぶきを上げながら都度体を裂かれるが、二体、四体、八体と分裂を繰り返す。官僚は血まみれとなり、その身体のあちこちには“怨”の血文字が散りばめられる。

「洗っても消えない! 洗っても消えない!」

  官僚は木造校舎を飛び出して、林を突きぬけ、だれもいない浜へと至る。少女たちは着物の袖を羽ばたかせては飛翔して、官僚の頭上に追いつき飛んではまわる。少女たちの振る袖からは白い粉が舞い降りて、官僚へと降りかかる。

「これはお前たちが私にあびせた死の灰だ。」

  官僚は上着をはいで、宙に向かって振りまわし、灰を必死に払っている。少女たちはその口を真っ黒に大きく開くと、口からも白い粉をあびせかけては、官僚を死の灰でその首に至るまで埋めつくす。そして“怨”の血文字はここですべて結集し、一つの大きな“怨の字”を形作って、死の灰の雪だるまとなった官僚の表面に、再び大きく浮かび上がる。

「お前たちの拠り所とは、権力である。お前とお前に連なる者は、この権力のもと少女の私の肉と心を裂いたのだ。そして今や私たちは、お前たちが定めている20mSvや100Bqの環境で、教育を受けさせられる。お前たちはこの権力のもと、私たちを安全な所で教育する義務と責務があるのではないのか? なぜお前たちはこの国の子供たちを守らないのか? お前たちの言う愛国心とは何なのか? 子供たちに20mSvをあびせかけ、100Bqまで食べさせているお前たちの愛国心とは何なのか?」

  少女たちは舞い降りると、首まで白く埋もれている官僚を取り囲み、両手を上げて印をむすぶ。すると雪だるまの“怨の字”は、ここで大きな炎となって、官僚の焼き上げにかかるのだった。

「ギャアアアア!!!」

  官僚は全力で白粉の雪だるまから脱出し、少女の囲いの外に出て、海へザブンと飛び込んだ。そして気を失っていたところを、船で迎えにやって来たヨシノのパパに助けられた・・・。

  こうして、官僚の査察は終わった。

  しかし、事はこれで済みそうもない。自分の授業のビデオ撮りをやっていたキンゴのパパのワタナベ医師が、少女たちこそ見えなかったが、官僚がモップを振って浜を走って海へと飛び込む一部始終を、ついでにビデオに撮っていたのだ。パパはそれを息子のキンゴに手渡して、キンゴはそれで、これは最近ネットを賑わしている、動画を面白おかしく編集しては、それに勝手に音楽をつけては楽しむBGM選手権に、応募できると思ったみたいだ。

 

*  *  *  *  *  *  *  *  *  *  *  *  *  

 

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  -先生に忘れ物を届けると校舎を飛び出してきた私は、家で着替えをすませてそのまま先生のお宅に赴き、今、レイコさん宅のガーデンに通されて、家から庭へと突き出した菩提樹がさしかかるオープンデッキで、テーブル席につきながら、レイコさんがいれてくれたハーブティーを、二人で一緒にたしなんでいる。

  ガーデンのデッキの正面、私たちの目の前には、ビオラとパンジーの群生が黄や青、紫色に映えていて、その後ろにはツツジとツバキの茂みがあって、緑の葉の間に赤々と花々を咲かせている。その茂みを経た逆U字形のアーチの門は、バラの花で覆われて、ピンクに白、赤にブラウン、黄にパープルと実にあでやか。またそれらに合わせてクレマチスも紅白色に点在しては花を咲かせて、その門を潜っていった所には、小さな池が横たわっているのが見える。

「夏になるとね・・、この池からはハスの花が咲くと思うの。ハスってとても神秘的よ。福岡城の堀に咲く赤や白のハスを見て、いつかはハスを咲かせたいと、思っていたのね・・・。」

  レイコさんはお花をじっと見つめながら、口元にティーカップを、そっとよせる。

そして彼女は、やがてやや影のある口調ながら、ゆっくりと話しはじめた。

「今日、大勢の参観日だったでしょう。私は以前、あれくらいの生徒たちの担任をやっていたのよ。

  でも、あなたもよく知っているように、原発事故の直後から、そして改憲国防軍新設の後はいっそう、生徒たちの軍隊への勧誘が、強く、露骨に、かつ組織的に、学校あげてなされるようになってきた。

  誘導される生徒たちは似かよっていて、あまり生活が豊かではなく、俗にいう“成績の良くない子”?本当はそんな子なんていないのにね・・。そんな成績の良くない子たちが学力テストでわざと作られ、軍隊へと狙われていく。その子たちが自分の未来にどんな希望を持つにせよ、頻繁に繰り返される学力テストで点数が低いことを口実に劣等感を植えつけといて、また、進学には多額の費用がかかってくると進路指導で親子ともども説き伏せれば、だれでも進路に軍隊を考えるようになってしまう。その上、外堀内堀埋めるみたいに、学校、コンビニ、鉄道駅舎と、至る所にアニメまがいの軽々しい軍隊勧誘ポスターを張り巡らせて、“I WANT YOU!”みたいな調子で囲い込めば、それら当座の圧力から逃れようとするだけでも軍隊に入ろうとする子が出てきてしまう。行政と学校は担任に圧力をかけ、そうした子たちを作り出そうと暗黙のノルマを課す。私は担任だったけど、そういうのにはサボタージュを重ねていた・・・。」

  私は校長先生からは、こうした話を聞いてはいたが、レイコさんの口から直接、こんな話を聞かされるのは初めてだった。先生のモノローグは、徐々に声もかすれていく。

「でも、そしたら間もなく担任をはずされて、部活の顧問もやめさせられ、三年進級も止められた。同僚からは疎遠にされるし、自分の居場所もなくされていく・・・。

  結局、私は辞めてしまった・・・。でも、最近はこう思うのよ。あのまま担任に留まれば、特に目をつけ狙われた生徒たちを、軍隊送りから救えたんじゃないだろうかと。全員は無理だとしても、何人かは軍隊からはずせたんじゃないだろうかと。一年、二年、三年生の、そんな子たちの、男の子も女の子も、顔が今でも目に浮かぶのよ・・。三年生に上がる前に、私のクラスに入りたいっていう子たちが、集団で職員室に押しかけて来てくれた。“先生、どうして先生だけが三年進級されないのですか!?”って、職員室中に聞こえるような大きな声で、あの子たちは抗議の意思を示してくれた。皆、よく知っているのよ。私のクラスの生徒だけが、一人も軍に行かなかったということを。でも、もう私は、応えることができなかった・・・。」

  レイコさんはここまで話すと、これを最後にこの話を続けることはできないようだ。彼女は飲みさしのハーブティーを前にして、祈るように手を組んだまま、私の方へと頭を垂れてうつむいている。

  菩提樹の木漏れ日からの陰翳が、彼女の顔から生気のないほの白さを、浮かび上がらせているようだ。やがて彼女は向きを変え、自分がつくったガーデンの花々へと視線を移して、私にはその横顔が向けられる。・・・憂いを帯びたレイコさんのその横顔・・・メイクが落とされた分だけいっそう、地肌の綺麗さが浮き上がり、その淡い白さが今までのモノローグの哀調で裏打ちされて、私には血も騒ぐほど美しく見えてくる。

  私はしばらく、黙ってしまったレイコさんを前にしながら、たとえ抵抗したとしても、職業的には子供たちを戦場に送ったという罪を負うべき側にいたこの人が、戦死者の子である私に対して、こんな懺悔めいた話をしたその意味を考えた。彼女は私に、自分への同情をこうているのか。悲劇のヒロインを演じれるのは、まだ他にもいるというのに。それとも彼女は、自分の罪は洗っても消えないという、自覚のあるマクベス夫人か・・・。以前の私であるならば、そんな見方もできただろう。私は何より“怨”に生き、人間-特に大人の偽善と欺瞞は許さないから・・。だが、今の私はもう、このレイコさんを前にして、そんな気持ちは微塵もなかった・・・。

  レイコさんは、私が戦死者の子であることを知っていて、はじめて担任してくれたその日から、ずっと考えていたのだろう。いつかは私とこうした話をしなければならないということを。そしてこのことが彼女と私の障壁となり、お互いに苦しい思いをし合っていたということも。そして彼女は何とかして、自分の方から私に心を開きたいと、そして教師としても人としても私ときちんと向き合いたいと、ずっと願っていたのだろう。私は彼女の今までの言動の節々からも、そのことを推察することができる。そして今日の参観の日をもって、やや唐突かもしれないが、一人で後を追ってきた私に、ついに告白したのだろう。しかし彼女はここまで言うのが、きっと精一杯だったのだ・・・。

 

  風が、風が菩提樹の木漏れ日からの葉の音を揺らせている。そして彼女のウェーブがかった黒髪が、その頬にわずかに波打つのが見える。

 

  私は、いまだテーブルに置かれたままの、彼女の祈るように組まれた両手に、そっと自分の手を重ねた・・・。レイコさんは、一瞬やや驚いたようにも見えたのだが・・、やがてその黒い目は、私に対して慈愛のこもった眼差しへと移っていくのが見て取れたので、これで私も勇気が持てた。

「先生・・・、こうして島で私たちが出会えたのも、何かの因縁なのでしょう。でも、私は、こんな因縁がなかったとしても、私たちの互いの置かれた境遇に何もなく、ただ純粋に、レイコさんとユリコとが、あなたと私が出会っていたのだとしても、私は人としてあなたを愛し、尊敬したと思います。」

  私は言った。は落ち、時は止まった(13)。これがここまで勇気を出して話してくれた、レイコさんへの私からの答礼であり、また同時に以前から抱いていた、この人への私自身の思いであった。

 

  風はやみ、日はそのまま、鳥も虫も、その声は聞こえてこない。レイコさんは私にその手を握られたまま、じっと私の目を見つめる。黒く澄んだその両目は、一瞬大きく見開いたようだったが、やがては深い、漆のような優しさのある眼光を、私に向かって放ちはじめているのがわかる・・・。

  一瞬、ティーカップのカチャリという音が聞こえて、レイコさんは立ち上がろうとするようだが、私の手を握り返して、私にも立ち上がるのをうながしているようだった。

  私も彼女が導くままに立ち上がった。背にした菩提樹からの陰翳が私たち二人を覆って、私はなぜかこの菩提樹に、見守られているような気持ちがしてくる。

  レイコさんと向き合うのが、とても長く感じられ、私は恥ずかしくもなり、また自信もなくなり、ついうつむき加減になってしまう・・・。そしてそんな私の視界に、彼女の細い足先がかすかな音を立てながら、ゆっくりと入ってきた。

 

  つぎの瞬間、私は吸い上げられるかのように、たしかに抱かれた!

  “ハァッ!”思わず息が吸い込まれ、言葉にならない声があがる。二本の腕が私を抱き上げ、胸が押しつけられていく。熱い、熱い。熱いくらいに、温かい・・・。ああ、何て温かいのだろう。この温もりを身に沁みこませ、ここで私は目を見開く。菩提樹の木陰をこえて、空が、空が、たしかに見える。光、光。まばゆいばかりに輝く光に、思わず目がくらんでしまいそう・・。風が、風が、吹き出したのか、あの人の黒髪が私の頬にも波打ってくる。

  針はもどり、時は再び動きはじめる。私も自分の両手をまわして、精一杯あの人を抱きしめかえす。あの人の黒髪は私の鼻先、風をよぎってそよいでくる。私はあの人の首筋に自分の頬をこすりつけ、あの人の匂いをさがし求める。髪のはえぎわ、首筋の襟元から立ちのぼる花のような香りがする・・・。ああこれが、あの人の匂いなのか・・。私は大きく息を吸い込み、あの人の生きた気を詰め込もうとするのだった。

  そして私は、抱かれた体の節々から、何かが流れ込んでくるのを感じる。それは川の水が乾ききってひび割れた大地をなめて渡るように、私の孤独を、日のあたらない地下の墓場に滴り落ちる血のようだった私の孤独を、つぎつぎと潤しては、川の水藻も生き吹き返すほど十分に、新たな命を授けていく。そればかりか、今や私の命にまで、何か光輝くものが、堰を切ったかのように流れてくる。まるで川底にある砂金の粒子が、日の光を反射しながら、キラキラと煌めくように、そしてその煌めく粒子はつぎつぎと私を満たして、今や私の内側から、かえって空(くう)に光を放つ。それは無垢なる光、純なる光。ついに光が私のもとへと届けられ、また私の内から発散される。喜び、よろこび、ああ、何というよろこびだろうか・・・。

 

 

  私は空を仰ぎ見る。光が七色に輝きわたり、空一面が、まるで大きな虹のよう・・・。それは私の涙に日がさして、涙が光のプリズムとなり、分光したせいなのだろうか・・・。

  ああ、それでも、私は言葉が欲しいと思うのだ。今までこれだけ人の言葉に騙されて、裏切られてきたというのに・・・。

  でも、欲しいの! あの人が私を愛しているという確かな証が欲しいのよ。言って、言って! あなたも私を愛しているって! 教え子たちの一人ではなく、人としてのこの私自身を愛しているって。あなたの言葉なら信じられる。ああ、何て私は、業の深い人間なのか。でも、こたえて、こたえて! だって私も言ったのだから。私はあの人の首筋に鼻を押しつけ、その白いうなじに、口づけをし続けた・・・。

  やがて言葉が、言葉がゆっくり聞こえてくる。最初は心から心へと、そして次には私の耳へと、音声として伝えられる・・・。“ユリコ、ユリコ。わたしもずっとあなたのことを愛していました。そしてこれから先もずっとそのまま、わたしはあなたを愛し続ける・・・。”

  原初の揺り籠・・・その揺れる波紋が織りなすように響いてくるあの人の声・・・。そしてあの人は私の後ろ髪へと手をやって、もっと強く抱きしめてくれるのだった・・・。

 

  レイコさん宅をあとにしようとする私・・・。レイコさんは玄関を出て、ガーデンの垣根を越えて敷地の外までさしかかる菩提樹に身をよせながら、ずっと私を見送ってくれていた・・・。

  私は今、来た道を帰りながら、抱かれた時に胸に聞こえた、あの人の呼吸の音を反芻している。それは遠い向こうの、この島をめぐる波の音と、何か共鳴しあうように、私には聞こえてくる。

  私は永い間、渡り鳥のようにさがしていた、心の宿り樹、泊まり樹を、ようやく見つけたような気がした。ここに永久に、やすらぎを得られるところが、あるような気がした。しばらくの間、いや、これから先、望む時にはいつだって、私はここで時を過ごそう。とても優しく、穏やかで、平和な時が、あの人から私に移され、私はそして私の中に、いつでもこれを復活させることができる・・・。