こども革命独立国

僕たちの「こども革命独立国」は、僕たちの卒業を機に小説となる。

第二十三章その2

  家に帰ると、私は急いで入浴して身を温め、行者の正装-白装束に着替えると、伝法灌頂の儀にそなえて、参籠行のお堂に入る。

  そして蓮華坐像の仏像のもと、灌頂壇を整えると、そこで静かに坐しながら、師僧のオバアの到来を待つ。

  やがてオバアは、麻の浄依に野袴の私と同じ行者姿で、キャラの煙とともにあらわれ、私たちは灌頂壇をはさんだ形で、結跏趺坐にて静かに向き合う。

  そして私たちは伝法灌頂の儀をつつがなく終え、ともあれ私は、これで結願、満行となり、当代ノロを無事オバアに返還することができた。

初めてオバアに会った日と同じく、お堂の中にはキャラの煙と香りとがたちこめて、灌頂壇の蝋燭の火がゆらゆらとまたたいているのが見える。

  もしかして、オバアは、私がこの時間に帰ってくるのを、待ってくれていたかもしれない・・。

 

  そしてオバアは、うつむき加減の私に向かって、おごそかに口を開いた。

「ところで、ユリコ・・。お前は今日、他人のカルマに干渉するな-との禁制を破っただろ。」

  私はもう言い訳せず、破門を覚悟で、ひれ伏して謝った。

  だが意外にも、ここでオバアの表情は少し緩んだかに見えた。

「案ずるな。オレはお前を叱るのではない。お前の行為は愛にもとづくものであり、愛はもとより何の非難もあたらない。それどころか、お前は自身の考えで、修行の意図を柔軟に解釈し、レイコそしてテツオへの愛のため、自ら捨身を行ったとも言えるのだ。

  もってこの満行の日に、お前のこの島での修行は、完成されたとさえ言える。」

  それを聞き、私は心底ほっとしたが・・、でも、ということは、すべて見られていたってこと?・・

「案ずるな。お前自身のプライバシーは、何ら侵害されてはいない。ただオレは、長きに渡る修行の効果で、お前の考えていることが概ね読める。差し出がましいことではあるが、あえてそれを口にするのを許してもらえば、お前はレイコを救いたいとの一心で、彼女の怨を自ら背負うとしたのだろう。」

  ゆっくりとうなずいている私を前に、オバアは続ける。

「だが、お前もすでに知るように、“怨”とはすなわち“愛”でもある。人間界の不条理で弱い者が虐げられる-これに対する怨念は、それだけ愛が深いから生まれてくるものなのだ。

  だからお前が背負ったレイコの怨は、同時に彼女の愛であり、それゆえお前は、今この上ない至福の境地に満たされているのである。

  もし、お前たち新しいヒトの種に、後世、再び『創世記』が記される時、お前が食べた“怨の実”がどのように表現されるか-、それはオレにはまだ分からないがな・・。」

  オバアがここでやや笑ったので、私もようやく笑顔になれた。

「さて、ユリコ。お前は今日、恩師であるレイコのもとを卒業し、また、師僧であるオレのもとも卒業する。そこでお前は、これよりオレの最後の授業-というか最後の説法を受けねばならない。

もとより不立文字と言われるように、修行に言葉は伝わらない。だが、お前とオレとでまとまった話ができるのは、おそらくこれが最後である。だから、ここは言葉で伝法することにする。

  ユリコ、お前は以前より、“生と死”について知りたいと言っていたので、今からオレはそれをテーマに話そうと思うのだが、どうか?」

  それは私にとっては、まさに我が意を得たことだった。

「オバア、有難うございます。私は父の死以降、未だその死を克服できず、納得できず、受け入れることができないでいるのです。それは父の“戦死”という不条理にもよりますが、同時にまた、“生と死”そのものに対する私の問題意識にもよります。

  私は父の死を経験し、実際に葬儀も納骨も終えましたが、未だ私には父の死の実感そのものがないのです。そして私は、それが特に自分の性格や精神の異常によるものとも思えません。

  私はこの島で行者の行を行いながら、また多くの本を読みながら、ずっと考え続けてきましたが、今の私には、生と死はともすると分けることなどできないのでは-と思うようにもなりました。

  しかし、ではなぜそのように思うのか-という話になると、これは正直、私には依然として分からず、人に説明できるものではないのです・・。」

  私はここまで言ってしまうと、あとは是非にとお願いして、拝聴の姿勢を正した。

  オバアは私のこの発言に、-その気持ちはよく分かる-といった感じで深くうなずき、やがてゆっくりとした静かな口調で話しはじめる。

 

「もとより、“生死事大”といわれるように、生死は仏道修行の極みである。しかし、今からオレが話すのは、仏道の教義のようなものではなく、オレの実体験にもとづくものだ。

  お前たちがこの島に来て、お前をノロに立てるまで、この島では何代もの女たちがノロを継ぎ、オレが当代のノロだった。

  オレがこの超高齢に至るまでこの島のノロであり続けたのは、ある夜-“この核の世に、やがてこの嘉南の島を約束の地としてやって来る、ヒトの種を継ぐ子供たちがあらわれる”との、お大師様の夢告のためであったのだ。それで現にお前たちがやって来たので、結果的にオレがノロをやっていてよかったとは思うのだが、実はオレには後継者と目していた実の娘がいたのである。

  それはオレの長きに渡る人生で生んできた娘の一人で、彼女はお前と似て勘がよく、オレはこれで血筋を守れた後継者にめぐまれたと、本人の意思をも踏まえず、今から思えば傲慢にもエリート教育さながらに教義と修行を押しつけた。だが彼女は、歩く行を通しながらあくまで足で考えるお前と違って、頭で思うタイプであり、それで修行をめぐる路線の違いか、似たもの同士の親子のサガか、あるいは何よりオレの未熟のせいなのか、やがてオレに反発するようになり、ちょうど今のお前の年頃にオレのもとを出て行った。

  当時のオレは、己の不甲斐なさを棚に上げ、実の娘に裏切られたと、彼女に怒り、彼女を呪ったものである。しかし、あの子もオレとよく似た我儘な所があったにせよ、所詮これは子供の意思と人格を省みない親の身勝手というもので、あの子にも相応の言い分があったと思う。

  彼女はオレの家を出てからは父のもとで養われ、学校を出て、その父の伝手もあってある商社に就職し、自立した社会人となったので、それを期にオレたち二人は和解をした。それで彼女とはしばらくの間ふつうの親子関係が続いていたが、それが彼女が適齢期となった頃、今度は見合いやら結婚やらをめぐってまたケンカとなり、それで二人の確執は修復できないとも思われた。」

  私はオバアの話-初めてしてくれた個人的な身の上話-を聞きながら、今まで疑問に思っていたことを、この際聞いておこうと思った。

「オバア、お話の途中で何ですが、少し質問させてもらっても、いいですか?」

「おう、途中であれ何であれ、何なりと聞くがよい。」

「あの・・、その娘さんって、オバアの多くの娘たちの一人ということですが・・。お父さんは、今のオジイなのですか・・?」

  オバアはここで笑いつつ、-もう話してもいいか-みたいな顔になると、話をつづける。

「いや、あの子の父は別の男だ。実はオレは相当に長生きしたので、その分男も文字どおり色々いた。

  というか、この島のノロというのは、島の女しか継げないので、女の子を生まないと途絶えてしまう懸念があり、また、ただ女であればよいわけでなく、行者としての適性も必要だし、仮にノロをつとめたとしても、島を出たり、結婚したり、就職したりと色々だから、多めに生んでおくのがいいのであって、そのためでもあったのだ。

  それであの子の父親とは、ある商社マンだったのだが、愛情深い人ではあったが、我儘で人の意思を省みない所があって、まあ、それは人間だれしも同じことだが、もとよりキリスト教徒である彼が、オレが島に帰ってノロを継ぐのを認めようとしなかったので、結局オレは離婚した。それで彼女は、適齢期を気にし出したオレに向かって、長年のオレに対する不満も込めて、そんな二人の親のせいで結婚にトラウマが植えつけられ、自分が結婚できないのだと言い張ったので、オレは-いい歳をして何を今さら親のせいに!-と、怒りに怒ってケンカして、それで絶縁状態になってしまった。

  ちなみに、オレがここまで長生きをしているのは、これはオレが“終身ノロ”だからでもあるのだが、これは後ほど話すとしよう。」

  オバアはここで、本題へと話を戻す。

 

「それからは時おり娘と会うこともあり、それなりに音信はあるなかで歳月だけが過ぎていった。

ところが、ある夏の日、彼女の方から連絡があり、風呂場で多量の不正出血があったという。オレは直ちに返信をして、とにかく早く医者に行けと、その後も何度も言ったのだが・・、彼女は3か月後の冬になってようやく精密検査を受けたのだった。

  オレはひたすら良性を祈ったが、結果は悪性。子宮体がんとのことだった。

  オレはそして、ある冬の日、入院中の彼女を見舞いに、久々に関西の地へと渡った。

  そこは喫茶店やらレストランやらミニコンサート空間やらが設けられた今風の大病院で、7階の4人部屋に娘はいた。

  50歳を迎えた娘は、ピンク色のジャージ姿で、ショートボブの黒髪に大きな目の丸顔で、実年齢より若く見えた。彼女は難なく歩けているので、オレは意外と元気じゃないかと言ったのだが・・、すでに彼女の下腹部には大きな腫瘍ができており、彼女はそれを、-まるで悪魔を宿しているようで、ウニのトゲが腹の中から刺さるような痛みがある-と表現した。

  彼女は不安をたたえた表情で手術室へと入って行ったが、8時間にも及ぶ大手術の末、その2kgにも及ぶ悪性腫瘍は、すでに転移していたものも含めてすべて取り出すことができた。執刀医は手術後に、その赤黒い腫瘍の塊を見せてくれたが、たしかにそれは悪魔のようなものだった。それに、手術後の検査で判明したのは、非常に稀だが極めて悪質ながん-とのことだった。

  手術に立ち会ったのは、オレの他にはオレの妹-娘にとっては叔母と、オレの男の子のうち一人-娘にとっては兄、そして彼女の会社の上司だった。集中治療室での面会が許されて、オレたちは酸素マスクに覆われた彼女に会えたが、彼女が父親そっくりの目でオレたちに、-手術は無事乗り切ったよ、みんな有難う!-と、感謝の念を送っているのがよく分かった。

  しかし、すでにがんの経験のある者がよく言うように、問題は手術後の抗がん剤治療だった。

  外科手術で主な腫瘍を切ったあとは、これから転移や再発してくるがん細胞をその都度切り出すのは無理だから、抗がん剤治療に移る-これががん治療の標準コースであるようだ。だが、その抗がん剤そのものが、人間の細胞すべてを攻撃するもので、がん細胞が他の正常な細胞に比べて細胞分裂が速いという理由で比較的多くやっつけられるという性質のものである以上、当然正常細胞に対するダメージはあるわけで、いわゆるその副作用が問題なのだ。それでその副作用には当然個人差というものがあり、娘の場合は、それが生存を左右するほど耐えられないものだった。

  彼女はある時、オレへの携帯メールにて、-もう気が狂いそう、だれか代わって!-と意味深なことを言ってきたので、オレは見舞いに行ったのだが、彼女はオレにこう言った。

「立ち上がっただけでもトイレに向かって、すぐに吐く。この一週間、風呂にも入れず、食事もろくなものがない!」

  抗がん剤には様々な組み合わせというものがあり、彼女の場合も多くの患者と同様に標準治療が適用されていたのだが、その他のものを使用しても効果があるのか、副作用はどうなのかも分からない。だが娘が、比較的耐えやすいとされているこの標準治療においてさえもこうなのだから、組み合わせを変えたとしてもあまり希望はないと思えた。

  しかし、ちょうどその頃、開発されたばかりの新薬が紹介されて、“これはよく効く”と医者は言う。その新薬の適用には詳細な検査が必要とのことで、彼女もオレもその検査に同意し、検査結果を待つ間、オレはこの新薬をも含めて、治療法全般を詳しく調査することにした。」

  オバアは食い入るように聞いている私に対して、-姿勢を崩して楽にしてよい-と指示をされ、また、お茶もいっしょにいれてくれた。オバアのお茶は、いつもとてもおいしかった。

  お茶のあと、オバアは再び語りつづける。

 

「一般的に患者には、それが歯の根幹治療のようなものからがん等の重篤な病は特に、伴走者が必要だ。なぜならそれは、一人だけの闘病は本人に過酷なことと、医者に対して二人で当たるためである。

オレは絶対に医者任せにしてはダメだと思う。なぜなら医者は人間だから、信用できるかできないかを慎重に見極める必要があるからだ。それで、患者が自ら勉強することにより、自分の症状を本人が的確にとらえ、医者ときちんと相談のうえ、適切な治療を選択するのと、もし医者が勉強していないのを見破ったのなら、自分に合ったいい医者を見つけることが求められると思うのだ。

  患者本人に勉強せよとだけ言っても、がんの宣告を受け頭が真っ白になった者にとっては酷であり、それゆえ本人の症状から、選択されるべき治療法、薬の適用可能性とその副作用の想定、およびいい病院の選択から保険申請等に至るまで、そこは伴走者が調査して本人に報告する、つまり伴走者は患者本人にとってのよき参謀とならねばならない。

  だからオレは、来る日も来る日もネットに向かい、近隣の大学含めすべての図書館、そして専門書店での立ち読みも含めて、娘にとって望ましいと思えるような様々な治療法とそのエビデンスの確からしさ、そしてともすればこの“希望の新薬”とも言えるものを徹底的に調査した。

  面白いことに、オレのような素人でも、調べていくうちに次々と思考がはたらき、専門用語だらけの医学関係のものであっても、それなりに理解はできるようになる。いや、もうこっちは“命が掛かっている”のだから、医者以上に真剣必死に考えて調べつくすものである。そのなかで非常に参考になったのは、意外と週刊誌の情報と、やはりインターネットだった。なぜなら、専門書や学術書には、ノーベル賞ものだの何だのとキレイゴトばかりが書いてあるのも少なくないし、臨床試験や治験にしても一番都合のいいデータしか載せてないのもあるからだ。

  この新薬には、他の医薬品と同様に、副作用-しかも極めて重篤な副作用-があったのだった。

そこには、いくら確率は低いとはいえ、がん以上に口にするのも恐ろしい全身疾患などがあり、オレはこの時冷静に、-ともすれば死に至る人間がまともに死にさえ向き合えなくなる、つまりこの薬のせいで病死らしく死ねる者もまともに死ねなくなるのでは-と、心の底から恐怖を感じた。

しかも、この薬が“効く”とはいえ、臨床試験での生存曲線をよく見ても、せいぜいよくて数ヶ月間延命できたに過ぎない事例も少なくなく、それでも医学界ではこれを“薬が効く”と表現するらしいこともオレは知った。

  それに、当時この何千万もする新薬が保険適用されているのかどうなのかが、オレにはまだ分からなかった。もし保険が適用されてなければ、確率は低いとはいえ恐ろしい副作用を覚悟しながら、何千万も払ったうえで、果たして本当に“よく効く”のかどうかも分からないこの新薬をお試しに適用してみることになる・・・娘がそれを承知したうえで、それでもこの新薬に生きる望みをつなぎたいと言うのであれば、娘が生きるかどうかも怪しいのに、オレは先祖代々受け継いだこの島を売り払ってもカネを工面せねばならないのか・・・、オレは風呂や床で独りになる時、そのことを考えると本当に“気が狂う”思いがした。

  それと同時に、オレはこの時初めて“カネがないから病院に行けず、また家族に迷惑かけたくないからそれすら口にできない”という苦しみと悔しさとを、身をもって知ったのだった・・。」

  オバアは当時を思うように苦しい表情を受けべた後、さらに、オレが思う所の一般論のようなものだが-とことわって、次のことを述べたのだった。

「また、いくら研究開発費がかさむとはいえ、それが企業秘密のヴェールに隠されたまま、一生分の稼ぎに近い何千万円もかかる薬が出回るということ自体、おかしいと思わないか。

  これは、生きるためにはワラをもつかみたい患者や家族の心理につけこんだ悪質商法の一つではないのだろうか。

  そうした現実に立ったうえで、何億も何百億も儲けている製薬会社や学者たちは、これが人間界の資本の倫理で、優秀な研究者が必要だから-などとほざいても、やがては相応の報いを受けることになるだろうとオレは思う。

  それに、こんな環境・食糧汚染の世の中で、今後ますます増え続ける様々な疾患のなか、こうした超高額医薬品が保険適用されることで、国民-特に貧困層-はますます高い保険料を徴収され、しかも保険制度そのものが崩壊しかねず、外国資本が製薬利権とタッグを組んで、それを狙っていることも想定されるとオレは思う。」

  そしてオバアは、話を再びもとへと戻す。

「しかし、この新薬の適用を判断する検査は、また非常に低い確率のなか“陽性”つまり適用化となり、オレは自分の調査結果の分厚いファイルと、重い頭を抱えながら、すでに抗がん剤投与時だけ入院し、それ以外は自宅で療養し続けている娘を見舞いに、関西にある彼女の自宅に向かって行った。

  そこは、彼女の父-つまり、かつての夫と過ごしたオレの家でもあったのだが、既に亡くなっていた彼から娘が引き継ぎ住んでいたあるマンションの一室だった。彼女は室内すべてを改装して、まるで田舎の小さな教会か、品のいい喫茶店かと思われるほど部屋は綺麗にリフォームされて、それは彼女の父の趣味そのものが反映されたようにも思えた。部屋の一つは、教室に通いつつ素人の楽団にも所属していた彼女のバイオリン練習用にあてられて、そこには彼女が直前まで練習していたベートーベンの交響曲第7番の譜面もあった。

  それだけではない。何とそこには、彼女が無事に結願した四国遍路の、同じ歩き遍路仲間たちとの記念写真も飾られていたのだった。

  オレはこの時、初めてあの子の本当の思いを知った気がした。あの子はやはり、その父と母の血を明確に受け継いでいて、父のはもちろん、母であるオレのも相当、受け継いでいたのである。だからこそあの子は、あれほど辛い歩き遍路を結願したのだ。実はあの子の入院中、オレが席にいた時も、何人ものお見舞いが来てくれて、その中にはこの歩き遍路仲間も来て下さり、あの子の死後は多くのお手紙をも頂き、その中には有難くも般若心経の写経もあった。あの子はオレとは違って人付き合いがよかったらしく、その他にも友人たちや、会社の人たち、楽団の人たちと多くのお見舞いがあったほどだ。

  これは真に、返す返すも有難いことであり、オレも感謝しているし、あの子も同じだと思う。

  それで、オレと会った療養中の娘というのは、抗がん剤で顔はむくんで頬には産毛が生えており、髪が薄くなっていたために毛糸の帽子を被っていたが、それほど大きな外見上の変化はなかった。

  そしてオレは、この間に調べ上げた治療法や、新薬の実態をまずは知ってもらおうと、テーブルにて彼女と向き合い、ファイルを広げて説明をしはじめた。

  それでオレが、彼女がこの新薬を適用するか否かの判断ができるようにと、想定される副作用の数々を説明しようとしたその時、彼女は、-もういいから!-といった感じで手を振って遮った。

  そしてあの子は、この時オレに対して初めて涙を浮かべながら、こう言ったのだった。

「こんな短い期間内に、ここまで詳しく調べてくれた・・。そんなことをしてくれたのは、お母さんだけだった・・。あの病院中の医者でさえ、ここまで詳しく知る人は他にいません。ありがとう。もうそれだけで十分です。

  実は私は、もう抗がん剤治療そのものを打ち切ることを決めていました。だから今日は、もしそれに反対されたらどうしようと思っていたほど・・。

  私には分かるのです。何回か抗がん剤を入れられたけど、もう私には耐性ができてしまって効くことはないと。それにこのまま抗がん剤など入れ続ければ、かえって私は廃人になってしまうと・・。」

  オレはもちろん、あくまで本人の意思が大事と、彼女の意見に沿うと答えた。彼女は一応この新薬につきオレの感想を求めたので、オレは-自分が患者ならこの薬は使わない-と断言し、彼女はそれを了解した。オレはもう副作用のことさえ聞けない彼女にはあまりに酷で詳細な説明は避けたものの、もしこの新薬を使用しても、今のがんが消失に向かうなど回復傾向に行くよりも、せいぜい余命が少し伸びるだけで、そのうえ本人の意思さえもまともでなくなるような恐ろしい副作用がある可能性の方が否定できないと判断して、彼女にこう述べたのだった。

  オレが新薬やその他の治療法などを調べていたのと並行して、彼女は彼女で、温熱療法や食事療法等いわゆる自然療法や民間療法を調べていて、すでに実践しているとのことだった。そして彼女はその時も涙ぐんで、-私だって、涙ぐましい努力をしている-と言ったのだった。

  それで翌日、医者からの前回のがんの検査結果と今後の治療方針などを聞くため、オレたち二人は病院へと向かって行った。

  席上で医者は、様々な検査画面をクリックしては回転させつつ見せながら、すでに再発したがんは横ばい状態であり続けていること、および、今回新たに脾臓にも転移していることを告げた。

  新たな転移を知った娘は、それがよほどのショックらしく、声と身とを震わせながら、その場でうずくまってしまうかに見えた。

  それで医者は、今後の治療方針として、新薬については(保険適用となってはいたが、おそらく医学界でも副作用と使用例が未だ少ない現状ゆえに慎重を要する旨の通知があったと思われる)ひとまず見送り、従来の抗がん剤による標準治療を続けると述べたのだが、医者がまたしてもこの新薬を“とってもよく効く薬ですよォ”と言ったので、オレはついに頭にきて、ファイルからネットで調べたコピーを取り出し見せながら、こう言った。

「先生、あなたは今再び“よく効く薬”と言いましたが、このがんの部位別ごとの生存曲線ひとつを見ても、せいぜい余命が数ヶ月伸びたに過ぎないのも多く、また、その割には致命的な副作用も少なくない。あなたはこれを知った上で、患者に対して“よく効く”などと言うのですか? それにあなたはこの前この新薬の話をした際、これら副作用について説明をしましたか? これらに関してこの病院のがん薬物療法の責任者は、どのような評価をしているのですか? それでなぜ私の娘のような末期のがん患者に対して、この新薬を適用しようとされたのか、明確に説明をして下さい。」

  しかし、医者は、オレのこの質問に、-私は知りません、知りません!-と、まるでスピッツみたいに連呼するだけ、まったく話にならなかった。

  もしこの新薬を使用して、娘のがんに対してはどこまで効くかもわからないのに、確率が低いとはいえ重篤な副作用が生じた場合、この状態でだれが責任を取るというのか。そこは患者の個人差ゆえに仕方がない-で済むのだろうか。少なくともこの医者のもとでの、新薬の適用はあり得なかった。

  だが、オレの横でうつむいていた娘は、転移のショックがあまりにひどく、もう新薬どころではない様子だったのだが、抗がん剤治療は副作用が激しすぎて辞めます-と、この日で最も肝心なことを告げ終わると、ここで自分の余命を尋ねてみる気になったようだ。

  すると医者は、-もってあと1年です-と返事をした。

  薬の説明さえできないのに、どうして余命の宣告ができるというのか。

  オレは医者の目をじっと睨んで、ただ-お前の目はいったい何を見てるのか?-との念を込めた。」

  このオバアの話を聞くうちに、私までもとても腹が立ってきた。

「オバア。その医者って、本当にひどい医者ですね。呪ってやりたいぐらいです。」

  しかし、オバアはこれを遮るようにこう答えた。

「いや。こうしてオレの方からの話だけを聞いていると、確かにそう思われるのかもしれないが、オレは手術を成功させてくれたこの医者だけを責めるのは正しくないと思うのだ。たしかに、この医者は説明責任を果たしてないから、これで本当に新薬をよく効くと信じながらも適用されて、もし重篤な副作用が生じた患者が出た場合も思うと尚更に、多くの面で問題がある。

  だが、このように“言葉が軽い”あるいは“言葉の重さに対しての認識が幼すぎる”という現象は、非常に恐ろしいものではあるが、この医者固有の属性というよりも、国会答弁等においても典型的に見られるように、むしろ現代人のごく一般的な特性だと思うのだ。

  そしてこうした現象は、お前たちのブログにもあるように、現生人類=ホモ・サピエンスの末期的状況の一つのあらわれなのかもしれない。

  それに、これは要するに、“がん”という非自己とは言い切れず、なかば自己から生じたような病に対する人間の対処療法の限界を示していて、個人差による適や不適はあるものの、もとより毒性のある抗がん剤放射線で治療をすること自体への限界でもあると思う。

  だから、核の世となってこの方、盛んに宣伝されている“がんは誰でもなる病気、今や治る病気です”というコピーには、注意せねばならないのだ。」

  オバアはしかし、ここでいっそう眉をしかめて、苦しそうに話すのだった。

「それでオレたち二人は、病院から娘の家へと帰ってきたが、その道中、彼女は引きずるような足取りで、今にも倒れそうに思われた。オレは時より振り返り、彼女の様子を都度確かめていたのだが・・。

  彼女のマスクが覆った顔は、目だけが確認できたのだが、とても絶望しているのがよく分かった。

  それはあまりにも悲しそうで、絶望しきった眼差しだった・・。

  オレはこの時の彼女の目ほど、深い絶望をたたえた目を、いまだ見たことがない・・。

  本当に、あの子は可愛そうだった・・・」

  オバアはここで、しばらくの沈黙のあと、話をつづける。

「それでオレたち二人は、何とか家へと戻ってきて、再びテーブル席にて向き合った。

娘は、これで今後は自分が選んだ自然療法に専念する-と言い、オレも自分が調べてきたなかで、信頼できそうな自然療法や食事療法などをつづった、よくある“がんからの生還体験談”の書やコピーなどを、参考になればと渡した。ただ、抗がん剤など現代医学を完全に否定するのも怖いので、抗がん剤を患者に合わせて少なめに適用しつつ、がんを増殖させないようにするいわゆる“休眠療法”なるものを、それを行っている医療機関をも含めて紹介して、この日はいったん島へと戻ることにした。

  そして娘の家を出ようとする時、彼女はふたたび目に涙を浮かべて、オレにこう言ったのだった。

「今日は、こんな苦しい時間を、逃げずに共有してくれて、本当にありがとう・・」と・・。

  彼女は知っているのである。オレが逃げる事があることを。オレには卑怯な所があることを。だからこそ、彼女はわざわざこう言ったのだと、オレは思う・・。」

  私は、でも、その言葉には耐えられず、思わずこう返してしまった。

「オバア、何もオバアは逃げもしないし、卑怯なんかじゃありません。あなたはとてもいい師僧だし、だからこそ私は満行できたのです。それにある意味、あなたは私の親以上の存在でした。

  身内はお互いよく知っているし、血を受け継いだことによる業の引き継ぎもあるでしょうから、とかく身内はお互いに厳しくなってしまうのだろうと思います。だからオバアは、娘さんのその感謝にも、つい己に厳しく考えてしまうのではないでしょうか・・。」

  その言葉を聞いて、オバアは私にゆっくりと微笑みを浮かべると、こう言った。

「ユリコ。お前は怨に生きると言いながらも、本当は愛の深い、とても優しい心の持ち主であることを、オレは初から知っていた。だからこそオレは、お前に一時、当代ノロを預けたのだ。」

  オバアはそれでやや元気を戻して、話をつづける。

「さて、それからしばらくして後、また娘から来てほしいとの連絡があり、彼女に終末医療が必要になることを想定して、痛みの地獄の苦しみを避けるためにも、ホスピスつまり緩和ケアに登録するため病院に同行してほしいとのことだった。

  オレは再び関西の地へとおもむき、今度はその緩和ケアのある市の中心部より少し離れたリバーサイドの病院で待ち合わせをしたのだが、しかし、その時会った娘は、この前とは大違いの、まったく以前と同じような溌剌とした感じを取り戻していた。しかも彼女は電車とバスを乗り継ぎながら、タクシーを使わずにすべて歩いて来たと言い、歩くことこそ最大の自信になると、自分への誇りさえも取り戻していたのである。

  病院の玄関で、娘は開口一番に、-お母さん、がんが一部縮みはじめた!-と、あの絶望していた目を今度は明るく陽の光のように輝かせながら告げてくれた。そして彼女は緩和ケアに登録する際、そこの主治医と看護師長の二人に向かって、食事療法の大切さを説き出したのだが、それは以前のあの子の、時として生意気に感じるほどの元気な口調そのもので、オレたち二人は-延命治療は致しません-との確認書に堂々とサインをし終え、今から思えば不思議なほど、意気揚々とした思いでこの病院を後にした。

  そしてオレは、もはや耐性がついたという自分の体の訴えを的確に察知したうえ、自分に合わない抗がん剤治療を拒否し、自分の意思で自分に合った療法を見つけてはそれをすでに実行して、自力で自分への誇りと自信を取り戻した彼女を称えて励ました。そして、これはよく“がんからの生還体験”にもあるような10年あるいは15年の存命へとつながるに違いないと、これまでの相次ぐ不運は娘の修行を完成させるための試練であったに違いないと、新薬の調査の時はあれほど科学的であったにもかかわらず、この時ばかりは親バカながら、勝手にそう信じ込んでしまったのだ。」

  そしてオバアは、束の間の生還への喜びを思い出したその明るい面持ちから、ここで再び科学的とも言えるような、冷徹な表情へと戻っていった。

「いや、そればかりではない。オレはそれと同時に、いわゆる“がん難民”という言葉があらわす、標準治療が効かなかった患者に対して世間がはめるカテゴリーに、強い不満を感じていたのだ。

  がんは、その原因が発がん性物質放射線など外部由来のものであっても、外傷や感染症などとは違って、自己の細胞から発生をするものであり、人が十人十色であるのと同じく、がんもそしてがん細胞もまた人それぞれなのであり、標準治療なるものが効かない患者が出ることは、当然にして当たり前のことなのだ。

  それを“難民”などと言ってしまえば、言われた患者は何と思うか。本当はむしろ自然な現象であるにもかかわらず、患者は-自分はもう病院に見捨てられた。自分に治療法はなく、頼るべき所もない-と、あらぬ孤独感に苛まれ、がんどころか精神的にも追い込まれ、いい方向に行かないだろう。

  だから娘はよく、-がん患者のグループホームがあればいい。それで患者は経験と情報とを交換しながら、お互いに助け合い、励まし合うことができる。患者にとって大事なのは、自分は異常ではない、孤独なのではないと知ることなのだ-と言っていて、もし自分が生還できたのなら、これからはその仕事がしたいと言っていた。

  ・・しかし、結局、彼女の思いは適わなかった・・。

  それから1か月ほどの間、今までみたいに特にメールも来なかったので、きっと順調に療法にいそしんでいるのだろうと思っていた頃、突然-私はもう長くはない-とのメールが来たので、すぐ見舞いに行くと返すと、見舞いは来なくていいと言う。しかしその後、-寝たきりなので野菜とトイレットペーパーを買ってきて-と妙なメールを送ってきたので、オレは末期がんには介護保険制度が使えることを思い出しその旨を返信すると、今度は早速ケアマネージャーから、-この状態で一人で生活していたのは驚きです。すぐに尿バルーンを取り付けて、これでようやく排尿ができました-との電話があり、オレは信じられない思いで、とにかく娘のもとへと向かった。」

  オバアはさらに表情を苦しくしながら、再びお茶を飲みほすと、しばらくしてから話を続ける。

 

「オレが家に到着すると、そこは医療・介護スタッフたちの戦場みたいになっていた。娘と囲んだテーブルには、おびただしい書類が積まれて、奥の彼女の自室では、主治医が対応中とのことだった。

  オレはケアマネージャーのS氏から挨拶を受け、また在宅訪問医療と介護スタッフの方々を紹介されると、恐る恐る娘の姿を見るために、彼女の部屋へと入っていった。

  そこにはすでに介護ベッドが置かれて、娘はバルーンがつけられたまま横臥していた。

  それは、変わり果てた姿だった・・。

オレは一瞬、自分自身を見た気がしたほど、彼女はすっかり痩せ衰えて、まるで老婆のようだった。

  たった1か月間で、どうしてこうなってしまったのか?!

  オレはまったく信じられず、-あんなに元気だったのに・・・-と言うのが精一杯だった。

  それでも親バカなのかもしれないが、娘は痩せてはいたのだが、それだけいっそう鼻筋が通って見えて、またその目もよりはっきりと大きく見えて、髪は薄いといいながらも短髪女子で通じるようにも見えたから、これはこれで美しいと-思えたりしたものだった。

  それで娘は、オレの顔を見て取るなり、-私はこの病気には勝てそうもない-と涙目で言葉を発し、しきりにオレに対しては謝ってくるのだった。オレは何も謝るものではないと言ったのだが・・。

  話をするうち分かってきたのは、彼女がオレに気にしていたのは、自分がキリスト教徒になっていた-ということだった。実は彼女は、自分の終末を考えて、父の伝手で知っていたある教会の牧師様より、すでに洗礼を受けてはいたが、自分がかつてオレに期待をかけられた仏弟子であり、仏道修行僧であるオレを、またもや裏切ったと思われるのを恐れていたようなのだった。

  オレはこの時、己の業、己のカルマを、本当に恐ろしいと思いながら、娘に初めて謝った。

「オレの方こそ悪かった。お前は今まで本当によくやってきた。まじめに社会人となり、まじめに働き、それは何度も見舞いに来てくれる会社の上司や同僚の方々の様子で分かる。今回の闘病でもお前は本当によくやっていた。お前の意思の選択は決して間違ってはいない。不運にもがんが極めて稀な悪質なタイプであり、その増殖が速かったというだけで、これが普通のがんであれば、お前が選んだ療法により、10年あるいは15年の延命の可能性は少なくなかったことだろう。

  お前が人生の終末を見据え、父と同じくキリスト教を選んだのは、それはお前が今まで自分の意思で生きてきた人生の証であり、お前自身の誇りでもある。オレはお前を尊重する」と。

  娘はそれで、やや安堵したようだったが、続いて主治医のN氏に呼ばれたオレは、別室でケアマネのS氏とともに、その見解を聞かされた。がんはすでに下腹部の全域と肩の方にも転移しており、よくてあと2,3か月とのことだった(実際は1か月も持たず、この約3週間後に彼女は逝った)。本人は延命治療のいっさいを拒否していて、点滴さえも受け付けず、これからはとにかく痛みの防止を中心とする在宅の緩和ケアにつとめる-とのことだった。」

 

「こうして娘の最期の日々が始まった。そしてオレは、この時初めて在宅医療・看護・介護の世界を直に見ることが出来たのだった。

  娘が洗礼を受けた教会は介護支援事業を運営しており、ケアマネのS氏もキリスト教徒で、医師、看護師、介護士の方々は提携事業者らしかった。S氏は実によくして下さり-あれほど動いてくれるケアマネは他にいないと言われているほど-、日に各々3回、看護と介護の訪問ケアがつけられて、スタッフの方々は限られた時間内で実に手際よく、献身的に対応して下さった。娘が苦しい時も深夜にもかかわらず訪問して下さった。

  オレは今でも、これら専門職の方々のことを思うと、深く感謝せずにはおられない。

  介護士のA氏は淡々と仕事をこなすタイプのようで、ある時娘が、下の世話などをして下さるA氏に向かってベッドの中から、-すばらしい技術ですね-と声を掛けると、A氏は、-私はこれしかできませんから-と答えたのだが、それは同時に-これは私の天職ですから-と言っているようにも思われた。それで娘が、-私なんかは手にかかる方ではないですか?-と話すと、A氏は、-いえいえ、あなたは非常にいい方ですよ。髪をひっぱるような人たちだっているんですから-などと笑って答えられた。A氏は娘が最終的にホスピスに移る朝まで介護をして下さったのだが、それで娘と別れる時に、-有難うございました。勉強になりました-と、語りかけてくれたのだった。

  看護師のT氏は数名のスタッフからなる訪問看護事業の代表であり、病院の救急医療の経験者で、医療の現状へのご自身の思いから、この訪問看護事業を始めたとのことだった。T氏は娘のような患者を何名も受け持っていて、その中には数名のALS患者もおられるという。だからT氏の訪問看護は休日というものはなく、その睡眠時間は3時間ほどだという。オレはT氏と話をするにつれ、あまりに自分が恥ずかしくなり、-私は自分のことしか考えてませんから-と言ってしまうと、T氏も笑って、-人間だれしもそうですよ-と答えてくれた。

  ある日T氏は、もう一人のスタッフと二名がかりで、娘を入浴させてくれたのだった。人間は死が近づくにつれ、昨日まで出来たことが今日はもう出来なくなった-と言われるように、光のエネルギーが飛び飛びの整数単位で変わるように、日にち単位で急速に衰えていくものらしい。娘はもう歩くことさえできなかったが、この日は二人に抱えられつつ、歩行器で何とか風呂場に向かっていって、無事入浴を終えたのだった。そしてT氏はこの時、こう語った。

「血圧の現状から、入浴は危険を覚悟でやりました。でも、娘さんはずっとお風呂に入れてなかったのです。だから今日は、何としても入浴させてあげたかった!」

  オレは後に、娘の最期の2日間ホスピスに行ってから、もう一度同じことを経験するが、その時、オレはT氏のこの思いの“尊さ”が改めて身に染みることになる。

  そして・・、これがあの子にとっては、最後の入浴になってしまった・・・。」

  オバアはここで涙を流し、さすがに込み上げてくるものが抑えきれず、嗚咽の声をあらわした。

「オレは今でも、あの娘の最期の在宅ケアの日々を思うと、専門職の方々への感謝の念に満たされる。あの献身さは職業的な使命感にもよるのだろうが、やはり“愛”なしではできないものだ。娘は結局結婚をせず子供もなく、職場にも上司にも-彼女が天国だったと言っていたほど-恵まれてはいたのだが、この末期の時期に恋人もなく、そういう意味では孤独だったのかもしれない。しかし、娘の最期は間違いなくこの在宅ケアという“愛”に満たされたものだった。彼女が一人で暮らしていたマンションの一室は、こうしてその人生の末期にあって、人の愛に満たされた。

  新型コロナウイルスのようなパンデミックになってしまうと、こうした医療・看護・介護の専門職の方々には多大な労苦と精神的な緊迫感が押し寄せることになる。そしてこの国の国民の政治的な“貧困”が、下らない軍用機やミサイルには何千億も使いながら、“特別養護老人ホーム何千人待ち”というような無能と無策の現実を社会にあらわしているなかで、こうしたケアに従事する専門職の方々こそが事実上この国を支えていると言っても過言ではないことを、オレはこの時知ったのだった。」

  オバアはそして、涙をぬぐって語り続ける。

 

「娘の最期は決して孤独ではなく、このように“愛”に満たされたものだった。それは彼女が洗礼を受け、この介護事業を運営していた教会のお陰だったとも思うが、ある日、娘の家に、この教会の牧師様ご夫妻が訪ねて来られたことがあった。

  牧師様ご夫妻は、介護ベッドに横たわる娘の枕元へと座り、最初は聖書のうち何節かを読み上げておられたが、やがてお二人ともただ静かに、何も語らず、もうこの頃は時として朦朧となっている娘に向かって、ひとえに祈りを捧げているようだった。

  それで1時間ほど経っただろうか、娘はまた意識を取り戻して、-ああっ!-とひと声、大きく息をついたように応えると、今までになく静かに落ち着いていくように思われた。

  そしてその後、オレは“奇跡”を体験することになる。

  娘は医療用モルヒネの効果もあって軽減されてはいたものの、それでも痛みに苦しんでいて、昼夜を問わず何度もうめき、食事はおろか水分もほとんど取らず(本人が求めなかった)、また、死に向き合わねばならない精神的な苦しみや恐怖感にも苛まれていたのだが、この牧師様ご夫妻の訪問を受けた後は、とても落ち着き、むしろ穏やかともいえる様子になっていった。そして彼女は、この頃からホスピスでの死を迎える前日の言葉を発することができた日まで、お世話になったスタッフの方々などへの感謝の言葉を、-Aさん有難う、Tさん有難う-というように、発していくようになったのである。

  病と死の不条理と恐怖から娘は救われ、人生の末期において、彼女は愛と感謝に満ちたのだった。

  オレはこうした体験を実際してみて、キリスト教が言うような“神の愛”が真に存在することを知ったのである。これはオレにとっては、まさに“奇跡”と言うほかなかった。

 

  その時、娘にはイエス様があらわれたのに違いない。

  そしてイエス様は、娘にこう言われたのだろう。

  “わたしは、人の人たるゆえの罪、人の人たるゆえの苦しみを、

   己が身であがなうために十字架についたのだ。

   わたしは、あなたと一緒に苦しんであげる。

   わたしは、あなたの苦しみをくんであげる。

   だからあなたは、楽になりなさい。“

 

  イエス様は、かように人を愛された。

  愛は時空を超えるから、私たちはそれを信じるだけで、イエス様との“相関”ができ、その愛と十字架と死を信じれば、人のなかにイエス様は復活される。

  イエス様の受難というのは、その後の人が経験するありとあらゆる虐殺死、ヒロシマナガサキアウシュビッツ、南京レイプ等々にも匹敵をするものである。  

  人の世はフィクションだらけではあるが、最もフィクションのように思える、このイエス様の十字架と死と復活こそは、全くフィクションではないことを、今のオレは確信している。

  これは何も仏教に対するキリスト教の優位を言っているのではない。宗教はそれが生まれた土地柄や民族性による表現の違いこそあれ、宗教そのものに違いはないのだ。」

  オバアは、ここでまたしばらく黙すと、この自らの経験の最終章へと向かうようだ。

 

「そして、登録していたホスピスからようやく空きが出来たとの連絡があり、娘は救急車で搬送されることになった。搬送の当日朝、主治医N氏は看護師をつけてくれ、ケアマネS氏も介護士A氏も看護師T氏も最後まで看てくれたなか、オレは見事に訓練された隊員たちの救急搬送に同乗して、ホスピスつまり以前娘と訪れたリバーサイドの病院にある緩和ケアへと向かって行った。救急車の横揺れが激しいので、オレは車酔いしそうになったが、娘は何とか持ちこたえ、無事入院することができたのだった。

緩和ケアの医者は娘を見るなり、-これは危篤もいいとこですよ!-と驚いていたのだが、この方のはからいで個室に入れてもらえたお陰で、これが娘の最期には本当によかったと感謝している。

  緩和ケアは病院の最上階にあり、個室からはヨットハーバーがよく見えて、夜景がきれいな所だった。院内も落ち着いた清楚な感じで、看護師スタッフたちもみな親切で礼儀正しく、オレ以上に人の死に向かう厳粛さを心得ているようだった。オレは駆けつけてくれた妹-娘から見れば叔母-と一緒に個室に入り、ベッド隣のソファーに居ながら、娘の最期の2日間を看取ることになったのである。

  そしてオレはまたこの時、緩和ケアが非常に大切なもの-時としては外科や内科等その他の科よりも大切なもの-であることを知ったのだった。

人は必ず死ぬのであり、死は自然死やその一部である病死、あるいは突然の事故死や非常に不幸な虐殺死に至るまで、様々な死に方があるものだが、大事なのはその“死に際”なのだ。だから、人が痛みを和らげられて、その精神の最後の充実をもってして己の死に臨めるよう環境を整えるのは、何より大事なことであり、現状ではどこも満室といわれる緩和ケアが、今後いっそうの充実がはかられて、より多くの人々が保険適用のうえ利用できるよう祈るばかりだ。」

 

「娘は、それでもここに来て再び落ち着きを取り戻した。医者も最初は、-1週間も持たない-と言ってはいたが、回診時に落ち着いた彼女を見て、-やや潮目が変わったかな-と話したので、オレはここでもう少し持つのではと、また楽観的に思いはじめた。

  緩和ケア入院の1日目は、娘はまだ言葉を発することができた。朦朧とすることが多くなったというものの、彼女の意思はその死を迎える最後まではっきりしていた。現代医学は、末期患者には“せん妄”が見られるとしているが、実際に娘の最期を看つづけたオレから見れば、オレが仏道修行者であるからか、いわゆる末期患者には、“死を目前にして人間の執着から意識が離れて、それが意識本来の自由さを取り戻していくなかで‘せん妄’と見られるような言語表現が生じ得る”ように思える。

  娘はよく、在宅の頃から自分で頭をたたきつつ、-現実と非現実との区別がつかない。身体的な苦痛よりも気持ちが悪くて倒れそうだ-と言っていたが、これも彼女の自意識が自我という執着を離れていくなか、起こった現象だと思われる。

  そしてオレは、またここで貴重な体験をしたのだった。

  娘は目覚めている間は、はっきりとその目を見開き、遠方から駆けつけてくれた親友や親族や、有難くもほとんど全員が見舞いに来てくれた会社の人たちともまだ会話ができたが、オレはむしろ、そうした会話を離れた所で彼女が時として発した不思議な言葉に聞き入った。

彼女はある時、-神、神!(これは神に自分をゆだねるような響きに聞こえた)-と言葉を発し、またある時は、-お大師様!-と言ったのだった。

  そして何より、オレが不思議に思えたのは、彼女が、-お父さん、(このまま何も)変わらないの? 明日も、明後日も同じなの? ・・つまんない・・-と言ったその言葉だった。」

「・・オバア、それってもしや、“お迎え”なのではないですか?」

「そう。これは、死にゆく者がその死に際して、自分より先に逝った故人がその枕元にあらわれるという、いわゆる“お迎え”なる現象に他ならないと、その時オレはそう思った。

  娘の場合、この“お迎え”にあらわれたのは父親だった。

  そして、この時彼女が発した-(このまま何も)変わらないの? 明日も、明後日も同じなの?-という言葉は、不生不滅、不垢不浄、不増不減である“あの世”という死後の世界を語ったものではないだろうか。

  娘はお迎えにあらわれた父親からそのことを聞かされて、それが動きと欲に満ちたこの世に比べて‘つまんない’と感じたのではないだろうか。

  つまり、オレは娘の最期の看取りを通じて、彼女から少なくとも二つの奇跡を体験したのだ。それは一つは、“神の愛の実存”であり、もう一つはこのお迎えにあらわれている“生存者と死者との意識の交流”というものである。これは書物や映像などから得た知識ではなく、まさにオレの生身を通して実体験をし、実感をしたものだから、オレにはもう疑いようのない事実でもあるのだった。

  俗に、もし神の愛があるのなら、まだ若く、善良な生き方をしていた人が、なぜそんな稀なる悪質ながんで死ななければならないのか-と、思われるのかもしれない。しかし、それは善と悪、老と若、生と死と、それらすべてを相対的・相反的に見てしまうオレたち現世の人間から見た思いに過ぎないのであって、特にこの“生と死”というのは、言ってみれば、これは完全に神の専権に属するもので、人間は介入できないものなのだと考えざるを得ないと思う。」

 

「そして緩和ケア入院の2日目、つまり娘にとっては、この世との別れの日がやってきた。

  それは穏やかに晴れた日だった。ヨットハーバーのヨットの帆が、陽の光に輝いているのが見えた。

  娘はもう、言葉を発することができなかった。

  ただ彼女の呼吸が、あたかも光の波のように、繰り返し一定の間隔で、波打つように続いていた。

  実際、人はその臨終におよんで、最後まで続く呼吸が、存在感をきわだたせる。

  彼女はいっさいの延命処置を拒んでいたから、これが人の本来の自然死の姿であるとも思われた。

  だが不思議なことに、このような状態でも、オレにはまだ娘が死ぬという実感がないのだった。」

 

「午後になり、看護師が訪れてきて、-入浴できるかどうかを見に来ました-と言う。

  彼女は娘の血圧を測り終わると、慎重な面持ちで、-血圧的には難しく、ともすれば入浴中にお亡くなりになることもあり得ます。ですがしばらく入浴されてないようなので、入浴させてあげたいとも思いまして-と言った。

  彼女は再び娘の手を取って、-お風呂をご希望されるなら、私の指を2度握って下さい-と声掛けをした。娘はこの時、じっとこの看護師の目を見続けていたと思う。

  看護師-いや女性なので、ここは敬意を込めて看護婦と言っていいだろう-は、じっと娘の目を見て反応を待っていたが、-1度は握って下さいましたが、2度目はありませんでした-と言い、オレたち親族の方を見て、こう語った。

「いかが致しましょうか。女性ですので、入浴させてあげたいとは思いますが、先ほど申しましたように、血圧が耐えられずお亡くなりになるリスクは、まったく無いとは言い切れません。」

  ここは一番近い親族であるオレが、娘に代わって判断を求められた時だった。

  オレはこの時、同じ看護婦だったT氏の、-娘さんはずっとお風呂に入れてなかった。だから今日は、何としても入れたかった!-と語った時の口調の強さと、目の輝きとを思い出した。

  そしてオレは、この看護婦もそれと同じ気持ちであることを知ったのだった。

彼女たちは同じ女性として、寝たきりで、排せつバルーンをつけたまま、ここまで懸命に生きてきた娘に対し、その人生の最期に臨んで、せめて清めてあげたいと、ぎりぎりの所まで思いつめてくれていたのだ・・。

  ユリコ・・、ここは是非に聞いてほしい。

これが“女性”というものなのだ。  

  この“綺麗にしてあげたい”、“清潔にしてあげたい”という美と優しさへの思いというのは、オレたち女性が“子を産む性”であるからこそ、本質的に備わっているものなのだ。

  この“子を産む性”、“命を産む性”というのは、オレたち女だけのもので、男にはない。

  何を当たり前のことをと思うが、この本質的な差異は大きい。

  オレたち女は、より命に近い性なのであり、より神に近い性なのである。これは差別などではない。

  生物界ではいざとなれば、この女の性だけで単為生殖という形で、命をつないでいけるのだ。

  そしてオレが思うに、これがオレたち女の“誇り”であり、“プライド”である。

  実際に子を産まなくとも、ただ女性であるということだけで、持つべき誇りとオレは思う。

  オレはこの時、この看護婦に両手を合わせたい気持ちになったが、それでもやはり少しでも長く生きてほしいとの思いがあり、また、入浴中の気持ちのよいまま昇天するのもいいかもしれぬが、ここは普通に床に臥し、きちんと己の死に向き合って昇天すべしと判断をして、-では、入浴は見送らさせて頂きます-と答えたのだった。」

 

「夕刻になり、娘の呼吸は、いよいよ遅くなっていった。

打ち寄せる波のように一定だったその間隔も、しだいに途切れ途切れになっていった。

目は見開かれたり、閉じられたりを繰り返していたのだが、彼女の呼吸が発する音と、目が発する光とが、最期を看取るこの部屋で、静かに交差し合っているようだった。

最後まで部屋に残ったオレと彼女の叔母の二人は、彼女を前にたわいもない話をしていたが、これはいかにも打ち解けた身内同士の会話のようで、聴覚は最後まで残っているといわれているから、娘もいっしょに喜んでくれていたように思う。

  そして夜も深くなり、2日目の消灯の時となった。

  叔母は宿泊室へと向かっていき、昨日につづいて、オレは娘の隣のソファーに身を横たえた。

  夜景のきれいな夜だった。ヨットハーバーは街灯に灯されて、居並ぶ帆はオレンジ色に彩られ、その遠い向こうには、都市部のビルの明かりが見えた。

  オレは、廊下の明かりがわずかに見える暗がりのなか、娘の途切れ途切れの呼吸を聞きつつ、ただ横になっていたが、やがて、浅い眠りに落ちていった。

  1時間ほど経っただろうか・・、オレはふと、娘が呼吸をしていないのに気がついた。

  オレは、-ついに来たか-と思った。

  ナースコールで看護師を呼び、叔母も呼んで、娘の様子をただ見守った。

  娘の目は、見開かれたままだった。

  看護師は娘の手を取り、-それでもまだ脈はある-とのことだった。

  しかし、やがてはその脈も、どうやら途絶えてしまったようだ。

  医者が呼ばれ、彼は慎重に脈を確かめ、電燈で娘の瞳孔を確かめた。

  そして、彼の口から、-ご臨終です-との一言が、厳かに発せられた。

  娘は、まだ51歳という若さだった・・。

  しかも本来は丸顔で目もくっきりしており、実年齢よりなおも若く見えたのだった・・。

  遺体は朝までこの部屋で安置されるとのことで、看護師たちはその準備に入っていった。

  残されたオレと叔母は、逝ってしまったばかりの娘に向き合った。

  叔母は、-頑張ったね・・、本当によく頑張った・・-と、ねぎらいの優しい言葉を掛けてくれた。

  オレは娘の手をとって(それは小さなやや冷たい手であった)、未だ目を開けたままの彼女に向かって、-お前は今まで良いこともいっぱいやってきた。これから何が起こっても、恐れず、心を静かに保って、ただ神にゆだねなさい-と声を掛けた。オレは『チベット死者の書』(7)の影響を受けており、死後まもなくして、人の意識は昇天をしていくのだが、その過程で肉体という拠り所を失った生前の執着が様々な幻覚や幻影となり、その意識に襲いかかってきて昇天を妨げると思っていたので、臨終を迎えた娘にこのように言ったのだった。

  そしてオレは、つづいて『般若心経』を唱えてあげた。娘も歩いた遍路道、その長い道中でオレたち遍路は何回も般若心経を唱えつづける。この経典は様々な解釈があると思うが、彼岸への道程の最中にある歩き遍路にとっては特に、この経典の最後の部分に“往ける者よ、往ける者よ、彼岸に往ける者よ、彼岸に全く往ける者よ、悟りよ、幸あれ”(8)との訳文があるように、これは祝福の福音なのだ。

  オレはこの時ばかりは、娘に対して、-とにかく無事に昇天してほしい-との一念を込め、この心経を唱えてあげた。死後まもなくの間、霊はその遺体の近くや、病室の天井あたりに留まっているとのことなので、娘もきっと彼女自身も唱えつづけたこの心経を聞き届けてくれただろう・・。

  それから1時間ほどが経ち、看護師たちが娘に死に化粧をほどこして、衣服も生前のきれいなものに着替え終えてくれたので、オレは娘に別れの言葉を掛けようと、冷房で冷えに冷えた個室へと再び入っていったのだった。死に化粧された娘は、目が完全に閉じられていなかったが、オレはベッドに横たわる彼女に向かって、ただ一言、-悪かった・・-と謝った・・・。

その深夜、-何かあったら連絡下さい-と言ってくれたケアマネS氏と教会の牧師様に娘の死を報告すると、深夜にもかかわらずすぐ返事を頂き、教会で葬儀をして頂くこととなった。」

 

「翌朝、葬儀社が遺体の引き取りに来てくれて、この緩和ケア病棟の全スタッフが深々と頭を下げてくれるなか、オレは娘と叔母とともに、教会へと向かって行った。わずか2日間ではあったが、この病棟の緩和ケアのお陰で娘もオレもどれだけ救われたかと思うと、在宅ケアを担ってくれた方々そして教会の牧師様ご夫妻と同様に、今でも深い感謝の念を抱かずにはおられない。

  教会での葬儀の打ち合わせが終了すると、オレは一人で娘の自宅へ戻って行った。

そこは、緩和ケア病棟に行くあの朝、救急隊員たちにより大急ぎで搬送されたそのままの状態で、彼女の最後の闘病の痕跡が残されていたのだった。

  オレとはさんで向き合った居間の四角いテーブルには、訪問看護や介護スタッフの方々の伝言メモや日々の日誌が置かれたままで、寝たきりだった彼女がいた介護ベッドも、姿勢を楽にするためのクッションやテーブル、そして彼女が-暑いから-とつけていた扇風機もそのままだった。そして床には、未使用の排せつバルーンの他、多量のおむつも、また、入院が長引く場合の備えとして介護士A氏が用意して下さった着替えのセットもそのままだった。

  これらの遺品は、実際にその持ち主が逝ってしまうと、生前同様、いやそれ以上に、当人が生きていた証となって、その存在のリアル感をきわだたせるものである。オレはこれら娘の遺品を目の前にして、まるで彼女が訴えかけてくるように思えた。そしてオレは、この介護ベッドの奥の机の下の方に、彼女が抗がん剤治療を拒否して後、自分で試みはじめていた温熱療法の機材一式が、隠れるように置かれていたのを見出した。そこにもまた未使用の、お灸か何かの薬草の詰め物が残されていた・・。

  オレはこの時、あらためて自問した。

  わずか2か月前、ホスピスへの登録で同行した際、娘はあんなに手術前と同様あるいはそれ以上に元気に見えて、-がんが一部縮みはじめた!-とさえ言っていたのに、どうしてこんなにも早くあの世に逝ってしまったのか。

  そしてこの登録の後、彼女から、-私はもう長くはない-との(これが彼女の最後通告だったのだろう)メールを受け取るまでの約1か月間、オレは彼女に何をしてやっただろうか。

  たしかに、自然療法や食事療法なるものは、本人が自分の体でしか分からないし選べないものなので、一人でやる他ないのであり、外野がとやかく干渉すると、それはかえって本人を迷わせて、正しい判断や選択を妨げることにもつながる。だからオレも、自分ならこれは信用できると思えたことは、すべて伝えることまではしたのだが、それ以上のことはしなかった。

  彼女はこの1か月間、地獄のような孤独にあったのだろうと思う。

  もはや現代医療しか正常視しないような病院はあてにはできず、かといって自分には本当に効くかどうかも分からない自然療法や食事療法に一縷の望みを託しながら、そして夜も眠れぬがんの痛みとその襲いかかってくる増殖や転移の恐怖と、迫りくる死の恐怖とを前にしながら、ただ“もっと生きたい”との一念だけで、彼女は独りで耐えていたと思われる。

  こんな残酷なことというのは、他にそんなにあるだろうか?・・・。

  オレは彼女の最期の1か月間、訪問ケアについてからも、せめてもうあと1週間、付き添ってやればよかった・・。たしかにだれも医者でさえも、娘がこんなに早く逝くとは思っておらず、オレは半年ほどの長丁場もあり得ると思っていた-という言い訳はできるのだが、せめてもうあと1週間、彼女のそばにいてやればよかったというのが、オレが今でも後悔している思いである・・。

  結局、オレも彼女も救われたのだ。教会のキリスト教の愛によって、そしてキリスト教的な愛を持ったスタッフの方々の愛によって、その積極的で能動的な愛によって、貧しい者や病に侵された者にこそイエス様が宿っているという愛によって、娘もオレも救われたのだ・・。

  オレは自分にとって、一番近い親族を失った。彼女は、オレによく似たのだろう、一を言えば十まで通じるオレにとってはただ唯一の人だった・・。」

  オバアはそこまで話すと、また黙してしまったのだった。その目は深く閉じられて、足に組まれた結跏趺坐も、微動だにしないようだ。

  外は雨風の音が激しく、灌頂壇の蝋燭の火も、その余韻でゆらいでいるかに見えてくる。

  娘さんが逝った日と同じように、この夜もいっそう、その深さを増していき、まるでこのままあの世へと、つながっていくみたいだ。

 

  私は涙を流していた。それはオバアの話が、人間界で言うところの悲劇的であるばかりでなく、彼女の語りそのものが、率直さと真剣さに満ちたものだったからだ。

  オバアのその語り口は、言葉や文字として表れてくる以上に、苦難と苦悩に満ちていた。

  これらはきっと、本人の口からは、初めて出されたものなのだろう。

  それは今まで煮詰めに煮詰めた悔恨と懺悔の思いが、話の随所ににじみ出ていたことでも分かる。

  同じ身内の死を経たとはいえ、私自身、この話を伺うだけでも、精一杯だったようだ・・。

 

  しばらくの沈黙のあと、オバアは再び話しはじめる。

「・・娘はたしかに亡くなってしまったのだが、オレには不思議と悲しいという感情は起こらずに、涙もほとんど出てこなかった。

  オレは葬儀後、彼女が火葬にされ、その骨を拾うという物質的に明らかな死の現実に直面する際、いよいよ気が狂うかと覚悟をしたが、その時さえも悲しみより、人骨のあまりの綺麗さに魅せられた。歩き遍路を結願した娘の足の骨はたくましく、また首筋や咽喉の骨は蝶のような、オブジェにしてもいいような美しい造形で、悲しみなどは起こらなかった。

  オレはここまで長生きしたので、今まで多くの親族を見送ってきたのだが、みな幸いにも概ね天寿に近かったし、しかもいずれも病院死だったから、せいぜい-これは自然の順番さあ-と思う程度で、人の死というものを我が身を通じた実感としてとらえなかった。だがこの娘の死は、自分よりはるかに若い者の死で、しかも稀なる悪質がんに侵されるという不条理と、最後まで看取ったという実感により、非常に真剣かつ深刻に考えざるを得なかった。

  しかしそれでも、オレには娘が死んだという実感はなく、たしかに寂しくは感じたが、悲しみというよりも、“信じられない、納得できない”という“悔しい”思いが、はるかに強く感じられた。

  たしかにこれが、長年連れ添い、生活と生計とを共にした夫婦などであるならば、気が狂うほど、こっちも自殺したくなるほどの、愛別離苦に苛まれるのかもしれない。

  だが、これは死の形態により、また遺族によっても違うだろうが、時間が経っていくにつれ、今回のオレの場合は“悔しい、納得できない”という感情は残るにせよ、それよりも、死の実感というのと同じく、今まで離れていた娘がますます身近になっていく感じが深まっていったのだった。」

「オバア、それは私も同じです。私の場合も父の死の実感というよりも、生前は離れていたのに、死後はまるで父がいつも意識の中にあるようにさえ思うのです。」

「そう。お前は常々そう言っていた。そしてこれが、お前が自ら問うてきたものでもある。

  そこでオレは、今から今日のお前との話において、その後半へと入っていこうと思うのだ。」

  オバアは結跏趺坐のままだったが、私には-姿勢は楽にしてよいから-と言ってくれた。

「オレは、これまで娘がオレに教えてくれた死の体験により、今まで言ってきたように、主に次の三つのことが指摘できると思うのだ。それは、

 一つは、“神の愛の実存”であり、

 二つは、お迎えという現象に見られる“死者と生存者の意識の交流”であり、

 三つは、“死者がいつも自分のそばにいるという死の実感”であると言える。

  それで今までのオレの話は、娘の死による実体験というものだが、これからはオレがお前にしてやれる最後の授業、最後の説法として、オレの言葉でオレ自身の考えや解釈というものを、お前とそしてお前たちがこの3年間考えてきたことをも合わせて、語ってみたいと思うのだ。」

  オバアはここで、もう一杯、お茶を注いで、互いに喉を潤した。

  そしてこの小休止のあと、オバアは再び語り出そうとされるのだが、その表情からは苦しみが消え、いつものような私にとっては親しみのある、師僧の顔へと戻っていった。

 

「ユリコ。さて、お前たちのブログの中に“量子もつれ”なる話があったな。

  それでその話というのは、“二つの量子の間でいったん相互作用=相関が生じると、その二つの量子がたとえどんなに離れていても-たとえば100兆kmや200万光年ほど、あるいは宇宙の隅から隅まで離れていても-、その相関性は完全に保たれる”というものだったな。」

「はい。それはたとえば電子を例にとるならば、電子はスピンをするのですけど、そのスピンには上向き(アップ)と下向き(ダウン)の二つがあって、二つの電子にこのアップ・ダウンの相関性をもたせておくと、一方がアップならば他方は必ずダウンになる-というものです。」

「ならばだ、ユリコ。この“量子もつれ”の話というのは、さっきの“お迎え”の現象と、何だか似てると思わないか? 

  つまり、お迎えに見られるような親しい親族の間においては、これを一種の“相関”にある見て、たとえあの世とこの世と離れていても、その相関性が保たれていることにより、臨終に際して故人が生存者の意識にあらわれると解釈できるのではないか-とオレなんかは思うのだ。」

「でも、オバア。この“量子もつれ”というものは、二つの実体・実在がこの世で起こす物理的な現象のことを言い、あの世とこの世の話でないし、ましてや、死者の霊と生存者は物理的な実在どうしとは言えないと思うのですけど。」

「うむ、そう返してくるだろうと思った。そこでだ。その“実在”というものだが、お前たちのブログにあった参考図書を読んでみると、かのアインシュタインがEPR論文において示した“実在の要素”の定義(9)があって、それは、“系にいっさいの影響を与えることなく、確実に物理量の値を予測できるというならば、この物理量に対応する物理的実在の要素が存在する”というものである。

  しかし、これらの参考図書によるならば、“離れた空間にある物は互いに独立した存在であるとする前提がないのであれば、通常の物理的思考は不可能になる”(10)とも述べたアインシュタインが言うところの宇宙の分離可能性-いわゆる“局所”性は、どうやら宇宙の真理ではないらしく、“実在という基本構造は何らかの形で非局所性または分離不可能性を必要とする”(11)という方が真理のようだ。

  ということは、あの世とこの世を区別して、相反的に分離することもできないのではないだろうか。

  それに、“二つの電子の相関性は局所的でなく、分離不可能な一つの系を成していて、部分から部分へと局所的に伝わるのではなく、系全体に瞬時に影響を及ぼす-つまり非局所的に起こる”(12)というこの“量子もつれ”の現象自体が、究極的には宇宙は“ここもあそこも区別できない”ということを示していて、物質的な現象ばかりが実体とは言えないということを示唆しているとオレは思う。」

「なるほど。それはもう人間が画するところの物理学の範疇を超えていますね。」

「その通り。そしてお前たちのブログが言う“光知性原理”によれば、人の知性や意識というのは、もとはと言えば光に担われ、人はこれに執着をすることであたかも自分自身が意識をしているように思っているということだが、それで光は波と粒子の二つの姿をもっており、生きている人間は執着力をもっているから光を粒子と観測できるとのことだった。

  とすれば、故人と生存者における“お迎え”という意識の交流が実際に起こるというのも、この量子もつれの相関性をもってして、次のように解釈することはできないだろうか。

  つまり、意識はもとは光に担われ、死後に執着力を失って昇天した人の意識は波としての光であり、故人と生存者の意識というのは、光において波と粒子の相関があるのである。

  それで生存者が臨終に近づいて朦朧とし、執着力が失せるにつれその意識も粒子から波へとなり、相関をもつ故人のそれは逆に波から粒子となるので、それが故人が霊のように枕元に現れるという“お迎え”なる現象をあらわすのではないだろうか。」

「オバア、それなら意識は故人と生存者の双方においてあるということで、それって言わば、人をはじめとする生き物たちは、死後もその意識を失わない-つまり、古くから言われるように、魂は不滅である-ということへの証拠のひとつと言えるのではないでしょうか。」

 

「そう。そこで、ここまでが人間が言うところの物理の話で、これからが般若心経の話である。

  先ほどの話において、“二つの電子の相関性は局所的でなく、分離不可能な一つの系を成していて、部分から部分へと局所的に伝わるのではなく、系全体に瞬時に影響を及ぼす-つまり非局所的に起こる”というこの“量子もつれ”の現象自体が、究極的には宇宙は“ここもあそこも区別できない”ということを示していて、これは物質的な現象ばかりが実体とは言えないということを示唆している-と言ったのだが、それは般若心経に次のようにあるからだ。

  “色不異空、空不異色、色即是空、空即是色”

  これは、“この世においては、物質的現象(色)には実体がないのであり(空)、実体がないからこそ、物質的現象でありうるのである。実体がないといっても、それは物質的現象を離れてはいない。また、物質的現象は、実体がないことを離れて物質的現象があるのではない。このようにして、およそ物質的現象というものは、すべて、実体がないことであり、およそ実体がないということは、物質的現象なのである”(13)と訳出され、オレは般若心経のこの箇所は量子論を示唆していると解釈できると思うのだ。

  そればかりでない。このフレーズは、

  “色不異空、空不異色、色即是空、空即是色 受想行識 亦復如是”

  とあるように、これに続く“受想行識 亦復如是”とは、“これと同じようにして、感覚(受)も、表象(想)も、意志(行)も、知識(識)も、すべて実体がないのである”(14)と訳出される。

  この“受想行識”のうち“想・行・識”というものは、いわゆる精神作用であることから、これらはお前たちのブログの言う“光知性原理”によれば光のはたらきなのであり、般若心経はここまでで、“色・空・光”を一括して述べたものと解釈できると考えられる。

  なぜなら、ここでまた物理に戻れば、光=γ線が一定の強さになると電子が対生成され、元素の周期表にあるように物質(色)は電子がもとに成っている-ということでもあるからだ。

  そしてさらに、般若心経はこう続ける。

  “是諸法空相、不生不滅、不垢不浄、不増不減、是故空中、無色、無受想行識、無眼耳鼻舌身意、無色声香味触法”

  ここで“不生不滅、不増不減”とまるで“エネルギーの保存則”のようなことが説かれ、そして“無眼耳鼻舌身意、無色声香味触法”と続くのだが、これは“眼、耳、鼻、舌、身体(という感覚)もなく、そして心もなく、(またそれらに対応するところの)形もなく、声もなく、香りもなく、味もなく、触れられる対象もなく、心の対象もない”(15)と訳出される。

  ところで我々生物は、感覚もあり、その感覚による様々な感受性や識別もあるのだから、これに対して“有眼耳鼻舌身意、有色声香味触法”と言うべきであり、オレは生物をこう在らしめるのは、“生”というより、“性=SEX”が有るからこそと思うのだ。」

「・・オバア、それって“生”とは言わずに、なぜ、はじめに“性=SEX”と言われるのですか?」

「それは生物にとって、眼耳鼻舌身意という感覚が全開するのも、その感覚による識別や精神作用が全開するのも、それがまさにSEXの時に起こるからだ。

  これは何も人間=ホモ・サピエンスが思うところのエッチなことを言うのではない。

  お前たちのブログには、“光知性原理”と並んで、“性は光のセンサーだ”と書いてあったな。

  オレはそれをヒントにして、本来、性=SEXなるものは、いわば“生”に先んじて、“光”を受けるものとして、ないし、“光”が生むべきものとして、起こるのかもしれないと思ったのだ。

  とすれば、光が電場と磁場の2つから成り、その各々がプラスとナイナス、NとSから成るように、性=SEXが雌雄から成り、またNとSとが不可分であることから雌雄同体があることも説明できる。

  また環境変化が起こった際には、生物の間を通じて光があらゆる調整を行っているとすると、多くの場合に生殖器系に異変が起こるということも説明できる。

  そんな訳で、般若心経は文字では記されていないものの、ここまでで、“色・空・光・性”を言わば統合するように解釈できると、これがお前たちのブログを受けたオレが思うところなのである。」

 

「それで、ここまでが仏教の精要とも言われる般若心経の話であり、これからがキリスト教旧約聖書の話である。

  その創世記において、神は初めに“光あれ!”(16)と言ったという。

  そしてオレは先ほども言ったように、娘の実の死を通して“神の愛の実存”を知ったのであり、これは“神の愛の実在”と言ってもよいし、また、“神の愛こそが唯一の実在であり実体である”と言ってもよい。

  ということは、神が自身を“われ有り”(17)と言ったように、初めに何より神が在り、そしてその神から“愛”が生じて、その神の愛から“光”が生じてくるのである。

  この過程は、人間の相対知・相反知からは、決して知ることができないものだ。

  そしてその光からは、物質(色)が生じて、また“性”が生じてくるのである。

  人間の相対知・相反知は、物質的現象である光=γ線から電子対生成が生じることは知れるとしても、生命的現象である光から性が生じてくることは、また同様に決して知ることができないものだ。

  なぜなら、人間は意識や知恵の根本である光に対して、いわばそれを自己から見て相対化し執着しているだけであり、それゆえ意識や知恵という生命現象そのものには入っていけず、逆に執着が強すぎるほど、自己から見たその相対化は自己に執着するがゆえに相反的になっていき、人間はますます命や意識や知恵なるものより離れていってしまうからだ。

  それでここまで来たところで、神の愛から光が生まれ、その光から物質(色)が生まれ、また同じくその光から性が生まれ、そして光が生んだ物質と性により生物が生まれてくるとの、“愛→光→色→性”という、いわゆる“縁起”を見て取ることができると思う。

  そしてこれに、般若心経の言うところの“空”は、キリスト教が言うところの“愛”の、不生不滅の普遍性と、あまねく広がるとの非局所性に着眼をしたものであり、もとより同じものであるとの解釈を加えると、ここまでで、“愛・空・光・色・性”がなかば統合して語られたとも言えるのだ。

  かくして、“神の愛こそが唯一の実在であり実体である”との原理によって、宗教の違いも宗教と科学の違いをも超えた、この言わば“神の愛による大統一理論”が語られたわけであり、ここに“智慧の完成が終わった”(18)と言うこともできるだろう。」

「オバア・・、それって凄いことですよね。まさに究極の悟りというか・・。」

「いや、これはオレが得た悟りというより、お前たちのブログの他は、娘が教えてくれたことであり、しかも彼女が死後に教えてくれたことであると言った方が、より真実に近いと思う。」

「オバア・・、娘さんの死後というのは、では、娘さんの霊か何かの、夢告でもあったのですか?」

  オバアはここで、またその姿勢をいっそう正して、語ろうとするのだった。

 

「いや、オレの場合は、お大師様が枕元にあらわれて夢告があったというようなものではなく、夜間、坐禅をしていた時に、なぜか自然に、こうした思いに導かれたのだ。

  ちなみに、これはオレの坐禅に対する解釈だが、坐禅の姿勢は、前から見ても三角形で、上から見ても三角形だ。この三角形とは、光を述べた特殊相対性理論が(直角)三角形から導けるということと、また、かのフィボナッチ数と関連するとも考えられる。

そして、地に垂直である坐禅は、同じく地に垂直である植物のように、人間の身体の植物的表現とも考えられ、これは、ヒトを花に模すること=ヒトを光の受容体に模すること-とも考えられる。

  また、坐禅においてはその“呼吸”が大事なのだが、呼吸とは娘の看取りで見たように生存の基盤として最期まで有るものであり、呼吸とは光と似て“波”でもある。

  このように考えると、オレにとっては坐禅とは、人間を、意識や知恵を担うところの“光”と感応させるもの-のように思えるのだ。だからこそ、古の行者たちや仏道修行者らは、坐禅を経て大悟したと、言ったのではないだろうか。

  それに夜は昼に比べて人間の執着力も低くなるから、夜の坐禅はいっそう知恵がはたらくわけだ。」

「では、オバアが夜中、坐禅をしている最中に、亡くなった娘さんが、未だ相関をもっているオバアに対して、光の波のようにして、その意識から、さっきの悟りを伝えてくれたと・・。」

「質量をもって宇宙にあるものは、すべて“量子もつれ”にあらわれる“相関”をもつ因果のなかで存在する。

  その母体や大本、根本となるものは、“神の愛”や“空”であり、これは光速による伝導に関係なく、非局所的に、偏在して、ここもあそこも、この世もあの世も関係なく、あるものだ。

  質量のない光というのは、この愛や空から、物(色)や性をあらしめる、仲介のような役目を担い、また、すべて神の愛からなる意識や知恵をも担うのである。

  人間=ホモ・サピエンス=“知恵あるヒト”の知恵というのは、この光に対する執着や執着力であるにすぎず、だからこそ自分自身に知恵や意識があるものと思い込んでいるのである。そして、その執着力が電子対生成を成すγ線ほど強ければ、波と粒子というように相反的に分けられないものに対する際には、それを局所的な粒子へと観測=認識させてしまうのだろう。

  だから、光が、局所的な粒子としての電子に対して光電効果を果たすのと同様に、原子爆弾原発などから発される本来この地球になかった光=γ線は、局所的な粒子へと認識させるこうしたヒトの執着や執着力を光電効果のようにして弾き飛ばしていくのだろう。

  こうして神の御手のもと、あるいは仏の掌のもと、命よりも核を選んだ人間の罪や業に対しての因果応報というものが、完結していくのである。

  だから、我々が生物的に生きている中での意識というのは、本来、我々の生存とは関係なくあるものなのだ。我々が生物的に生きている中での意識というのは、我々ヒトの粒子のような執着や執着力で、本来の意識というのは、生物の種や個体はもとより、生も死も関係なくあるものなのだ。

  つまり、オレが察するところ、人間が言うところの“死”なるものは“無い”のである。

  いや、無いと言うより、人間が言うところの“死”なるものは、人間がでっち上げた“フィクション”と言うべきなのだ。

  それは人間が、質量をもつものだけを実在・実体として見なすという物理的なフィクションを作りあげたのと同様に、人間はその執着と欲望から、己の生物的な生存にこそ執着して、“生”そして“死”なるフィクションを作りあげ、それで勝手に、“自分の体も意識もなくなる死への恐怖”なるフィクションに、また怯えているに過ぎないのである。」

「・・オバア・・、オバアはそれを、亡くなった娘さんの意識から伝えられたと・・」

「その通りだ。もっと言えば、“死は意識そのもの”でもあると思う。

だからこそ、生前以上に、故人がまるでいつも自分のそばにいるように、また、故人の意思が自分の意識にあるように思えてくるのだと思う。

  いや、これはもう率直に、“死”は非局所的な質量をともなわない全てのもののことを言い、すなわち“死”は“神の愛”の世界である-と言ってもよいと思われる。

つまり、古から言われるように-天国は存在する-ということも、また正しかったというわけだ。

  先ほどオレは、神の愛から光が生まれ、光から物(色)と性が生まれるというような、“愛→光→色→性”なる縁起を語ったが、これはまさに生物が生まれる際のプロセスで、この逆の“性→色→光→愛”が、数々の臨死体験の体験談が示すように、生物が死にゆく際のプロセスとも言えるのだ。」

「そして、天国が存在するなら、当然、地獄も存在する。

  人間は、糞尿にまみれたように、もとより罪にまみれた存在である。

  愛は、人間固有の属性ではなく、神の愛があってこそ人にも愛が照らされて、人は愛を知れるのだ。

  ゆえに、人間世界では、所詮、人の罪業は正確には裁かれ得ない。

  しかし、神は“人間であれば人間の責任を追及する”(19)と言い、仏は因果応報と言う。」

「オバア。いつか私も冥界をさまよった時、少しだけ、地獄めぐりを致しました。」

「うむ。そうだったな。で、どうだった? 面白かったか?」

「はい。人間界の観光地より楽しかった。裁きを受ける者こそが裁かれないのは、人間界のどうしようもない所ですが、それがそうではないことを知り、スッとしました。」

「それは結構。で、この地獄というのは、量子もつれとその相関性の理からも、説明できる。

  相関=相互の関係というからには、それには当然、不条理への“怒り”や“怨”も含まれる。

  そして生前、権力欲や金銭欲にまみれた輩は、死後もその執着が強すぎて成仏=昇天できず、冥界をさまよううちに、その輩の悪業ゆえに無念の死を遂げたもの、ないし無念の思いを被った生存者らが、その輩への怒りや怨の相関をもってして、この世もあの世も超えた形で、あたかも告発をし続けるかのように、その輩の罪を問い詰めていくのである。

  オレはこれが、マクベス夫人の、マクベス夫人たる由縁だと考えている。

  人間界はこのように、無実の他人を死にまで追いやり、さらにまたその屍さえも踏みにじり、己の欲と執着の成すがまま、出世を重ね権力を手中にして、賭け事や色ごとを常習とし、またさらなる悪業へとその手を血で汚していく輩が多いが、仮にこうした輩が人間界で裁かれなくとも、神や仏は決して許しはしないのだ。

  それとは逆に、こうした人間の罪=原罪ゆえに、無念の死を遂げたものは、言ってみればイエス様と同じように、その正しさゆえに復活を遂げていくとも言えるのだろう。」

「かくして、娘がオレに教えてくれた死の体験による三つの事項、つまり“神の愛の実存”と“お迎えに見られるような死者と生存者の意識の交流”、そして“死者がいつも自分のそばにいる死の実感”というものは、すべからく説明されたと思われる。

  また、以上により、“死”は本来恐れられるものではなく、むしろ“死は意識である”とも考えられ、これにより死は正しく照見されて、我々は度一切苦厄=一切の苦厄を度した(20)とも言えると思う。」

「オバア・・、有難うございました。まさにこれは私への最後の授業、最後の説法にふさわしく、私はこれを心にとどめ、これからの人生の糧としたいと思います。」

 

  こうして、伝法灌頂の儀に引き続き、オバアから私への言葉による伝法も終わったようだ。

  二人が籠っているお堂の外は、未だ嵐が続いていたが、雨風はその勢いを、やや緩ませてきたようであり、二人が向かい合っている灌頂壇の蝋燭の灯火も、いよいよ最後の残り火へと、差しかかっていくようである。

  オバアは長丁場に及んだ話に、やや疲れたようだったが、それでも娘さんの死をあらためて振り返り、その懺悔の思いを吐露したことで、かえって穏やかな境地へと至ったようだ。

  そしてまたしばらくの沈黙の後、オバアは私に語りはじめる。

「ところで、ユリコ。オレは先ほど“終身ノロ”の話をしかけたのだが、今からはお前にこの話をしようと思う。

  もとより“ノロ”というのは、琉球地方、今でいう沖縄県に伝わっている女性の神官をさす呼称なのだが、それがこの島へと伝わり、またこの地方に於けるお遍路とお大師様信仰とが合わさって、この嘉南島特有の祭祀文化が形成されてきたわけである。

  それでこの島のノロというのも、島の女でしか継げないという伝統があり、当代のノロであるオレは、自分の娘たちに継がせようと思っていたが、先立たれたのもいるし、また継いだとしても島を離れる事情が生じて再びオレが継ぎ直したりで、結局、オレひとりの状態で今日へと至っている。

  もっとも、こうなってしまったのは、地方の過疎化と、女性の晩婚化や就業体系の多様化など現代社会の事情によるのも多いから、それでオレの母の先代ノロは、それを見越して当代ノロであるオレを同時に終身ノロにして長生きさせ、そのうち継がせるべき者に継がせようとしたのである。

  そこでオレは、この島を当面の約束の地としてやって来たお前たちに、この島を約束の地とするからにはその世代からノロを立てねばならぬと考え、お前に当代ノロを一時預けたわけなのだが、今日お前がこの島を卒業するに当たって、オレはお前を同様に終身ノロにしておこうと思うのだ。」

「オバア、その終身ノロというのは、いったいどんなものなのですか?」

「この島を出た後も、それが神や仏の御心に適うものである限り、同様に呪術が使える。たとえて言えば、今後お前に危害を加えようとする者があらわれても、お前はそいつを風に飛ばし、地に叩き付け、海に沈めることができる。だから一生、お前は真の安全保障が得られるわけだ。

  それがメリットなのだろうが、デメリットは、本人が死を決しない限り、死ねないということで、オレのようにうんざりするほど長生きをさせられる-ということだろうな。」

「・・オバア、長生きするということは、若さも長く続けられる-ということでしょうか?」

「うむ。終身ノロというものは、神仏の特別のはからいにより、その本人にだけ特別な光が当てられ、相対性理論のように時間が長引くらしいので、その分若さも続くのだが、これはずっと若いままでいたいという女心の赤坂、いや、浅はかさを、同時に思い知らされることにもつながる。

  なぜなら、ブッダがかつて言われたように、基本的に“人生は苦である”からだ。

  それでも、オレがお前を終身ノロにしたいと言うのは、お前たちがこの現生人類=ホモ・サピエンスに絶望して、そこから次なる人類へと分岐するのを決意した初めての人類であり、つまりお前たちのこの自覚=意思により、同時に次なる人類への分岐が始まったからである。

  旧約聖書にあるように、かつてアダムは930歳まで生き、またノアは950歳まで生きたという(21)。

  それで現生人類を継ぐ新人類のお前たちは、イジメや差別や争い事ばかりするホモ・サピエンスらの狭間をくぐって子孫をつないでいかねばならないわけで、またお前は初代の母ともなるのだから、子孫たちが安定して代をつないでいくことを見届けるまで長生きをした方がよいのである。」

「オバア・・、私はそれでもいいですけど・・、私の夫であるテツオは、どうなりますか?」

「テツオ? 彼はお前の初代の夫で、その後二代目、三代目・・と続くわけだ。市川団十郎、仏のルイ王、ローマ教皇ダライ・ラマも、みな十代を超えて続いている。

  なぁに、今は二夫にまみえずと思っていても、年月が経つうちに、また気が変わるというものだ。」

「・・オバア、それはそうかもしれませんけど・・、私には、夫はテツオしか考えられない。と言いますか、私はテツオの思いに共鳴していて、彼の子しか産みたくないのです。

  テツオは、レイプをとても憎んでいます。

  彼はホモ・サピエンス特有とも言えるレイプ-それも圧倒的に多くみられる男から女に対するレイプを、サピエンスのゆがんだ進化がもたらしたものと考え、また、このレイプこそがあらゆる差別と暴力、そして戦争の原点だと考えているのです。

  それで彼は、3.11以来の絶望から、人間はいくら言葉で言っても教育しても悔い改めないことを知っており、レイプを根絶するためには、物理的にダメにするのが一番と・・・」

「ああ、ユリコ、もう言わずともよい。お前の思いはよく分かった。

  要するに、彼のイチモツでは愛がなければ不可能だから、彼の男子の系譜においては、そのイチモツを継がせることで、新人類では金輪際、レイプを根絶しようというのだな。

  さすがはテツオ、真の意味で、あっぱれと言うものだ。

  ならば、ユリコ。お前がこの後もノロとして修行を重ねることにより、今度はお前を師僧として、テツオを充分修行させ、ゆくゆくは同様に終身ノロにすることで、お互いに長生きすればいいだろう。」

「オ、オバア・・、で、でも、ノロというのは、女性しか継げないのではないですか?」

「だって・・、・・あれは、もう、女だろ。」

「・・・。オバア、ご存じだったのですか・・。いやはや、恐れ入りました・・。」

「島の皆が出払っても、彼一人が島に残って農作業をやるものだから、感心なヤツと思っていたら、ある時から見知らぬ女がその農場や花畑にあらわれ始めたものだから、目を凝らしてよく見てみると、それは何と彼だった。

  オレは時代の変化や、すでに核が支配して人類の交代が因果応報と思われる現世の一種の緊急事態においては、伝統的な祭祀文化や修行の意味、あるいは経典においてさえ、柔軟な解釈が必要と考えるし、また、これもジェンダーフリーの一環として、彼がノロを継いでもいいと思う。

  また、ヨシノとキンゴの二人については、彼らは内部被ばくの医者として充分修業するだろうから、それを人間愛の実践としての修行と見なし、お前が二人をいずれは終身ノロにしてやればよいだろう。ヨシノはワルキューレ-女武者みたいだし、またキンゴは言うまでもなくあれほどの大音響で鳴らすほどワルキューレが大好きだし、それで二人の子はワルキューレのような女の子だろうから、お前とテツオの男の子とで、産めよ殖やせよをやっていけばいいのである。  

  思えばオレたち人間=ホモ・サピエンスというものは、いつの時代もどの社会でも、その基盤には“男尊女卑”というのがあったし、そしてまた現在にもある。それは構造化された社会的差別であり、基本的に女には男より低い地位と賃金に甘んじさせ、纏足や黒いベール、窮屈なコルセットや歩きにくいハイヒールを強制するなど、視覚的にも象徴的にもはっきりと表現され、また自動車の運転を禁じたり、夫の同意なく預金口座を持つことを禁じたり、より上級の教育を受けることを禁じたりして、とにかくありとあらゆる手段を講じてオレたち女を社会的・経済的に独立・自立をさせないように、暴力と戦争で社会秩序というものを優先的に構築してきた男どもが、自分たちの優越性を損なわないよう仕向け続けてきたものである。オレが思うに、こうした人間=ホモ・サピエンスの“男尊女卑文化”というものは、究極のただ一点を抽出すれば、それは“娼婦を生産し再生産し続ける”ための装置だということだ。なぜならば、経済的・社会的に独立し自立させないようにして、たとえ働きだしたとしても恒常的な低賃金と不安定な労働環境に置き留めることにより、常に娼婦と娼婦の予備役なるものが社会的に供給され続けるからである。

  そしてこうしたことを可能にし、また当然の前提のように思わせている、これも究極のただ一点を抽出すれば、それは、愛も発情期も関係なく、ただ弄びと支配欲のためだけでもセックスを楽しめるような異常な進化をしてしまったヒトのオスのペニスだと思うのだ。しかし、人間みたいに高度な細胞分裂をする生物には、未だメスのみで子孫をつなげる単為生殖は難しく、子孫をつなぐ生殖には、オスのペニスから供給される精子がやはり必要なのである。だから勃起した男のペニスの存在価値があるように思えるのだが、しかしながらオレが思うに、これはファスケスの棍棒と同じく、男尊女卑原理の物理的な根本をなし、それゆえにありとあらゆる暴力の根源ともいえるのである。

  だから、テツオがそういう伝統的な人間の男たちから独立し、神の神聖の名のもとに、愛とそれゆえのセックスに基づいて、精子を供給し続けるようになれば、彼こそが新人類のアダムとして相応しいと、オレもつくづく思うのだ・・・」

 

  外の嵐もピークを過ぎて、灌頂壇の蝋燭も、あとはわずかな残り火へとなっていく。

  そんななか、今度は私の方からオバアへと、最後にひとつお願いをしようと思う。

「オバア。今日は長らく有難うございました。それでこれは私からのお願いですが、そのオバアに生死の意味を教えてくれた娘さんの供養というのを、私にもさせて頂きたいのです。

  なぜなら、その娘さんがあったからこそ、今日の私があるような気がするからです。

  ですから、今日の卒業後も、私が供養できますように、娘さんのお名前と、できればお写真のようなものを、いただけたらと思うのですが。」

「そうか、有難う。お前はやっぱりあの子とよく似て、優しい子だ。

  では、後付けで送ろうとするお前の荷物の一角に、娘の名と写真とを入れておくことにしよう。」

  そしてオバアは、この時何かをひらめいたのか、急に顔を明るくして言うのだった。

「そうだ。供養をやってくれると言うのなら、オレがお前に今まで語った彼女の最期を、語り継いではくれないだろうか。

  あの子の最期は、その苦しみは本人にしか分からないものであり、オレなんかが後でとやかく言うべきではないのだろうが、がんという悲痛な病に倒れたものではあったけれども、その反面と言っては何だが、たしかに愛に満たされた、神の愛に満たされたものだった。

  娘は、未だ修行が熟さない中学生の頃から既に、“自我なる実体は存在しない”と言っていた程だから、これから新人類の母となるお前が長きに渡って伝えることで、自分の名が広く人に知られていくのを潔しとしないのかもしれない。

しかし、彼女の最期を伝えるのは、神の愛の実存、そして生と死というものを伝えるのに相応しく、それはあの子も了承してくれると思う。

  お前たち新しい人類が、再び旧約聖書のような書物を編もうとする時、その一節のような感じで、あの子の意思と生き様を、伝えてくれればよいと思う。」

 

  外の嵐も過ぎゆきて、雨風の音もおさまり、灌頂壇の蝋燭の灯火も、既にほとんど消えつつある。

  オバアはこうして、この島での私への最後の教えを、出し尽くしたようだった。

  そして、いよいよ私は、私の師僧であるこのオバアとも、別れの時が来たのを感じた。

  しかしそれでも、寂しさや悲しさというよりかは、私にはなお緊張した思いが残る。

  それで、これで最後か、オバアはまた姿勢を正したので、私はもとの結跏趺坐にて向き直る。

「ユリコ。お前は今日の日をむかえ、当代ノロの務めを果たし、この島での修行を完成させて満行=結願へと至ったわけだが、この島を出た卒業後も、今後とも“ノロ”としてなおいっそう精進し、修行を重ねていかねばならない。

  なお、お前はこれより師僧であるオレのもとを離れるわけだが、今後お前に悩み事や、身に困窮が生じた時には、意識の中より、心の底より、オレに助けを求めるがよい。さすればオレは意識を通じて、お前に解決策を教えるのだが、お前にはあたかもそれが自分自身の思いつきと感じるだろう。

  オレたち歩き遍路というものは、“同行二人”ということで、その遍路道を行く道中、何度も何度も御宝号の“南無大師編照金剛”を唱えるのだが、有難くも弘法大師=お大師様は、その時常に我々お遍路たちとともにある-とのことである。お前もオレも生涯一お遍路で、ともに同じく同行二人だ。

  オレはかつて娘も歩いた遍路道を歩いていた頃、八十八カ所の札所であるお寺に着くと、大師堂に参拝して、そこに掲げられている“弘法”の字を仰ぎ見たものだったが、その時の嬉しさは格別のものがある。これでお前が無事満行したので、オレはまた遍路に出て、あの子の供養をしたいと思う。

  では、ユリコ。これでいよいよ時が満ちた。オレは今日最後の仕事として、これからお前に終身ノロを授けよう。」

  オバアはそれで、結跏趺坐の姿勢のまま、Vの字にした両腕を天にむかって掲げると、私たち二人が籠っていたお堂は、見る見るうちにこんもりとした木に囲まれた御嶽のような姿に変わり、その天井があった所はぽっかりと空きが開いて、雨雲が過ぎた後の月の光が、白々と差し込んできたのだった。

  そしてオバアは手を掲げ、目をつむったまま、天と私たち二人をつなぐように、言葉を発する。

 

嵐が過ぎゆき湿っぽい霧があたりを鎮め、憂鬱な圧迫感が覆ってきた(22)。

蒼白い雲を再び集めて電光雷雨を引き起こし、神よ、天を清めたまえ!

雷神よ、呼びたまえ、雲と霞を!

雲よ、霞よ、またここに集うがよい。風神も、お前たちを呼んでいる。

湧き上がる雲たちよ、石鎚を振り上げたなら、飛んでくるのだ。

そして雷神、風神は、天に虹の橋渡しを、命じるだろう。

 

おお、けだかく生まれたものたちよ(23)。

汝は今、真の実在ー原初の光を経験し、それは本性が空、生来の空である。

それは何も無い空ではなく、色へと形づくられず、妨害されず、輝いて至福に満ち、知性それ自身としての空であり、それは真の意識、全善なるブッダであり、この二つは分けられない。

この世の生に執着するな。溺愛するな。我執を捨てよ。それに魅惑されるな。怯弱であるな。

 

お前たち、産めよ、殖えよ、地に満ちよ(24)。

空の鳥、陸の全て、海の全ての生き物とともに、お前たちは再び置かれる。

草や木や花々もまた同様に、微なる生き物、虫たちもお前たちとともにある。

お前たち、お前たちの血、すなわち命については、その責任は追及される。

人間ならば人間の責任が追及され、人間の命には人間同士の責任が追及される。

神は、お前たちとその子孫との間に、あらためて契約を立てられる。

地の上に雲が湧き、現れる虹というのが、神とお前たちとの契約の徴である。

地の上に雲が湧き、虹が現れ、神はお前たちとの契約を思い起こすことだろう。

 

ユリコ! そして愛すべき子供たちよ!

お前たちはこの楽園を巣立っても、独立自尊の芽を絶やさず、最初は小さな苗であっても、やがては一本立ちをする稲のように、地に足をつけ力強く生きていくのだ。

そして一本の稲が分けつを重ねては、やがては一つの種籾から幾千の米粒を実らすように、お前たち、新しい人類たちは、産めよ、殖やせよ、地に満ちよ。

神はお前たちのこの楽園からの巣立ちを祝して、再び天に虹の橋をめぐらすだろう。

お前たちはその橋を渡っていき、お前たちの約束の地へと赴くがよい。

未来はすべてお前たちのものであり、何人たりともお前たちの行く道を妨げることはできない。

さあ、行け!

お前たち、くれぐれも油断するな。だまされるな。

何事も、自分の頭で勉強し、自分の頭で考えよ。

そしてお前たち、すべて次世代の子と若者たちに、夢と、希望と、幸いと、

神の御加護があらんことを!

 

お前たち、往けるものよ、往けるものよ、彼岸に全く往けるものよ、目覚めたものよ(25)。命に全く目覚めたものよ、彼岸をこえて、お前たちの約束の地へ、継いで行け。

お前たちのその足で、己の命を継いで行け。

お前たちが受け継いできた、永遠のその命を、お前たちのその足で、継いで行け・・・。

 

  オバアが発した祈りの言葉は、最後の方で涙声が入り混じってはいたのだが、同じく涙目で見上げた私へと向ける形で、オバアはVの字に掲げた両腕の、手のひらだけをこちらに向ける。

  すると、宙には、再び集まってきた雨雲が天をめぐって、一瞬、石鎚のような音とともに雷光を輝かせ、ザッと水しぶきのような雨を降らせたかと思うと、この天にむかって丸く開いた御嶽の上より、月の白い光の線が、オバアのVの字の両手に、招き入れられるかのように降りてきて、それは私の方へと向けられた両手のひらで集められては、そこから反射するように私自身を照らしはじめる。

  月の光はますます強く、私の全てを照らしていき、そのあまりの眩しさに、私は思わず目を閉じる。

 

 

  目を閉じた私の脳裏に、やがてさまざまなビジョンが起こる。

  月の光は、その光源を宇宙のはるか先へとつないで、ついには天の川か銀河に達し、その銀河の星々の光の粒が、光の線を伝わって、そのまま私の中へと入る。

  そしてその星々の光の粒は、私の全細胞へと宿り、私は自分の何十兆もの細胞から、遍照金剛というように、あまねく光でダイヤモンドのようにして、照らされていくのを感じる。

  私は宇宙からの光、それは白色ばかりではなく虹のような七色の光に満たされ、私はこの身が、まるでこの身が光を受ける花として、生まれ変わっていくのを感じる。

  そして私はこの時、花が神の愛の化身であり、すなわち光の化身であり、美と優しさと、永遠の知と意識をつなぐ、命の化身そのものであることを知るのだった。

  花は光と命の化身であり、また同時に、雌雄同体の生殖器-性の器でもあるのである。虹のような七色の光に満ちて、私はこの快感が-本来のオーガズムかも-とも思う。

  ヒト以外の、またヒトとまではいかなくても、自分への執着が薄い他のすべての生き物たちは、この花として具現化している、神の愛と美と優しさと、永遠の知と意識と命を知っていて、自らも花を模しつつ、SEXという行為に臨んで、それが雌雄であるのなら次なる個体へ、それが雌雄でないのなら次なる愛へと、つながり行くのを知っているのだ。

  だから彼らは、性を弄ぶこともなく、また、死を恐れることもない。

  いや、もしかして同じヒトでも、ネアンデルタール人たちは、これをまだ知っていたので、死者に花をたむけたのではないだろうか。  

  そして私はこの時、ある思いが悟りのようにこの光の中から降りてくるのを感じた。性は“男女の二つ”の別ではなく、性は本来その個体ごとに全て異なるということを、それはヒトのみならず、この世にあらわれる全ての動植物ごとに、その各々の性は本来違うということを、私は感じた。

  “神の愛”が唯一の実在であるとすれば、その愛は“聖霊”として遍く満ちて、この世に質量ある物質、そして生命=個体を創造すると思われる。

  “光”が聖霊の物理的な実在であるとすれば、“性”は多分この聖霊の生物的な実在なのだ。

  だからこそ、“性は光のセンサー”といえるのだろう。

  だから光が、そのエネルギーや波長をもって、あらゆるグラデーションをもつように、性も男女の二分に分かたれるのではなく、光のようにあらゆるグラデーションをもつのである。

  ヒトが言うところの“性=SEX”とは、この性のエネルギーが最も高まる“生殖”にのみ着眼をしたものであり、だからヒトは、性を男女・雌雄のオスとメスの二区分でしか見ないのだ。

  私たちヒト=ホモ・サピエンスは、太陽光で最もエネルギーの高い領域を可視光域としたように、それと全く同じように性のグラデーションの中でも最もエネルギーの高い“SEX=生殖行為”に、ことさらに執着をしたのである。

  それで私たちヒトは“性は男女の二区分”でしかなく、それがアダムとイヴの原罪をもたらした。

  いわば“性”は“魂”とほぼ等しく、違いといえば性の方がより生物的・感覚的なのであり、レイプが魂の殺人といわれるのは、全くその通りなのである。

  そしてこの“魂”は独立している。だからこそ私たち生きとし生けるものたちは、お互いに意思そして意志をもち、“性”をつうじて生殖を繰り返し、生命を永遠につないでいくことができるのだ。

  “性”は究極の個であり、個人にして個体であり、それは執着でしかない“自我”よりも確かな実在といえるのである。

  “性”は美と愛と等しいものであり、同時に“性”は美と愛を個体の感覚と結びつける一種の構成力、エネルギーから生命体を構成する構成力を担うのである。

  そしてこのように考えると、“主は聖霊より宿り乙女マリアより生まれ”というのは、必ずしも非科学的と言い切れるようなものではないと私は思う。

 

  私は夢から覚めたように、気づいてみると、すでに光はなくなって、こんもりとした御嶽も消えて、お堂はもとのとおりに戻り、そして師僧のオバアの姿も、すでにそこからなくなっていた。

  二人がはさんだ灌頂壇は、灯が尽きたような灰が残り、オバアが結跏趺坐していた座布団からも、すでにその温もりは去っていた。

  オバアが座していた後方からは、空のうっすらとした白やみが差し込んできて、私は夜明けが近づいてきたのを感じる。

  私はそれに引かれるように、お堂の外へと歩みはじめる。

  大地はすでに今日の息吹をかえしはじめて、まだ陽が昇らぬ早朝の、心地よい青々と目覚めた大気に、私は思わず深呼吸をし、胸いっぱいにその氣をつめる。

  この嘉南岳の麓に茂る樹木からは、遠くに広がる太平洋が、青白く、果てることなく横たわっているのが見えて、静かではあるのだが、私たちの行く末をたしかに見守ってくれそうな感じがする。

 

 そうだ! 今日の朝、太陽が水平線を昇る頃、テツオが島をたつはずだ。

 私は彼を見送ろう。

 私の夫、愛する彼そして彼女を見送ろう。

 彼は一人で小船を操り、この嘉南の島を、私たちの当面の約束の地であったこの島を、見納めとして一周をするだろうから、裏の小さな岬の前も通るはず。

 私はそこに一人立ち、旅立つ彼を見送ろう。

 

 私には、それで一瞬、レイコさんのビジョンがよぎる。

 私は今や、私のなかの彼女の愛を、はっきりと感じ取る。

 レイコさんもまた同様に、これからもずっと私を見守ってくれるだろう。

 

 私は陽が昇る前にと、裏の小さな岬に向かって歩を急がせる。

 樹木をぬい、岩場を下って、行き慣れた行者の道を、この島の私にとっての最後の道を、私は自分の二本の足で、たしかな感じで踏み越えていく。

 

 島の裏の小さな岬に立った私。

 目の前には、世界に通じる、果てしない太平洋が、今まさにある。

 かつて私たち4人は、この岬に立ち、同じように太平洋を望みながら、

 新人類ニアイ・カナンレンシスとなることを、お互いに祝福しあった。

 そして今、ふたたび同じく海に面して、私はテツオの到来を待つ。

 私の背後に聳え立つ嘉南岳の山の精も、すでに私のなかにはあるようだ。

  

 そして私は師僧のオバアが唱えてくれたあの一節が、もう一度、海の声、山の声をともなって、波のように、風のように、私のなかから聞こえてくるのを感じ取る。

 

 -往けるものよ、往けるものよ、彼岸に往ける、彼岸に全く往けるものよ、悟りに幸あれ。

  往けるものよ、往けるものよ、彼岸に往けるそのときに、彼岸に全く往けるときに、さとりあり(26)・・・-