1月中旬の一次試験を無事終えて、ヨシノとキンゴは3月初旬の二次試験へと向かっていった。
それと期を同じくして、2人はほとんど実家での受験準備に籠ってしまい、校長もレイコさんも選手に寄り添う監督とコーチのようにほぼつきっきりとなったので、私とテツオの学業も事実上終わりとなり、私たちは卒業までの残りの時間を渡航準備などに費やし、テツオは農作業を完結させ、私は島のノロとしての満行を目指しつつ、2月の日々を送っていった。
そんなわけで私たちの卒業式は、2人の合否発表後の3月下旬が妥当とされたが、それはちょうど私とテツオが就業するブレンネル峠の“保養の家”に4人が招待される時期と重なり、それならいっそ私たちばかりでなく、ヨシノとキンゴのご両親や校長もレイコさんも、またタカノ夫妻もミセス・シンのご家族も、この際卒業旅行と銘打ってこの保養ハウスで卒業式も行おうとの話になった。
ところがその後、保養の家から、欠員補充の都合もあってなるべく早く来てほしいとの要請があり、テツオと私は渡航をはや3月初旬に繰り上げて、この嘉南島を巣立つことになってしまった。しかもその上、テツオが出国する前に、私を彼の父に会わせたいと言ってきたので、彼の父の都合もあわせて、ヨシノとキンゴが第一志望の大学以下、複数校を連続して受験していく全日程が終了した後、私たち2人だけで先に飛び立つことになってしまった。
日程が早まりはしたものの、2人の合格祈願のため、またこの島のノロとして、旅立ち巣立ちのその日まで私には行者としてのお勤めがあり、それは最後に私がこの3年余り預かってきた“当代ノロ”をオバアに返還することで、一応の区切りとなる。しかし、こうして行者としてのこの島での満行に日程的な目途はついたというものの、私にはまだ心残りがあるのだった。
私は、一次試験以降、2人の受験準備が最終段階へと入っていくなか、レイコさんの神経が当事者以上にますます高ぶり、ストレスで疲労も重ねていっているのが、あらためてよく分かるのだった。
それは、時おりキンゴやヨシノのパパたちと酒と釣りとに興じながら、その間は歌舞伎役者のものまね以外はすべてを忘れる校長や、適度に海の氣を吸って体を動かし、ストレス晴らす術を知ってる海人ヨシノや、一次試験で化学50点台という失態をおかしながらも、ジークフリートの葬送行進曲なるもので逆にハイになっているキンゴと違って、もとより担任と受験指導役なる責任感のせいもあり、レイコさんはこの3人分のストレスまでも吸ってるのではと思われるほどだった。
「そう、その通りよ。ヨシノはいつも真面目だけど、うちの人もキンちゃんもノーテンキで、あたしの方がハラハラしているんだから・・。」
「では、私がレイコさんのストレスを吸い取って、4人分のを消化して差し上げますね。」
と、2月のある日、予備校での最後の直前模試の日に、久しぶりに気晴らしに出たレイコさんに、私は九字を切ってあげてそのまま背中をパンパンパンと、彼女のトレンチコートの上から3度たたいてあげるのだった。
「あ~、何だか、霊感あらたか・・。ありがたくもジーンと効いていくような・・。」
暖冬のなか晴天にも恵まれて、レイコさんと私とは県立美術館小ホールでの“春の高校生演劇祭”を観に来ている。
レイコさんは県の高校での部活動で、演劇部の顧問をされていたとのことで、初夏・秋・春と年3回の高校生演劇際は毎回観に行っていて、この春の部は受験のない1,2年生によるものとのことである。
演劇祭での演目には、イジメや貧困、友人との人間関係、学校や家庭での暴力などの高校生を身近に取り巻く問題を扱ったもの、またその他にも、過疎化や人口減少といった社会問題、また戦争や大人の世界ではタブー視される原発問題を正面から扱った秀逸なものが少なくなかった。そしてそれらの演目は既存の作品以外にも、顧問や生徒があらたに創作したのもあった。
「先生も演劇部の顧問として、ご自身で戯曲を作られ上演されていたのですか?」
と、終演後、2人で時々通っていた、よもぎワッフルが美味しくて、玄関のお花畑が可愛らしい田園調の喫茶店で、いつものようにお茶をしながら、レイコさんに尋ねてみる。
「いいえ。これを生徒ファーストというのだろうか、私はもっぱら、生徒自身の創作を生徒が演じ、また演出するのを見守る側にいたのよね。だから生徒が作品をつくるまではその創作を促す立場で、そのためにはこうして演劇祭を観に行ったり、朗読会を重ねたりしていたのよ。
私は演劇は教育的な効果も高いと思っているけど、それよりもまず、自分の意見を表現するということ自体が大切だと思っていて、それを自分の言語と身体とで他者に向かって表現するという経験を生徒にはしてほしかった-ということなのね。
うちの部は秀逸な上演で評価の高いN高と似て、男子3人女子4人の部員たちが3年生まで活躍してくれたから、1,2年生にもうまく引き継がれて良かったけれど・・。でさ、その男子2人の不良役が上手でさ、バイクで免停くらった演技なんかはホンモノみたいで、いや本物だったのかもしれないけど、それでもどこか心に寂しさがあり、それが演技なのか当人の本心なのかも判然としなかったほど・・。
あの子たち、今ごろいったい、どうしているのか・・・。」
レイコさんが窓から外を見つめたまま、またしんみりモードに入ったので、私はいつもの話題転換を試みる。
「あの・・、レイコさんご自身の演劇体験みたいなものは、あるのですか? たとえば素人劇団の女優さんのようだったとか・・。」
「いいえ。私は観るのが専門でね、それこそ歌舞伎座から小劇場に至るまで、いろいろ観てたよ。でも、いろいろ観てきたその中で最終的に残ったのは、私の場合は、やっぱりシェイクスピアかなあ・・。」
「シェイクスピアと他の演劇とで、何が一番、違うのでしょうか?」
「うーん、まず、登場人物がみな澄んでいるってことかしらね・・。悪役にせよ何にせよ、シェイクスピアの劇中の人物たちは何か澄んでるような気がするのね。
それとあともう一つは、私が思うに、“権力と人間”という主題だろうか。たとえば『リチャードⅢ世』は独裁者の典型で、心に闇と劣等感を持つ男が己の権力欲のまま権力を手に入れて、奢れる者は久しからずの理どおり滅んでいく一代劇の話だけれど、これが『マクベス』にもなると主人公のマクベスもその夫人も、その性根は決して完全な悪とは言えず、むしろ人間ならだれしも持ってる‘魔が差す’弱さで過ちを犯してしまい、その過ちがまた次の過ちの呼び水となり、ついには己の良心の呵責に耐えれず死に至る-つまり、権力欲の悪というより人間の心の弱さとその良心の普遍性にスポットが当てられている気がするのね。さらにこれが『リア王』ともなれば、王は自身の権力を長女と次女に譲るのだけど、権力を得た彼女らがそれにより人間から離れていくなか、王は全てを失って生身のままの人間として荒野へ投げ出されるのだけど、しかし彼は権力を失うことで、逆に人間として救済されていくように私には思われる。『リア王』はその凄惨な結末からして悲劇だけど、私は人としての救済劇の面もあると思うのね。だから同じ“権力と人間”をテーマとしながら、作者は年月を経て作品を重ねるごとに、より深く人間を見つめていったのではないだろうかと、私なんかは思うのよね。」
そこまで言うとレイコさんは、この日頼んだキリマンジャロを口にすると、少しだけその口元を緩めながら、彼女自身の経験を語ってくれた。
「・・私ね、会社員だったころ、イギリスにあるシェイクスピアの故郷を訪ねたことがあるのだけれど、そこには塔の形の記念碑が建てられていて、塔の上には作者の像、そしてそれを取り巻く土台の四隅に、ハムレットとフォルスタッフ、あともう一人は忘れたけど、マクベス夫人も確かにあったの。
その“レイディー・マクベス”の像というのは、あの有名なワンシーン-夫であるマクベスの主君殺しを教唆し幇助したという、己の罪に対しての良心の呵責に耐えれず、夜な夜な城を徘徊し、狂人みたいな宙を泳ぐ眼差しで両手を前に晒しては、“この手に滲んでしまった血はいくら洗っても決して消えることはない”のまさにその姿だった(1)。
私は当時、なぜよりによってマクベス夫人がシェイクスピアを代表する4人の登場人物のなかに選ばれ、この記念碑にいるのだろうかと思ったけれど、これがかえって印象に残ったし・・、また皮肉なことに、私にとってもより身近なものになってしまったのかもしれない・・。」
レイコさんがまたここで、顔をうつ向けしんみりモードに入ったので、私は再び話題転換をはかろうとするのだった。
「・・でも、レイコさんも演劇通なのですから、ご主人とも趣味が同じく気が合って、よかったのではないですか。」
しかし、レイコさんはうつ向き顔をやや傾けると、そうでもないといった感じで、こう答える。
「う~ん。たしかにそういう夫婦や恋人たちもいるだろうけど、私は“つかず離れず”というどころか、“つかず離れて”くらいの方がいいような気がするのよねえ・・。
だって、ユリコ、考えてもご覧なさいよ。夫婦なんて下手したら一生2人でいるのだから。常日頃からお互いに“いい距離感”を保った方が無難かもよ。
それにだいたい、私は最近思うのだけど、“愛”なるものは人間の属性から来るものではなく、愛はただ、神の愛から派生するのではないだろうかと・・。
人間が言うところの“愛”、特に性を問わず人間同士の愛というのは、むしろ人間の執着の反映で、それが神の愛の映し絵であればあるほど、より純粋さと普遍性を増すのではと-私なんかは思うんだけどね・・。」
結局、レイコさんと私との課外授業-というか私たち二人のデート-は、この2月の日で終わりとなってしまったようだ。
私はそれでも、この日が高校生演劇際の鑑賞であったように、レイコさんは映画や絵画などを通じて、できるだけ芸術に私を触れさせ、また、他の同世代の若者たちが今何を考えているのかということも伝えたかったのだろうと思う。その意味でも、彼女はやはり私にとって恩師だった。
やがて3月が到来し、ここまで来ればもう受験も本番、校長もレイコさんも県のホテルを借り切りで、2人の受験終了まで県につめることになった。
そして同時に、私たち2人にとっても島をたつ日が迫ってくる。日程的には、テツオは久々に彼の父と過ごすべく私より1日早く島をたち、私はギリギリまで行を勤めて、ノロとしての最後の夜にオバアにノロを返還し、それから身の周りの整理を終えて1日遅れで島をたつ。そして3人は首都圏で合流し、その翌日にテツオと私はこの国を飛び立つとの段取りになったのだった。それで私は、ヨシノとキンゴの連続受験の最中はレイコさんとは会えないので、私は2人の受験の全日程が終わった翌日、その昼間にレイコさんの家を訪ねて3年間のお礼を兼ねた挨拶をし、その夜にオバアにノロを返還する予定でいた。
ところが、ここでテツオの父の都合が変わり、島をたつ日を繰り上げざるを得なくなり、2人の連続受験の真っただ中、それも第一志望である県立医大の受験日の翌日早朝、テツオが島をたつことになり、私はその1日後となることから、その間も受験は続いていくわけで、私は島ではもうレイコさんに会えないことになってしまった。傍から見れば、どのみち全員で揃う卒業式があるのだし、そこで正規の別れの儀を済ませればよいようにも思えるが、私はこの島のノロとして身も心もこの嘉南島と一体なので、私はあくまで私たち4人にとっては約束の地であったこの嘉南の島で、それもノロとしての満行の日に直接レイコさんの家を訪ねて、今までの御礼はもちろん、別れの挨拶を交わしたい-それもできれば2人きりで交わしたい-との思いがあった。
そしてついに、私にとってこの島の当代ノロの最後の日=満行の日がやってきた。
この満行日の夜、私はオバアと、3年ほど前かつて私が受拝した“伝法灌頂”の儀をかわして、当代ノロを還すのだが、私は午前中に行者として嘉南岳への最後の上山・滝参りを成し終えると、これで行自体は終わりとなり、日が暮れるまでは久々に時間が空いた。
行が無事に終わってしまうと、私はノロの重責を終えたことにホッとしたのか、レイコさんともこれでもうお別れかとの思惑が急に高まり、もはや居ても立ってもいられなくなり、それで普段着に着替えるとすぐ、私の足はレイコさんの家の方へと向かって行ってしまうのだった。
家に行っても会える目途などまったくないし、この日はまさに2人の第一志望である県立医大の受験当日。だからこそ私はこの日を嘉南岳の最後の上山・合格祈願の日としたのだが、レイコさんは県から戻ってくるはずもない。しかし私は、今まで何度も訪れた彼女のこの“菩提樹の家”に寄るのも、今をおいて他になく、たとえ彼女と会えなくても、せめてこの思い出の家にだけは、行場にも似て私の最後の満行の足跡を残しておきたい-そんな思いが私をこの家路へと導いてくれたのだった。
垣根ぞいに踏みなれた小道を伝い、あの懐かしい菩提樹の木陰をくぐり、レイコさんのガーデンへと入っていく。今にして思い返せば、『創世記』の楽園には、知恵の実の木と命の実の木と、二本の木があるのだが、これはちょうどこの島では、この菩提樹と嘉南岳の下にあるテツオの田畑の傍らのクスノキの二本の木が、それと相似をなすかのようだ。
レイコさんの家の窓は、主が不在の証として固く閉ざされ、締め切られた白いレースのカーテンも、音もなく風にも吹かれず、鉄のカーテンみたいな感じで、それは二次試験が無事終わるまでというような彼女の決意を代弁しているようにも見える。
私はそんなカーテンと彼女が愛でたガーデンの双方を眺めながら、彼女が窓を開けて好んで弾いたドビュッシーの『映像』を、記憶の中より呼び戻す。・・奥行きと幅の狭いアップライトピアノの上に、白鷺が休める羽根を広げるように充分に行き渡るレイコさんの長い四肢から紡ぎ出される『映像』の『夢』・・。その夢のように過ぎていった私たちのこの3年間・・。そしてその最終章は今、彼女と愛でたこの庭の、春を待ちわび、今にも咲き出でんとする草花たちの見えない氣により、時を画されようとしている・・。
私はこの窓辺からガーデンへと、能舞台のように突き出されたウッドデッキの座り慣れたテーブルチェアに、今一度腰かけてみる。
満行の春。陽の光も充分で、菩提樹の木陰の下でも寒くないほど。暖冬の余韻もあってか、例年にない3月初旬の暖かさだ・・。
この陽の光と暖かさ、そしてそれらに醸し出される潮の香りが、『映像』よりもよりビジュアルな『海』を私に想起させ、やがてその調べはさらに、二人の愛の喜びが入り混じった『ダフニスとクロエ』の響きへとつながっていくようだ(2)。
私はこの曲の冒頭部を、想像でレイコさんとピアノ連弾しようとする。・・夜明け、海原に貝のような波紋を散らして反射する陽の光にも似た細やかな高音部のパッセージを彼女が奏で、私はまた主旋律を下支えする連続する和音と和音を、その低い音階から上昇させては波紋を広げていくかのように、積み重ねては響かせていくのだった・・。
レイコさんと県街中へご一緒するようになったのは、ヨシノとキンゴが医学部受験を志し、2人のために島の授業と受験準備が一緒にされたお陰でもある。それはレイコさんにしてみれば、教師として代替の課外授業を提供するいい機会となり、主に美術や芸術鑑賞の名目で、週1,2回、私を図書館や美術館、あるいは映画や観劇、コンサートに連れ出すことができたのだった。レイコさんはもちろん教師として真面目な気持ちでして下さっていたのだが、あとで必ずお茶とケーキがついたので、私にとってはデート以外の何ものでもないのだった。
こうしてここに座っていると、私の記憶のその中から、彼女の声が再び私の心へと、届いてきそうな気がするのだ・・。
「・・やっぱり私にとっては、ショスタコビッチの音楽は、他人事とは思えないのね・・。」
今日のような穏やかなある晴れた日、コンサートのあと行きつけのオープンカフェーで、停泊中のヨットの帆が吹かれるのを眺めながら、白ブラウスのパフスリーブとブルーのフレアスカートを風にそよがせ、レイコさんはアルトの声でそうつぶやく。その名前は正確にはショスタコーヴィチと発音するようなのだが、彼女は子供の頃に覚えたショスタコビッチとよく言ってしまうらしい。
「小学校の音楽室に作曲家たちの肖像画が年代順に貼られていて、その最後の方のメガネをかけたサラリーマンみたいな人がずっと気になっていたんだけれど、社会人になって初めて生演奏で彼の交響曲第8番と第10番そして第11番を聞いて以来、その音楽は私にとってますます他人事とは思えなくなっていった(3)。マーラーブームという言葉があった時代だけど、私はマーラー以上にショスタコビッチの音楽には、身につまされる思いがするのね。」
「それはレイコさんにとっては、またどうしてなのですか?」
そんな大雑把な質問にも、レイコさんは宙を見ながら、モノローグのような静かな口調で、私に語ってくれるのだった。
「シェイクスピアに似たように、ショスタコビッチにもよく言われる通り“権力と人間”の主題があると思うのだけど、時として音楽は言葉以上に雄弁に伝えるらしく、だから言葉では言いにくいけど、あえて言うなら、私は彼の音楽には、時より“恐怖”を感じるのね・・。」
「それは俗によく言われるような、スターリン体制下の恐怖-から連想されるものですか?」
「それも多分にあるけれど、私はもっとそれ以上の、自分も含めた人間への恐怖というのか、そんなものを感じるのよね。
それは、独裁的な権力のもと、芸術家の表現の自由が圧殺され、また芸術家自身が粛清される恐怖ももちろんあるけれど、その権力にすすんで従い、むしろ積極的に協力していく人間たち-善良な顔をしながら仲間を売って、それを自分の出世の踏み台としていくような、手のひらを返したような節操のなさ、良心の片鱗もないそんな人間たちの合間にいながら、強風に吹かれるままちぎれて飛んでいくような木の葉のようにかき回される自分の“正気”をどう保っていくかという“恐怖”-そう言えばいいのかな、そんなものを私は時々感じるように思うのね・・。
私たちが経験した3.11を例にとっても、たしかに、最初のころは権力が悪の権化のように思えた。でも時を経るなか人間の行動を見ていると、権力が弾圧やら買収やら特に何もしなくても、人々の間には自然と分裂が生じてくる。多分もとより人間は、互いに差別がしたくてしたくてしようがない存在なのよ。だから自然にいがみ合う。3.11あるいは新型コロナのようなのが生じると、それを期に人間は己の内なる“暴力”が解放されると思うのか、自分が主に少数の被害者側に立たないと感じとるや、その相互排除、相反的な本性をあらわすのよね。何もカネのせいだけじゃない。ヒトの何事にも相互排除、相反的に差別を求める習性が、わずかなカネでも惹起される。世間にはヘイトと差別とバッシングとが満ち溢れ、他人をやらねば自分がやられるようにさえ思う。そのなかで良心に沿い、正気を保つということは、それだけでも気が狂いそうなことかもしれない。」
そのお話に、思わず感情移入して苦しそうな私の気配を察したのか、レイコさんは私の目を見てややうなづくと、少し話の傾向を変えてくれたようである。
「・・生演奏が聴けるようになったのは、就職してようやく社会人になってからで、うちには母のピアノはあったけど、親の世代はまだマーラーもショスタコビッチも今ほどメジャーじゃないからさ、学生時分はそのCDもLPもろくに買えず、ラジオで流れる音楽をテープに撮って聴いていたのね。」
「レイコさんも、また苦学生だったのですか?」
「うん・・。うちはお金がなかったからね。大学に入ってからも学費は出してくれたけど、生活費は自分で工面の日々が続いて、アルバイトもいろいろやったよ。」
「大学時代のバイトって、どのようなバイトですか?」
「理系女だからということで家庭教師の口はあったし、あとビアガーデンやうどん屋あるいはシュークリーム屋の店員とか、イベント会場の係員とか、珍しいのは鯛の陸揚げ作業とか・・。鯛って捕まえると鳴き声あげるしオシッコかけたりするんだけど、ユリコ、そんなのあなた、知ってた?」
私はレイコさんは良い所のお嬢さんだと思っていたけど、実はそうではなかったようだ。
「だからお昼はいつもお米の味が全然しない生協の学生食堂。300円のAランチか350円のBランチ、またカレーが180円でタマゴを入れると210円、この210円で近所のセルフのうどん屋さんでかけうどんの中が食べれるけれど、それに天カスをいっぱい入れて外見上は天ぷらうどんに見せかけたり・・。でもその風景が今ではとても懐かしいのね・・。
まあ、だけど、貧困は度が過ぎては怖いけど、経験はしておいた方がいいとも思うよ。金持ちってその家に入るや無駄がやたらに目につくし、欲求不満を物欲でカバーしようとしているのがよく分かる。それに金持ちである以上、たぶん現実も真実も見えないだろうし。」
「レイコさん・・、それで今は、ひょっとして当時の反動?」
「そう。私は貧困を逃れたくて初志を曲げて企業に就職した口で、それでOLになったのだけど、首都圏勤務のその頃は鎌倉で1杯750円のコーヒー飲んだり、盛りに盛った衣装を着けたり、スカイビルの展望のある美容院へと通ったり、会員制の健康食品に手を出したり・・。でも、私の場合は、そんなのみんな飽きちゃったよね。
で、やはり人生はカネでは買えぬと、初志のとおり教師になろうと思ってさ、学生時分に念のため教員資格も取れるように単位だけは取ってたし、ためたお金でOL辞めてやり直したってわけなのよ。
でも、結局、OL時代も教員時代も、私にとっては意志の自由も言葉の自由もなかったからさ、この島に来て、私はようやく自由になったと言えるのよね・・。」
だが、私にとって、レイコさんとの特別な思い出とは、彼女の方から誘ってくれた、あの夏の日にいっしょに阿波踊りを見に行ったことである。
彼女も私も人ごみには弱いタイプで、人が大勢繰り出してくる本番の夕暮れ時になる前に、私たちは島へと帰ってきたのだが、私は祭りや踊りより、レイコさんと着物姿でデュエットできること自体に胸の高鳴る喜びを感じていた。
8月のある日の昼すぎ、レイコさんと私とは、お互いに揃いのお着物-レイコさんは朱色の夏塩沢のお着物に、金地に縞織りの小文様の博多織帯。私は(オバアより拝借した)盛夏にあった青色の麻の越後上布のお着物に、さび銀地色の佐賀錦帯でばっちりきめて、県街中へと向かっていった。
市内の通りで踊りが始まる夕暮れまでにはまだ時間がたっぷりあったので、私たちは中央駅裏に広がる城址公園へと歩いていく。
夏のさなか、レイコさんは日傘をいつも手放さないが、行では笠をかぶる私はつい日傘を忘れがち。いや、この日はわざと忘れたのかも・・。それで私は彼女がさす日傘のなかへと入れてもらう。お互いに暑苦しく感じるはずだが、私はもちろん彼女の方さえ、むしろこれを望んでいた感じがする・・。
私たちのお目当ては、公園内の博物館で催される阿波踊り。室内楽のように小規模だけど、選りすぐりの鳴り物と踊り子たちによるもので、いかにも正調といった感じ。壁一面の窓ガラスから庭園を眺めつつ、県外からの観光客に入り混じり、私たちも見物する。
庭園の松の緑に、白鷺が時より舞い降り、金屏風に緋色の舞台に、同じく緋色に紺のお着物に黒帯を締め、半月形の編笠を深くかぶった踊り子たちが、女踊りを踊ってくれる。
私はその女踊りにうっとりと見入りながらも、隣に座るレイコさんにもこっそり目をやってしまいがち・・。彼女、口紅も頬紅も、いつもより赤が映えてる・・。淡い朱色のお着物がよりそのように見せているのか、それとも今日は私と張り合おうと普段は地味なそのメイクをあえて濃くされたのか・・。
でも、彼女、何だかとっても楽しそう・・。
博物館を出た私たちは、公園の日差しを避けつつ駅ビルへと戻っていくと、駅前のデパート正面玄関前の広場にて、夕方本番に先駆けての阿波踊りを見物する。この年は、海外の民族舞踊も招待されて、私たちはちょうど韓国の舞踊団を観ることができたのだった。
「へええ、阿波踊りも十二分に情熱的と思っていたけど、隣国のはより情熱的に感じるものね。腰に太鼓をさげる舞踊は中国にもあるけれど、シンバルとオーボエの原型みたいなチャルメラが入るのは、沖縄の首里城でも見たことあるわよ。」
これはレイコさんの感想だったが、私はこのほか、同世代の若者たちの現代的に演出された阿波踊りにも、また同様に魅せられてしまうのだった。
人々と真夏の午後の熱気から、しばしの冷気を求めようと、私たちはデパート内を通りすぎ、午後の陽の傾きで、ちょうどほどよく日陰となった新川ボードウォークへと歩を進める。
川を行き合う舟遊びの人々が、私たち寄り添い歩くお揃いの着物姿の女子二人を、まるで祝福をするかのように手を振ってくれるのが嬉しくて、手を振り返すと同時に思わず投げキスさえもしてしまいそう・・。
それでも、お揃いの着物デュエットの楽しさから、二人ともやや歩き過すぎたか、いつものティータイムに近づくと、ボードウォーク沿いにあるオープンカフェーで、ここはもう迷うことなく水出しアイスコーヒーと思いっきりのスウィーツとで、歩き疲れを癒そうとするのだった。
「はあぁ・・。これでまた生き返れるわ・・だなんて、何だかもう“オバサン”みたいね・・。」
レイコさんはこんなことを言いながらも、もちろん自分自身をオバサンなんて、絶対に認めてなんかいないのだった。だって彼女、せっかくの女子のデュエットだというのに、私と歩いてくる道中の所々で、時おり私たち二人に対して向けられる男はもちろん女のでさえ、その視線を察知するや、-こんな小娘なんかよりあたしの方がイイ女なんだから-みたいな感じで、暑いのに鼻息も厚いみたいな、より貫禄ありげな歩きッぷりになっていくのが、私には分かったのだし・・。
そんなことをしなくても、あなたはその年だからこそ、いや、年なんかに関係なく、私が内心うらやむほど艶やか(あでやか)なのに・・。
でも、そんなとき、何もしないのはシャクだから、私は私で年上の彼女の手前、一歩引くように見せながらも、視線を向けた男や女の目をとらえては、それとなく微笑みかえして、-そう、あなたたちが見てのとおり、あたしの方がカワイイんだから!-と、目で合図を送るのだった。
私は仏道修行者の端くれなので、こんな“女の業”が自分の中でも相も変わらずヘビのように蜷局を巻いて巣食っているのに、まだまだ修行が足りないなあとは思いながらも、まるでネコがネコパンチであい争うみたいな、こんな火花を散らしあうのもまた楽しく、このことが二人揃いの白地の着物に、よりいっそう彩りを添えるような感じさえするのだが、ここは目前のこの上なく甘美で甘味なスウィーツのため一時休戦とするのだった。
「・・あのう、レイコさんって、県で教員をなさっていたから、ひょっとして阿波踊りも、されたことがあるのですか?」
私のこの質問に、レイコさんはやっと聞いてくれたというような笑みを浮かべる。
「この県ではないけどね、会社員だった首都圏勤務の時、高円寺で連に所属しやってたわよ。」
お付き合いも長いので、私はその目を見ただけで、これが話したかったお話なのがよく分かる。
「阿波踊りの本場はあくまでここだけど、私は高円寺はその下町的な雰囲気が好きなのね。やっていたのは1年間だけだったけど、“屈伸”が基本のあの二拍子の足さばきを覚えるのが大変で、ほとんどそれに終始したよね。あとは“手を上げて足を上げれば阿波踊り”といわれるように、右手なら右足、左手なら左足と、順に上げて二拍子で進んでいけば何とか様になるみたいよ。」
と、ここまでが前置きみたいに、レイコさんはおもむろに、手提げしていた手編みの竹の籠の中から一枚の写真を取り出し、私へと見せてくれる。
「エ、エエーッツ! これって、もしやレイコさん??」
それは連の揃いのお着物に編笠かぶった、踊り子姿のレイコさんの横顔だった。
踊り子の衣装を着けるだけでも、女性は見栄えをするものだが、この写真はそんな次元をすでに超えたブロマイド風のポートレイトで、お見合い写真に使ってもいいような写真的にも被写体的にも充分に美しい仕上がりを見せていた。おそらくは一連の記念写真の一つと思われ、この横顔バージョン以外にも様々な角度やポーズからなる写真があって、彼女にとっては秘仏のような自分だけの秘蔵品かもしれないが、一番無難そうなのを私にだけは見せたかった-ということだろうか・・。
ポートレイトが撮られた当時、首都圏勤務ということだから今の私より少し上でしかなかった彼女が、その頃すでに備えていた容貌に、私は正直ノックアウトされたと感じた。
それは、ただ若さと肌の張りとで際立つように見えている20代前半の女子の綺麗さとは趣きを異にした、はや知性と意志と気品とが匂い立ってくるような美しさで、写真の技術を差し引いてもそれが充分伝わってきたのであり、私はもはや嫉妬心さえ忘れてしまった。
-・・レイコさんったら、コレをあたしに見せたかった、ということなのね・・-
「このお写真って、今の私より少し上、20代前半のレイコさんでしょ。」
すっごく照れくさそうな顔をしながら、何とかうなずこうする彼女。ここでは私に対する勝利の感は微塵もなく、そこは正直な彼女らしく、ただ恥ずかしそうな素振りである。
それに、このポートレイトに見入っている私の顔を、同じように見つめはじめた彼女の目を振り向いて確かめた時、その眼差しには私以上の慈愛が込められていた感じもする・・。
「・・レイコさん。あの、このお写真って、私、頂いてもいいでしょうか?」
私はこの時、せめて写真にだけでも所有欲を満たしたい-と、思ったのかもしれない。
「え、ええ、ああ、他にも似たのがあるからさ、もしよろしければ、それでもいいよ・・。」
「じゃあ、先生。せっかくですから、裏面に文字を書いて頂けません? それなら魯迅の『藤野先生』みたいにしますから。」
それでレイコ先生は、真面目にも同じように“惜別”と書いてしまわれたのだった。
-・・たしかに、それはどのみち私たちも、やがてはお互い惜別するのだろうけど、こんな綺麗な肖像に、しかも今日のような私たちの記念の日に惜別なんて・・。今はまだ淋しすぎるよ・・。
こういう所があなたは正直すぎるというか、真面目というか融通が利かないというか・・。そこはテツオとよく似てるのよね・・-
このレイコさんのポートレイトは、私の生涯のお守りみたいに持ち続けるのだろうけど、今にしてよく見れば、この私と近い年頃の彼女の横顔-特にその鼻筋の輪郭-は、何となくテツコに似ているような気もする・・。
そして夕方も近づいてきて、人も多くなりはじめ、かき分けないと歩けなくなるその前に、私たちは押し寄せてくる人ごみとは逆方向の漁港へと戻っていった。そして「これからが本番じゃけんが、期間中は遅くまで船を出すけん、今日やのうてもまだ3日もあるでぇ、また見たければ言うたらええよ。」と言ってくれるヨシノパパの船に乗り、島へと帰ってきたのだった。
船で島の桟橋へと戻ってきた私たち。まだ夕暮れには早すぎる。物足りなさを感じた私は、今度は私の方からレイコさんを、砂浜の散策へと誘ってみる。
浜の向こうの、海面越しに望み見る県側の山並みは、その稜線に画された宙とともに濃い藍色に染め上げられて、林立する街ビルからの白光が、それらをめがけて浮世絵みたいなボカシの効果をもたらしていくのが見える。
漆黒の海原から、月に引かれて満ちては寄せる波の白さが、回折の弧を描いては小石の音を響かせあって遠のいていこうとするのを横目にしながら、すでに下駄を脱ぎ去った二人の素足の跡形を濡れた浜辺に残した先で、私たちは歩みをとめる。
おりから高まる潮の匂いが着物のなかを駆け抜けて、それが先の歩みより早まっていた心臓からの血の脈音を身のすみずみでいっそう掻き立て、夏の夕暮れ、生ぬるい大気の最中、私は思わず胸が熱くなってくるのを感じる。
苦しい・・、何という苦しさだろうか・・。これが相手がテツオのように男であれば、むしろ気が楽というもの。このようなシチュエイションでは、おおむね“型”は決まっているし、二人の間に齟齬行き違いがあったとしても、それは男女の慣習的な‘糊しろ’とでもいえそうな“差異”のお陰で、補正はできると思われる。
しかし・・、相手が女性であるなら、しかも真剣に愛してしまった女性であるなら尚いっそう、私はここで言いようのない金縛りにあったように思うのだった。
それは、女同士の同性愛=レズを禁忌とするからか・・-いいや、私たちは二人とも、そんなものに今さら囚われているのではない。
あるいは私が若すぎて、己の身の処し方を、まだ充分に心得てないからだろうか・・-いいや、そんなことはない。だって、その時私は、本当に真剣だったし!
では、いったい何が、彼女と私との間に、こんな高い壁のようなハードルを、感じさせていたのだろうか。
それでも、私の鼻孔、いや皮膚のすべての感覚から吹きすさんでくる潮の匂いは、私のなかに“性”をいやおうなく目覚めさせ、その目覚めた性は渦をなし、私に彼女を、狂おしいほど激しく求めさせていくのを感じる。皮膚のすべてから流れる汗も、その熱気を冷まさせていく以上に、二人の間の潤滑油になりそうな感じさえする・・・そしてそれはまた彼女も、私に対して同じことを感じていたのかもしれない・・。
私はそれで、自分の右手をゆっくりと彼女の左手へと近づけ、お互いの温かさを伝えあうほど触れさせてみようとする。
彼女は・・、しかし、そんな私の手を、しっかりと握ってくれた。
その一瞬、聞こえてくるはずもない対岸の喧騒が、ほんの少し聞こえた気がした。
私は思わず、彼女の方へより身を傾け、両目を閉じ、唇だけを、差し出すような感じで向ける。
闇のなか、潮風が波をうならせ、心臓の高鳴りと血の脈音といっしょになって、夜の野性を呼び戻しては、その歌声をさらに私の内なる方へと、響かせていくかに感じる。
しかし・・・、
「・・ユリコ・・、ごめんね。ほんとに、ゴメン・・・。」
それはあまりに対照的な、人間の声に聞こえた。
私の目前のレイコさんは、私の方へと向き直って立ったまま、涙目になっていた。
それでも私の右の手は、なおも彼女の左手に、しっかりと握られている。
私は彼女の涙目に、それでもなお、逡巡のゆらぎを見て取ったような気もする。
だが、その時、海の方から、船の明りが島に向かって差し込んでくるのが見え、私はそれが私たちより遅れて帰ってくる予定だった校長の船であるのがすぐに分かった。
「ああ、もうッツ! 何てこと!!」
彼女はそれで、片足で浜を蹴りつけたのだった。
勢いあまって飛び散った砂つぶが塊のようにして、寄せては返す波間へバシャッと、落ちていくのが見え、また聞こえた。
波の向こうに、今や夜空に昇った月が、白い光の一筋を海面に投げかけてくるのが見える・・。
それで結局、私たちも校長の帰りにあわせて桟橋へと戻っていくことになり、これで彼女と私との、二人の真夏の夢の日は、終わりとなった。
私は今、彼女の家で座りながら、あの日を再び、一人で省みようとしている。
あの時、もしも校長の船があらわれなければ、私たちはどこまでいっていたのだろうか。
あの時、私は、彼女の唇を求めたのに、彼女がそれを拒んだのは、なぜだろうか。
あのシチュエイションまでいったのなら、唇を許してくれてもよさそうなのに・・。それに、そうする方が彼女にとっても、それまでの私との言動と、整合性がとれるのでは・・。
私は先ほど、これが男女間であるのなら、男女の“差異”があると言った。しかし、その差異というのは、自然によるものというより、人間だけが意識するヒト特有のものであり、ヒト以外の他の生き物にはおそらくないのではないだろうか。
私はここで、人間以外の生き物たちが、羨ましいと思うのだった。
彼らはもとより服など着ないし、愛すればその身のままで、互いのその身をもってして愛を表現しあうのだろう。事実、生物界には人間がいう所の同性愛的現象が多く観察されているというし・・。
私はまた、以前、テツオとSEXした際、彼が「お互いにヒイヒイハアハア、まるで坂を上っていくSLみたいだ。もちろんSMではないんだけど・・」と正直に言ったのを、私も笑って彼をたたいたりしたのだが、私たちは、SEXが映画や小説などでの描写とは異なって、燃えるようなスバラシイものというより、本来はごく自然な、お互いへの思いやりに満たされた優しいもので、それが生物の真実らしいと考えていた。それに、俗にいうセックスレスというのが普通で、自然の発情期のように、本来そんなにSEXはやらなくてもいいものなのだ。SEXを性と生の営みから分離させ、快楽や肉欲なるフィクションを作りあげ、いつでもやれるようにした人間=ホモ・サピエンスが異常なのだ。
人間が言う所の性欲やSEXとは、不自然なフィクションに溢れている。
おそらく“性”は、生と生とをつなぐもの。生物が遠い祖先のバクテリアだった時から備わっていたもので、愛と美を個体を超えて具現化しようとするもの-なのではないだろうか。
愛はもとより、それ自身が存在=形質を与えるもの。愛は必然的に形質=個体を超えていくものだから、そこで“性”が活かされるのかもしれない。
性はおそらく、生物と宇宙をつなぐ“光”のセンサーでもあるのだ。
それで、光が電場と磁場から成るように、その各々がプラスとマイナス、またNとSから成るように、性は男女雌雄へと成っていったのかもしれない。
とすれば“性”は、雌雄による生殖以前の、細胞分裂時代からあったわけで、それは子孫を残すことに先立ち、生物の個体同士が互いに愛と美を祝福しあうことの大本だったのかもしれない。
そして、それは愛し合うもの同士が、ただ一度だけ関係すれば十分なのだ。ただ一度きりの相関であるからこそ、永遠につながれるというのだし・・。
だから異性愛とか同性愛とか、そうした愛の区別自体が不自然で相反的なものであり、それをとやかく問うこと自体が愚問なのだ。
アダムとイヴが知恵の実を食べたことで、ヒトは知恵を得たというが、そのためヒトは性=SEXに魔女狩りもどきのタブーや禁忌を持ち込んで、永遠の混乱に陥ったのかもしれない。
私はあの真夏の夜、お揃いのお着物で美しいレイコさんと私自身を、ともに愛で、祝福したかったに違いない。
私はあの日を通じて、今までになく彼女自身を身近に感じ、自然が奏でる夜の歌に導かれ、当然その唇を求めたのだし、もしもあの日が女子二人での泊まりの日であったのなら、おそらく私は、彼女の寝床に、入ろうとしたことだろう・・。
愛し合うもの同士が、性によって生をむすばれ、性を超えて生を一にし、互いを愛で合う・・。
私たちは差別やタブーや禁忌にあふれたフィクションだらけの人間界から遠離して、互いをただ愛し合う。楽園にいたイヴのように裸のままで、それを何の不思議とせず、他の何ものとも比較せず、すべてを自然のままに受け入れ、あらゆるものを分けてしまう人間とは異なって、私たちが分かち合うのは、ただ幸福と喜びだけ・・。
それで一夜を過ごした私たちに、陽の光が差し込んで、穏やかな朝の目覚めがおとずれる。
これは私たちにとっては復活。人間としての年や立場の違いなど、いっさいは過去のもの。原初の自然に還ってきた私たちは、今や生身のヒトとヒト。もう言葉など要らない。私たちはお互いの仕草だけで充分に分かり合える。
そして、この一度だけの相関が、私たちを永遠に結ばれた分かたれないものとするのだ。
この仕組みがあるからこそ、宇宙は創造されたのだし、愛も永遠に活かされていくのだろう。
いや、本当は初めに愛=神の愛があるからこそ、それがすべてをこのように成らしめるのかもしれない・・。
そんなことを思ううち、あの夏の日の思い出が、春の潮の香に導かれて、また鮮やかに甦る。
あの時、彼女はなぜ唇を、許してくれなかったのだろうか。
涙目でゴメンと言ってくれたので、おそらく私のせいではないのだろう。
また、夫なんかへの義理立てでもないことは、彼女が船を見た瞬間、キレたことから明らかだ。
では彼女は、日ごろからLGBTを肯定し、愛に忠実であろうとするレイコさんは、何にこだわっていたのだろうか・・。
波の端の白さより、時としてあがる飛沫が、そのまま宙へと舞い上がり、陽の光を散らせつつ、綿の花に姿を変えて、私の手元に舞い降りてきそうな気がする。
私の背中の後から、この家へと差し掛かる菩提樹の影が伸び、その延長のかなたに広がる春の空を眺めながら、私はあの日の思い出よりさらなる自分の想像へと、羽根を伸ばしていくようだ。
レイコさんのことばかりを想ううちに、私の体もほてってきたのか、暖冬の余韻を受けた春先の、季節はずれの暖かな南風も、私には違和感なく受け入れられるようである・・。
その時、私の後ろの、庭の垣根の入り口から、扉を開けるカチャリという音が聞こえた。
「・・ユリコ! ユリコじゃないの!・・」
私はまさかと思うと同時に、とっさに後ろを振り返えると、レイコさんは菩提樹の陰に隠れた入り口に立っていて、荷物とコートを置いたまま、私の方を見つめている。
初めて会った日と同じく、清楚な朱色のスーツ姿。レイコさんは駆け寄ってきて、私たちは引かれるままに、互いに強く抱き締め合った!
懐かしい菩提樹の木陰の下で、あの参観の日と同じように、私は今、たしかに彼女に抱かれている。
ああ、菩提樹! やっぱりあなたは、私の祈りをかなえてくれた!
「ユリコ、ずっとここで待っていたの? 大丈夫? 冷えてない?」
レイコさんは体温を測りたい素振りなのか、自分の頬と首筋を、私の各々同じ所に、線と面に沿うように、当てがっていこうとしてくる。私は何か自分自身の大事なものが奪われていくような感じもしながら、その所々で放たれる彼女の匂いに、ゆらめきそうな春を覚えて、私は私で、彼女の頬や首筋ごしに伝わってくるその体も、またその肌からの温もりも汗のなごりも全て含めて、吸い取るように身に浸み込ませようとするのだった。
-・・レイコさん・・、あなたは少し、痩せられたのでは・・-
そんな私の内なる声に答えてか、私の方へも彼女の内なる声がしてくる。
-ユリコ・・。あなたのことがずっと気掛かりだったのよ・・。でも、本当に会えたのね・・-
「でも、どうして? どうして私が家に帰ってくるって、分かったの?」
荷物とコートを手にしながら戻ってくると、レイコさんは不思議そうに尋ねてくる。
「いえ、分かったのではなく、今日は私の満行の日で、島をたつのもあとわずかだし、ここに来ずにはいられなくて・・。でも、レイコさんこそ、まだ受験が続いているのに、どうして急に?」
「今日が2人の第一志望=県立医大受験日の2日目で、この午前で論説課題作文が終わったから、これでまず全ての受験の前半戦が終了したのね。それで後半戦へと入る前に、教師仲間でここまでの出題を持ち寄って、後半戦の傾向と対策のタシにしようとするのだけど、インフルエンザにかかった人が出てしまって、お互いうつすといけないし、ましてや生徒にうつすといけないから、自宅のインターネットでさ、情報と意見交換しあうことになったのね。」
「ということは、校長先生も、今この家に帰ってくると?」
「いいえ。あの人は私を島へと送ってくるや、さっさと県に戻っていったわ。ホテル連泊で取っちゃったし、中1日だけのキャンセルはできないって。
それに今晩、テレビで“名優たちの至芸”なる特番があり、あの人は-6代目歌右衛門と17代目勘三郎は見逃せねえ-って、絶対に見るんだってさ。うちの家にはテレビはないし。
でも本当はね、ずーっと私と一緒だから、お互いにイイ距離感ということで、ここらで一人のんびりと羽根を伸ばしたいんじゃないの。それは私も同じだし。イビキだってうるさいし。」
「・・では、レイコさんは、これから明日まで、家に一人で?・・」
「うん。というのは、季節はずれの南からの暖かな湿った風の影響で、夜にかけて天気は大荒れということだから船を出すのは危険だし、家じゃないとネットは充分使えないし調べ事もたまっているから、私は今夜は家に泊まって明日の朝一番で、県に戻る予定だけど・・。」
-・・これって、まさか、まさに私が、想像していた通りのこと・・!-
私は思わずゾワッときたが、しかし、レイコさんは、ここで‘私の行’を思い出す。
「ユリコ。あなた、今日があなたの満行の日ということは、午前中は最後の上山、夜からはオバアにノロを返還するため伝法灌頂の儀を行って、その後は夜通しお堂に籠りながら、最後の坐禅をやるんだって言ってたよね・・。」
そう、その通り。レイコさんが言う通り、それが行者として組んだ私の最後のスケジュールなのだった。オバアとの約束もあり、今さら変更できないし・・。でも、レイコさんがここに帰ってくると知っていたら、もっと都合をつけたものを・・。携帯なんかに頼らないとの、私たちのこの島での原則が、こんな形で仇になるとは。
何てこった! 今度は私が、悔し紛れに地に足を、蹴り入れそうになってくる。
しかし、ここで彼女は私の手を取って握って、語気を強めて言ってくれた。
「ユリコ! あなた、今日は本当によく来てくれたわ。
ね、もう少し、ここに居てもいいんでしょ! あともう少し、あたしと一緒に居てくれるよね!」
そのあまりに強い目力に、-当たり前です、喜んで-といった具合に、私は彼女にうなずき返す。
「あーっつ、よかったぁ! なら、もう家に入りましょう。ここは寒いし、ね!」
久しぶりに、家の居間に通された私がまず確かめたのは、横長のソファーの存在、そしてその前のアップライトピアノに置かれた時計の時刻・・・伝法灌頂の儀は夜遅くだし、まだ充分に時間はある!
彼女は居間のテーブルにいつものようにお茶とお菓子を置いたあと、私と向きあい腰かける。
だが、彼女が真っ先にしようとするのは、荷物の中からいくつかの書類を取り出し、目と顔を輝かせて、私に2人の受験結果を知らせることのようである。
「ユリコ! グッドニュースよ! これ、2人の第一志望校である県立医大の、今日の論説課題作文の出題からヨシノとキンゴが選択した問題と解答のメモだけど、ちょっと見てみて!」
見れば、そこには出題文と、2人が各々解答した内容を詳細に箇条書きにしたメモがあった。この論説課題による作文とは、出題された5問の中から、受験者は2問を選んで解答するとのことである。
「・・ヨシノが選択した問題は、放射性物質による内部被ばくのメカニズムを問うものと、あと、水俣病史に関するもの-の2問ですか。そしてキンゴのそれは、同じく内部被ばくと、あと、市場主義経済と財政赤字下における国民皆保険制度の現状と問題点および医療・介護保険制度の維持発展に関する私見-の2問ということですか・・。」
この出題文と解答のメモ書きには、その所々にレイコさんが書き入れた配点と得点予想を積み重ねた赤ペンの跡があり、それらはクモの糸のようにつながれて合計点へと集計され、その下には彼女が示した合否ラインが記されている。
「・・ということは、ヨシノもキンゴも・・、おそらくは“合格”だろうと・・。」
私はこの曇り空の下、何かが急に晴れ上がっていくような高揚感と、それに続いて他人事とは思われない、はち切れそうな喜びとを感じたが、それはもちろん彼女も同じようである。
しかしそれより、長く続いた緊張感から解放されて、ようやくホッとできたせいか、あるいは受験指導役をやるだけにより冷静なのか、レイコさんは落ち着いて語るのだった。
「・・内部被ばく問題が出るなんて、予想外だと思うけど、免疫力への影響を考えると、チェルノブイリの経験からして無視できないと考えたんじゃないかしらね・・。もちろん、これは2人とも完璧な解答を書けたと思う。あと、水俣病史が出題された意図というのは、これは本来病気ではないのだけれど、いわゆる公害による健康被害の世界史的な事件としての重要性、そしてそれに向き合いエビデンスを追求した医師たちのことを考えれば、これから医療現場に従事する者としての一定の見識を伺いたい-ということだと思われる。ヨシノもキンゴのパパに引き続き、水俣病はよく勉強していたからね。
キンゴが選んだ2問目は、社会科との科目横断が必要で文章の構成も難しいだろうから、選択した受験生は少なかったと思うけど、これが解答できる人は医療・介護現場には非常に望ましいことだし、高校で履修した箇所はもちろん、日ごろからこの問題に関心を持っていたキンゴが書いた解答の評価は高いと思われる。まあ、キンゴ君は、これで不得手な理系を挽回できたというわけね。
そんなわけで、昨日1日目の理系の二次試験に続いて今日2日目の論説課題作文で、県立医大の受験は一応終わったけど、昨日のは予備校の模範解答がすでに出ていて自己採点は済んでいるから、これと今日の作文の予想得点を合わせれば、控えめに見たとしても、ヨシノは合格ラインより15ポイント、キンゴは9ポイント上回ったと思われる。
私の今までの経験では、2人ともまず合格と見ていいと思う。2人の努力もさることながら、ユリコの合格祈願のお陰もあって、運も幸いしたと思うし・・。」
レイコさんは、その後も受験に関するお話を続けたが、しかし、すでに私には、聞いている私はもちろん、話している彼女自身もお互いに別のことを思いはじめているのがわかる。
私たちは、これで2人の第一志望合格がほぼ確定し、これで高校生活はすべて目標達成ともいえるのだから、あとは卒業-つまり“惜別”しか残っていない-ということに改めて気づいたようだ。いや、2人の受験という緊迫感があったからこそ、私たちは迫りくる惜別なる愛別離苦を、今までは意識の外へと追いやれていたのだろう。
レイコさんは、それでもなおいろいろと、受験の苦労話などをされるが、第一志望の合格という大勝利にはそぐわない、彼女の今までにない静かな、しかも自動運転みたいな淡々とした口調が、今や受験の勝利さえも過去に追いやり、迫りくる私との惜別を彼女が強く意識していることを、いやおうなく伝えてくれる。
それで私も、レイコさんとの惜別を前にしながら、根のあたりまできた灯火が最後の炎を放つように、私は自分にあらためて自信を感じたのだった。
-・・あなたはやっと、私のもとへと帰ってくれた・・。2人の受験にあなたを取られていた私は、これでようやく、あなたを取り返すことができた・・-
それで私は、トップスの袖をまくって、襟元の第1ボタンをゆっくりはずす。
-あなたは先ほど、私の体温を測る素振りで、私に肌を寄せていった。私はこの時ほど、自分の玉の艶肌を、誇りに感じたことはなかった・・-
レイコさんは、まだ書類に目を落としながらも、そんな私を目前にして、やがてバッグからメガネを取り出し、私の前でかけてみせる。
私は彼女がメガネをかけた目を、今初めて間近に見ている。
彼女はそれで、私の反応を確かめるかのように少しだけ顔を向けると、メガネがこの3年余りの歳月が経ったのを物語ると感じたのか、はにかむような微笑みを浮かべたようにも思われる。
だが、私は、その目を見るなり、固まった。
-・・メガネをかけた彼女の目は、テツコのそれに、たしかに似ている・・-
それはフレームが同じであったばかりでなく、眼差し自体が似ていたのだ。
私があんまりレイコさんを見つめるので、-彼女はメガネ美人でもあったのだけど-、それが彼女をうつむき加減にさせたようだが、横から見てもたしかに似ていた。
うつむかせたのなら申し訳ないことだし、それで私は、彼女に何かいいことを言うべきだと考え、今までの御礼とともに、ついこのことを口にする。
「レイコさん。でも、良かったじゃないですか。これで私たち4人とも、全員が迫りくる“徴兵制”から逃れることができるのです。これはまさにレイコさんのお陰だと、私自身は思っています。」
しかし、彼女は、当然いい反応を見せてくれると思った私のこの一言を耳にするや、うつむいた顔のまま、今までになかったほどその顔を青白くして、曇らせていくようだった。
しばらくの間、何ともいえない沈黙が、テーブル越しに向かい合う私たちへとのしかかる。
今までの受験の勝利も安堵の思いも、この石棺が閉じられたかのような重苦しさを、はね返すことはできないようだ。
荒天の前、海の波浪も吹き寄せる浜風も、私には何もかも凪のなかへと入ったような感じがする。
ややあって、彼女は背もたれ深く座りながら、そのアルトの声をより低くして、しぼり出すかのようにして、私に対して語ってくれた。
「・・ユリコ。あなたは有名な与謝野晶子の“君死にたまふこと勿れ”の詩(4)を、知っているよね・・。」
唇を震わせながらの、蚊が鳴くような小さな声が、私の耳へと届けられる。
そして彼女は、さらにまた、その声に呪わしい趣きをも響かせながら、言葉を続ける。
「他人の息子や弟を、教育の現場から、戦場へと送る側にいた人間が、自分たちだけ徴兵を逃れるようにしたなんて・・・。
これって、やっぱり・・、すごく卑怯なことだよね・・・。
私がその息子の母や弟の姉であれば、そんな教師は、きっと許さなかっただろうと思うし・・・。」
私はこの時、完全に悟ったのだった。
まさかとは思っていたが、そういうことなら辻褄は、確かにもっともよく合うのだ。
私は何て浅はかだったか。テツオがテツコに化けた時、私ったら調子にのって、レイコさんがしないようなアイメイクをテツコにしまくったものだから、それで見落としてしまったなんて・・。
テツオ自身も、もう島をたつというのに、まだこのことを知らないのに違いない。
それに、これがあの夏の日の夜、あなたが私の唇を、拒んだ理由だったのね・・・。
ああ、それでも、これは何ということか。
あなたはなぜそこまでして、自分自身を責めつづけるのか。
たしかに、あなたにも組織人としての“凡庸なる悪”の一片くらいは、あるかもしれない。
しかし、あなたはできる限り抵抗して、軍隊行きから生徒を救い、ついには職を辞してしまった。
あなたは自ら進んで協力したわけでもないから、個人が負うべき罪があるとは思えない。
そしてあなたは、何よりも私たちを、ここまで導き救ってくれた。
あなたの罪はあったとしても、すでに贖われていると思う。
3.11原発事故で核が放出された後、しばらくして新型コロナウイルスが放出された。
私には原発での防護服姿の作業員と、病院での防護服姿の医療従事者とは重なって見えるのだ。
人々は、収束してない原発事故がさも収束したかのようにウソぶき、原発の電気を一番貪った地でオリンピックをぶち上げては、労働者を吸い上げさせて、放射能漏れを防いでいる作業員の被ばく労働を加速させた。
人々は、感染危険の最前線で救出に当たっている医療従事者の方々に、こともあろうに差別のヘイトをあびせかけた。
人間とはそういうもの。何か事件が持ち上がり、社会にゆるみが出来たと見るや、日ごろ押さえていた鬱憤と暴力とをはらすべく、容易にあらゆる“戦争”へと駆け参じていこうとする。
それに・・、新型コロナウイルスで緊急事態宣言が出されたことで、これでまた奴隷根性を刺激されたか、人々は統制される苦痛とならんで、ある意味ではそれ以上に、“統制される喜び”を味わった。これまで以上に自分で考えなくてもよい、何でもお上が決めてくれる。そしてまた、その流れに沿わない者たちを非国民とバッシングする喜びも、これで公認されるのだ!
“大地震だ、大津波だ、原発事故だ、パンデミックだ、どこかの国のミサイルだ、どこかの船の襲来だ、国会議事堂が放火された(5)等々・・。要するに、これは国家の一大事。もう待ったなし、政府にすぐに全権授与を! 寄らば大樹の陰とやら、暴力=安全保障・アンポこそ最後の砦!
悪いのは俺たちじゃない。悪いのは○○人だ! あいつらが社会に毒をばらまいた!
皆してあいつらをやっつけろ! こっちは強い多数派で、あっちは弱い少数派だ。”
・・歴史は常にこうだった。
人間は進化しない。結局いつもこの繰り返し・・。
ウイルスはやがては収束していくものだが、ヒトの悪は収束しない。
ヒトはウイルスに対しては免疫を獲得しても、自分自身に対しては免疫を獲得しない。
だから、レイコさん、あなたが背負いこんでいる罪というのは、とても個人が背負えるものではないと思う。
こんなことを思うなか、私の目前のレイコさんは、今度は少し顔を上げ、いったん閉じた重い口をまた開かれるようである。
「・・この3年あまり、私は本当に幸せだった・・。
でも、私は、こんなに因果応報が確実だということを、思い知らされたことはなかった・・。
あの子のお陰で、私は教師になれたのだけど、あの子を受け持ってしまったことで、私はかつての教え子たちの、そしてその母や姉たちの、“怨”を引き継いだのだと思う・・。」
私は彼女のこの一言に、言外に彼女がとても私を意識していたのがよく分かった。
だから、私は、この時決めた。
それなら私が、あなたの“怨”を吸ってあげる。
それをあなたに出来るのは、ノロであり、戦死者の遺族でもある私だけ。
私は怨を忘れないし、あなたの怨なら受け入れられる。
あなたは私の恩師・恩人、それに何より愛する人だ。
しかし、他人のカルマに介入するのは、ノロには禁じられたこと。
これで私の修行は無効になり、三年余りの努力も無になる。
まして満行日に破棄するのは、師僧を損なうことにもなる。
だが、愛する者を助けられずに、それで何の修行というのか。
だから、私は、心に決めた。
私は今宵、あなたの“怨”を吸ってあげる。
これであなたを、テツオに向き合わせてあげる。
私はあなたを、決して“マクベス夫人”にはしない!
今や別の目的も兼ね、ミッションに向かおうとする私は、ここでまた場面転換を試みる。
「レイコさん・・。あの、よろしければ、あなたのピアノを、久しぶりに、今ふたたび、私に聴かせて下さいませんか・・。」
彼女はここで、少しだけ笑みを浮かべてうなずくと、着替えをすませて席を移し、ピアノの前に腰かける。そして蓋を開くと、白鷺が羽根を広げていくように腕をのばして、鍵盤にその手を置いた。
黒髪を肩にくゆらせ、背筋を立てたやわらかな朱のワンピースの後姿に、私は血が騒ぎ立つのを覚えている。別離の時も近いというのに、感傷の思いはむしろ、血の湧きたちにおさめられていくようだ。
だが、彼女の選曲には、やはり惜別の感が漂う。
一曲目は、ベートーベンの『月光』より、もの憂げな第1楽章。続いては、やや色彩を異にしてモーツァルトのK466より第2楽章の冒頭部・・。それに連れられ、私も鎮められていくのかも・・。
レイコさんは、ここでふと手を休ませて、横顔だけをこちらへ向ける。
「こんな時代になってくると、いや、これは私の年のせいかもしれないけれど、モーツァルトは本当にいいなって、思うようになってくるのね・・。
これがバッハになると、バッハの曲にはもとより人間の業などは無いような気がするけど、それに比べてモーツァルトはより人間くさい感じはしても、彼は人間に期待なんかしてなかったんじゃないだろうかって、時々思うよ・・。」
黒塗りのピアノの躯体に、彼女の白い横顔と頬紅の朱るみとが、浮かび上がってくるかに見える。
そして私は、笑みをまじえたその赤い唇に、“その実はいかにも美味しそうで、目を楽しませ、賢くなりそうに思われた”(6)の一節を思い出す。
私はやはり、このミッションを果たそうとの執念が、鎌首を持ち上げるヘビのように、私の中より立ち上ってくるのを感じる。私の両目は、今やピアノと響きあうほど、ジェットのような黒い光を、放ちはじめているのだろうか・・。
レイコさんは特に譜面を見なくても、思うがままに弾かれつづける。
続いては、ドビュッシーの『夢』。いうまでもなく、彼女が最も好んだ曲だ。
横顔のまま、ピアノ越しに窓から宙を眺めるようなその眼差しを見つめるうちに、-・・ひょっとして、彼女はこの“夢”を奏でている時、夢で弟と会ってるのでは・・-という思いがよぎる。
そして同じく、ドビュッシーの『月の光』・・。
私は曲に引かれるように、テーブル席を音も立てずに立ち上がり、ピアノへと向き直った彼女の後姿へと、足音もなく忍び寄る。漆のような黒塗りのピアノに向かって、月のように光る彼女が、向かっていく私とともに、ほんのりと印象的に映し出されているようだ・・。
そして私は、彼女と二人でよくやった連弾をするように、その傍らに腰掛ける。
それとほとんど同じくして、ピアノの上に二枚の絵葉書・・・それもとても丁寧に、額に入れて飾ってあるのが目に入る。
その一枚は、彼女とかつて二人で行った中原淳一企画展の「春をまつふたり」の絵。そしてあともう一枚は、ダ・ビンチの「聖アンナと聖母子」のロンドンナショナルギャラリーにある未完成の方の絵だ。
その絵を、いつか私がここに来て見つけ出すのを待っていたかのようにして、レイコさんは語りかける。彼女らしいアルトの美声、とても静かな、それもやや物憂げな口調でもって・・。
「・・ユリコ・・、ダ・ビンチはこの絵でもって、何をあらわそうとしたと思う・・・?」
「・・文字通り、聖アンナと聖母子・・でしょうか?・・」
だが、こんな凡庸な返答ですむのであれば、この場に及んでレイコさんが、わざわざ私に聞くはずもない。
「・・ダ・ビンチはミケランジェロと同じように今でいうLGBT・・、ということはひょっとして、母と子では若すぎるこの絵の二人は、宗教画の題材を隠れ蓑に、当時あらわしにくかったレズビアンを、あらわしているのでしょうか・・・?」
ここで彼女を凝視した私の目を、まるで何か懐かしいものを見るかのように見返しながら、レイコさんは微笑みながら語りかける。
「・・だって二人の若くてきれいな女の人が、お互いに腰を重ねて座る絵でしょう・・。人体の解剖学に詳しかったダ・ビンチが、同じ木の幹のように腰を重ねて、根がもつれるように足を交わすこんな無理なポーズをとらせることは、よほど何かのメッセージが込められていると見るべきだよね。
あたしね、有名なあの「モナリザ」の実物大のレプリカを見たことがあるんだけれど、そのモナリザは美術展の会場の一室で、他の多くの絵の中にありながら、あの微笑みというか“眼差し”で、じっと私の方を見つめていて、いつまでも離さないのね・・。
本物の人間同士がやればトラブルになるくらい、私を見つめて離さないの。
やがて私は気が付いたのね。これは、人間の内に潜めた“罪”を暴き出す目ではないかと・・。
モナリザのあの謎めいた微笑と眼差し・・それは私には「他の人には伏せられても、わたしだけはあなたの偽善、あなたの欺瞞を見抜いているから」と言ってるように思えてしまう・・。
つまりそれは、人間の“原罪”を暴いていて、実はこれがダ・ビンチがこの絵に秘めた主題ではないのだろうかと・・。だからこそ、この絵は不朽の名画なのだと・・。
私はキリスト教を知るようになってから、こんなことを思うようになったのね。
この私の仮説で推量をしていくと、ダ・ビンチはかたや人間の“原罪”をあらわすのに成功したと思ったのなら、かたやもう一方では“愛”をあらわしたい、しかもあらゆる愛の本質である“神の愛”を絵であらわしたいと―思ったのではないだろうかと・・・。」
「・・どちらも、あまりにもスケールが大きく抽象的で、芸術家とはいえ普通は思いもつかないことですよね・・。」
「そうね。それでこの“神の愛”を非常にピュアに人体を登場させた絵であらわそうとするのなら、すでに宗教画で定番となっていた聖母子像を題材とするのが妥当じゃない。
だって、男女の愛はすべてアダムとイブのあの原罪を基とするから今さら採用できないし・・。
聖母子像は聖霊によって宿った子のイエス・キリストと聖母マリアを描くから、執着にまみれた人間どうしの愛のなかでももっともピュアな母性愛、そしてあらゆる愛の本質としての神の愛、これらを同時にあらわせる―ここまでが普通の人の発想ね。
では、なぜ、ダ・ビンチは、ここでマリアに加えて聖アンナを、あえて同世代の若さにして、しかもあえて下半身を重ね合わせた重力的にも解剖的にも無理なポーズで描いたのか。
レズないしレズ的行為を描いた絵画は、たとえば北斎やクリムトのもあるけれど、北斎は露骨な春画、クリムトのも裸体画で、これらは性的な感覚はあらわせても、愛―それも愛の本質である神の愛をピュアにあらわしたものとはいえない・・・つまり、これを絵画で描くのなら、どうしても着衣のままでの表現でなければならないことになる・・。
つまり、私が思うのは、このダ・ビンチの二重聖母の表現が、人体で神の愛をあらわす限度いっぱいギリギリのものなのではないだろうか―ということなのね・・。」
しかし、レイコさんの解釈を聞きながらこの絵を見るうち、私はあることにふと気が付いた。
「・・レイコさん・・、ここで質問なんですけど・・、この絵は“足”が描かれてませんよね。これはいったい、どう解釈すれば、いいのでしょうか・・?」
私のこの質問に、レイコさんは想定内といった感じで、ややはにかんだ、しかし本の一瞬、満足そうな笑みを浮かべて、答えようとするのだった。
「それは私にはわからない。でも・・、さっき北斎の名が出たけれど、これがもし浮世絵だったら、たとえ未完成であったとしても、絵師は足をきっちりと描いたでしょうね。
だって、浮世絵は、いわゆるデリケートゾーンもそうだけど、足先の表情は手よりもさらにリアルに描くから・・。
これは歌舞伎の、冬なのに直侍や伊左衛門がわざわざ素足で出て来たり、あるいは花魁道中の外八文字―わざわざ足を誇示する歩き方と、私は通じていると思うけど、ダ・ビンチが活躍したイタリア・フランスの両国に、今やファッションブランドが独占されたとはいうものの、ここは私たちの文化の方が一枚上手だったのかなって・・思いたいよね。
ユリコもよく言ってたじゃない。ユリコは行で山野を跋渉するから、人の足の美と機能の素晴らしさを一番よく知っているって。」
私はここまで聞かされて、思わず涙が出そうになった。
これは疑いもない、彼女から私へのカミングアウトというものだった。
レイコさんは受験地獄の最中にいながら、卒業までにいつかまた私とピアノ連弾する日に備えて、こんな洒落たカミングアウトを用意したのだ。
私はそこで、彼女の手をとろうとしたが・・、彼女はまた恥ずかしさを隠すように、ピアノの音を奏で始めた。
・・彼女が弾くのは、ドビュッシーの『月の光』・・。
その時、宙をつんざき通すような、激しい雷鳴の音が聞こえた。
次の瞬間、停電なのか、家の明りが、すべて消えた。
彼女はピアノを弾く手をとめて、無言のまま・・。
そして、その傍らに座る私も、同じく無言・・。
あたかも時が、とまったようだ・・。
目がこの闇に慣れるまで、時は永遠のようなのかも・・。
そして闇に慣れた目が、真っ先に映し出すのは、彼女の顔の白い輪郭・・。
その輪郭は私の目には、わずかに波打つようにも見える・・。
呼吸もやや、高い波へと転調をしていくようだ・・。
私は右手をゆっくりと、彼女の手へと、かけようとする・・。
肩にかかった黒髪からも、かすかな香りが、放たれているようだ・・。
だが、私の手が触れたころ、彼女の方が足をまわして、私とはっきり向き合った!
私は思わず、両目を見開く。
その時、再び雷鳴が、響き渡る!
地響きさえも伴なって、開いた私の目の前では、稲妻が彼女の姿を映し出す。
二人の手と手、足と足のその先から、まるで電気がほとばしっているようだ。
・・『月の光』が再び私の中から聞こえる・・。
ああ、もっと、この曲が長いといいのに!・・・。
「・・ユリコ・・。あなたは戻らなくては・・」
耳元でそう囁く彼女の声に、私は別れの時が来たことを知る。
「ユリコ、私は山に登っていたから、予想するのよ。これで大雨になってしまえば、しかも暴風が加われば、この家からあなたの山の麓の家まで、なだらかとはいえ坂が続くし、強い向かい風のなか泥沼に足を取られて帰るのは並大抵じゃない。
ユリコ、帰ろう。あたしが家まで送ってあげるよ。ね・・。」
声の調子は優しかったが、私には現実が、厳しいままによみがえる。
「いえ、レイコさん、それはいけません。まだ受験中なのに、先生に風邪ひかれたら・・。私はずっと独りで歩いてきていますので、一人でも帰れます。」
しかし、彼女は、私を見つめて、涙でその目を光らせながら、言葉をつなげる。
「ユリコ・・。今日は私のもとへと来てくれて、本当にありがとう。
これで、私にはもう、思い残すことなんて・・・。
でもね、ユリコ。2人の受験も大事だけれど、私にとってはあなたが無事に満行するのも、同じように大事なのよ。
だから、もう、ここから戻って・・。・・ね、お願いだから・・。
今までながなが引きとめちゃって、本当に悪かったわ・・。
だから、せめて、あなたの家まで送らせて・・。ね・・。」
停電はすでに止み、部屋の明かりも再び灯るが、私には眩しすぎて、目は伏せたままなのだった。
そんな私を見つめているのか、彼女は少し口調をかえる。
「それならさ・・、国防軍来襲の時のように、ノロの呪術でこの天気、何とかならない?」
「い、いえ、あれは歴代ノロの全員がこの島に結集して祈願をし、この嘉南島を守るため、霊山である嘉南岳の法力を呼び覚ましたものなので、私のものではないのです。」
思わず真面目に返した私に、レイコさんは口元を緩ませる。
「今のは私の冗談よ。ゴメンね、またこんな時に・・。でも、嵐のなか一人で外に出たりしたら、いくら修験者とはいえ、下手したら遭難するよ。それに、ここであなたを一人で山に向かわせたりしたら、山女としての私のプライドが許さないし。だから、私は今から、あなたを送っていきますから。それで、ちょっと待ってて。」
レイコさんは居間を出ると、しばらくして何かを手にして戻ってくる。
「きれいなあなたのプリーツスカート、雨で台無しになるといけないから、これ、県の高校で使っていた私の真っ赤なジャージなのよ。私たち、ほとんど同じ背と体型だし、これ差し上げるから着ていけばいい。あなたの服はあとでまた送ったげるよ。
じゃあ、私は部屋で着替えてくるから、あなたもここで着替えておいて。」
ソファーで着替えてからしばらくして、レイコさんは、今度はブルーのシャツにニッカボッカという山行き姿ーでもどうせ雨で濡れるからと靴下なしの素足のままーで、また何かを手にして戻ってくる。
「受験が終われば、ユリコと嘉南岳に登ろうと思っていたけど、それも適わなくなってしまった・・。ああ、それでも、久しぶりにこの服着るよ・・。以前のように、純な気持ちで、こうして山に向き合えるのなら、どんなにいいか!」
彼女はまたうつむきながら、手にしたものを広げて見せる。
「これ、いわゆる雨合羽。一つしかないけれど、大きめサイズで二人でも入れるから。
ユリコ、今日も・・素足にスニーカーね。それなら足は大丈夫ね。
じゃあ、私も、このまま素足にスニーカーで、今から二人で、山に向かって行きましょうか。」
彼女がさす一本の雨傘のもと、私たちはお互いに肩を寄せあい、各々の右と左の肩先に雨合羽をひっかけあって、外へと飛び出す。
雨は激しさを増しはじめ、向かい風まで加わって、舗装のないこの島では足もとは泥にとらわれ、歩くのも容易ではないようだ。
二人の足も濡れはじめ、互いにもつれはするのだが、坂上がりのなか歩調も合わさり、時おり彼女は、滑りそうな私の体を、その片腕で支えてくれる。
そして私は、彼女の腕の、その腕の律動を、ずっとこの身に刻んでおこうと思うのだった。
私は彼女の真横で安心して、その暖かな息づかいを感じながら、今や彼女に身をゆだねて、二人で山へと上がっていく。
空は厚く雲におおわれ、雨も風もその激しさを増していく。部屋のなかで耳にしていた雷鳴は、今や稲妻の光をともない、ただの音であるのを超えて、闇の空気を震わせては、それが肌の触感を経て体に深く響いてくるのを、私は感じる。
南からの湿った風も、私たちの雨合羽を蒸しはじめて、それが二人の上気と汗とを醸し出し、私の鼻孔は、雨露に浸された花々が再び咲こうとする匂いを、たしかに感じているのだった・・。
そして私たち二人は、あの菩提樹と並ぶこの島のもう一本の樹-いつものクスノキへとたどり着くと、そこで束の間の雨宿りをしようとする。
木陰に入り、雨宿りをする私たち・・。
それでも枝葉のここかしこから、雨水がしたたり落ちる・・。
ここから先は、嘉南岳の登山口へと通じている麓の家まで急坂なので、上りはよくても下りは怖い。私は彼女に、ここでお礼をすると同時に、このクスノキからは引き返してと、口にする。
しかしこの時、再び天の心変わりか、奇跡的にも雨はいったん止んだようだ。
「ああ、もう雨は、やんでしまうの・・・」
絹糸みたいに細くすぼめた彼女の声が、したたり落ちる雨露の音とともに、私の鼓膜に届けられる。
肩を支えていた手も緩められ、私は離れていこうとする彼女の目を、じっととらえようとする。
涙をたたえたその黒い目は、別離の最後の刹那にあっても、私たちの二人の時間に、未だとどまろうとしているようだ。
彼女の手は、雨と涙に濡れた頬を拭おうともせず、そのまま私の右手をつたっては、もう一度強く握ってくるようだ。
その時、雲がわずかに分かれて、月の光が見えてきた。
月の光は、彼女の頬をつたっては、その輪郭を滴のあとを照らしつつ、やわらかく、そして優しく、浮かび上がらせていくようだ。
私は片手で雨合羽をはねのけると、その勢いで肩から首へと手をまわし、思い切って彼女を引き寄せ、近づけたその唇に、もう一度、口づけをしようとする。
彼女は・・もはや拒まない。花の匂いが、あたりによぎる・・。
私はそれでいっそう深く、その赤い唇に口づけをほどこしはじめる。
雨と涙が唇と唇の間を潤し、月の光が絹糸のように縫っていく。
春先の葉のようなやわらかな唇は、囁きを超え互いに結び合わされる。
私の中からもう一度『月の光』が聞こえて、それが雨露の音とまじわる。
悲しみと甘美とが響きあい反射しあって、私たちのなかをめぐる・・。
やがて私は、自分の役目を果たし終えた唇を、彼女から離していく。
“怨”を吸われた彼女はこれで、“マクベス夫人”の血の嘆きに、もう苛まれることはない。
ああ、しかし、これでもう、彼女と別れる。
私は今やいやおうなく、別離という現実に引き合わされる。
ふいに彼女は、ここで自分のスニーカーを脱ぎ捨てて素足にかえり、その意図を解した私も、同じようにスニーカーを脱ぎ捨てて、素足にかえる。
私たちは、手に別離の握手をさせるより、互いの足に語らせようとするのだった・・・。
そして、私の唇は、再び彼女の唇におおわれた。
ああ、何という・・甘美だろうか、全身に花々が降り落ちてくる感じ。
これで別れの刹那もまた微分され、いっそ時が止まってくれればいいのに。
彼女の方からしてくれた口づけを味わいながら、私はその時、二人で食べた上品で上質なブランデーチョコの風味を思い出す。
それとも・・、彼女はこれで、-大人のキスとはこうするものよ-と、私に教えたいのかも・・。
でも彼女の口づけ、その優しさに私は何かが封印されていく感じがする。
やがて、彼女の口が私の口を覆ううち、私ははっきり悟るのだった。
ダ・ビンチの絵を通して、私たちレズこそが、このように“神の愛”を伝えるのだーということを。
そしてこれこそが、私が新しい人類のイヴとして、食べるその“実”であったのだーということを・・・。
雨宿りのクスノキからは、再び雨が、葉と葉が重なる隙間からも降り落ちはじめて、どうやらまたもとの本降りへと戻ってきそうだ。
レイコさんは、これでもう私から、離れようとされている。
その眼差しは、-わたしの成すべきことはすべてし終えた。あとはユリコを信じるだけ・・-と、言っているようにも思えた。
そして彼女は雨合羽を、今度は一人でぱっと羽織ると、振り返り、もと来た道を下っていった。
片手に取られた雨傘が、追い風を受けながら、彼女の家路への足を、より速めていくかに見える。
あの雨傘は、私たち二人の、愛と別離の、余熱と余韻がこもったもの・・。
私の目はなおもそのまま、彼女が下っていく後姿を追ってはいたが、それは早や木々の合間に隠れてしまうと、やがて見えなくなっていった・・。