こども革命独立国

僕たちの「こども革命独立国」は、僕たちの卒業を機に小説となる。

第二十二章 回帰

  冬となった。

  1月の一次試験を目前にして、ヨシノとキンゴの受験準備はいよいよ大詰めとなっていった。それで彼ら4人の学校も2人の受験を優先するため、ここは三学期の授業にかえて、ヨシノとキンゴはとにかく受験に専念して合格し、テツオとユリコは海外渡航の準備のかたわら各々自分で課題を設けて“卒論”を作成して、それで全員めでたく卒業ということにしよう-ということになった。

  それでヨシノとキンゴの2人のために、校長もレイコもともに文系・理系の専属の家庭教師のようになっていった。特にレイコは、もともとの理系の免許に加えて、島に来てからあらたに取った国語系の免許を活かして、医学部受験改革で二次試験に導入された“課題による論説作文”対策をも受け持っていたものだから、その負担はヨシノとキンゴのそれに劣らず重くなっていったようだ。それで彼らは、予備校で行われる模擬試験や冬季講習を活用しながら、高校3年間の全課程の復習を、キンゴパパのワタナベ医院かヨシノの実家の空き部屋で、冬休みも正月もなく、ひたすら受験を中心に卒業までの最後の日々へと入っていった。

 

「・・卒論といってもさあ、今さら新たに書くのもなんだし・・。」

「タカノさんも校長もレイコさんも、とにかくここはヨシノとキンゴの合格を最優先に、フリースクールの規定上のアリバイとわかっていて、私たちを卒論で事実上解放してくれたのよ。だから私たち2人も、各々のやるべきことを成し終えて、卒業を迎えればいいんじゃないの。」

  テツオはそれで島のブログから適当に切り貼りして、彼がもっぱら主導的にかかわった限界耕作面積の、“来るべき食糧自給率最低国での生き残りのための家庭菜園百姓論”をそのまま卒論とすることにして、ユリコは自分の修行の集大成にと、“嘉南島におけるノロ-祭祀文化の継承と山岳修験”なる適当な文を作って、それを卒論とすることにした。

  そんな訳で卒論をパスした彼らは、卒業までに残された各々の本題へと向かうのだが、それはテツオにとっては、ムギの播種など春に向けて最後の百姓仕事をすませた上でタミに引き継ぐことであり、またユリコにとっては、師僧オバアのもと3年余り行じてきた島のノロとしての回峰行を満行させることであった。そしてさらに、ユリコはこれから春にかけて、その満行に向け籠山行にも入るという。

「籠山行に入るって? それっていったい、何なんだよ?」

「籠山行というのはね、オバアの家の敷地にある小さなお堂に籠ってさ、座禅のまま真言を唱えるというものだけど、私の場合は、ヨシノとキンゴの合格祈願も兼ねようと。」

「・・ユリコ、それ、ひょっとして、ノロの呪術で2人を合格させられるっていうことなの?」

「いや、そうではないのよ。というのは、私たち行者は“他人の杖を持つことなかれ”と言われるように、他人の業やカルマを背負うのは禁じられてることだから。それに不正な手段で合格しても、それはまた一方で不正な手段で不合格になる人を生み出すことで、恐ろしい因果応報のもとになる。また、ノロの呪術はいずれも古いものだから、受験のような比較的新たなものには適してないの。だから、私としてもごく一般的な合格祈願しかできないのよ。

  いや、テツオ、ここであなたに対して言いたいのはね、私が籠山行に入ることで・・」

「僕ら二人が会えなくなる・・ということなの?」

「いや、会えるには会えるのだけど・・、いわゆる、その・・」

「あー、わかった。はっきり言って、いわゆるHはダメってことだろ。」

「ええ、そうね・・。そうなんだけど、その他にも・・」

「ついでに、キスもお触りもダメだっていうんだろ。」

「ピンポーン! さすがはテツオ、ご名答。 まあ、そんなわけで、あなたはしばらく聖人役ね。」

「“聖人”たって、性人じゃあるまいし。そんなに女が欲しければ、自分で女になればいいでしょ。

  それに、Hにしたってさ、これもまた刺激好きで何でも阿片に変えたがるホモ・サピエンスのいつもの“煽り”なんじゃないの。つまり、性欲というのもさ、一種のフィクションかもしれないよ・・。」

 

  そんな調子で4人が卒業まで日々過ごすなか、冬とはいえ暖冬の恩恵下のある晴れた日、島の浜の桟橋にて、校長とワタナベ医師とが、互いに釣りに興じている。各々同じ受験生をかかえる身の上、互いのストレス発散にと、彼ら2人とヨシノパパとはよく3人で釣りに興じているのだが、この日は漁連の会合ということでパパはおらず、2人は目前の県の対岸と漁港を遠くに望みながら、釣り糸垂れつつ、さかずきを干し重ねていっている。

「いやあ、しかし、最初のうちは“酒は一滴すら飲めぬ、奈良漬さえ嫌いじゃ”(1)などと言っていた校長先生、その後めでたく漁師としても一本立ちされ、また私どもとのこの3年、釣り糸を垂れ杯を重ねるそのうちに、“かけつけ三杯、こりゃ酒飲みの定法だ”(2)ってな具合に、今やすっかりこの道にハマりましたね。」

「イヤイヤ、それがしもただ、“もう半分、もう半分”(3)と重ねていくうち、“湯呑から片口、片口から酒樽へ”(4)という具合に、三杯が三倍へと進んだわけです。ワハハハハ。」

  そして二人は、目の前遠くに、県を望めるおだやかな瀬戸の波間を眺めながら、やがてその東西をひっきりなしに往来していく大型船の数々にも目をやるのだが、ここはキンゴパパのワタナベ医師、息子の嫁に駄洒落のヨシノを迎えるだけに、その“オチ道”の精進にも不足はなく、波に釣り糸垂れるだけでは物足らず、ここは一席小咄も垂れたいところのようである。

「ところでね、校長先生。二人だけの酒飲み話で言いますと、『花見酒』(5)なる落語があって、それがどういうお話かといいますとね・・、

  二人の野郎が元手もないのに、花見所で酒を売れば儲かるだろうと言い出して、儲けて必ず返すからと酒とつり銭ばかりを借り受け、天秤棒に酒樽を前後二人の肩にかついで、つり銭の十銭ばかりを手にしてさっそく、桜を目指して歩いていった。

  その道中、天秤かつぎの後棒が、酒の匂いにつられたか、手持ちのつり銭十銭を手に前棒へと、“この十銭で酒を一杯、まずこの俺を最初の客とし売らねえか”と持ちかけた。

  すると前棒、“俺たち同士で払うとはいえ、銭であるにはかわりねぇ”と応じてしまい、この十銭を受け取って、まずは一杯ってな具合に、後棒に売ったというか飲ませてしまう。

  それで、歩いていくうちに、今度は飲ませた前棒が今や手にした十銭で、“なぁ、さっきと同じく、今度は俺にも酒を一杯、売ってくれよ”と持ちかけて、あとはこのやり取りの繰り返し。花見所に着くころには二人はすでに酔っ払い、酒樽はヘベレケにもうカラやんで、売り上げはないんだけれども、借金の十銭だけが手元に残った・・とまあ、ざっとこんなお話なんですけどね・・。」

  しかし校長はこのお話に、カブいた共感、覚えたようだ。

「プハハハハ。何ともマヌケと思いますが、しかし先生の今のそのお話、何ともシリアスにしてシリアルな味わい、尻上がりの面白ささえありまするな。それに究極の急所をキュートに突いて、こんな真昼にまたニヒルな笑いが漏れてきそうです。」

  そして校長、目前の釣り糸、未だピンと張らないなかで、何やらピンときたようだ。

「・・いや、そのお話はともすると、古典落語のわくをこえ、かのマンデヴィルの『ハチの寓話』(6)に引けを取らない、貨幣の真理とも言うべき、経済そして経済学の妙とさえ言えるのかもしれません。

  例えば・・、核の支配に先立つところの、第1次・第2次なる世界大戦。この植民地争奪戦の勝ち残りであるアメリカは、今や戦争と武器輸出で最大の債権国へと成り上がり、スペインからイギリスへと強奪が引き継がれた世界の金の約7割を占有し、この金を本位にドル機軸通貨制なるブレトン・ウッズ体制に君臨をしたわけですが、そのアメリカでさえ植民地争奪戦の残り火からのベトナム戦で、大赤字債務国へと転落し、金の流出とどまらず、ついに1971年のニクソン・ショックで金ドル兌換を停止した。かくしてスペイン・イギリス以来、戦争屋の覇権国が、ラインの黄金じゃないけれど世界支配の要とした金本位制がこれを最後に崩壊し、貨幣はインカやスキタイの昔からの黄金という担保を失い、通貨は今や文字どおりの紙幣=単なる紙となった-というわけです。」

「ということは、校長先生が指し示しておられるのは、さっきの『花見酒』で言いますと、酒樽の酒こそが金などの貨幣の本位というべきもので、その酒樽の樽こそはスペイン・イギリス・アメリカなどの国を指し、また、その酒を元手に飛びかう十銭こそは酒の占有を“信用”とする通貨なのだ-ということでしょうか。」

  校長は、ワタナベ医師のこの返しにうなづきながらも、顎髭を手でしごきつつ、さらに思慮深かそうに考える。

「そう。まさにそういう事なのですが、ここで不思議に思われるのは、金こそに価値があり、貨幣=カネの価値を担保しうる本位となる-という人間の思い込みが、いとも容易に紙幣という単なる無価値な紙媒体にかわってしまったということなのです。つまり、貨幣=カネというのは、そもそも人間の勝手な思い込み=フィクションなのではないだろうかと。ということは、そもそも人間が言う経済や経済学というものまでもが、この『花見酒』の話のように実はフィクションなのではないだろうかと・・。」

「ほほお。さすがは校長先生。酔わなくても面白い方なのに、酔えば更にまた面白いことをおっしゃられる。フィクションとは落語にもっとも通じるもの。ひとつそのご見識を伺いたいものですな。」

  ワタナベ医師のほろ酔い加減のお誘いに乗るままに、校長は機嫌もよろしく、またもう半分とさかずきを空けながらも、話しはじめる。

 

「・・長い歴史の話にはなりますが、千夜一夜の長話にはならないように切り詰めてお話ししますと、15世紀、そのアラビアに近いイスラム勢力圏にあったイベリア半島より、ポルトガルが大洋に出てインドに至り、その脅威に隣国の王たちが政略結婚を行ってスペインとして大洋に出航し、ここにアダムとイヴの婚姻以来、人間が続けていた自給自足経済が、同じキリスト教国どうしの結婚により、他人の家を貪るという植民地からの収奪をもととするグローバル経済へと、大きく舵をきったのです。

  しかし、彼らが鳴らすキリスト教の鐘の音も、わが国の諸行無常の響きと同じく、奢れるものは久しからず、盛者必滅の理(7)どおり、スペインのその覇権も無敵といわれた艦隊が、海賊行為で着々と暴力を培ってきたイギリスに敗れたことで、彼らが植民地から収奪した黄金も、イギリスに巻き上げられたわけなのですが、イギリスはスペインみたいに“ラインの黄金からなる指輪”を持つこと自体が真の国富につながらないのに気づいてました。

  アダム・スミス(8)はこう言いました。-国富とはその国に蓄積された金銀の量ではなく、その国での人々の労働により日々生産される財の総量で量られるべきである-と。かくして“経済”が発見され、また“経済学”が生まれました。

  知恵の実を食べた人間の始祖がアダムというのと、その人間の経済学の始祖がまた同じアダムというのは、何やら因縁めいた感じがしますが、神は『創世記』(9)にてアダムを楽園から追放する際、-お前のために土地が呪われ、生えてくる茨と薊に悩まされ、お前は額に汗をして糧を得る-と、彼に“労働”を宣告しました。そして神はその後『出エジプト記』にて、“十戒”として、-他人の家を貪ってはならない-と言いました。家とはギリシャ語でオイコスと言われ、この派生語のオイコノモスというのがエコノミー、つまり経済というわけです。

  しかし、経済学の始祖のアダムは、この戒めに相反して“利己心”なる免罪符を与えました。彼は人間のこの利己心から“分業”が成り、それらを自由放任にすることで社会が‘見えざる手’によって“均衡”に達するという、あたかも三位一体の、私益がひいては公益に通じるという一種の予定調和説を唱えたわけです。

  この彼の唱えた均衡の予定調和説という経済学のドグマは後に、物理学から輸入した微分などでより科学っぽく見えるように装飾され、物理と微分で同じみのニュートンと同じくイギリスで一大学派・学問として確立しました。イギリスはインド、アメリカ、アフリカ等の世界中の侵略先=植民地から、原住民の奴隷化と虐殺により、搾取と収奪の限りをつくし、それこそ他人の家を貪りつくして、ラインの黄金を蓄積し、その経済はこうした犠牲の上に立つものであったくせして、当のそのイギリス人たちは植民地で貪った午後の紅茶を優雅にたしなみ、数学的教養を見せびらかして、アダム・スミスを始祖とする彼らの古典派経済学の『一般均衡論』なるフィクションをダベッていたというわけです。スミスはもとは道徳の教授だったそうですが、何とも不道徳な教義を後世に残してくれたと思います。」

  校長は、今度は桝でもう半分と、ワタナベ医師から酌を受けて話しつづける。

 

「さて、アダム・スミスの時代にはまだマニュファクチュア(工場制手工業)だった経済も、やがては蒸気という動力を得て産業革命の時代へと入っていきます。そしてこの産業革命より、遠い海外の植民地で行われていた奴隷労働というものは、今や近隣の工場でも頻繁に見られるようになりました。

  カール・マルクス(10)はこう言いました。-ローマの奴隷は鎖によってその所有者につながれていたのだが、賃金労働者は契約という法的擬制によってその所有者につながれている。資本主義の時代がはじまり、なかでも農民から土地が奪われ、人間の大群が無保護のプロレタリア労働市場へと投げ出される瞬間は画期的である-と。

  マルクスもイギリスの古典派経済学と同じく、自らのを“科学的”社会主義と称しており、その理論の主柱は“唯物史観”と“剰余価値説”のこの2点に集約されると思います。

  唯物史観とは、-物質的生活の生産様式は、社会的、政治的、精神的諸過程一般を制約する。人間の意識がその存在を規定するのではなく、人間の社会的存在がその意識を規定する-というものです。

  これによりマルクスは、-封建制度絶対王政のもと続いていた土地本位の農業経済は、産業革命の到来以来、カネで力を貯えてきた資本家らにより資本主義経済へと移行をはじめ、ここに封建領主対農奴という旧来の階級対立にとって代わって、資本家対労働者という近代の階級対立があらわれる。この対立は敵対的で、階級闘争を通じて打倒されるものであり、ついには私有財産制にもとづく資本主義そのものも、過激化する階級対立の圧力により内部から突き崩され、生産様式を社会で共有する社会主義に移行されざるを得なくなる。その暁にはかつて封建領主からブルジョア資本家に権力が移ったように、資本家階級から労働者階級が権力を奪取することになる-という、いわゆる賃労働なる奴隷状態から社会主義なる約束の地へと解放される道筋を、科学的に証明したとするのですが、ここで彼は、その労働者階級の資本家からの権力奪取を剰余価値説で正当化しようとしました。

  剰余価値説とは、これはスミスやリカード由来の“労働価値説”に手を加えたものであり、彼は主著の『資本論』でW-G-Wといった奇妙な代数式を繰り返して科学的に見せかけようとしていますが、要はモノの価値は商品にあり、その商品の価値はそれを作った労働者の労働にあり、ゆえに商品の儲けの部分も本来は労働者の取り分であるにもかかわらず、資本家はそれを自分の利潤として労働者から悪どくも搾取している-というものです。

  旧約聖書の『創世記』についで書かれる『出エジプト記』は、当時の最先進国エジプトで奴隷労働をさせられていた人々をモーセが率いて解放していくお話ですが、ユダヤ系のマルクスは褐色の肌に髭ぼうぼうで、約束の地をめざして奴隷解放を導いたモーセのそれと似ていたのかもしれません。そして彼はモーセが葦の海に杖をかざして海を二つに分けたように、紅い旗を海にかざして世界を東西に分割したわけですが、同じように約束の地をめざしたものの、彼の主義が導いた人々は、社会主義の名のもとでさらなる搾取を受けながら、また新たな隷従の道を歩かされることになりました。私はその遠因は、彼がかつて他人の思想を‘哲学の貧困’と言ったように、彼自身のこうした2点の哲学もまた貧困で、しかも実はこれも古典派経済学に劣らないほどフィクションだったからだろうと思います。」

「校長先生はこれもまた、フィクションだったと言うのですか?」

「そうです。フィクションだったからこそ社会主義共産主義もおのれのウソを隠し通せず、ついには壁の崩壊をきっかけに、そのフィクションすべてが崩壊してしまったということです。

  まず唯物史観においては、人間の社会的存在がその意識を規定するのではなく、本当はまさにその逆、つまり、人間の意識というか人間の性(さが)こそがその存在を規定すると、私は思います。

  問題は、封建主義、資本主義、社会主義というような主義の違いでもなく、また、農業、工業、サービス業というような産業の違いでもなく、また、石炭、石油、原子力というようなエネルギーの違いでもありません。これら社会の構造がいかに変遷しようとも、これらを土台に、少数の人間が己が権力を多数の民の貧困の上に打ち立てるという、人間の社会的な性こそがまさに普遍的な問題なのです。つまり、“他人の家を貪る”という人間の性こそが、いつの世にもどんな生産様式や社会制度にも輪廻転生を繰り返して、人間の存在様式-貧困の上に立つ権力-を規定するというわけです。

  そして剰余価値説においては、私はこの説ばかりでなく、そもそも経済学でいう所の伝統的な“価値”の捉え方そのものに問題があると思います。経済学でいう“価値”とは、効用つまり取引しあうモノに対する概念であり、その価値を認識する人間自身が捨象つまり理論から除外されているのです。そのため、スミス以来、マーシャルやワルラスにより完成された一般均衡論のような理論においては、このモノの価値を中心に据えることで、あらゆる需給のバランスが、ただ数量的に客観的に自動的に達成されるという予定調和説が導かれ、また、リカードからスラッファにおける理論においては、生産の制度的な側面や消費の心理的側面(たとえばウェブレンが示した顕示的-見せびらかし-消費のような)が何ら問われることなく、価値あるとされた商品の生産とその循環のそれ自体が商品の生産を支えるという、ケネーの『経済表』のような物質だけのエンドレスな循環論が導かれるというわけです。

  マルクス剰余価値説においてもこの価値の捉え方は同じであり、商品の価値を優越視し、しかも労働という人間そのものをこの価値と相対化し、また従属させてもいるために、彼は搾取の本質を商品の利潤においてしか見なかったのです。

  私は、搾取の本質というものは、剰余価値が搾取されることではなく、人間が人間を搾取することそのものにあると思います。つまり、本当に生産されているものは、商品でもなく価値でもないということです。経済で本当に生産されているものとは、財ではなく、まさに貧困なのであり、自然に対する貧困、そして人間に対する貧困そのものが生産され再生産されている-ということだと思います。この見方によって、水俣病以来、3.11に至るまでのすべての経済現象を俯瞰することができると思います。

  以上が、私がいわゆるマルクス経済学をフィクションとする理由です。しかし、一方でマルクス主義は、貧困は決して自己責任ではなく、資本主義という強欲が社会的に作り出すものであることを明らかにし、また帝国主義や戦争というものも、企業の儲けのために作られるということも明らかにしたわけです。私はこうした所に、貧困や植民地といった弱い者イジメを覆い隠したその上で、自分たちだけ紳士ぶり、イイ子ぶりっ子をしたイギリスやアメリカで主流を成した数式的に装飾された経済学とは異なって、マルクスマルクス主義はこれからも評価され支持される余地が大きいと思います。」

  ここまで語ると校長は、酒よりも持論の方に酔い出したのか、酒なんぞ飲んでられるかみたいな感じで、持参のお茶で口を潤し、語りつづける。

 

「さてそれで、しょせんは常に“他人の家を貪っている”に過ぎない人間の業欲の表現である資本主義と帝国主義の行きつく先は、弱い者イジメの極限たる植民地の争奪戦で、その第一次の大戦が膨大な犠牲をはらって1918年に終結しました。世界帝国のイギリスは、プライドは高いが常にその尻に追従して残りの植民地を貪っていたフランスと組み、大西洋の向こうから漁夫の利を狙っているアメリカから金や武器を工面しつつ新興国ドイツをやっつけ、大戦の最大の成果としてオスマン・トルコを解体させ、これで西欧列強は中東での石油利権を確立しました。第一次大戦では戦車、戦艦、戦闘機と新たな兵器が次々と登場し、石油エネルギーは金と並ぶ第二の“ラインの黄金”ともなって、その物語の言うとおり、“これを加工し手にするものは愛を失うそのかわりに世界を得る”-の実像となりました。

  ところが、この大戦で帝国のロシアから社会主義ソビエトが誕生し、大戦余波の好況で浮かれ興じた1920年代、その末に大恐慌が起こったことで、西欧列強の帝国主義権力とその原動力たる資本家たちは、今や本当にマルクスが言うとおり、資本主義は内部矛盾に耐えきれず必然的に社会主義に移行するのではないだろうかと、自分たちの保身のために首を切って路傍に捨てた労働者ども失業者らが、今や革命家となって自分たちを襲ってくるのではないかと、非常な脅威を覚えたのです。

  アダム・スミスモーセ十戒を破ってこの方、金儲けの利己心に、免罪符に匹敵する福音をもたらした『国富論』なる経済学の“旧約”を世に出してくれたおかげで、これがかのカルヴァン宗教改革にも勝って金儲けを理論的に合法化してくれたのを、資本家など金持ちたちは、アダム・スミスを資本主義的天地創造の神みたいに最大限持ち上げて利用してきたわけなのですが、今やその彼らにとってはサタンであるマルクスが、救世主たるメシアへと変貌し、マルクス主義こそが旧約を成就する新約みたいになってしまうと、非常に都合が悪くなる。そこで彼らは自分たちに都合のいいマルクスに対抗できる資本主義のメシアを探し求めたわけなのですが、一般均衡論の大家マーシャルでは大量の失業者の発生を説明できない。そこにタイミングよくあらわれたのが、ジョン・メイナード・ケインズでした。」

ケインズ。ほほお、この人物は歴史的にも有名ですし、今でもたまにケインズ経済学などと新聞でも見たりしますが、校長先生はこれもまたフィクションと言われますかな?」

「そうです。しかし、ケインズはまさに文字どおり権威でもありますから、経済学の派閥の中では彼の経済学をフィクションなどと言ってしまうと、メシアへの攻撃は飯あげとなり、それはその人の失業を意味しますので、私のような浅学の門外漢だからこそ、逆に自由放任にこんな事が言えるのです。

  ケインズの教義でもあり主著である『雇用、利子および貨幣の一般理論』(11)は、マルクスの『資本論』にも劣らないほど何回読んでも難解なので、マルクス同様おそらくあまり読まれなかったその割にはかえって神秘性が高められ、これもまた社会主義国におけるマルクス同様、その偶像崇拝促進に役立ったのかもしれませんが、この主著のエッセンスから、“政府が公共事業を行うなど財政出動することにより、失業は解消され、雇用は守られ、またさらに経済は発展させられる”といった選挙公約さながらの分かりやすいフレーズが抽出されるので、本書を見たこともなく、また読める力もまったくない政治屋でさえ“私もまたケインジアンです”というだけで、マスコミや選挙の受けもよくなって、利権政党とその支持勢力には大変便利で有難いことだったと思われます。

  私はケインズという学者は、経済学など社会系の分野よりも、本人も自負していた通り、理数系の人間だったと思います。しかし、理数系の分野よりも、その思考が経済学にはいまだ不十分であったので、彼はその経済学にこそ己の理論を広められるニッチがあると思ったのではないでしょうか。

  ケインズは先の『一般理論』のはじめの方でこう言います。

  -古典派(経済学)の雇用理論は、二つの基本公準にその基礎をおいてきた。

 1、賃金は、労働の限界生産物に等しい。

 2、労働雇用量が与えられたとき、その賃金の効用は、その雇用量の限界不効用に等しい。

  古典派の理論家たちは、平行な直線も経験的には交わる場合のあることを発見して、それは直線がまっすぐになってないせいだと文句を言う非ユークリッド世界のユークリッド幾何学者に似ている。だが本当は、この平行公理を棄却して、非ユークリッド幾何学を打ち立てる以外に救いはない。この古典派の教義の第二公準を棄却し、非自発的失業が起こり得る体系のはたらきを理論家すべきである-と。

  私は、しかし、このまったく意味不可解な文章にこそ、ケインズの発想の大本を見る思いがします。

  彼はおそらく、その当時、ニュートンが集大成した古典派物理学以来の大発見と称賛された、アインシュタインの(一般)相対性理論を、強く意識したのでしょう。

  彼はおそらく、モノの価格も、カネを貸す利子率も、労働者の賃金も、それらすべては各々の市場における需要と供給曲線が、二次元の関数みたい交わって各々適正に均衡するという一般均衡論の世界を、あたかもニュートン力学ユークリッド幾何学に準拠した絶対時間・絶対空間の世界に見立てて、非ユークリッド幾何学に準拠した相対性理論のようなゆがんだ時間と空間の世界に似せた、伸び縮みするような閉じられた経済モデル、経済学の体系を想像したのだと思います。そして彼は、その伸び縮みするような経済モデルの底面に“雇用”をあてた-というわけです。いわば彼は、絶対空間のような硬直的な均衡世界は雇用量を増減することにより調節できる余地があるとしたわけです。」

「校長先生、それって簡単に言いますと、要するに、好況の時は後先かまわず雇い入れたりするくせに、不況の時は即クビにして使い捨てというような、まさに非正規社員に対して行われている雇用を安全弁がわりに使うという、いつもの汚い経済界の常套手段のことですよね。」

「そう、おっしゃる通り。マルクス剰余価値説が、雇用者が労働者をぼったくるのは庶民感覚で言わずもがな明らかであるように、ケインズの雇用理論も庶民感覚ではこのように明らかなのを、彼らは学者なものですから、以下のようなフィクションを駆使することで理論化をしていくわけで、それが同時に学者たちのメシのタネにもなるのです。

  ケインズは、彼が想像する経済モデルの空間で運動する“所得=消費+投資(または貯蓄)”なる数式をまず提示します。そしてこの式があたかもエンジンのように円滑に運動し続けていくために、その原動力として人間の指導動機を次のように割り振ります。つまり、消費については消費者が買い物をしたいという“消費性向”、投資については企業家がさらに投資しても儲かるという見込みがあると思わせる“資本の限界効率”、そして、貯蓄については金持ちが現金を預けたい気になるような“利子率の大きさ”あるいは預けないで現金で持っていたいという“流動性選好”といった具合に。

  好況の時はこれらの動機は盛んなので、“所得=消費+投資(または貯蓄)”の運動は加速度的にされるのでしょうが、これが不況で消費の落ち込みなどにより運動が円滑にいかなくなれば、パイである雇用量は縮みあがって失業者が出てしまう。この数式で所得を維持していくためにはその分投資を上げねばならない。そのためには利子率が下がることが望ましいが、市場に任せてままならない不況の時は、政府が国債を発行して借金するか、あるいは紙幣を印刷して市場に放出するかして利子率を下げ、さらには政府が公共事業をすることでカツを入れれば投資も増えるだろうから、この“所得=消費+投資(または貯蓄)”の運動式は、そのパイである雇用量の底面を広げながらその円滑さを取り戻すことだろうと。-これが彼の『一般理論』の大まかな概要です。」

「しかし、校長先生、1920年代の大不況時に成立した1933年のドイツのヒトラー政権も、アメリカのルーズベルト政権も、大規模公共事業を起こして何百万もの失業者を吸収したといわれています。ヒトラールーズベルトはまさにこのケインズの一般理論を実践したというのでしょうか?」

「いや、本当はむしろその逆で、『一般理論』は1936年の刊行ですから、ケインズの方が実例を見つめながら、それに都合よく合わせた経済理論というフィクションを創作したのだと思います。

  だいたい、今の概要を見ただけでも、経済空間で運動する“所得=消費+投資(または貯蓄)”なる数式にあてがわれている、消費性向・資本の限界効率・利子率の大きさ・流動性選好といった人間の種々の動機のそれ自体がフィクションだと思いませんか? たとえば消費においては、ウェブレン(12)が示した通り、金持ちは庶民に対して差別欲を満たすために顕示的(見せびらかし的)消費をするもので、また、ヒトのカネに対する執着も利子率や流動性選好だけで語れるようなものではない。それに企業家や事業主はいったいどのようにして自己の事業における資本の限界効率を適切に測れるというのでしょうか。また雇用については、労働を供給する労働者の動機としては“雇用(労働)の限界不効用”なる、ここにはカネに対する動機ではないものが登場しますが、これが先の種々のカネに対する人の動機とどのような整合性を持つのでしょうか。

  それに第一、現実の経済は、企業や事業所を舞台にした営業ノルマの際限なき無限地獄で、また、強者から弱者に対する際限なき搾取につぐ搾取の無限連鎖講といえるのですが、ケインズに限らず経済学全般には、不思議とこうした経済の現実はまったく反映されません。

  だから私は、そもそも経済学というもの自体が、資本主義に巣食っている企業家などの金持ちどもや民主主義の仮面を被った帝国主義の政治的権力者らが、自分たちの支配に都合がいいように、そうした自分たちの汚く醜い現実を覆い隠すために使っているフィクションだと思います。私は経済学者という人々-少なくともその主流派にいる人々-は、要するに御用学者だと思います。だから、ソースタイン・ウェブレンなど逆に金持ちたちの醜さや空虚さをつくような人々は異端とされ、主流派からは排除されるというわけです。だが一方、マルクス主義者も同じように、スターリン毛沢東など、また違った意味での帝国主義者の御用学者であるといえます。

  ケインズが、ポンドからドルへと2つの基軸通貨の胴元だった帝国主義的資本主義の雄であるイギリスとアメリカにて持て囃された最大の理由というのは、彼が戦争を含む公共事業をあたかもそれが景気対策の本丸と位置づけて政治屋利権を合理化したためですが、それ以上に彼がその『一般理論』において、-国家が引き受けるべき重要な役割は、(社会主義のような)生産手段の所有ではない。ほぼ完全雇用に近い総産出量を確立できたら、古典派経済学の分析に異論のあろうはずがない。私的利己心がどのように決定するかについての分析は、そのままの形で成り立つのであり、要するに消費性向と投資誘因との間の調整を中央統制によって行う必要がある場合を除くと、これまで以上に経済生活を社会化するいわれはないのである-と言ったように、明白に社会主義を否定したからなのです。

  つまり彼は、彼が古典派と称した一般均衡論の世界をこのように是認しているのです。ここで彼もまたその古典派と同様に、貨幣については伝統的な“貨幣数量説”を体系に持ち込むのですが、私は数ある経済学のフィクションでも、その極め付きはこの貨幣数量説に象徴される貨幣についてのフィクションだと思います。ケインズは『一般理論』でこう言います。-失業のある限り雇用は貨幣量と同じ割合で変化するが、完全雇用に到達すると、今度は物価が貨幣量と同じ割合で変化する。このような単純化で、貨幣数量説は明瞭な形で表現できる-と。」

「さすれば校長先生、その貨幣数量説とは、一体いかなるものなのでしょうか?」

「貨幣数量説というのは、貨幣=カネはあくまで取引の媒体にすぎず、貨幣自体は中立中性なるもので、貨幣とモノ、あるいは貨幣量と雇用量というように、各々量的に対応し、貨幣の量が多ければインフレ、多すぎればバブル、少なければデフレというように外形的にあらわれるというカネの見方です。

  しかし、この貨幣を、あたかもこれが物理学のエーテルみたいに単なる媒質と見なすことによってこそ、それに関わる人間をまるで分子(モナド)のように均一化・単純化することができ、一般均衡論やケインズ理論などといった経済学は、まるで物理学の植民地であるかのように、似た感じの数式を援用するのが可能となり、いかにも科学的であるかのように見せかけながら、経済が原因で起こっている世界中の際限なき暴力と貧困の生産と再生産を覆い隠すのに成功し、それを支持する経済学者は紳士的に蝶ネクタイを首に巻きつつ、イイ子ブリッ子ができるのです。

  私は、貨幣数量説というのは、モノに対して貨幣が中立的というよりかは、ヒトに対して貨幣が中立的でない限りそもそも成り立たないようなフィクションだと思います。

  ヒトに対して貨幣=カネが中立的とは、一体いかなる現象をいうのでしょうか。それは具体的に言うならば、たとえば、どんなバブルが生じても全ての人は決してマネーゲームに走らずに、常に経済の均衡が成り立つように適正に消費と貯蓄と投資にいそしむ。あるいは、目の前にどんなに原発マネーが積み上げられても、政治家ならば国家の未来に忠実に、役人ならば規制基準に忠実に、学者ならば真実に忠実に、医者ならばあくまでも人間の健康被害に忠実に誠実に向き合うなど、己の分際とその社会的な使命感、そしてそれに見合った正当な報酬とを常に正しく適正に評価できる能力が万人に均一的に備わっているというような現象をいうのではないでしょうか。」

「プハハハハ。校長先生、それはお釈迦様が説法された八正道のようなもので、われわれが人間である以上、たとえ落語の世界であってもあり得ないフィクションですな。

  それに第一、この国は長年のデフレにありますが、金融の異次元緩和やマイナス金利など手をつくしても、このデフレ感を払拭する2%のインフレなどには遠く及ばず、私たちは経験的に貨幣数量説など通用しない現実を見てきています。」

「そうです。だから私はこんなフィクション=ウソだらけの経済学より、さっきの『花見酒』の落語の方がよほど現実の経済を物語ると思うのです。

  さて、このケインズ理論は、第二次世界大戦後もアメリカを盟主とする資本主義の西側先進工業国で、経済政策の標準理論に据えられて、この国で高度経済成長が見られたように、資本主義は各国で大いに栄え、それは“黄金の60年代”とさえ称されました。

  しかし私はこれも実はフィクションだったと思います。資本主義の黄金の60年代を享受したのは第二次大戦に加わった植民地の列強宗主国たちであり、その国々の戦後の高度成長とは、勤労や資本主義やその経済政策の成果というより、むしろ大戦の“戦争の経済的帰結”のゆえだったと思います。」

「それはよく指摘されているように、大戦後も旧宗主国は独立後の旧植民地を、先進国対途上国と位置づけながら、その経済的に強い立場にものを言わせて、あいもかわらず巧妙に貪った-ということでしょうか。」

「そうです。それは高度成長期を支えた原油価格が1バレル約2ドルと長期に渡って据え置かれたのが象徴しているのですが、それを何より可能にしたのは、2つの世界大戦で植民地大帝国のイギリスから世界の覇権とラインの黄金とを漁夫の利で収奪したアメリカの“パクス・アメリカーナ”という世界規模で“他人の家を貪る”ためのシステムでした。

  かつてヒルファーディングが、-暴力が決定的なのである。経済が暴力の内容や目標や結果を規定するというような関係には決してなってはいない。暴力的決戦の結果の方が経済を規定するのである(13)-と言ったとおり、アメリカは武器輸出や武器貸与といった死の商人活動に始まる第二次大戦への参戦のおかげで、そのケインズ政策の具体化といわれたニューディール政策では成し得なかった大不況を解消させたばかりか、その資本主義経済は紅い中国も青ざめるほど空前の大躍進を遂げたのです。アメリカの国民総生産は1939年の3200億ドルから1944年には5690億ドルへとほぼ倍になり、軍人を除いた労働人口における失業者の割合は1939年の17.2%から1944年には1.2%と激減し、戦争中の連邦政府の財・サービスの購入は1939年の288億ドルから1944年には2697億ドルへと10倍近い激増となりました。戦時中に生産工場の規模はほぼ50%増大し、これは軍需品のみならず非軍需品にも及び、世界の工場生産の半分以上がアメリカで占められ、終戦時には世界の輸出量の1/3を占めるまでに至ったとの報告もあります(14)。

  アメリカは、かつていわゆるインディアン(ネイティブ・アメリカン)を大虐殺のうえ僻地に追いやり、国土を武力侵略で征服したその後は、アフリカから収奪した黒人奴隷を虐待して搾取しながら、自分たちの帝国が固まるまではモンロー主義などと言ってヨーロッパの覇権争いを様子見しつつ、虎視眈々と漁夫の利を伺っていたのでしょうが、2つの世界大戦後今やこうして世界最大の経済大国・債権国となり、イギリスが世界中から収奪した黄金の75%を元手として、金1オンス=35ドルと自国通貨にリンクさせ、ドルを世界の基軸通貨として、各国通貨をドル建ての固定ルートで縛るというブレトン・ウッズ体制を敷きました。このアメリカの金=ドル本位制は、アメリカはいっさい為替リスクを負わないというアメリカにはとても自由なGATT自由貿易体制を可能とし、またアメリカはさらにそのドル建てて、先進国に開発利権を提供することを条件に融資を行う世界銀行、そして借金国がさらにまた先進国の金融支配を受けるというIMFなる国際サラ金機関にまで強い影響力を及ぼしました。

  アメリカはイギリスのインドやアフリカなどにおける植民地直接支配の限界を学習し、戦争を通じて収奪した世界中の純金を文字どおり“ラインの黄金”とすることにより、あたかもそのライン川の川上から川下までを、ドルという自国通貨の金融で押し流すことによって、実質的な世界支配が可能となると踏んだのでしょう。しかし、奢れるものは久しからず、成者必滅の理どおり、やがてそのアメリカも植民地争奪戦の残り火であったベトナム戦争に敗北をすることにより、ラインの黄金を失って最大の債務国へと転落していくことになります。」

「校長先生、そのアメリカの世界支配は、具体的にはソビエトを共通の敵とするNATOなど西側諸国を覆った“核の傘下”によるものでもありますよね。ということは、自然界に置いておけば災いはないものの、人間がそれを加工して手に入れたら最後、愛を断念するかわりに世界を支配するといういわゆる“ラインの黄金からなる指輪”は、金=ドルとあともう一つは、“核”であるとも言えますよね。」

「そう、その通りです。そして私は、このいわゆる米ソ冷戦なるものも、フィクションだったと思います。アメリカが主に同盟国や西側諸国を相手にして、あたかもカツアゲをするかのように、大戦後も自国の軍需産業のニーズに沿った高額な兵器ビジネスを続けるためには、共産主義なる架空の脅威が必要不可欠だったわけで、それはまたアイゼンハワーがフルシチョフと会談した際、互いに軍産共同体の圧力を受けていることを認めあったといわれるように(15)、東側のソ連においても同様でした。アメリカとソ連というのは、むしろ互いにイデオロギーを超越したビジネスパートナーというべきもので、その意味では最大の同盟関係にあったといえます。これは1976年の米ソ穀物協定により、ソ連の長引く農業不振に対してアメリカの余剰農産物がはけ口を見出したように、アメリカはソ連を金儲けの対象とは見ても、兵糧攻めの対象とは見ていなかったことからも伺えます。

  さて、しかし、このパクス・アメリカーナアメリカによる“平和”という、皮肉で不気味な歴史的状況のもと、実際には“戦争の経済的帰結”というべきなのに、高度経済成長といういかにも何か輝かしいイメージのフィクションが、1971年のニクソンショック=金ドルの兌換停止あるいは、同時期のオイルショックを一定の目途として、これから展開されていくことになります。

  この“戦争の経済的帰結”というのは、何も経済のことだけを指すのではなく、むしろ国家、つまりこの国でいうならば、明治以来の近代国家あるいは国民国家の諸制度すべてを指していえると思います。そして私は、この近代国家あるいは国民国家というものでさえフィクションだったと思うのです。」

「ほほお、校長先生のお話は、まず落語の『花見酒』に始まって、人間の歴史=経済史いや戦争史というものがことごとくフィクションの連続であったことを物語るという、ここまでフィクション、フィクションと言われますと、この暖冬下でも思わずハクションとくしゃみさえ出るみたいな・・。」

「まず、近代国家や国民国家というものに共通したのは、それが後には西側先進国となる植民地列強の宗主国で、彼らがこぞって富国強兵政策を取ったことでも明らかですが、およそこれら国家というものは植民地支配のための暴力装置であったわけです。それが植民地争奪戦である2つの世界大戦を乗り切るために、各国は兵士と労働者を囲い込み、また戦意高揚を促すために、国民を納得させて広くまんべんなく課税するための公平な税制を整備して、健康保険制度や労働者年金制度あるいは労災保険制度といった社会保障制度を第二次大戦中に軒並に構築していったわけです。だから私はこれらを受けた戦後の福祉国家というものは、庶民の便宜のためというよりも、むしろこうした“戦争の経済的帰結”の産物だったと思います。

  それでアメリカを盟主とする西側先進国たちの戦後の高度経済成長なるものは、こうした安定した社会制度と、総力戦で培われた生産基盤あるいはそれらを支える低賃金で使役可能な豊富な戦場帰還兵や新生児からなる労働人口という基盤があり、また旧植民地を途上国と位置づけてあいかわらずも資源等の経済的な貪りを継続させ、しかもベトナム戦争という第二次大戦の延長戦があったからこそ成し得たもので、それゆえ私は、これは総じて“戦争の経済的帰結”と称するに相応しいと思うのです。」

「校長先生、それで我々の世代にはまだ記憶に残るこの“高度経済成長”なるものは、朝鮮戦争水俣病ベトナム戦争などといった大量傷害・大量殺戮、そして絶えざる自然破壊があったればこそ成し遂げられたものなのでしょうが、先ほど来のフィクションの文脈で言いますと、この高度経済成長の経済的な果実でさえフィクションが宿されてるのではないですかな。

  というのは、高度経済成長で所得倍増が成し遂げられたとのことですが、これは現実には、もともとこの国は同じ西側諸国でも戦前の自動車産業でも明らかなように、経済が未熟なため不当なほど低賃金だったがゆえに所得上昇の余地があり、また同時にインフレが進んだことで、いかにも所得が倍増したように見えたのではないですかな。

  そこに軍事から民生移転ということで、家電と車が安価に普及し飛行機にも乗れるようになるなどして、何か自分たちがいかにも豊かになったみたいな錯覚を得たのではないでしょうか。」

「その通りです。私は以前、1960年から2010年までの半世紀50年間を通覧して、民間給与の対前年比増減率と、インフレをあらわしている消費者物価指数の対前年比増減率を比較する折れ線グラフを、生徒たちと作成したことがありますが(16)、このなかで前者が後者を明らかに上回ったのは、1986年から89年のバブル期の4年を除けば、1967年から72年の6年間ほどであり、あとの期間はおおむね前者は後者に埋もれていて、所得倍増といいながらも実際の賃金の上昇率は消費者物価の上昇率に及んでおらず、所得倍増もまたフィクションだったということです。

  つまり、私は今までの話を通じてこう思うのです。スペインやイギリスが海軍力でグローバルに南半球を侵略して、土地の資源と原住民の奴隷労働を収奪することによって始まった“他人の家を貪る”ことを旨とするこの植民地支配のための“近代国民国家”の時代は、イギリスに続こうとする新興国ドイツなどの成立から最初の植民地争奪戦の第一次世界大戦までの約30年間、そして2つの世界大戦という次の約30年間、そしてその戦争の経済的帰結である1970年半ばまでの次の約30年間、この合計約90年間を通して、そのピークアウトを迎えたということです。

  私たちによる近代国民国家とは、戦争と経済からなる相乗効果をつくすことで地球を貪り、人力以上の動力を得る発想を持たなかった先住民の神と自然に根差していた生活を、暴力で収奪する植民地支配のために登場したものであり、植民地に敷いた貧困を基盤として、その差別の上に権力を打ち立てた国民の国家でした。

国民国家の貪りは、戦争のため国民一丸ファッショとなって軍産共同体に血道をあげ、地表から石炭石油の地下資源へと貪りを侵攻させ、植民地争奪の大戦後も、国民国家はその戦争で培った諸技術や、国民総動員・総生産のためのシステムや社会保障制度を活かして、地表と地中の貪りをいっそう強め、公害という膨大な有毒物を排出しながら、そしてその被害者を棄民しながら、高度経済成長なるモンスターをあらわしました。

  この高度経済成長のなか、水俣病ベトナム戦争などの犠牲者を省みず、だれもが貪りを募らせて、企業の利潤と内部資金は激増し、賃金も上昇し、消費も加熱しインフレに火がついて、そのピークの果てに金=ドル兌換を停止するニクソンショックと、産油国が先進国から独立した証としてのオイルショックが起こったのです。賃労働者は物欲と消費を貪り賃上げ要求をし、企業家や経営者らは守銭奴みたいに利潤を貪り取るために賃上げを帳消しにするまで商品の値をつりあげては物価を上昇させていき、その貪りと貧困の生産と再生産なるイタチゴッコとチキンレースのその果てにピークは過ぎ、もはや他にどこにも吸収する先がなくなって、貨幣はそれ自身をインフレという形で減価させ、ちょうどバベルかバブルの塔が崩壊していったように、人間全体を貧困にして、国民国家というフィクションはピークアウトを遂げたのだと思います。」

  ここで校長、これからさらなる物語へと入るべく、その準備とするかのように再び桝を差し出して、「もう半分」とワタナベ医師から酒を受け、口と喉を潤した後、話を続けていくのだった。

 

パクス・アメリカーナというドルと核の傘下のもと、西側先進国らによる資本主義の黄金の60年代は、ニクソンショックオイルショックのダブルショックで終了したといえるのですが、その70年代から本格化していったのは、金融の自由化と歩調をあわせた、主に多国籍企業と称される巨大企業の完全なる台頭でした。

  この金の埋蔵量にもはや制限されない金融の自由化と、国境に制約されない資本移動と労働者獲得の自由化こそが、これら巨大企業が台頭する基盤となったわけなのですが、彼らは戦争で十二分に私腹を肥やし、戦後はその民需転用で公害を生産しながら再び私腹を肥やし続けて、やがてその財力は先進国の国民総生産にさえ劣らないものとなりました。たとえば1978年のアメリカの多国籍企業の販売総額は約9800億ドルに達し、それはその国民総生産2.15兆ドルの45.4%で、また当時のイギリスの国民総生産3160億ドルの約3倍にもなっています(17)。

  ジョン・デューイはこう言いました。-政治とは社会に映る大企業の影であり、権力が大企業にある限り、彼らは金融や土地や産業を支配することによって私利を追求し、それは言論界や報道機関やその他の広告宣伝の手段を自由に操ることでいっそう強化されていく(18)-と。

  こうして巨大企業たちは戦争でそれを育てた国民国家という繭のカラを自ら破り、あたかもモスラのような怪物みたいに、国境を越え、また新たなる収奪先を求めつつ、世界中を飛び回るようになったのです。ですから国民国家というものは、国家が金を手放したニクソンショックの頃にはすでにピークアウトを迎えていたと言いましたが、それが大企業に乗っ取られるに及んでこの方、1980年代にはすでに崩壊していたのではないでしょうか。つまり、崩壊したのは社会主義ソ連邦だけではなく、資本主義のアメリカだって同じころには崩壊をしていたのですが、選挙や政権交代などにより、アメリカ等の西側諸国はソ連と違って崩壊の目くらましができたのだろうと思います。」

「ということは、いわゆるソビエト社会主義の崩壊や、アメリカの米ソ冷戦勝利というのも、またフィクションだったということですか。いやはや、このようにウソばかりの人の歴史は非STORYというだけあって、お話になりませんな。」

「人間の“他人の家を貪る”=経済は、こうして植民地を貪ったその次には、その貪りの主権者だった国民国家を、今度は大企業を主権者として貪らせていくわけです。それが目に見え始めたのは1980年代のサッチャリズムレーガノミクスの時代であり、ケインズ主義のかわりとして新自由主義なるものが唱えられ、大きな国家に取ってかわって小さな国家がよいとされ、マネタリズムなどそれに見合った都合のいい御用学者の論調が持て囃されることになります。

  この新自由主義の合言葉は、民営化と規制緩和で、企業のための公共事業の民営化と、規制緩和による新規参入企業のための門戸開放政策が次々と打たれていきます。サッチャリズムライフラインの電気、ガス、通信、交通、また、生物には自然に共有されるはずの水(水道事業)でさえも民営化という私企業の貪りの対象とし、比較的公平だった税制を金持ちと大企業優遇税制へと変えさせていくなかで、多くの社会保障制度にもしわ寄せを及ぼしながら福祉国家的なるものを次々と攻撃していったのは、この国でも私たちが今まで見てきた通りです。

  そして大企業に都合のいい新自由主義は金融の自由化をも推進しました。それはまず、金=ドル兌換のブレトン・ウッズ体制の崩壊からドルの過剰供給へとつながったアメリカから、NOW勘定やMMFが金=ドル兌換廃止後の1972年に登場し、デリバティブの一つである通貨の先物取引もその頃から起こったことにも表れているように本格化していきます。

  それはやがて、-国際的マネーフローは1980年代後半には急速な拡大を見せ、長期資金流出額では84年の1800億ドル程度から、89年には6000億ドル近くにまで達している。世界の貯蓄額の大まかな推計では、88年は約3.6兆ドルとなり、そのおよそ8割が先進国に集中している(19)。世界の主要100か国の金融資産の推計は、1990年は43兆ドルで世界のGNPの201%、2007年には194兆ドルで世界のGNPの359%にまで達している(20)-とされるほど異様な金融の自由化を遂げていき、今日の“カジノ資本主義”が現出したというわけです。

  これはまた、主要国での現金および預金の残高(M2)は2001年に比して2006年は38兆ドルと1.7倍、世界全体で民間と政府により発行された債券は2000年比で2007年には77兆ドルと2.1倍、株式市場の時価総額は2000年比で2007年には63兆ドルと2.0倍にまで達していながら、この間の世界の名目GNPは1.65倍、OECD加盟国でも1.29倍にとどまっており、マネーフロー実体経済を大幅に上回る拡大を続けていたことからも見てとれます(21)。」

「これはまさに、先の『花見酒』の酒はもとより、ライン川の川も及ばぬ洪水みたいな、マネーの洪水とでも言うべきか、かつてのノアの箱舟で、人の悪に怒った神が地を洪水でぬぐったように、世界中がマネーの洪水でぬぐわれるようになったのですな。

  その時神が、-水が再び洪水となり、わたしが全被造物を滅ぼすことはない。人間であれば人間の責任を追及する(22)-と言われたとおり、その神の予言が成就したとも言えますな。」

「その通りです。これは金融の技術革新などではなく、まさに人間の責任が追及されるべきものなのです。ガルブレイスはこう言いました。-貨幣そして金融の分野における革新に対しては、非常に深く疑ってかからねばならない。巧妙な貨幣的金融的もくろみは、社会に対して常に有害か、または欺瞞だったのであり、私の知る限りこれに対する例外はない(23)-と。

  考えてもみて下さい。先の数字で世界中の債券と株券が各々約70兆ドルもあるとして、世界の人口が約70億人とした場合、1人当たり平均約1万ドル=約100万円の債券と株券を持っていることになりますが、世界で7人に1人は飢えているといわれる現状からこれはあり得ないことです。

  では、なぜこうした事が、あり得ないような“ありあまるマネー”の下で、大いにあり得る現実として起こるのか-ということを私たちは考えなければなりません。」

「校長先生。先生はこの“有り余るマネー”もまた人間のフィクションだと、言われるのでしょうか?」

「そうです。だってこの“ありあまるマネー”というのは、今や金でも銀でもなく、キッチュみたいなティッシュと同じただの紙で、これが『花見酒』みたいなフィクションでなくて何なのでしょうか。

  つまり、私がここで考えるのは、私たち人間は、なぜこのようにフィクションばかりを創造し続け、またそれをあたかも現実みたいに扱うのか、そしてその最たるものは、やはり貨幣・紙幣・カネ・マネーといったものに集約されるのではないか-ということなのです。」

  校長はここでまた「もう半分」と、ワタナベ医師から桝を受ける。

 

「世界中を洪水のように襲っているありとあらゆるありあまる貨幣・紙幣・カネ・マネーなるものは、もはや金とも銀ともリンクされない=自然の量に制約されない、人間がその欲望のまま際限なく印刷できる要するに“信用”による“証書”であり、これは結局、だれかが損をしない限り決してだれもが儲からない“ネズミ講=無限連鎖講”の繰り返しでしかありません。だれもが全員儲かれば、それはインフレ状態となり、貨幣はその価値を減価して全員貧困となるからです。だから貨幣価値を支えるものとは、究極的には大多数の人々の貧困といえるのです。

  この無限連鎖講こそが金融の正体であり、金融の自由化とは、この“講”が洪水みたいに際限なくあらゆる域に行き渡るということなのです。講はグローバルに世界中をさまよい続け、収奪の源泉を見出し、そこに常に貧困を生産し再生産し続けることによって維持されるしかありません。金融の自由化=ありあまるマネーたちは、さまざまな金融商品から金利という甘い蜜を醸し出し、世界中に“市場”を広げて、それにおびき寄せられ巻き込まれていく人間どもを、あたかもアリジゴクがアリを陥れていくかのように貧困へと沈めつつ、その無限連鎖講地獄のすり鉢を拡大していくのです。

  またこのすり鉢の拡大のなか、従来ならば考えられなかったような水やタネや遺伝子といった自然そのものにも特許などの理屈がつけられ、何でもかんでもカネの餌食へと変えられて、その過程を通してあらゆるものの価値そのものも失われ、この意味でもまた貧困が生み出されていくわけです。

  経済が発展すればするほど、貨幣でつながっているほとんど全ての人類がこの無限連鎖講地獄に落とし込まれることになり、これが今日世界中で貧困が日々生産され再生産されている究極の理由といえます。経済で生産されるものというのは財ではなく、究極的に“貧困”であり、そしてこの“貧困”とは経済的な貧困にとどまらず、自然破壊や環境破壊、教育や政治の劣化、人間の文化や精神の荒廃といったあらゆる貧困なるものへと及ぶのです。」

「校長先生、だからこそ私たちの現代は、核と共存しているのではないでしょうか。核とは究極の暴力=破壊力にして、同時にまた究極の貧困であると言えます。それにドルが未だに機軸通貨であり続け、アメリカが世界最大の経済大国であり続けるのも、2つの世界大戦の経緯からして、その軍事力と核保有からなる世界最大の暴力を維持し続けていることとリンクされると見るべきでしょう。

  つまり、私たち人間は21世紀へと至り、世界大戦を過去のものとし、植民地も独立し、冷戦も克服し、文化的にも経済的にも豊かに恵まれ、人権の保障された現代の民主主義国家に生きているということもまたフィクションであり、結局は暴力のもと死ぬまで働きまた働かされるという古代の奴隷状態から進歩していなかったといえるのでしょう。いや、それどころか、核も環境汚染もない古代の方が、まだ人間は生物として生き生きと生きていたかもしれません。」

「人の歴史は見てきたようにフィクションの連続ですが、そのなかで首尾一貫しているのは、“他人の家を貪る”ことと、それにより“少数の富裕者らが大多数の貧困者の上に在る”という人間固有の生存原理みたいなものです。人間の経済とは、要するに“他人の家を貪ってはならない”というモーセ十戒を破戒することによる創造的破壊(24)の連続であり、今後いかに人工知能だのAIだの量子コンピューターだの技術革新があったところで、この原理は保存則のように不変だと思います。

  これを可能にしているのが、まさに貨幣・紙幣・カネ・マネーなるものなのです。それは結局、他人の家を貪ることを摩擦なく万遍なく合法的かつ非局所的に成し遂げていく、人間の“他人の家を貪る”というカルマの断片にしてツールといえます。

  では、なぜ、人間はこれらカネなるものを創造し、他人の家を貪り続け、しかも常にそれらをフィクションでごまかし続けていくのだろうか-ということですが、私はこれはやはり“差別”が究極の原因だろうと思います。そしてその人の“差別”の究極の原因は、私はテツオ君らのブログによる、“人間=ホモ・サピエンスの相反性・相互排除”の故だろうと思います。つまり、はじめに相反性・相互排除ありきだからこそ、他人に対する絶えざる差別が、私たちホモ・サピエンスのゆがんだ進化の特性として、あたかも生存原理のようにして絶えず生まれてくるわけです。」

「ほほお、ここで彼らのブログに行き着きましたか。いや、私も息子のキンゴが書いていたこともあり、一通りは読みましたが、さすがは校長先生の教え子ですな。」

「いや、私が教えたというよりも、彼らが女房含め私たちに教えてくれたという方が真実でしょう。

  人間の差別というのは、他人の家を貪るためにカネをつくり、その貪りをごまかすためのフィクションをつくってきたというわけですが、このフィクションも究極的には、人間の相反性と相互排除があるからこそ創造されて、あたかもそれが本当の現実であるかのように見なされるのだと思います。

  たとえば、有名な韓国映画で『パラサイト-半地下の家族』(25)というのがありました。あの映画は半地下に住む貧乏一家が、高台に住む金持ち一家にパラサイト=寄生していくお話ですが、金持ちが持つカネの価値は貧困こそが支えるという真理にそえば、本当に寄生しているのは金持ちで、少数の金持ちが大多数の貧乏人に寄生するのが、歴史に輪廻転生する人間の存在様式だと思います。そしてこうした真実を倒錯させてフィクションとしての現実を押し出すのも、人間の相反性と相互排除の故であり、またそれ故にカネとフィクションの力というのはさらに強められるのだと思います。」

  校長はここまで話すと、一段落ついたような顔となったが、ワタナベ医師は『花見酒』に続いてきたこの対話編の長話のサゲを思いついたのか、何かひらめいたような感じで、今度は校長から「もう半分」と桝を受けては話し始める。

 

「校長先生、今までのお話が『花見酒』からテツオ君らのブログへと至ったところで、私はふと思ったのですが、要するに、人間の経済のカネなるものは、金や銀ともリンクしないただのカミで、その価値は今や露骨に人々の貧困こそが支えるしかなく、だからこそ人々はいっそう貧困の再生産へと追い込まれ、加速化する奴隷状態経済の無限連鎖講地獄から抜けられない-ということですよね。

  ということは、このことは究極的に、“人間がカネそのもののようになった”というのに等しく、私たちがすでに何度も見てきた通り、“命よりカネが大事”という現象が、何よりこの“ヒトとカネの等価原理”あるいは“ヒトとカネの二面性”と言えるものを証明しているのではないでしょうか。

  ところで、テツオ君らのブログというのは、-知恵はもとより自然にあり、ヒトの知恵は古から言われていた相対知=より正確には相互排除と相反性に基づいた相反知であるに過ぎない。そしてそれは電子の対生成に及ぶような光=γ線のエネルギーを伴っている-というものだったと思うのですが、彼らはさらに、-核を放ったヒトの因果応報として、ヒトはそのγ線により自らの相反知をあたかも光電効果のようにして弾き飛ばされるのではないか-と言っていたと思うのですが、これひょっとして、当たっているかもしれませんよ。

  というのは、ヒトは金や銀や銅などを媒介として自分とカネとを相対的・相反的に分けていたと思うのですが、今やヒトは自らを貧困にして自分とカネとを分けられなくなったと言えるのですから、これがそのヒトの相反知が光電効果のように弾き飛ばされたということを反映してるのかもしれません。」

「つまり、彼らのブログにそって言えば、ヒトはその相反性と相反知ゆえ“粒子と波の二面性”をあらわしていたのだが、ヒトはその相反性と相反知を弾き飛ばされたがゆえに“ヒトとカネの二面性”をあらわすに至った-ということでしょうか・・。」

「そうです。だってヒトは有史以来一貫して、相互排除・相反的に他人を差別し、カネを駆使してこれほどまでに相反的に“他人の家を貪る”ことに執着し続け、それを主に言葉を弄して真実に相反的なフィクションをつくりあげ、それを人類の歴史としてきたわけです。それに要したエネルギーを累積すれば莫大なものに違いなく、権力やら帝国やら戦争やら虐殺やら何度同じ失敗をしても結局学ばず、その相反性の愚かさはついにはヒトを滅ぼす核の世にまで至ったのです。だから私も、その原点であるヒトの差別精神=奴隷根性とは、およそ知恵や知性によるものではなく、それこそヒトの進化において生じた物理的な何か自然に反するアンバランスが成し得たものと見る他はないだろうと思うのです。

  私は、これほど強い執着をもつヒトの差別精神とは、その進化においても相当根深いものでしょうから、たとえγ線でもそう簡単に弾き飛ばせるものではないだろうと思います。しかし、“ヒトとカネの二面性”はヒロシマナガサキ原爆以来、世界中で行われた核実験と同時期に進んでいただけに、それはこのγ線が弾き飛ばした効果なのかもしれません。」

  ワタナベ医師は、ここでまた「もう半分」と校長より桝を受ける。

「校長先生、考えてもみて下さい。2011年3.11原発事故の9年後に、新型コロナウィルス肺炎のパンデミックが起こりました。その経済的損失は計り知れないものだったと思います。

  その時政府は突如として、学校の全国一律一斉休校を要請し、それは当然、子どもはおろか保護者の親にも社会全体にも与える精神的あるいは経済的負担は甚大なものでしたが、自治体も国民も従いました。このことは一見、“命よりカネが大事”の逆のように思えますが、私はそうは思いません。

  コロナ肺炎では反応したにも関わらず、ではあの3.11の時はなぜ、いっさい何もしなかったのか?

  やろうと思えば放射能汚染地では休校もできたのに、卒業式は普通に行い、しかもなぜわざわざマラソン大会までして余計に被ばくをさせたのか?

  御用学者エセ学者らは、「ニコニコしている人たちはウィルスに感染しません」と言っただろうか?

  コロナ肺炎とは違い、放射線被ばくは見えないから分からないという言い訳は、ヒロシマナガサキ、またチェルノブイリの経験がある以上、通用しないと考えるべきではないのか?

  総じて、-自分たちは国際基準の年1mSvに則った環境で学校教育を受ける権利がある-と小中学生自らが訴えた『ふくしま集団疎開裁判』を、この国の国民はなぜ見殺しにしたのだろうか?

  コロナ肺炎の時のように、やろうと思えば集団疎開もできたのではないだろうか?

  私はこの国の国民一人一人に、あなたはいったいどう思うのかと、本当に聞いてやりたい。

  でも、多分だれも答えませんよ。黙っていればそのうち過ぎると知ってますから。

  つまり、“命よりもカネが大事”ということも真実ですが、より正確に言うならば、“命よりもカネよりも核が大事”ということだと思います。

  こんなことって、普通考えられますか? 

  “核と共存”したがる生物なんて、私は信じられません。

  だから医学的ではない何らかの精神的な世界において、原爆や原発をつくった核の因果応報という形で、本当にγ線にやられているのかもしれない。

  それでもこの核の世を生きていかなければならないテツオ君らは、大人どもはフィクションばかりで信用できない、もう自分たちでやるしかないと腹をくくって、この“ヒトが核の世で生きていく意味”を、こうして追求したのだろうと思います。

  私は彼らのブログに則って、こんなことさえ思うのです。もしかすると、この国の国民はアフリカから出て世界中へと散らばりながら進化したホモ・サピエンスの、最も後期の末裔なのかもしれないと。だから神は、最も後期のサピエンスから、最初に滅ぼそうとするのかもしれないと。

  今日の世界大戦の話じゃないが、かつてこの国は、ノモンハンから真珠湾ガダルカナルインパール、特攻隊そして沖縄、さらには本土決戦・一億総玉砕と、道が引かれていたわけです。

  これらは人類の戦史上、まれに見る無謀な捨て鉢戦だったということですが、なぜこの国の国民は、ここまでしてこの“玉砕”なるフィクションに引かれるというのでしょうか?

  絶対安全なるフィクションに貫かれていた原発だって、この地震国ではチェルノブイリ級の大惨事が起こることを直近で経験したのにですよ、しかもヒロシマナガサキ、JCOとそれまで何度も経験しても、なおも原発再稼働に血道を上げ、被ばくには目をくれようとさえしない。

  それどころか、3.11後のこの国では、核の放出をきっかけとして、人々の“暴力性”が解禁したのか、以前に増して戦争への環境づくりが着々と進んでいます。というか、この低線量被ばくというのが、今日の戦争の形態なのかもしれません。

  私は、この国民の精神の根底には、“一億総玉砕”が流れていると思います。

  これはもう理屈では説明のしようがない。この国は、やはりこれは別の意味での、“神の(おぼしめしの)国”なのかもしれません。  

  そしてまた、イスラエルパレスチナに対する露骨なジェノサイドが世界同時中継的に明らかになって以来、私はこうも考えるのです。イスラエルの国民たるユダヤ人たちは、ヨーロッパで歴史的な虐待と虐殺を受け続け、ナチスでそれらが頂点に達した後、主にイギリスとアメリカ主導による白人帝国主義の侵略と簒奪の延長線上で、中東アラブのパレスチナの地においてイスラエルを「建国」し、今度は自分たちが受けたホロコーストをなかば倍返しにするような形で、パレスチナ人に対するアパルトヘイトとジェノサイドを繰り返しています。

  一方、このジェノサイドと同時期に、我々の日本においては、原発事故で発生した“核汚染水”を太平洋という公海に放出しはじめ、今の濃度の放出で900年かかるという説もあるなか、今後おそらく天文学的なベクレルを放出し、地球を汚染し続けるものと思われます。

  まったく奇妙な話ですが、世界大戦当時のアメリカで、原発の元となった原爆を開発した科学者たちはほぼ全員ユダヤ人かユダヤ系の人たちであり、これでコロンブス以来続いた侵略と虐殺・収奪の集大成である世界大戦で、人類はユダヤ人をして、方や欧米白人帝国主義の線上にあるイスラエルと、方や最終的な大量破壊兵器の初の実験場として原爆が落とされた日本とをもたらし、そしてこの2か国を、大戦の最大の勝利者であるアメリカが後見していると見ることができると思います。

  そしてこのアメリからしてみれば、主に石油を簒奪し世界にその勢力を及ぼすために中東に軍隊を駐留させ、その前線国家としてイスラエルを推し続け、また太平洋からインド洋にかけての―まさに大日本帝国が一時勢力範囲とした地域全体にその勢力を及ぼすために、日米安保条約で自由に基地を置ける日本を、また自分たちの前線国家として属国化し推し続けているわけです。

  ここで、この奇妙な相似性を持っているイスラエルと日本の二国に共通するのは、私は“自己否定”だと思います。イスラエルユダヤ人たちは、人種であることをアイデンティティとするのではなく、「殺してはならない」というモーセ十戒を掲げる宗教をそのアイデンティティとし、あれほどのポグロムホロコーストとジェノサイドを経験し、その辛さ苦しさを誰よりも当事者として熟知しているわけですから、これを他民族に対して、自分たちがまさに言われ続けたように“虫けら同然”と称して行うのは、私は“自己否定”に他ならないと思います。それと同時に、ヒロシマナガサキを経験し、またそれによる原爆後遺症を経験している日本が、原発から出る死の灰の塊のような核燃料デブリを直接経由した“核汚染水”を“処理水”とうそぶいて、安心安全とさらにうそぶき大量に地球に拡散しているのも、私はこれも“自己否定”に他ならないと思います。

  おこがましい話でしょうが、もしこのことを神様的な視点で見ようとするなら、方や旧約聖書において、神は「知恵の実を食べたらお前たちは死ぬことになる」と言ったアダムとイヴの子孫たちを、ジェノサイドの連鎖においてその自己否定を引き出し、方やホモ・サピエンスが地球に拡散したその旅路の最後にたどり着いたであろう極東の地において、神は知恵の実の産物である“核兵器原子力”にその子孫たちをおくことでまた自己否定を引き出して、もって我々サピエンスにその終局を見せようとしているのではないか―と見ることも不可能ではないと思います。」

 

  校長は、ワタナベ医師の話を聞いて、まったく同感といった感じで頷きながら、酒をつごうとするのだが、すでに底をついていたようである。

「おお、完了、完了。これで私たちもまた、『花見酒』へと戻りましたな・・。」