こども革命独立国

僕たちの「こども革命独立国」は、僕たちの卒業を機に小説となる。

第八章 参観の日

「みんな、この通知書を見てほしい。やっぱりきたかという感じだ。」

  喫茶室にて、理事長タカノは全員に、通知書のコピーを手渡す。

「…文科省の官僚が、この島の学校でどういう授業がなされているのか、査察に来るって?」

「遅かれ早かれ来るだろうとは思っていたけど、問われているのは私たちの矜持ですよね。」

「子どもたちの教育現場に20mSvを適用する文科省の査察など、私たちが受ける理由はないとはいえ、革命未だならずの今日、これからの活動を邪魔されるのもシャクだしね…。」

  タカノはここで制度の話を再度する。

フリースクール制度はな、教育事業を民間企業に丸投げをしたものだが、多用な教育活動を認めるかわりに、役人による監察を受けることになっている。連中は学校が、彼らが定めた学習指導要領と国定教科書とに基づいて、彼らが想定する教育がなされているかを検分してまわるらしい。」

「20mSvの低線量被ばくを認めた張本人の文科省の役人が、どのツラ下げて私たちのこの島へやってくるのか! ちったぁ見知ってやりてぇもんよ。」

  とミセス・シンが息まけば、ヨシノもここぞと恨みを込めてこう語る。

「多年の恨みを今日ただ今。査察は飛んで火に入るナチの虫。“人はただ命令に従うだけ”って、そんな凡庸なる悪(1)は許されない。この査察でおびき寄せては虜にして、本省の役人蹴り倒し、海に落としてその上から、いっそ銛で突いてやろうか。」

  と、ヨシノが銛で突くふりをするところに、校長が言葉を発する。

あれ、しばらく、御待ち候え(2)。これは由々しき御大事にて候。この査察ひとぉつ、踏み破って越えたりとも、また同じ沙汰のある時は、求めて事を破るの道理。私が思うに査察は受けた方がいい。連中の要求は理系と歴史の2コマだけだし、それが終わればすぐ帰るさ。歴史というのがミソなのだが、今回は慎重を期して、私ではなく女房にやってもらおうと思う。」

  カブキ者の校長が出ないとわかって安心したのか、査察は受けてはいなす-と決まったようだ。

 

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  さて、いよいよ査察日の当日となり、問題の官僚が本省からやって来た。理事長タカノは策を講じてキンゴが発するブログを利用し、この査察日を、同時に保養や市民運動など、この島に共感する子どもたちと大人も含めた、公開の体験授業の参観日に当てたのだった。官僚は木造校舎の理事長室へと通されて、タカノ夫妻と校長とが迎え入れる。その様子をうかがっていたミセス・シンが始業前、テツオとユリコの2人がいる喫茶室へと戻ってくる。

「あの文科省の官僚ってさ、背ィは低くて痩せぎすで、ニヤケ気味のそのツラに、阿弥陀クジみたいなシワが幾重も入って、オールバックのその頭は、ワックスかけた中古のレコード、テカテカ光るその様はゴキブリそのもの、いやらしいたらありゃしないわ。まるでナチのゲッベルスそっくりよ!」

 

  体験授業の参観で、島の学校たる教会は満席に近かったが、1時間目は専門家による課外授業ということで、受け持つのはキンゴパパのワタナベ医師。すでにヨシノとキンゴはいつも手伝う助手役として、パソコンとプロジェクターを担当するため前の方に座っている。皆が静まりかえった頃、小太りで色白のワタナベ医師が入ってきて、そして授業が進められる。テーマは何と“内部被ばく”だ。

「…臨床事例は以上として、では内部被ばくを以下の6つの観点(3)で整理したいと思います。まず1つ目-そもそも内部被ばくと外部被ばくとの違い。2つ目-内部被ばくのメカニズム。3つ目-内部被ばくによる健康被害。4つ目-内部被ばくをめぐる基準値。5つ目-バッシングに対する反論。6つ目-安定ヨウ素剤の用意、についてです。」

  ワタナベ医師はこの6点を指摘しながら、スライド画面の指示をする。

「まず、身体の外部から放射線あびるのが外部被ばくで、それに対して放射性微粒子を身体の中に取り入れ、身体の中で出される放射線に被ばくするのが内部被ばく。原爆みたいな高線量の瞬間的な外部被爆と低線量の継続的な内部被ばくは、ヒトへの影響が大きく異なり、後者の方が免疫細胞に与える影響が大きいといわれている。アメリカのある統計では、原子炉から100マイル以内にある郡では、乳がん死者数が明らかに増加しているというのもあります。」

  そして先生はスライドで、一枚の写真を見せる。

「2つ目の内部被ばくの仕組みというのは、皆さん、この写真です。これは肺組織中で放射線を出しているプルトニウム粒子です。見てのとおり、身体の内部から放射状に線が出ている明らかな例だと思います。この放射線が身体を構成している分子を、それをつないでいる電子を弾き飛ばすことにより切断します。その結果として慢性的な免疫力の低下や健康不良があらわれる。放射線にはアルファ線ベータ線、ガンマー線と3つあり、アルファ線はヘリウムの原子核ベータ線は電子であり、ガンマー線は光と同じ電磁波です。これらはいずれもエネルギーの塊で、身体の細胞内の分子が行う化学反応よりもエネルギーが桁違いに大きいわけで、これが分子の切断と誤った再結合とを引き起こします。」

  先生はDNAの分子切断、そしてその誤った再結合の図を示す。

「では3つ目、この内部被ばくの健康被害に何があるのか-ということですが、ガンや白血病のみならず、免疫力が下がるので様々な体調不良につながるわけで、例えばチェルノブイリ後のベラルーシでは、このバンダジェフスキー博士の研究にあるように、被ばく者の心臓、脳、肝臓、甲状腺、腎臓、膵臓、骨格、筋、小腸など、あらゆる臓器にセシウム137が蓄積をしていました。また、ウクライナチェルノブイリ事故25年後に発表した政府報告書によると、汚染地にすむ子どもについて健康なのはわずか6.3%という話もあります。」

  先生は同博士による、病理解別各臓器別のセシウム137の蓄積をあらわした棒グラフを示すのだが、成人に比して子どもの方が高いのが見て取れる。そしてもう一つの右上がりのグラフも示す。

「わが国の食品中のセシウムの規制基準値は、一般食品で100Bq/kg、飲料水は10Bq/kgです。この右上がりグラフが示しているのは、毎日10Bq摂取すれば、1年程たつと約1400Bq程度の体内蓄積の状態となり、継続することを示しています。これを子どもに当てはめると、体重20kgなら70Bqになりますので、このバンダジェフスキー博士のデータによれば、90%くらいの人が心電図に異常をきたすことになります。ちなみに1Bqとは、簡単にいうならば1秒間に1発の放射線が飛び出している状態のことであり、事故直後の食品基準値500Bq/kgとは、100Bq食べれば1秒間だけで50発の放射線あびることになるわけです。これでも“直ちに健康に影響はない”などと政府は言っていた。」

「では4つ目。今のベクレルに続いてですが、内部被ばくをめぐっての基準値の話をします。原発事故以前からレントゲン室など放射線管理区域というのがあって、これが年間で5.2mSvです。放射線管理区域から、1㎡あたり4万Bqを超えて放射能汚染のものを放射線管理区域から持ち出してはならない、という法律もありました。この管理区域内では飲食を取ることも寝ることも許されず、一般人は連れてはいけない。しかし福島原発事故後では、この国の東方の広域で、1㎡あたり3万Bqから6万Bqを超える所があらわれた。そもそも一般人は年間1mSv以上の被ばくをさせてはいけないという規則があり、ECRRはこの年1mSvを0.1mSvに、原発労働者のそれも年50mSvから0.5mSvに引き下げるべきだとさえ主張している。チェルノブイリ法では年間5mSv以上は移住義務、1~5mSvでは移住の権利が認められているのにですよ。またこの国の食品基準値100Bqという数値は、放射性廃棄物に対して適用されるレベルの数値です。ドイツの飲食物の基準値は、子どもは4Bq/kg、大人は8Bq/kgなのにですよ。しかもこの国では、原発労働者の白血病労災認定で累積被ばく5mSvのを認定しておきながら、20mSvの環境下でも一般人の居住や学校教育を認めている-いや、実質的には強要している。これは国家による犯罪なのではないですか? ナチズムではないのでしょうか? さすがに、“ナチスをまねたらどうか”と言った、外国なら即免職の大臣が居座っている国だけのことはある。」

福島原発事故後の2011年6月に、県内の子ども14人が原告となり、市を相手に、年間1mSv以下の環境で学校教育を受けさせることを求める仮処分を訴えた『ふくしま集団疎開裁判』がありました。しかしこの二審にあたる高裁では“低線量の放射線に長期にわたって晒されることにより、その生命、身体、健康に対する被害の発生が危惧されるところであり、(中略)由々しい事態の進行が懸念される。”と事実認定をしておきながら、この国の裁判所らしく国にへつらい忖度して申し立てを却下した。しかもこの国の国民たるや、子どもが被ばくのない安全な所で教育を受けたいということを訴えたこの世界史的な大事件を、ほとんど知らず、また知ろうともしなかった。これは歴史に残るでしょう。」

「では5つ目のバッシングに対する反論についてです。以上のようなことをいう者に対してこの国では、風評被害を煽っているとか、復興の邪魔をする非国民とかのバッシングがあるわけです。子どもの健康被害への真っ当な考えを言う者に対しては社会的制裁が待っている-というのがこの国の現状です。では風評被害というのなら、その加害者は誰なのかと言ってやりたい。加害者とは、国か、政府か、電力会社か、経済界か、マスメディアか。私は国民だと思う。

  皆さん、この写真を見て下さい。イラク無脳症の赤ちゃんです。イラクの小児白血病の発生率は湾岸戦争前の4倍、劣化ウラン弾がその元凶といわれています。私たちのこの国は、アメリカによる一連のイラク侵略に加担しました。湾岸戦争とは何だったのか。米軍による空爆開始後、たった6週間内にイラク中のライフラインが破壊され、小児の死亡率は3倍に増え、栄養失調は100万人、人口1600万人のうち女性、子どもら多くを含む25万人もが亡くなった。これは戦争ではなく虐殺ではないでしょうか? わが国は湾岸・イラク戦争を通じて、130億ドルものカネを出し、イージス艦の派遣等で米軍の支援をした。この時点で憲法9条など死んでいた。国民はよく言いますよね。憲法9条のおかげで以ってこの国は、平和主義の平和国家で、戦後一滴たりとも戦争で血を流してないのは誇らしいと。では、この国の経済のためにはなった朝鮮戦争ベトナム戦争イラク戦争などによる犠牲者の血はその一滴には含まれないというのでしょうか?

  アメリカのイラク侵攻を強く支持したこの国の元首相、その後いろんな所で脱原発とか言ってましたが、この国は劣化ウラン弾の共犯者であり、そのカルマで脱原発を葬ったのだと私は思う。私はヒロシマナガサキを経験したこの国の国民が、なぜ内部被ばくを無視するのかが理解できない。でもこれは、米軍に破壊された国々や、米軍で苦しんでいる沖縄を無視しているのと同じではないだろうか。要は差別の問題なのだと思います。」

「だからこの国の国民は、原発事故後の総選挙で、改憲とか自衛隊国防軍にとか言っている政党をあえて政権復帰させ、嫌韓嫌華をもてはやしたりするわけです。この時の首相というのが、あの植民地満州をデザインしたと豪語した元首相のバカ孫ですよ。こんな“自分は立法府の長”などというバカ者が権力の座に担ぎ上げられ、アメリカには卑屈なほどへつらうくせに、中国と北朝鮮また韓国の悪口を繰り返し、核武装の隠れ蓑たる原発の再稼動と戦争ゴッコに走ったのは、国民が植民地略奪と侵略戦争という祖父の時代から続くカルマを、いまだ何も克服できず背負い続けているからですよ。」

「3.11の原発事故後、何度も選挙があったけれども、その度に半数近くが棄権して、改憲国防軍原発再稼動の政党が圧勝した。それはなぜか。国民が被ばく、貧困、安保に戦争といった現実を、自分は知らない考えたくない、そんなものは汚染地や沖縄とか、すでに皆で押し付けようと合意した所に落着させればそれでいいと、思っているからだと思う。他人の目もあり悲劇には、同情するフリ、哀れむフリだけしておきながら、いつも差別する、棄民する落とし所を皆で探しているわけです。そして自分ではない、自分は村八分にはされないと感じ始めたその時点から、あとは皆一斉に無関心を決め込むわけです。それがこの国の、かつて“永遠の12歳”といわれた国民の民主主義です。今までこれでどうにかやってこれたから、放射能もまた同様にやり過ごせると考えているのだろうが、この国はチェルノブイリのロシアみたいに広くはない。風評被害などと他人事のように言うのは、もう時間の問題だと私は思う。」

  しかし、ここでワタナベ先生、聴衆の反応がイマイチと思ったのか、アイスブレイクもどきとして、好きな落語をひとくさり、入れてみようとするようだ。

「国民ばかりを非難しても、互いに気分が悪そうな・・・。あ、そうだ。今日、この参観日の教室を査察とか言って、20mSvの張本人の文科省の官僚が来てんだって?」

  先生、後ろを見渡すが、ヨシノがすでに出ていきましたと伝えている。

「出てったの? あ、そう。まあ、自分に都合が悪いからね。こっちもあんな官僚野郎に居残られちゃあ気分悪いし。もとより“お呼びでない”野郎だが、官僚の本領がゴマスリ忖度ばかりなら、太鼓持ちと何ら変わらず、ちょっとばかし呼んでみようか。“おーい、居残りィ、いるかーい?”」

  すると最前列の男子生徒で、一人だけ受け笑いしたのがいる。

「おッ、君、今のわかったか。何?自分はオチ研? 頼もしいねえ。じゃあ、これ、知ってるか。かつてマッカーサーたちアメリカに占領され、“永遠の12歳”とまで言われて、この国の国民は誇りも何も忘れたのか、この際かなと漢字の入り混じる難しい母国語やめて、全部英語にしようって話が出た。で、世界に誇る紫式部を、どうやって英語にするかということになり・・・、」

「先生! それって紫式部だから、“バイオレット・シーツ”て、言うんでしょ。林家三平のギャグですよね!」

  と、すかさずその男子生徒に返されたのを、ヨシノが“先生、直して”とせっついている。

「おっ、今度は“お直し”ときたか。君、今の、わかる? 何、わからない。まだまだ修行が足りないねえ。ま、絶望が足りないよりかはいいけどね。じゃあ、お直しとの声もあり、話を続けることにしよう。」

  ここでワタナベ先生は、話の最後6点目に戻ろうとする。

「では最後の6点目、安定ヨウ素剤についてです。福島原発事故みたいな大事故が起こっても、地震火山津波などが世界で最も盛んな国で、老朽化していようが何であろうが原発を再稼動させるというこの狂気の国で、そしてそれを平気で受け入れるバカすぎる国民の中で、私たちは生きていかねばならないのだが、行政に何を言ってもポカーンとしてやらんからね、せめて私は意識のある人々だけでも、各自ガイガーカウンターで日々シーベルトを測定して、安定ヨウ素剤を用意して、いざとなれば甲状腺ガンだけでも防いだ方がいいでしょうと呼びかけているわけです。チェルノブイリ事故の時は、ポーランドは政府自ら子どもと妊婦にヨウ素剤を服用させたということですが、ポーランドナチスの被害から学んでいると思います。この国なんかヒロシマナガサキを経験したにもかかわらず、当の医者が100mSvまで安全安心って公言していて、またそれに反対する医者もほとんどいない。お前それでも医者か死ネって-私は思いますけどね…。」

 

 

  ワタナベ医師による1時間目が無事終了し、ここで休憩時間となった。喫茶室にはタカノ夫人とミセス・シン、ユリコたちの3人が、茶を飲みながら憩うている。

「ワタナベ先生、今日もまた毒舌はくかと構えてたけど、ヨシノちゃんが補佐するようになってから控えるようになったのかしらね。今までもよく、シネとかバカとかバカすぎるとか、また聴衆に“帰れ!”だなんて怒鳴りつけ、騒ぎにもなったけど…。あとヘンなギャグを所々で放つんだけど、彼が意図してない所で笑うと“ココは笑うツボじゃねえ”と怒り出すし、彼が笑ってほしい所で笑いがないと、“今日の聴衆、シャレがわかんねぇんだなぁ”と、あとでブログでグチるんだよねえ…。」

「ところで2時間目の歴史の授業、レイコさん、どんな授業にされるのかしらね。ユリちゃん、あなた、何か聞いてる?」

「そうですね・・。校長先生の方針もあり、従軍慰安婦731部隊などの歴史的犯罪に向き合わない国定教科書は使えないって。そこでレイコ先生は、物理の教科書巻末の科学史(4)をされるとのことですけど・・・。」

 

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  さて2時間目のチャイムが鳴った。ユリコの他にテツオもまた、レイコの授業を心待ちにしていたのである。彼は教会の天井からの採光を事前に確かめ、照らし出される先生の全身像が、きちんと自分の視界におさまる中ほどの彼にとってのS席を、確保し待ち構えていたのである。

  そしてレイコ先生は、並み居る聴衆を目の前に、ロゥヒールの靴音を大理石の床に響かせ、穏やかな笑みさえも浮かべながらあらわれた。いつもよりも頬紅が少し濃いめか、口紅もやや鮮やかかと思えるぐらい、メイクはさほど変わらない。コーデはきちんと感の定番たる、定番のネイビージャケット・タイトスカート。それが教会天井からの、自然光の採光によく映えている。

  先生は持ち前のアルトの美声で、流暢に講義しはじめる。春先の冷たさがまだ残るのか、バシリカ造りの教会の反響のせいなのか、いつもよりハリのあるその声は、硬質な感じさえする。

  テツオはそんなレイコの声にうっとりと聞き惚れていたのだが、やがて彼は、視界より少し離れた所に座っているユリコの姿も、また気になってくるのだった。

  テツオは聴衆の中のユリコ-それはまさにその名のとおり、植物の群生に咲く淡いユリの花のよう-を、改めてためつすがめつ見つめている。その光沢のあるストレートな黒髪の、長く束ねた間に見える、白い肌とパープルっぽい服につづいて、唇と頬からはあざやかな朱が放たれ、それらのすべてが彼女の内なる光から空間へと照らし出されているかのようだ-と、テツオには思えてくる。そしてその目線は上から下へと、ユリコの手と腕、そして胴体から腰、それから尻へと向けられる。その持ち前の感覚は、視覚から質感へと移ろいで、今や彼女の尻を起点に、その身体すべてに質量を与えようとしているようだ。

  そしてユリコは、行者としての習性か、山野を巡るその足が圧迫されていやなのか、おもむろにスニーカーを脱ぎ始める。

 

 

  その一方でテツオの耳には、レイコ先生のアルトの美声が、天から降りてくるように聞こえてくる。

万有引力で有名なニュートンは、『プリンキピア-自然哲学の数学的諸原理』という名著を1687年に著しました。それから今日に至るまで、このニュートンの力学が物理学の基礎となっているのですが、ニュートン力学といえば、慣性の法則とか、作用・反作用の法則などを思い起こしたりしますよね。」

  -作用と反作用・・・。そうだ、今、重力に引かれたユリコのお尻と同じ圧で、カタいカシの木の椅子が、あの尻を押し上げている。椅子は反発しているというが、本当は今、どんな気持ちでいるのだろうか・・・-

ニュートン万有引力は、ガリレオの相対性原理も同じく、20世紀になってから、アインシュタイン相対性理論によるある種の修正を受けることになります。ところでそのアインシュタインは、特殊相対性理論を発表した同じ年の1905年に、『光量子仮説』を発表しています。それは従来、“光は粒子である”としたニュートンに対し、“光は波である”としたヤングの説が有力になっていたのを、光を金属にあてた際に金属から電子が飛び出す“光電効果”という現象から、アインシュタインは再び“光は粒子である”説を、よみがえらせたというわけです。」

  -コウデンコウカ・・・。そうだ、きっとユリコのあのお尻にも光があたると、粒子や電子が飛び出して、何か香りがするかもしれない・・・。だからそれは、“香臀効果”というのかも・・・-

  -レイコさんのアルトの美声と、ユリコのその体とお尻。それらによって、僕の無眼耳鼻舌身意のうち、意はもちろんのこと、眼と耳と舌(というのは見ているうちに生ツバを飲み込んでしまったので)までは、感覚的にすっかりと満たされてしまったようだ。となれば、残りは鼻と身か・・・-

  テツオがこのようなことを思っていると、レイコ先生がこちらへ向かう足音が聞こえてくる。テツオはあわてて目線を前にし、彼なりの実証的な物理学史を一心に考えているようなフリをする。

  そしてレイコ先生は、テツオの席の真横で止まって、黒板へと振り返る。

  -先生の香水の香りがする・・・。これで鼻も征服されて、あと残るはこの身だけか・・・-

  レイコはテツオの真横で向きをかえ、今や彼の目の前には、ユリコの尻に引き続き、レイコのお尻もまた同時に、大きく存在しはじめる。

  -“月とてぃだ(太陽)とはゆぬ(同じ)道通う”-そう、八重山のトゥバラマという民謡に、月と太陽とは同じ軌道を通るってのが、あったよなあ・・・-

  ギターをたしなむテツオには、そんな八重山三線のやさしい調べが聞こえているのかもしれない。

ニュートン万有引力を唱えましたが、それが何によって起こるのかは明らかにしませんでした。そこで20世紀になってからアインシュタインは、その一般相対性理論によって、万有引力の原因とは、宇宙における空間の“ゆがみ”であり、そのゆがみをもたらすのは、天体などの物質の質量に他ならないとしたのです。たとえば地球は太陽のまわりをまわるのですが、これは太陽の質量により宇宙空間が巨大なすり鉢状にゆがめられ、地球はそのすり鉢に沿うように、あたかもルーレットにビー球が転がるように回転してまわるのだと説明をしたのです。そしてその現象を、彼は非ユークリッド幾何学なる球面幾何学であらわした-というわけなのです。」

  -そう、今、僕の目の前にも、見事なまでの球面幾何学が存在する・・・。その曲率は正であり、シックなまでのネイビーで引き立てられたそれ=お尻そのものは、それ自身の質量により、まさにまわりの空間をゆがめていて、そして僕のこの身もついに、その中へと引かれていくのだ・・・-

  ここでテツオの計算どおり、天井からの採光が、レイコのお尻を照らし出す。

「そしてこの空間の“ゆがみ”が、まもなく実証されることになります。アインシュタインは、遠方の星から来る光でさえも太陽による空間のゆがみによって曲がるはず-と言ったのですが、それが1919年の皆既日食で実際に観測されて彼の理論の正しさが立証され、世界中にアインシュタインフィーバーが起こったというわけです。」

  -そう、今や同じく太陽からの光でさえも、このお尻の織りなす空間のゆがみによって曲げられて、お尻のまわりをまわりまわって、かつて室戸の洞窟で修行をされた弘法大師の、口に星の光が飛び込んだのと同じように、僕の口にも入ってくるのかもしれない・・・-

  テツオがそうしてボーッとして、口をあんぐり開けた所で、引力なのかゆがみなのか、彼は鉛筆を落っことしてしまうのだった。そして彼が拾おうとして身を乗り出したその時に、レイコが先にその身をかがめて、鉛筆を拾ってくれた。

  -あたかも皆既日食がきわめて稀であるように、四次元時空をかいくぐり、この瞬間がやってきた。レイコさんのネイビージャケットからのぞく、やわらか素材のホワイトブラウス。その白い花弁のように開かれた襟元のVネック。その陰翳の谷間から、ほのかな胸のふくらみが、まるで青い池に咲くハスのお花が開くように、僕の目前にあらわれる。しかもそのふくらみをぴったり覆い隠しているブラの、アラビアの幾何模様みたいな白いレースの縁取りまで、僕は視覚におさめたのだ・・・-

  そこでテツオはふと、ある日の彼の畑を思う。

  -レース模様のニンジンの白い花。その中にコガネムシが、至福の絶頂とでもいうように、うずもれて惑溺している。コガネムシが夢見ているのか、あるいは僕が夢見ているのか・・・-

ガリレオは、物を塔から落としても、動く船から落としても、物は真下に落ちるというガリレオの相対性原理を唱えました。ニュートンが木から落ちるリンゴを眺めて、万有引力をひらめいたのは有名なエピソード。そしてアインシュタインは、落下していくエレベーター内の人は重力を感じないということから、加速度と重力とは区別できないという等価原理を、生涯で最もすばらしい考えとしたのです。この考えが、慣性系だけで成り立つ特殊相対性理論から、重力を扱う一般相対性理論へと飛躍させたといわれています。」

  そしてテツオも今や、レイコのこの授業から、脱落をしてしまったようである。

  -ガリレオニュートンアインシュタイン、みんな落ちて悟りを遂げた。道元だって悟りの際に身心脱落したではないか。今や僕もこの授業から脱落して、できればあの胸の谷間に脱落して、悟りを遂げんとするのである・・・-

  では、そのテツオのいう悟りとは、一体全体なんなのか。今一度、彼は目前に見える2つのお尻-自分にとっての月と太陽(てぃだ)とを眺めながら、こんな思考を試みる。

  -美しいユリコ、美しいレイコさん、そしてそれ以上に美しいテツオがここにいる・・・。無眼耳鼻舌身意とはいいながら、それらをすべて有に変える明らかな質感をもたらしては引き付けている彼女たちのお尻と質量。これらがまさにこの現生で、生きて、存在して、また空間に影響を与えているのだ。このように美と生と性と愛と存在とは、もとより相等しいものであり、これらは相対的なものではなく、絶対的なものなのだ。僕はこれを、“美の絶対性”と名付けよう。そう、多分、この世のあらゆるものは人間の認識により相対化できるとしても、美こそは絶対的なものなのだ-

「塔から地面に落とした物も、動く船のマストから落とした物も、同じように真下へと落ちていく-運動する系は異なっても慣性系でさえあれば、同じ物理法則が成り立つというガリレオの相対性原理は、彼が信じた地動説の確証ともなるものでした。ニュートンはこれらを踏まえて、この地球上と宇宙とは万有引力という同じ物理法則で統一できると考えたのです。

  ところが19世紀になってから、ファラデーそしてマクスウェルなどによる電磁気学が見出されると、ガリレオニュートンの力学と、特に光の速度との整合性をどうとるのかという問題が出てきました。ニュートン力学でいう速度の合成は、常に秒速約30万kmの光の速度には通じないというわけです。

  これに整合性を与えたのが、アインシュタイン特殊相対性理論であり、彼はこの理論において、①光の速度は不変であること。②ガリレオの相対性原理は光速をも含めて一般化されるべきで、そのためには光速に近づくほどに時間が遅れ、また、空間そして物質が縮まねばならない-と、主張しました。

  そして次の事実も明らかになってきます。すなわち物質を光速近くに加速するほど、速度を上げても光速には達しないので、運動量の保存則から、そのかわりに質量が増えるのであり、加速させるエネルギーが質量へと転換されることになるのです。ここで有名な“エネルギー=質量×光速の二乗”という式のとおり、質量とエネルギーとは互換性を持つことがわかります。」

  ここでレイコは一呼吸おき、気持ちを整え、少し落ち着こうとしているようだ。

「そして1945年、この原理を利用した原爆が、ヒロシマナガサキに落とされて、人類は核の時代へと入り、それは今日、世界中の核兵器原発により、私たちはまさに“核”と共存しているのです・・・。」

  そしてレイコは、ややうつむいた姿勢を正して、目線を前にし、話つづける。

旧約聖書の『創世記』のはじめに、神は“光あれ!”と言い、万物が創造されました。そして神は私たち人間を土から作り、“善悪を知る木の知恵の実は決して食べてはならないのだ。それを食べたが最後、お前は死ぬことになる。”と言ったのですが、しかし人はそれを食べ、原罪を自ら背負って楽園を追放され、この地上へと降りてきたというわけです。

  善悪を知るというのは何でしょうか。それは善と悪との二分に象徴されるような相対知を得たということです。人は知恵の実を食べたことで、もとより分けることのできない善と悪、生と死、そして男と女を相対化して分けてしまい、これで永遠に迷える子羊となったのだと思います。私なんかは、これこそ元祖の相対性原理と言いたいほどです。」

「相対知を手に入れて、楽園を追放された人間たち。それでも人は原初の光を求め続ける。あたかも子供が人の子が、永遠に母親を求めるように。その速さはどれくらいか、その正体は何なのか、粒子なのか波なのか。物理学の歴史というのは、人間が光を探求し続けた歴史でもあったのです。それは最初に光の速さを測ろうとしたガリレオから、『光学』を著したニュートン、そしてその力学と電磁気学とを光速度不変の相対性理論のもとに整合させたアインシュタインに至るまで、人間の相対知は光を求めてきたのだろうと思います。」

「でも人間は、光に追いつくことはできないとわかってきた。しかし光を追っているうちに、光速を仲介にして、物質から莫大なエネルギーが出せることはわかったのです。そしてそこから、あの原爆と原発をつくったのです・・・。

  それであの1945年の8月に、ヒロシマナガサキの上空に人工の太陽をつくり出し、ついに人間はその相対知によって光をつくり、神にかわって“光あれ!”と、言えたのです。」

  ここでレイコは、また大きく一呼吸を置いてから、感情を落ち着かせようと水を含む。だがその声は、少し震え始めているようだ。

「でもそれは、すべてを殺す光でした。神が初めに光あれと、あらゆる命を創造し、生み、育ませる光とは相対する、あらゆる命を殺す光・・・、それを人は創造した。こうして善悪を知る相対知を得る知恵の実を食べたことでお前はやがては死ぬことになると言った神の予言は成就しました。そしてここであらゆる命を創造する神と、あらゆる命を破壊する人間とは相対するものとなったのです。」

「私は現に核の時代となったこの人の世で、問われているのは“人間の存在”そのものだと思います。原爆と兄弟分の原発は、決してエネルギーの問題だけではないのです。生命に対峙する最終破壊たる核を現出させ、かつ、それを平気で受け入れている人間同士が、どうやって互いに生きていけばよいのだろうか-という問題がまさに問われているのです。大人たちは20mSvとか100Bqとか、安全保障とかいって、こうした問題から逃げていて、しかも卑怯にも子供にそれらを押しつけて、子供を守らず、知らぬふりをしています。これはもはや、人類という種としての存続が、生物的に不適格になっていることを意味しているのではないでしょうか。しかし、それでも子供たちは、やはり神に望まれてこの世に生まれ、この核の世でさえ生きていかねばならないのです。」

 

 

  こうして2コマ半日にも渡る、島の授業とその査察と参観とは、無事終了したようである。教室もこれで解散。出席の生徒たちは参観の保護者ともども、ヨシノら漁師の送迎船にて順次島を離れていく。

  テツオたちも一服するため喫茶室へと戻ってくる。キンゴとヨシノはパパのワタナベ医師とともに、安定ヨウ素の相談ごとに応じており、レイコは気分が悪いと早退し、ユリコはレイコの忘れ物を届けるために、彼女のあとを追って行った-ということだった。

 

  一方、理事長室ではタカノ氏と校長とが、査察に来た官僚と向き合っている。官僚は文科省の課長補佐で、国家Ⅰ種のキャリアらしいが、自分たちが責務を負うべき学校に適用させた20mSv問題を、あれだけ厳しく批判されたせいだろうか、授業内容にはいっさい触れず、始終ひきつった笑顔をつくり、この場を取り繕うとしていたようだが、やがて校長の剣道着が気になってきたらしい。

「ところでその服装とは、我が国の美しい伝統たる武術か何かを、されるのですかな?」

  校長は、ここはあえてニコやかに、笑って応える。

「いやナニ、これは大事な民族衣装で、私なりの愛国心のあらわれですよ。それに剣道は精神を鍛えるとされていますし、我が民族は何分にも思考なくして精神ありきの伝統ですしな。何でもただココロの問題にしようとする。気に入らない横綱にはココロの問題があるとするし、放射能もただココロの問題としようとしますな。」

  官僚は、少々顔をシカめたのだが、その頬には醜いほど品のないシワが刻まれ、そのうっすら開いた口の中には、ズラリ並んだ金歯が光る。

「ほほお、愛国心とは、学校長自らの殊勝なお言葉。ではことのついでに問いますが、御校に『教育勅語』は、ございますかな?」

教育勅語の備え付けは、法制化もされておらず、ましてや県の条例でも定めてませんが。」

  と、理事長タカノは反論するが、官僚は、しかし鼻先でセセラ笑う。

「あ、いや、それは勿論そうですよ。ただ、新憲法では、我が国は天皇を戴く国家であり、天皇陛下は我が国の元首ですから。元首が定めた勅語をですよ、まったく奉じないというのもねえ・・・。それに最近、私どもがあえて通達しなくても、忖度が板についたか自主的に勅語を奉じる学校がどんどん増えてきてましてね・・。御校はどうなっているのかなあ・・と、仮に尋ねてみたわけですよ。」

  官僚は権威の下にますます図に乗り、そのコケた両頬に十重二十重のシワをよせ、臭い口を全開に至らせて、これが彼のゴールデンスマイルなのか、威嚇のように金歯を二列にめぐらせる。

  ここで、藍色の剣道着のもとで腕組み、足を組んでいた校長。タカノの目線にサインを得たかと思いきや、“うむ”と一声、立ち上がる。

「これは失礼。勅語はたしかに大切に、木弾正がネズミに化けても奪えぬように(5)、弊職自ら密かにこちらに、安置しておりました。」

  と、戸棚の内より往来の巻物一巻(6)、取りいだし、教育勅語と名付けつつ、直立不動でうやうやしく、高らかに読み上げようと奉る。

「そぉれ、つらつら~、おもんみれば~、」

  すると、官僚、立ち上がって巻物を覗き見しようとする所を、校長サッと身をそむけ、見えないような体にして、巻物を両手に構えて向き直り、じりじりと押し開いては読み上げる。

「大恩教主の秋の月は、涅槃の雲に隠れ、生死長夜の永き夢、驚かすべき人もなし。ここに中頃、帝おわします。御名を聖武皇帝と申し奉る。最愛の夫人に別れ、追慕やみがたく、涕泣眼にあらく、涙玉を貫く思いを先路に翻し、上求菩提のため、盧舎那仏を建立し給う。」

  ここで官僚、もういいといった具合に片手を上げる。

「近頃殊勝の心ですな。教育勅語聴聞のうえは、何の疑いもあるべからずです。さりながら、ことのついでに問いますが、国歌と国旗はいかがですかな? 新憲法の第三条には、“国旗は日章旗とし、国歌は君が代とする。国民は国旗と国歌を尊重しなければならない。”とありますでしょオ! だから教育でも国歌と国旗を尊重せねば、憲法違反になるのではア?と、私なんかは思うのですがね・・・。」

  官僚は、どんより腐った両目を見開き、ニヤニヤと詰め寄るように笑うのだが、しかしこの時、木造校舎の老朽化した校内放送スピーカーから、少女の合唱みたいなものが聞こえてくる。

 

 バビヤールに記念碑はないが(7)、アウシュビッツには記念碑がある

 ARBEIT,MACHT,FREI、勤労は自由への道

 原子力、明るい未来のエネルギー(8)

 記念碑や少女像は目に見えても、放射能は目に見えない

 アウシュビッツは見えてはいたが、今はSvやBqの見えない所に収容される

 この国と国民の、見て見ぬフリの収容所

 みんなでナチのマネをしている

 鼻血が出ていない子はまだいるだろうか  

 せめて子供を、子供を救え!(9)

 

  官僚は、まったく聞こえぬフリをしている。

「・・・では、国旗の方はいかがですかな? 我が国のあの美しい日章旗は、この学校のいったいどこにあるのですかな?」

  すると、理事長室の窓の外、校庭の古いポールに、白色が見え隠れする黒い布地が、するすると上がっていくのが見えてくる。官僚も立ち上がり、窓辺にするするすり寄ると、完全に上がりきった黒い布地を、不審そうに眺めている。

  しかし、ここで風が吹き、垂れていた黒い布地が、空にハタめく瞬間がやってきた。黒地が横に広がって、“怨”の白字が浮かび上がると、やがてそれは真っ赤な血染めで描かれた“怨”の大きな一文字へと変わっていった。官僚が両目を凝らして見ているうちに、風はますます強まって、ついに血染めの“怨”の字は、血しぶきとなって官僚に向かって吹き飛び、バシャリとその面の皮へと張りついた。

 

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「ギャあああああ!!!」

  官僚は禽獣みたいな悲鳴を放って、廊下へと飛び出しては洗面所で面を洗う。そして血を流し去ったと改めて両手のひらを見つめてみると、血は再び結集して“怨”の血文字を浮き上がらせる。その血文字は、いくら何度も洗っても、都度よみがえってくるのだった。

「洗っても消えない! 洗っても消えない!(10)」

  官僚が狂ったようにバシャリバシャリと水を散らすと、ふと横に気配がする。そこには椅子に座った白い服の少女の像が確かにあった。少女は椅子に座ったまま、両手に拳を握りしめ、地の底から響くような低い声で、官僚に言葉を放つ。

「私は初めであり、終わりであり、死んだことはあるものの、また世々限りなく生きている。お前は生きているのは名ばかりで、実はすでに死んでいる(11)。」

  少女は官僚を指さして、炎のような瞳を見開き、凝視する。

「お前とお前に連なる者は、すべて虜になった者で、自らすすんで虜となり、あまりに多くの少女の私を殺したのだ。剣で人を殺す者は、自らも剣で殺されねばならない。」

「な、なにをウッ!」

  官僚はモップを取って少女に向かって斬りかかる。すると少女は二つに裂かれ、血しぶきを官僚にあびせかけると、そのまま二体に分裂しては立ち上がる。

「お前はお前が今やったように、私の肉と心を裂いた。私の同胞、私の姉妹、私の友人、彼女たちが流した血が、歴史の闇からお前の罪を告発しては叫んでいる。お前とお前に連なる者は、侵略地で、汚染地で、戦争の名の下で、経済の名の下で、少女の私の肉と心を裂いたのだ。」

「バ、バカを言え! 俺はただ、命令に従っただけだろうが。悪いのは俺じゃなく、俺に命じた上司だろ! 組織人なら命令に従うのは、むしろ組織人たる正当行為だ!」

「お前の悪事は“凡庸な悪、陳腐な悪”(12)の一言ですむようなものではない。むしろお前は組織人をいいことに、手にした刀の切れ味を試すみたいに己の権力を試そうと、あえてわざと楽しみながら、快感を味わいながら、最も無垢なる少女の命に手をかけたのだ。お前はすすんでやったのだ。自分の我欲で自らすすんでやったのだ!」

「バ、バケモノめッ、これでも喰らえ!」

  官僚はモップを振って振って振りまわし、少女を何度も斬りつける。少女は血しぶきを上げながら都度体を裂かれるが、二体、四体、八体と分裂を繰り返す。官僚は血まみれとなり、その身体のあちこちには“怨”の血文字が散りばめられる。

「洗っても消えない! 洗っても消えない!」

  官僚は木造校舎を飛び出して、林を突きぬけ、だれもいない浜へと至る。少女たちは着物の袖を羽ばたかせては飛翔して、官僚の頭上に追いつき飛んではまわる。少女たちの振る袖からは白い粉が舞い降りて、官僚へと降りかかる。

「これはお前たちが私にあびせた死の灰だ。」

  官僚は上着をはいで、宙に向かって振りまわし、灰を必死に払っている。少女たちはその口を真っ黒に大きく開くと、口からも白い粉をあびせかけては、官僚を死の灰でその首に至るまで埋めつくす。そして“怨”の血文字はここですべて結集し、一つの大きな“怨の字”を形作って、死の灰の雪だるまとなった官僚の表面に、再び大きく浮かび上がる。

「お前たちの拠り所とは、権力である。お前とお前に連なる者は、この権力のもと少女の私の肉と心を裂いたのだ。そして今や私たちは、お前たちが定めている20mSvや100Bqの環境で、教育を受けさせられる。お前たちはこの権力のもと、私たちを安全な所で教育する義務と責務があるのではないのか? なぜお前たちはこの国の子供たちを守らないのか? お前たちの言う愛国心とは何なのか? 子供たちに20mSvをあびせかけ、100Bqまで食べさせているお前たちの愛国心とは何なのか?」

  少女たちは舞い降りると、首まで白く埋もれている官僚を取り囲み、両手を上げて印をむすぶ。すると雪だるまの“怨の字”は、ここで大きな炎となって、官僚の焼き上げにかかるのだった。

「ギャアアアア!!!」

  官僚は全力で白粉の雪だるまから脱出し、少女の囲いの外に出て、海へザブンと飛び込んだ。そして気を失っていたところを、船で迎えにやって来たヨシノのパパに助けられた・・・。

  こうして、官僚の査察は終わった。

  しかし、事はこれで済みそうもない。自分の授業のビデオ撮りをやっていたキンゴのパパのワタナベ医師が、少女たちこそ見えなかったが、官僚がモップを振って浜を走って海へと飛び込む一部始終を、ついでにビデオに撮っていたのだ。パパはそれを息子のキンゴに手渡して、キンゴはそれで、これは最近ネットを賑わしている、動画を面白おかしく編集しては、それに勝手に音楽をつけては楽しむBGM選手権に、応募できると思ったみたいだ。

 

*  *  *  *  *  *  *  *  *  *  *  *  *  

 

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  -先生に忘れ物を届けると校舎を飛び出してきた私は、家で着替えをすませてそのまま先生のお宅に赴き、今、レイコさん宅のガーデンに通されて、家から庭へと突き出した菩提樹がさしかかるオープンデッキで、テーブル席につきながら、レイコさんがいれてくれたハーブティーを、二人で一緒にたしなんでいる。

  ガーデンのデッキの正面、私たちの目の前には、ビオラとパンジーの群生が黄や青、紫色に映えていて、その後ろにはツツジとツバキの茂みがあって、緑の葉の間に赤々と花々を咲かせている。その茂みを経た逆U字形のアーチの門は、バラの花で覆われて、ピンクに白、赤にブラウン、黄にパープルと実にあでやか。またそれらに合わせてクレマチスも紅白色に点在しては花を咲かせて、その門を潜っていった所には、小さな池が横たわっているのが見える。

「夏になるとね・・、この池からはハスの花が咲くと思うの。ハスってとても神秘的よ。福岡城の堀に咲く赤や白のハスを見て、いつかはハスを咲かせたいと、思っていたのね・・・。」

  レイコさんはお花をじっと見つめながら、口元にティーカップを、そっとよせる。

そして彼女は、やがてやや影のある口調ながら、ゆっくりと話しはじめた。

「今日、大勢の参観日だったでしょう。私は以前、あれくらいの生徒たちの担任をやっていたのよ。

  でも、あなたもよく知っているように、原発事故の直後から、そして改憲国防軍新設の後はいっそう、生徒たちの軍隊への勧誘が、強く、露骨に、かつ組織的に、学校あげてなされるようになってきた。

  誘導される生徒たちは似かよっていて、あまり生活が豊かではなく、俗にいう“成績の良くない子”?本当はそんな子なんていないのにね・・。そんな成績の良くない子たちが学力テストでわざと作られ、軍隊へと狙われていく。その子たちが自分の未来にどんな希望を持つにせよ、頻繁に繰り返される学力テストで点数が低いことを口実に劣等感を植えつけといて、また、進学には多額の費用がかかってくると進路指導で親子ともども説き伏せれば、だれでも進路に軍隊を考えるようになってしまう。その上、外堀内堀埋めるみたいに、学校、コンビニ、鉄道駅舎と、至る所にアニメまがいの軽々しい軍隊勧誘ポスターを張り巡らせて、“I WANT YOU!”みたいな調子で囲い込めば、それら当座の圧力から逃れようとするだけでも軍隊に入ろうとする子が出てきてしまう。行政と学校は担任に圧力をかけ、そうした子たちを作り出そうと暗黙のノルマを課す。私は担任だったけど、そういうのにはサボタージュを重ねていた・・・。」

  私は校長先生からは、こうした話を聞いてはいたが、レイコさんの口から直接、こんな話を聞かされるのは初めてだった。先生のモノローグは、徐々に声もかすれていく。

「でも、そしたら間もなく担任をはずされて、部活の顧問もやめさせられ、三年進級も止められた。同僚からは疎遠にされるし、自分の居場所もなくされていく・・・。

  結局、私は辞めてしまった・・・。でも、最近はこう思うのよ。あのまま担任に留まれば、特に目をつけ狙われた生徒たちを、軍隊送りから救えたんじゃないだろうかと。全員は無理だとしても、何人かは軍隊からはずせたんじゃないだろうかと。一年、二年、三年生の、そんな子たちの、男の子も女の子も、顔が今でも目に浮かぶのよ・・。三年生に上がる前に、私のクラスに入りたいっていう子たちが、集団で職員室に押しかけて来てくれた。“先生、どうして先生だけが三年進級されないのですか!?”って、職員室中に聞こえるような大きな声で、あの子たちは抗議の意思を示してくれた。皆、よく知っているのよ。私のクラスの生徒だけが、一人も軍に行かなかったということを。でも、もう私は、応えることができなかった・・・。」

  レイコさんはここまで話すと、これを最後にこの話を続けることはできないようだ。彼女は飲みさしのハーブティーを前にして、祈るように手を組んだまま、私の方へと頭を垂れてうつむいている。

  菩提樹の木漏れ日からの陰翳が、彼女の顔から生気のないほの白さを、浮かび上がらせているようだ。やがて彼女は向きを変え、自分がつくったガーデンの花々へと視線を移して、私にはその横顔が向けられる。・・・憂いを帯びたレイコさんのその横顔・・・メイクが落とされた分だけいっそう、地肌の綺麗さが浮き上がり、その淡い白さが今までのモノローグの哀調で裏打ちされて、私には血も騒ぐほど美しく見えてくる。

  私はしばらく、黙ってしまったレイコさんを前にしながら、たとえ抵抗したとしても、職業的には子供たちを戦場に送ったという罪を負うべき側にいたこの人が、戦死者の子である私に対して、こんな懺悔めいた話をしたその意味を考えた。彼女は私に、自分への同情をこうているのか。悲劇のヒロインを演じれるのは、まだ他にもいるというのに。それとも彼女は、自分の罪は洗っても消えないという、自覚のあるマクベス夫人か・・・。以前の私であるならば、そんな見方もできただろう。私は何より“怨”に生き、人間-特に大人の偽善と欺瞞は許さないから・・。だが、今の私はもう、このレイコさんを前にして、そんな気持ちは微塵もなかった・・・。

  レイコさんは、私が戦死者の子であることを知っていて、はじめて担任してくれたその日から、ずっと考えていたのだろう。いつかは私とこうした話をしなければならないということを。そしてこのことが彼女と私の障壁となり、お互いに苦しい思いをし合っていたということも。そして彼女は何とかして、自分の方から私に心を開きたいと、そして教師としても人としても私ときちんと向き合いたいと、ずっと願っていたのだろう。私は彼女の今までの言動の節々からも、そのことを推察することができる。そして今日の参観の日をもって、やや唐突かもしれないが、一人で後を追ってきた私に、ついに告白したのだろう。しかし彼女はここまで言うのが、きっと精一杯だったのだ・・・。

 

  風が、風が菩提樹の木漏れ日からの葉の音を揺らせている。そして彼女のウェーブがかった黒髪が、その頬にわずかに波打つのが見える。

 

  私は、いまだテーブルに置かれたままの、彼女の祈るように組まれた両手に、そっと自分の手を重ねた・・・。レイコさんは、一瞬やや驚いたようにも見えたのだが・・、やがてその黒い目は、私に対して慈愛のこもった眼差しへと移っていくのが見て取れたので、これで私も勇気が持てた。

「先生・・・、こうして島で私たちが出会えたのも、何かの因縁なのでしょう。でも、私は、こんな因縁がなかったとしても、私たちの互いの置かれた境遇に何もなく、ただ純粋に、レイコさんとユリコとが、あなたと私が出会っていたのだとしても、私は人としてあなたを愛し、尊敬したと思います。」

  私は言った。は落ち、時は止まった(13)。これがここまで勇気を出して話してくれた、レイコさんへの私からの答礼であり、また同時に以前から抱いていた、この人への私自身の思いであった。

 

  風はやみ、日はそのまま、鳥も虫も、その声は聞こえてこない。レイコさんは私にその手を握られたまま、じっと私の目を見つめる。黒く澄んだその両目は、一瞬大きく見開いたようだったが、やがては深い、漆のような優しさのある眼光を、私に向かって放ちはじめているのがわかる・・・。

  一瞬、ティーカップのカチャリという音が聞こえて、レイコさんは立ち上がろうとするようだが、私の手を握り返して、私にも立ち上がるのをうながしているようだった。

  私も彼女が導くままに立ち上がった。背にした菩提樹からの陰翳が私たち二人を覆って、私はなぜかこの菩提樹に、見守られているような気持ちがしてくる。

  レイコさんと向き合うのが、とても長く感じられ、私は恥ずかしくもなり、また自信もなくなり、ついうつむき加減になってしまう・・・。そしてそんな私の視界に、彼女の細い足先がかすかな音を立てながら、ゆっくりと入ってきた。

 

  つぎの瞬間、私は吸い上げられるかのように、たしかに抱かれた!

  “ハァッ!”思わず息が吸い込まれ、言葉にならない声があがる。二本の腕が私を抱き上げ、胸が押しつけられていく。熱い、熱い。熱いくらいに、温かい・・・。ああ、何て温かいのだろう。この温もりを身に沁みこませ、ここで私は目を見開く。菩提樹の木陰をこえて、空が、空が、たしかに見える。光、光。まばゆいばかりに輝く光に、思わず目がくらんでしまいそう・・。風が、風が、吹き出したのか、あの人の黒髪が私の頬にも波打ってくる。

  針はもどり、時は再び動きはじめる。私も自分の両手をまわして、精一杯あの人を抱きしめかえす。あの人の黒髪は私の鼻先、風をよぎってそよいでくる。私はあの人の首筋に自分の頬をこすりつけ、あの人の匂いをさがし求める。髪のはえぎわ、首筋の襟元から立ちのぼる花のような香りがする・・・。ああこれが、あの人の匂いなのか・・。私は大きく息を吸い込み、あの人の生きた気を詰め込もうとするのだった。

  そして私は、抱かれた体の節々から、何かが流れ込んでくるのを感じる。それは川の水が乾ききってひび割れた大地をなめて渡るように、私の孤独を、日のあたらない地下の墓場に滴り落ちる血のようだった私の孤独を、つぎつぎと潤しては、川の水藻も生き吹き返すほど十分に、新たな命を授けていく。そればかりか、今や私の命にまで、何か光輝くものが、堰を切ったかのように流れてくる。まるで川底にある砂金の粒子が、日の光を反射しながら、キラキラと煌めくように、そしてその煌めく粒子はつぎつぎと私を満たして、今や私の内側から、かえって空(くう)に光を放つ。それは無垢なる光、純なる光。ついに光が私のもとへと届けられ、また私の内から発散される。喜び、よろこび、ああ、何というよろこびだろうか・・・。

 

 

  私は空を仰ぎ見る。光が七色に輝きわたり、空一面が、まるで大きな虹のよう・・・。それは私の涙に日がさして、涙が光のプリズムとなり、分光したせいなのだろうか・・・。

  ああ、それでも、私は言葉が欲しいと思うのだ。今までこれだけ人の言葉に騙されて、裏切られてきたというのに・・・。

  でも、欲しいの! あの人が私を愛しているという確かな証が欲しいのよ。言って、言って! あなたも私を愛しているって! 教え子たちの一人ではなく、人としてのこの私自身を愛しているって。あなたの言葉なら信じられる。ああ、何て私は、業の深い人間なのか。でも、こたえて、こたえて! だって私も言ったのだから。私はあの人の首筋に鼻を押しつけ、その白いうなじに、口づけをし続けた・・・。

  やがて言葉が、言葉がゆっくり聞こえてくる。最初は心から心へと、そして次には私の耳へと、音声として伝えられる・・・。“ユリコ、ユリコ。わたしもずっとあなたのことを愛していました。そしてこれから先もずっとそのまま、わたしはあなたを愛し続ける・・・。”

  原初の揺り籠・・・その揺れる波紋が織りなすように響いてくるあの人の声・・・。そしてあの人は私の後ろ髪へと手をやって、もっと強く抱きしめてくれるのだった・・・。

 

  レイコさん宅をあとにしようとする私・・・。レイコさんは玄関を出て、ガーデンの垣根を越えて敷地の外までさしかかる菩提樹に身をよせながら、ずっと私を見送ってくれていた・・・。

  私は今、来た道を帰りながら、抱かれた時に胸に聞こえた、あの人の呼吸の音を反芻している。それは遠い向こうの、この島をめぐる波の音と、何か共鳴しあうように、私には聞こえてくる。

  私は永い間、渡り鳥のようにさがしていた、心の宿り樹、泊まり樹を、ようやく見つけたような気がした。ここに永久に、やすらぎを得られるところが、あるような気がした。しばらくの間、いや、これから先、望む時にはいつだって、私はここで時を過ごそう。とても優しく、穏やかで、平和な時が、あの人から私に移され、私はそして私の中に、いつでもこれを復活させることができる・・・。

 

 

第九章 淘汰と萌芽

「これはまさに、吉と凶とがこの島に、一度にやってきたようだな。」

  タカノが発したこの一言に、全員そろった喫茶室は、重い空気につつまれる。彼が手にする2つの通知が、皆の手元に配られる。校長が髭をしごきながら言う。

「この島にも米軍のヘリパットを作らせろってか。この前の“発狂した官僚”の仕返しか、また、この独立国への嫌がらせか。これもまた、ゆゆしき御大事といえる。」

  “発狂した官僚”とは、キンゴが例の文科省官僚のビデオ画像をおもしろおかしく編集し、彼が好みのショスタコビッチの音楽をつけ、ネットのBGM選手権に投稿したところ世界中でブレイクし、特に香港、台湾、そして中国大陸で、その派生やパクリが続出して、ますます世界中を笑わせたのをさしていると思われる。タカノは続ける。

「皆も沖縄高江のヘリパッドのことは知ってるだろう。安保条約・地位協定(1)のセットにより、米軍はこの国のどこにでも、自由に勝手に基地を置ける。米軍は本国ではできないような住宅地での夜間飛行、低空飛行、爆音飛行も思いのままで、基地内には、ベトナム戦争で悪名高い枯葉剤や有害物の持ち込みも置き去りもやっている。米軍の犯罪は裁かれ難いときているし、この国はそんな米軍を居すわらせておく何千億もの多くの経費を“思いやり”と皮肉のような呼称をこめて、皮肉ではなく我々の血税から貢いでいるのだ。このように米軍は世界中で戦争=人殺しを続けているにもかかわらず、この国では憲法9条があった時から、米軍には多額の予算と治外法権とが幾重にも保障されていたわけだ。さらにこの国の最高裁は、あの砂川事件の判決で、“安保のごとき高度の政治性を有するものへの違憲や否やの判断は、司法裁判所の審査にはなじまない”と、平気でそんな卑屈で卑劣な理屈をこねる。だから憲法9条などは、最初からあってなきが如きものなのだ。この国では米軍に対しては、住民市民を法的に保護する仕組みは存在しない。これでは独立国とはいえないのだ。」

「タカノさん、私たち僕たちは、金儲けのためだけにこの地震国で原発を再稼働させ、20mSvや100Bqを子供たちに押しつけているこの国から、いまや独立しています。だからこの上、米軍を入れることはありません。」

  だれからともなく出たこの一言が、この子ども革命独立国の意思をよく示しているようである。

「では、この凶の通知は無視するとして、次に吉の方へと移るとしよう。これはシンさんから説明してもらおうかな。」

「みんなァ、すごいよ、あたしたち。ついに映像デビュウするのかもよ。」

  ミセス・シンの話によると、世界中にブレイクしたあの“発狂した官僚”を偶然見た外国のある映像作家が、その振付のおもしろさと音楽のセンスのよさとに感心し、発信者であるキンゴの英訳ブログを読んで、この子ども革命独立国をぜひドキュメンタリーに撮りたいと打診してきたらしいのだ。

「その人はね、イゾルデ・マチルデ・アイシェンチエラという名前で、父方はドイツだかイタリア系だか、母方は藍生節楽と漢字で書いて中国は満州系のハーフらしいの。彼女は自分のライフワークとして、戦争や紛争地、あるいは環境汚染された地域で生きる子どもたちのドキュメンタリーを撮り続けていて、その中にはチェルノブイリ後を生きるというテーマもあって、それで今回、あたし達をぜひ撮りたいってことなのよぉ。でさあ、東アジアの夏はきついし、秋以降にこの島に来たいんだって!」

 

 

  テツオたち4人にとっては、高校二年の夏である。彼らはまさに青春のまっ盛りといった感じで、子ども革命独立国でのこの島の生活も一巡二巡し、みな各々の暮らしの形も定着してきたようである。タカノは木造校舎の事務室で行政書士の仕事をし、夫人は畑仕事か庭いじり。校長は授業と漁師の仕事以外はヨシノのパパやキンゴのパパと連れ立っては釣りに出かけ、レイコは自分のガーデンのお手入れや、自宅か県の図書館での読書や勉強。ミセス・シンはキンゴのブログの英訳発信、あるいは厨房仕事や子育てやら。ヨシノは主に家業を手伝い、キンゴは島の教会兼図書館でワーグナーを聞きながらブログと小説を書いているか、あるいはヨシノと一緒にパパの内部被ばく防御のための勉強会等の活動を手伝ってるかで、テツオはいつも田んぼか畑で農をしていて、ユリコは島のノロとして日々行にいそしんでいる-だいたいそんな感じのようだ。

  そしてユリコは、自分のその日の行が終わると、時々田んぼか畑にいるテツオをたずねて、腹をすかせた彼のために、おにぎり等の差し入れをしてくれる。そんな時、二人は田んぼと畑の脇にあるクスノキの木陰のもとの、傾斜のゆるい土手へと座り、憩いの時を過ごすのだった。

  この憩いの時もテツオにとっては、ユリコの肢体をためつすがめつ眺めまわすイイ機会には違いはないが、すでにキスも着衣の上のお触りも一通り済んでしまった彼にとっては、次なる展開をどうしたものかと、正直やや戸惑っているのだった。俗世の映画やビデオなどに従って、この際一気にエッチにまでもっていってもイイような気もするのだが、彼は今いちそんな気にはなれず、それを自分の男ッ気のなさというより、ユリコが修行の身であることがいい口実となり得ることに、むしろホっとしていたくらいである。-この今や二人で並んで腰を下ろしているゆるやかな斜面の土手も、抱かれ抱きつき愛撫するには絶好の天然のベッドになり得る・・・。しかし、たとえそこまで及んでも、はたして俺のが勃ち続けてくれるかどうか・・・。そんなことより・・-

  そう、テツオはそんな心配をすることより、目の前に展開しているユリコの“女の子座り”の方に、むしろ惹かれているのだった。それは正座から足をくずしたその際に、骨格あるいはお尻のサイズの違いからか、男ではあぐらとなるが、女では足をくの字に折り曲げるあの座り方のことである。それがプリーツスカートなら、まるで扇を広げたようになるので、彼にはそれがとても優雅に見えるのだった。

  テツオは時折、農作業の休息中にゆるい斜面の土手に座って、一人この女の子座りを実践してみる。やがて彼は、靴を脱ぎ、靴下も脱ぎ、足をいっそうくの字によじらせ、またシャツのボタンも胸まではずして、片手を地につけ上半身をしならせて、ますます己を女の子っぽいポーズへと近づけていく。そして彼は、はだけた胸に片手をさし入れ、平たい胸の胸肉をもみ、己の乳首を指でまさぐる・・・。

  -ああ、僕はこんなにも美しい美青年なのに、胸もお尻も女よりはるかに小ぶりで、それが悔しい-

  テツオは己のナルシスを溺愛するばかりではなく、こうした己の矛盾をも客観的に自覚しており、この思春期の立ち位置を確かめようと、また、先ごろ悟りを得たと思っている“美の絶対性”なる彼の仮説を検証しようと、生きた美の鑑賞として、一人県へと出かけて行った。

 

  出かける先はフーゾク街でもゲイバーでもなく、ただのスーパー銭湯である。テツオはかつて県の中学校にいた時に、部活動の後などに近隣の高校生の男子たちがこの銭湯によく来ることを知っていて、彼らの裸体が今や同年齢となった自分にどんな性的体験をもたらすのかを、実地検証しようとしている。彼は美術館の図書室で、ミケランジェロの素描画を入念に点検してから、部活動後の時間にあわせてスーパー銭湯へと入湯し、それこそかのシスティナ礼拝堂の天井画にあふれかえっているような青年たちのめくるめく本物の裸体美のチラ見チラ見を重ねながら、サウナ、ジャグジー、薬湯と、脱衣場を行ったり来たりで、すっかりのぼせてふやけながらも、ミケランジェロの青年ヌードの生きた世界を生身のモデルをまさに通して充分に鑑賞した後、帰りの船へと乗り込んでいく。そしてその船上で、嘉南の島を望みつつ、彼は一人、今日の生きた美の鑑賞を回想していく。

  -僕は自分がもしゲイだとしたら、青年ヌードに惹起され、それこそ己の欲情が浴場で躍上して、己のペニスが銭湯内で勃起しっぱなしになったりすればどうしようかと思ってたけど、僕は青年たちの裸体美に惹かれるよりも、まったく意外な感情が自分の中に起き上がってきたのを知った。それは-絶望的な悲しみ-というものではないだろうか・・・。

  僕自身も充分に美しいけど、あの美しい青年たちは僕があのまま残って進学したら、きっと同級生になっただろうし、その内の何人かはボーイフレンドにもなり得ただろう。

  僕は3.11で西へと転向して以来、僕たち4人以外とはだれとも友にならなかった。世間に捨てられたこの僕は、そのまま世間を逆に恨んだ。だから今日も彼らを見ると、やはり僕は複雑だった。しかし、この島で独立した僕の目からは、今や逆にこの国が以前以上によく見える。同級生のアイツらが、一見いかにも健康そうで、くったくも何もなく、笑い興じているのを見ると、僕はもう恨むどころか底なしの絶望感を覚えてしまう。それが彼らの青春の裸体美が輝かしいほど、この絶望的な悲しみはいっそう増幅されていく。なぜなら僕たちには、“もう希望がない”から。

  3.11、原発、原爆、核との共存、20mSvに100Bq、安保、改憲国防軍に戦争、日米同盟と、そしてその裏側で現実に着実に進行していた超1000兆円の国の借金、すべての社会保障の崩壊、そしてとどまらない環境汚染と、総じて総合的に再生産され続けるあらゆる貧困・・・。これを僕たち4人は生存権と生存圏の侵害と呼んだのさ。こんなので明日の希望を語れる人がいるのなら、ぜひとも会ってみたいものさ・・・。

  いや、もう、もっと、はっきり言っていいだろう。僕たちは人類史上、初めて“絶望”を生きている世代なんだよ。なぜ人類史上といえるのか。それは生存権と生存圏の破壊のために、未来永劫、子孫をつないでいくことができないという初めての現実を突きつけられているからさ。この前例として考え得るのは、アウシュビッツに収容された人々は、その時本当に絶望をしたと思う。3.11当初の頃に、“まだ絶望が足りないのでは(2)”との言葉を見たが、今のこの気持ちというのは絶望というもの以外の何ものでもないと思う。未来永劫、個人としてではなく種全体として子孫をつなげる余地があると思えるからこそ、希望というものが生まれていくと思うから・・・。

  大人たちは自分自身に責任があるこの現実に、向き合う勇気も知性もなく、僕たち次の世代のために、この現実を生き抜くための知恵すらも考えようとさえしない。だから僕はあくまで自分で考える。3.11が教えてくれた数少ない良かったことは、既存のものにはウソが多いということと、自ら初から考えるということの大切さだ。この国にもまだ良い所は存在していて、それは“考える”とはどういうことかを教えてくれるということさ。

  僕は最近、こう考える。3.11以後の世界が人類に突きつける現実というものは、低線量被ばくの中でも人間がどれだけ生きるかという半ば軍事目的の人体実験のそれではなくて、これがここまで自然を破壊してきた人類への自然からの報復だということさ。チェルノブイリも年追うごとに草ぼうぼうの自然へと帰っていった所もある。人間は生きてはいけぬが、自然はたとえ放射能に汚染されても、やがては人間よりかは生きていける術というのを、実はもっているのかもしれない。ということは・・・。

  人類は、すでに“淘汰”される時期へと入った!ということだろう。もし、僕たち以降の人類に、未来への道筋が根本的に示されるというのなら、それはもう、“失敗したこの現生人類=ホモ・サピエンスから別の種を進化によって生み出していく”ということ以外にないのではないだろうか。それこそかの恐竜から鳥が進化してきたように・・・。フッ・・、気の遠くなるような時間だけれど、ここまで考えられなければ、半減期24000年のプルトニウムに向き合うことはできないだろうよ。

  僕が今また考えるのは、では神は、または自然は、この今の人類からどのような人間たちを生き残らせて、選択して、このホモ・サピエンスという人類種から分岐させようとしているかということさ。そしてそれが現に今ある僕たち自身に、すでに何らかの生物的な兆候として、進化につながる何か見られる兆しとして、はたしてあらわれているのかどうか、ということさ・・・-

 

 

  その晩、今日の湯冷めもさめやらぬまま、いや、あまりの長湯で素肌のすべすべ艶やか感もおさまらぬまま、テツオはこの日の美の余韻に浸ろうと、購入してきたトップスはとろみ素材で盛り袖のアイボリーのドレスシャツを下着なしで身にまとい、ボトムズは細身のネイビージーンズで合わせてみながら、部屋の中、全身うつす姿見で、ただ一人、自分自身の立ち姿を見つめはじめる。

  彼は両手をそうっと腰にあてると、指頭が朱るむ素足の踵をすこし上げ、両足を半歩ずらして交差させると、腿を内へと寄せるように股をせばめて、上体をしならせながら首をやや右下へと傾けたモデルのようなそのポーズを、至極自然にとっていく。ほの暗い部屋の中、月からの白い光が姿見にかけて差し込み、そこに自分のIラインの全身像が、ボッティチェリのビーナスの誕生みたいに浮かび上がってくるのが見える。かしげた頭部は長くなった前髪がすこし垂れ落ち、その隙間から黒い瞳が、上気して朱るんでいく頬と唇とをいざないながら、ダヴィンチの絵の様な微笑みを投げかけてきそうである。

  -女たちより・・、ずっと綺麗だ・・・-

  彼は両手で女性のショートヘアほどの髪をかき上げ、唇を前へとさし出し、Yラインを描くようにゆっくりと脇を開いて両腕を掲げさせると、豊かな脇の毛から漂う男性の残り香を味わいながら、上体をさらにそらせて宙へと向かって、かすかな吐息をはいてみせる。

  -ああ、今、僕は、男から女へと、チョウのように脱皮していく・・・。それとももとより美のイデアというものがあり、女らしいポーズはそれを、単に模写しているのだろうか・・・-

  そして掲げた両手を頭部にまわすと、髪へと指をからめながら、指先を耳後ろから、うなじ、頬から顎の先、首筋へとはわせつつ、うつむきつつある自分の美貌が、漆のような黒い眉と長いまつ毛、またバラ色の頬と赤い唇、それらすべてが織り成している色移ろいと陰翳とをともないながら、対称的なまばゆさを放ってきているように見える。やがてその指先は爪先を月光に照らしながら、アイボリーのドレスシャツをすべるように伝わり降りては、胸元の第2、第3ボタンをゆっくりと取りはずすと、両手はそのまま首筋から鎖骨、両肩へとすべりこみ、両方の胸元を隠すようにXラインに交差させると、自分自身を慈しむかのようにしてその両肩をしっかりと掴むのだった。

  彼はすこしその姿勢のまま、これからの成り行きを逡巡しているかのようだ。しかし、高鳴ってくる内なる響きに、恥じらい抗する表の素肌も退いたのか、その指先に続く残りのボタンもはずさせ、カーテンの隙間から来る月光の白い余波をまねき入れるかのように、ドレスシャツのトップスは徐々に開かれていこうとしている。そのはずされたボタンのあとを追うようにして、再び素肌の恥じらいが戻ってくるが、指先はそのまま先へと、さらにシャツを左右へと開きはじめて、アイボリーのとろみ素材の服地の中から、ピンク色の梅の花みたいな乳首が、一咲き、二咲き、外気へと晒されていく。

  彼の頬は恥じらいあまって、ますます朱く染まっていくが、その指先はまるで独立した生き物であるかのように、その形のよい羽根を広げたように肩へと連なっている胸を、撫でては愛でを重ねては、梅の花とも戯れあって、恥じらいがときめきに奪われていくように感じながらも、その蕾の先は小鳥がついばんでいくかのように爪先ではじかれていく。そしてシャツは滑り落ちるかのように脱ぎ落とされて、彼は己のほの白い素足を見せたネイビージーンズの立ち姿、その上半身の裸体美を、前方から背面へと連なっている筋のラインにそいながら矯めつ眇めつ鑑賞した後、勃ちっぱなしの男性を圧力から解放すべく、ジーンズもブリーフも脱ぎ落とす。そして彼は今こそ自分の尻をこよなく見つめて、筋力こめてキュートにそれを引き締めては、あたかもこれをダビデ像のごとき裸体美と、讃嘆のため息をつく。

  -長い足が、こんなにも美しいとは・・・。そればかりでなく、僕のペニスが時間的にここまで長く、また生き生きと、勃ち続けてくれたなんて・・・-

  そしてテツオは椅子を引き寄せ、立ち姿ばかりではなく、それこそシスティナ礼拝堂の青年たちのヌードのように、さまざまな座りポーズを重ね重ね繰り返しているうちに、美貌への愛欲が抑えられず、また勃ち続けた己のペニスの愛おしさに、ついオナニーをやってしまった・・・。そしてその後にやがては落ち着き、性の余韻に浸りながら、なぜ自分がこんなにも美しく見えるのだろうとその理由を考えはじめる。

  -なぜって、それは僕がもとより美しいから・・。いや、それだけではない・・-

  彼は裸体のまま“考える人”のように、まさにこれから考える。彼は先にオナニーした時、ペニスの丸い先端から黒々とした毛の茂みをぬけ股間そして太腿へと流れていく精液が、かぐわしく、また艶やかに、窓から差し込む月の光と互いに白く反射しあっているように見え、それはまさに、あのコメの花を思い出させた。

  -僕が美しく見えたのは、僕自身も“花”を模していたからだ。いや、本当は、僕自身も、自分はまさに今“花”だと自覚して、それが自分をこれほどまでに美しく見せるのではないだろうか。花はもともと性器だし、そしてもとより雌雄同体。今の僕は身は男でも明らかに両性具有を志向している。このことは、やはり生、性、美、愛は一致するということを示していると思われる-

  そしてテツオはあの参観日に、レイコの物理の授業を受けつつ、ガリレオニュートンアインシュタイン、そして道元禅師の事例に則り、同じように落ちて身心脱落して(彼のその日の願望では花に埋もれる虫のようにレイコの胸のその谷間へと脱落して)、得たところの悟りである“美の絶対性”に、ますますその確信を深めていく。

  -ということは、もしかして、意識というのは、もとはといえば美意識だけがあるのであって、その他のたとえば真や善は、人間がそれより分けて派生させたにすぎないのではないだろうか-

  そしてテツオはまだ姿見を見つめつつ、自分の胸と乳首に手をやりながら、ある時読んだダーウィンの一説(3)を思い出す。“古くから脊椎動物界において、元来は一方の性に属するはずの生殖器系のさまざまな付属部分の痕跡を、他の性がもっているのが知られており、胎生期のごく初期には、両性ともにメスとオスの生殖腺をもつことが確認をされている。だから脊椎動物界の全てのもののある遠い先祖は、雌雄同性・雌雄同体であったらしい。哺乳動物網のオスは、その前立腺内に導管のある子宮の痕跡をもっていて、また乳房の痕跡もあるのである。それでは哺乳類のオスが乳房をもっているのを、どう説明したらよいのだろうか。それは哺乳類全体の先祖が雌雄同体でなくなってから後も、両性ともに乳を出し、子供を育てていたのではないだろうか。哺乳類のオスに見られる乳房と乳頭は、実のところ痕跡とは言い難く、これは未発達で機能を果たさないだけなのである。かつては長い期間にわたって哺乳類のオスは子供の養育にメスを助けていたのだが、生まれる子供が減ったなどの何か理由でメスを助けるのをやめたと仮定するなら、成熟期にこの器官を使わないことがその機能を失わせたと考えることができる。”

  テツオはこの一説を思い出し、また彼の新たなる仮説の萌芽を見た思いがした。そして自分がこの思春期に、女性の全体-特に尻-ばかりでなく、ペニスはもとより自分の胸にも愛着を持ち続けていた因果をも、同時に深く感じた気がした。

 

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  秋になり、はたして約束した通り、映像作家のイゾルデ・アイシェンチエラ=略してアイ氏が、この島にやってきた。ミセス・シンの通訳に介されながら、島の皆に迎えられるイゾルデ・アイ氏。年の頃はタカノ夫人とレイコ先生の間ぐらい、50歳代中ほどか。シルバーグレーの長い髪と擦れたデニムに赤と緑のコットンシャツ、背は高く痩せていて、外人らしくアイシャドウと口紅はよく目立ち、日焼けた肌はシミもシワも多かったが、その飾らない実用的な外見と考え深げな眼差し、そして落ち着いた物腰とは、テツオたちに好感を抱かせるには十分だったようである。アイ氏はミセス・シンの家族の家に滞在しながら撮影に入っていったが、撮影は独立国のありのままということで、この日は張り切る校長の出漁するシーンを撮り終え、漁船に乗ったヨシノの親子と校長とアイ氏らの一行が、桟橋へと戻ってきたところだった。

  その時、空の向こうから、何やら奇妙な飛行体が、爆音を立てながらこちらへと近づいてくるのが見える。それは機体が十字形にクロスしており、その各々の先端の4か所にはプロペラがついていて、それがエンジンのローターごと垂直と水平の両方向にモードを変えては、機体ごとグルグルと回転しながら、こちらに向かって飛んでくる。

「あれはきっと、“オスドロン”だ!」

  そう! これこそまさに国防軍の新兵器、名は単にオスプレイとドローンを合わせただけの平凡さ、だが、造形はとびきり奇抜な航空兵器なのである。各国の共同開発ということだが、実際はアメリカの赤字企業を救済するため、この国がGPIFなど国民の年金資産よりネコババして、はてはそれを国内最大の原発メーカーにして兵器企業の“カネダケ”に買収させて、ライセンス生産から製造させたかのオスプレイの後継機種とされているものらしい。ところがこのオスドロン、プロペラ回すローターの向きによっては卍形に見えたりして、空飛ぶハーケンクロイツとの異名をつけられてしまったせいか、NATOもロシアもイスラエルも買わないと言ってきており、また中国がよく似た仕様で外見だけ卍に見えないパクリ機種を発表したので、この武器商戦で原発不振を回復させたいカネダケの目論みは見事にはずれてしまったようだ。カネダケは、この形は決してナチスのマネでなく、この国の伝統である手裏剣のデザインなのだと、国際的には通用しない言い訳をしたのだが、旧憲法の9条もすでになく、日ごろから国をあげてナチスのマネばかりしていると見られているせいなのか、兵器の国際市場においてはナンセンス以外の何ものでもなく、カネダケはこのデザインこそ伝統美と愛国心のあらわれだとの主張をしたが、結局は何事も親方ヒノマル的な社風に浸かり、何事も自分の頭で考える社員がいないということを、改めて物語ってしまったようだ。

  しかし、このオスドロン、問題は見た目以上にその中身であるらしい。何せ回転しながら飛ぶものだから、操縦席も一緒に回るわけであり、こうした欠陥機種のためまた海に落ちて200億がパーになっては、今度はパイロットの目がまわったせいだとも言いにくく、カネダケは少子化東京ディズニーランドへの一極集中のため廃れていった全国の遊園地から、あの懐かしい一番チープな乗り物だった“回転するコーヒーカップ”をかき集め、それで訓練することで世界一の安全性を満たしているとしたらしい。しかし、同じカネダケ製の原発ベトナム、トルコ、イギリスで相次いで白紙となり、トラブル続きで同盟国のアメリカからは訴訟を起こされ敗訴して、多額の賠償を要求されていることから、この国が政府をあげてついにその重い腰をあげたようだ。それで政府は、オスドロンの在庫処分に困っているカネダケを救済すべく、その性能の一切を特定秘密に指定して、決して住民の情報開示請求に応じれないようにした上で、その飛行に反対する住民運動の一切も共謀罪で押しつぶし、さらに実戦配備の実績をつくろうために、いつ落ちても少数の犠牲者ですむであろう超過疎地のあちこちに専用のヘリパッドを設けることにしたのだそうだ。しかもその工事の一切もカネダケグループが請け負うのだが、これらのことはさすがに表に出せないので、何事も表に出せない安保による米軍への基地供出としたのだろうと思われる。

  そのオスドロンが今、この嘉南島の上空をグルグルと旋回しながら飛んでいる。モードはすでに水平となり、まさに卍が回るようだ。ドイツ系の血を引くアイ氏も、ヒトラー誕生記念日の航空デモンストレーションの映像を思い出したか、恐怖と怒りで顔が青ざめ引きつり始め、オスドロンへとカメラを向ける。浜辺で皆がオスドロンを見上げる最中、一人小麦の製粉をしていたテツオは、軍用機が飛んでくるのはいつものことと無視をしようとしたものの、しつこい異様な爆音に空を見上げてみたところ、オスドロンはグルグル飛行でフラフラしはじめ、もはや操縦不能となったようだ。そしてモードは急に垂直へと切り替わり、島の丘陵地の田畑をめがけて強行着陸しようとしている! これではローターから出る熱風で地表の田畑が焼き焦がされ、島の農地は作物もろとも全滅するのは必須である。

  ところが、まさに次の瞬間、聖なる小川を伝っては白い脱兎のようなものが駆け下り、オスドロンが降りてくる機体の真下で、両手を広げて地に足踏ん張り立ちはだかった。ユリコである! その黒い髪も白装束も強風に煽り煽られ、ついには下降する機体の下で骨ごと焼き潰されてしまいそうだ。

  “ユリコーッ!! 伏せろーッ!!!”

  テツオはそう叫ぶや否や一目散に走りだし、途中で大地を蹴り放つと、ユリコをめがけて飛び上がる。その時、強い横風が彼の体を勢いよく押し上げ、テツオはそのままユリコを抱きとめ、両手をまわしてその後頭部を支えたまま、横風に吹き飛ばされていくのだが、それは何か大きな、それこそ仏の手にすくわれているような感覚をともないながら、2人は花畑まで運ばれて、そこにドウッと落とされた。そして同じくオスドロンもこの横風に吹き飛ばされて、はるか沖まで運ばれてから、海に逆さに突き落とされ、その卍形はバラバラになってしまった。

 

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  二人の上にはたった今、風に吹かれた花びらが舞っている・・・。

  テツオは両手と腕とに抱いた、ユリコの頭部の感触から、まずその存在を確かめる。

「ユリコ、無事か、ケガしてないか?」 

  ユリコはうなずき、無事を知らせる。

「そうか、よかった。じゃあ戻ろう。みんな心配するだろうし・・・。」

  テツオがユリコを支えた手をゆるめて、一緒に立ち上がろうとしたところ、しかしユリコは逆に彼の頭部へ手をまわし、自分の胸へと引き寄せる。そしてそのまま、テツオを抱いた。

  -ユリコ・・・-

  テツオはその名を呼ぼうとするが、すでにその思いは声にはならない。

 

  風はやみ、舞い散っていた花びらも、二人の上へと落ちてくる。遠い海の波音ももはや聞こえず、うってかわった静寂が、二人をやさしく包みはじめる・・・。

  テツオは今、ユリコの胸の中にある。

  -想像していたよりあたたかく、またやわらかそうだ・・・。そして、たとえようのないその優しさ・・・。それは記憶からもたどり出せない、太古の昔、原初の泉からいずる、永遠に女性なるもの、からなのだろうか・・・-

  テツオはユリコの胸へと手をあてると、その襟を押し開き、じかに肌に触れようとする。

「テツオ・・・、ごめんね、これ修行中の白装束だし・・・。今これ以上は、ダメなのよ・・・」

  テツオは両手をユリコの背中へとまわすと、その両肩を慈しんで抱きしめる。

「ユリコ、いいんだ、そのままで・・・。そのままじっとしておいてくれ・・・」

  テツオは両目をつむったまま、彼女の胸にいっそう強く頬を押しつけ、涙声でむせびながら、言葉を発する。

「ユリコ・・・、どこにも行かないでくれ・・。もうこれ以上、一人はいやだ・・。俺はまた一人に戻るのは、絶対イヤだ・・・。」

  テツオはユリコにしがみつき、声をあげて泣きはじめる。ユリコは、テツオを抱いていたが、ふと白装束の胸元をゆるめると、彼の面をその懐に入れるのだった。

  -僕は今、彼女の乳房の中にある。自分の身とはまったくちがう、ふくよかで優しいラインが彼女の身をふちどっていて、襟元の陰翳にかこまれたハスのような胸のうち、そのふくらみから乳首の花がいとも可憐に咲いている。今さっきの緊迫のため熱せられた体温が、より熱気をともないながら、恐怖で噴いた汗水と、彼女のそのカヤツリ草みたいな澄んだ匂いと、早鐘のように鳴らされる胸の鼓動がいっしょになって、僕の五感を呼び覚まし、自分もまた生きているのを告げてくれる・・・-

「テツオ・・・、私はどこにも行かないし、そう簡単に死にもしない・・。ずっとあなたと共にいるから・・・。これから先も、ずっと、ずっと・・・。」

  ユリコのその言葉に安心したのか、テツオは赤ん坊のように、その胸に頬をあてたままでいる。

  -この確かな今の感触は、あれほど思い描いていた性なるものをはるかに超えた聖なるもの・・・。永遠の命の川、その久遠の流れは、水藻の緑も川底の砂金のように輝かせ、僕の胸へと流れ込み、封印していた乾ききった心の底を、あふれんばかりに満たしては、僕の新たな心の泉となっていく・・・-

 

  風がふたたび海の方から吹き上がり、波の音が聞こえてくる。その波音に呼ばれるように、テツオはゆっくりユリコから離れると、襟をただした彼女の手をとり、そして二人は立ち上がった。二人はそれから、自分たちを殺そうとした軍用機が飛ばされた海の向こうを、今一度確かめ合うと、お互いに支えあって、皆がいる浜辺の方へと歩いていった。

 

 

  オスドロンの来襲は、独立国に大きな脅威をもたらした。マスコミは政府の描いたシナリオ通り、オスドロンの墜落を今回もまた不時着として報じたが、独立国の皆にとっては、これが故意なのか機種の欠陥なのかはどうでもよく、あの沖縄戦と同様に、自分たち住民は軍隊に殺される存在だとわかっただけで充分だった。

  今や独立国の島のだれもが、国防軍は次は必ず上陸をしてくるだろうと予見した。そして同時に、今や取りざたされている“徴兵制”が、もうじき国会に上程されるに違いないとも予想した。少子化という前提のもと、原発-再処理-核武装をあきらめず、特定秘密に共謀罪集団的自衛権から改憲、そして国防軍という流れにそえば、徴兵制の復活は遠からず予想されたことだった。

  アイ氏はオスドロンの来襲もカメラにおさめて撮影をひとまず終え、夫のいる中国経由でヨーロッパへと帰っていった。テツオはアイ氏を見送った後、いよいよ自分の決意を固めて、その考えを整理しようと、いつものように教会のキンゴの所へと向かう。

「それで、テツオは高校を卒業したら、この島での百姓と、シンさんに教わった料理の二つの経験を生かした上でのオーガニックの料理人か、君がもとより好きだったギターを作る楽器職人、そのいずれかで実現をしそうな方から、外国で修業生活に入るんだね。」

  ミセス・シンに作ってもらったペットボトルのコーヒーを飲みながら、キンゴはテツオに念を押す。

「そうだ。俺はあの時、ユリコと一緒にあのオスドロンで殺されそうになったんだ。徴兵制とは殺し殺される要員となることを法律で義務付けるのに他ならない。俺たち次の世代の生存権と生存圏とを奪っておいて、その上さらに殺し殺されるのを法制化するなんて、絶対に絶対に許せない!

  どうせこの国にこのままいたって、20mSvや100Bqが基準値の環境で、一生派遣労働か、正社員でも低賃金の長時間労働で、税金と保険料だけ吸い取られ、こんな貧困層だらけで、21世紀の半ばには現役一人が老人一人を養うような、医療・年金・介護とも、超1000兆円の借金の下、そんな社会はもつわけないだろ。この国の国民で居続けるメリットなんて、一体どこにあるんだよ? だから俺はこの国を捨ててやるのさ。この国が俺たちを捨てたようにな。

  また徴兵制は、男女雇用の均等化とか女性が輝く社会とかヘリクツこねて、男女ともに適用するって話だから、ユリコも俺と一緒に外国に出るってことだ。レイコ先生とシンさんとが、アイさんにこのことを話してくれた。アイさんもシンさんの夫のブルーノさんも、俺たちの進路の先を真剣に探してくれるということだ。」

  キンゴはそれで納得したが、テツオは同じ心配を、キンゴとヨシノにしていたのである。

「キンゴ、お前はどうするんだよ? 差し出がましいようだけど、ヨシノは医学部受験するって言ってるし、いっそのこと、ヨシノと一緒に家業を継いで医者になったらいいんじゃないか。医者は軍にも利用されるが、この国では複合汚染や放射能で、非典型の疾患も増えてるようだし、医者不足も深刻だから、防大以外は徴兵にはならないらしいぞ。」

「それは父も確認している。しかし父は、もっと直接的な対策を用意している。」

  と、キンゴがテツオに見せたのは、一枚の写真なのだが、その写真には、少し年増ではあるが、金髪・碧眼・長身の堂々たる美人女性と、またブロンドの美少年とが写っている。

「だれだ、コレ? また、ワァーグナーの登場人物?」

「この人たちはね・・、女の人はエリザベートシュワルツコップ、男の子はタッジオっていうんだよ。」

  ここでキンゴは、大いに照れて赤くなる。

「今のは冗談。この人たちはね、実はボクの、新しい母と、弟なのさ・・・。」

「ハ!?」

「いや、だからさ、父が再婚するんだよ・・・。」

「お前、マジかよ、それぇ~。」

  キンゴが言うには、キンゴパパのワタナベ医師はチェルノブイリの関係で、外国へもたびたび出向く機会があったのだが、この女性と少年は、そこで子供たちの被ばくを守ることで意気投合した仲間の女医とその連れ子だそうで、パパはこの女性と結婚したら、キンゴとヨシノも結婚させて医療を継がせ、この継母の母の国籍に変えればいいと考えているのだそうだ。

  そこでテツオは、ワグネリアンでKYで、ブログでは飽き足らず小説を書き続けるほど空想的になっていくキンゴの話を確かめようと、ここは浜辺で作業をしているヨシノをつかまえ、尋ねてみる。

「・・・、まァ、何ッつーか、彼はあーいう人だからさ、結局、あたしが彼にあわすしか、ないように思うのヨ。」

  ヨシノは毎日漁で鍛えた、はち切れそうな筋肉を男のようにみなぎらせて、浜辺にある漁船に乗ると、少しおどけて銛を握って、ヤリ投げみたいなポーズを決める。

「ホラ、お酒のおつまみにも出てくる、キュウリを割るっていう、アレよ。」

「ああ、それって多分、“ワルキューレ”のことなんだろ?」

「そうよ、そのワルキューリよ。でさぁ、キンゴが言うにはそのワルキューリにもいろいろあってぇ、彼が特に好きなのは、ブルーのヒトデ、ブリキで切ったニクソン、そして、切り捨てのフライングスタート・・、あたしには同じように聞こえんだけど・・。で、キンゴは同じ女でも、男っぽい女武者、ワルキューリがタイプらしいの!

  でもさ、テツオ、あなたも同じ男としても、まぁ、遠からずの結婚相手だとしても、いきなり入ってくるってさあ、向こうも初めてとはいっても、こっちは女の子なんだから、心の準備もまだなのにぃ、もうとっても恥ずかしくってぇ、これってちょっとトートツ過ぎると、思わないィ?」

  テツオはヨシノのこの発言に、少しゾワッと感じてくる。

「・・い、いきなり入ってくるったって・・・、そりゃ確かに、唐突だよね・・・。」

「でしょオ! まぁ、でも生まれも育ちも違っても、心は同じ人だから、ここはあたしも一発ドーンと受け入れようとしたんだけど、あたしん家って魚屋だからサ、酒の肴は事欠かず。でさあ、出されたキュウリを見てみると、それが太くて反り返っててぇ、それをそのまま口に入れようとするものだから、あたしの方が気を利かせて、一口サイズに切ってやろうと・・、」

「ち、ちょっと待って! ヨシノ、今、いったい何の話をしてんのさ!?」

「だからぁ、彼のパパのフィアンセが、あたしん家にまでご挨拶に来てくれたのよぉ。前もって言ってくれたら家を掃除しといたのに、いきなり入ってくるもんだから・・。で、何のお接待もせずには悪いと、パパもママも魚やなんやら、キンゴパパとも釣りで釣ったありったけの魚や食べ物出したんだけど、その中にはキュウリもあって、外人だから慣れないお箸で一本丸ごと掴もうとしたところ、途中でポッキリ割れちゃってぇ、これがホントの“ワルキュウリ”って、オチなのよオ!」

  ヨシノはここで、浜辺の波にも響かんばかりの大声で、一人で受けて笑うのだった。

「・・・。ところで、ヨシノ、医学部への受験勉強、進んでるの?」

「そう、そう、そのお受験のことなんだけどぉ、まぁ、浪人は仕方なくても何年もチャレンジしようと思うのよ。浪人中はワタナベ医院があたしたちを医療事務実習生って肩書で採用しては徴兵制を逃れさせつつ、受験勉強し続けるって作戦なのね。だって内部被ばくは絶対やらなきゃいけないし、安定ヨウ素を配るにしても医師免許って要るじゃない。だから別に偏差値の低いトコでも何でもいいのよ。キンゴのパパも新しいそのママも応援するって言ってくれるし。それで最近キンゴ自身も、彼が夢見る魯迅の道から医学の道へと、シフトチェンジするらしいし。」

「そうか、魯迅にならって作家になるって言ってた彼も、やっぱり父の家業を継ぐか・・。」

「イイや。それが彼の場合は、魯迅だとかヒポクラテスとか、そんな次元じゃなくってさ、彼はあたしに言わせれば、ちょっと不純な動機からパパの医業を継ぐ気になったらしいのヨ。テツオ、ここは何でも男同士、どーせ彼はあなたに話すだろうから、その時はまぁ、聞いてやってちょんまげよ。」

  -そうか。キンゴが医者を継ぐ気になったそのワケは、写真のあのシュワルツコップ似の継母と、タッジオ似のあの美少年のせいなんだな・・・-

  テツオはここまで鑑みて、彼ら4人の進路がようやく、見えてきたと感じたようだ。

 

 

「でさ、テツオ、この前君の言っていた“進化”についてなんだけどさ。」

  気が付けば、今日もテツオは野良帰りに教会に寄り、キンゴのかけたワーグナーのBGMに気が遠のいていた所を、キンゴはすでにBGMを止め、話題を変えんとテツオにせっついていたようだ。

「アッ、あれか、あの話は・・・、」

「いや、僕も受験勉強の準備がてら、調べ始めているんだけど、進化論ともなると、時間軸が何万年と長いじゃないか。とても僕らの一世代や二世代ではすまないよ。何でまた、“3.11の真の意味を知るためには進化論を語ることだ”なんて、言い出したのさ?」

  ということは、受験が本格化するまではキンゴもつきあってくれそうだと、テツオはやや前のめりに語り始める。

「そりゃァな、俺たちはこの革命と独立を試みて、今やそれは経済的にも精神的にも軌道にのったと言えそうだ。しかし、お前が以前言ってたように、またお前のブログや小説の根底にもあるように、3.11それ以降に明るみに出た“人類と核との共存”、これが何を意味するのかを考えていくことが、俺たち次世代以降の者には絶対に必要なんだ。」

「そうだ、そうだ、その通り。有名な『チェルノブイリの祈り』(4)の本にも、“チェルノブイリ後、私たちが住んでいるのは別の世界、前の世界はなくなった。”ってあるように、これは単なるエネルギーの問題でも政治の問題でも民主主義の問題でもなく、もっと根源的な人間の存在の問題だと思うんだよ。」

「だろ! それでそのチェルノブイリでは、たとえ人がいなくなった所でも、放射能のダメージを受けてはいるのだろうけど、草木や森が生い茂っている写真を見たりするじゃないか。ということは、人間は生きてはいけぬが、自然はそれでも生きていけるのかもしれない。」

レイチェル・カーソンの有名な『沈黙の春』(5)って本には、“自然は逆襲する”という言葉があって、新しい殺虫剤にも次々と抵抗力を増していく虫たちの話が書かれている。ダーウィンは自然選択、自然淘汰ということを説いたけれども、この抵抗力というメカニズムもその一つだと思うんだよ。」

  いよいよダーウィンの名前が出て、テツオの舌もまわってくる。

「そうだ。それに生物の大前提として、人間以外のほとんどの生き物たちは、“子孫を残す”ということに、生死をかけた最大限の営みを発揮する。しかし、あの3.11後のこの国と国民とは、あのヒロシマナガサキを経験したにもかかわらず、空間線量は20mSv、食料品は100Bq、ゴミの基準は8000Bqというように、核廃棄物に適用レベルのこれらの数値を“基準値”として、チェルノブイリであれほど子供の健康被害が出ているにもかかわらず、俺たち子供に適用するのを法とした! しかもこの国の国民は、自分の子供を放射能汚染から守るために避難した母子たちに、当然の権利たる賠償としてではなく“支援”という名目での家賃・居住費さえも打ち切り、貧困に陥れ、俺たちが経験したように“自分だけが逃げ出して、風評被害を拡散し、復興を妨げた非国民”と、逆にバッシングをする始末だ。何でヒロシマナガサキの被害者がいるこの国で、我が子を放射能汚染から守る親が世間からバッシングされるんだよ?? 子を守るのが生物の基本じゃないのか?」

「人間は、子供よりも核が大切なのだろうさ。人間は、核暴力と核権力を、子孫よりも優先するのさ。核はまさしく現代の“ラインの黄金からなる指輪”(6)で、それを所有する者は世界を手にする権力を得るのだろうが、その代償として愛を断念せねばならず、そしてその者にはやがて死がおとずれるのさ。」

  キンゴはここで、テツオがもう何回も聞かされているラインの黄金BGMを、改めて鳴らし始める。  テツオはヨシノも、きっとこれと同じようにワルキューリを延々と聞かされたのに同情しながら、ここで彼が確信に至ったことをキンゴに伝える。

「あらゆる生きとし生けるもので、種としては人間だけが子孫を守らず、しかし、自然は人間なしでも生きてはいける。ヒロシマナガサキチェルノブイリから3.11、今日へと至る過程で俺たちは、まさにこの人間を含む生物の種の現実を観察した。これは何を意味するのか。これはすなわち、ここまで自然と生態系を破壊してきた人間への、自然からの回答ではないだろうか。つまり、人類には、かつて恐竜がそうであったというように、自然による“淘汰”がすでに、始まっているのではないだろうか。」

「聖書の『ヨハネによる黙示録』(7)には、このような一説がある。“地の1/3が焼け、木の1/3が焼け、また、すべての青草も焼けてしまった。・・殺されずに残った人々は、自分の手で造ったものを悔い改めようとせず、また悪霊の類や、金、銀、銅、石や木で造られて、見ることも聞くことも歩くこともできない偶像を礼拝して、やめようとはしなかった。・・わたしは、もう一人の強い御使いが、雲に包まれ天から降りてくるのを見た。その頭には虹をいただき、その顔は太陽のようで、その足は火の柱のようだった。”」

「なあ、キンゴ、その最後の箇所って、実は原爆のことを、言ってるんじゃないだろうか?」

「君もそう思うだろ。この黙示録の有名な次の一説、“たいまつのように燃えている大きな星が空から落ちて、それは川の1/3とその水源の上に落ちた。この星の名はニガヨモギと言い、水の1/3がニガヨモギみたいに苦くなって、そのため多くの人が死んだ。”・・・このニガヨモギチェルノブイリの暗示だという説がある。これってまさに、終末だよな。僕らは今、終末を生きているのかもしれない。」

  キンゴはまたBGMを切り替えるが、曲も同じく、“Ende!Ende!”と叫んでいる。

  しかし、テツオは、まんざらEndeでもなさそうだ。

「でもな・・、俺も当初は絶望をしていたんだが、何の因果か進化論を読みだしてから、何も絶望だけじゃないってことに気づいたのさ。かの恐竜でも全てが絶滅をしたんじゃなくて、一部はトリへと進化して生き残ったといわれている。ということは、俺たちヒトもともすれば、その一部は進化によって生き残れるんじゃないだろうかと思うんだよ。だってそうでも考えなければ、半減期24000年のプルトニウムに抗することができないだろ。俺は核の現実に俺たちヒトが完全に負けるのが、いやなんだよ。」

「なるほどね、それで進化ときたわけだ。・・・でもさ、テツオ、ここまでは理解できても、僕たちこのホモ・サピエンスっていう現生人類は、数百万年以上も続く直立二足の人類種の唯一の生き残りなのだそうだが、これからまた新たなる人類の種を進化させるといってもだよ、じゃあその進化って、何で起こると思うのさ。つまり、進化の原動力とは、いったい何だと思うんだよ?」

  テツオはいつものように事もなげに述べるキンゴに、-そこがこの問題の核心だと思うからこそ、こうして相談に来てんじゃねえか-と、やや不満げに思うのだが、今までの話の流れでとりあえずつないでみる。

「そりゃァな、さっきの『沈黙の春』みたいに、虫たちが殺虫剤に抵抗力をつけるように、人間も放射能に抵抗力を進化によって身につける-というのはさ、ちょっとムシがよすぎると思うんだよ。そんなことになってもさ、人間はまた放射能を超える害をつくっては、地球を攻撃するだろうから。

  俺はこうして話をしていて、今ふと思いついたのさ。俺たち人間=ホモ・サピエンスっていうのはさ、“知恵ある人”って意味なんだろ。だがその実態は、生物のだれもが行う子孫を守るということを放棄してるし、すべての命を滅ぼすような核兵器をつくっては、言葉や文字で経験を伝えられるにもかかわらず、いつまでたっても戦争をやめやしない。これでは到底、知恵ある生き物とは言えない。

  だから、俺は、人間のこうした“知恵”の正体を突き止めたいとも思うのさ。それとお前が今言った、進化の原動力ってもの、進化は環境変化によるものだから、当然そこには抵抗力というものもあるだろうし、ひょっとすると、人の場合は、これらが混然一体で進化したのかもしれない。それでこれは俺の仮説なんだけど、この進化の原動力のひとつとして、“美意識”があるかもしれない。」

  テツオはここで、やや恥ずかしそうになりながらも、キンゴに言ってみようとする。

「美意識ィ? それって君が言っていた、“美の絶対性”に続く話か?」

「まあ、聞いてくれ。ダーウィンだって自然選択の一つである雌雄が異性を選択する“性選択”に、有名な雄クジャクの羽根などの、各個体の美意識がはたらくことを唱えているけど、俺はアラサー、アラフォー、アラフィフのファッション誌を垣間見ながら、時々こう思うのさ。江戸末期や明治の写真に見てとれる我が国のずんぐりした美男美女と、昭和の戦後、特に80年代以降の美男美女とは、顔の大きさ、背の高さ、体格からスタイルの均整まで、白人や黒人みたいな要するに外人風になっただろ。食生活や栄養の変化のせいだとされているそうだが、それだけならただ単に太っただけでも済んでたはずだ。俺が思うにこうなったのは、美意識自体に変化が生まれて、皆だれもが背が高く、上に細くなりたいわぁって、意思し続けた結果でもあると思うよ。」

  キンゴはテツオの言い分に何かを思い出したのか、図書館の本棚からダーウィンの『種の起源』(8)を取り出してはページを開いて、テツオの隣に寄り添うと、文章を指さしながら読み始める。

「君が言っているのに近いものとは、例えばこれかな・・・。望ましい変異・・、変異の源について・・、ここだ、この付録にノーダンという学者の意見が載せられている。“彼(ノーダン)は、終局目的の原理と名付けたものを強調している。それは神秘的な、はっきりとは定められない力である。・・生物へのその不断の作用が、世界が存在する限りいつの時でも、それぞれの生物の形と大きさ、寿命とを、それが一部となっている万物の秩序における運命に従って決定する。各々の成員を、自然の一般的体制の中で、それが果たすべき機能すなわち、それにとっては存在理由である機能に適合させて、全体に調和させるのは、まさにこの力である。”・・・、つまり、この神秘的なその力を、美意識と解釈できるのかもしれない。今の進化論はわからないけど、ダーウィンは美意識を、特に意識していただろうし。」

  キンゴがテツオの隣でページをさしつつ話すうちに、テツオはこれもサルから進化した、キンゴの白く指頭の朱るむその華奢な手に見とれている。そして彼も同じく手を置くと、青年たちの美しい二本の手は、まるで磁石のNとS、また電気の+と-みたいに、徐々に近づいていってるようだ。

  ところでキンゴは、そんなテツオにこんなことを尋ねてしまう。

「ねえ、テツオ。以前から聞きたいと思ってたけど、君は何でそんなに美や美意識に、こだわるのさ?」

  テツオはキンゴも美形のうちに入るかなと思っているので、この発言はフェイントかもよと思いながらも、ここはまずは当たり障りなく答えようとするみたいだ。

「それはな、花を観察していると、自然に美や美意識に、惹かれるようになっていくのさ。」

「そうか、鼻・・、か。」

「そうさ、花・・、さ。」

「そうだ。僕の好きなショスタコビッチのオペラにね、『鼻』っていうのがあるんだよ。その物語は、鼻が離れて独り歩きしていくらしい。今からそれを聴かせてやろうか?」

「い、いや、いいよ。BGMはもういいんだ。俺まだ畑仕事が残っているし・・・。じゃあな、また。」

  と、テツオはキンゴの手のそばから彼の手を引っ込めると、教会を出てそのまま畑に行ってしまった。

 

 

  さて、それからしばらくして、アイ氏から編集未了の段階でのドキュメンタリーのDVDが送られてきた。アイ氏からは英訳文の確認と画面選択の相談があり、皆さんの意見も聞いたうえで編集の完成版を作りたいとのことである。DVDは複数あって、各自好きな時に見て、意見を集約することにした。タカノ氏は夫妻の二人で、ミセス・シンはご家族で、釣り友にして飲み友の校長、ヨシノとキンゴのパパらはヨシノの家で酒と肴と一緒に見て、ユリコはオジイとオバアと3人で、そしてテツオはスリーシスターズの面々とお茶とお菓子をたしなみながら、喫茶室で見ることになったのだった。

  ドキュメンタリーはその始めに、全ての発端でもあったあの3.11、原発が次々と爆発していく映像を映し出す。そして放出された放射能の汚染状況、それもチェルノブイリと相い比べ、ドイツなど海外でも観測されたデーターも交えながら、国内での信用できる計測値-地表から約1mの空間線量Svと、土壌汚染Bqとを解説していく。そしてこの国が公に適用している空間線量:年間20mSv、食料品:1kgあたり100Bqなる基準値が、そもそも国際標準が年間1mSvで、かのチェルノブイリ法が5mSv以上は移住義務とし、ドイツでは食料品の基準値が大人8Bq、子供4Bqであることと比較して、それが異論をはさむ余地のないほどいかに異様なものであり、特に子供に対する内部被ばく等の危険性を全く無視ししていることを、非常に厳しく批判している。

  そして続いてドキュメンタリーは、テツオたち4人が暮らす嘉南島を映し出す。ここは彼らにとっては当面の約束の地、不思議なことに未だ空間線量は年1mSvを下回り、島でとれた作物も島周辺でとれた魚も、すべてBqはND(とても低く設定した検出限界値以下)を示すのだった。

  カメラはそして嘉南島=子ども革命独立国の全景から、船着き場のある納瑠卍の浜へと上がり、木造校舎と教会とを左右に見つつ、校舎の一室、独立国の中枢である喫茶室へと入ってくる。カメラは最初にこの独立国のエネルギー事情を説明するが、最も電気を消費するクーラーと冷蔵庫は共用となっていて、島ではこの喫茶室にしかないのであった。ここだけが島外からの自然エネルギーによる電力で賄われており、あとは各家の太陽光パネルによる電気である。スマホ、携帯はいっさい使わず、テレビはすでに受信機すら無く、情報源はインターネット、これも喫茶室での共用と、あとはキンゴのブログのために教会に置かれているだけである。また風呂と暖房とはマキで賄い、島内の交通は車はもとより自転車すらなく全て徒歩。島と県との往来のヨシノの漁船一隻だけがガソリンを消費している-そんな事情がナレーションされていく。そして島の経済事情については、現金の収入として、ヨシノ家の漁業の売り上げ、テツオが農作業がてら手がけた花苗、そしてキンゴが時おり獲得してくるインターネットのBGM選手権の賞金以外に、キンゴパパがこの程出した内部被ばく防御本の印税や、行政書士である理事長タカノ氏からの寄付、あとミセス・シンの夫のブルーノ氏からの寄付などがあげられ、要は島外からの寄付や助成に頼らない、経済的にも自主独立であることが語られていくのだった。

  そしてカメラは、このドキュメンタリーの主人公たる4人の紹介、インタビューへと入っていく。テツオは田畑で、ヨシノは漁船で、キンゴは図書室、ユリコは白装束の装いでと、各々の立場、役割、得意分野で、次々と思いを語っていく4人。アイ氏のカメラはそんな彼らを共感と賛意をもって撮影していくのだが、4人のインタビューが終盤を向かえる頃のタイミングで、あのオスドロンの来襲シーンが挿入されていたのだった。

  ここまでテツオは、スリーシスターズの面々-タカノ夫人とレイコ先生、そして英訳文を確認しているミセス・シンらの3人と、ドキュメンタリーをむしろ楽しく、談笑しながら見ていたのだが、オスドロンを改めて映像で見るに至って、あの時の、押しつぶされ焼き殺されそうになった恐怖に慄き、気分が悪くなってしまった。しかしそれは彼だけではなく、特にテツオは隣に座るレイコの様子に、尋常ではない変化を感じた。

 

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  レイコもその時浜辺にいたが、カメラが撮った一部始終-オスドロンが島の向こうに降下して、強風に吹き飛ばされて海に落ち、その後しばらくしてテツオとユリコが無事で二人で歩いてきたのを改めて映像で確かめると、彼女は両手で口元をおおったまま、身をガタガタと震わせているようである。

  そしてレイコは、もう耐えられないと思ったのか、ガタンと席を立つとそのまま、喫茶室を足早に抜け出して、廊下へと行ってしまった。パンプスの靴音がやや硬質の響きを聞かせて、校舎のすみへと消えていく。テツオも急いでレイコの後を追っていく。そして廊下の片隅まで来て、壁際に向かいながら、むせび泣くレイコの後姿を見つめる。暗がりにうっすら差し込む窓の光が、彼女の白いブラウスとブルーのフレアスカートの色合いを、絞り込もうとするようにかかっている。

  -・・・姉さん・・・-

  心の中で、テツオはレイコの後姿へと、声をかけた。彼はレイコに、どんな言葉をかけてよいのか、わからなかった。体だけは大人になっても、精神的にはどうしてよいのかわからなかった。

  彼は初めて、自分がとてももどかしく思われた。廊下の隅の暗がりが、はっきりしない今の自分にあっているような感じさえした。

ややあって、彼はようやく一言を、発することができたようだ。

「・・先生、・・・ごめんなさい。こんなに心配、かけてしまって・・・」

  レイコはその一言を耳にすると、後ろ向きのその背中に一瞬何かを走らせたかに見えたのだが、急いで涙を拭き取ると、テツオの方へと振り返る。そしてまだ涙目であるその眼差しを、彼の目線にあわせると、今やかぼそい小さな声を震わせるようにして、しかし非常に強い気持ちで、テツオに向かって言うのだった。

「テツオ・・・、ユリコと力を合わせてね、生きていくのよ・・・。この国を出て、世界のどこに行ったとしても、しっかり二人で支えあって、生きていくのよ・・・。」

  テツオはもはや言葉も出せずに、ただゆっくりとうなずく他なく、じっとレイコの黒い目を見つめている。彼は口の形だけで、もう一度-姉さん-と、あらわした気がしたのだが、レイコは言葉を続けてくれた。

「私はもう、安易に死について言ったりしない・・。あなた達はこれから先も、世界のどこかで、生きていくしかないのだから・・・。」

  テツオはレイコを見つめ続ける。厳しいレイコの表情が、少しばかり、あの優しかった姉の目に、帰ってきたような感じがした。そしてこの時、心の奥から、あの『夢』がピアノの音で、よみがえるのが聞こえた気がした。そしてレイコは、少しばかり微笑むと、-もう戻らないとね-と彼をいざない、戻りつつ、喫茶室へと入ろうとする。その時レイコは、扉の柱に手を掛けたのだが、これが彼には門に手を掛けるかのように見え、レイコは再びテツオの方へと振り返った。

  古びた校舎の板ガラスを透かして差し込む日の光が、板張り廊下の黒光りを反射させつつ、レイコのその全身を、奥へと通じる廊下から遠近法で浮かび上がらせ、白く、青く、照らしている。窓から流れる海風が、一瞬レイコの髪をすき上げ、唇へと赤く触れさせ、通り過ぎていったようだ。そしてテツオがもう一度、彼女の黒い目を見とったその時、レイコは部屋へと入っていった。

 

 

  喫茶室では皆同様に涙ぐんではいたものの、ドキュメンタリーにはあともう一遍、タカノ氏へのインタビューが残っていると、ミセス・シンが言うのである。

「これはね、オスドロンの襲撃を受けアイさんが、是非にも安保を取り上げたいって、予定の撮影終了後に、通訳のあたしとの3人で撮影したものなのよ。」

  タカノ氏へのインタビューは木造校舎の理事長室で行われ、その冒頭では日米安保条約地位協定の解説が少しだけなされてから、アイ氏がタカノ氏に向き合う形で進められていくようだ。

「Mr.タカノ、このドキュメンタリー収録の終盤に、突然のオスドロンの来襲があったのですが、私も以前、沖縄の米軍基地の映像をいくつか見てはいましたが、こうして目の前での襲撃を経験すると、改めて日米安保体制の不条理と恐ろしさに、激しい怒りを覚えます。貴国はあの3.11後も、かつての三国同盟国のドイツ・イタリアなど原発をやめる国がある中でも、当事国にして地震国であるにもかかわらず、またヒロシマナガサキでの被害国であるにもかかわらず、核武装の懸念の高い再処理と原発の再稼働を中止せず、それどころかその真逆の集団的自衛権の容認と憲法改悪、戦争放棄のシンボルだった9条放棄と、気が違ったかと思えるような愚かしい政治的漂流の中にあります。私はその根本原因として、日米安保体制と、それを基軸とした貴国のあり方-その国体そのものに問題があるのではと思うのですが、それについて国民の一人としてどのように思われますか?」

「まず、“9条と日米安保”についてお話ししようと思うのですが、1945年の敗戦を機に生まれた旧平和憲法とその9条とで、この国の国民は植民地帝国主義と歴史を分かち、平和国家・民主国家として生まれ変わったとの錯覚をし続けてこれたのだと思います。というのは、この時同時に世界最大にして最悪の軍事国家であるアメリカと、安保条約という名の事実上の軍事同盟体制をスタートさせていたからです。その後、この国は主に沖縄県の犠牲のもとに、朝鮮戦争ベトナム戦争、湾岸・イラク戦争と、すべてアメリカ軍の側に立ち、たとえ経済的という立ち位置を演じ続けるにせよ、アメリカの戦争遂行に常に加担し、アメリカを中心とした戦争利権の分配にあずかってきていますので、平和憲法も9条ももとより体をなしていなかったと思います。」

「それでも世界の人々で、9条のその反侵略的で非武装を尊しとする内容には、評価する声も少なくなかったと思うのですが?」

「文面上は確かに立派なものでしたが、結局は平和・民主憲法も9条も理念法に終わったという気がします。国民自身が自分自身のものとせず、自分自身のものとも思っていなかったのが原因でしょう。

  9条は、もとはといえばマッカーサーの三原則に由来します。幣原首相などの発案という説もありますが、マッカーサーのこの国を非武装化するという方針なくして、9条はなかったと思います。アメリカは中国利権の最大の邪魔者だったこの国を敗戦を機に非武装化し、安保条約で軍事的な支配権を握った上で、ユーラシア大陸にまたがるソ連を相手に対峙する、ペリー以来着々と進めてきた太平洋の帝国主義的権益を確立したというわけです。ちなみに余談ではありますが、私はマッカーサーは秀吉によく似ていると思います。秀吉は民を刀狩で非武装化し、検地で民を水田にしばりつけてその奴隷性を活着させ、マッカーサーも“永遠の12歳”などと言ってこの奴隷性をよく利用し、二人とも朝鮮半島に侵略しました。問題は、秀吉のつくった体制が、その後長きに渡ってこの国を支配したのと同様に、マッカーサー時の体制が、再びまた長きに渡ってこの国を支配すると思われるという事です。

  では当時、これに対してこの国民がどう反応したのかといえば、あれほど鬼畜米英と言っときながら、ほとんど全ての国民が、つい昨日の大空襲や原爆での大量破壊と殺戮を顧みることもなく、マッカーサーアメリカも、憲法・9条・安保条約の3点セットも、大きな混乱なく受け入れました。これは国内のパルチザン活動等でファシスト政権を倒したイタリア、そしてナチスの残党を政治的には一掃したドイツでは考えられないことですが、私がこれは、主に次の理由からだと思います。

  一つは、これはこの国の“政治的権力更新の慣習”にかなうものであったからです。マッカーサーは自分自身を天皇の守護者と見せかけ、天皇の権威を利用し、新たな征夷大将軍となったわけで、それはとりわけ反共反ソの大将軍ともいうべきでしょう。日米安保体制とは、マッカーサーを初代とする幕府にも似て、自民党政権とは要するに徳川家とその取り巻きのようなもので、だから彼らはあらゆる不正や不祥事を国民から免罪され、アメリカ相手に国を売るようなことをしても、見せかけの民主主義を超越し、永遠に権力を“ただお家の力”で世襲できているわけです。歴史を見れば、中国・ロシアは革命後も、専制帝政の慣習にあるように見えますが、それとよく似てこの国も一応の民主化の後も、天皇の権威を背後した足利家以来の幕藩体制の慣習にあると思えます。

  二つ目には、対中国そして対アメリカと、敗戦しては忌まわしく、負けるに決まっているのに敢えてやった無謀極まる戦争を、天皇より強い覇者のアメリカが、この国を反共防波堤と位置づけ、この国の軍産共同体=権力基盤と統治機構を温存したその上で、精算してくれたと見たからです。具体的には、あのナチスの如き731部隊を追訴せずとも東京裁判でミソギをすませ、侵略で多大な被害を与えた東南アジア諸国への賠償も、金銭ではなく現地インフラ支援なる経済利権のヒモ付きとさせ、自衛隊という装いでの再軍備も容認し、この国の財界と権力すじとの利害が一致した形でもって、アメリカがやってくれたと見たわけです。世の中で誰が強くて、誰の下にいたほうが己の利益にかなうのかを、人々は常に空気を読んでおり、それはことに我々の国民性には顕著なのです。事側の論理よりも立場の強さが常に決め手となるわけで、個人よりも集団的奴隷性が優先する社会なのです。それでかつて平安京の昔からは中国のマネをして、それで江戸時代まで来て、中国が植民地化され始めると今度は欧米帝国主義-特にドイツのマネをして、大戦でそのドイツとの同盟で敗れると、今度はアメリカの傘下へと鞍替えしたというわけです。これがもし先にソ連に支配されていたのなら、この国はきっと北朝鮮以上に“主体的”な共産主義国になっただろうと思います。

  三つ目には、ではなぜ平和憲法と9条を受け入れたのかということです。朝鮮戦争ベトナム戦争の主力となった在日米軍、また大量破壊兵器の保持などのウソでイラクに侵攻した米軍に対しては、思いやり予算だの何億ドルの支援だの、世界有数の協力者であるこの国が、3.11原発事故後の安保法で骨抜きとなるまでの約70年間、9条にしがみつくことで平和国家という偽善と欺瞞を続けたその真意は何かということですが、それは9条で本当に戦争を放棄したというよりも、この9条が朝鮮半島や中国大陸、そして東南アジア諸国に対して行った残虐な侵略行為に対する“免罪符”として使えると、思ったからではないでしょうか。朝鮮・ベトナム戦争をむしろ経済的な特需ととらえ、湾岸・イラク戦争を検証しようとさえしないのを見ると、この国民が本当に平和を希求し戦争を放棄したとは思えません。また司法においても、植民地の朝鮮人や台湾人が、戦後に社会保障や死傷者への補償を求めた裁判でも、今さらもう国民ではないからとの国籍条項を持ち出しては応じなかったなど、非人道的で冷酷な判例(9)が目について、従軍慰安婦のことも含めて、この国の国民が植民地や侵略地に対する加害行為を正しく認識しているとも思えません。」

「この国は帝国主義列強の覇権争いという世界大戦で、負けて死んだふりをして、逆に勝者のアメリカの懐へと入り、戦後それを利用し続けたということでしょうか。」

「結果的にはそうだったと思います。“虎穴に入って虎児を得た”というわけで、いわばこれで“国体を護持できた”、あるいはゾンビのように国体を復活させた-というわけです。この国が一億玉砕をやめにして敗戦・終戦を認めた真の原因は、原爆ではなくソ連の侵攻だといわれています。なぜなら共産主義では絶対に国体は護持できない。だからアメリカへの降伏ならまだマシだろうと読んだわけです。敗戦が濃厚になってからも、膨大な若者たちを無駄死にさせた当時の権力すじの者たちで、戦後も生き延びた連中は、絶対に許してはならないと思います。

  旧帝国憲法はその中で、“天皇ハ神聖ニシテ侵スヘカラス、天皇ハ陸海軍ヲ統帥ス”としていましたが、しかし軍自らそれを無視して、実際は“統帥権干犯”という脅しをちらつかせておきながら、軍人は上は独断専行、下には私的制裁という形で、好き勝手なことをやっていました。例えば、満州事変とそれに伴う朝鮮からの侵攻、北印侵攻など、天皇の裁可なくして行った国境外への武力行使も少なくはなく、そのため政治的には国際連盟を脱退し、対米戦争も不可避になってしまったのです。しかしそんな軍人たちには後に首相になったのもいる。要はアンタッチャブルな最高権威を護持することで、無法制と無責任制を共存・温存させるのが、この国の組織と権力の基本なのです。戦後はその天皇の不可侵の統帥権が、米軍ならびにアメリカへと禅譲されたというわけです。このことがフィリピンやイラクでも米軍を撤収させている中で、この国だけが血税を費やしてまで米軍を居すわらせる根本的な原因だろうと思います。

  もっとも、常に対米隷属・従属とは簡単に言えない所もあるわけで、例えばかつてーター氏が、この国の再処理等の核燃政策にストップをかけようとしたことがありました。しかしこの国はここは従属することはなく、珍しく驚異的な交渉をし、1988年の日米原子力協定にてアメリカ側から包括的事前同意を得ることにより、六ヶ所村での再処理事業が可能になったといわれています。この国の外務省は、これを戦後外交の最大の勝利と言ったとか(10)。これだけのことができるのなら、沖縄の米軍基地はアメリカ側が撤退をほのめかしたその時期に、解消できたのではないでしょうか。対米隷属・従属が、都合に合わせてカムフラージュされることを、見抜いていく必要があるといえます。」

日米安保と同盟は“抑止力”という、よく言われている論理についてなのですが、それについてはどのように思われますか?」

「この国は歴史的にも地理的にも、中国・ロシア・アメリカという大国に囲まれた島国であり、大国のパワーゲームはマキャベリズムしか通用しない冷酷なものであり、それゆえ大国に囲まれれば一種の緩衝地帯として大国同士の戦場か代理戦争の場にさらされる。だからこそ軍事力が必要だ-というのが抑止力というものの発想だろうと思います。

  しかし、この抑止力とは結局は、人々が暴力に虐げられない力であると言えるのですから、それは暴力に対する暴力としてではなく、人々の賢さに基づく他はないのではないでしょうか。人々が常に学んで考え賢ければ、国内外のどの暴力や権力にも屈することはありませんが、そうでなければ結局は、国内国外かは問わず、暴力や権力に利用され、隷従を強いられることになるでしょう。

  また抑止力とは、単に軍隊を抑止すればいいものではなく、それは“戦争”というものが、時代を超えてその残虐な普遍性を保ちながら、巧みにその形態を変えてきている今日では、抑止力とはその全てから身を守るものでなければならないと思います。例えるのなら、私は今現在この国で進行している核汚染こそ、今日の戦争-しかも核戦争-だと思っています。そして目に見えるレンガ塀や有刺鉄線などではなく、目には見えない20mSvや100Bq等の基準値や、人々の棄民精神・無関心が、今日の戦争の収容所だと思います。そしてこれらに対する抑止力とは、軍隊や兵器ではなく、人々の自分で学んで考える賢さ以外の何物でもないと確信をしています。

  ロシアがウクライナを侵略し、虐殺を始めた時、この国でもこの抑止力が問題となり、核武装とより強固な軍備増強論が出て、“9条は空想論のきれいごと”とか評されました。しかしこの“きれいごと”を持ち出さなくても、核武装を表向きに堂々と公認すれば、核兵器原発は不可分なので、この国の全原発と核関連施設は永続することとなり、地震国であるがゆえに戦争の脅威どころか日常的に24時間放射線漏れの脅威を背負うことになるのです。また現にロシアが原発の攻撃をしたことから、原発等の核施設の存在自体が国防力と抑止力を著しく損なうことにもなるのです。

  では一層の軍備増強ー具体的には集団的自衛権=米軍との一層の同盟強化ーについてはどうでしょうか。20世紀の中国やベトナム、そして21世紀のウクライナが示したように、侵略者にレイプ、奴隷化、虐殺されていくよりは戦って死んだ方がマシというのが、個別的自衛権の究極だと思うのですが、これは(芦田修正があるゆえに)もとより9条でもカバーできていたものです。しかし集団的自衛権ともなると、アメリカが結局は存在もしなかった大量破壊兵器という因縁をつけイラクを侵略し虐殺をしたことに、加害者側として共謀し協力することになるのです。

  集団的自衛権ということで安保条約と米軍基地の存在自体がロシアや中国あるいは北朝鮮への抑止力になっているという意見というか解釈に関しては、例えばロシアが“北方民族はすべて大ロシアに抱合される”という屁理屈を掲げながら、第二次大戦で取りはぐれた北海道に侵攻を始めた時、肝心の米軍が新ガイドラインにあるように後方支援に徹することで安保条約を果たすといって基地内に引きこもり、ロシア軍との直接的な衝突を避ける場合を想像すると、安保と基地が抑止力というのは9条空想論に負けないくらいの空想論になるのではないでしょうか。“思いやり予算”は“おめでたい予算”というような、改竄あるいは書き換えが必要となるでしょう。

  第一、強い国が弱い国と集団的自衛権の名の下でグルになる時、強い国は弱い国を自国の軍産共同体の利益のために代理戦争の舞台とし、また、前線においては弱い国の軍隊を自分たちの防弾代わりの二軍としてこき使おうとするのであり、決して弱い国の国益にはならないのです。米露中といった大国・強国連中は、互いに矛先を交えることのなく、互いの暗黙の了解のもと代理戦争で儲ける先を常に探しているのです。ですから、このような米露中のただ中に存在する我々は、永遠の12歳や5歳や7歳ではなくて、真の意味で“独立”し、お互いに賢くなって民度を上げていくしかないのです。

  このように戦争や軍事力といったものは、“きれいごと”を持ち出さなくても、政治的にも戦略的にも結局は国防力や抑止力には貢献しないものなのです。“力による支配よりももっと賢明な方法がある”とは、聖書や仏典の言葉ではなく、ナチの宣伝相ゲッベルスの言葉です。アメリカはもっとも南方の沖縄に70%もの米軍基地を集中させているだけで、国土すべてに駐屯せずともこの国全体を属国化することに成功をしています。それは同じ侵略と虐殺でも、アメリカによるイラクのそれと、ロシアによるウクライナのそれとに対するこの国全体の反応の差異によくあらわれているのですが、より平時な次元で見てみても、おにぎり屋よりはマクドナルド、唐揚げ屋よりはケンタッキーが全国チェーンとして展開され、手塚治虫ランドやドラえもんランド、あるいはゲゲゲの鬼太郎ランドの方がよっぽど面白そうなのに、東西の二大都市には外来マンガのディズニーランドとユニバーサルランドがあります。人々は浄瑠璃よりもジャズを好み、歌舞伎の再来とも思われるタカラヅカにしてみても、筋書は和風でも音楽はすべて洋風と決まっているとのことです。つまり、軍事力よりもっと強く有効な力とは、以上の例から見られるような実は“文化”の力なのです。ですから、真に国防力と抑止力を高めたいとするのなら、これは文化を高めるのが一番賢明な方法だと思います。そのことを我々に教えたのは、実は世界一の軍事力と核兵器を持つアメリカであり、我々はこのことを現実に学習できたーある意味では恵まれたポジションにあったーともいえたのです。

  また、この“学習”に関しては、私は次のことを思います。ウクライナ危機でロシア軍による民間人へのレイプ、拷問、虐殺といったジェノサイドが発覚した際、ロシア側はそれを強く否定しましたが、同時期に検定という名の検閲により、この国の教科書からは“従軍慰安婦”の記述が消えていきました。

  私はこの二つのことは同じ原理によるものだと思います。私はこうしたジェノサイドの映像あるいは生存者の証言を体験する時、南京大虐殺も、慰安婦という控えめな表現で示されている性奴隷というのも、まったく異なった場所や時代のものではなくて、むしろ同時並行のもののように思うのです。これを単にロシアが悪いといって片づけるのは何も知ろうとしないのと同じで、現実や真実は、こうしたレイプや虐殺は世界中で日常的に起きていることであり、私たちは男尊女卑や人種差別というヴェールを自分自身にかけることで、この現実と真実をただ知ろうとしないだけなのです。

  人間は知恵の実を食べたことで知恵を得て、ものごとを知れるようになったとはいいますが、それはフィクションあるいはフィクションを想像する能力を持っているにすぎないもので、本当は人間はこのようにして現実や真実というものをまったく知ることができない、あるいは徹底的に知ろうとしないというのが真実であり、人間の知恵や自我というものは、ただ“あらゆる差別”の堆積物にすぎず、所詮はその程度のものなのだというのが現実なのではないでしょうか。」

「先ほどウクライナ戦争のお話がありましたが、この戦争を受け、貴国もかなりの影響があったと聞いていますが、それについてはいかがでしょうか。」

「日本はロシアによるウクライナ侵略戦争に便乗して、国が滅びるような首都圏250万人もの避難さえ検討された原発の重大事故から10年ほどしか経ておらず、その中で、この重大事故をなかったことにしての60年超老朽原発稼働を含む原発への最大回帰、また専守防衛をなかったことにしての大軍拡に舵をきり、しかもそれらを超1000兆円をまたさらに更新する国債発行や増税で行おうとしています。すべて歳入や歳出でファイナンスしているのならまだしも、今やこの国債の半分以上を日銀が買い上げていますから、事実上、日本は印刷機に紙幣と国債の双方を印刷させて、それらを交換している自転車操業状態であり、原発、軍拡、財政破綻と、まさにすべてが国家国民的な発狂状態にあるといえます。

  日本の5年間で43兆円にも及ぶ日米軍産共同体を大いに潤す大軍拡については、中国を仮想敵国とするもので、かつての侵略戦争と残虐行為を踏まえれば、これが倫理的に許されないものであることは勿論のこと、今やある意味で米ロに並ぶ軍事大国である中国を仮想敵国とすること自体が、かつての日米開戦と並ぶほど戦略的にもあり得ないことです。中国は言わずとも日本の最大貿易相手国であり、戦後のアメリカの戦略もあってこれほど自給率の低い日本は、中国からの輸入品が締め上げられれば、原発へのミサイル攻撃に比べると時間は要しますが、別に戦わずとも勝敗は最初から明らかです。

  ウクライナ戦争でよく言われるようになった“抑止力”について言えば、日本はこの抑止力が十分でないどころか、ゼロあるいはマイナス状態とさえ言え、それは既にアメリカに占領され続けているからです。ロシアのプーチンウクライナ侵略の当初つきつけたウクライナの非武装化という要求は、アメリカのマッカーサーが1945年に既に日本で実行したことでした(日本を反共の不沈空母とするため後に撤回しましたが)。私はこの“抑止力”という概念を、それを本当に“戦争にならない・させない抑止力”という意味で使うとすれば、むしろそれはアメリカが日本を台湾有事などとけしかけ、米中の代理戦争に日本が戦場にされないための“抑止力”として使うべきだと思います。

  よく日本の防衛力強化の口実として、北朝鮮の脅威なるものが挙げられますが、かつて不審船の騒ぎの後で周辺事態法が速やかに成立できたのによく似て(11)、北のミサイル発射で北海道に落ちるだの何だのとJアラートで大騒ぎをした直後に、沖縄の南西諸島に速やかにPAC3が配備されたのを見ると、この北への抑止力なるものの本当の狙いは何なのかを考えなければならないでしょう。同じ国民の生命と財産を守るというなら、なぜ北朝鮮のミサイル発射で原発を止めないのか? 違法な低空飛行を行い空から物を落としている米軍機にもJアラートを出すべきではないのか? ロシアでさえミサイル発射の資金の枯渇が噂されるというのに、北朝鮮の異様に潤沢なミサイル資金はいったい誰が提供をしているのか? 第一、政府発表というのなら、本当に北朝鮮のミサイルは発射されているのだろうか? その証拠はどこにあるのか? つっこみどころ満載ですね。金正日氏のミサイル発射を繰り返す瀬戸際外交が本当に“瀬戸際”と見られたのは、彼が自分の利用価値をアメリカの軍産利権に認めさせるまでの間だったわけであり、今では日米の幹部の誰もが北を瀬戸際とも脅威とも思っていないのではないでしょうか。でないと同じ朝鮮半島を母体とする宗教組織が、これほど日本の政治風土に根付いている現状と辻褄が合わないような気がします。勿論こうした事柄は立証できるものではないのですが、我々はみな同じ人間同士なので、お互い考えることは同じでしょうから、類推なり洞察なりが必要なのです。

  世界史的な視点で見れば、ウクライナ戦争で米英仏といった核大国、特にアメリカが注目しているのは、核大国間での21世紀における新たな“代理戦争の形”をいかに構築できるだろうかということではないでしょうか。それでおそらくアメリカが想定するのは、かつて第二次大戦の開戦後まもなく、ルーズベルトチャーチルが大西洋上で、独ソ戦によりドイツ人とロシア人がいかに多く消耗しあうかを模索しあったと言われるように、東アジアで中国人や日本人といったアジア人同士に戦争させて、それで自国の軍事産業をいかに潤すかということだろうと思います。ヒトラーは独ソ開戦にあたり、優秀なゲルマン人が劣等なスラブ人を支配するのは当然だと思っていたようなのですが、これと似た文脈で見るのなら、ゲルマン・アングロサクソン人より劣ったスラブ人同士の戦争、そしてアジア人同士の戦争を、彼らは高みの見物というわけです。ヒトラーやナチの発想というのは、何も彼ら特有の異常なものというよりも、同様なことが繰り返される歴史を見れば、これはかえって広く“一般的な”ものとさえいえるのかもしれません。人間=ホモ・サピエンスの行動原理というのは、一に差別=男女差別と人種差別であり、二に権力闘争とマキャベリズムであるというのが私の人の世に対しての見方です。」

「先ほど“国家国民的な発狂状態”という言葉を使われましたが、では、なぜこのような状態が現出するようになったと思われますか?」

「ロシア、ウクライナ、日本に共通するのは、これらの国でレベル7の最悪級の原発事故と国土の核汚染が生じたということです。それで我々当事国の国民が肌感覚で体験したのは、一度原発事故が起こり核汚染された国家には、ウソと強権とでもって、まるで“核こそ我が命”といわんばかりに、真実から国民を遠ざけ黙らせることに血道をあげる一種の“文化大革命”が生じるということです。そして国家権力がそれをするのみならず、多くの国民が積極的にそれに忖度し追従するということです。

  ロシアのウクライナ侵略を支えたのは、国民に広く洗脳的に行きわたった政府のプロパガンダといわれていますが、これと同じことは日本でも起こっていて、核汚染と被ばくという科学的な現実と真実がほとんどすべて“風評被害”という官製用語に置き換えられ、それを語ろうとする人々を“非国民”扱いしているのがその表れの一つといえます。それは国がさほど強権的なキャンペーンをはらずとも、多くの国民が自主的に“空気”を読んで、同調し、共鳴し、批判し、罵倒し、沈黙したのは、我々が経験し体験してきたとおりです。だからこれは一種の“文化大革命”といえるのです。

  結局、原発事故と核汚染がもたらしたのは、関東大震災の直後の虐殺事件に見られたような、国民=人間の集団に本質的に潜在する相互排除、お互いに敵対的なエネルギーに対してなされていた“瓶のふた”を外したということであり、いわば人間の“暴力の解放”なのです。これがいわゆるこの国の“新しい戦前”を生み、新しい発狂状態を生んだのだと思います。

  これに“軍部”が反応しないわけがない。戦前、関東大震災、2.26、5.15、満州事変等々、第二次大戦、太平洋戦争に至るまで多くの軍事があったように、戦後も、朝鮮戦争ベトナム戦争湾岸戦争イラク戦争ウクライナ戦争、JCO、スリーマイル、チェルノブイリ、フクシマと多くの軍事と核の事件とが相次ぐなかで、戦後自衛隊と称していた日本軍は、戦前同様、日米安保と米軍の傘下という“権威”のもとで、着実にその勢力を拡張してきたと思います。日本の場合、憲法上は“軍隊は持てない”ことになっており、そのために専守防衛を旨とする自衛隊となっているわけですが、これを理屈に日本国が軍隊を持てないから日米安保で米軍の駐留を認め米軍が日本の安全保障を担うというフィクションが通用し、それをいいことにこの国は米国に太平洋・東アジアの重要な軍事拠点を提供し続け(12)、それで米軍はアフガニスタンや湾岸・イラクに出撃し、ロシアがウクライナにしたような侵略をやってきたわけです。そして自衛隊と称している日本軍は、こうした米軍の虎の威を借りながら、日本政府がアメリカの属国状態でシビリアンコントロールがまったくのフィクションであるのをいいことに、周辺事態法、共謀罪、土地規制法、安保法、防衛費の二倍増等々、隠れた形ではあるが実質的には2.26や5.15なみの破壊力のある“軍隊組織の勢力と利権拡大のクーデター”をし続けて来たのではないかと、私は歴史的なそうした視点で見ています。

  かつてマッカーサーは、日本を“極東のスイス”とすることを理想としたようなのですが、皮肉なことにこの国はむしろ“極東のミャンマー”に近づいているのかもしれません。」

「ありがとうございます。Mr.タカノへのインタビューもいよいよ終盤となりました。私は映像作家として、多くの次世代、若者たちを取材等で接していますが、若い人々-特に10代、20代の彼らに対して、政治活動、あるいは社会運動の側面で、どのようにかかわっていけばいいと思われますか?」

「同じ人間である限り、どこの国でもいえることとは思いますが、以上申しましたように、この国でも根本的に決定的な欺瞞が進行していたわけです。欺瞞には常に犠牲がつきもので、安保には主に沖縄、高度経済成長には朝鮮・ベトナム戦争や、水俣事件など公害という名の大量傷害・殺戮がありました。国民は時の都合でより立場の弱い者を棄民して切り捨てては、何とか多数者の“和”を保ったように見せかけてきたのですが、それはツケを先送りしたにすぎず、堆積した欺瞞とツケは必ず因果応報となり、社会に矛盾と不条理が耐えがたいほどのレベルで噴出するようになります。しかし例えは悪いがこれはガン細胞にも似て、気づいた頃にはすでに大きく手遅れであり、100Bqに見られるように、人々はもう見て見ぬフリ、無視するか無関心を決め込むしか選択肢がないのでしょう。

  祖父と父とそれ以前の何世代にもまたがって、このような欺瞞とツケの先送りを、惰性で垂れ流してきた私たち旧世代は、次世代の若者たちに、いったい何を伝えられるというのでしょうか。この国の3.11以降でも、世界ではフランスや香港などで何百万人もの大規模抗議行動が、政府の動きを変えさせるまで続きましたが、史上最悪の原発事故の当事者であるこの国では、最初の原発再稼働の直前の一瞬だけで、大規模抗議は権力がさほど弾圧しなくても下火になって、自然消滅していきました。この違いは大きいとは思いますが、その原因の一つには、やはり今までの欺瞞のツケが耐えがたいほど堆積して、だれもが自分が信じる拠り所を持てなかったからではないかと推測します。

  ただ私は、市民たちが権力に対して感じるいわゆる“無力感”というものに関しては、何も無力感にさいなまれて絶望することはないと思います。ヒトラースターリン、ブッシュあるいはプーチンといったいわゆる巨悪が行った一連の巨大な犯罪群といったものは、彼らの人格や性格によるよりも、彼らが登場するはるか前から醸成されていた無数の普通の人々や市民による人種差別などあらゆる差別や金儲け・貪りが堆積した結果として表面化したものであり、その意味では無力な普通の人々が、巨大で巨悪な暴力の無数の源泉を成していたといえるのです。だから私たちは、自分自身の無力感の源泉をよく見つめなおす必要があり、これらを通じて人間というものの真実を知るべきだと思います。

  しかし、現実はもうこのような次元を超えて、もっと深刻なのかもしれません。全ての命を断つ原爆の罪深さの延長上にある原発が、核を放出したら最後、どの国でも3.11以降のこの国と同じことが起こるのかもしれません。それは人間は核を守っても自分の子供を守らないという事実で、これが目には見えない放射能があえてこの目に見せてくれた、見たくもないもっとも大きな現実なのです。だから問題は、政治的・社会的なレベルを超えた、われわれ現生人類=ホモ・サピエンスの種の保存、生物の一種としてこの地球上で生存する“生存適格”に関わるものなのかもしれないと、最近、私もテツオ君4人たちと話をするなか、思うようになりました。そしてここに、神の創造に相反し、全ての命を絶つ原爆と核を世に放出した、私たち人類への何らかの“因果応報”が、あるのかもしれません。」

  アイ氏によるタカノ氏へのインタビューは、ちょうどここで終わっていた。

 

  やがてドキュメンタリーは編集を終え、DVDの完成版をたずさえて再度来島したアイ氏とともに、皆が見つめるなか喫茶室での試写会が行われた。試写を終え、テツオたち4人はひとまず安堵したようだった。これで彼らの『子ども革命独立国』は、世界の同世代の人たちへと語りかけるツールを得たのかもしれない。4人はそれが水面下を行くように、決して表に大きく出ることなく、静かに伝わっていけばいいと思った。そして4人は世間に出る卒業までの残りの時間を、この島で有意義に過ごせることを、切に祈ったようである。

 

 

第十章 黄金ひ

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  ドキュメンタリーがリリースされて冬が来て、高校2年から3年への年が明けた。今日もテツオはキンゴがいる教会兼図書館で、彼が思う新人類への進化に向けて話をしている。そして話が進んでいくうちに、キンゴはふと、こんなことをテツオに尋ねる。

「ねえ、テツオ。“性・SEX”って、何であるんだと思う?」

  キンゴの男にしてはやや高いキンキン声が、SEXという発音を教会の壁に妙に残響させながら、テツオの耳へと入ってくる。

「それはその名の由来どおり、生物同士を“分ける”っていうことから来てんじゃないか。オスとメスとに分かれた個体が生殖の際、遺伝子を交換しあうことにより、多様性をより保ち、遺伝子コピーの損傷を修復しつつ、突然変異の不安定をセーブしながら、環境の変化にも適応できるようにするため-というのが定説らしいよ。」

「定説というのなら、僕たちならまず疑ってみたいよね。多様性の面ではさ、確かに有性生殖は有利だろうと思えるけど、でもオスとメスの有性生殖っていうのはさ、メスだけで何世代もメスを生み続ける無性生殖・単為生殖とは異なって、配偶者が得られないリスクって大きいと思うんだよ。性生殖の方がより確実で効率よく生殖できるし(1)、有性生殖の方が環境変化に適応できるというけれど、境が安定したら性生殖を捨てる生物が出てくるなかで(2)、何で多数の生物が有性生殖を維持するのか。また、環境変化に対応する突然変異が進化の原動力という説があるなか、有性生殖するおかげで変異遺伝子の組み合わせは進むだろけど、また一方ではせっかく変異してみても有性で掛け合わされてボツになるってこともあるだろ。突然変異があらわれる頻度自体が何万分の一の低さで、それがなおかつ環境変化に有益なのは、また更に低いだろ。」

  キンゴはここまで語ったところで、疑わしげに声を低めて言うのだった。

「この定説にはさ、ある学者が言うように、性生殖は進化のためだという暗黙の仮定がある(3)のかもしれないよ。だから僕が思うには、有性生殖、性・SEXがあるのには、他にも何かワケがあるんじゃないだろうか。」

「・・・、SEXの快感が、欲しいからかな・・・」

  と、テツオは返してみるのだが、キンゴはそれは想定内といった感じで、またすぐ返してくるのだった。

「いーや、それがサ、二人でやるSEXの快感は、実はさほどのモンじゃなくって、一人でやるオナニーに、男女ともにはるかにイクッて話だよ!」

  キンゴはまたこんな事を、平気な顔してテツオに言うが、テツオはこれはキンゴのKYというよりも、ひょっとして自分に何かを暗示しようとしているのではと、妙に構えたい気がしてくる。

「そ、それは、人間だけのことだろよ。動物でもするのはいても、人間みたいに誰もかしこも、隙あればオナニーなんて、しねえだろ。」

  しかしキンゴは、またすぐに返してくる。

「いや、まさにそこン所が肝心なんだよ。有性生殖をしているクセに、あえて単為生殖みたいなオナニーにSEXの快感を託している人間って、不思議だと思わないか? つまり僕が言いたいのは、他の動物たちとは異なって、人間だけが性・SEXを快感とか享楽とか、あるいや愛や聖とかに、“分ける”すなわち、相対化させているのではないだろうかってことなんだよ。」

  テツオはここで、キンゴもしっかり考えてくれてるようだと安堵して、思ったことを口にする。

「なあ、キンゴ。快感って感覚でしかないからさ、この問題って例えばさ、旧約聖書の創世記にある、アダムとイヴが知恵の実を食べ、知恵を得たあと、真っ先にしたことが自分の陰部をイチジクの葉で覆い隠した-ということに、何か暗示されているのではないだろうか・・・。」

「そうだよなあ! だってその時楽園には、人間の男女といえばこの二人っきりで、それなら葉で隠すよりかは、そのまま直に濡れ場に入ってズッコンバッコンやりまくってもよかったわけさ。だけどそれなら、聖書が性書になっちまうよな。」

  テツオはキンゴのこの返しに、いい加減疲れてくるが、しかしキンゴはここでまた、理論家みたいな顔になる。

「・・でも確かにそうだよな・・。何で最初にしたことが、SEXよりイチジクの葉隠しなのか・・・。

  テツオ、やっぱりそうだよ。この話が暗示するのは、最初のヒトのアダムとイヴは、知恵の実を食べ知恵を得て、まず自分たちヒトが、男と女に分けられることを知った-ということなんじゃないだろうか。だから彼らは、そのまま性欲にかられてSEXするより、知恵のために男女の性が分けられるのを知ったことがまず大事で、その印がイチジクの葉隠しなんだよ。」

  そしてキンゴはここまで話すと、テツオの目をじっと見つめる。それはより核心に入ろうとする前触れか、もしくはやはり、彼は僕に何らかの気があるのか-と、テツオは感じる。そして同じ美形でも、テツオとはまた趣の違うキンゴの柳腰の細身の体が、室内仕立てのシルク肌に艶やかな黒髪とバラ色の頬とを伴って、近づいてくるかのように思えてくる。

「・・それどころか、僕が今言った“性欲にかられてSEXする”という、僕ら普通の人間の発想を、知恵の実を食べるまで、ヒトは持ってなかったかもよ。つまり、性を男女・雌雄に分けたことが、ヒトの知恵である“分ける=すなわち相対知”の始まりと解釈するなら、ここから初めて性・SEXと快楽とをヒモづける=相対化することができるわけさ。だから、やっぱりテツオ、オナニーなんだよ。」

「な、何で、ここでまた、オナニーなんかに戻るんだよ?」

「いや、だからさ、性・SEXから快感だけを分けて取り出し、本来は自然の生殖行為であるSEXから、人間はその快感だけを独立させて分けて取り出し、刺激をまさに極大化したオナニーを、いわば自然から分離抽出したってわけだ。ひょっとすると、この人間の器用な手先も、オナニーから進化したかもしれないよ。」

  テツオは、畑の鳥の対策を思い出したとか言って、キンゴの教会兼図書館から抜け出てくる。

  -あー、疲れた、疲れた。あいつは何でいっつもあーなんだ。そういやお釈迦様のお弟子にもアーナンダっていたみたいだが・・。あいつは局所的にどうもリアルで、それが空気を読めないKYなのか、言葉が読めないKYのせいなのか・・・。だからどこまでがマジな理論で、どこからがジョークになって、どこからが俺に対するフェイントなのかが読めねぇんだな・・・-

  テツオはキンゴに言われたのを気にしながら、左手先をあえて器用にこねくりまわして、彼の仮説を検証しているその間に、気になる思いが湧いてくる。

  -アイツ、まさか、ひょっとして、俺より先に筆おろし、童貞を破棄したんじゃないだろうか?-

  テツオは今さらながら同じ男のキンゴに対して、妙なライバル心を抱きながらも、ここはやっぱし放っとけねーと、通りすがりのフリをして、浜辺で作業をするヨシノと話そうと思うのだった。

  -ヨシノはキンゴパパの影響を受け、受験のストレス解消にも効果ありと、最近落語にはまっているよな。だからここは『明烏(あけがらす)』という噺で振りつつ、少々意地ワルかもしれないが、その反応からキンゴの様子を探ってみよう-

  『明烏』とは、大店の跡継ぎのボンボンが、世間知らずで勉強ばかりしているのを見かねた親父が、悪友二人にそそのかせ、息子を無理やり吉原で遊ばせて童貞を放棄させるというお話しなのだが、テツオが県の商店街の電気屋でテレビで見たとの話をつくると、ヨシノは作業もそこそこに、テツオと話をし続けようと漁船を出てくる。

「そう、そう、それってあたしもこの間、キンゴと一緒に図書館のパソコンでDVDで見たんだから!」

「えっ、DVDって、文楽の?」

「いや、人形じゃなくって本物よお。ホラ、写真のとおり目じりを上げたマスカラに、真っ赤な唇ゥ。」

「・・・、それで、キンゴは、何て言ってた?」

「彼・・? 彼はやたらに興奮してさ、きれいだ、きれいだ、美しいって。勢いがあり、伸びがあって、太くて、艶やか。特に高い所から低い所へしなる感じがタマらないって! でも彼には少々悪いんだけど、あたしはそのまま寝入りそうな・・。でさ、彼が言うには、全盛期は30歳代までなんだって。だから聞くなら今っていうみたいな・・・」

「・・30歳代まで、利くなら今って。・・それって、ちょっと、短いような・・・。あと、彼は何か言ってた?」

「なんでもそれから、オナ何とかが、どうのこうのと・・・」

「彼はまたしても、オナ・・・。 ・・ところで、ヨシノ、この話って、本当に明烏・・?」

「エッ?テツオ、『あたしはカラス』って映画の話をしてんじゃないの?」

  テツオはキンゴの筆おろしは、どうやら思い過ごしらしいと、一人浜から帰っていった。

 

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  冬が去って、春となった。4人もこれで高校の3年生。いよいよ卒業まであと一年を残すのみとなってきた。テツオの畑も、島での最後の春まきになるかもしれない。冬にまいた小麦たちも寒さをしのいで無事育ち、エンドウもソラマメも虫に喰われず収穫を迎えれそうだ。シュンギクなどアブラナ科の黄色い花が春先に、目覚めるようにいっせいに咲いている。枯れていた冬の茶色が再び青く覆われて、鳥がさえずり虫が飛びかい、大地の歌がこの島のここかしこから聞こえてきそうだ。

  卒業まで一年となるに及んで、テツオはますますレイコのことを思うのだった。彼はスリーシスターズが喫茶室でたむろしていて、彼女たち三羽カラスのダベリングがない時に、レイコが一人、店番しながらお茶しながら、BGMに耳をゆだねて、本を読んだり書き物したりしているのを知っていた。

 

  ある晴れた春の午後、木漏れ日の降りかかる喫茶室の窓越しに、そんなレイコを見とめたテツオは、思い切って彼一人で喫茶室へと入っていく。レイコはカウンター席の奥、いつもの店長席にいる。

「あら、テツオ君。今日は畑、もう終わったの? もしよろしければ、お茶していかない?」

  テツオはこのレイコの一言に、実はレイコも彼と話をしたいのではと、期待した。彼は少し高めのカウンター席、テーブルはさんでレイコのちょうど真向いに腰を掛ける。

  いつでもお茶が入れれるようにと、ニッケルメッキのケトルには、すでにお湯が沸かせてあった。

  レイコはそこからまた同じメッキのポットへとお湯を移すと、コーヒーカップを選ぼうと、戸棚に向かって手を伸ばすが、テツオの目はその後姿を追っている。

  -トップスは、レイコさん定番の白いブラウス、なだらかな肩、背中から腰にかけてのJライン、ボトムズは僕の好きなボルドーのタイトスカート・・・。まだ寒さの抜けぬ春このごろ、この色合いがマホガニーのカウンターによく映える。レイコさんの髪の色とも相まって、ケトルとポットのメッキには、午後の光が反射し合って、この人の白い背筋をいっそう際立たせているかに見える。-

  -レイコさんが選んだカップは、ワインレッドの縁取りに金メッキが入ったもの・・、レイコさんはマンデリンを飲まれる時、いつもこれを合わせるんだ。だから僕も今日はマンデリンを・・。そして僕のは、シャガールの絵入りのカップを、選んでくれた・・・-

  レイコはカップに湯を注ぎ、あたためながら、ミルで豆をひいたあと、ドリップでコーヒーを入れるのだが、テツオは陶製のカリタ式にペーパーをセットする時、レイコがいつも指先でチョンと押すのが、心地よく見えるのだった。豆の香りが室内に漂いはじめ、テツオがその香りを追いつつ、湯気の動きを見つめていると、レイコの方から先に話しかけてくれた。

「テツオ君、渡航に向けてシンさんから、料理と英語は順調に、習っているの?」

「エ? ええ、まあ、それは、ボチボチです・・。」

  レイコは優しく微笑みながら、ポットからカップに乗せたカリタ式へと湯を注ぐ。マンデリンの滴の音さえ、聞こえてきそうだ。レイコもじっと、その抽出の様子を見ている。

「あなた達の進化論の研究は、進んでいるの? 大学みたいに卒論が、出来たりして・・。」

  恥ずかしそうにうつ向いているテツオを横目に、レイコはなおも嬉しそうに湯で盛り上がったカリタの中へと、二回目の湯を注いでいき、マンデリンの香が室内にたちこめ始める。レイコのかけたBGMが聞こえてくる。曲はバッハの、無伴奏チェロ組曲・・か。

  二人はそろって、それぞれのカップの縁へと、唇をつけていく。

「あ、そう、そう、私ね。テツオ君には是非これを、話そうと思っていたのよ。」

  と、レイコは思い出したように席の下より本を取り出し、ページを開いて前のテツオにさして見せる。見れば、植物の葉の配列と、茎の図があり、そのまわりには細かく数字が打ってある。

「これは『自然にひそむ数学』(4)という本で、植物の葉が茎につくのは順序があって、これを“葉序”というんだけど、太陽光を有効に受け取るために、“隣り合う葉がお互いに重ならない”という一定の法則があるらしいのね。それで葉は茎のまわりを回転してらせん状について上がっていくんだけど、その回転数と葉の数とを追っていくとね、各々、“1,1,2,3,5,8,13,21,34・・・”って数列になっているのよ。で、このことは、木の幹の枝分かれの本数を年ごとに追っていっても見られる現象なんですって。もちろんこれらは植物すべてではないらしいけど。」

「それって不思議な数列ですよね。この数列には、ひょっとして規則性があるのですか?」

  テツオはレイコの襟なしブラウス、ピンタックの白い胸元、その間の、ブラックパールのようなボタンが織り成している幾何模様にも気を取られつつ、この数列に目を近づけようとするのだった。

「この数列は“フィボナッチ数列”といってね、その各項は、1,1,2,3,5,8・・・と続くのだけど、1+1=2、1+2=3、2+3=5、というように、連続する直前の2項がその次の数になるわけで、つまりこれは、“葉がお互いに重ならず日の光を受け取れる”ということの、数列的表現といえるのよ。」

  レイコはここでまた一つ、ページをめくる。

「で、この数を辺の長さとする正方形を、巻貝みたいにうず巻状に敷きつめていった場合、その形は“黄金長方形”になっていくらしいのよ。つまり、“無限に続く平面は、1辺の長さが無限に続くフィボナッチ数列=1,1,2,3,5・・・で与えられる無限の正方形によって、うず巻状にすき間なく覆うことができる”、その上に、“その正方形で覆われた長方形の縦と横との辺の比は、限りなく黄金比に近づいていく”ということなんですって!」

  テツオには目の前にいるレイコが、いつになくハイになっているようなのだが、彼は見せられた正方形も長方形も、わざと見えにくそうに眉をしかめて見入るのだった。

「先生、すみません。その“黄金比”って、何ですか?」

「テツオ君、あなた絵が好きなのに、黄金比を知らないの? じゃあ、このページも見るといいわよ。」

  と、レイコ先生が開かれたのは、

  -ワッ! これは女性のヌード像! 先生みずから何でまた? 左側は“ミロのヴィーナス”、右側には“アングルの泉”・・。へそを境として頭から足先までが、“1:1.618の黄金比”で分割されるのが最も美しいとされる・・、そうか、これが理想の裸体美なのか・・・-

  テツオがなおも眉をしかめて見入っていると、

「テツオ君、あなたって、近視だっけ?」

  と、レイコは少しいぶかしげだが、彼の願いとねらい通りに、隣に座ってあげるからと、カウンターから出てきてくれる。

  -ボルドーのタイトスカートは、“アングルの泉”よりも線もはっきり膝下丈で、その続きは黒の透け過ぎないストッキングにブラウンのスエードパンプス・・・-

  テツオはレイコが隣に腰かけてくるわずかな間、配色と、ゆるやかな肢体のライン、そしてそれらがこの黄金比に適うかどうかを見極めようとするものだから、たちまちキャパオーバーとなってしまった。

「でね、テツオ君、この話のオチはこれではなくてね・・・、」

  と、レイコは新たにページを見開く。

「また、1、2、3、それから4=1+3、5、6=1+5、7=2+5、8、9=1+8・・と続くように、“すべての自然数はフィボナッチ数の和で表せる”ということなのよ。これをまた、5=1の二乗+2の二乗、8=2の二乗+2の二乗、13=3の二乗+2の二乗、21=4の二乗+2の二乗+1の二乗・・と続くように、“自然数は高々4個の平方数の和で表せる”という四平方の定理と関連付けると・・・、」

  レイコはここで先ほどの、フィボナッチ数列による黄金長方形の図を見せる。

「これは全て正方形でできているから、各々の対角線も無数にひけて、全て直角三角形でできているということになる。そこで、直角三角形の2辺と斜辺の間には、各々2辺の二乗の和は斜辺の二乗に等しいという“ピタゴラスの定理”が成り立つよね。これを今まで見てきた所と関連をつけてみると、

○光が植物へと教えたフィボナッチ数により、すべての自然数が表せる。そして、

○それは黄金比の美をあわせもつ。その上、

○フィボナッチ数の正方形は無限の黄金比の長方形を形成し、そこには常にピタゴラスの定理がある。

 ということが言えるよね。」

  レイコはその目でテツオを見ながら、マンデリンを一口すする。テツオもゆっくりうなずきながら、あわせるようにマンデリンを、一口すする。彼は説明してくれるレイコの、ゆるやかなスリーブに締められたカフスから出る綺麗な手と指先とに魅せられつつも、ここは何とかついていっているようだ。

「ではここで、この本の内容とフィボナッチ数からは一度離れて、改めて“ピタゴラスの定理”を見てみるとね、まず、この定理から、“光が時間と空間の絶対的な基準となる”という意味でのアインシュタインの『特殊相対性理論』が導けるのね。

  それとピタゴラス(5)は、弦を弾いた際の調和音=協和音程の数の比が簡単な整数で表されることを発見して、ピタゴラス音階というのを作っていて、これが現在まで使われている楽曲の12平均律にきわめて近いといわれている。

  そしてこれは、ニュートンの『光学』からの一節(6)だけど、ニュートンはここで光の色のスペクタルと音階とが調和することを論じていて、その音階はドリア旋法=教会旋法を意識したといわれている。教会旋法とは、かのグレゴリウス聖歌がその起源とされていて、ドリア旋法による有名な曲の中には、あの“グリーンスリーブス”も含まれるのよ。ちなみに、テツオ君、この曲をギターで弾ける?」

「は、はい。一応、弾けます。」

  レイコは安心したように目で微笑むと、また別の本を取り出しては話し続ける。

「これは“色度図”(7)といってね、どんな色でも赤・青・緑の3原色で表せて、この3つをベクトルの成分として扱うと、すべての色を平面上に表すことができるのね。それがこの色度図では、すべての色はこの図の三角形みたいな曲線で囲まれた内側で表せるというものなのよ。

  要するに、ここまで来て私が思っていることは、“光と、音と、色と、幾何=数学とは、互いに調和しあっていて、その元とはやはり光なのではないだろうか”ということなのよ!」

  レイコはここまで一気に話すと、再びカップに口をつけ、目に微笑みをたたえながら、テツオの方をじっと見つめる。

  テツオはレイコの目線を感じながらも、彼もカップに一口つけると、レイコにいざなわれるままに、何か閃いたようである。

「先生、ここに“元素の周期表”と紙って、あります?」

「あるわよ。ちょっと待っててね。」

  レイコはカウンターの内に戻ると、席の下から元素図鑑と紙とを取り出し、目の前のテツオに示す。テツオはしばらく本をめくりつつ周期表を眺めていたが、考えているうちに、やがて元素の電子殻と、そこに入る電子の最大数とを次のように紙に書き出す。

 

  電子殻-そこに入る電子の最大数

  K殻-2、L殻-8、M殻-18、N殻-32、O殻-50、P殻-72

 

「テツオ君、それ、何をやろうと、されてるの?」

「先生、いつか、ニールス・ボーアの説として、“電子がその軌道を移る際にスペクトル=光の色を放つ”と言われて、また、ニュートンの『光学』からは、“質と光とは、互いに転換できるのでは。物質から光へと、また光から物質へと変化するのは、自然の過程にふさわしい”(8)との一節も紹介して下さいました。それで僕が閃いたのは、電子が光を放つのなら、物質=元素の世界にもフィボナッチ数があるんじゃないかと。元素はその原子核の陽子の数=電子の数で決まるのだから、例えばこの周期表の電子殻の電子配置や電子の最大数などに、フィボナッチ数が秘められているのではないだろうかと。そしてそのことが、ニュートンが言った所の物質と光との互換性の証の一つになるのではと-思ったのです。」

  レイコはテツオの言葉を聞き終わると、静かに、しかし感嘆を込めた強い口調で、こう答えた。

「テツオ君、あなたの今のその発想って、素晴らしいと思うわよ。ぜひ考えてみるといいわ。」

「先生、僕、今からここでマンデリンを飲みながら、考えていていいですか?」

「ええ、どうぞ。私は前で豆選びの作業をするから、質問があれば、何でもしてね。」

  レイコは店長席で豆選びの作業をしながら、元素図鑑を参照しつつ、紙に数字を書いては消し、書いては消しを繰り返すテツオの様子を、静かに見守ろうとする。テツオはテツオで、これでレイコと時空間を、至近距離で長時間、共有できる喜びを感じながら、言葉に甘えてこの際何でも聞こうとして、彼が質問する度に、前から身を乗り出してくるレイコに見入る。-ああ、美しい元素図鑑に、美しい女性が映る。元素の原子の微小さに負けず劣らず、僕の目鼻は、彼女のその髪はもとより眉のはえぎわ、ファンデやチークの匂いまで、今日のこの日の感覚の収穫におさめようとしているようだ・・・-

  しかし、そうこうする内に、テツオはある算式を思いつき、レイコがそれを、更に8の倍数で表したらとのヒントを得て、テツオは最終的に次の式を得たようである。

 

主量子数 電子殻 最大電子数 この最大電子数をフィボナッチ数Fで表す

               F8 ×{F(1~5)+F(1~3)+F1}+F2

 1   K   2  2= 2 × 1

 2   L   8  8= 8 × 1

 3   M  18 18= 8 ×{1 + 1}+2

 4   N  32 32= 8 ×{2 + 1 + 1}

 5   O  50 50= 8 ×{3 + 2 + 1}+2

 6   P  72 72= 8 ×{5 + 3 + 1}

 

  レイコはこの算式を見つめながら、テツオを見て深くうなずく。

「うん。概ね、第1項はフィボナッチ数の8でくくられ、第2項と第3項とは、各々1,1,2,3,5と、連続するフィボナッチ数となり、第4項は1,1,2とはならないで1,1,1となっているから、ここでフィボナッチ数の連続は止まるのね。でも、M18とO50の式の第5項の+2って、何だろうね?」

  レイコもテツオと同様に、元素図鑑の周期表と電子の配置図すべてに渡ってページをめくって、考え続ける。テツオはこの時、レイコがいつもの先生としてではなく、今や彼と同じ目線でいっしょに事を考えてくれるのに、とても幸せな気持ちがしたが、ややあって、どうやら解明できたようだ。

「この図をちょっと見てごらん。これは電子配置のエレルギー順位の列なんだけど、3・M、4・Nとは主量子数と電子殻で、その各々に3s、3p、3dみたいにs、p、d、fって電子軌道があるのだけど、電子はそのエネルギーの低い順から入っていくのね。それで、M18式の+2は、M殻の3s、3p、3dの計18個の電子が埋まるその前に、最外殻の4sの2個の電子が先に埋まるということを示しているんじゃないのかな。同様にO50式の+2も、O殻の5s、5p、5d・・、これは実際に埋まることはないのだけど、原子番号80のHg=水銀までは最外殻の6sの2個の電子が先に埋まるということかしらね。

  というのは、元素の性質はその最外殻の電子の数に深く関係しているから、フィボナッチ数はそれを予見しているのかもしれないよ。」

「でも先生、それならなぜN32式の5sや、P72式の7sにも、各々+2とあらわれてこないのでしょうか?」

「それはおそらく、この電子配置の図にあるように、N殻の4s、4p、4d、4f計32個の電子が埋まるその前に、先に5s、5p、6sと最外殻が埋まっても、その電子数は1から8まで変わるので、+2とはあらわせないって解釈すれば一応の説明はつくのかな。それとね、P72式に+2がない理由は、この周期表にあるように、電子が7s軌道に入った後の元素はすべて放射性元素になっていくのね。それとP72式が、8×{5+3+1}となって、最後の1が2とならず、ここでフィボナッチ数の連続が止まるのも、6pまでは進めても、放射性元素に入る7Q殻へはフィボナッチ数は進めないというように解釈できるよ。Q98=8×{8+5・・・}も成り立たないでしょ。」

「ということは・・、フィボナッチ数で元素の周期表を読んだ場合、フィボナッチ数は放射性物質を自ら拒む-ということでしょうか。」

「非常に興味深いけど、確かにそう読めるのかもね。自然の光に由来するフィボナッチ数という“光の教え”あるいは“光の知恵”は、ガンマー線も光ではあるとはいえ、元素としての放射性物質を認めていないと解釈できるということに、私はやはり“光が世界を統べている”と、思うのだけどね・・。

  でも、もちろん例外はあるにせよ、元素の周期表と電子の世界に、フィボナッチ数を関連させて簡潔な算式で示してくれたテツオ君の発想って、素晴らしいと思うわよ。」

  テツオは、レイコと一緒にいたかったから始めたこの元素とフィボナッチの思いつきを、かつてないほどレイコに深く褒められたのに、思わず照れ笑いをしてしまったが、レイコはそこで店長席から立ち上がると、腰に手をあて、目を見開き、紙上の苦闘の跡を振り返って、感嘆の敬意のこもった眼差しでテツオを見つつ、言葉を発する。

「テツオ! あなた、本当に成長したね!」

  テツオはレイコに、初めてこんな風に呼び捨てにされたのが、何だかとても嬉しくなって、思わず涙が出そうになった。しかし彼は、ここで自分が涙を流せばレイコさんも泣くのかもと思いとどまり、嬉しそうに見守っているレイコの前で、なおも照れて、笑みを浮かべてしまうのだった。

 

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  数日後、テツオは畑仕事の休息にと、木造校舎の喫茶室へと近づくと、今度はスリーシスターズの豪快な笑い声が聞こえてくる。

「テぇツオぉーッ! あんたもちょっとこっち来て、姉様たちと、いっしょにお茶していかれなんし。」

  そう言うのは、アフリカのケバい民族衣装のその上にクジャク模様のド派手な帽子を被っているミセス・シン。そればかりでなく、カウンターの店長席のレイコの前には、堂々たる友禅の着物姿のタカノ夫人も座っている。

「み、みなさん・・、お揃いでモリにモった盛装されて・・、県で何か行事でも、あったのですか?」

「テツオ君。あなた達に続いてね、私たちオバサマも、ついにこれから革命を起こすのよ。」

  と、タカノ夫人は鎮めた口調で、テツオに語りかけるのだが、あとの2人は、そのオバサマという呼称には、違和感を感じているようにも見える。

「でネ、今日がその決起集会の日で、闘争方針採択の後、県のメインストリートの銀天街から県庁まで、全員で久々のデモ行進、してやったのよ!」

  と、ミセス・シンはお披露目といわんばかりに帽子をゆらせて、テツオに一枚、紙を手渡す。

「・・・“熱烈愛国Veni女たちの会”って。こんなウヨクっぽい名前、これが皆さんの革命の会なのですか?」

  見ればその会の名の真横には、コスメチックな面持ちで、白地に赤紅キスマークの、シンボルまでがついている。

「こうでもしてカムフラージュしないとね、どっこも会場貸さないのよ。」

共謀罪でどんどん逮捕してくるからさ、中国と同様に、上に政策あれば下に対策ありってことなのよ。」

「でも、この会のスローガンって、“国土防衛、子孫繁栄、我が闘争に勝利万歳=ジーク・ハイル”って、まるでナチスじゃないですか。それに“Veni Veni 神の国は近づいた。シダのムスまで栄えあれ”なんてことも書いてるし・・・」

「いや、この会ってもとはと言えば、牧師様が立ち上げた“子供たちの未来を守るスダチ女たちの会”っていう名前だったのだけど、それだけで標的にされちゃうし、家宅捜査でパソコン押収されるのもバカバカしいから、名よりも実を取ったのよ。それに、別にこんなスローガンでも、反原発に反被ばく、反安保、反対米従属、反軍国主義って内容も、満たせるっていうもんですよ。いえ、それどころか、これこそが、国土と子孫とを守る究極の愛国心、私たちこそ正統の国防婦人会って言えるのです!」

  タカノ夫人のこの物言いは、本会の代表として議事を仕切った余韻だろうと思われる。

「3.11の原発事故を契機として、原発の再稼働に特定秘密に共謀罪、安保法に改憲国防軍、そしてついには徴兵制と、権力には好き放題やられているけど、あたしたち、オネエサン、オバサンたちは、子供たちの未来のために、口をつぐんだままヘタばるわけにはいかないのよ!」

  ミセス・シンも頭にのせたド派手な帽子のクジャクの羽根を、小鼻にのせた銀ぶちメガネに連動させてゆらせては、テツオに語る。そしてタカノ夫人は身を乗り出し、本会の決起の意志を示しているのか、真っ赤な口紅テカらせながら、ベッコウみたいなメガネの奥から座った目線を光らせながら、テツオに語る。

「テツオ君、これはね、あなたたち次世代をこんな腐った世の中に晒してしまった私たちの責任なんです。この国の行き詰まりは、すべて3.11で明らかになったというのに、相も変わらず原子力ムラ=安保ムラ=軍産官共同体の思惑に乗り、彼らの投げる変化球ばかりにとらわれ、人権の要である被ばくを置き去りにしておきながら、やれ憲法だの民主主義だの9条だのと、もともと実態のないものを流行みたいに追いかけては、人権の本質を無視してきた私たちの市民運動を立て直さねばなりません。あなたたち次世代は、人間としてのカルマはあっても責任は及ばない。健康で文化的に自由に生きる権利がある。こうしたデモや座り込みの闘争ごとは、私たちの世代が負うのが当然のこと。あなたたちは徴兵制で捕まる前に、軍や核など権力の魔の手を逃れて、この国を出てもう国外で、勉学に修業、そして芸術など文化にこそ、その青春を費やしていらっしゃい。」

  そして実際、海外で生活していたミセス・シンが続いて述べる。

「そうよ、テツオ。確かに外国に行ったとしても、現実に差別はあるし、水もあわず言葉も習慣も異なるから、苦労は多いと思うけど、核汚染を省みず、子供に20mSvや100Bqを適用し、徴兵制で殺し殺され殺させようと若者を扱う国には未来はない。それにまた地震津波原発事故が起こった際、実際にあり得ただろう250km圏外への強制避難ってことになったら、住める所などどこにあるの?

  外国へ行くことが根本的な解決にはならないとはいえ、それでもまずあなた達次の世代が生きていけるということ自体が大切なのよ。だから可能性のあるうちから、一度は外国へ出ておいて、世界のどこでも生きていけるよう勉強して、気概を持っておくことは大事だと思うのね。」

  オバサン、そしてオネエサンの励ましに、テツオは目頭が熱くなり、涙声をつまらせながら、言葉をつなげる。

「皆さん、僕らのために本当に有難うございます。本当は僕もこの3年間、この島にいながらも、共謀罪で脅かされても、すでに街へ出て頑張ってやっている同世代の男子のことを考えると、自分がまだやれてないのが悔しくて、たまりにたまった思いだってあるのです。今は僕、まだまだ情けないけれど、僕だって男ですから、外へと出たら、もとより共謀で罪つくられて、もの言えなくなる彼らの分まで、それこそ自由にいろいろ街で、この国の陰翳礼讃の文化と違う他国の文化も、何でも見てやってやろう、男なんだし若い力で精力が尽きるまで、やりたいことをやりまくろうと思っています・・・。」

「そうね、テツオ君。そこまで言うなら、あなたはもう外へ出るしかありません。」

「そうよ、テツオ。あなたはもう一人前の男子なんだし、やりたいことがあるんだったら一人立ちして、外へ出てやるべきなのよ。」

  するといきなり喫茶室の扉が開かれ、ユリコが一人入ってくる。そしてテツオはユリコを見るなり、その装いに一目で惹かれてしまうのだった。

  -あれは・・、アンゴラニットのワンピース。しかもアシンメトリーの。光によっては白地が銀色にも見える。紅いハンドバッグを手に、さし色効果で同じ真紅の細ベルトでウエストマーク。足元は黒タイツにショートブーツと黒で引き締め、全体的にまるでタンチョウのイメージだ・・・-

  タカノ夫人も目覚めたように、ユリコの姿に目をとめる。

「アラ、ユリコちゃん! この春先に、その服とってもお似合いよ。これからどこか、お出掛けするの?」

「わかった! テツオとここで待ち合わせね。テツオ、厨房のことはやっとくからさ、気にせず二人で行ってきな。」

  しかしユリコの表情は、こわばったままである。

「イーエ。私はどっこも行きまッせん! ドキュメンタリーのDVDを、ただ返しに来ただけ。」

  さすがにレイコは心配する。

「ユリちゃん・・、どうしたの? どこか具合でも、悪いの?」

「そうだよ、ユリコ。いつもと違って、顔色悪いぞ。」

「テツオこそ、泣きべそ顔で。また皆さんに、叱られたんでしょ。」

「な、何だよ、いきなりブッきらぼーに。何で俺が、叱られなきゃアいけねーんだよ?!」

  だが、ユリコはテツオをにらみつける。

「あなたのたった今の発言、私しっかりこの耳で、聞いたンだから!」

「な、何だよ、俺が今、何言ったっていうんだよ? ヘビ女みたいな目ェしてにらんで、この地獄耳女!」

「テツオ君!やめなさい!! 女の子にそんな言い方、しちゃいけないわ。 ・・・でも、ユリちゃん、テツオ君がいったい何を、変なこと言ったというの?」

  -何だよ、レイコさんまで、俺を叱って・・・-

「・・恥ずかしくって言いたくないけど、真相究明のためとあれば・・。テツオ、確かに今、あなたの声で、“すでに街でヤッテいる同世代の男子に比べて、自分はまだヤレてなくて悔しい、タマリにタマリ、情けない、僕も男、外へと出たら、もとより凶暴、罪づくり、イロ町行って、夜来香(イエライシャン)で何でも見てヤッテやろう、言えなくなるまで、男の精力つきるまでヤリマクル”って、言ってたのを聞いたんだから。それで今皆さんに、やるなら外へ出てやりなさいって、叱られたんでしょ。」

  ユリコは顔を真っ赤にしながら、陳述する。

「・・あの、ユリコちゃん、それは完全な誤解ですよ。実はテツオ君と私たちとは、今こんな話を・・」

  そこは最年長のタカノ夫人が、うまく取りなしてくれたのだった。

「・・そうでしたか・・。安心しました・・。」

「あッたりめーだろ! 何で俺、そんなに信用、ねーんだよ!?」

「まあまあ、テツオ君。あなたは男の子なんだから、ここはユリコちゃんの気持ちを察して、一歩引いてあげなさい。」

「そーよ、テツオ。ユリコはかえって、とってもいじらしいわよ。あなたのこと、こんだけ心配してるんだから。」

  -ッたく、何だよ。女どもって。男を前に、にわかに連合、つくってよォ! 事の是非を問わずして、自分たち女の都合にあわせては、男、おとこ、オトコって、俺をはずして。これじゃ、排除のゲームじゃんかよ。-

  しかしユリコは、こうしたテツオの孤立をよそに、息を吹き返したようにして意見を述べる。

「皆さんのおっしゃること、私もとても感謝します。徴兵制は男女問わずと聞いてますので、私も国外へ出て、働きながら勉強しようと思っています。確かに苦労はするけれど、同世代の女の子も外国へ行く子は多いし、徴兵制で殺し殺され殺させるような存在を強いられるのは、絶対受け入れられないし。それに、むしろ私たちが、この先これから海外での拠点となって、この島を経由する後輩たちの受け皿役を果たせれば、より多くの子供たち、若者たちが救われるのではないでしょうか。」

  タカノ夫人はこれを聞いて感心している。

「さすがァ、ユリコちゃんはいい事を言うわねえ。私も何度か沖縄とかで座り込んでいるけれど、こういう若い子が出てきてくれて、あの熱い日差しと焼かれるようなアスファルトに耐えた甲斐があったのか、オバサン、とっても嬉しいわ。」

  ミセス・シンもこれに続く。

「そうよ。ユリコは本当に偉いわよ。この島のノロをつとめて、陰に日向にあたし達を守ってくれて。その上、この子どもの革命を輸出しようとの心意気。オネエサンも熱烈、非常感謝よ。」

  女二人が相次いで、ユリコを絶賛するものだから、テツオはますますふくれてくる。

「何だよ、ユリコ。その話って、俺と言ってたことじゃんか。それを俺に疑惑をかけて沈めておいて、アンゴラニットの超カワイイかっこうして注目あびて、自分だけの意見みたいにご披露してさ、俺の名誉はどーなるんだよ。」

「まァまァ、テツオ君ってば。あなたは九州男児でしょ! こういう時は、女性を立てるもンですよ。」

「そーよ、テツオ。外国行ったら、きちんとした場はどこでもレイディーファーストなんだから。こんなことでヒガんでちゃあ、レイディーたちから“ガキ”って言われるのがオチよ!」

  -レイコさん、何でここで吹き出すんだよ・・・-

  身に覚えなき疑惑をかけられ、潔白が証明されてもユリコばかりが褒められて、おまけにガキとまで言われ、レイコにまでも笑われて、テツオはもう帰ろうかと思い始める。

 

  しかし、ここでミセス・シンが真顔に戻る。

「でも、テツオ。あなた今回、ちょっときわどい所まで行ったけど、絶対に“オヤジ”だけにはなってはダメよ。あたしたち、今日のこの集会でも、さんざん議論のマトになったのは、実はオヤジなんだから。」

  女三人、ここで大いに共感しあい、その表情には非難と禁忌のオーラが灯る。

「み、皆さん、どうしたのですか。反戦反核、反貧困そっちのけで、何で“オヤジ”ばかりがクローズアップされたのですか。」

  流れが変わってきたとはいえ、やはりテツオに関係するので、彼は少々不安になる。

「テツオ君、よぉく考えてごらんなさい。貧困、戦争、原発と、環境破壊に複合汚染、遺伝子操作に食糧支配、大企業による国民の奴隷化と、政治と司法とマスコミのはてしない腐敗と堕落。これらこの世の害悪を現出させる最大の原動力とは、まさに“オヤジたちの権力の意志と隷従への道”(9)。要はオヤジたちの欲望で、地球は危機に晒され続けているのです。」

  タカノ夫人は眼光するどく、唇はますますどぎつく真っ赤にテカる。

「そぉよ、テツオ。原発にしたってさ、最大の問題は、あなた達の言うように“子供の被ばく”というのにさ、あたしら女は“命を守るが最優先”と言うのにさ、それをオヤジらときたら、自然エネルギーそのものはいいとしても、いつの間にかそれを利権に利用したり、被ばくをごまかそうとして、権力側が投げ続けた、安保、改憲国防軍や有志連合への参加などに、その都度そらされ惑わされ、“被ばく”をまるで賞味期限切れみたいに扱って、運動を分裂させていったンだから。」

  ミセス・シンも二人の子を持つ母として、給食などでBq検査を訴えても、学校や行政に無視され続けた怨念を、ここぞとばかりにブチまける。

原発事故の母子避難者に対しても、行政も国民も助けるどころかイジメの対象とさえしたしね。それに当の夫がさ、“俺の前で放射能の話をするな”とまで言ったりして、子供のために避難をする母に対して離婚を突きつけたりするんだから、そんなオヤジは子を守る父親として失格だよね。」

  レイコも目線を座らせて怒っている。

「で、でも、皆さん、オヤジたちにも、うちのタカノさんとか校長とかブルーノさんとか、いい人だっていっぱいいるじゃないですか。それに被ばくを度外視して利権に走り、運動を分裂させて壊した輩は、女たちにも大勢いますよ。」

「確かにそれはそうだけど、全体的には男社会である以上、その中核たる“オヤジたちの権力の意志と隷従への道”こそに、根本的な問題があるわけよ。オヤジたちはスッポン喰って精力つけるなんて言っても、たいてい上には隷従するヒラメたちときてるンだから。組織の上下を家庭にまで持ち込んで、妻子は上司と自分に続く後順位って、思ってるのが多いンだから。」

  ミセス・シンの口調には、社会に対する怨も恨もこもっているが、その熱弁はまだ続く。

「テツオ、よぉく聞くのよ。あなた達今、進化論に関心もってるようだけど、今のあたしら現生人類=ホモ・サピエンスはヒトとしては一種のみ、ということだけど、あたしはね、一緒にすんなって気があるのか、実は本当はサピエンスには、亜種があるんじゃなかろうかって、思う時があるンだから!」

  ミセス・シンはド派手帽子のクジャクの羽根を、これ見よがしに揺らせては、銀ぶちメガネを鼻にかけ、テツオの顔を真顔で見つめる。

「エッ!? そんな説、今初めて聞きますけど、それって、いったい、何という亜種ですか?」

「それはね、“ホモ・オヤジヌス”という亜種なのよ!」

  レイコはまたもや吹き出すが、テツオは面白そうなので、ここは真顔でつなげてみる。

「そのホモ・オヤジヌスという亜種は、肉食ですか、草食ですか。知能や感覚、身体的な能力は、ホモ・サピエンスと比較していかほどでしょうか。それと狩猟や農耕はするのですか。あと文化程度は、祭祀や象徴、土偶など、用いたりするのでしょうか。そして葬儀は、死者を悼んで花を手向けるなど情緒的な発展はあるのでしょうか。」

  レイコはここで手をたたいて笑いだし、

「テツオ君、ジョーク冴えてる! あなた、ほんとに、成長したわ。」

  と、妙なところで褒めそやすが、ミセス・シンは表情変えず、なおも熱弁よろしく振るう。

「意表をつくイイ質問ね。それ、ホモ・オヤジヌスという亜種は、いつも強欲全開だから、基本的には肉食で、息も体もクサいんだけど、年をとれば老害をいかんなく出し切るために長生きしようと、草食化するといわれている。知能といえば永遠の12歳で、感覚は、放射能やら農薬やら廃棄物やら、自分で“安全・安心”って言ってんだから、どんな毒にも平気らしいの。身体的な能力はオリンピックのメダル数にこだわる割にはとても低くて、歩かないから足は退化し、腐敗臭でクサいのね。そのクセ精力ゼツリンで、チブル星人(10)みたいにさ、“オレの足は三本だ”なんて下品なこと平気で言うのよ。狩猟の名残をとどめているのは、何事も数字にこだわることだけど、強欲の進化のはてに“命よりもカネが大事”の、生物40数億年で初めて出てきた種といえる。農耕は、今や大企業のほぼ支配下。遺伝子操作や農薬でミツバチなどの虫やカエルも皆殺し。たとえ何Bq入っていても、給食にまぎれこませて子供に食べさせ儲けようとさえするんだから。文化程度について言えば、だいたい文化という概念を持ってないし、第一、言葉が通じない。他人と会話ができないよりも、もともと人の話を聞こうとしない。だから言語以前の問題なのね。ただ権力にこびへつらい、上の言う事ただコピーして、下の者を虐げようとするだけの伝言ゲームに終わるがオチよ。象徴や土偶といっても、彼らはその専門の玩具店を連想するだろうしね。それに葬儀といえば、仕事での過労死や学校でのイジメ死、あるいは貧困等が原因の自死も自殺も、減らないし押し隠されるし、ネアンデルタール人が持っていた人の死を悼む気持ちなんてのは、未発達ともいわれているのよ。」

  ここで真面目なタカノ夫人も、赤い口紅テカらせながら、この路線の発言を試みる。

「テツオ君。でも、そんなホモ・オヤジヌスに対しても、天敵たるまた一つの亜種が、出てこようとしているのよ。」

「それは・・、何という名の亜種でしょうか?」

「それはね、私たち“ホモ・オバハヌス”。」

  その瞬間、今まで固く口をつぐんで、様子を見守っていたユリコが突然、

「キャハッ・・・」

  と、吹き出す声を上げたのだが、二人の姉からにらまれて、口を封じたのだった。

 

  しかし、オヤジに言及したことで、スリーシスターズの脳裏には、ある記憶が呼び起されたようであり、タカノ夫人が熱弁終えたミセス・シンに尋ねてくる。

「ねえ、シンさん。そんなにオヤジが嫌いなのは、あなたももしや、“OL”だったの?」

  “OL”なる言葉が出て、女三人、またそろって色めき立ってくる。

「エッ、シンさんもOLだったの? ちなみにその会社って、どこかしら?」

「あたしは最初っから外国行きを目指してたから、金竹商事でOLをイヤイヤながらやってたのよ。」

「えーっ、それって本当? 実は私も“金竹(カネダケ)”で、OLをやってたんだよ。」

「えっ、タカノさんも金竹ですか! 実は私も金竹でOLを・・。」

「えっ、何、じゃあ、レイコさんも金竹だったの? タカノさんは金竹のどこですか?」

「私? 私は金竹生命。保育士を目指してたけど、人を育てる仕事だから、まず自分が広く社会勉強しておきたくて、最初にOL経験しようと・・。」

「じゃあ、レイコさんは?」

「私? 私は金竹証券。理系わくで入ったけれど、でも辞めてからは教師になろうと・・。」

  これでスリーシスターズ、また共通のルーツをあらたに見出した。

「あたしたち、金竹=カネダケの、商事、生命、証券と、間の狭ぇ食いつめ者、争う心の鬼は外、福は内輪の女三人、同じカネダケ何ぞのご縁、福茶や豆や梅干しの、遺恨の種を残さずに、きかぬ辛子と女たち、凄みがねえのは縁起が悪い、脱OLの厄払い、女三人社名を略して、さらりと唱和してやろうか(11)。」

  と、女三人、呼吸を合わせて一声のーで、大声で、

「“コンチクショー”!!」

  と、妙にハモって唱和して、声高らかに大爆笑。

「キャハハハハ! 金竹の商事・生命・証券なんて、コンチクショーで充分よ。あんなに社員にウツやら自殺が続出するまで奴隷労働、強いてんだから。」

「あ、あの、皆さん、その金竹って、有名なあのカネダケですか? 僕らを襲ったあのオスドロンを生産している・・。」

  ここは最年長のタカノ夫人が、その平べったく大きな顔で、年若きテツオに語る。

「テツオ君。あなたは決してあんなトコ、就職してはいけないけれど、世の中を知っとくためにあえて言っときますけどね、この国はメーカー系の“金武”と、金融系の“金竹”という二つの“カネダケ”が君臨していて、それぞれが第二、第三次産業を系列まで従えて、ほぼ独占をする形で国全体を支配してるの。この二つ、もとはと言えば同族企業で、創業者は、四国は阿波の吉野川の炭焼き職人だったのが、大戦末期の本土決戦=竹ヤリ戦に備えるとして流域の竹林を買い占めて、陸軍に売却しては財を成し、大戦後は朝鮮戦争ベトナム戦争など安保体制での利権を通じて巨大化し、グローバル化の波にのり、次々と合併と統合を繰り返しては今日の超多国籍大企業へと成り上がったというわけなのよ。それでメーカー系の金武は、アメリカ企業と組んでこのかた、大規模農業、食の安全を省みず、大量の農薬に遺伝子組み換え、種子の独占へと乗り出し、家電、自動車、住宅などの民事から、ロケット、ミサイル、戦闘機にイージス艦、米軍基地の建設等の軍事まで、それこそトイレのないマンションたる原発から、トイレの竹の消臭剤に至るまで、地球を覆うモンスター企業として巨富を成し、また一方の金融系の金竹は、銀行、証券、保険を通じて、社員へのパワハラ全開、無茶苦茶なノルマによって、全国民から吸い上げたゼニ金を、この金武へと不断につぎこむサイフ役を担っていて、その他にも、クラスター爆弾等のメーカーにも融資して大儲けしていたらしいよ。普段は町の-お客様第一の銀行です-みたいな顔して、裏を返せば、“ゆすりかたりぶったくり、押しのきかない悪党も一年増しに悪業を積む、国策民営肩書の国家お抱えの盗ッ人”(12)みたいな存在だよね。」

  続いては、クジャクの羽根を揺らせつつ、ミセス・シンも解説する。

「この国の政権をたらい回しにしてきている二大政党-慈民党は金武に、民辛党は金竹に基盤があって、議員と社員・役員は、回転ドアーの関係だし、両社とも労組といえば、御用組合の“連動”に仕切られていて、正規、非正規両方とも社員を守る気概もなく、批判する勢力もまったく育つ土壌はない。それに二つのカネダケは、学校法人“金友学園”を経営していて、そのロウスクールを出た連中が司法試験を経由して、全国の裁判官へと任官している有様だから、この国の三権は、分離どころか、表は二つ裏は一つのカネダケに、完全に乗っ取られているわけよ。カネダケは研究費とか開発費の名目駆使して、ズーッと税金ゼロのくせして、法人税を消費税と同様に10%にしろなどと言っている。それでこの二つのカネダケだけで、大企業の内部留保500兆円の大半を占めてんだから、国の借金1000兆円の半分は、本来払うべきカネダケが払っていないせいでもある。しかもこうした不公平税制ばかりでなく、カネダケ支配は司法にまで及んでいるから、原発や鉄道などでどんな大事故やらかしても、裁判所はカネダケにはずっと無罪判決しか出さない。それでもこの国民は、正規、非正規問わずして、カネダケかその系列に関わることで食えているので、選挙やっても行かないか、裏は一つのカネダケの手の内で踊っている二大政党へと動員されては投票するから、カネダケ支配は盤石なのよ。」

「し、しかし、裁判官って、あの超難関の司法試験にうからなければ、なれないのではないですか?」

  ここで教師のレイコ先生も、解説に加わってくる。

「いいえ、それがね、教育界では漏れ聞こえてくるのだけど、この金友学園の先生たちが試験委員らしくって、事前にこっそり出題を漏らしているという話よ。だって金友の卒業生が常に合格率トップだなんて、おかしいでしょ。」

「じ、じゃあ、多くの受験生が押し寄せるから、その金友学園の入試が難関なんじゃないですか?」

「いや、それがね、実はその一次の筆記試験は表向きで、二次の面接試験の口実で、女子は一律50%も減点され、残った者は校長の面前で、勧進帳の弁慶みたいに教育勅語を暗唱で読み上げできれば、“は疑い晴れ候。とくとくいざない通られよ”(13)って通すんだってさ。もっともあくまで人脈と多額の寄付金積み上げた順番にとってるって話だから、政治屋か大企業の利権ひもつき子弟しか、入れないのが実情らしいよ。」

「金友学園ってロウスクールだけではなくて、教育勅語暗唱の幼稚園から、予科練の復活といわれている防衛予備校まで経営していて、その出身者が国防軍の中枢を占めているって話だし、今や国会はもちろんのこと、各県の県知事や議員にまでもその出身者が浸透しているんだってさ。そう、そう、それでサ、今のあの国防相の徳平家盛っていう男、アイツ次の首相候補なんだってさ。」

「あの男って、元カネダケの相談役で、金友の校長でしょう。漢字もかなも、もちろん英語も、読めず話せず理解せずときてるから、首相には適任だよね。」

「何でもチマタのウワサでは、この前の国会議事堂放火事件、アイツが仕掛けた陰謀だとか。国会議事堂焼け落ちて、今後の議事は歌舞伎座でやるんだとか。」

「それでまた、共謀罪やら新憲法の緊急事態宣言なんかを活用し、デモや市民運動を一斉検挙よ。」

「あの男って関西に利権と地盤があるからさ、首相になったら東京から神戸へと遷都するって言ってるらしいよ。でも本当の理由はさ、放射能汚染のせいで、官僚、政治屋、大企業の幹部たちが、本拠地たる東京から逃げ出すためって言われているけど。」

「それで女性宮家にとつがせた自分の息子のその長男を、ひそかに皇位に近づけて、天皇を京都に戻してゆくゆくは上皇にしておいて、自分は軍事と政治の切れ目ない一体運用をはかると言って、緊急事態の宣言をいいことに、政令太政大臣征夷大将軍を復活させて、首相と兼務するのだそうよ。」

「当然すでにマスコミはカネダケに買収されているんだし、大学等の研究費もカネダケのひもつきがほとんどだし、各種の文芸大賞もカネダケの人脈か金脈の産物だし、大劇場の演劇やコンサートもカネダケマネーでやってるし、福祉やいろんなNPOもカネダケあたたか財団の寄付金なくして成り立たないし、市民運動の活動でさえ助成金の大本はカネダケマネーときてるから、結局カネダケの思惑通りの活動へと歪められてしまうのよ。」

「つまり、この世はオールカネダケということで、今やカネダケ風刺ネタで笑わせる落語だけが裁判所よりこの国の表現の自由を守る最後の砦と言われていたけど、カネダケが“笑転”のスポンサーをやめると脅して、寄席も風前のともし火だとか。最後まで抵抗していた竹皮男志も落語会を飛び出しちゃったし。」

  ここまで来て、タカノ夫人は深々とため息をつきながら、こう述べる。

「これは、経済発展、民主主義の建前のもと、史上もっとも周到かつ巧妙に構築された“完全な奴隷制”といえるものです。」

  ミセス・シンも、今や怨も恨も超越した、悟ったような言葉をもらす。

「しかもそれは、権力側の計略や謀略というよりも、カネに魂を売り払った人間の、個々の奴隷根性がもたらしたものなのよ。つまり、これは、あたし達の自業自得の結果なのよ。」

  そしてトリは、やはりレイコの冷静な一言でしめられる。

「人と人との関係が、カネとカネとの関係に収斂している。ただカネだけを媒体として、支配する側、される側も、みんな同じ奴隷なのに、誰も奴隷の自覚がない。だからどこでも、ただ弱い者イジメの連鎖が続いていくだけで、政治や社会を変える力は生まれてこない。」

  女三人、みな底知れないほど、深いため息をついている。そして今まで沈黙を守っていたノロのユリコが、ここで一言、口にする。

「このカネダケに見る“現象”とは、もはや私たちの“人間性そのもの”ではないでしょうか。結局、私たち人間が、自業自得でここに収斂されたということが、生物としての多様性を失った種としてのホモ・サピエンスの末路と見れると思うのですけど。」

  皆が無言でうなずくのを見て、ユリコはさらにもう一つ、問いを発する。

「あの、皆さん、ここで一つ、質問をさせて頂きたく思うのですけど、先ほどから名の出ている、私たちサピエンスの姉妹種だった“ネアンデルタール人”って、どうして絶滅したと思われますか?」

 

 

  -あー、疲れた、疲れた。男の子の俺一人を前にした、あの女4人の結束ぶりって、まるでファシスト四天王。息もつまるる思いがしたよ-

  テツオは花苗に水をやらねばみたいな理由で、喫茶室の女どもから逃れ出て、教会へと入っていった。教会にはキンゴはおらず、彼はキンゴの指定席の、すぐそばのいつもの席へと座りつつ、今や喫茶室のカウンターの高椅子から、女4人が居並んで彼を見据える圧迫感から解放されて、やや冷静に、左端に座っていたユリコの姿に思いをめぐらす。

  -スリーシスターズらはまっすぐ前へと構えたまま、僕に対していたのだが、ユリコはそれより半身に構えて一対一を意識して、僕に面していたようだ。そこからユリコは、隣の女3人に気づかれないまま、その白いニットのワンピースでよりきわだたされ、高椅子へと座ることで重力がより効果的に見せてくれた、充実した質感に裏打ちされてふくらんだ、お尻の球面、太ももの、はりつめた造形と、スラリとした黒タイツの脚線美とのRラインを、連続して僕にアピールしようとしていたのかも・・・-

  テツオはそのRラインにふくらませた尻と、黒タイツとショートブーツの足先が示した向きが、ちょうどこの教会だったので、もしや彼女が“あとでまた教会で”と、ミツバチが花のありかを示すみたいに尻で指し示したのではと思い、ひとまず教会へと来たのであった。

  しかし、そう思うと居ても立ってもいられなくなり、教会の外へと出てみると、やはり木造校舎からこちらへ向かって歩いてくるユリコが見える。だが、ここでテツオはヘソを曲げ、彼女に対してソッポ向き、一人畑へ急ごうとする。

「テツオッ! 待ってよ! ねえ、待ってったら!」

  教会の裏手にある防風林をテツオがどんどん足を速めて行こうとするのを、ユリコはその樹の間をぬいながら何とかテツオに追いつくと、ポケットに手をつっこんでいる彼の腕に片手を入れる。

「テツオ・・、待ってってって、言ってるのにぃ・・・。」

  ユリコがそのまま体重をかけてくるので、テツオも足をゆるめだす。彼女の荒い息づかいがハァハァと耳にこだまし、海風に吹かれるまま、彼女の匂い-夏草みたいに澄んだ匂い-が、彼の鼻孔へのぼってくる。

「テツオ、さっきはゴメンね。あなたを疑ってはいないのだけど、でも、あなたも一応、男だし・・。」

「いいよ、もうそんなこと。俺、どっちみち畑へ行くし、ユリコがこのまま帰るのなら、クスノキまで送っていくよ。」

  そう言うテツオの脳裏には、尻に太もも脚線美のRラインという視覚と、ただ今の触角と嗅覚とで、何かが惹起されたようだ。そして二人は、テツオの田畑と聖なる小川の横にある、いつものクスノキへとたどり着くと、誰にも見えないその陰で、自然に抱き合い、キスをかわした。テツオはユリコの女体よりも、ニットワンピの手触りを確かめたくて、今までも触りに触ったユリコの尻、太もも、腰や背を、あらためてその二本の手で触るのだが、彼は触りながらも集中力がそれるのか、-ともすると、ヒトの直立二足と自由な両手は、“性=SEX”を単なる生殖にとどまらせずに、前戯を含めて“性=SEX”をいっそう刺激的に味わい楽しむそのために、進化してきたのかも・・-などと思い始める。そして彼の目線は、見慣れた白色コーデのユリコがはいた、黒タイツ&ショートブーツのその足へと向けられる。

「ね、ねえ、ユリコ・・。あの・・、そのブーツって、足、こらない?」

  テツオは、ノロのユリコが白装束での行の最中、歩いて熱した足の疲労を取るために、時折この聖なる小川に足をひたして休ませて、自分で軽く足もみするのを知っていた。

「え? ええ、まあ、こるけど・・。たしかにこのショートブーツってヒールがあるから、私には歩きにくくてしょうがないのよ。私はやっぱり地下足袋が一番よね・・。女の子が地下足袋が好きなんて、あまり聞かないでしょうけど・・・。」

  そう言って、やや恥ずかしそうに笑みをもらしたユリコの頬が朱くなるのが、とても愛らしく思えたのか、テツオはついねぎらいの言葉をかける。

「じ、じゃあ、少し、休もうか・・・。」

  二人はそして、クスノキ下の、小川に向かってゆるやかに傾斜してゆく、今や春の若葉が生い茂る土手の草地に腰を下ろした。そしてユリコは、行のないこの日の試着に疲れたのか、それともいつもの習性なのか、ブーツを脱ぐと、くの字座りの女の姿勢で、一人で足をもみ始める。

  -れやこの、隠すぞ春はゆかしける(14)・・・。これってまさに30デニール、20代のファッション誌に俗にいう“透けグロ”っていうやつだろ・・・。ユリコの白い生足、素足は、何度も鑑賞してきたけれど、透けグロがこれほどまでに色っぽく、エロチックに見えるとは・・・-

  テツオは思わず、固唾を飲まず、生唾を飲んでいる。

「ね、ねえ、ユリコ・・・。そんなに疲れているならさ・・、僕が足もみ、してあげようか・・?」

「えっつ?! い、いいわよ、そんな。テツオだって畑仕事で大変なのに、悪いわよ。」

  と、ユリコは取り合ってはくれないのだが、“透けグロ”の足もみは続けるので、テツオはまたその色移ろいを、じっくりと見守りながらも、こんなことを思うのだった。

  -生足、素足を凌駕して、透け過ぎないより透けるシアーな透けグロが、こんなにもエロいなんて・・。かの浮世絵美人画がそうしたように、“ほどよく隠すが最高のエロティシズム”とは、まさにこういうものなのだろう。ともすると、ヒトがサルから進化するうち、体の毛を失ったのは、すべての皮膚を性皮として、“性=SEX”を快感としてより際立たせるためだとしたら、毛を喪失したヌードはそれで楽しみながら、またそれをほどよく装い隠すエロティシズムが、ヒトの感覚・感性をヒトらしく進化させ、またこうしたエロい幻想が、ヒトの知恵や想像の発端ともなったのでは・・・-

「ユ、ユリコ、やっぱり男の手の方が、足もみにはより効果的だし、何にも遠慮、しなくていいよ。」

  ユリコはあくまですまなさそうに、結局テツオに自分の足もみをゆだねてしまうが、彼女は足を延ばしつつ、その上半身を起こしたまま、足もとで足もみをするテツオに向かって物語る。

「ねえ、テツオ。こんな話があるのだけど・・、古代インドの神話(15)によるとね、この宇宙はブラフマー神の覚醒とともに始まり、その睡眠とともに消滅を繰り返しているのだそうよ。それでそのブラフマー神はヴィシュヌ神のヘソから生える蓮華のお花の上にいて、その一昼夜は約86億年で、ブラフマーの年齢で100歳までの寿命が尽きると宇宙は消滅してしまうの。でもそれは、ヴィシュヌ神の一昼日=311兆4000億年にすぎないという・・・」

  テツオはユリコのこんな気の遠くなるような物語に、せっかくの透けグロ足もみ足触りの感触も、遠のいていくような気がしてくる。

「つまり・・、宇宙は、神の意識と意思によってあらわされるって、ことなんだろ。」

「そう。それでね、そのヴィシュヌ神は七尾のヘビの床を船として、大洋に浮かんだまままどろみながら、足もとに座すラクシュミー女神の足もみを受けているのよ・・・。だから今度は私がラクシュミー女神みたいに、田畑で疲れたテツオの足を、もみしてあげるね・・・。」

  テツオがだまって聞いてるうちに、ユリコの方は海からの、遠い波間のさざめきに合わせるようにハミングをしていたのが、やがてあまりの気持ちよさに、寝入ってしまったようである。

 

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  テツオは今や足もみからその身を起こして、草むらに、くの字に寝入ったユリコの姿を、真近にとらえる。

  -この巻貝みたいなポーズって、視覚的にはクリムトの“ダナエ”のようだが、生物的には、雌が雄を受け入れるってポーズなんだろ・・・-

  ユリコの上半身と長い髪はテツオの向こうに、そして彼の目前には、緑の草むら、その上に横たわる、まるくて大きな白い尻、そしてそこから脈々と連なっている張りつめた太ももと、透けグロに包まれたエロチックな長い足・・・が、確かに実在しているようだ。

  テツオは、その股間に熱い血潮が結集しはじめ、凝縮されて勃ちのぼるのを実感している。それはもとより彼の一部でありながら、今や彼の意思から派生した独立の意思さえ抱いて、計略さながら、獲物へと向かっていく燃えたぎるヘビのように、ズボンの圧をスッポンみたいに押し上げて、直立をしてくるようだ。

  -これはヘビか、それともペニスか(16)。鎌首を女の尻へと向けて、つかんでやる。いや、もう、つかめやしない。白いワンピにつつまれた幻の奥の院は、そのうっすらとした割れ目の中で寝静まり、目にも見えず、手で触れ得もしない・・。それとも今の俺のこの思いとは、心の描く計略か、熱にやられた脳が生み出す、まやかしの性欲なのか。今までは俺の一部にとどまっていたヘビのようなあの形・・。今こそ抜けるこのヘビは、俺の手引きをしようとするのか、これから向かおうとする所へ・・・。今、世界の半分は大自然。死んだように寝静まり、その中で邪悪な“思い”が、抜き足、差し足、大地から重力に逆らって、ヘビのように鎌首もたげて、花の蜜へと忍び寄る・・。行くは地獄か、天国か。誘うはヘビか、それともペニスか。しかし、ことここへと至ったのには、女からの誘惑も、また確かにあったのだ・・・-

  テツオの意識の奥からは、マクベスみたいなセリフもまた、聞こえてくる。そして彼はユリコの尻を直視しながら、巻貝にもあったあのフィボナッチの“黄金比”も、きっとここに秘められているのに違いないと思うのだった。しかし、彼はまた一方で、今日あらたに見出した“透けグロ足”にも、強烈に惹かれる自分を感じている。

  -いくべきか、いかざるべきか、それが問題だ(17)-

  -いけるものよ、いけるものよ、彼岸にまったくいけるものよ、悟りに幸あれ(18)-

  意識の奥から聞こえてくる、いろんな声を聞きながら、テツオは今彼の目前に現存している、白くて大きな丸い尻と、黒くて長くて細い足の、対称性の二者択一に迫られながら、しかし、やがては、自然と尻へと惹かれていく、自分自身を感じている。

  -これは性欲というよりも、相対性理論の通り、足よりも質量の大きな尻が空間を曲げているため、引かれているに違いない・・・-

  だが、それだけではおさまらず、彼は尻に引かれているのがペニスというより、自分の顔面であるのに気づく。

  -これはおそらく僕の仮説の“美の絶対性”によるものだろう。つまり、尻の美と、僕のマスクの美貌とが、お互いに引かれ引き合い、そこからまた新たな創造を生み出そうとしているのだ。つまり、この“美の絶対性”は、物理学の4つの力とはまた別の、神の創造に関する生命の“構成力”を内蔵しているのかも・・・-

  そんな想像力を駆使するうちにも、テツオの顔はユリコの尻へと近づいていき、そのワンピースにあらわれた、白でクッキリ際立たされたその割れ目に、彼の美々しいマスクからなる鼻筋をすべり込ませて、両頬を、左右二つの尻面に、対称的にいっぱいに、押しつける。

  と、その時、

“BVッ! Bu、Bu、Bu、Bぅぅぅううう・・・・・”

  しかし、テツオの頬は張り付いたまま、尻の面からはがれない。そして、さらに、

“BuO、・・bbbb・・、vv、Bッ、P~・・・”

  -さすがにはちきっているだけに、張りのある音・・、ヘ短調か・・・。しかし股間は張りを失い、急速にしぼんでいく・・・-

  ここでテツオは、気圧に押し上げられるようにして、飛び起きる。

「ユ、ユリコ! いったい俺に、何すんだよ。」

  ユリコはすばやく両足を折りたたんで、半身を起こして真っ赤な顔して、手を口元へとあてたまま、テツオを見つめる。

「・・・、でも、それはもう、“無主物”だから・・・。」

「“ムシュブツ”~??? ・・どっかで聞いたセリフだなぁ。」

  ユリコはもう笑いたいのをギリギリでこらえるしかなく、目で彼に助けを求めているようだ。テツオももう笑うしかないのだが、鼻の中がムズムズして、つい顔までもゆがんでくる。

「俺、いま、ゼンブ、直接的に吸ったんだぞ。これこそ愛の証だろー。」

「ウッソォー。それって吸うモンじゃないし、第一、向きが逆でしょーに・・・」

「よく言うぜ。俺、鼻の上から、直接放たれたっていうのによぉ・・・」

「エッツ!? じゃあ、アレって、あなたの“鼻”だったンだ・・・。」

  雲がにわかに曇り始めて、雨も降りそうになってきて、それに股間もしぼんで続行不能と思われたのか、テツオはこのまま、ユリコを家まで送っていくことにした。ユリコはやおら立ち上がると、姿勢を正し始めるのだが、テツオはその30デニールおみ足が、透けグロのなか、白、朱、ピンクと色移ろいを重ねつつ、ショートブーツに履かれていくのを見守りながら、-どうせ、クサい思いをするんだったら、あれもこの際、足の先からなめらかに、なめまわしておけばよかった-と、口惜しそうに見送るのだった。いや、それよりむしろ、彼の心の奥からは、-今度は自分が、もっともっとエロチックに、あの“透けグロ”をより美しく履いてみせる-などと、妙な対抗心の声までが聞こえるのだった。

  家までの坂の道中、ユリコは何かを反復させたそうな感じで、テツオに尋ねる。

「ねぇ、ねぇ、テツオ。さっき、あなたの言ってたことって、ホントなの?」

「ああ、確かに全部、吸ったのさ。何なら今からキスをして、肺から戻してあげようか?」

「モウ、笑わせないでよ。あなたが“愛の証”って、言ってくれたことなのよ・・・。」

  テツオもここで、笑いながらも真面目に答える。

「まあ、そうだな。愛の証だからこそ、ただの“ヘ”も、“黄金屁(ひ)”になるってこった。」

「“黄金ひ”って、何のこと?」

「それはおいおい、話してあげるよ。ヴィシュヌ神の宇宙の意思と同じくらい、自然と美と、生と性とにかかわってくる、興味深いお話しさ。」

  二人は嘉南岳の麓にあるユリコの家へと上がっていった。その道中、雲がさらにかかってきたが、その所々から、日の光がまっすぐ下へと届くのが眺められ、二人はしばらくその光に、見とれていた。

 

 

第十一章 美の作用量子

  テツオは今日も、畑帰りに小川で顔を洗っている。春もなかごろ、畑も今や順調とはいえ、ユリコとの黄金ひの一件以来、テツオは己の感覚に、また新たな次元が加わったような気がする。

  -アラビア中の香水をふりかけても、いくら洗っても消えはしない(1)-

  布団や座布団二重にたたんで、再現しようと試みても、熱量・質感・豊潤さとも、本物には遠く及ばず、夜な夜な眠れぬ夜も続き、あの時頬を押しつけた彼の美貌も、あたかのムンクの絵のごとく、ムクんでいるような気がする。

  こういう時の頼りというのは、やはり同性の男友達-ということで、畑を終えたテツオは今日も、いつものキンゴがいる教会兼図書館へと向かう。

 

  見ればキンゴはテツオと違って、何だかイキイキして見える。

「テツオッ。また、新たなる発見だよ! ホラ、この前ボクは君に向かって“やっぱりオナニーなんだよ”って、言っただろう。」

  -何だよ、俺を見るなりいきなり・・。そんなに顔に出てンのかな・・・-

  しかしキンゴは、相手の顔を読みながら話すなんてことはしない。

「いや、発見というのはさ、オナニーよりかはペニスそのもの! ヒトの雄のペニスってのは、君の好きなミケランジェロの絵や像みたいなホーケーでもない限り、先っちょに“カリ”ってものがついてるじゃん。あれっていったい、ナゼだと思う?」

  キンゴはノリも軽げにカリィと言うが、テツオは尻の重みにだりぃのか、ついボンヤリと口をすべらす。

「・・そ、そりゃぁ、剣道の竹刀の先っちょ、当て合うみたいに、雄と雄どうしがさ、互いに相手を牽制し合うためとかさ・・・」

「プハハハハ。男どうしで互いにチ○ポを当て合って、いったいぜんたいナニすんだよ? ・・・それとも、テツオ。ひょっとして、君、そんなの、したいの?・・・」

  キンゴの目が、臨界みたいに一瞬青く光ったように見えたので、テツオは急いで先へと進む。

「ンなわけねーだろ。このクイズの答えって、何なんだよ?」

  キンゴは少し安心したのか、すんなりとこう答える。

「あの“カリ”っていうのは、分より先に雌に対してやった雄の精子を掻き出すためのものなんだってさ。つまり、多くの雄でやっている“精子競争”のあらわれの一つなんだよ。それで雌は雌で膣の内部を調節するなど、受け入れる雄の精子選択ができる(2)ようにしてるんだってさ。こういう互いに影響させあいながら進化するのを、“共進化”っていうのだそうだ。」

  テツオはここで、-そうだったのか-と納得する。彼もいつも撫でるたびに、あの造形に問題意識を持ってはいたが、掻き出すためというよりも、バイクの空冷エンジンのヒダみたいに、表面積を増やすことで感度を増しているのかも-と、考えたこともあったのである。だが、キンゴには、さらなる続きがありそうだ。

「それどころかさ、他の動物にもあるように、かつてはヒトのペニスにも、骨もあったしトゲもあった(2)らしいんだよ。これも雄が雌に自分を強く印象づけたい、あるいはしばらく他の雄とやれないようにとヒリヒリと、させておきたいからってことらしいのさ。ひでぇーよなぁ。だってそんなので傷ついて、“ペニスに死す”ってことになりゃあ、シャレにも何にもならねぇじゃん!」

  -確かに・・、“ペニスに死す”程度のものでは、シャレにも何にもならないよ・・-と、テツオは思いながらも、骨とトゲにはこだわりたくなってくる。

「あそこに骨とトゲとがあったって? でも、何で、ヒトはそれを、なくしたのかな?・・」

「だってさ、トゲがあったら手に刺さってオナニーのジャマになるから、ないのがいいに決まってるじゃん!」

「・・じゃ、じゃあ、何で、骨までなくす必要があったんだよ?」

「だろ! だって骨があればやってても、途中でナエるなんてこと、心配しなくていいのになぁ。」

「・・お前、そりゃそうだけどさ・・、骨とはいえども、あまり露骨に言うなよな・・。」

  ナエるという言葉を聞いて、非常に気になるテツオをよそに、キンゴはそのまま語り続ける。

「ヒトの雄がペニスから、骨とトゲをなくした理由は・・、ここから先はあくまでもボク個人の仮説だけど・・。テツオ、君って、今、たしかに聞いてみたい?・・・」

  そう言いながらも言いたそうに、キンゴはその赤唇を、テツオに向かって寄せてくる。

「何だよ。お前のその仮説ってのは? 言いたいことがあるんなら、さっさと言っちまいねぇ。」

「この仮説は進化論ではチン説かもしれないけれど、ボクが思うに“フェラチオ”のためじゃあないかと・・・。あれってもしや骨とトゲとがあったりすれば、男女ともどもジャマになるだろ。トゲがあったらフグみたいだし、骨があったらサカナだって食べにくいし。男はおそらく感度てぇのが鈍るだろうし、女はのどにつっかえるしで、共進化でともに互いに骨もトゲもいらねぇって、なったんだよ。」

  -だから、そこまで露骨に言うなっつってんのによ-と、テツオは赤面するのだが、キンゴはすでに理論家へと変わっている。

「いや、僕が言いたいのはさ、おそらくヒトの“性=SEX”への執着は、今の僕らの想像をはるかに超えていたはずで、僕はきっとこれこそが、ヒトをヒトたらしめた進化の最大推進力とさえ思うんだよ。それは今も基本的には何ら変わらず、人間はその性を、生や聖から分離させ、アヘンのような刺激物へとおとしめてるだろ。だいたい人間というものはさ、自分に対してモノを認識したならば、常にそれを貨幣の渦に投げ込んで、カネ取引に陥れ、何でもアヘンのような刺激物にしちゃうじゃないか。アヘンだらけの現代とは異なって、ヒトから見れば刺激が少ない原始時代に、“性=SEX”が最大かつ究極の、刺激物にしてモノ=対象物となることを、ヒトは発見したんだよ。つまり、ヒトはさ、自分を含む自然から、最初に“性=SEX”を独立のモノとして、分離し、認識しては取り出し、それを刺激物へと進化させ、同時にそれがヒトの進化そのものを牽引したんじゃないかって思うんだよ。」

「じゃ、じゃあ、何で、それがフェラチオとつながるんだよ?」

「いや、僕は特にフェラチオにこだわってるんじゃなくって、これを含めて、江戸の枕絵に見るような八十八カ所みたいな体位にも表れている、ありとあらゆる“性=SEX”の感度開拓、快楽開発、アヘン化と遊戯化こそが、ヒトの進化を引っぱったのではと思うんだよ。つまり、君が言っていたように、ヒトが直立二足歩行ができて、体毛を、その一部を陰毛として刺激物として残した以外は、きれいさっぱり捨て去って、皮膚の全体そのものを性被と化して、しかも尾っぽを廃したのは、“性=SEX”への執着が、ヒトをヒトたらしめる進化をさせたからなのではないだろうかって、僕も思っているんだよ。」

  テツオはここで、思わず深く考え込む。

「なあ、キンゴ。俺、今、ふと思ったんだけど、性=SEXへの執着と開拓、開発、直立二足歩行とそれにともなう手の機能と脳の拡大、そしてヒト特有のモノの創造っていうのはさ、おそらく同時並行の、三位一体として進化してきたのではないだろうか。」

  キンゴもそれには、深い共感と共鳴とを示してくる。

「その通り。ヒトの進化に対してはいろんな説があるけれど、性=SEXの推進力は絶大で、それがやがては絶倫につながったのかもしれないよ。でさ、ついでに言うとこんな話(3)があるんだよ。江戸時代、吉原に行こうと思えば長々と田んぼをつっきり行くんだけれど、通っていく人間たちを見ていたカエルが、自分たちも吉原へ行きたくなって、“ほれて通えば千里も一里、長い田んぼもひとまたぎ”ってんで、人間同様、二足歩行で皆して行ったんだって。」

「それ、もしかして、性=SEXへの思い入れは、カエルも二足歩行に変えるってオチなのか?」

「いや、その手のオチじゃなくってさ、カエルたちが吉原着いて、人の女郎が張り出してるのを、ひやかして回るのだけど、カエルたちが直立二足のまま正面向いても、なぜか店の反対側の女たちしか見えないって話なんだよ。」

「ということは・・、それ、もしかして、動物つまり自然界の認識と、人間との認識には、互いに相対性、あるいは相補性があるってことの暗喩かもしれないぞ・・。すごいよなあ、江戸の時から20世紀のはるか先まで見ていたなんて! “永遠の12歳”って言われても、それが大人になっても子供の良さを失わない、ないし、子供の持つ問題意識を失わないっていうことなら、まるでかの相対性理論アインシュタインが、16歳の時に抱いた“光と同じ速さで走れば光は止まって見えるのか”という疑問を持ち続けたという事と、似ていると思わないか。」

  テツオが目を輝かせてコーフン気味に言うのをよそに、キンゴはあたかも相補的に、そっけなくこう答える。

「いや、これは、ただ単に、立っているカエルの目は後ろしか見えないって、オチなんだけど・・」

 

  春も過ぎゆき、初夏へと通じる暖かさが増していくなか、テツオは今日も眠れぬ夜を過ごしている。もはやユリコの尻と足ばかりではない。今や彼の脳裏には何ものかの懐胎が近づいており、彼はすでにそのことを察知しているようである。あと必要なのは、多分そのきっかけなのだ。

  -そう、もっと光を。僕には今、きっと光が必要なんだ-

  テツオは直感的にそう感じて、深夜、月の光が部屋へと差し込むベランダの窓際へと、引かれるように歩き出す。

  -足、足、ヒトの足。今、僕は自分の足で、指先から踵まで、土踏まずを間にして、重心を前後左右と器用に渡らせ、自分の尻-その類人猿最大の大臀筋で、全身を支えつつ、大地を掴むようにして、右と左を踏みしめながら、歩きはじめる-

  そして月の引力に引かれるように、浴衣と下駄ばき姿のまま、海辺の方へと向かっていく。

  -僕は今、浜へと着いて、宇宙の先端、漆黒の、天空を仰ぎ見る。雲のたなびく合間から、藍の幕目の隙間から、月の光が白くまばゆく流れ落ち、僕の体に降り注ぐ・・・。潮風が、ほのかな磯の香をはこんで、浴衣の中へと忍び込み、僕の体を撫でめぐって、遠くからの波音も、足もとの無数の小石を響かせ合って、月の光を爪先にまで、散らしはじめる・・・-

  テツオは自分が恋しくなって、長い浴衣をすべらすように脱ぎ落とし、またブリーフも脱ぎ去ると、その裸体を月の光にくまなく照らす。心もち八文字に足を開いて、指先に力を入れて砂をつかんで踏みとどまり、胸を張りだし、重心を後ろにそらすと、プリッと締まった男の尻を両手におさめて、鋭角するどく屹立盛んな、また霊長類最大のヒトのペニスを、月へと向ける。そしてヘアに風を感じつつ、月光を受け先端がつややかに反射している己のペニスを、一人静かに眺めている。

  -リンガ、リンガ、僕のリンガ・・。これもまた、“梵我一如”の瞬間かも・・・-

  ここで、テツオには、ある声(4)が聞こえてくる。

  “神が天地を創造した初めに、光あれ、と神は言った。”

  -この声は、空からか、海からか、それとも僕の意識の奥底から、聞こえてくるのか・・-

  “その時、ヘビがもっとも狡猾だった・・。イヴはヘビにそそのかされて、自分が食べた知恵の実を、アダムにすすめた・・・。”

  -僕はすでに気づいている。ここでのヘビとは、すなわち“ペニス”の隠喩であることを-

  “見ると、その実は、とてもおいしく、目を楽しませ、賢くなりそうに思われた。”

  -ヘビがペニスであるのなら、この“実”はきっと、“女陰”の隠喩に違いない-

  “その知恵の実を、イヴも食べ、アダムも食べた。すると二人の目があいて、互いに裸であると知った。そして彼らはイチジクの葉をつづって、腰へと巻いた。”

  -そう。こうして人は、性=SEXを、その語源の通り、男女に分けた。そして、性=SEXを自然からも分離させ、これが人のその知恵の起源となった-

  “神は男のあばら骨を一本ぬき取り、それで人の女をつくった。”

  -僕はこんな説(5)を読んだのだ。ヘブライ語の“tzela”とは、聖書の英語版ではあばら骨と訳されるが、実は“支柱”という意味もあり、これが陰茎骨をさすのではというのである。というのは、陰茎骨はヒトの雄から失われていて、かたやあばら骨は一本も失われてないからである・・と-

  “禁断の知恵の実を食べた女に、神は言った。「私はお前の生みの苦しみを大いに増やす」と。”

  -立二足の最大の代償として、死にさえ至る女の難産があげられる。直立二足で脳が大きくなったせいで、ヒトの新生児の頭は産道に比して大きく、出産できる限界のギリギリで、またそのために新生児は生まれてからその脳を4倍にも成長させねばならないという。またヒトの女の骨盤は、骨産道の断面のなめらかな楕円形を損ねないよう、脊髄の最下部は後ろへとシフトしており、女が腰をゆらせて歩くのは、骨盤がやや前へと傾いて、斜めに向けて揺れやすいかららしい。胎児の頭が大きくて、肩幅も非常に広く、骨盤が二足歩行で変形をとげたため、ヒト以外の霊長類、大型類人猿でさえ順調な出産も、ヒトの分娩は平均で9時間もかかるという

  テツオはこうして考えながら、-進化論と聖書とは、相対立するというよりも、聖書はみごとに進化論の隠喩なのでは-という、彼の仮説にたどり着く。しかし、彼の仮説は今回は、この一点にとどまらず、ここで裸になったのも、ペニスを月へと晒したのも、もうオナニーのためだけではなく、今からの思考実験のためなのだった。

  -太古の昔、原始の時代。この海からはい上がり、四足から二足へと進化した僕らの先祖も、月の光に晒されて、空と海とに向き合っていたのだろう。遅くとも350万年前より、完全に直立二足で歩いていた僕らの祖先。今これを実際に再現すると、何と無防備だったことか! ただでさえ重力に逆らって、直立二足で立つこと自体が、おそらく空を飛ぶのと同じほど困難なのに、一番の急所である腹部と、霊長類最大にまで極大化させたペニスを、常に同時に前方に晒すという・・、しかも体毛をそぎ落とし、むき出しになったやわな皮膚は保護色でもないのだから・・。イヌ科と違って顔は平たくキバもなく、ネコ科と違って手足には武器となるカギ爪もない。こんな無防備な姿のままで、しかも未熟なまま産み落とした赤子をかかえて、どうして身を隠しやすい森の中から、大型肉食動物のいる草原へと出たというのか・・。長距離移動をするためだけなら、四足のまま、キリンのように、またダリの絵みたいに、足だけ伸ばす進化もあったと思うのだが・・。

  ヒトが頭蓋の容量を、チンパンジーと分岐した500ccから今の約1400ccへと3倍近くも大きくしたのも、楽器を奏で、ファッションをつくり出すほど手の機能を高めたのも、咽頭を下げ声道を長くして、鳴き声を言葉へと進化させたのも、すべてはこの直立二足歩行の結果であるということは疑いえない。しかし、重力に逆らって血のめぐりも悪いなか、心臓に負担をかけつつ、身体的な無防備を晒したまま、死にさえ至る難産のすえ、未熟なまま生まれた子供を長期に渡って養うなど、直立二足歩行には自然淘汰に反するほどの致命的なデメリットがありすぎる。だから、ヒトにしかない直立二足をあえて進化させたのは、命をかけてやるに足るよっぽど強い誘因があったればこそであり、それは性=SEX以外には考えられない。逆に言えば、性=SEXの快感とか快楽とかは、おそらく自然は生殖への誘因として備え付けてはいたのだろうが、ヒトはその快感と快楽を極大化する進化を選んだわけである。だからこそ、ヒトは体毛をそぎ落とし、しかも陰毛はわざわざ残して、皮膚をほとんど露出させては性被として感度を高め、SEXの邪魔になる尻尾を廃して、顔も胸も性器もすべて、器官としても顕示としても美としても、とぎすませて前面へと押し出した。雄は霊長類最大のペニスを持ち、雌は哺乳時以外も大いに目立つティンバルの果実のような大きな乳房と、サクランボのようなその乳首とを持ち、総じてそれらをためつすがめつ味わうために、嗅覚よりも視覚をはるかに進化させた。他の動物たちはかなりニオイに頼るのに、ヒトがより目に頼るのは、尻も足も嗅げばクサイが、目で見るには甘美だからではないか。そして対向位をはじめとする、夜毎に変わる枕の数ほど枕絵にもある体位を見出し、発情期という時間的制約も取っ払って、総じて性=SEXを原点として、ヒトは知恵も身体も進化させてきたのではないだろか。だって、仏教でもまさに、“陰果応報”というではないか。

  そして、性=SEXをこのように特典的な刺激として身体から取り出したのは、“自然”から人が最初に“モノ”を認識して“分けた”ということであり、ここに人間特有の“相対知”が芽生える起源があったのだろう。アダムとイヴが、ヘビにおされて知恵の実を食べた時より、男と女、生と死、自然とヒト、神と人というような、人間の相対知=いや相反知ともいえる“知”が、始まったのだ・・・-

  ここまで悟りが及んでくると、テツオはまた身心脱落の境地となって、波打ち寄せる砂浜に生尻をそのまま下ろすと、両手を後ろについたまま、じっと目前で黒々と打っては返す海面を眺めている。そして彼は、やがて股間に勃ちのぼる己のペニスが、今や水平線の境のない、宇宙の先端、漆黒の、夜の帳に鳴り響く、無限の海のかなたから、無数の周期の波を経て、一直線にここまで及ぶ月の光に、カリでさえも輪っかのように、白くまばゆく照らされるのを見つめている。テツオは今、ユリコのあの月のような白いお尻に思いをはせつつ、己のペニスを、あたかも天地の氣がここへと宿り、生の意思が結集して、まるでここより太古に準じた創生が、またあらたに始まるような期待を込めて、リンガのように見入るのだった。

 

  -ユリコみたいに、一発二発で吹き飛ばせれば、いいのだけど・・・-

  生尻のまま砂浜に座ったせいか、穴に感じる違和感に直面して赤面しつつも、テツオは彼の新たな仮説を伝えようと、教会兼図書館のキンゴの所へと向かう。見ればキンゴは、ついに受験勉強の方にこそ本腰を入れ始めたのか、ワーグナーでもカラスでもなく、ギコちない英語文をBGMとしながらも、テツオの仮説-聖書の進化論的解釈-を、聞いてくれた。

「そうだ。僕もそう思う。まさに初めに言葉ありきというよりも、それに先立ち“性=SEX”ありきだったんだろうな。」

  キンゴも大いに納得するものの、その表情にはどこか憂いがあるようだ。

「キンゴ。俺との話はいいからさ、受験勉強忙しいなら、もちろんそっちを優先してよ。内部被ばくを真剣に扱う医者が、これから先も末永く必要とされるんだし・・。」

「いや、もちろん、そうなんだけどさ。でも、進化論って、生物、地学、地球史&人類史と、カバーの範囲が広いじゃん。また君の言っていた植物の生態も元素の周期表だってあるし、だからかえって理系苦手のボクでさえ興味深くて、かけそばに唐辛子、うどんに美馬辛いれるみたいに、無味乾燥な受験勉強にはかえってイイ刺激になってんだよ。だからテツオ、君にはかわらず、ここに来てほしいんだ・・。」

「そうか・・。ま、受験のタシになるならいいけど・・。でも、どうしたんだよ? お前、何だか、元気ねぇみたいだけど・・・。」

そう聞くと、キンゴはその憂いの顔をすこし上げるが、テツオには、何だかそれが綺麗に見える。

「いや、受験の話をするのなら、医学部だって大学次第で難易度はピンキリだけど、受験を担当してくれるレイコ先生が言ってたように、入学試験の改定で、今や医学部受験の最大のネックってのは、数学や理科よりも現代国語なんだそうだ。」

  テツオは、-ははあ、だから悩んで元気ねえのか-と、キンゴから話を聞いてやろうとする。

「医学部入試の改定っていうのはさ、結局、あの3.11も含んでこの方、非典型の疾患が増えているのがきっかけらしい。僕らからすりゃ、放射性物質や複合汚染その他の理由で、免疫力が落ちてくれば、チェルノブイリ後と同じになるって予見はできていたんだけど、この国はいつも何でも利権にするから、この問題もあのカゲ学園だかハゲ学園だか、獣医学部の新設を急に認めだしたように、急増する疾患と慢性的な医師不足の対策として、医学部の増設と医大生を量産するってことにしたじゃん。それでかえって、弁護士ふやせど質が落ち、かんざし増やせどトウが立ちってな感じで、医師の質がまた一段と低下したのを省みて、“言葉による倫理的かつ論理的な読解力・思考力・表現力を必須とする”との、審議会の答申だか前戯の悔いの更新だか何だか知らんが、そのせいで医学部入試が改められて、今や医大受験者最大の悩みってのは、理数系の科目より、二次試験で登場する現代国語としての出題“課題による論説作文”なんだそうだ。しかもこれは医療保険制度など理数系以外の科目を含んだ横断的な課題による論説で、その場で論旨明快に書かねばならず、レイコ先生が言うように、平素から思考力を養わなっておかない限り、いわゆる受験の対策なんてのはやりようがないらしい。」

「それなら、理論家肌で文章が得意のお前の思うツボじゃねえか。たとえ理数系がイマイチでも、二次の論説作文で大いに挽回できるだろうし。」

「まあ、本当にそうなりゃいいんだけどね・・。」

  ここでキンゴは、やや嬉しそうにはなるものの、またもとの憂いの顔へと戻ってしまう。

「な、何だよ・・、受験が最大の悩み事なら、むしろ希望が見えてきたと思うのだけど・・。他にもまだ、何か悩みが、あるってのか?・・」

「いや、悩みというかさ・・、君と話し続けてきた進化論についてだけど、僕は最近、はたして僕ら人類は、今さら進化できるのだろうかと思うんだよ。だって僕たち人間は、環境に適応させようと己を進化させるより、逆に環境を己自身に適応させる、つまり、自然の方を自己都合で加工するのに何千年も全力を尽くしてきたから、今さら己を進化させるということ自体が、もう無理なんじゃないかって思ったんだよ。つまり僕ら人類は、恐竜みたいにある極限に達してこの方、進化の袋小路へと入っているのかもしれない。・・たとえ進化ができるとしても、スケベ路線の延長で、せいぜいペニスをもうちょい大きくするぐらいしか残ってないかも・・、・・あ、いや、ちょっと待てよ・・・。」

  今までの悩み顔から、またペニスのような単語を口にし始めて、キンゴはここで、何かをひらめいたようである。

「ということは、ひょっとして、雄は乳房と乳首、それとお尻を雌なみに大きくさせ、雌はクリトリスを雄なみに大きくさせて、互いにますますイイとこ取りの進化を遂げていくかもしれない・・。」

  そこまで話したキンゴの目を、テツオもハッとしたように見つめ始める。

「キンゴ、い、いや、ちょっと待て。・・ということは、つまり俺らの祖先が性=SEXで進化をしてきたのなら、今の俺たちだって同じく、性=SEXをきっかけにして、進化はできるのではないか。何も袋小路にはまっちゃいない。いや、ひょっとして、“性=SEXは進化のためにある”のかもしれない。神はわれわれ生き物を、最後まで見捨てないんだ。」

  そういうテツオの綺麗な瞳を、キンゴもまたじっと見つめる。

「・・・“性=SEXは進化のためにあるかもしれない”・・・。なぁるほど・・。で、でね、テツオ・・。僕の悩みというのはね、実はこのあたりにあるのかも・・・。」

「何だよ、お前のその悩みってのは。言ってすっきりするのなら、さっさと言っちまいねえ。」

「いや、それが、何とも言い出しにくくッて・・・。つまり、例の、ローマ字4字のことなんだけど・・」

  キンゴが文字通りのモジモジモードに入っているのが、テツオは何だかまどろっこしい。

「あー、それってきっと、理科の遺伝子“AGCT”のことなんだろ。それとも、音楽好きのお前だから、“BACH”か、あるいは“DSCH”か・・・。」

「い、いや、そうじゃないんだよ・・。実はね、“LGBT”のことなんだけど・・・。」

  -何だよ、コイツは・・。児上がりが女に化けて(6)みたいな顔して・・。チ○ポとかペニスとか、オナニーとかクリトリスとか、そんな単語はアケスケに言うくせに、何で“LGBT”にそんなに恥ずかしがるんだよ?-

  やや呆れているテツオをよそに、キンゴはそのまま話し続ける。

「いや、だってさ、僕はずっと不思議に思っているんだよ。どうして“LGBT”があるんだろうって。どうして“同性愛”があるんだろうって。同性愛って、子孫を直接つなぐには至らないかもしれないけれど、これもまた、ヒト以外のゴリラとか類人猿にもあるらしく、人間界特有のものではなくて自然界に広く一般的にあるかもしれない。それにサカナは性転換するっていうし。しかし、生物界の大原則も進化論の大前提も、種の継承とされてるわけで、自然淘汰や性選択の原理では、LGBTも同性愛も説明がつかないと思うんだよ。サカナが性転換をとげるというのも、雌の集団から雄が出て、子孫をつなぐためだというし。」

  こうして話している最中も、キンゴはテツオを見つめ続ける。テツオはキンゴが、根っからのKYで、人の目どころか顔色さえも気にとめず、しゃべくるのに慣れてはいたが、ここまでジィーッと見つめられると、やはり一種の性的“ゆらぎ”を感じてしまう。

「いや、それでね、テツオ。ここで是非、君自身にあらためて確認をしたいのだけど・・・」

  キンゴはテツオを見つめたまま、いっそう彼ににじり寄る。

「お、俺に、いったい、ナニを、確認したいと・・・?」

「いや、君の言っていた“美の絶対性”のことなんだけど・・・」

  テツオはまずは、話が抽象的になりそうなのにホッとする。

「いや、僕も君に触発されて、受験のかたわら、少し調べてみたんだよ。かのダーウィンも進化論では、雄と雌との性選択を、各個体の“美意識”にこそ求めたのと似ているしね。そして僕は、この美の絶対性は、同じく君が言っていたフィボナッチ数と黄金比とあわせてみると、あるいは非常に重要なものかもしれないって思うのさ。」

  と、キンゴは彼の付箋をつけた書物やノートを引き寄せ、開いてみせる。

「よく言われているように、フィボナッチ数列(7)の項Fnと、後項Fn+1の比は、このように進むにつれて限りなく、まるで“保存則”があるかのように、終わりもせず繰り返しもしない1.61あるいはその逆数の0.61で始まる“黄金比=φ(ファイ)”に収束していくんだよ

 

Fn/Fn+1    1.00 0.50 0.66 0.60 0.62 0.615  0.619  0.617

フィボナッチ数Fn1 1  2  3  5  8  13  21  34

Fn+1/Fn    1.00 2.00 1.50 1.66 1.60 1.625  1.615  1.619

 

  そしてこの黄金比とは、古代よりピラミッドからミロのヴィーナスまであらわれる美の比率といわれるもので、ユークリッド原論では“外中比”としてあらわされ、また、かのプラーが“幾何学にはピタゴラスの定理そして外中比の線分割という二つの宝がある”と称したほど、神秘的なものとされていたらしい(8)。」

  テツオがじっと見守るなか、キンゴは説明し続ける。

「でさ、受験勉強というものは、苦手な域にも発見をさせてくれるものだから、この黄金比の1.61や0.61を連想させるようなのが、主な物理定数にも数々あって、大きく見れば、これらはいずれも黄金比と近い比率をもつといえる。

万有引力定数G=6.672×・・、アボガドロ数NA=6.022×・・、陽子の質量mp=1.672×・・、電気素量e=1.602×・・、プランク定数h=6.626×・・。

それでこのプランク定数hとは、物質を熱すると熱放射といっていろんな色の光が出るけど、この物質の熱放射による電磁波の波長とエネルギーとの関係式(9)にあらわれる、非常に小さな定数なのさ。 

E=nhf(E:光のエネルギー、n:1,2,3・・整数、h:プランク定数、f:光の振動数)

 光と原子がやりとりするエネルギーは、hfを一固まりの粒として受渡しする。

 エネルギーはこの量子の形で、不連続な値で相互にやりとりされる。

 

  この発見が相対性理論とならぶ20世紀の物理学の双璧である量子論の幕開けとなったといわれている。ちなみに相対性理論によると、電子の速度を光速に近づけると、その質量は大きくなるけど、電子の電荷量である電気素量e=1.602×10のマイナス19乗クーロンは変化せず(10)、電気素量は普遍的といわれていて、そしてこの1.602は黄金比とほぼ同じだ。」

  キンゴの理路整然たる説明に、ときめきさえも感じながらも、うっとりと聞いているテツオを横目に、キンゴはそのまま語り続ける。

「それでこの光の振動数fは、バルマーの公式で導かれ、そこにはリュードベリ定数Rが含まれていて、この定数も原子の種類に関係しない普遍定数ということで、そしてこの定数を導く式にも電気素量e=1.602・・が入っているから、君が言ってた元素図鑑に見るような、原子が発するスペクトル線の振動数にも、常に黄金比の約1.60が潜んでいるとも言えるんだよ。それで実際、太陽系の約8割を占めるとされる水素の原子スペクトル線の、可視光領域にあらわれた波長のバルマー系列の、最大波長/最少波長の比を見てみると、6562.8/4101.7=1.6000 という具合に、また黄金比があるってわけさ。」

  テツオは、難しそうな物理の本と手書きのノートを交互に行き来させながら、解説に抑揚をつけるように振られているキンゴの手を、うっとりと見つめている。それはあたかも女性のように、細くて白く、指先と手のひらからは、ゆるやかな熱放射のせいなのか、朱るんだ肌色あいがほんのりと灯っていて、爪先の光沢と調和しながら、音楽みたいな律動を空間にもたらすように見えてくる。

「で、このリュードベリ定数Rも、さっきのプランク定数hも、光速の秒速約30万kmと、この電気素量eの2つの数字さえあれば、験的に求めることができるのさ(11)。ということは、E=nhf、つまり、光のエネルギーEには常に約1.60の比=黄金比が潜んでいると言えるんだよ。そしてnは整数だから、これもフィボナッチ数であらわされる数ってわけだ。」

  そしてキンゴはページをめくって、陽子のまわりに同心円のいくつかの軌道があって、そこに電子がまわっている原子モデルの図を見せる。

「そしてこれは、ニールス・ボーアの理論(12)だけど、さっきの子スペクトルとして出される光は、この図のように、電子が外側軌道から内側軌道へと2つの軌道の間をクオンタム・ジャンプする時、光子を発することによるのさ。たとえば水素原子の場合、n=6~2への軌道からジャンプする電子が、2つの軌道のエネルギー差に相当するエネルギーの光子を発するということだけど、それは次の4種類で、E=nhfにより、エネルギーがその光子の色を決めるんだよ。

  n=3から2へ:光の色は赤、n=4から2へ:光の色は緑、n=5から2へ:光の色は青、n=6から2へ:光の色は

  テツオ・・、ご覧よ・・・。美しいだろ・・・。虹のように・・。神秘的だと、思わないか・・・。」

  キンゴは静かに、テツオに向かって話しかける。テツオは写真を示したキンゴの細い指先にも見とれつつ、こんなに小さな量子の世界にもあった虹の光に、言いようのない感動を覚えている。

「確かに、虹だ・・・。これは神秘だ・・。こんな中にもあの黄金比が潜んでいるとは・・・。」

  そしてキンゴは、この原子スペクトルの写真の次に、意外にもテツオの好きな花々の写真も見せる。

「なぜ、花が綺麗な色合いなのか(13)。それは素分子中のπ電子が、花に光があたるとジャンプして、その時に吸収する光と補色の関係にある光が、人の目に色として映るんだよ。たとえば花が赤いという時は、その花の色素が青緑の光の色を吸収して、その補色である赤が目に映るというように。花がこんなに綺麗なのは、色鮮やかというだけでなく、その姿形も色のように、フィボナッチ数と黄金比が秘められているからなのかも・・・。」

  深くうなずくテツオを横目に、キンゴはいよいよその理論の核心へと入っていく。

「テツオ、たしかに君が気づいたように、光を受ける草の葉や花々に、黄金比のフィボナッチ数があらわれるということから、そもそも光の量子の世界にも、同様にフィボナッチ数と黄金比とがあらわれるということが、以上のように説明できると思うんだよ。そしてこの黄金比の約1.6や0.6というのは、草花、巻貝、ピラミッド、パルテノンやミロのヴィーナスあるいはモナリザというように、自然界、人間界のマクロ的な世界から、元素とその周期表、原子スペクトルにプランク定数、電気素量と、きわめてミクロな世界まで、一貫してあらわれて、しかもすべてが“光”にもとづき、また根幹的な“美”としてもあらわれるという決定的なものなんだよ。だって物理学の世界では、ニュートン力学中心のマクロの世界と、量子論不確定性原理のミクロの世界の統一が困難とされるなかで、この黄金比に近似の比率がこのように繰り返しマクロとミクロの両世界にあらわれてくるのだから。これこそまさにュートンが言ったところの、“初めに神は、物質を、その大きさと形、その他の性質および空間に対する比率を、神がそれらを形作った目的に、もっとも適うようにした(14)”という言葉の、まさしくその証の一つといえるのではないだろうか。」

「本当だ。俺も、きっと、そうだと思うよ・・。」

  テツオが感動しながらも受けとめるなか、キンゴはトーンを抑えつつ、語り続ける。

「テツオ、君の言っていた“美の絶対性”というものは、たとえばこの黄金比という自然界の実在で明確に担保され、物理学のマクロとミクロの両世界を渡るとともに、美を通じて、物質と精神の世界をも渡っているのさ。さっきのランク定数hというのは、その単位であるJs=ジュール・秒から見えるように、物理学ではこうしたエネルギー×時間というのを“作用”と呼んで、プランク定数hが存在していることを以て、作用の最小単位-すなわち“作用量子”が存在することを意味しているということだ(15)。ということはさ、まさしくこれと同様に、黄金比の1.6や0.6とは、自然界も人間界もマクロもミクロも相つなぐ、“美の作用量子”みたいに、言えるのではないだろうか!」

  テツオはここで、持論の“美の絶対性”を、ここまで昇華させてくれたキンゴに対して、深い感謝の意をささげつつも、ふと問いを発したくなってくる。

「キンゴ、そこまで考えてくれていたとは・・、本当に有難う。ところで、今までの一連のこの話と、LGBTって、どこがどう、つながっているんだろうか・・・?」

  キンゴはもはやモジモジせず、理論的にストレートに言いおさめる。

「今までの話の主役は、実は“光”というべきで、フィボナッチ数も黄金比も、またプランク定数も電気素量も、人間が観察し得た“光”の可視的な一面にすぎないと思うんだよ。で、僕が思うのには、この“光”と“美”と“性=SEX”と、“進化”そして“LGBT”とは、実はむすびついているのではって、ことなんだよ。」

  キンゴはここで、モネの絵みたいな印象的なその赤唇を、テツオに向かって寄せてくる。

「だから・・、例えば・・、どこがどう、むすびついているのだろうか・・・?」

  テツオはキンゴの赤唇を、生つば飲んで見つめ返す。

「それはまだ・・・、僕の中にも確信が持ててない所があって・・・、今すぐ君に、言える段階じゃあ、ないんだよなあ・・・。」

  と、キンゴは一寸、テツオから目をそらせて、赤唇を引っ込ませては口ごもった。テツオは-ここで妙につっこんで話をややこしくするのもアレだしと、キンゴをそっとしておこうと思うのだった。

「あ、そうそう、テツオ。ヨシノが言っているんだけど、ここらで僕らの進化論の研究を、互いに中間報告し合わないかって、提案が来てるんだけど・・・。」

  進化論はもともとは、子供を守らぬ人間に絶望したテツオが思いついたものだったが、キンゴとの共同研究が進むうちに、-それじゃあ、あたしたちも、高校の卒業記念に。受験のタシにもなるのかも-と、ヨシノとユリコも加わってきた。それでテツオとキンゴが進化論の全般をやるのに対して、彼女ら二人は人類史-それこそ原初のミトコンドリア・イヴ、アウストラロピテクスのルーシーから、後のヒトの進化について、同様に共同研究していたのである。

「そうだな。ここで一度、まとめておこうか。ユリコも何だか、あのネアンデルタール人に、やけにこだわっているようだし・・。」

 

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  そんなわけで5月のある日、4人は授業のはねた放課後に、教会へと集まった。

「イヤイヤ、テツオもキンゴも、チョットあたしたちの話を聞いてちょんまげよ。もう、こちとらはね、近ごろズゥーッと、ネアンデルにナヤンデルときてるんだから。」

  ヨシノは独りモクモクたる受験勉強、その束の間の解放感か、しゃべることそのものが殊のほか楽しいみたいなオーラである。

「ヨ、ヨシノ・・。初夏へと向かう今日この頃、さっそく寒いギャグだけど、人類史の問題って、やっぱりあのネアンデルタール人へ行きつくのかい?」

「そおよぉ。決め手はやっぱりその、ムシ歯に悩んで横になってた、寝病んデンタールな人々なのよお。」

  ヨシノは、-今後のはどお?-とでも言いたげに眉をつり上げ、目を大きく開いてくる。

「・・・で、ネアンデルタール人の話というのは、やはりその絶滅の大きな謎が、ポイントなんだろ。」

「そう!そぉなのよ。ほら、あたしらよく人間は恐竜みたいに滅びる滅びるって言ってるけれど、同じ絶滅考えるんなら、恐竜よりも同じヒト科ヒト属で、ホモ・サピエンスの姉妹種だったネアンデルタレンシスの絶滅の謎にこそ、迫るべきだと思うのよぉ!」

  ユリコもまったく同感みたいに、首を深くうなずかせる。ヨシノはそれで、竜神の絵のカバンの中から、いろんな資料を取り出して、語り始める。

「あたし達人類は類学上、霊長類のヒト科ヒト属に属していて、ゴリラやチンパンジーたちから約500万年前ごろに分岐したといわれていて、約170万年のホモ・ハビリスから脳容積がチンパンジーなみの500ccから600ccへと増え始め、約70万年前の脳容積約900ccのホモ・エレクトスが地理的に広がった最初の人類とされているのね(16)。そしてこのモ・エレクトスから火の使用と、おそらくは言語の使用も始まったといわれていて、また家を作ったとの指摘もある(17)。それであたし達ホモ・サピエンスは40~30万年ほど前にアフリカで誕生してから世界各地へ拡散し、これとはに約50万年以上の間、進化の系統をたどってきたのがホモ・ネアンデルタレンシスで、彼らはサピエンスと同時代を生きた後、約28000年前にスペイン南部で絶滅をしてしまったのよ(18)。それで、サピエンスとネアンデルタレンシスとの伝的相違というのは、サピエンスとチンパンジーとの相違の約半分らしくって、ミトコンドリアのDNAも異なっており、やっぱりこの二つのヒトは、亜種以上の大きな違いがあるらしく、別の種と見る説が有力らしいの(19)。でもさ、ほら、この写真を見てごらんよ。」

  と、ヨシノはここで一枚の、少女の写真を見せてくる。

「だれこれ? 外人の歌手かなんか?」

「これはね、復元されたネアンデルタール人の女の子よ。」

「・・・、カワイイじゃん! なあ。」

「・・・うん。かわいい。カワイイよ。」

  テツオもキンゴも興味津々。

「でしょオ! ネアンデルタール人ってさ、ーロッパを中心に生きていたから、高緯度では紫外線が強くないためメラニン色素が要らなくなり、髪は赤く、肌は白かったといわれていて、すでに服も着ていたそうだし、男性は眉上突起があるけれど、女性は地下鉄で乗り合わせても気づかないほどサピエンスと変わらなかったらしいのよ(20)。」

「じゃあさ、外見がこんなに似かよっているのなら、彼らの身体能力や文化程度って、どうだったの?」

「まずさ、彼らがを着ていた根拠は、ヒトの衣服にだけ住み着くコロモジラミが他のシラミと分岐したのが約7万年前、それでヨーロッパの寒い気候に適応し、三度の氷河期を乗り越えて20万年以上に渡って生存した彼らも当然、毛皮は着用していただろうと(21)。それとの層が一緒になって発見されたホモ・エレクトスがすでに先人としていたのだから、火も使って調理で肉も食べたであろうと(22)。それで語の使用については、彼らも言語にかかわるFOX2遺伝子をもっていて、また石器も使っていて、さほど大きくない集団を形成し、大型草食動物の狩猟で生活していたから、言語を使ってチームで作業をしていたと推測をされている(23)。ネアンデルタレンシスの身体は骨も筋肉も頑丈で、全体的にサピエンスより強靭だったといわれている。そんな彼らはマンモスみたいな大型動物の狩人で、化石にキズも多いことから、過酷な人生だったのかもね。でも、ケガした仲間を見捨てることなく病して、時には介護もしていたようだし、死者への埋葬儀礼もやっていたという話よ。埋葬をされていたのは男性で、その周辺には花粉や常緑樹があったという(24)。ということは、これはあたしの推測だけど、彼らにも男性優位の身分差があったのかもしれないし、また、死者に花を手向けたということは、死後の世界を意識して、生死を区別し、かつ、花を何か天国=楽園のイメージにむすびつけていたのかもよ。」

「じゃあ、ネアンデルタレンシスの、たとえば脳の大きさって、どれぐらいだったのかな?」

「それがさ、アンデルのは最大で約1700ccということだから、サピエンスの平均の約1400ccよりも脳は大きかったといわれているのよ(25)。これは一説には、彼らは冷地を肉食で暖かくして体力を保つため、サピエンスより一日350kcal余分に必要だったことの影響だという(26)。また、ネアンデルの頭部には出っ張った部分があって、その眼孔はサピエンスより20%大きかったそうだから、彼らが日差しが弱い所でも生きれるように視覚を特に発達させたという指摘もある(27)。そして、これもあたしの推測だけど、テツオとキンゴはよく“光”の話をしてるじゃない。で、この光に関しては、ネアンデルはアフリカ出身のサピエンスよりも、光=電磁波のエネルギーのより高い紫外線がより少ない地域に住んでいて、それでかつ、光に対して特に視覚を発達させるのにその脳のエネルギーをより費やしていたということだから、光がもしもヒトの知性と関係するということなら、この違いは大きいかもよ。というのはさ、脳の大きさは頭の良し悪しには関係ないってことだから。ナトール・フランスの脳は0.9kg強で、アインシュタインもそれより1割重い程度だったというし(28)。代謝で調べるとね、頭の大きい人たちは小さい人より代謝レベルが低いことから、結局トータルの代謝量で見た場合、人の脳の働きはその大小には関係ないっていう話よ(29)。」

  ここまで話すと、ヨシノは-あー疲れた-といった感じで、長い髪をバサッと振って戻しては、教会の長椅子に腰かけ直す。

「あ~疲れた、疲れた。あたしもここまで話すのに、かなり脳を使ったからサ、ここらで小咄をいっぱつカマして、ラリックスしよーじゃないの。」

  と、例のごとく、小咄一席、ぶとうとする。

「ネアンデルの母と娘が、マイホームの洞穴で、火を焚きながら話をしている。娘は母に、新しい服が欲しいってねだり始める。“ママー、あたしの服って、ねー、編んでる?” すると母は、外を向いてこう言うの。“雨が降ってきたからさ、狩りに出掛けたパパのことが心配で。外の雨って、ねー、やんでる?”」

「おもしろくも何ともないよ。」

「同じパターンの繰り返しで、頭を使ったヒネリもないし・・・。」

「じゃあ、これどう? ネアンデルタール人と同時代のホモ・サピエンスクロマニヨン人。この二人がある日ばったり出くわした。クロマニヨン人はさっそうと馬に乗り、それを見たネアンデルは開口一番、こう言った。“あっ、黒馬にON!”って。」

  ユリコだけは女友達のよしみもあってか、プッと吹き出す義理がたい所作を見せる。

 

「でもさ、今まで聞いた所では、ネアンデルタール人っていう人たちは、当時の我々ホモ・サピエンスより何ら劣ってないようだけど、同じ地球の時代を生きてた彼らが、どうして全員絶滅して、我々ホモ・サピエンスだけが唯一の人類として生き残ったのだろうか?」

「そう!そこなのよ、問題は。でさっ、あたしら4人、あの3.11以来この方、疑う者は救われるってな感じで、大人の定説なんてもの、まず疑ってかかるじゃない。それでヒトの進化も現存しているサピエンスが勝手に語っているんだけど、定説ではネアンデルの知恵がサピエンスより劣っていたため、気候変化についていけずに絶滅したっていうことらしいの。でもさ、土台、あたしたちサピエンスって、“差比猿子”=何ごとも差別し比べるサルの子みたいに、差別意識のかたまりじゃないの。だからネアンデルに対しても、彼らを劣等種にしてサピエンスを優越種にしたいって下心が、この定説の根底にあるんじゃないかと思うのよ。定説ではさ、ネアンデルはサピエンスより、特に“言語と抽象能力が低いか、あるいはほとんど無かった”ということになってんだけど、人間の言語なんて、あの3.11後、250万人もの強制避難が検討されるほど国の滅亡寸前まで来て、何万人もの難民が出たというのに、地震国でありながらこの国の原発再稼働差し止め裁判での原告=住民側を敗訴させる判決文によくあらわれているように、要するに不誠実なウソつくためにあるようなものじゃないの。それにさ、あたしらずっとキンゴのパパと内部被ばくの講演会やら勉強会に出向いてきたけど、どこでもいつでも思うのは、言葉があるというのにさ、“被ばくって本当に伝わらない”ってことなのよ。ということは、人間の思いというのは、その差別意識が根底にある限り、必ずしも言葉では伝わらないということよ。だってさ、互いのコミニュケーションってのは、程度の差こそはあるものの、アリやミツバチ、イカもイルカもサルたちも、その能力を持ってるじゃない。植物だって危険が来たら、フェロモン飛ばして近くの仲間に知らせるっていうんだから。というかさ・・、あたしは最近思うのだけど、人間って本当に文章を読まないよ。こんなに識字率が高い国でも、文章を読まない、読めない人たちが多い国って、この国特有の現象なのか、それとも人類共通の現象なのか。だからさ、きっと本質的には、放射能や被ばくの危険がわからない以前の問題なのよ。これはさ多分、選挙に行かないこと等にも通じている。それにさ、人間の記憶力や学習能力にしたってさ、それはさほどのものじゃないよ。オロギだって幼虫期の匂いの記憶をほぼ一生持ち続け、ハトやヒヒの実験でもかなりの記憶力が認められる(30)というのにさ、人間は戦争をいくらやってもやめないじゃない。アメリカはベトナム戦争でも懲りずにまたイラク戦争やったしさ、この国はヒロシマナガサキから約70年、3.11ときてもまだ“直ちに健康に影響ない、100mSvは安全・安心、食品基準は100Bq”と公言して、しかも当の国民はそれを受け入れ、選挙の争点にもならず、再稼働を認めているというのだから。」

  ヨシノはここまで語り終えると、-やっぱこんな話はするのも疲れる-といった感じで、はぁーっと大きなため息をつき、教会の長椅子にどっかりと座り直した。そこでユリコがその思いを引き継いで、静かな口調で言葉をつなげる。

「イエスに12使徒、釈迦に10大弟子というように、あのクラスの人たちでさえ、多くの人には伝わらないもの。かのウロが“文字は人を殺し、霊は人を生かす”(31)と言ったように、言葉はむしろ人が争いのツールとするもの。バベルの塔の物語で、神が傲慢な人間の言葉を乱して通じ合わなくさせたのは、示唆的なお話なのよ。それとサピエンスの定説でネアンデルを劣等種と決めつける決定的な証拠とするのは、彼らが祭祀や象徴性をあらわすような芸術性のあるものを残さなかったということなのね。例えばクロマニヨン人は、有名なあのラスコーの壁画を残しているけど、ネアンデルタール人はそれほどの想像力・創造力はともになかったということらしい。でも祭祀の跡といってもさ、たとえば沖縄の御嶽にせよ、アメリカなど世界各地の先住民にせよ、自然の空間そのものに神聖を見出していたのだから、そもそも自然を加工した祭祀の跡が常に残るとはいえないのよ。それに芸術の創造というのにしても、たとえば“花”の完璧な芸術性に気づいてしまえば、パウル・クレーが“芸術は神の創造に対して比喩的な関係にある”と言ったように、人為的な造形物などあえて作る必要もなかったのかもしれない。人為的な造形物は、むしろ物欲の対象とさえいえるし。だから、石器は作れど絵は残さずというだけで、抽象的・象徴的な知性や、想像力・創造力が欠けていたとはいえないと思うのね。それに、ネアンデルタール人たちは死者に対して花を手向けたという話は、他の動物たちにも仲間の死を悼む行為は見て取れるっていうけれど、生と死を区別して、死に対して花をあわせるという行為はヒトだけのものと思う。死と花とをむすびつけたということは、天国のイデアがあったのかもしれないし、個体の生死を超越した、神、あるいは、真・善・美といった抽象的な観念があったとしてもおかしくはない。ということは、テツオとキンゴが言っている、自然界の1.6の黄金比にあらわれる“美の作用量子”なるものを、その精神には持っていたのかもしれない。しかも、ネアンデルタール人たちは最大でも7万人程度だったといわれていて、毎日高カロリーを必要とする狩猟暮らしを限られた環境でしていた割には、土地を争い、殺戮し合った形跡がないらしいのよ。ということは、ネアンデルタール人たち同士の殺し合いもなかったし、逆に彼らがホモ・サピエンスに征服されてジェノサイドされたわけでもない-ということになる。」

「そう!そぉなのよ。このように、知れば知るほどネアンデルな人たちって、決して野蛮でもアホでもなく、殺し合わない、ジェノサイドしない、生産性などと言わずに介護はするしで、あたしたちサピエンスより平和的で、むしろいいヤツだったのかもよ。もし、昔、サピエンスが絶滅してさ、ネアンデルがヒトの種として生き残っていたのなら、核も汚染も戦争もない平和な地球のままだったのかもしれないよ。でも、もうサピエンスは子供を守ろうとはしないから、そのうち絶滅するんじゃないの。

  ま、あたしたちの報告は、ざっとこんなもんだけど、今後はあなたたち男子二人の共同研究、ちょいと聞かせてちょんまげよ。」

  と、ヨシノは持ってきた添加物のないお菓子の袋を皆の方へと開けながら、早や一人ボリボリとつまみ始める。テツオはキンゴが大いに真面目に物語る彼らの仮説が、性=SEXの進化論ともいえるので、女子二人の反応を注意深く見ていたのだが、意外にも彼女らにもウケていて、ヨシノもユリコもボリボリしながら笑ったり、うなずいたりを重ねている。そして4人が、最後の甘納豆をつまみ出したその頃には、彼らにはまた共通の問題意識が持ち上がってきたようである。

「結局さ、ネアンデルタール人っていうのはさ、同じ地球の環境を生きていたサピエンスと、存続と絶滅を分け合うほどの大きな差異はなさそうなのに、サピエンスより先人で、何度も氷河期を乗り切った身体的にはより頑丈なネアンデルタール人が絶滅して、サピエンス一種だけが唯一のヒトの種として生き残ったということは、やはり大きな謎といえる。性=SEXの進化論の見地をもとに、直立二足も体毛・尻尾の喪失も、男性が女性より大きく強い性的二型の特徴も、ヒト属の全体にいえるとするなら、サピエンスの一種だけが生き残ったのは、何か“見えざる所”に決定的な大きな違いがあったのでは-ということだろうね。それにまた、その生き残ったサピエンスが、ここに至ってもはや子孫を守らないのも、また生物としての大きな謎-といえるよね・・・。」

 

  さて、ここで話が一段落して、お菓子も絶えたタイミングで、ヨシノとユリコ、そしてキンゴもしめし合わせたような感じで、まずはヨシノが、テツオにこう切り出してくる。

「でねッ!テツオ~、ここであなたにゼヒ、お話しがあるんだけどぉ~。ホラ、こないださ、テツオが風邪をひいて休んでた時、こんな話があったのよぉ。ホラ、アイさんのあたしたち“子ども革命独立国”のDVDが海外で公開されて、それを見たチェルノブイリの親子保養活動を続けているヨーロッパのある市民団体がさ、あたしら4人をぜひ招待したいっていう話ィ、受験が終わって合格発表までの空きの期間に、この際、卒業記念旅行も兼ねて島のみんなで行こうってなったじゃない。それでね、その団体っていうのはさ、あたしたちと同様に独立系でどこからも支援を受けず、いっさいの利権を絶って運営をしてるんだけど、毎年長期の保養を受け入れて、今や地球各地の様々な国と地域の核汚染地から、いろんな文化の人たちがやって来るものだから、参加者たちは一種の文化交流的な、伝統舞踊とか民謡とかの小さな“余興”をやるっていうのが恒例らしいの。」

  テツオは、珍しく風邪をひいたのは、-月夜に己のペニスを晒して、棒ダチのまま、タマらなく寒かった-からだろうと思い起こした。

「ふうん・・、じゃあ、俺たちも、ここの県の文化圏の住民らしく、阿波踊り人形浄瑠璃のさわりみたいなこと、やったらいいんじゃないのかな・・・」

「いいや、それが、人形浄瑠璃じゃあ、すまないのよね・・・。」

  テツオが彼らがこの話をしていた時に、まさか校長がいたのではと、不安になる。

「・・・、まさか、歌舞伎をやるっていうんじゃ、ないだろうな・・・。」

「テツオ、そうなんだ。まさにその歌舞伎をやるのさ。演目ももう決まっていて、校長のことだから歌舞伎はそれも十八番の“勧進帳”、校長が責任もって指導をして下さるということだ。校長が言うには、何でも弁慶の勧進帳の読み上げから山伏問答を一部略して、富樫が義経たちを逃す所までやれば、15分程度で外国の皆様方にもよく理解して頂けるよう編集できるということだ。」

  ヨシノから話のバトンを渡されたキンゴが語る。

「・・・15分程度ったって・・、じゃあ、配役はどーすんだよ?」

  すると3人は待ってましたというように、ヨシノは義経、キンゴは富樫、ユリコは英語の解説役をあい勤めると、スラスラ答える。

「・・義経って、たしか座ってるだけでセリフはないし、富樫も山伏問答で短い質問発するだけで、二人とも楽勝じゃん。ってことは、弁慶役の俺一人がひたすらセリフを言えってこと・・?」

「だあってさ、あたしたちは受験勉強あるからさあ、そんなの覚えてらンないよぉ。」

「じ、じゃあ、衣装はいったい、どーすんのさ?」

「衣装はもともと、これは能がかりの演目だから、各自、着物に袴着で、メーキャップなしでも大丈夫なんだそうよ。それであたしは母の卒業式のを借りてぇ、キンゴも趣味で落語をやっているパパのを借りてくるんだって。テツオのは、校長がいつもの藍の剣道着を貸してくれるということよ!」

  テツオはここで、彼が抱いていた不安がついに、的中したようである。

「ヤダッ!ヤダ、ヤダ、ヤダ、ヤダ、いやだ、ヤダ。校長のあのコロモジラミがわくような剣道着、“道化師”じゃあるめぇし、“衣装を着けろ”と言われても、ゼッタイにヤダからな!」

「“軽ゥそう”に言われても、それでもヤダ?」

「これは歌舞伎じゃないけどさ、俺っテナー、できねえよ!」

「テツオ、だけど、着物と袴一式って揃えるのはお金かかるし、別に男同士でそれくらい、いいじゃないの。」

「校長は人間的には大好きだけど、あんなチェゲバラみたいなヒゲもじゃ、毛深く、しかも汗臭い剣道着、オトコ同士だからこそ、俺はイヤだ、イヤだッつーの!」

  そこまで言ったテツオは、ならばこれから直訴すると、校長の家に向かって飛び出した。

 

  テツオが校長の家に着こうとする時、ちょうどタイミングよく校長が釣りにでも行こうとするのか、一人玄関から出てきている。

「おおーっ!テツオくん! さすがに君はわが教え子にして今やわが友。スヴェトラーノフスメタナみたいにすべらない“わが祖国”の、数ある諸芸の最中から、バテレンたちにご披露せんと、またニセ愛国者の多い昨今、真の愛国者にふさわしく、県の伝統芸能たる阿波踊り人形浄瑠璃さしおいて、近頃殊勝の御覚悟(32)、先に承り候えば、歌舞伎はそれも十八番“勧進帳”の弁慶を、相勤め申し候とは、さらに凡慮の及ぶところにあらず、弓矢正八幡の神慮と思えば、忝く思うぞよ。これからは、弁慶は7代目幸四郎、富樫は15代目羽左衛門義経は6代目菊五郎空前絶後の名舞台のDVDを教材に、所作もきちんと教えるから、とにもかくにもそれがしに御任せあってということだ。」

  と、校長はヒゲッ面をしごきながら、いたくご満悦の様子である。

「い、いえ、先生、そ、そのことで、お話しが・・、特に衣装のことなんですけど・・、」

  すると校長、意外にも、顔をしかめてすまなさそうに、テツオに向かって頭を下げる。

「して、山伏のいでたちは-というのだろう。いや、それがだな、それがしの剣道着は、実はそれがし今月より、県の子ども道場でボランティアの剣道師範を相勤め申し候ほどに、君に貸すのがなくなっちまって、これは由々しき御大事と、悩んでいるところなのだ。」

「センセー!! 何も悩むことはありまッせんよっ! ではこの企画はボツッてことに・・」

「いや、早まり給うな。実はだな、この悩みを女房が嗅ぎつけて、やあれしばらく御待ち候えと、彼女の卒業式用の着物と袴の一式を、テツオ君に貸してあげたらって言うんだよ。だがな、俺はその時女房にこう言ってやったんだ。“女房、だからお前さんはだな、女心の赤坂(33)だっていうんだよ。そりゃァな、テツオ君はたしかに我らの教え子なれど、今やこの男伊達の総本山の俺様みたいに、チノパン履いたらかのバレンチノと称してもバレそうもない美青年へと成長したのだ。そんな彼が相勤める弁慶に、弁天小僧や阿波踊りじゃあるめえし、ファンデーションが汗に浮き、ョウタンばかりが浮くものか、あたしの心も浮いてきた(34)と、女ッ気のしたたるようなベラシャラしたお着物を着てみまァせなんてこと、この俺様が言うともなれば、千釣をあぐるそれがし、口もしびるる如く覚え候”って。」

「先生、おっしゃる言葉がイチイチ長くて僕にはよくわかりませぬが、要するに先生の剣道着が貸し出せなくなったその代わりに、レイコ先生が卒業式に準備されてた着物と袴の一式を、僕に貸して下さるということでしょうか?」

「さん候。女形義経は源氏なれど、平たく言えばそういうことだ。それにな、女房は重ねてこう言ったのだ。“ヨシノもキンゴも外国で、晴れ着としてのお着物を着るのだから、あの垢まみれの擦り切れたる剣道着を着せたりしては、テツオ君が可愛そうだし、第一、義経よりも弁慶が-いかにもくたびれたる体にもてなし-になっちゃうでしょ。テツオ君はややなで肩だし、着物だからおはしょりで調節すれば丈はきれいに収まるし、それにこの着物と袴は上下とも濃淡ちがいの無地の二藍、たしかに女物だけど、格調高く見えるから、外国でご披露するにはいいと思うよ”ってな。」

  ここまで聞けば、テツオが不安のコロモジラミも、オトコの着物の恐怖から、甘い香りをふんだんに羽根に盛ったモルフォ蝶へと変態し、金ぷくりんの鱗粉を宙の高みに放ちつつ、天にも青く舞い上がっていくかのようだ。

「先生ぇえ! かかる尊き大役を、しばしもためらい申せしは、眼あってなきが如きわが不稔。この上は勧進帳の配役につき、弁慶・富樫・義経の、三役すべてをマスターします!」

「そうか!君はやってくれるか。あら、有難の大檀那、現当二世安楽ぞ、何ぞ疑いあるべからず。」

  校長、大いに感心してにぞ見えにけるが、テツオはここで、心変わりの成果物を、決して忘れはしなかった。

「先生、重ねて申し上げますが、僕はどぉせ大役を勤めるからは、これからは日々勧進の心を養うために、まずは型から入るが大事と思いまして、レイコ先生のお着物はじめDVDなど嵩高の品々一式、ただ今僕にお預け下さい! なお、校長先生はお忙しいと思いますので、DVDによりながら僕一人でも独学できると思います。」

「そうか、君は誠に私の教え子。三年間もの長きに渡り、伝法の甲斐があったというもの。世は末世に及ぶといえども、日月いまだ地に落ち給わぬ有難さ。」

  校長が、一期の涙ぞ殊勝なると、涙ぐむのを後にして、テツオは自分の智謀を実感しながら、お着物一式風呂敷ごとたずさえて、ヒョータンばかりが浮くものか、あたしの心も浮いてきたと、一人寮へと帰っていった。

 

  そしてテツオは、寮の自室に戻るとすぐに、彼の二つのクローゼットのうち一つ-今や他にも女物が吊るされた彼のささやかなコレクション-へと、丁寧にレイコの着物と袴一式を仕舞い込もうと風呂敷から取り出し始める。そして彼はレイコの着物を仕舞う前に、彼女の旧姓入りのその生地へと頬を押しあて、匂いを嗅ぐのを忘れなかった。しかし、彼の嗅覚が覚えたのは、ただ防虫剤の芳香だけ・・・。

  -はて、しかし、これってほとんど着ていないのでは・・・-

と、テツオは一瞬思うのだが、それにも増して、レイコの着物の二藍の、色移ろいの美しさへと、目を奪われていくのだった。

 

 

第十二章 ムシのお知らせ

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  今日、私は、心も高ぶるデートの日。レイコさんと県美へと、ご一緒する。

6月になり、県内の予備校では早や模擬試験や補講などが始まって、先生は浪人向けの平日枠のにキンゴとヨシノを受けさせることにして、テツオは畑で忙しいでしょうからと、私一人を課外授業という名目で、時おり連れ出してくれるのだけど、この日はご当地出身でタカラヅカにも縁のある『“中原淳一”企画展』ということで、私の方からお誘いした。

  私はこの日、初夏らしく、花柄ドットのヴィンテージ風ワンピース、赤や緑がよく映えるカンバスみたいな白を着込んで、肢体を風にまかせつつ、先生のお宅へと近づくと、海風にのってくるのかピアノの音色が聞こえてくる。竹の垣根に沿いながら、菩提樹のさしかかる玄関へと歩いていくと、先生のガーデンには、アナベルアジサイ、バラのほか、コスモスにマリーゴールドラズベリーらの花々が、ハスの長池ミニトマトのアーチのまわりを取り囲むようにして、赤やピンクやオレンジの色鮮やかさを咲かせているのが見えてくる。

「先生・・、私、初めて聞く曲なんですけど・・、ドビュッシー以上にドビュッシー的なようで・・。でも、和音は、とても和風な感じもしますし・・。」

「これはね、宮城道雄さんの『瀬音』といって、本来はお琴の曲で、私が聞いたのは二重奏。十七絃の音色はとても綺麗だったのよ・・・。これはそれを、ピアノへと編曲したもの・・。」

  レイコさんはそう言うと、もう一度弾いて下さり、弾き終るとピアノの蓋をパタンと閉じて、-じゃあ、出掛けましょうか-と、私を島の桟橋へといざなってくれるのだった。

  私たちは県の漁港へと着くと、そこからは鉄道で中央駅へ。そして高台の森にある県立美術館まではバスとなるが、ちょうど通り雨にあたってしまい、窓の大きなノンステップバスの中はまるで大きなクリスタルガラスのようで、進むにつれて、雨粒の斜めの線が窓ガラスの水玉模様を散らしていく。

「ユリちゃん・・、こんな雨の日の時でも、“行”はされるの?」

  先生はふと、アルトの声でそんなことを私に尋ねる。

「ええ、本来は。行は雨風に関係なくやるものですけど、私は雨天はさぼっています(笑)。オバアももう、見過ごしてくれているみたいだし・・。」

  先生は笑っていたが、-私もいつかは、やってみたいな・・・-と、ほとんど気づかれないような小さな声で、窓の外の雨に向かってつぶやくのが、私には聞こえてきた。

  バスは青い石畳の坂道を上がっていき、路面の雨も反射して、窓ガラスへと差し込んでくる光も青く屈折をしていくようで、それが彼女の装うペールブルー、そのモノトーンの波長のなか、二人の赤い唇が、雨降る窓の向こうから、ヴィヴィッドに映ってきそうな感じがする。

 

  バスが県美に着くころには、通り雨はあがっていたが、先生と私とは、そのまま県美の企画展へと入っていく。いっしょに絵を見てまわるのはこれが初めて。混み具合や絵の好みで、お互いに一緒になったり離れたり、その頃あいがまた楽しいのだが、でも彼女は、時おり私の方も見てくれているようで、私も絵を見ながらも、彼女をまるで絵姿を眺めるように、その横顔や後姿に目をやっている・・・。

  そしてこの日の私のお目当て、淳一画の『春をまつふたり』(1)の絵があらわれた。右の女性は姉役で、左の少女はその妹役といったところ。二人の真紅の装いが、壁のような質感のグレーを背にして、いっそうその鮮やかさを放っている。二人はともに足をくずして床へと座り、姉の方は妹へと大きく左へ身を傾けて慈しむその上半身を両手で支え、また妹は身も心も甘えるように腰をくゆらせ頭をたむけ姉にその身をまかせている。まるで一本の樹の根からあらわれた二人の女性-これは、ダヴィンチの『聖アンナと聖母子』の絵にいわれたことだが、それはそのままこの絵にもあてはまる。私はこの絵を見つけるとすぐ、まだ前の絵を見ていたレイコさんの小肘をとらえ、-先生、これを-と連れてきて、彼女といっしょに見入りながらも、その反応を見ようとする。レイコさんは微笑のまま、-幸せそうで、かわいいわねぇ-と一言つぶやき、私といっしょに、しばらくその場を離れなかった。

 

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  企画展を出た私たちは、売店で今日の記念のポストカードを購入すると、今度は先生からのお誘いで、美術館まむかえの県立図書館へと入っていく。実は毎年この時期には、来年度採用の検定済み教科書の閲覧会が別室で開かれていて、先生はそのチェックにと今月は図書館に通うという。

「以前から、歴史修正主義による改変とか、道徳の復古とか、教科書の問題がもち上がってはいるけれど、私は職員時代からずっとチェックはしてきているのね。私が思うに、権力=ファシズムは、古くは秦の始皇帝、近くはナチスがそれぞれ焚書をやったように、歴史・社会・道徳を攻めると同時に、やがては覚えるだけで考えない歴史とか、生徒が実はシラケている道徳よりも、その国の言語を支配しようとねらってくる。だから私は、必ずこの現代国語を見ているのね。」

  私はだから先生は、理系の後に国語の免許も取ったのかと理解した。この日、閲覧会の別室には人はおらず、たくさんの小・中・高の教科書が出版社ごとに並べられたテーブルを前にして、先生と私とが、まるで二人で検定をするみたいに座っている。いつもの教職員っぽいコンサバからは抜け出して、この日はシルクのとろみブラウスと、ゆれるシフォンのプリーツスカート、そして彼女には珍しく白いヒールのストラップと、フェミニンさを漂わせた先生だけど、教科書を見ているうちにいつもの顔に戻っていくのが、私にはおかしかった。そして私も先生に合わせるように何冊かを手にするうちに、ある興味深い文章に出くわした。それは、V・E・フランクルの『夜と霧』(2)、ナチの強制収容所の体験記録からの一文だった。

  -“・・・こうした人間の生命維持に直接に役に立たない全てのものの価値の低下は、人間自身にも、また、自己の人格についてもいえた。人間を根絶政策の強制的対象とし、その前に、身体的な労働力を徹底的に搾取する環境の暗示を受けて、ついには自らの自我も価値の低下を経験せざるを得ないのである。収容所内の人間は、まだ主体であるとの感情を失っていき、まして内的な自由や、人格的な価値をもった精神的存在などは尚更で、彼はもはや自分を群集の最小部分としてしか感ぜず、その存在は群の存在の水準にまで低下するのである。しかし、人間が強制収容所内において、外的にのみならず、その内的生活においても陥っていくあらゆる原始性にもかかわらず、たとえ稀ではあれ著しい内面化への傾向があったということが述べられねばならない。・・・私の目の前には、妻の面影が立ったのだった。よろめきながら進んでいる時、もはや何の言葉も語られなかった。しかし、われわれはその時、各々がその妻のことを考えているのを知っていた。・・私は妻と語った。私は彼女が答えるのを聞き、彼女が微笑するのを見る。私は彼女の励まし勇気づける眼差しを見る。そしてたとえそこにいなくても、彼女のその眼差しは、今や昇りつつある太陽よりももっと私を照らすのだった。私は生まれて初めてあの真理を味わったのだ。すなわち愛は、結局人間の実存が高く翔り得る最後のものであり、最高のものであるという真理である。私は今や、人間の詩と思想として、そして信仰とが表現すべき究極の極みであるものの意味を把握したのだ。それは愛による、そして愛の中の被造物の救い-これである。”-

  私は隣の先生に、この文章をさし示した。先生は以前からこの箇所、そしておそらくは『夜と霧』の書物自体も読んでいたようだったが、改めてこの文章を読むうちに、両手を組んで何かを深く、考え込んでしまったようだ・・・。

 

  テツオはこの日、彼のかねてのプロジェクトを、ついに決行しようとしている。この日、島の皆はすべて出はらい、夕方までは誰も帰ってきそうにない。彼はこの日を、じっと待っていたのである。

  テツオは改めて朝風呂にて、入念にヒゲを剃り、また念入りにバラの香りのシャンプーとボディーソープで髪の毛と体を洗うと、自室に戻って自分用の足袋と襦袢を取り出しては、合わせ向かいの姿見の間に立って、レイコの着物と袴を試着し始める。彼はアラサー、アラフォー、アラフィフの、女性ファッション誌は常々チェックしていたので、着物の着付けも今や一人でできるのだった。

  そしてテツオは、出来上がった自分の着物と袴の装いを、改めて全身通しで姿見で、所々で身をそらしてポーズを取りつつ、ため息をつきながら眺めている。-もとよりスタイルもマスクも美々しい私・・、しかし和装は素材のよさをはるかに引き立て、思いのほか似合っているわ・・。レイコさんの着物と袴はともに“二藍”。それは藍に紅花をかけあわせ、藍は深い瓶のぞきから、はなだ色、紺色、褐色へと移ろって、紅は撫子、桜、桃染、紅梅、そして今様、唐紅と、色調を深めていくのよ・・-

  テツオはここで、“マーラーのアダージェット”をBGMに選曲すると、鏡の前にあらためて、袴の膝をそろえて座り、化粧品を取り出しては、今までの試行錯誤の彼自身の“お化粧”をし始める。まだ十代の美肌とはいえ、ヒゲ剃り跡は絶対隠さねばならない-これが彼の場合は女装の最大難所のようだ。それゆえ試行錯誤はこれからも続くのだろうが、まず当面の仕様としては、下地を兼ねた濃いファンデーションを、顔下半分、顎から首へと、クリィーミィーに塗りつけていく。そしてその上から、特にヒゲ剃り跡が青く目立つ口の周辺、顎まわりに、青の補色のオレンジ色のコンシーラーを、肌に直に押し込むように“置いて”いく。さらにその上、一番濃いいリキッドファンデを肌になじませるようにして、指先から広げていけば、一応これで土台は仕上がり、あとはチーク用のローズピンクの頬紅をうっすらと全体的にまぶしこんで血色良くふっくらと見せると同時に、ヒゲ剃り跡をごまかす効果をはかるのだった。これで頬紅が目立たぬかわりに、彼は指に口紅をつけ、それを直にチークに入れていくのだが、最後にルージュ-思いっきり極めつきのダークレッド*バーガンディーを、ティッシュオフを重ねながら、その唇へと盛っていく。耳の上までたくわえられた髪の毛は、あたかも女性のショートヘアー。仕上げとしてフレグランスを振るようにふりかけて、何週もリバースしたアダージェットのBGMをようやく止めて、彼の女装は完成をしたようである。アイメイクは目の焦点がぼやけるような感じがするということで、今日はまだやらないようだ。

  -・・・ああ、バラの香りがたちこめるなか、私は再び鏡の中の自分に見入る・・・。何て美しく、あでやかで、なまめかしいのか・・・。まさか自分が、ここまで綺麗になるなんて・・・。いや、ずっと思っていたとおりだったわ。私は、“私は美しい”のよ。花のように。だから私は、自分の美をさらに求めて、花のように、雌雄同体になっていくの・・・-

  彼自身のコンプレックス-男子にしてはややなで肩なのと細い首筋-これがむしろプラスに転じて、確かにもとの男の骨格と雰囲気とが全体的な線の太さを与えているとはいうものの、あとは手のこなし首のこなしで女っぽさを追求するしかなさそうだが、これがかえって女性に対する“あたしの方がきれいなのよ”みたいな、彼自身の女としての対抗心に火をつけるようである。

 

  “さあ! 美しい私よ! これから初めて、いざ太陽の下へと出よう!!”

  足には高めの草履をはいて、手には蛇の目の日傘をさして、意識的に腰高に、ヒップをゆらせるモンローっぽい“女っぽウォーク”に努めつつ、太陽の光のもと、いよいよテツオは女装としての第一歩を踏み出した。ペチャパイを矯正すべく、胸はあばら骨ごと前へと突き出し、一方お尻は大きく見せようと、左右の尻をあえて後ろに残すくらい突き出して歩くという、彼の女っぽウォークは、より内マタに見せるべく、左右の足を一直線を行くように補正をかけつつ、シャナリシャナリと進められてはいくのだが、テツオはこの女っぽウォークの筋肉痛の代償として、これがヒトの二足歩行の美の原点ではと思えたりもするのだった。

  -ともすると、ヒトの雌は、前にはバスト、後にヒップと、重量的にも顕示的にも前後に二カ所を大きくさせて、二足歩行のバランスとチャーミングポイントの二つの効果を兼ねようとしたかもしれない。そして雌のこのモンロー的なウォーク美の、その共進化の反射的利益として、雄の方は霊長類最大の、ヴォータンが握る槍(3)のような巨大ペニスを、持ちだしたのかもしれない・・・-

 

  テツオは通り雨のあと露も麗しい草花で、陽の光も七色に散らされているいつもの畑の通い道を、アダージェットのあとに続いて“露しげきの野辺を歩けば”(4)を口ずさみつつ、蛇の目日傘をかざしながら、草履ヒールを内八文字に器用に交互に踏み出させては、クスノキをくぐり抜け、彼の田んぼと畑へと向かっていく。彼は頭上を舞っている小鳥を見上げて、キンゴが前に話してくれた、小鳥の声の意味がわかる森のジークフリートというお話しを思い出し、まるで小鳥が彼にこんなことを話しかけているような感じがする。

  -“さあ、ここに、かつて楽園から追放された哀れな人の子孫の男の子が、バラ色の頬に笑みを浮かべて歩いてきたよ。君は花に導かれて、花のように美を装い、花のように艶やかな化粧をほどこし、花のような雌雄同体にその身を模して、再び僕らの自然界へと帰ってきたね。君は人の差別に絶望して、その始まりである男女の性差を乗り越えた。その君の意識は美意識そのもの。その美意識こそが君と僕らの心をつなぎ、命と命をあい結ぶ、生きる意識そのものなのさ。僕らは君に知らせよう。人間ではなく、“自然が知性をもっている”ということを。そしてそれに気づいた君は正しいということを。そして僕たち自然とは、美そのものであることを。人は花に目覚めた君に対して、ナルシストとか性的少数者とか言って、また差別し、弱い者イジメをするのかもしれないが、そんな人など捨てるがいいさ。もう、アホなホモ・サピエンスなど辞めるがいいさ。彼らは初めに差別ありきで、性を虐げ、生を愚弄し、進化に反して成り上がり、ついには核に寄生して、君のような子供たちを生きにくい方向へと追い詰めているじゃないか。今、君は、自然によって選択をされようとしているのさ。今、まさに、君自身から、新しいヒトの種が、分岐されようとしているのさ。アホなホモ・サピエンスらは差別意識とその究極たる核権力に隷従して、半減期とともに半減して、ついには滅ぶだろうけど、君らはまさにその中から、戦火の跡の灰の中から、まるで“紅の小さなバラ”(5)が咲くように、ヒトの種を“復活”させ、この人間のやむことのなかった業のカルマと苦の輪廻から、ヒトの種を解放するといいだろう。”-

  小鳥たちは輪になってテツオのまわりを飛び回り、女装の彼をまるで預言者を迎えるように褒め称えては、人間ども=ホモ・サピエンスをアホアホとさんざんに罵倒しながら、自由に空へと飛んで行った。

 

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「テツオ! テツオ!」

  ふいに彼の名を呼ぶ声がする。

「テツオ、ここだよ! あなたの目の前、花の上!」

  見ればそこには一匹のミツバチが、花から花へと蜜を吸い、花粉を集めて飛んでいる。

「あらァ!ミツバチじゃない! 何て可愛いんでしょう。でも、どうしてミツバチが、人の言葉を話すのかしら?」

  テツオが自問をするうちに、ミツバチはその音を地球の回転にあわせる(6)ように、ブンブンとうならせながら、彼の目前でホバリングして目と目を合わせ、さらに話しかけてくる。

「テツオ、私たちはあなたのお花畑から、ハチミツを作っているミツバチだけど、今日、あなたは、性が違うとの意識を超え、つまり、性同一性という悟りに達して、そして“自然には知性がある”との究極の悟りに達して、人間の迷いからの解脱を遂げ、それで私たち自然の道理に基づいて、こうして対話ができるようになったのよ。」

「それはそうかもしれないけれど、でも、それならどうして、悟りとか解脱とか、ハチが知らなさそうな言葉で話すの?」

  ミツバチはホバリングを続けながら、初めての人に対して丁寧に説明をしようとしている。

「もちろん私たちハチは、人に比べてボキャ貧かもしれないけれど、伝えたい思いというのは、“光”が全部あなたの方へと伝えるのね。あなたの脳はそれを受け取り、脳の中で人間の知識へと結びつけてしまうから、人間のイメージするような感じで聞こえてくるんじゃないかしら。」

  ミツバチは、不思議そうなテツオを見つめて、おもしろそうに飛び回り、また目の前で止まっては、話し続ける。

「私たちはボキャ貧かもしれないけど、本当はかなり賢いのよ。あなたたち人間がいう所の数学だってできるんだから!」

  自信ありげなミツバチに、テツオも興味をそそられて、より花に近い所でミツバチの話を聞こうと、花畑のゆるやかな傾斜へと、足をくの字の“女の子座り”で腰を下ろす。

「あなたも知っているように、私たちは尻振りダンスで仲間たちに花のありかを示すのだけど(7)、この尻振りと羽音はね、1秒で平均して1000mの飛行を表わし、また、巣の垂直真上へ走行する角度によって太陽の方角への往路の角度を表わすのよ。それで途中で燃料切れにならないように3~4倍もの燃料蜜を積載しては、5km~10kmほど離れた花の所へ飛んでいき、しかもそれを仲間たちに正確に伝えているのね。それだけじゃないんだから。私たちは冬の間も冬眠せずに越冬するため、1群あたり600wの発熱力を維持しながら、特に幼虫たちを冷やさないよう注意しながら、省エネにも努めているのよ。人間は原発でありあまる電力を作りながら、熱中症で人が死ぬ真夏でも子供たちの学校にはクーラーがないって聞いたけど、“ホモ・サピエンス=知恵ある人”のその知恵って、ある意味とても凄い知恵よね。それとね、私たちのハチの巣は、越冬するのに充分なハチミツを貯えるため10Lは要るのだけど、私たちは新しい巣穴の候補地をさがす時には、樹にあいた穴ぐらを飛んだり歩いたりしてその体積を測っているのよ。」

「えっ、それって、本当? でもどうやって、測っているの?」

  ミツバチは、ここで少しすましたように、人のテツオに解説する。

「ちょっと専門用語が入るのだけど(8)、いかなる空間でも、空間を横切ってすべての方向に引かれた線の平均自由行程長=MFPLは、空間の体積Vの4倍を、内部の表面積Aで割ったものに等しいのね。つまり、MFPL=4V/Aだから、V=MFPL×A/4となり、これで私たちは体積を推定しながら巣の候補地を選んでいるのよ。」

  テツオは、そういやこの話は、シーリー教授の『ミツバチの会議』という本で読んだことを思い出したが、まさか当の本人、いや本ハチから教わるとは、思ってもみなかった。

「でね、巣の候補地の情報を集めたあとは、分蜂の時期にそなえて新しい巣穴の選定をするのだけれど、これも多くの仲間が探索しては巣に戻ってダンスして、質の評価を積分しては民主的に決めるのよ。私たちは生まれつき民主的で、リーダーなしでも集団は機能するの。人間みたいに王も帝も、フューラーもドゥーチェも不要。女王バチといってもね、実際はテレサのようなマザーなのよ。」

  テツオはハチの、高等にして高尚な生きざまに感動を覚えているが、ミツバチはそんなテツオがおもしろいのか、ここでまたもう一つ、話しかける。

「そういやテツオ、あなたフィボナッチ数列に興味あるでしょ。私たちの雄バチは雌の働きバチとは違って、未受精卵つまり母親しかいなくても生まれるけれど、この雄バチの系図(9)というのは、1,1,2,3,5,8・・・と続いていくから、これもまたフィボナッチ数列のあらわれの一つなのよね。」

「でも、どうしてこんなに難しいことを、文字も数字もないミツバチが・・」

「学習できて、伝えられるのかってことだよね。これはすべて“光”が教えてくれるのよ。フィボナッチの数列や美の黄金比がお目見えするのも、光がそうしてくれるからよ。脳みその大きさなんて全然関係ないんだから。その証拠の一つに、さっき言った私たちの幼虫への気遣いと、あなた達人間の子どもたちへの気遣いの違いがある。テツオ、あなたはダーウィンがこう語った(10)のを、覚えているでしょ。“なぜ思考が、脳の分泌物が、物質の属性たる重力よりも素晴らしいというのだろうか? それは我々の傲慢さで、我々を賛美しているだけではないか。脳それ自体が思考するなど馬鹿げている。ミミズがトンネルの入り口をふさぐ時、ただの盲目的、本能的な行動ではなく、ある程度の知能を示すように思われるのには、さらに驚かされる。いろいろな葉や葉柄、三角形の紙などで円筒形のチューブをふさがなければならない時に、彼らは人がするのとほとんど同じやり方で行動する。ミミズは体制こそ下等ではあるけれども、ある程度の知能を持っている。”って。」

  テツオは陽の光に照らされて輝きながら、得意そうに宙を舞うミツバチに見とれていると、ミツバチはまたホバリングの姿勢に戻って、あらためてテツオに向き合う。

「テツオ、私たち自然はね、みんな賢く知性をもって、この地球上を生きているのね。そんななか、私たちには人間は脅威だけれど、ほぼ自然のままのこの島で、農薬も化学肥料も使わずに、遺伝子操作のタネも持ち込まなかったあなたには、お礼を言うべきだと思う。・・・私たちは毒ガスやら化学物質で、あちこちで大量に虐殺されて・・・。もう、安心して暮らせる所は、ほとんどないのよ・・・。それは実は、あなた達も、同じでしょ・・・。」

  テツオは目の前にいるミツバチの、小さな目に大きな涙が光るのを見て、メイクのことなどすっかり忘れて、思わずもらい泣きをしてしまう。

「じゃあ、私はもう今日の蜜を集めたし、そろそろ巣へ戻らないとね・・。」

  と、ミツバチが飛び立とうとする所を、テツオは思わず呼び止める。

「あ、あの、ミツバチさん・・、今日は、お仕事で忙しいのに、私こそ本当にありがとう・・。」

  ミツバチはもう一度、テツオの前まで飛んでくると、ニッコリと微笑みながら、こう言った。

「テツオ、私たちは働きバチなどといわれて、人間には労働してると見られているけど、労働なんて、ハチもアリも、だれもそんなこと思ってないよ。そういう苦役を思うのは、“人間だけ”! 私たちは集団で生きているのが便利だし楽しいから、ただそうするだけ。そこには上下の別もなく、当然差別も何もない。テツオ、今日はあなたとお話しできて、本当に楽しかったわ。人間に汚されてない花を育ててくれるあなたのお陰で、おいしいハチミツができるのよ。あのクスノキの奥の茂みの左から三番目の樹に私たちの巣があるから、時々あなたに分けてもいいよ。仲間たちも、あなたなら刺さないし・・。」

  そういうとミツバチは、テツオの頭上を空高く飛び上がり、まるで別れを告げるように大きく八の字を描きながら宙を舞って、自分の巣の方角へと、飛び去っていったのだった。

 

  ミツバチが飛び去ったあと、テツオが女の子座りのまま、一人で涙ぐんでいると、今度は草ムラの下の方から、何やら少々、野太い声が聞こえてくる。

「兄弟、兄弟! 泣くなよ兄弟。泣いたら目尻に茶殻がつくぜ(11)。」

  テツオはあたりを見回すが、人影はどこにもない。

「兄弟、お前さんの目の前さ。さっきのハチの花の下ァ!」

  するとそこには、一匹のゴキブリがいる。

「あらァ、ゴキブリさんじゃない。こんな所で珍しいわね。泣いたら目尻に茶殻って、あたしはアイシャドウはつけない主義よ。」

  意外にも好意的な反応に、ゴキブリは少し驚く。

「へぇ。ゴキブリさんときやがった。こいつァ“珍”だね。女に化けりゃあ、もっとキャーッと騒ぐのかと思いきや、まるで荘子万物斉同、対等に接しやがる。ほうよ。オレァ、たしかにゴキブリよ。でもな、エサが欲しさにタカリに来たってわけじゃァねえんだ。兄弟、お前さん、珍しいって言ったけど、オレ達ァ前から部屋なじみ、寿の初対面じゃあ、ねえんだぜ。」

「えっ、それじゃ何、あたしの個室に住んでるの?」

  テツオは着物の襟もとへと、さっと手をそえ身をのけぞらす所作を見せる。

「へへぇ。借り物の着物袴で、役者気取りの女形よりうまい具合にはまっているぜ(12)。ほうよ。お前さんとの同居虫よ。しかも家族ぐるみでな。料理人見習いのお前さんにつき従い、時々厨房の中へと入って、塩噌に困るところから腹いっぱい食いてぇと、どなたもまっぴらご免なせぇってな感じで、うめぇものも食ってんのさ。」

  ゴキブリは、こげ茶色のその身をテカらせ、得意そうに物語る。

「やっぱりゴキブリが来てたのね。でも厨房内は気を付けなさいよ。あたしはいいけど、ミセス・シンに見つかっちゃ、ヤバイわよ。」

「ああ、あの鼻メガネの女だろ。いいよ、あいつが入ってくる時は、体内時計でズラしてっから。でな、兄弟。今日はお前ェさんに、一言礼を言おうと思って、ここィ来たんだ。」

「お礼って? あたしは何もしてないけれど・・。」

  するとゴキブリ、花の下の影の内から、長い触角フリフリさせては、テツオに向かって話しかける。

「お前さん、この前あの厨房で、ウチのセガレが干物箱で引っかかってもがいてたのを、そのまま外へと放り出し、助けてくれたろ。」

「まあ、あれって、ゴキちゃんの息子さんなの?」

「ほうよ。でな、セガレが無事に生還してきて、こう言うんだよ。“父ちゃん、あの人間のガキってやっぱ変だぜ。” “ガキって、おめぇもガキじゃねえか。で、何であいつが変なんだ。厨房に行くだけあって、おカマなのかおナベなのか?” “だってよ、ふつう人間って、オレたちゴキブリ真近に見れば、ブッたたくか突ッ殺そうとするじゃねえか。だけどあいつぁオレを見て-何て綺麗な茶羽根だろう。まるで午後の光にあてられたアフタヌーンティーのようだ-なぁんて見とれて、そのままポゥイと外へと解放してくれたんだ。” “バッカヤロウ。お前は干物箱ン中、アタフタの体のところでバレたんだぞ。あの人間野郎、善行ぶって、ここやかしこの寺島で似ぬ声色を使っては、父子ともどもそれ菊(聞く)うちに梅え(うまい)とばかりに騙されちゃあシャレにならねえ(13)。念のためこのオレが、あいつの本性確かめる”って、今日はお前ェさんが朝っぱらからおめかしをして、いささか普段の袴をはいて、弁天小僧みたいに化けて、伊勢屋の気障ァな歩きっぷり、雨降り、腰振り、尻振るあとを、こうしてつけて来たってわけさ。」

  と、ゴキブリは、足が長くないだけに、歩き疲れているようだ。

「それはまあ、お難儀ですこと。でも、本性とはいってもね、あたしはこれでご覧の通り、今日一日は女の子よ。」

  と、テツオが口元を袖で隠して微笑むと、ゴキブリも花の下から触角を震わせている。

「だけどゴキちゃん、えらく古風な江戸前のもの言いをするけれど、どうしてそんな風に話すの?」

  やさしいテツオに安心したのか、ゴキブリも地に腹をつけ、リラックスして話し続ける。

「そりゃァな、地球が生まれて46億、ゴキブリ生まれて3億年、男はだまって1億円っていわれる通り、オレ達ァ最古の生き物さ。んで、オレ達にゃ“自我”って意識が希薄だからよ、先祖代々、素人から玄人へ、ウナギの秘伝の甘ッたれを、継ぎ足しつぎたし引き継ぐように、その時々の思い思いを、寿限無のように長々と、DNAへとつないで共有してきてっから、たいていの事ァ知ってんだよ。3億年に比べたら、何万年の人類の歴史なんざ、昨日の今日みてえなものよ。特に吉原(ナカ)と楽屋は四六時中、あったかくて食い物にもありつけたから、オレ達ァみんな、しょっちゅうそこにいたってわけよ。」

  ゴキブリは少々往時を、懐かしんでいるようだ。

「吉原って、廓話じゃあるまいし。美しい女郎さんのお部屋で何を瓶覗き、してたのかしら・・・。ねえ、ゴキちゃん、あなた達には失礼かもしれないけれど、美は自然にあるとはいいながらも、あなた達は人間には、どう見ても美しいって気はしないのね。」

  テツオは3億年、3億年と自慢げなゴキブリが、さらに苦界の女郎に寄生して、おいしい思いをしてきたのを僻んでか、少しイヤミを言ってみる。だがゴキブリは、なぜかいっそう得意げに、はいつくばってはいるものの、ここは腰を定めて説明しようとするようだ。

「そりゃァな、兄弟、これは自然の美というよりも、お前さんたち人間の、オレたちゴキブリへの嫉妬心によるものなんだよ。兄弟、お前さんも“牧畜”てぇのを知ってるだろう。人間が、牛や羊を飼いならし、その見返りに連中の毛やら肉やら乳やらを搾り取るってことなんだが、何もこれは人間の発明じゃなく、例えばリはアブラムシなど液汁を吸う昆虫を乳牛のように変えたといえるし、またアブラムシはアリを酪農者のように変えたといえる(14)。これだって古くからの生物界の持ちつ持たれつ=お前さんらがいう所の共生あるいは共進化の一つなんだよ。ちなみに“農耕”っていうのもな、例えばハキリアリが落ち葉を巣へと持ち帰り、そこにキノコを植えてるように、人間だけの発明じゃねえ。それでオレ様が言いてえのは、お前さんたち人間も、実はオレたちゴキブリに牧畜されてきたってことさ。」

「エエッ、ウッソオ~! あたしたち人間って、食物連鎖のトップに立ってるハズだけど・・」

「兄弟、お前さん、自然界の一大法則=万物斉同ってぇのをわかってるみたいだから、ここは素直に言うけどよ、お前さんたちヒト属が獲物をしとめて巣へ持ち帰り、火をくべ出したその頃から、エサがあるやら温いやら居心地よくて、オレ達も一緒に暮らしてきたってわけさ。コレってさっきの“牧畜”と、原理的には同じだろ。他の生き物には人間のフトコロに入ろうとする度胸がねえのか、万物の霊長ってウヌボレている人間の牧畜にトライしたのは、オレ達3億歳のゴキブリと、2億歳の同属のシロアリ君ぐれえなものよ。だからお前さんたち人間の美意識は、コオロギと黒アリは受け入れても、たとえそれとは似ていても、ゴキブリとシロアリだけは悔しいから絶対に受け入れたくねえってわけさ。」

  ゴキブリの言い分に一本取られた気になって、テツオは思わずうなってしまうが、ゴキブリはなおも触角フリフリしながら、このまま語ってくれそうだ。

「まァ、そんな具合でよ、同じ共進化といってもな、人間との共生はどの生き物も難儀してんだ。ゴキブリとシロアリは汚れの象徴あつかいだし、同じ牧畜といってもだな(15)、ウシやウマは夕べ格子で勧めた牛が今朝はノコノコ馬になるっていうほど、朝から晩までこき使われる。偶蹄目といってもな、何もグウタラのテイタラクってわけじゃねえんだ。シカは春先に角を落とせばイヌとされて殺されて、ラクダはたとえ砂漠で重宝されても、死んだらカンカンノウを踊らされる。人を騙せるキツネやタヌキも今や逆。キツネは王子で女に化けりゃァ逆に男に騙されて半殺しの目にあうし、タヌキは逆に男に化けて若い女をはらませりゃァ男に撃たれて殺される。そればかりじゃねえ。人が朝寝をしたいと言えば三千世界のカラスは殺され、ネコは隣にいるだけで鯛やら酒を盗み取ったと濡れ衣を着せられる。そんななか、イヌはすすんで人間の下僕となったが、ご先祖様のオオカミが絶滅へと追い込まれた屈辱をサラリと忘れ、鰻の太鼓じゃあるめぇし、幇間みてぇに芸まで覚えて人間のご機嫌とるってあさましさだ。こいつァまるで、お前さんらとアメリカにそっくりだ。もっとも前者は鰻代を払わされ下駄を取られてすむからいいが、後者は思いやりで何億円も払わされ、集団的自衛とやらで戦地へ出向けばそこで高下駄はずされる。お前さんたち人間が、オレたち生きとし生けるものを殺生するか虐待ばかりするからよ、因果応報でこうなるんだ。だからよ、兄弟。お前さんらがこの島へ来た時も、オレたち自然の生き物は、進駐軍をむかえるみたいに恐れてたんだ。これは権力の自己都合で国民をビビらせておくサル芝居の“北朝鮮の脅威”より、はるかに現実的な脅威だったぜ。」

  テツオはここで反省して、すまなさそうにうつ向いている。ゴキブリは、そんなテツオに淡々と話し続ける。

「たしかにその首謀者たるお前さんは、大地を一度はキリングフィールドへと化したし、コメが欲しいばっかしにバッタ殺しもやらかした。でもな、しょせんオレたち生き物は、よその命を食いつないで生きてるわけで、これくらいはお互いの生存権の範囲ともいえるのさ。お前さんは悔い改めたし、また連れ合いのあの女の子、白装束に身をかため健気に行して懺悔しながらまわるじゃねえか。それにお前さんらは農薬も化学肥料も遺伝子操作も持ち込まず、田や畑に新たな命を芽吹かせてくれている。だからオレたち自然界も、お前さんらを受け入れることにしたのさ。」

  テツオはそれを聞きながら、心の中でノロのユリコに感謝の両手をあわせている。

「それによ、オレ達ァお前ェさんらがこの島へとたどり着いたその由来を、東からの風のたよりで聞いたんだよ。どこの馬の骨だか牛の骨だかカラカサの骨だか知らねえが、また人間どもがやってくる。しかし彼らは、放射能やらセシウムやらに汚染され、オレ達みたいに家も土地も奪われて、家族までも引き裂かれて、行くとこなくして流れてきたっていうじゃねえか。それでまだ作物がとれねえうちは、イモっぽりのカブっかじりで冷メシの残りを食って細く短くその命をつないでいやがる。お前ェさん達まだガキだっていうのによぉ・・、オレぁそれを見ていると、何だか悲しくなっちまってなぁ・・・。」

  ゴキブリは花の下で、触角を八の字にたらしながら、涙に声をつまらせているようだ。

「ゴキちゃん・・、あたし達のことを思って、泣いてくれるの?・・」

「あたぼうよ。」

「何、“あたぼう”って?」

「あったりめえだ、べらぼうめ-の略さ。オレ達ァずっと虐げられてっから、他人の苦しみ悲しみってえのがよくわかるんだ。」

「ゴキちゃん、ありがとう・・。人間よりも、やさしいのね・・。」

  テツオも思わず涙ぐむ。

「人間よりって・・、情けないねえ。人情なんて消えたのかい? そういやこういう人情噺は、圓生はうまかったねえ・・。」

圓生って?」

「何でぇ、お前さん、この国の人なのに、圓生も知らねえのか。情けないねえ。圓生つッても六代目、六代目つッても菊五郎じゃねえんだから。だいたい言葉を使う人間がよ、話芸ってのを忘れてら。あのな、兄弟。老婆心、いや、忠告つーか虫告として言っとくけどよ、そもそも人間つーのはな、楽園=自然界を追放された落伍者だから、落語っつーのを自ら作って自分自身を救済する宿命にあるんだよ。オレ達ぁ言葉はなくてもな、フェロモンやら匂いやらで、必要な情報は種を超えて伝えられっから、お互いにバランスとれて、支えあって生きていけんだ。人間は命をつなぐ食物連鎖を正しく見ないで、自然界は弱肉強食って思い込んでいるけれど、弱肉強食っていう野蛮さは人間だけで、花と虫たち、植物と昆虫あるいは多くの動物との関係をよく見ていればわかるように、実際にはオレたち自然の本分は“支えあい”だよ。それにな、こうした生きとし生けるもの達の共生が成り立っている大本は、“光”がすべての生き物を、母なる地球も父なる宇宙も含めてだな、つなげてくれいるからなんだよ。だってオレたち生き物は多岐で多彩で複雑だから、それらをつないで調整し、互いに生きとし生けるようにさせているのは、“光”以外にあり得ねえだろ。自然界の一大法則-因果応報が成り立つのも、光がこうしてはたらいてくれてるからさ。」

「ゴキちゃん、あなた、何でも、よく知ってるのねえ・・。」

「あたぼうよ。こう平たく見えてもな、知性ってえのは高いんだ。」

  ゴキブリはその物語にプクイチをしようとするのか、触角をていねいに嘗めはじめる。

「あぁ、そうそう。今話してるのは、お前さんたち人間への、3億年の先達たるオレ達からの虫告だったな。まぁ、お前ェさんにはセガレの難儀の恩義もあるし、話のわかる人だから言うけどよ、お前さんたち人間は言葉があるだけ真実を、見ていないのか、それともあえて、見ないようにしているね。」

「えっ、真実を見ないって、例えばどんな?」

「たとえを上げりゃキリがねえが、オレが一つ思うのは、あの吉原(ナカ)のことだ。あそこは温くくて白粉のいい匂いやら福助の今戸焼ってな食いものにも恵まれて・・、おぅ、それで思い出したけど、昔は白粉で立てなくなった女形がいたんだそうな。」

  テツオには勃てないと聞こえたので、すこし自分の気に障る。

「ゴキちゃん、それって女形だから勃てないってシャレ言ってるの?」

  するとゴキブリ、触角を大いに振って反論する。

「ちがうよ、兄弟。白粉の鉛毒で立てなくなった女形てぇのはな、五代目中村歌右衛門のことを言ってんだよ。まッたく、今の君たちは、文化てぇのを知らねぇなあ。でな、あの吉原てぇのはそもそも何だ?江戸文化の華咲く不夜城などといわれても、結局“苦界”つまりは“性奴隷の収容所”だろ。暴力とカネで雌を囲って、火事でもなけりゃ長い年季があけるまで大門からは一歩たりとも出られやしねえ。揚巻、八橋、高尾に喜瀬川、名だたる御職を番づけて、よろず虚飾にまみれさせ、性差別の汚辱を背負わせ、品川に浮く河竹の勤めの身、その板頭に痛わしい思いをさせて、それでそんな所が文化の中心なんてこと、おかしくないか?! 人間の文化って、いったい何だ? 3億年も生きてきたけど、一方の性がまたもう一方の性をだな、これほど騙して虐げて、暴力づくで支配して搾取するって生き物は、お前さんたち人間だけだ。勃つって、いったい何が立つんだ? 一方の性に種の性進化の大きな負担を人柱みたいに背負わせといて、それを煮え湯で責めさいなみ、茶柱でも立てようッてえのかい?」

  今日一日は、男より女になりたいテツオには、この指摘はグサリと刺さる。しかしゴキブリ、ここからは積年の恨みつらみを晴らすみたいに、触角をおっ立ててしゃべりまくる。

「それとオレが何より思うのは、他ならぬ“戦争”だよ。あれはまさに“殺し”だろ。夏祭りに浪速の鏡、待つ血祭りに花輪の騙りみてぇによ、人は殺しを美化しやがる。“殺戮”をさも勇ましげに“戦い”と言いかえて、“侵略”を“自衛”というのはお手のもの、“虐殺”をまるで清掃するかのように“浄化”とさえも言いかえる。吉原で百人斬ったら犯罪だが、百万人を殺したら英雄になれるってぇのが人間だろ。お前さんたち人間はだな、だいたい殺しが過ぎるんだよ。さっきのハチもオレ達も、いや全ての虫や細菌たちは、どんどん効き目が強くなる毒ガスで世界中で日々大量に虐殺される。人間てぇのは農業などの口実つくって本当は、ただ虫や生き物を殺したいだけじゃねえのか? 毒ガスだってもとはといえば、大戦や収容所で人に仕向けたその余りを、戦後もますます儲けるために、虫へと転用したってことは、かのレイチェル・カーソンの『沈黙の春』にも書いてあるだろ。それだけじゃねえ。人間が虚栄心を満たそうと、より肉食化してくると、ニワトリは一生ゲージやコンベアで、卵っからブツ切りの肉のパックに至るまで工場で量産されて、ブタは身ィ一つ分の鉄柵に閉じ込められ、スクラップみてぇに殺される。虐殺は食用ばかりじゃねえんだぜ。アフリカではハンター向けに、もう天然のじゃ間に合わねえからライオンやサイたちが飼育されては野に放たれ、ハンティングというレジャーという名で虐殺される。その他にも人間の女どもを支配するため、またそんなヌケ六みたいな男どもの自慢のため、そして女自身の虚栄のために、どれだけの生き物がエリマキにされたことか! どれも生きるためじゃなく、人間の虚栄とレジャーのための虐殺だ。つまりお前さんたち人間ってのは、言葉で言うのは口実で、本当は“殺し”そのものを楽しんでいるんじゃねえのか?! 人間ってのは“性”もレジャーで、“生”もレジャー、カネで遊んで楽しんで殺して捨てるという循環が、人間のいう所の“循環型社会”っていうヤツだろ!」

  テツオはもう一言も返せずに、ただ下をうつ向いている他はない。そんなテツオの様子を見ながら、ゴキブリはトーンをゆるめて言葉を発する。

「兄弟・・、今日は礼を言いに来たのに、すまなかったな。じゃあ、オレァもうここらで、失敬するぜ。」

  と、ゴキブリがモソモソと帰り出そうとする所を、テツオはそのまま呼び止める。

「あ、ゴキちゃん、ちょっと待って・・。ね、3億年も生きてきて、この世界を見てきたんでしょ。少し質問させてもらっても、いいかしら?」

「ああ。言いてえことがあるんなら、言っちまいねえ。」

  と、ゴキブリは向き直り、また花の下、草葉の陰へともぐり込む。

「私たち人間って、こんなに罪深いんだけど、やっぱり神は、最後の審判、下すのかしら?」

「まァ、そうだろな。自然界の大法則-万物斉同、因果応報に照らしてみれば、お前さんたち人間は、“お前たちの血、すなわち生命の損失には、その責任を追及する(16)”っていわれる通り、いくら何でももう潮時だ。」

  テツオはさらに尋ね入る。

「ね、ゴキちゃん。私たちが唯一のヒト属となる直近まで姉妹種だったネアンデルタール人って知ってるでしょ。彼らはどうして絶滅したの?」

「それって、どんな野郎たちだ? お前さんらとまた別の人類ってぇのがいたのかい? なら、お前さんらは、何て名前だ?」

「“知恵ある人”っていう意味の、ホモ・サピエンスよ。」

「“知恵ある人”って・・・。それ、オチやサゲにも、ブラックジョークにもならねえよ。いっそ“ホモ・サクリファイス”とでもいえば?」

  ゴキブリは、どうやら細かい分類までしてないらしく、テツオはネアンデルタレンシスを簡潔に説明する。

「・・そういや、思い出してきたぞ・・。その連中ってヨーロッパから中東ってぇ所にかけて、狩りで暮らしを立てながら、ホラ穴ん中にこじんまりと住んでいた、あのズングリムックリ野郎のことか。そういやあのタイプって、しばらく見ねえと思ったら、絶滅済みだったてぇことか・・。へえ・・、ヒト属ってのは他を絶滅に追い込むだけでなく、自ら絶滅するってのもいるのか。でもよ、あの連中ならオレ達にもいっしょに住んでたのがいるからよ、そういや確かに思い出したぜ。」

「ゴキちゃん、あなたずっとこの国にいたくせに、何でそんな遠くのことまで知ってるのよ?」

「そりゃ、生物は進化のなかで同じ種が地域をこえて同様の進化をとげるという“平行進化”ってぇのがあるだろ。これも互いに光でつながってるから、オレたち地球の裏側まで知ってんだ。で、彼らがどうして絶滅したかって? あの連中もオレたち同様、氷河期を乗り越えてるし、それなりに広い地域で何十万年も生きてきたから、ただの気候の変動や食糧不足みたいな環境変化が原因とは思えねえな。あの連中が絶滅するくらいの環境の変化があれば、同じ時期にもっと多くの種の絶滅があっただろうし、体力も体格も大差なかったお前さんたちサピエンスも絶滅をしただろう。恐竜みたいに体が特に不自由していたとも思えねえし・・・。ということは、ひょっとして、あの連中だけ頭ん中が、どうかしちまったんじゃねえか?」

「頭の中が、どうかしたって?」

「ほうよ。だってあの連中の最晩年の見た目といえば、だんだん元気や生気が失せてって、ホラ穴に引きこもり、よろずにつけて無気力状態だったようだぜ。そこはお前さんたち今日のサビレンスとよく似てらあな。頭ん中っていうのはな、お前さんたちヒト属は環境に適応し体を変化させるより、火をくべ服を着ることからもわかるように、逆に環境に加工しようとするだろよ。だからヒトってえのは知恵つかうから頭ん中が肝心なんだ。つまり体よりも知恵に依存してるんだよ。だからその依存のもとに変化が起こって、それに対応できなくなれば、まるでハシゴをはずされたみたいに宙ぶらりん状態になり、精神がポッキリと折れてしまうということさ。」

  テツオがここは肝心と、女の子座りをきちんとして聞こうとすると、ゴキブリも、はいつくばってはいるものの、姿勢を正して語るようだ。

「あのな、兄弟。オレたち生き物ってえのはな、基本“光”がベースなんだよ。たとえばお前さんは今ニュートラルだが、性=SEXっていうのがあるだろ。あれだって生物の太祖高祖のバクテリアが、互いに己のDNAを複雑そうに交換しあってつないでいたのを、そこから進化した生き物たちが、“光”に深く関係のある電気のプラスとマイナスと、磁気のNとSとをもとにして、基本的に引きあったり離れあったり、こりゃ習性的に便利じゃねえかということで、雄と雌ってことにしたらしいのさ。面白いのは、電気のプラスとマイナスは別にできるが、磁気のNとSとは磁石をいくら分割しても必ずNとSのセットになる-モノポールが存在しないということに、性=SEXをあてたことさ。つまり、性=SEXは人間は“分ける”と言ったが、自然はあくまで“分けられない”と言うわけだ。」

  テツオは思わず-なるほど!-と、ゴキブリにまた一本取られた気になってくる。

「それで光というのはな、お前さんらが言う所の数学の諸相ももってるからよ、それでミツバチらは巣の体積も測れるし、フィボナッチ数とやらも自然の随所にあらわれてくるんだよ。花の色ももとはといえば光の色だし、第一、植物たちが光合成で光を養分にするからこそ、すべての生き物は生きてけるんだ。そんなわけで生き物たちはみな光に依存をしているわけなんだが、光にもいろんな要素があるからよ、花が色に依存するのに似て、光のどこに依存するかが問題なんだよ。それでお前さんが気づいたように、“自然は知性をもっていて、それは光が担っている”ということは、その当のお前さんたちヒト属が知恵に依存するってことは、すなわち光に全面的に依存する=光に頼りきっているってことなんだよ。脳はおそらく、その光との交信をするセンターみたいなものなんだろな。」

「知恵のもとの光に頼りきっているだなんて・・。じゃあ、どうして私たち人間に、その自覚がないのかしら?」

「そりゃ、お前さん、目ェは外は見られても、目ン玉の中は見れねえだろ。それと同じさ。だからよ、兄弟。そのネアンデルが絶滅したというのもな、3億歳のオレなんかが思うにはだ、依存していた光の方に何らかの変化が起こって、それが連中の脳みそに対応できる術がなくて、それで頭ん中が変になって、無気力ってな形であらわれたんじゃないだろうか。」

「でも“光”って、気候のように、第一、変化をするものなの?」

「兄弟。オレはさっき、自然界の一大法則=因果応報っていうのを言っただろう。因果応報ということは、万物は流転するということさ。つまり、環境は必ず変化するということで、これは地球も宇宙も生きているって証でもある。それで光も変化するってことだと思うよ。」

「でもね、ゴキちゃん。光はその速度が不変なように、恒久不変なものじゃないの?」

「兄弟。そいつァ今一歩だったな。光の上にもう一段、神様ってぇのがいなさるのさ。この神様や仏様が永久に不変なのさ。ここはいくら3億歳のこのオレでもわからねえが、神様や仏様のレベルというのは、“存在”や“意思”そのもののレベルであって、光のように人間に見られたりはしないと思うよ。だって“ヤハウェ”とは“我在り”っていう意味(17)と聞いたし、仏様も“如来”つまり、かくの如く来るっていうだろ。お前さんたちこの国の国民も、今はダメだがかつては仏様についてもだな、かなりイイ線で接してたんだぜ。だってホラ、“是諸法空相、不生不滅、不垢不浄、不増不減”って、八十八カ所巡礼で唱えてたりするじゃねえか。」

「じゃあ、ゴキちゃんが思う所の、ネアンデルタール人絶滅のナゾに対する一仮説-光に関する変化って、たとえば何が思い当たるの?」

「“光”も変化するってことは、光は電磁波でもあるからな、電気や磁気が変化する-ということも含まれるってことだよな。ということは・・、オレはヒトじゃねえからよ、お前さんらの頭ん中は推測するしかねえけどよ、ひょっとすると、“磁気の変化”かもしれねえな。」

  女の子座りのまま、興味シンシン身を乗り出して聞くテツオを前に、ゴキブリはまた触角をフリフリさせては語り続ける。

「お前さんも知っての通り、地球ってのは大きな磁石でもあるんだよ。だから有名な伝書バトから小っちぇえ細菌に至るまで、この地球の磁気=地磁気に依存する生き物ってぇのがいるわけさ。この地磁気ってのは常に一定なんじゃなく、部分的にも全体的にもよく変わるし、まるで狂言みてぇにな、南北つるッとひっくり返るってこともある。だから磁気に頼る細菌なんかで-地球がまっさかさまになったぁ!-てんで、絶滅したヤツもいる。で、電気と磁気とは電磁波でもある光とゆかりが深いからよ、ヒト属で知恵のために光に頼るネアンデルが、磁気の変化をこうむって、頭ん中がヘンになったってシナリオは、あながちハズレてないと思うぜ。」

「でも、そんなことが私たちサピエンスにも起こるのかしら。磁気の変化は電子機器への影響はあるっていうけど、私たち人の頭に直接影響するなんて・・・」

「いや、お前さんたちサギデンスは、ウソばっかしつきやがるから、磁気の変化ぐれぇなことは、屁ぇみたいなもんかもしれねえ。でも最近のお前さんらの無気力さって、まるでネアンデルの末期のようだぜ。毎日毎日奴隷のように、学校や会社という名の収容所に囲われて、選挙も行かず、自分の意思ってもんがねえから、言葉の意味も解体していく。大人は子供を守らないし、第一、自分自身も守らない。そして何より全体的にゾンビみたいに生気がなく、なぜか己の手相ばかりを見てるんだ。」

「ゴキちゃん、それは多分、スマホという電子機器を手にのせて見てるのよ。」

「へえーっ。またお前さんたち、テレビのような魂のお吸いもの、こさえたのかい。これでまたもう一つ、“阿片”が増えたね。」

「磁気ではないというのなら、私たちに影響する光に関する変化って、いったい何があるのでしょうね?」

  テツオが考え込んでいると、ゴキブリは最後の持ちネタ探るように、静かに問いかけてくる。

「兄弟。オレはずっと気になっていたんだが、お前さんたち、いつか人間同士でよ、あの原発の事故について話していた時、A判定とかB判定とか、α線とかβ線とか、その中で“光”のことにも触れていたよな。あれっていったい、何の話だ?」

「ああ、多分それは、“γ線”のことじゃないの。原発事故で最も大量放出されたセシウム137などの放射性物質から、よりによってどうして光で一番エネルギーの強烈なγ線が放たれて、生物が傷つけられる因果があるのか-という話だったと思うのだけど・・・。」

  ゴキブリはいろいろと考えを巡らせていたようだが、ふいに触角の先っちょをちょいと丸めて、ポンと地面を打ったのだった。

「そう! それだよ、それ! そうか、これでついにわかったぞ。」

  ゴキブリが興奮気味に、滅多に見せない茶羽根を開いてバタバタさせては、喜んでるのを不思議に思うテツオを前に、ゴキブリは落ち着きを取り戻しては、語り続ける。

「いやな、オレたち3億年も生きてはきたが、最近何か正体はわからねえが、今までになかったようなある異変が起こったことには気づいてたんだよ。それで後輩のシロアリに聞いてもな、“こいつは何か光線みたいだ。とても人が作れるものじゃねえ”って所までは意見が一致したのだが、それで野郎が言うにはな、“なぁ、兄ィ、お前さんたちゴキブリって茶黒いけど、それって太古に紫外線が多かった時代の名残だろ。それでオゾンに穴が開いても生き残れっから、まっ白な俺たちにゃ、うらやましいねぇ”って。で、オレはこう言い返してやったのさ。“べらぼうめ。光には紫外線よりもっと強い先があらァな。そしたらオレらもイチコロで、オゾンもボゾンも関係ねえや”って。そうか、これがγ線だったのか・・・。」

  ゴキブリはあらためて、深く納得したようだったが、ここでやや余裕が出たのか、引き出しが開いたのか、触角振ってテツオに何かを言いたいみたいだ。

「でな、このシロアリとの話には続きがあって、まず、オレが、“シロアリ。オレもお前も暗がり好みで、さほど光に頼んねえから、γ線など影響ねえだろ。”って返すとよ、野郎、ヘラヘラ笑いながらこう言いやがる。“兄ィ、これってもしやまた人間が、ヘマやらかしたんじゃねえのかな。しかも今度は思いっきし致命的なヤツをだな。そしたら今度こそ因果応報の理どおり、ついにアイツら自分で掘った墓穴にはまって自滅するかもしれねえぜ。そしてら俺たち毒ガスにジャマされずに、アイツらの家という家、思いっきし喰い放題だぁ”って、バカっ面を引ッさげて言うものだから、オレぁ、こう言ってやったんだ。“バァカ! お前はその名がシロップ有りに近いだけに、考えが甘ぇんだ。人間がいなくなっちゃあ、オレたち遊んで暮らせねえだろ。オレもお前もまだこの先、何万年も楽してホイホイ生きたけりゃあ、人間がダメになるたんびによ、新しいヒトの種が出てくれなけりゃ困るだろ”って。そしたら野郎は、こう持ちかける。“さすがは兄ィ、色が濃いだけ、人間に深煎り(入り)してるね。じゃあよ、兄ィ、次なるヒトの種がタイミングよく出るのかどうか、シロップじゃねえけどよ、ここは一つ、かけてみようか”って言うんで、オレは、“かけるってお前ェ、冗談いうねえ。オレァ甘ぇもんは苦手だし、ジョークといってもブラックしか受け付けねえんだ”と返すとよ、野郎、まだこだわって、“何だヨ、兄ィ、俺のかけのお誘いから、逃げようってえのか”ってきやがるから、“逃げんじゃねえよ。ビター一文、払わねえって言ってんだ”って、返してやったさ。」

  ゴキブリはここまで言うと触角を震わせて、一匹で受けては笑っているみたいだが、テツオは少々ムッとする。

「ゴキちゃん、やっぱりコーヒー豆を食べ散らかしたの、アンタでしょ! 本当にモウッ、あたしがシンさんに叱られたのよ。そんな小咄はいいとして、もし私たちが本当にこの先、このγ線による何らかのカラクリで、頭の中がおかしくなって、それを機に絶滅が現実的になるとしたら・・・。でも、絶滅をするとはいっても、きっと何万年もの先のことに、なるんだよね?」

  しかしゴキブリ、このテツオの問いには意外にも、あっさり答える。

「いいや。オレが思うに、わりと早く済むかもしれねえ。」

「えっつ、どうしてよ? 普通、種の進化って、何万年もかかるんじゃないの?」

  ゴキブリはNO,NOとでも言いたげに、触角を横に振る。

「たしかに、普通、種の進化には年数を要するんだが、お前さんたち人間は、少なくともここ1万年ほどさほど変わってねえんだよ。だって自分が環境変化に適応するより、自分の都合で環境を加工しようとするからよ。それを社会や文化や文明やらって、そっちの変化がはげしいから、それで人類は進化してると錯覚をしているんだよ。しかし生物的に見るとだな、実はとっくの昔に環境変化への適応を進化の途中で捨てたのが、他ならぬ人間なんだよ。だから今さら人間は、環境変化の適応なんてできやしねえよ。つまりお前さんたち人間は、今や最も“弱い種”なのさ。それに少子化が進んじまって、親2人から子1人しか生まれてこねえし、子ができても守らねえから、2から1や0へとつながり、500~600年ほど経てば、これだけで単純消滅するって所が出るんじゃねえの。」

  ここでゴキブリ、口調を少し上向きにあらためて、自分たちのことを語る。

「兄弟。さっきのコーヒー、失敬したお詫びにな、豆知識を教えてやろう。だいたいオレたち虫ってえのは、今いる連中の50%は、すでに2億5000万年前の昔っから生きてんだよ。オレたちゴキブリ3億年、ほとんどモデルチェンジなしで厳しい地球の環境変化に適応して生きてきたのは、基本的に何ものにも依存せず、もとから自前の能力で、独立して適応しようとしてきたからさ。オレたちいろいろ仲間はいるが、は休眠して-10度でも体液を凍らせないで乗り切れるヤツもいれば、エサなしの水だけで90日も生きていけるヤツもいる。この小ッちぇえ体はサイズ的にもすばしっこさでも最適で、羽根があるから宙も飛べるし、長い触角の感度は抜群、しかも繁殖力はたくましい。お前さんたち人間がいくら毒ガスあびせても、すぐに抵抗力をつけるから、抵抗性が何倍強いか-抵抗性比で示しても100倍ってヤツもいる(18)。だからオレたち、じきにダイオキシン放射能もクリアーできる日が来ると思っているよ。オレたち虫は毒ガスには抵抗できるし、エなんかで実験されて目をつぶされても、8世代後にはもとに戻った例もある(19)。」

  ゴキブリはここまでやや得意げに話してきたが、また冷徹な口調にもどる。

「だがな、これらはいずれも身体の器官の変化を言ってんだ。お前さんたちヒト属は、環境に適応すべく身体の器官を変化させるより、知恵を使って乗りきろうってことなんだが、知恵というのは器官じゃない。つまり、物質じゃねえってことだ。だから変化に対する質的な動かしにくさっていうのがよ、そもそもないのさ。だから、光にかかわる環境変化-それが磁気であれγ線であれ-が生じることによってだな、物質ではない知恵=光への依存に何かが起こると、それ特有の抵抗力でもない限り、おそらく復旧できねえし、物的担保がないってことは影響もすぐに出るっていうことさ。だからネアンデルタール人たちは、何十万年も生きていながら、あっけなく絶滅をしちまったんじゃねえのかな。」

「今の私たちって、まさにそのネアンデルタール人たちのような運命に、あるのかしら・・」

「仮説としてはあり得るだろな。ヒト属というのは知恵=光に依存しすぎてるから、光に関する大きな変化が生じれば、ネアンデルは磁気の変化で、お前さんたちサピエンスはγ線の放出で、身体の器官への健康被害もさることながら、そのメカニズムはわからねえが、頭の中がおかしくなって、それが無気力って形で表に出て、そう長くはかからずに種としては終わるってシナリオはあり得るだろな。しかもそのγ線は光だし、1秒間で地球を7周半も回るくらいの速さだから、それは世界中至る所で人間には“直ちに影響ある”ってわけで、今さらどうにもできやしねえよ。」

  ゴキブリはここまで話すと、いよいよ最後の審判といった感じで、はいつくばってはいるものの、ここからは腰をすえて物語る。

「兄弟。思い返してもみねえ。かつて神様がノアに箱舟つくらせて、地球のすべてを大洪水でぬぐい去り、箱舟の全生物が再び陸へと上がった時に、こう言ったっていうじゃねえか。“後、再び人間ゆえに地を呪うことはしまい。また、今度のように、全ての生命あるものを滅ぼすことも再びすまい。お前たちの血、すなわち生命の損失には、その責任を追及する。人間の生命の損失には、人間同士の責任を追及する(20)。”って。知恵の源としての光に、これほど依存をしているのは人間だけだ。だからγ線は人間のその知恵に直接影響するのだろう。つまり、大洪水みたいに全生物を巻き込まずとも、人間にその責任を追及するって神の言葉が成就するのさ。これがお前さんたち人間の、原爆と原発への天罰なのさ。お前さんたち人間は、光ゆえに知恵を貪り、そしてその悪知恵による悪業の報いとして、因果応報の理どおり、光ゆえに滅びていくのさ。」

  ゴキブリはここまで語ると、また静かにその触角をなめるのだった。

  テツオは深く考え込む。-やっぱり私たち人間は、核への依存と引き換えに、滅んでいく運命なのか-。しかし彼は落ち込むどころか、これでむしろ吹っ切れて、今までの閉塞感から、何かまた新たな出発点を見出した感じさえする。ゴキブリは、そんなテツオの様子を見ながら、彼の次なる一言を、待っているかに思われる。

「ねえ、ゴキちゃん、私、少し不思議に思うのだけど、あなた、どうしてそこまで詳しく、私たちサピエンスのこと、考えてくれてるの?」

  するとゴキブリ、花の下にいながらも、鼻の下をのばすような笑いを立てて、言葉を発する。

「そりゃぁよ、兄弟。『厩火事』じゃねえけどよ、お前さんたちヒト属が、ここで全滅なんてことになりゃあ、オレたち温けぇ所でよ、楽して遊んで食ってけるって生活ができなくなるだろ。だからよ、兄弟、オレァ是非に、お前さんらに、新しいヒトの種を、継いでほしいと思ってんのさ。」

  そしてゴキブリ、ついにこれこそ言いたかったか、触角の先端に矢印みたいな形をつくって、テツオに向かって差しむける。

「ちなみに兄弟、お前さんは、3億歳のこのオレ様が見込んだ所、ホモ・サピエンスの絶滅と引き換えに、新たに出てくるヒトの種の“その人”になるだろうぜ。」

  そう言ってゴキブリがその触角を一振り振るうと、テツオは思わず後ろにのけぞり、ここまで保った女の子座りをゆらりと、傾かせる。

「ハハハハ。お前さん、エロチックに女に化けても、革命のエロイカだけに、一振り振るうと、“振ると面食らう”(21)ってな体になるね。お前さん、“花”ってえのがわかってるだろ。つまり、花を愛するお前さんは、愛に満ちた生き方をしてるんだよ。神様はそういうのを見捨てやしねえ。お前さんは神様と愛でつながってるからよ、たとえ何が起こっても、生きて、生きて、生きぬいて、世代をつなげていけるんだよ。永久不変の神様とつながれるのは、ただ“愛”だけさ。」

  ここまで言うとゴキブリは、触角の先をこすり合せて、-ガラにもねえこと言わせやがって-みたいな感じで、少し照れているようである。

「じゃあよ、兄弟。オレァけっこう長居したから、ここらで帰るぜ。でねえとまたカカァとガキが、人間に殺られたかって、心配するしな。」

  ゴキブリが帰ろうとして、その茶黒い背中を向けた時、テツオは最後に一言だけ、声をかける。

「ゴキちゃん・・・、3億年も生きぬいて、人間が放射能をまき散らしてしまったのに、その罪深い人間の一人である私に、ここまで告げてくれたなんて・・・。あなたはもしや、神様の化身か、それとも使者なのかしら?・・・」

  するとゴキブリ、小さな体で、テツオの耳へと響くまで大きな声で笑いながら、彼の方へと振り返り、このように言うのだった。

「ハハハハハ。兄弟、お前さん、神様に愛されているだけに、人がいいねえ。いや、皮肉な意味で言っているんじゃあ、ねえんだよ。たとえ地球の南北が、つるッとひっくり返っても、オレァ神様の化身なんかにゃ、なれねえぜ。

  兄弟。お前さん、この先も(22)、この地球でメシを食うなら、オレたちの面ァ、またどこかで見るさ。オレたちぁね、ジュラ期をこえて今日まで、恐竜だろうがヒトだろうが、どこでも相手に不足のねえ、3億年も母なる地球に“居残っている”ゴキブリってぇもんだ。オレたちぁ人と暮らしてきたが、核と共存するアホ・サピエンスに見切りをつけて、お前さんを見込んでは、いっしょにこの島へと移ってきたってぇわけよ。お前さんみてぇな人なら、きっと生き残れるだろうって、きっと自然選択されるだろうって。つまり、オレたちぁあと何万年かは、また一緒に楽しく暮らしていけるッてぇこった。お前さんの仲間のみんなに一つよろしく言っとくれ。そんなら、兄弟、またどっかで会おうぜ! あばよッ!」

  と言うが早いかゴキブリは、スタコラサッサと目にもとまらぬその速さで、草葉の中をかいくぐり、走り去っていったのだった。

 

「ユリちゃん、ユリちゃん・・。読んでばかりで疲れたでしょう。一休みに、お茶しない?」

  県の郊外、小高い山の裾野を開いて、隣り合わせで建てられた美術館と図書館の間には、段々畑のような感じで喫茶スペースが広がっていて、そこからは市の中心部が遠く見渡せ、また海をはさんだ向こう側には、私たちの嘉南島も視界へと入ってくる。先生と私がついたのは、モスグリーンのテーブル席。足もとには花崗岩の青石板が敷きつめられて、それと初夏の山の緑とが、先生の今日の装い-ペールブルーの色調を、まるで北宋青磁のように、いっそう品よくエレガントに映し出しているようだ。

このスペースは本の持ち込みができるので、先生は手にした本を私に見せる。

「先生、それって全部“磁気”の本なのですか? どうしてまた、磁石や磁気を?・・」

「ユリちゃん、あなたこの前、ネアンデルタール人絶滅の謎について、気候変化やサピエンスに比べて彼らの知能が低いという定説には納得いかないって質問を、してくれたでしょう。たしかに、ネアンデルタレンシスと私たちサピエンスって、何万年か長期に渡って同時代を生きていたし、彼らの方が体格的にも体力的にも頑丈で、また脳容量も勝っていて、それにサピエンスの言語能力が優れていたのだとしても、狩猟暮らしのその時代に大した言語は要らなかっただろうから、この両者には絶滅と存続を分かつほどの大きな差があったとは思えないし、それで氷河期を乗り越えてきた彼らだけが、気候変化や食糧不足という外的な要因だけで絶滅という種の一大事をむかえたとも思えないのね。と同時に、私たちサピエンスが他の人類が絶滅するなか、なぜ唯一のヒト属として生き残ったのかも、また大きな謎なのよ。この両者が互いに争ったという形跡も残ってないみたいだから、サピエンスがネアンデルタレンシスをジェノサイドしたというわけでもないし、サピエンスの方が繁殖が勝っていって、数の多さでネアンデルを圧倒して交雑を重ねていったというのなら、もっと遺伝子的な共通点が伝わっているだろうしね。それで私もいろいろと調べてみたけど、その絶滅にはひょっとして、地球の磁気変化が関係しているのではないかと、思ったのよね・・・。」

「その“地球磁気説”っていう説が、進化論にはあるのですか?」

「うん。この本(23)にはね、“生物界の進化・発達における主な段階が、地磁気極性の変化と一致しており、ある種の生物の絶滅のようなカタストロフィー現象は、基本的には地磁気の方向や強さの変化によるもので、気候その他の影響は弱いと見られる。・・・例えば、ホミニド(原人)の化石が発見されたのは、ガウス期の終わり頃で、この頃巨像と恐竜の発生が起こっており、一方、地磁気は少なくとも4回逆転している。このことから、ある特別な時期における原人の発生は、地磁気逆転とヒトの突然変異との関係を示唆するものと思われる。事実、(地磁気逆転期の一つである)松山期におけるホモ・ハビリスの発生や、ブルーネス期におけるホモ・サピエンスの発生は、地磁気逆転の時期と一致している。”と書いてあるのね。」

ネアンデルタール人絶滅の原因として、地磁気の変化をあげた説って、あまり見た覚えがないのですが・・。」

「それがね、私が見てきたある本に、こんな記述があったのよ。」

  と、先生は、続いてまた別の書物を開いて見せる。

「この本(24)にね、“地磁気エクスカーション・・、ある時期に地磁気が逆転とまではいかなくても、90度くらい振れる現象で、地磁気の強さも数分の一に小さくなる・・、約3万年前にエクスカーションが起こっており、地磁気は全地球に変動したと思われる。・・これはちょうど、ネアンデルタール人からクロマニヨン人に、人類の代表が変わったころだ・・。”とあるでしょ。クロマニヨン人って、サピエンスのことだしね。でも、この本でもネアンデルタール人絶滅の原因は気候変動と言っているのね。だから地磁気変動説というのは、ことネアンデルタール人絶滅とサピエンスの存続の謎については、少数説にも至ってないかもしれないけれど、私はこれが仮説の一つになり得るのではと、思うのね。」

  と、先生は、持ってきた本を一式、私に手渡す。

「ユリちゃん、どう? この路線が使えそうなら、あなた達、ひとつ仮説を、つくってみては? 仮説は人の数だけあり得るもの。大人の定説などに満足せず、また遠慮せずに、自分で創造してみては。」

  先生は微笑みながらそう言うと、手の甲を裏返して、腕時計を少し見やる。

「ユリちゃん、もしよければ商店街までバスで戻って、書店に少し寄ったあと、無農薬でつくった紅茶の専門店があるんだけど、そこ行かない? あそこのイチゴタルトって、すっごくおいしんだから。」

「それって、兵庫街の入り口の、あのお店ですか?」

  そのお店は私が前から目をつけていた所だったが、テツオは一緒してくれないし、私も一人で行く勇気もなくて、ずっとお預けになっていた所だ。先生は、やや茶目っ気こめた眼差しでニッコリとうなずくが、私は彼女の小肘をとって、キスしようとするほど顔を近づけ、

「行く、行く、行く、行く! 連れてって、連れてって!」

  と、つい甘えて、はしゃいでしまった。

 

  私たちは本を借りだし、地階のバス停へと向かっていく。途中、建物の上空から、大型ヘリが発するような爆音が聞こえてきた。軍用機が飛び交うのはよくあることだが・・、いや、この爆音は、あのオスドロンのに違いない! 私たちがバスに乗るのと同じころ、爆音は遠のいていったけど・・、あのオスドロン、もしかしてまた嘉南島へと、向かって行ったのではないだろうか?!・・・。

 

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第十三章 絶望の底

  そのオスドロンは、まさにテツオが留守をする嘉南島へと向かって行った。ゴキブリが走り去った方角の上空から、オスドロンが一機、爆音を響かせながらこちらへと迫ってくる。そして島の上空まで来ると、あの時と同じように、卍型のその機体を回転させつつ、まるでテツオを標的とするかのように、彼一人を中心にすえ、爆音をいっそう激しく響かせて、頭上を旋回し始める。テツオは自分がすでに標的とされ、銃口を向けられているのに気づき、急いでその場を逃れようとするのだが、立ち上がったその瞬間、まるで呪いがかかったように、レイコの着物の全体が鉛のように重くなり、全身が金縛りにかかったように身動きがとれなくなった。

  テツオは空を凝視する。太陽光がまっ白な閃光となり、彼の視界をさえぎって、目の前が激しくゆらいでいっている。

  -・・下降を始めるオスドロン・・。その機体からの熱風に晒されて、地表から水気が消え失せ、まるで全てが陽炎みたいに、焼かれては殺されていく・・。野菜畑も花畑も、着陸するオスドロンに焼きつぶされる・・。そして機体からは数人の兵士たちがあらわれて、私の方へと向かってくる。彼らは火炎放射器で樹や花々に火を放ち、私を女と見とめるや、狙った獲物を逃すまいと、ブーツで花を踏みにじっては、ニヤニヤと笑いながら近づいてくる・・。彼らは近づいてくるにつれ、私が女でないと気づいたのもいたが、それが逆に興味をそそったのか、彼らは動けないでいる私を取り囲み、面白そうに嘲笑い、ある者は銃口を向け、ある者は刀を抜いて、またある者は早や己のズボンを下ろしては、自分のモノを晒しつつ、私に手をかけようとする・・・-

  -太陽の閃光が過ぎ去って、オスドロンが島の遠くへ飛び去っていくのが見える。樹木は緑に広くおおわれ、花々は色鮮やかに風に吹かれて、鳥は歌い虫は飛びかう。すべて自然は美しいまま・・、そして私も美しいまま・・・。そう、私はただ、白昼夢を見ていたのだ・・・-

 

  オスドロンはどうやら上空からの偵察だけで、海の向こうへ飛び去っていったようだ。しかし、テツオは気持ちが悪くなり、花を見るのもそこそこに、急いでこの場を去っていく。動悸が激しく襲ってきて、呼吸も荒く、足取りも乱れたまま、彼はとにかく教会へと向かっていった。

  テツオは、ダンテの門を模したみたいな教会の扉に手をあて、それを両手で重々しく開けると、そこからは一筋の光が差し込み、正面のイエスの十字架・祭壇を明るく照らし出していくのを見て、とりあえずはホッとする。そして彼は祭壇下の特等席に、今日はいないはずのキンゴがなぜか、いつものように座っているのに目をとめる。   -・・・キンゴは、今日の模試だろうか、白い冊子を手にしながら、うかない顔でうつむいている。おおかた、模試の出来が悪かったので、早めに切り上げ帰ってくると、彼もまた今日は島で一人と思って、ここに座っていたのだろう・・-と、テツオは遠目に見ながら思うのだが、落ち込んでいるせいか、未だテツオに気づかぬキンゴの姿を、やや落ち着きを取り戻したテツオの方は、詳細に描写しはじめる。

  -トップスは、シャツというよりもはやブラウス。ほんのりと素肌が透けるピュアホワイトの光沢も麗しいシルクシフォン。前立てには大きくフリルが仕立てられ、オーロラみたいに胸元を波打たせてはラッフルのよう。デコルテや背中も少しあけられて、それでもやり過ぎでない肌見せからは盛り袖のパフスリーブが、シェルのようなプリーツが扇開きに施されたカフスへと流れている。そしてこの華ありディティールのトップスには、ボトムズはインディゴブルーのストレッチのききそうなスラリとした細身のデニムと、メタル感あるヒールのミュールがのぞいている・・・-

  キンゴも今や、テツオの姿に気づきはじめる・・・。二人の視界は互いの姿に集中していく。その視線は、扉から差し込む光と祭壇のステンドグラスからの光が互いに交わり、二人の輪郭がぼやけるのを貫くように、彼らの意思を代弁して、やがては結びあわされていく。そしてテツオは、この二人をつなぐ視線に沿って、扉からの光を背に受け、ここは再び女っぽウォークでキンゴのそばまで歩いていくと、テツオをじっと見つめたままの彼を横目に、両ひざと両足そろえて、近くの席へと着席する。キンゴはそんなテツオのなりを、張り付くような眼差しで追いながら、模試の悪さにうつむいていた姿勢を正し、スラリとしたデニムの足を伸ばしては、テツオと向き合おうとするようだ。

「・・・、テツオ・・、今日はレイコ先生とユリコと一緒に、課外授業の美術館に行ったのでは?」

「いいえ、先生とユリコは二人だけで・・。僕は・・、いえ、あたしは・・、島にいたけど・・。」

  テツオが女言葉を続けようと思ったのは、キンゴの首にネックレスと、耳に輝くイヤリングを見とめたからだが、どうやらそれだけではないらしい。

  -彼・・、あたしに負けず劣らず綺麗だわ・・・。あたしと違って、うっすらとほどこされたアイスブルーのアイシャドウ・・。それがピュアホワイトのトップスと、インディゴブルーのボトムズに陰翳の調和を与え、よく整えられた細眉と、その一重の目にもマッチして、とても艶めかしく見える・・。額にひさしができるほど、コシとハリと艶のある真ん中分けの前髪が、その細面のうりざね顔にストレートにほどよくかかり、男としても女としても形のいい輪郭を与えている。彼はもとよりシルクのお肌・・、少年みたいなピンクの頬と、モネの絵みたいな印象的な赤唇は、メイクなしでの天然の賜物かも・・。ああ、どうせ同性でも、ここまで素材のよさを活かすのなら、美しいと認めてあげてもいいけれど・・。でも、彼にあたしは、逆にどう映っているのかな・・? 彼のあたしを見つめる瞳は、麗しげに潤んでいるようにも、見えるんだけど・・・-

  そう。KYとはいえ、喜怒哀楽は正直にあらわすキンゴは、ここはプライドにはとらわれず、テツオに胸キュンみたいであり、はや片手でリモコンONにして、その感性でのベストマッチのBGMをかけ始める。

「これはね、キリストの最後の晩餐に供された、“聖杯”を守護する騎士の物語-ローエングリンの第一幕への前奏曲だよ・・・。」

  そう言って、キンゴは曲にあわせるようにゆっくりと近づいて、テツオの隣の席へと座る。教会中に響き渡るBGMの調べとともに、彼が発した“聖杯を守護する騎士”という言葉が、祭壇へと降り注ぐステンドグラスの七色の光とあいまって、よりロマンチックな雰囲気を醸し出してくるようだ。

  そしてキンゴは話しかける。

「テツオ、君はよく“美意識”とか“美の絶対性”って言うけれど、その源泉って、いったい何?」

  テツオはとても嬉しそうに、キンゴにこたえる。

「それはね・・、“花”よ。」

「“鼻”?・・」

「そう、花よ。花があたしの美意識の初めであり、また同時に終わりなの・・・。」

「・・・じゃあ、君のその美しい鼻にキスしても、いいのかな・・・?」

  テツオは少し不思議だが、この教会にも彼の花がいけてあるのを見回した。

「えっつ?・・、ええ、どうぞ。近くにあるし、いつだってお好きな時に・・・。」

  と、テツオが言い終るや否や、キンゴはまさにその通りに、テツオの鼻へとキスをする。

  -ああ、何て、彼らしいKYぶり・・・。でも、僕は、一度この身に刻印された、あのモネの絵みたいに印象的な、アネモネの花のような赤唇の、やわらかくて優しい感じが忘れられず、また、たまらなく愛おしくなってくる・・・-

  テツオは彼の鼻から離れていく、キンゴの赤い唇と、うっすら白いシルク肌、ほんのり灯るバラの頬、しっとり艶ある黒い髪・・・それらを見つめていきながら、彼とは違った趣の、美少年・美青年たるこの親友への、今まで抑えてきた恋しさと愛おしさが、ローエングリンのBGMで増幅され、白鳥が湖を打ち、その波紋が水面に広がっていくように、心の中から響きあって溢れてくるのを感じている。そしてテツオは、テーブルから引きあげられるキンゴの片手-その白磁のような艶やかさと繊細さ、ほんのり灯った指先と爪の朱るみ-に思わず手をやり、彼の方へと引きよせて、自分の頬を押しあてると、その白磁のような手の甲と、コスモスみたいなピンク色の手のひらへと、一つ二つキスをしていく。キンゴの手は冷たかったが、テツオはそれがより硬質で上品な白磁器のイメージへと、重ねられていく思いがする。

  彼ら二人は再び顔を寄せあって、今一度、互いの瞳を見つめあわせる。そして暗黙の合意でもあるかのように、お互いの衣装のなかより胸元をゆっくりと広げあい、その両方の小さな蕾と膨らみを、突起部を爪先で奏でつつ、まさぐりあおうとするのだった。キンゴの方が腰を浮かせて、ややテツオの目線の上にいるので、テツオは首を右へと傾け、喉笛のばして顎をあげ、上向きに唇を少し開きかけたまま、ゆっくりと瞼を閉じる・・・。

  -ああ、僕ら二人の、互いの薄い唇が、音もなく重ねられ、まるで葉と葉が触れ合うように、キスが施されていくのを感じる。僕らふたり美少年・美青年の、樹の実のように赤い唇・・・。二人のキスは、男子らしい頬の平たさ、触れあう鼻先、首すじから顎にかけてのシャープな感じとあいまって、鋭角的で硬質な質感さえも漂うが、また同時に艶やかで温かく、そして何よりお互いに優しかった・・-

 

 

  そしてテツオの中からは、とある声が聞こえてくる。

  -僕らはこれからお互いに、このまま下まで“脱ぐ”のだろうか・・・?-

  テツオはうっすら目を開けると、キンゴのピュアホワイトのトップスの開かれた襟の間からは、彼の華奢な胸元が、上気で朱く染まりながらも激しく鼓動を打つのが見える。そしてテツオは、県の中学校の水泳で見た、キンゴの海パン姿を思う。

  -彼はもとより色白で、肩幅せまく柳腰。お尻も胸もペタンコで、乳首のあたりを揉んだとしても、僕ほどムッチリしてないし・・、僕の方が男子の裸体美では勝る。だがしかし、彼のペニスは立派だった! 当時、僕は今日ほど、ペニスを研究しておらず、生えかけていたヘアにとまどっていたくらいだったが、すでにキンゴは巨砲を備えて、それをヘアで飾る余裕さえあったのである・・・-

  このわずかな一刹那に、テツオの在りし日の回想は、走馬灯みたいに脳裏を駆ける。

  -濃紺の学校既製の海パンに、肉体的にも精神的にも圧迫されて、所せましと横向きに仕舞い込まれた彼の太マラ・・。その女形みたいな可愛い顔とは裏腹に、男らしい太さと長さ、そして堅そうな質感までもが、あたかもフランクフルトのそれみたいに股間に刻印されている。それを彼は、“オレのよりでッけえのを持ってるヤツは、どこのドイツだ?”と言わんばかりに、腰に手をあて堂々と構えては、周囲に見せつけたかったのかな・・・-

  今やダビデ像ばりの裸体美を誇るとはいえ、性については早熟とはいえなかったと回想するテツオにとって、さらに追い打ちをかけたのは、最近彼が自分の長さが、ヒトのペニスの平均値に届かないと気づいたことのようである。

  -たしかにダビデ像のも大きくないし、俺はこれも、ウマは長いというものの、塞翁が馬のように短所は活かせるはずであると、女のショーツがはけるのかもと、そして実際はいてみて、文字どおり丸く納まったのを見て、むしろラッキーと思い込もうとしたのだが、こと男同士で対面する事態となっては、股間と沽券にかかわるだけに、話は別だ。・・・-

  -もし、彼のとここで“対面”して“鞘当”となり、あの長く太いのがブルンと一振り、それで俺のがナエたりすれば、シャレにならねえ・・・。だから俺は、決して脱がねえ!-

  やがてテツオは、“男のニオイ”を感じはじめる。それは彼の嗅覚によるというより、行為の端々、お互いの息づかいから漏れ聞こえる、男固有の暗号にも感じられる。それは彼自身にもキンゴにも、いやおうなく生じてきているもののようだ・・・。テツオは瞼をはっきり見開き、キンゴの愁うような長いまつ毛を真近に見るが、開かれたその視界には、テーブル上の模試と並んで置かれている男性週刊誌の表紙を飾る、エロい表題うたい文句の数々が、堂々と入ってきた。そして彼の脳裏には、忘れようとしていたはずのあの忌まわしい白昼夢の、自分に向けられ迫ってきた兵隊たちの赤黒いペニスらが束になって、まるでメドゥーサのヘビのように襲いかかってこようとするのが、よみがえってきたのである。

  テツオは今やキンゴとの口づけから離れると、開口一番、口走る。

「ねえ、キンゴ。あなたもあたしも男でしょ! あなたも女をレイプするのを、想像できるの?」

「何だってこんな時に、急にそんなヘンなこと言うんだよッ?! 君らしくもない!」

  テツオのこの一言が、キンゴをすっかり男へと戻してしまったみたいだが、それでテツオはテーブル上の、キンゴが見ていた週刊誌を開いて見せる。

「だって、この週刊誌の袋とじって、定規で切って開いた跡が、あるじゃないの。」

「そ、その雑誌は、医学部難易度ランキングと、医療ミスと抗がん剤副作用の特集があったからこそ、見てたんだよ。男性週刊誌って一見スケベみたいだけど、マスコミが封じるような真相話が時折あって、特に医療や税金、政権批判、相続問題なんかでは、けっこう役に立つんだよっ!」

「でも、それが、この袋とじの-乳ポロ、パンチラ、破れタイツに、トイレで目かくし隠し撮り-と、いったい何の関係が、あるっていうの?」

  テツオはキンゴを問い詰めながらも、-こんなので勃起が持続できるなんて・・、うらやましい-と、感じる自分も意識している。

「模試の出来が悪かったから、ムシャクシャしてついコンビニで買ったんだよ! 君も男ならわかるだろう!・・・。いや、もはや、そういう問題でも、ないのかな・・・。」

  そしてテツオは、図書館のある本棚の一角を指さして、気になっていたある事をキンゴに尋ねる。

「あの一連の書物って、最近あなたが持ち込んだんでしょ。あの類の書物というのは、意図的に集められたと思うのだけど・・・。」

  と、テツオはここで、今日オスドロンがまた飛んできて、あの忌まわしい白昼夢を見たことを、キンゴに説明するのだった。すでに衣服を正した二人は、今や考えモードに入っている。

「ああ、そうか。これでわかった・・。その白昼夢を見たというのは、君があの書棚の本を読んだからだろ・・。あれは僕が実家から持ち込んだものだけど、僕の母方の遠戚に中国大陸に侵略した元軍人がいて、あの一連の“元兵士の証言集”ともいうべき書物は彼が生前集めたもので、母が離婚をした際に実家に置いていったのを、僕がこの図書館へと移したのさ。この島はこれからも、核に追われ社会に捨てられ、僕たちみたいにノアの箱舟に乗ろうとする若者たちが来るだろう。これらの書物はそういう次の世代の人達にこそ伝えられねばと思ってね・・。・・しかし、女に化けたその途端、レイプの恐怖に怯えるなんて、僕たち男も罪なこと、してるよな・・・。」

  キンゴの愁いを帯びた眼差しは、相変わらずも美しかったが、彼は気勢が失せたようにテーブル席に腰を下ろすと、以前から何か考え事をしていたのか、テーブル下から何冊かの本を取り出し、週刊誌の上へと置いて、テツオに向かって開いて見せる。

「これはね、V・E・フランクル氏の有名な『夜と霧』(1)という本で、この書にある写真が載っている。・・・裸にされた女たちが、軍服を着た男の兵士らの前を、一列に走らされる。彼女たちは生前最後に汚辱と恥辱、一生分の辱めを受けながら、強制され、恐怖にかられ、反抗するすべもなく、死への入り口、ガス室へと向かわされる。そしてそれを制服姿の男たちが、列になって、おもしろそうに、眺めているんだ・・・。あの書棚にはこの類の証言が、いっぱいあるのさ・・・。」

  呆然と見つめているテツオを横目に、キンゴは今まで悩みぬいた後なのだろうか、もはや恬淡とした感情のない表情で語り続ける。

「僕はね、君のその白昼夢に似て、この写真は最初は衝撃的だったけど、3.11から核との共存を受け入れて、僕たち子どもを捨てるような社会を生きて、また、君との進化論を経てきた今では、この写真にはある真実が映っているとも思うんだよ。」

「この写真に、どんな真実が映るというの?」

  キンゴはここでテツオの目を見て、確認をとるかのような口調で述べる。

「それは、僕たちホモ・サピエンスの、“正体”だよ。」

「私たちサピエンスの、正体って?」

  その顔色はすでに白く、血の気も失せてきているようだが、キンゴはそのまま語り続ける。

「こうしたレイプや虐殺は戦争にはつきもので、俗に“戦争は人を狂わす”とか、“戦場では人は野獣と化す”とか言われて、まるで戦争という特別な状況が原因であるかのような言い方がされているけど、僕は逆に、この写真の方が僕たち人間の真相をとらえていて、人間-特に男は-己をこうして解放したいがために、定期的に戦争を望んでいるんじゃないだろうかとさえ思うんだよ。もちろん逆に、女兵士が捕虜の男らにオナニーさせて楽しんでたって話もあるけど、圧倒的に少数だろうし、それにだいたい野獣たちは、こんなことしないだろ。」

  キンゴはあくまで冷静に語っているが、テツオには彼の秘められた緊張感が伝わってくる。キンゴが出した本の中には、『元兵士が語る・戦史にない戦争の話』(2)というのもあって、そこには誰がつけたのか付箋とマーカーが印してあり、それはテツオの記憶にも深く刻み込まれたようだ。-・・・強姦、輪姦、略奪、放火、そして虐殺・・・人間は兵士となって戦地に臨むと、インテリも、無学なものも、上流階級、労働者階級にあるものも、何ら違うところはなかった・・・兵士の任務は人を殺すことであり、だから兵士は平時にあっても人を殺す練習をした・・・強姦も斬首も、一種の流行みたいに行われた。なぜそんな酷いことをと問いかけられても、明確な答えはできない・・・好奇心、見栄張り根性、戦場心理、嗜虐心など、兵士間での競争意識と出世欲、ハッタリをきかせたいという気持ち、連帯感・・・他の者が人を殺したと聞くと、自分も負けじと人を殺し、女のレイプの自慢話を聞かされると、自分もレイプをしなければ恥ずかしい心持になったのである・・・。このように、もし現代人が当時のような国情で兵士となって戦場へと臨んだのなら、必ず同じような蛮行をすると、私は断言できるのだ。蛮行をするしないは、自分の意思だけで、どうこうできるものではないのだ・・・-

「これらの本を残してくれた元軍人という人はね、タオルをバサッと振る音が首切りの音に似てるといって、家の者は誰ひとり、タオルを振ることはなかったと、僕は母から聞いたんだよ・・・。」

  キンゴは大きくため息をつきながら、ここからは自分の意見を述べるみたいだ。

「こうしたレイプは戦場だけのものだろうか? 僕は書店やコンビニに行くたびに、女の裸が商品化され、甚だしきは、ボンレスハムみたいに縛られたり、吊るされたり、また、イヌみたいにはわされたり、そんな写真が繰り返し青少年の目につく形で再生産されているのを目にするたびに、これはレイプのイメージトレーニングと同じじゃないかと思うんだよ。これは性欲なんかじゃない。これは“嗜虐心”-虐待を嗜み味わうという心の産物なんじゃないだろうか。つまり僕たち男の性は、君がいう美意識よりも、日常的に恒常的に、こうした潜在的な商品レイプや合法レイプの強迫観念に晒されて、あたかもそれが男性固有の生物的な特質であるかのように、また、女性に対する一種の治外特権であるかのように、思い込まされているのではないだろうか。だいたい女性が夕暮れ以降、一人で安心して外に行けないということ自体、おかしいだろ? これは差別による脅迫を受けているのに等しいことで、ユダヤ人、中国人、あるいは僕らも、自転車に乗るな、公園に入るな、バスや汽車の席に座るなということと、同じことではないだろうか。

  テツオ、君はよく花は美しいって、そして花は本来“生殖器”だって、言ってたよな。では、なぜ、僕たち人間は、同じ生殖器である母なる女陰、性なる、生なる、聖なる女陰から生まれながら、まるで花を踏みにじり、炉に投げ込んで捨て去るように、女性や女陰を汚し、さげすみ、愚弄して、嬲りものにすることを、嗜み味わい楽しもうとするのだろうか?!」

  やや涙目になりながらも、熱心に聞こうとするテツオに対して、キンゴも彼を信頼して語り続ける。

「僕らが話し合ってきた“性=SEXによる進化論”に基づいて考えると、絶滅した他の人類たち-ホモ・エレクトスやネアンデルタレンシス等-はわからないが、僕らホモ・サピエンスというのは、こうして一方の男の性が、もう一方の女の性を、不当に差別し虐げて進化してきたんじゃないだろうか。それは僕らサピエンスの雄のペニスが、自然淘汰の原理ではあり得ないほど、弱点である腹部とともに前に出て、四足動物に狙われやすい急所であるにもかかわらず、しまい込まれず恒常的に露出して、しかも霊長類最大に極大化したことにも表れていると思われる。なぜなら、それは、雌に対する自己顕示=見せびらかしとこけおどし、槍のような暴力性の象徴と解釈すれば説明がつくからさ。つまり、僕たちホモ・サピエンスの雄の祖先は、そもそも自然に一定の傾向がある雄が雌より大きいという性的二型の特質を利用して、愛よりも力による支配の方を確実にしようとしたんじゃないだろうか。そこで己のペニスを、威嚇と虚栄、力の誇示の象徴として巨大化させ、雌に対して、“これが俺様の力をあらわす。俺がお前を守ってやるから、俺に従え”としたのだろう。そしてこれがいわゆる“安全保障”の始まりでもあったのさ。・・フッ・・、だから僕は、でっけえチ○ポが、時おりアホくさく思えるのさ・・・。」

  もとより綺麗なキンゴの顔が、アイスブルーのアイシャドウで憂いを帯びつつ、それが今の自虐的とも思われるセリフでもって、ますます憂いを増していくのが、テツオには愛おしくなってくる。

「キンゴ、ごめんね。あなたのそんな気持ちも知らずに、フランクフルトなんて陰口言って・・。」

「何だよ、そのフランクフルトって?」

「い、いや、これは、もう過ぎ去った中学校の事だから・・・。ね、キンゴ、あなた決して、それで自分を卑下しちゃダメよ。うらやましいことでもあるんだし・・。」

「卑下してないよ。何だよ、そのうらやましいことって?」

  -パンツじゃないけど、またボタンのかけ違いがあったみたいだ-と思ったテツオは、ここで話題の転換をはかろうと、今日一日、ハチやゴキブリたちと話したことを、かいつまんでキンゴに話す。もちろん、自然からの霊感ということにはしたが、キンゴは納得しながら聞いてるようだ。

「そうだ、そこだよ、そこなんだよ! 従来の定説では、愛を知り、愛しあうのは人間だけで、知恵を持ち、理解しあうのも人間だけだということになっていた。しかし、現実に人間は、戦争をやってなければ気がすまないし、ジェノサイドも繰り返すし、原爆と原発で核権力に依存・共存するかわりに僕たち子どもを犠牲にするしで、とても知恵や愛に根差している生き物ではないんだよ。この真相は、今君が言ったように、人間ではなく、“自然が知性をもっている”ということなのさ。あの黄金比の1.61にせよ、それが多くの物理的現象にあらわれていることから、それを“美の作用量子”と呼ぶにせよ、自然がヒトに先んじて、本質的に美と美意識とをもっているということは疑い得ないと思われる。美意識とは意識そのもの、それは知恵であり知性であり、意思であり意志でもあり、要するに“愛”そのものでもあるわけさ。自然はこれらを分別しない。我々ヒトも自然の一部に違いないから、人間ではなく、自然のおかげ、神様の愛のおかげで人間も、どうにかこうにか全滅を免れて生きてこれたというわけなのさ。むしろ真相はこうだと思う。この自然に反抗する形で、僕たちホモ・サピエンスは、差別と暴力と権力の意志というのを、まずはその性=SEXの男女において基礎づけながら、進化のなかでこの自然への反抗を、ますます募らせ培ってきたんじゃないか。“差別と暴力、そして権力への意志”-むしろこれこそが我々ホモ・サピエンスの正体で、それは、つまり、“奴隷”だよ!」

  力をこめて“奴隷”と言いきるキンゴにつられて、テツオも深く納得している。

「だから、僕は、人間の正体はこの写真につきると思う。“蛮行するかしないかは、自分の意思でどうこうできるものではない”という言葉にもあるように、人間の意思や判断、また俗にいう“自我”なんて、本当は“無い”んだよ。あるのはただの“奴隷性”だ。だから、この写真にあるように、女を裸にしてガス室へと走らせている兵士たちは、人間のあらゆる組織の原型たる軍隊の制服を着ているだろ。どんなに自我を破壊して蛮行を繰り返しても、組織への帰属心と忠誠心は、このように不変にして不動なのさ。このように自我ではなく、奴隷こそが本質であり、そしてこの“奴隷性”こそ、我々サピエンスという人間の正体なんだよ。」

「では、なぜ、私たちサピエンスは、生まれながらの“奴隷性”をもっているの? 私たちの進化の中で、そうならなければならないような特別の理由なんかがあったというの?」

「そう。そこが肝心な所なんだ。我々サピエンスが、なぜ、知恵でもなく、自我でもなく、奴隷性に根差しているか-ということだろ。その原因を探っていくと、それは昔から仏教がいうように、“執着”に行き着くだろう。ここが同時にサピエンスの始まりにして、終着でもあるように。

  そう、僕ら人間=サピエンスは、まさに、初めに“執着”ありき-だったんだよ。執着があるからこそ、自分の体に執着して“自我”が生まれて、その反作用たる“他人”が生まれる。執着があるからこそ、身の回りの“モノ”に対する“物欲”と“所有”が生まれ、自我への執着が他人との絶えざる“比較と差別”を生んで、他人より勝りたいとの“欲望”が際限なく再生産され、他人に対する“支配欲”から“権力への意志”が生まれる。これで“奴隷性”が始まって、あとはこうした永劫の苦の輪廻が再生産されつづけて、ついには最終的な破壊力たる“核権力”へと人間は行きつくわけさ。

  テツオ、君と僕とは、3.11より考えに考えぬいて、ついにここまで来たんだよ。ここが我々人間=現生人類=ホモ・サピエンスの、正体にして終着点さ。つまり、ここが僕たち人間の“底”であり、“絶望のしどころ”なんだよ。3.11直後の頃に、“まだ絶望が足りないのでは”(3)との言葉を聞いたが、僕は自分たちの正体を奴隷と知った今こそが、まさにその“絶望の底”だと思うよ。」

  と、ここまで語り終えたところで、キンゴはまた別の書物を取り出しては、テツオに見せる。

「これは僕の独り言かもしれないけれど、僕ら人間=サピエンスの根本が“執着”ないし“執着力”であることは、次のことにも関係してるんじゃないだろうか。ほら、いつか、レイコ先生が授業で言ってた、物理学が目指している大統一理論がいう所の宇宙を統べる“4つの力”-すなわち、重力、電磁力、強い力、弱い力の“力”って、いずれも引き合う力を中心に考えてるだろ。これってもしや、人間が執着力をもつからこそ見出そうとする、執着力に由来する人間特有の自然の見方かもしれないよ。だって、この定説にしてみても、宇宙や自然が最終的にこの4つの力に集約されるなんてこと、普通に自然を観察しても、これって何かおかしいって、思わないか?

  以前、レイコ先生が、このセント・ジェルジの『医学の将来』(4)から引用して教えてくれたろ。

  -私の研究室ではまもなく2種類の分子を分離するのに成功した。・・それ以来、20年間も研究を続けたが、結局前進しなかった。私の見逃していた一つの重要な点は“構成”であった。すなわち、自然が何か意味あるように2つのものを組み合わせると、その構成要素の性質からは説明できない新しいものが生ずるということなのだ。このことは、原子核や電子から巨大分子や完全な個体に至る複合体の全領域にわたって真実である。つまり、私が2つのものを分離した時、すでに何かを捨ててしまっていたのである。・・分子間のその力は、近距離のみにはたらく力で、広がりや大きさのある膜や層状構造の意味を説明するものではない。・・どのようにして、分子の次元からより高次の細胞への次元へと進むのだろうか。・・この相互作用こそ、最高次のすべての機能を生ずるもので、意識、記憶、追憶あるいは学習等の精神現象として現れるものである。-

  ということはさ、こうした感じの“構成力”というべきものが、自然界にはあるはずなんだよ。つまり、電子、原子から元素、分子へときて、なぜ、それからより高次の段階である、たとえば、種から芽、芽から苗、苗から葉や茎、そして花、またさらに花から実、そして再び種という命のめぐりは、それらを取り巻く大気や気候、風や虫たち、微生物に至るまで、すべてを含めた何らかの“構成力”みたいなものが自然界にはあるからこそ行われると、テツオ、君だってそう思うだろ!」

  テツオは、これらのことは全て畑の観察からキンゴに話してきたことなので、全く深く同感する。

「だから、互いに引き合う力ばかりに目がいくのは、僕ら人間=サピエンスがその根本に“執着力”をもっているからじゃないか。それだけじゃない。執着は自己の身体へと取り着いて“自我”が生まれて、その自我をもとにして“他人”が生まれ出るように、“執着”は自と他のような“相対知”のもとなんだよ。アダムが食べた知恵の実の、善と悪とを知るという相対知は、この執着から必然的に生まれてくるのさ。物理でいう相対性や対称性も、この相対知からくるものだろう。ということは、ともすると、人間の自然科学というものは、自然を客観的に見るとはしながら、実はホモ・サピエンスに特有の執着力と、それにともなう相対知というある一面、ある窓の一角から自然を垣間見たにすぎないものかもしれないよ。そして、この執着と相対知とは、まさに創世記において、神が“善悪を知る知恵の実は決して食べるな。食べたが最後、死ぬことになる”(5)と言った通り、結果的には致命的なものだったのさ。それはその初めから、自然に対する反抗を秘めていて、いっさいの生、性、美、愛、そして真実や真理というものに対して、もとより“相反する”ものとして表れるんだよ。」

「では、なぜ、人間は、“執着”をもつように、なったのかな?・・・」

  考え込むテツオの顔をじっと見ながら、キンゴは何かに気づいたようだ。

「テツオ、さっき君は、“自然は知性をもっていて、それは光が担っている。知恵を扱う人類は、実は光に依存している”と言って、ネアンデルタール人の絶滅の原因には、ひょっとして、“光”に関する環境変化-たとえば光は電磁波でもあるのだから、その電磁波に関連して、地球磁気の変化など-があり得るのでは、と言ったよね。生物の進化とは、地球における環境変化の適応によるものが多いだろうし、また、たとえば紫外線に対して体表を黒くするみたいに、適応にはこうした一種の“抵抗”も含まれると見ていいだろう。それで何千年か長期に渡って同時代を生きていたにもかかわらず、ネアンデルタール人が絶滅してサピエンスだけが生き残った理由というのは、もしかするとサピエンスは、この地球磁気の変化に対する何らかの“抵抗力”を持ってたからで、この“抵抗力”がそのまますなわち“執着力”の原因になったんじゃないだろうか。つまり、我々サピエンスは、ネアンデルタール人とは違って、地磁気が多少変化してもビクともしない強い力を、大脳にエネルギーを結集させて抵抗力として維持し続けた。だから我々サピエンスは生き残りはしたのだが、今度はその抵抗力が執着力へと発展して、人類とはいえ皮肉にも自ら奴隷に転落し、またこの抵抗力は、知性を担う“光”への抵抗でもあるのだから、必然的に自然に対して抵抗・反抗するものとなり、光=自然に対して相反するものとなる。だから我々人間は、戦争も環境破壊もジェノサイドもやめないし、ついには原子爆弾をつくり出し、最終暴力たる核に依存し共存する。そして原爆・原発で、地球にほとんどないようなエネルギーの強烈な電磁波であるγ線を大量に放出させることにより、あのネアンデルタール人と同じように、γ線という“光”に関する環境変化に適応できずに絶滅し、これで“光”を原爆・原発で、自然と命を破壊するのに利用した人間への、同じ“光”によるその因果応報は、こうして完結するのである-こんな仮説に、なるんじゃないか。」

  ここまで言われて、テツオはむしろ絶望を越え、感動さえも覚えている。

「キンゴ・・・、すげぇよ、すげぇよ、この仮説って! この理路整然ぶりは美しくさえもある!」

「テツオ、有難う、褒めてくれて・・。でも、君は今、すっかり男に戻ってしまった・・・。」

  感動に打ち震えているテツオの両手は、再び愛するキンゴの両手を握っている。キンゴはそんなテツオを見つめて、またもう一つ、話を進める。

「テツオ・・、僕が思うに、この話はここで終わりじゃない。・・以前も言ったことだけど、僕らはもう言わずもがな、お互い“LGBT”・・だろ。」

「キンゴ・・、そうよ。あたしたち、これでお互い、カミングスーンよ。」

「・・いや、カミングアウトと言うべきだろな。それで僕が思うのは、これで我々ホモ・サピエンスが、核の因果応報で当然ながら絶滅をするとしても、生物進化で人類は何百万年も生きてきたから、人類はすべて絶やされるのではなく、絶滅をするサピエンスから、きっと新たなヒトの種が、生まれる=分岐するってことなんだよ。僕はこれが“核と共存する人類に、次の世代の子供たちが生きる意味”というものを示していて、僕はここに僕たちLGBTの究極の存在意味があると思う。つまり、僕たちLGBTは、この核との共存という人類最悪の危機の最中で、今まさに、人類の次なる進化の扉を開けようとしていると、思うんだよ!」

 

  図書館を出発して県の中央駅でバスを降りると、先生と私の二人は、先生が寄りたい書店と、おすすめの紅茶のお店に通じている商店街へと歩いていく。この商店街は、西の“ライオン通り”に対して東の“ドラゴン通り”という名前だったが、市に山のような脅迫状が来たとのことで、“旭日通り”と改称されて、おまけにパン屋さんたちは、軒並み和菓子屋へと入れ替えられたということだ。

  私は先生と、商店街の交差路にある大きな書店へ入っていく。この書店は再開発にともなって首都圏から進出してきた書店であり、先生は以前から“忖度書店”と嫌っていたが、専門書がそろっているのはここだけだからと、しぶしぶと入っていかれる。

先生が専門書棚に行ってる間、私は入り口付近で雑誌を見ながら、先生を待つことにした。この書店の新刊雑誌コーナーは、入ってすぐの一番目立つ所にあって、3.11直後の頃の脱原発本がそろって一掃されたあとは、いわゆる嫌韓・嫌華本がズラリと並び、またそれと並行して、自衛隊から国防軍へと数多くのミリタリーブックスそしてグッズの類が並び始めた。その内容は、もはや化石のような関ヶ原の戦記本や、ノスタルジックに演出された第二次大戦、そしてそれらと対称的な今風の“血を見ないで済む戦争”を期待させると謳われている無人機などの最新兵器の写真集やプラモデル、はては兵器の“ゆるキャラ”やミリメシそしてミリタリーファッションに至るまで、実に豊富に取り揃えられているのだった。そして最も目につくように置かれているのは、国防軍の広報誌、その名も“スパルタ”というグラビアである。

  この“スパルタ”誌はその名の通り、軍事教練で鍛え抜かれた選りすぐりのイケメンが、“国防のエロイカ”たちとの特集でタレントまがいに毎号の表紙を飾り、ページをめくるやめくるめく続々と同じような筋肉質のイケメンたちが、制服姿だけでなく、自室でくつろぐ私生活や、テツオが好きなミケランジェロの絵や彫刻みたいな教練中の体操や水泳姿であらわれて、そして次に同様の“国防のマドンナ”たちという女性兵士の特集が続いている。軍権力は、これが女性兵士だけ表に出せば、オヤジたちの週刊誌に似てポルノまがいと批判されるのでそれを避け、また一方で“この素敵なお兄さん・お姉さんたち先輩が、君たちを待っている”とのフレーズで、若者たちをより幅広く引き寄せられるということを、ちゃんと計算しているのだ。これが写真を中心として、さらにアニメチックでコスメチックに描かれるものだから、銃や戦車、戦闘機などの兵器を含めて、すべてはゲーム感覚のヴィジュアル世界の枠に納まり、イジメや暴力、血の匂いはどこにもない。この広報誌は、学校・図書館・駅舎など青少年の目につきそうな至る所に配布され、また学校で、県知事・市長・教育委員会そして学校長らの推薦・推奨・肝いりで行われた、国防軍勧誘ポスターコンクールや、運動会や体育の授業の延長として位置付けられた軍事教練の一部取り入れ等々を、広く深く浸透させる役割を担っていて、それらすべては“徴兵制”につながっていたことは言うまでもないことである。

  しかし・・、若い子たちはこんな銃や戦車や戦闘機を、ラジコンを操るみたいにカッコイイと思うのだろうか? そして今まで所構わずスマホを触っていたその手で、本当に銃や戦車や戦闘機を操縦し、あのボンヤリした目で攻撃したり、殺戮したりするのだろうか・・・? 今、私の目前の通りにて、スマホしながら前も見ないで歩いているゾンビのような人たちが、本当にできるのだろうか?・・・

 

  ・・・兵士としての父を亡くした私にとって、その死は未だ実感できない。そればかりか、私は未だに悲しくもなく、涙のひとつも流していない。私にあるのは“絶対に納得いかない”という思いと、兵士を戦地に追いやって無関心を決め込んでいる世間に対する怒りと恨み、そして呪い、それらが総じて私に結集した“怨”の思いだけである。それは私があの島のノロとなり、自然のなかで回峰行を行じるようになってからも変わらない。いや、それどころか、繰り返し地固めがされるように、ますます強く私の心の奥底に根付いていくのを私は感じる。

 

 父は戦場から帰らなかったが、それはある意味、幸いだったか

 世間は煽り、巷には敵意があふれ、兵士を戦場へと送ったあとは、

 人々は平和主義者の仮面を被る

 兵士はレイプ、虐殺の罪を負わされ、加害者はPTSDの被害者ともなる

 他人の眠りを奪ったものは眠れずに(6)、兵士は人の原罪の最前線に立たされる

 そして被害者同様に、彼らもまた棄民される

 しかし、もう放射能は容赦しない

 加害者も被害者も、国民も非国民も、敵も味方も見えない所で襲ってくる

 暴力に飢えるものも、無関心なものたちも、権力者も、偽りの平和主義者も、

 善人も悪人も関係なく万人に、公平に、差別なく、襲いかかる

 戦争とは人々が日常から起こすもの

 その意味で放射能=核戦争とは、人間の原罪の最終的な“鏡”といえる

 

「ユリちゃん・・、ユリちゃん・・・。」

  私の耳の下の方から、優しそうなアルトの声が、少し低めに聞こえてくる。

  先生、いつのまに、戻ってこられて、いたのかな・・・。

  私は急いで、目元をぬぐった。

「・・・ユリちゃん・・・、荷物・・、持とうか?・・・」

「い、いえ・・・。これは私のものですから・・。私こそ、先生のを、持ちましょうか?・・」

「いいえ。これは私のものだから、私が持つのが当然ですよ。じゃあ、紅茶のお店に、行きましょうか。」

  短い会話の一瞬だったが、私はこの時、あらためて、救われたような気がした・・・。

 

  そのお店は、書店を出て商店街の交差路を曲がって少し歩いた所、大通りの入り口の二階にあった。こじんまりした店内は乳白色の壁に囲まれ、マホガニーの調度品が落ち着いた雰囲気を醸し出し、いかにも善良そうで物静かなご夫妻が営まれていた。私たちは窓側の、表通りと街路樹がよく見える白いソファーに腰を下ろして、お茶とお菓子を嗜んだ。先生は、定番のダージリンを頼まれたけど、私が今回選んだのは、アールグレイをベースにしてブランデーに漬けたオレンジ一切れを入れたもの・・。飲み心地がよく、口をグラスにつけるたびに上品な香りが漂い、うっとりしそう・・・。でも、きわめつきは、私がずっと望んでいたこのお店のイチゴタルト。見た目も味も超一品で、イチゴの赤とクリームの白、そしてパイ生地のベージュで囲まれたその造形は、甘くせつない味わいともども、芸術的な感じさえする。お口にするや、まるで体中の全細胞が生き返っていくような、甘さと優しさ・・・。

「おいしいでしょう! 無農薬の紅茶もお菓子も、ここでしか食べられないのよ。」

  先生も、私以上に嬉しそうだ・・。

「先生、こう言ってはなんですけど・・、やっぱり女性に生まれてきてよかったと、思いませんか?」

  私は、この時とばかり、こっそりと尋ねてみる。先生は、白地にバラの花柄のティーカップをカチャリと置いて、

「本当、そう思うよねえ・・。特に、こうしている時にはね・・。」

  と、しみじみ共感してくれた。そしてその上こんなセリフも、つけ足してくれたのである。

「この時ばかりは、人間に生まれてよかったとさえ、私は思うよ・・。」

  ユーモアなのか皮肉なのか、こんな時、レイコさんは少女のようなお茶目な笑みをこぼすのだった。

午後の紅茶琥珀色の表面が、私たちの笑い声にあわせるように、やや波打っているかに見える。微笑をたたえた彼女のその黒い目が、窓の外へと誘うように流れていき、それで私もようやく解き放たれた気持ちになって、表通りを行きかう人と街路樹とを照らしている、午後の光を、感じはじめる・・・。

 

「キンゴ、私たちがLGBTだからこそ人類の進化の扉を開くって、それはいったい、どういう理由によるものなの?」

  そう問うテツオに、キンゴはまた別の書棚から本を取り出し、自分のノートもたずさえて、テツオの目前に持ってくる。

「テツオ、以前も君と話していたけど、そもそも何で生物に“性”があるのか-ということなんだよ。定説は、性があれば交配により遺伝子の交換ができ、DNAの損傷の回復や、また環境変化等による突然変異を次世代にも伝えられる等々を、性があるメリットとして強調しているようだけど、でもこの定説では世代の縦の系列しか語れないだろ。つまり、この定説では、たとえば竜の大型化といった、生物のある方向性をもった進化=定向進化が語れないし、また、隔たった地域でも同様に生じる進化=平行進化(7)も語れないのさ。たとえば僕ら人類は、の形が、幅と長さ、左右と前後の比によって長頭型と短頭型とに分けられるそうなんだけど、この短頭化が人種を問わず世界共通に起こっているといわれていて、これも遺伝子の交換は行われていないだろ(8)。また、体の突然変異から、それが自然淘汰や自然選択などを経て、集団の変化へと至るまでには気が遠くなるほど時間がかかるし、それに突然変異の出現率は10~100万個体に1個と低く、生物に有害な変異だって少なくはない(9)。それに、る生物の進化にあわせて他の生物も進化する=共進化という現象も、遺伝だけでは説明できない。また、自然選択とはいうけれど、選択されるその単位は何かという問題があり、それは生物個々の個体なのか、家族なのか、あるいはもっと広い群なのか、それとも最小の遺伝子なのか(10)といったことも、遺伝だけでは十分に説明できない。つまり、遺伝は性の交配によるものだから、縦の系列には及んでも、共進化などの横のつながりには及ばないから、性には遺伝やDNAの交換の次元を超えたもっと大きな役割があると見るべきなんだよ。」

「では、生物の進化において、その種をも越える横のつながりをもたらすものとは、何だと思うの?」

「それも君が言ってた通り、つまり、“光”さ。」

「“光”・・・。」

「そうさ、光さ。光はあらゆる生きとし生けるものにとって、縦であれ横であれ、つながりと調和をもたらし、生物界のバランスを保ちながら、互いに生きとし生かしめる役割をも担ってるんだよ。だから光は、生物の進化をも担うのさ。そこで生物の“性”というのは、実はこの“光”に対する生物のセンサーなんじゃないだろうか。ほら、近年、人間の雄の精子が50年で半減したとか、ある地域のカモメの中でメスどうしのつがいが増えたとか、オスの精巣が卵巣の特質を持っていたとか、雌雄同体も生まれていたとか、あるいはワニのペニスが委縮したとか、そんな報告がなされていて、その原因は、ある種の環境ホルモンや、ある種の化学物質と記している本もある(11)。そして僕らに縁のあるこの『チェルノブイリの被害の全貌』という本においても、“性における男性ホルモンの濃度の上昇、思春期の発来の遅れ、第二次性徴の発達異常、月経の周期障害、精子数の減少、生殖器系疾患の増加、生殖力や性交能力の低下”等の報告(12)がなされている。

  このように、放射能など有害物質による環境汚染が生じると、性と生殖器系はその影響を免れ得ないと思われる。その理由は、いわゆる環境ホルモン等による複合的な要因もあるけれど、もとより“性”が環境変化のセンサーで、その大本は、“性”が地球を含めて生物界をつないでいる“光”のセンサーだと解すると、説明がつくんじゃないか。このことは、また次の事象の説明にもなると思う。たとえばサカナの性転換は有名だけど、これは水中は陸に比べて光が届きにくいから、あらかじめ性を多様に変化させて、より光に効率よく反応しようとしているのかもしれないし、また、植物=花に雌雄同体が圧倒的に多いというのも、彼らは光合成を行うから、まさに光とともにあるわけで、光を体現しているからこそ、性そのものである雌雄を同時に備えていると、考えることもできる。」

「なァるほどォ!」

  テツオはゴキブリのつぶやきを、今目の前でキンゴがヒトの言語でもって次々と理論化するのを、感嘆の思いとともに聞いている。

「ということは、あたし達はLGBTだからこそ、光のセンサーたる“性”に、もっとも敏感に反応できるというわけね。」

「そう!そうなんだよ! LGBTのシンボルが虹色の旗というのは、まさに光が虹の七色だからで、シャレでも何でもなかったんだよ。だから、つまり、要するに、僕たちLGBTは、実は“性的少数者”でも“性倒錯者”でもなく、いわんや病名をつけられる存在でもないんだよ。いや、それどころか、僕たちLGBTこそは、実は常に進化の過程にある生物の“基本形”そのものなんだよ!! 生物は地球とともに協調して進化しあって生きていくから、まさに光と反応すべく、その“性”はむしろLGBTでならなければならないんだよ!!」

  テツオには、感極まって語調を強めるキンゴの赤い唇が、メイクもないのにそのバラ色の頬をともない燦然と光って見えて、キンゴはまた、その赤い情熱に乗じたまま、熱弁をよろしく振るう。

「そう! まさに、そうだったのさ! 人間は文字を持ち、文明を持ってこの方、どの時代も世界中の至る所で、ずっとLGBTを記録してきた。だって同性愛こそ、文学・絵画・彫刻の“花”にして“華”じゃないか。ということは、僕たち現生人類=ホモ・サピエンスは、みんな昔から争いばかりに明け暮れている自分たち“人間”に、内心もううんざりしていて、常に新たな進化に向けて、実はずっともがき続けていたんだよ。」

「キンゴ、あたしたち、LGBTだからこそ、この奴隷本位のサピエンスの、“絶望の底”から上がり、この人類の進化において、新しいヒト属を分岐できると-あなたは、きっと、そう言いたいのね!」

「そうさ。人類の始祖のアダムが、神に反して知恵の実を食べて以来、僕たちホモ・サピエンスは執着と相対知の苦の輪廻に沈んでいたが、僕らはついにその原点=原罪を、僕ら自身のやり方で直視したのさ。そして今この原点に、あらためて“原初の光”が宿りはじめる。それはおそらく、あらゆる生きとし生けるものと同様の“光の知恵”そのものだろう。そして僕らはまさに、ここから新たな人類の“復活”と“独立”をはかるのさ。こうして僕らの“革命”は、まだこれからも続くんだよ。」

 

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「ヨシノちゃんもキンゴ君も、模試の方はもう終わって、無事に帰ったころなのかな・・・。」

  紅茶もケーキもすでに終わって、先生は裏返した手首の時計を見つめたあとは、窓向こうの大通りへと視線を傾け、しばらく時が止まったような眼差しで、人の流れを見つめている・・。

「・・あそこにね・・、私がかつて勤めていた会社のビルが、見えるのよ・・。」

  先生のアルトの声が、また調がかわったように、一段低く聞こえてくる。

「私ね・・、お昼の休憩時間は時々、このお店にいたのよね。一日中あんな所じゃ、窒息してしまいそうだし・・。・・みんな夜遅くまで残業してたわ・・。女子で8時、男子で10時はザラだった・・。体調を崩したり、ウツになる人もいたしね・・。」

  レイコさんは視線を外へと向けたまま、その口調はモノローグへと近づいていく。こんな時、私は彼女の横顔を見つめながら、お話しを聞くのだった。

「・・私の同期で肝臓壊して亡くなった人もいたのよ・・。彼女の上司は脳ミソまで筋肉バカの体育会系たたき上げで、上にはヒラメ、下にはキツメ、外にはキツネの、忖度づくしで搾取づくし、騙しづくしの社内外営業でしか数字が上げられないような男だったそうだけど、会社では英雄扱い。だから部下を深夜に長時間残業させてもだれも文句が言えなくて、私の同期はそんな男の出世欲の犠牲になった・・・。その男は定年近くなってからは嘱託でも“指導役”と優遇されていたという・・。また、私がいた部のある男子で、脳に関する疾患なのか、外回りに出ると時々戻ってこない人がいてね。それなら内勤に変えてあげればいいのにさ、会社は辞めさせようとしむけたいのか敢えて無理やり外回りをさせ続け、結局辞職に追い込まれた人もいる。それでその時の部長というのは、後に人事部長を経て役員にまでなったのよ・・・。」

  レイコさんは遠くの方へと目をやりながら、一人そしてまた一人と、会社から出掛けていく社員たちを数えるように眺めている。私は彼女が、教師の前のOL時代においても、恨みつらみの感情を持っていて、時よりそれがトラウマみたいに蘇るのを知っている。でも私には、それがかえって私にとってのこの人への親近感を増させていったように思う。

「先生は・・、そんな会社で、大丈夫だったのですか?・・・」

「私みたいに厚かましいのは、定刻が来るやいなや“お先に失礼シマース”って、サッサと一人で帰っていたのね。もとより私は理系ワクの採用で、男子総合職でも女子事務職でもなかったし、一人で完結する仕事で誰はばかることもないし・・、まあ、一応、祖父母の介護があるからって理由はつけてはいたけどね・・。それよりも私の同期があんな形で、なかば死に追いやられていったというのに、誰一人として上司や周囲の責任を問おうともせず、むしろこの過労死が仕事の邪魔になりはせぬかと、人の死をそんな自己都合に置き換えるのが当たり前なこの国の“社風”に対する怒りと怨念の思いが強くて、私はそんな社員たちとは決して心を通わせたくはなかったのよ。」

  レイコさんは、頬杖したりはずしたりされながら、その横顔を見せたまま、ただ外を向かれている。

「私は皆が信じているように、この国の国民が “勤勉”だとは少しも信じていないのね。敗戦後の高度成長にしてみても、朝鮮戦争ベトナム戦争そして水俣病など、大規模な環境破壊と大量傷害・殺戮なしではあり得なかったし、要は勤勉というよりも、ただみんなで一緒のことを苦しんでしていないとお互いに気が済まない-というだけのこと。仕事の効率やその内容の精査より、集団への服従とその反作用たる個人の犠牲こそが美徳で、それを互いに“和と尊ぶ”と上にへつらい競い合う。昔は田植えがその典型で、滅私奉公的な集団欲と、その反射としての人柱や村八分といった“生贄”の捻出こそが、常に私たちこの国民の集団の伝統的な本質だと、私は思うよ。」

  私は、若いころの彼女の様子を、まだ20代のころ、今日の日と同じように、一人会社で孤立しながら、この席へと座っていた彼女の姿を、想像してみようとする。そしてレイコさんはモノローグの口調のまま、こんなことを口にされる。

「・・それにまた、それに輪をかけ女どうしの世界ってね・・、陰険で、陰湿で、いやらしいものなのね・・。男よりも序列意識が激しくて、何につけても、妬みっぽく、恨みがましい・・・。」

  レイコさんの怨念も、私と同じく相当強いようである。

「先生、でも、それって、父も男社会について同じことを言ってましたが、結局、人である以上、男も女も同じなんじゃないでしょうか・・・。」

  私がそんなことを言うと、レイコさんは少し笑って目をふせる。

「そうよねえ・・・。でも、私が思うに、結局だれもが“貧困”なのよ。自分自身の生活と人生を犠牲にして、四六時中、奴隷のように働いている。こうでもしないとお互いに、社内外のヒエラルキーを維持できないのね。だから地中へ奥深く、次から次へと資源を掘り返していくように、数字=売上競争という口実で、貪る先を半永久的に開拓していかねばならない。だからこそ人間は、戦争を止められないのよ。そんな中では必然的に、自分自身の精神もお互いにただ貧困へとメルトダウンしていくのね。結局、人間が経済という名のもとで生産し再生産しているのは、本質的には“財”ではなく“貧困”でしかないと思う。会社の社員というものは、自分たちは勝ち組と装って、いくらいいスーツを着ていても、本質的には奴隷と同じ。だから彼らは、脱原発や脱被ばくなんて発想は持てるはずがないのよね・・。

・・ゴメンね、ユリちゃん、またこんな話をしてしまって・・・。」

  私が-いいんですよ-という風に首を振ると、レイコさんはまた少し微笑んで、話をつなげる。

「でもね・・、OL時代も教師の時も、“私は出世をしないことで自らの出世とする”(13)の言葉の通り、かえって私自身のためには、むしろこれでよかったのよ・・。虐げられたものの方が、差別をされたものの方が、結局は強くなれる。なぜなら、彼らはそれにより“真実がよく見える”から。出世や金持ち、社会的ステータスや先進国の国民などというウヌボレは、その人をすべからく見下す側へと、人を差別する側へと追いやっていく。だから、結局、一生何も見えずに終わる・・・。」

  そしてレイコさんは私を見て、一瞬、少し心配そうな目の色を浮かべたが、またすぐに微笑み直して、静かな口調でこう付け足されたのだった。

「・・人ってね・・、いろんな仮面を装うものよ。いくら知識を持っていて、善良そうで、善人ぶって、口では良いことを言う人でも、注意して見ているうち-特におカネの流れを見ていくうちに-必ず馬脚をあらわすもの。そういうのは経験しか教えてくれない。自分を騙す人なのか、自分を利用しようとする人なのか、それとも自分の味方になる人なのか-これらを常に見分けていくのは本当に難しい。特に若い人たちは純粋であるだけに狙われやすい。それに最近、なお一層困難なのは、本人が悪い事とは意識しないで平気で悪事をしでかすこと・・。全体的に幼稚化が進んでいるというよりも、すでに人は、善と悪との区別自体が、もうできなくなっているのでは-とさえ思うよ・・。アダムが食べた知恵の実の賞味期限が、切れたのかしらね・・。こんな人の世の中で生きていくのは至難だけれど、結局、“疑うものは救われる”(14)といわれるように、自分自身の頭で考え、自分の言葉で意思表示して、自分で行動していくしかないのでしょう・・・。」

  レイコさんは直には言われなかったけど、言外に、私たち4人のことが心配でならないのだ。特に来年卒業後、外国へと行くテツオと私の二人については・・・。だからこんな、彼女にとっても敢えてしたくもないようなお話をされるのだろう・・。

  かなり長居をしてしまったが、窓の外の街路樹に、夕日がさし掛かり始めた頃、店長からお土産のクッキーをいただいて、私たちはお店をあとにし、島へと帰る船に乗るため、シンさんたちと待ち合わせている駅の方へと戻っていった。

 

  結局キンゴとは握手で別れ、皆が帰ってくる前に寮へと戻ってきたテツオは、夜をむかえて、今や一人でいつものように今日の余韻にひたっている。実はテツオの女装は少し前から始まっていて、おこづかいの範囲ながらも古着や量販店の安売りで、ささやかながらもシーズンの着回しができるまでにコレクションも充実してきた。それで全方位から見られるように2枚に増やした等身大の姿見で、彼は時々“一人で出来るファッションショウ”を楽しんでいたのである。彼は今日の、初の和装を姿見であらためてため息つきつつ堪能したあと、レイコの着物と袴を大切に仕舞い込み、ようやくメイク落としへと入っていく。-ああ、クレンジングのほのかな苦みが、バーガンディーの口紅あとの唇に甘くせつなく感じられて・・、今日一日幸せだった僕自身の女性との、またしばしの間の別れを告げる・・-

  そしてテツオは風呂からあがり、また2枚の合わせ姿見に囲まれて、ねじったりよじったり、座ったり立ったりしながら、美青年モードに戻った自分の裸体を、矯めつ眇めつ耽美しはじめる。

  テツオは女装したての頃に、ブラウスのVネックから覗き見た己の胸毛にゾワッときて、それで一度、入浴中の髭剃りついでに胸に刃をあて、それでその際勢いあまって、二つの乳首とその間を十字のように生えていた胸元から下腹部そしてヘソまわりの全ての毛を、そっくりそのまま剃ったのだった。その時彼は、まっ白な自分の胸に、ピンク色の小さな乳首とややふくらんだ乳房とを見て、-ひょっとして、少女の胸ってこうなのかな-とも思いもしたが、しかしそれより“毛”の喪失感の方が大きく、再び生えそろうまでの約2か月間、直視できないほど落ち込んでしまっていた。だがその反面、テツオはここで、また新たな仮説を考えてもみたのである。-失って初めてわかる毛の悩み・・、というのは何も頭のハゲばかりではない。あの剃ってしまった僕の胸毛は、実は僕の胸飾りで、つまりヒトの体毛には、他の動物たちと同様に皮膚の保護や体温調節ばかりでなく、装飾の役目というのもあるのである。それでヒト-特に我々サピエンスは、性感を高めるために毛を細く短くしたあとも、雄は尊大ぶろうとして雌より毛を目立たせようとしたのだろう。それで男のハゲについては・・、これは立ち上がったペニスの大型模写ということで、自分の頭を文字通り“亀頭”に見せかけようとしたのかも・・。-

  しかし、そうはいってもテツオは女装をする以上、中途半端は職人気質が許さないと、Vネックで見えそうな胸の一部と、足と手の毛は-皮膚の保護には大事だから女性は脱毛しなくていいのにな-と思いながらも、特にすね毛は名残惜しさを感じながらも剃ったのだった。

 

  そして今や、一部の毛は例外として、再びそろった完全な自分の裸体を、テツオは慈しむように姿見に見つめている。彼は自分で名付けた“Yライン”-両足を前後にそろえて両腕を斜めに掲げ、背筋を伸ばしてしならせて、上半身をより前面に出させるという得意のポーズ-をとりながら、左右に全開にした腋毛と、それに連なるように続いていく二つの乳首の間をむすび胸から下腹部そしてアンダーヘアーへと至る黒々とした体毛を艶やかにうち眺めつつ、さっきまで湯船の中で波打っていたヘアーとペニスのコラボめいたたゆたいを思い返して、これらすべてが美しいと思うのだった。またそれらと並んで、女のようにすべらかになった自分の足も、また同様に美しいと思うのだった。

  テツオはここで自問する。-女装を行いメイクまでする自分がなぜ、それらを重ねていくごとに男子の象徴たるペニスと毛とを、より慈しむようになるのだろうか?- しかし彼にはすでに明快な答えがあった。-それは男女の相対的な区別より、“美の絶対性”が優先するがためである-と。

  そしてテツオはこのYラインと、直立ポーズのIラインまたAライン、そして自ら名付けた椅子に腰かけ尻つき出して足を組む“Rライン”を、それぞれ十分堪能した後、姿見の1枚を床の横へと寝かせ掛け、裸体のまま白いシーツに横たわる。彼はこれから引き続き、今度は横臥する自分の裸体を、生身と姿見双方からうち眺めては耽美堪能しようとする。-ああ、月の光を受けながら、この身も心もラフな姿勢で、西洋画の一大テーマ“横たわる裸婦”ならぬ“裸夫”像を、僕はマネやモネの絵をまねするみたいに姿見の中へと見出す。今、僕を見ているのは宙と月だけ・・、もう誰はばかることもない。今から私は時間をゆるめて、完全な自由と私自身、そして美そのものへとかえっていくのよ・・・- 

 

  -ああ、私は、私はついに私にかえった。私はついに私のこの身を手に入れた。生物の進化の上では“男性”とされたこの身は、潜在的にも将来的にも、そして何より基本的には多くの“女性”で成っているのを、私はすでに知っている。身を横たえた私は頬を、枕がわりに二の腕に寄せ、そのやわらかなふくらみに口づけしては目を閉じて、片手で髪をかきあげながら長いまつ毛に憂いつつ、腋の毛に唇よせてそのフェロモンの香りを味わう。完全に自由に戻った手と指先は、ややふくらんだ乳房をまさぐり、二つの乳首を愛撫しては私の女性を覚醒させて、それが性感を高める以上に将来再び乳をやる日につながることを、私は秘かに予見するのかもしれない・・。そして手は下腹部の黒々とした艶やかな茂みをはって、指をその毛にからませながら、一方で剃りあげた二本の足は、月の光に照らされながらお互いの滑らかさを確かめあっていくように、その朱みを帯びた足裏そして足指先を、太腿から膝、ふくらはぎ、踵から足の甲、そして指股から爪先へと、すべからく器用にいかせて愛撫させあう・・-

 

  テツオは生身と姿見のセルフヌードをうち眺めつつ、その目線の線上に、足親指の先端とペニスの先鋒とが並び、おのおのその僧帽みたいな造形を月の光に艶やかに照らし出すのを遠近法のように見つめて、手の平でペニスのカリからその先を撫でなでしながら、またいろいろと思いをめぐらす・・。

  -ああ、こうしてペニスをすべらかにすべからく愛撫するうち、足裏すべてに快感が電気のようにほとばしる。もしかしてこれは本当に電気なのかもしれないが、こうした性器と足の性感の交換を感じるにつけ、浮世絵のあることが思い出される。浮世絵-春画-は、乳房と乳首を“くくり枕と取っ手”(15)のようにそっけなく描くのとは対照的に、その絶頂=オルガスムスに達した際の、互いの陰部の誇示誇大化に負けず劣らず、まるで彫刻するかのように足をリアルに描き出す・・・すなわち足は、北斎の娘が指摘したといわれるように、絶頂時には足先を丸めるのであり、その他でも、浮世絵女性の立ち姿では、よく足先チラ見がされていて、これは今のファッション誌で、“爪先ヌードでフェミニンに”とか、“指股見せて女っぽく”とか、写真と文句で謳っているのと同じではないだろうか。つまり、ヒトの直立二足歩行とその性の進化とは不可分のものであり、それは性的快感と美意識とがこのようにつながることにも表れている。それはおそらく足の匂いにも言えて、ネコがヒトの足や靴の匂いを嗅いでマタタビを吸ったみたいに恍惚となっていくのもヒントになろうが、足の匂いは、その原因たるヒトの足に住み着いた特定の細菌との共進化をも含めて、本来は性フェロモンの側面もあるかもしれない。だから、視覚はもとより秘められた嗅覚でも“足フェチ”は、今日のLGBTの話と似て、実は本当は誰もが足フェチなのであり、これもまた、ヒトの進化の重要なアイテムなのかもしれないな・・・-

 

  そしてテツオは、ペニスを愛撫するうちに、俗にいう“寸止め”をするのだった。

  -・・・やがて僕は、女装を重ねていくにつれ、あることに気づいたのだ。これでこのまま射精でイッて、男としてのオナニーするより、敢えて留めておく方が、“自己愛=ナルシズム”が高まるということを・・。オナニーはついついやっていたけど、女性化するにははばかられると、しばらくしないで置いていたら、自分がますます愛おしくなっていった・・。オナニーは昔いわれていたような罪悪でもなく、するもしないも健康には問題ないということで、女はオルガスムスに達してからも快感がゆるやかに持続するっていうけれど、男は俗に“抜いて”しまったその後は、喪失感みたいな感じで、それはおそらく生き物でもある“精子”の、過度な喪失によるのではないだろうか。男だって女のようにオナニー後も快感を持続させ、余韻にひたってその幸わいを安らかに味わうすべはないのだろうか・・・。ヤリっぱなしで捨てっぱなしというのでは、あまりにも暴力的で、それでは自分を損なうみたいだ・・・。

  オナニーを“自慰”といって、これを自分を慰める、あるいは自分を慰みものにするというのは間違っていて、これはむしろ“自愛”というべき自分を愛する行為であり、本来は生殖器である“花”を愛でるのと同様に、花である自分の性器を愛でるのだ。だから、アダムとイヴが知恵の実を食べ、まっ先に互いの性器を隠したのは、ヒトが自然から脱落したのを象徴すると思われる・・・-

  テツオはこれより先にイカないようにと、勃ちつくした己のペニスをさらに優しく愛おしげにタッチしながら、またいろいろと思いをめぐらす。

-・・だから多分、俗にいわれているような、“男は性欲を抑えきれない”という風潮や定説は間違っているのである。このいわゆる“男子性欲抑性不可能”説は、生物的な根拠に基づくものではなく、平時には、オナ友としてのエロ本をはじめとする、よろず性産業の営業利益に貢献すべく流布された一種の利権誘導目的の仮説にすぎず、また戦時には、性暴力やレイプをいわば合理化するような、これもまた男尊女卑に基づく人間=サピエンスの悪習にして、その“ゆがんだ進化”のひとつなのだ。ヒトを除く生物界のその多くが、発情期という限られた時期において生殖をするように、ヒトがSEXとオナニーをいつでもやれるという方がむしろ異常で、これも自然に反抗したゆがんだ人為の産物なのだ。

  では、実際にオナニーをやめてみて、それでますます自分の体が愛おしくなっていったナルシズムの高まりは、どう説明したらいいのだろうか。これは、ひょっとすると有性生殖にはるか先立つ、生物界の生殖の原点である“単為生殖”に由来するのではないだろうか。つまり、自分が一人でもう一人の自分を生むというのは、自己に対する愛=自己愛なくしてできないだろう-ということである。その根拠は、マザーテレサの“だれもが神に望まれてこの世に生まれた、みな素晴らしい神の子なのです”との言葉にもあるように、生き物が“生まれる”のは“愛”あらばこそであり、あらゆる愛というものはすべて“神の愛”による-ということである。だからきっと、何かの理由で有性生殖ができなくなっても、生き物には単為生殖で生きぬく道が残されているのであり、つまり神は、われわれ生きとし生けるものを最後まで見捨てないのだ。だから、今日キンゴと二人で話したように、LGBTが生物進化の基本形であるのと同じく、ナルシズムもナルシストも性倒錯や病気ではなく、これも生物進化の根底になければならないものといえる。かくして、生・性・美・愛は、自然界の黄金比に象徴される“美の絶対性”の名のもとに、ここでもまた一致したというわけだ・・・-

 

  こうしてテツオは、LGBTのみならず、足フェチやナルシズムにおいてさえも、俗世間の定説の類のものを次々と覆した気になって、このまま行けばネアンデルタール人絶滅の定説をも乗り越えて、ゴキブリが言った通り、本当に自分たちがホモ・サピエンスに継ぐ新人類になるのかも・・と、やや畏れにも似た感情を覚えつつ、あらためて、月の光に照らされた足親指の起ち姿と、己のペニスの勃ち姿を、遠近法を見るかのように眺めている。そして彼は、寸止め間近の状態で、ドクンドクンと脈打ちながらも勃っている己のペニスを-その高さが男子平均に達しないとの人間界の相対的な比較の話はもういいとして-今や誇りをもってうち眺めては、やがてはナエて横たわっていくのを見送りながら、自分自身もまたやすらかに、思い出深い今日の日を、閉じていったようである・・・。

 

 

第十四章 ホモ・ニアイカナンレンシス

  それからしばらくしたある日、ユリコはクスノキそばで畑仕事をしているテツオに、それとなく声をかける。

「テツオ! 今日は少しいい話よ。これは例のネアンデルタール人絶滅へのナゾへと迫る新たな仮説となるかもよ!」

「ああ、地磁気の変化で滅びたかもって、話だろ。」

  せっかく自分の調査結果を持ってきたのに・・・、ユリコはやや拍子抜けの気分になる。

「テツオ、何で、あなた、それ知ってるのよ?・・」

「ん? それはね、“虫の知らせ”というものさ・・・。」

 

  ユリコはレイコから借りた地磁気の本を、ネアンデルタールの共同研究ネタとしてヨシノにも持ちかける。ヨシノはそれで、テツオとの話を経てキンゴが更新したブログ-『ホモ・サピエンス独立序説』を読みながら彼の話を聞くうちに、すでに自習の巣でもある大学の図書館から様々な書物を借り出し、その論拠となる科学的な証明・証拠を与えたいと思い立った。ヨシノは卒業までに自分たち4人で起こしたこの革命と独立の、自給自足の技に続いて理論的な足跡も次世代に残したいと、また、自分たちのこの仮説をより科学的にして、命に反する原子力なるニセ科学を信望するサピエンスのエセ科学者たちに、一矢報いてやりたいと思ったのだ。

  夏が近づくある晴れた日、4人は各々準備を経て、再び教会兼図書館へと集まった。いつも授業で使っているホワイトボードを前にして、ヨシノは資料をマグネットで張り付けながら話し始める。

 

「まず最初にさ、磁場や地磁気の変動が生物にどんな影響を与えるか-についてだけど、磁性細菌や伝書バトのみならず、カモメ、ツバメの渡り鳥、サケ、サメ、イルカや、ミツバチ、コマドリ、カタツムリなど、磁気に頼る生き物はいっぱいいて、彼らは地磁気の変化により飛ぶ方角を乱されたり、集団座礁したりする(1)。それでヒトへの影響は、ーロラ等で地磁気の乱れが高まれば、心筋梗塞の危険も高まり、磁場が変われば脳波も変わり、また、地磁気活動度の増減にともなって、伝染病の発生が増減する(2)など、いろんな話があるけれど、より興味深いのが、まさにテツオとキンゴが言うような“地磁気の変化と性の変化”との関係なのね。

  たとえば、経が始まる人数は地磁気の活動度に依存するという話や、地磁気偏角の減少にともなって初潮年齢が低下する、あるいは、地磁気活動度が高い時間帯には出産が多いという話があり、また植物にも、種子の幼根を北向きにすると雌花が多く、南向きにすると雄花が多いという話や、地磁気の水平分力の変化にともない、ショウジョウバエの雌と雄の性比が大きな影響を受けるとの話(3)もある。

  これはあたし達的に見るところ、テツオとキンゴが言うように、“光にゆかりの磁気の変化が、光のセンサーたる性に直に影響している”一例として考えられるのではないか、と思うのね。」

  次々と事例のコピーをボードに張り付けプレゼンしていく颯爽たるヨシノの姿に、彼氏のキンゴは疾走するワルキューレを、そしてテツオはプレゼンコーデでいっそう似合うカットソーを、各々勝手に連想しては聞き入っているようである。

 

「それでさ、次に、地磁気の変化がネアンデルタール人の知力にダメージを与えたという仮説にいく前に、では、同様に磁気の変化があたし達サピエンスに与えるダメージはあるのだろうか-という観点で少し調べてみたところ・・、この本によるとさ、続して磁気で脳を刺激すると言語機能や数を数える機能に対して障害を与えられる-とある。つまり、声を出そうと思っても、口は動かせても声はでない。それで磁気の強度を少し下げると、今度は数の数えまちがいが起こる-とある。また、赤と緑のメガネをかけて立体的に見えてたものが、磁気の後頭部への刺激で図の立体感が消えた-ともある。人間の脳については、こうした刺激実験から、大脳皮質の運動野と感覚野の機能分担などについてはある程度の解明はできているけど、でも一方で、刺激される範囲に広がりがあるために、正確にどこが刺激されたのかがよくわからないとも言われている(4)。しかし、人間なのに、磁気の刺激で言葉も話せず、幾何も算数もできなくなるということは、これは地磁気の変化がヒトの知力にダメージを与えるという仮説の証拠になり得るよね。」

「・・ということは、知恵や知性というよりも、器官としての脳に対するダメージなのかな?・・」

「それがさ、波が何であるのかもよくわかってないとも言われているし、脳領域とその働きとは一対一の対応関係にないとの説や、ある脳領域が活動しているからといって、それが特定の行動に必須の働きをしているとは限らないとの説もあって(5)、知恵や知性の働きを器官としての脳に負わせて、脳を機械的に解釈するのは限界があるんじゃないかとあたしは思うの。それに第一、植物には脳はないけど、植物には黄金比を保存するフィボナッチ数が頻繁に見られるし、花の美や、花と虫との共進化などを思えば、植物に知恵や知性があらわれないとは言えないと思うのね。また、気光学の観点からは、物質による光の吸収、反射、透過、散乱などの現象は、その物質に磁場がかかっている時といない時とで違う(6)というから、人体そして脳に対する影響はあるはずなのね。

  いずれにしても、あたし達サピエンスの知力にも、磁気や地磁気が影響するのは間違いない。そしてこの磁気が医療分野で用いられているってことは、サピエンスへの磁気作用は、あったとしても元に戻る=復旧するってことなのよ。つまり、ここからが、あたしの今日のプレゼンの、話しのキモになるってわけぇ!」

  ヨシノがその大きな目をいっそう見開き、上の白目を見せながらニヤニヤと迫ってくるので、あと3人もそれに連れられ、興味シンシンとなってくる。

「ヨシノ・・、その目すこしキモイから、早く話のキモに入ろうよ・・。」

  それでヨシノは、また次の資料を張り付ける。

 

「これさ。それであたしは、この“MRI”=磁気断層撮影装置(7)に、ヒントを得たってわけなのよォ!

  ほら、人体の約6割は水でできてるっていうじゃない。それでMRIはまずその水分子の水素原子に強力な磁場をかけ、水素原子を強制的に同じ方向へと向けたあと、電磁波をあて解除するのね。するとその約0.1~3秒後には水素原子はもとの向きへと戻るのだけど、その時放つ電磁波を測定して、水素-水を有する脳などの臓器の様子をつかむというわけ。それで、あたしが思いついたのが、このMRIの磁力の強さはT=テスラという単位で表わされ、MRIは1.5T~3.0T程なんだけど、ネアンデルとサピエンスとを比較するため、地球の北極・南極間が1/20000T程というのを基準とすると、MRIの1.5Tは1/20000Tの30000倍、つまり、サピエンスは3万倍の変化に対する復旧力=抵抗力を持ってはいるが、ネアンデルにはこれがなかったのではないか-ということなのね。

  もっとも、MRIは短時間で終わるから、時間(数時間)の磁場に対する安全基準の、たとえば200G=ガウス(8)で考えると、1G=1/10000Tだから、200G=0.02T、つまり、1/20000Tの400倍ということになるから、サピエンスは最低でも400倍、最高で3万倍の抵抗力を持っているといえるのかもしれないね。」

「なァるほどォ・・。つまり、ネアンデルタール人たちは、同じヒト科のヒト属として、知恵と知性に全く頼る生物でありながら、電磁波である“光”にゆかりの磁気や磁場の変化には、MRIにも見て取れるサピエンスのような明らかな復旧力=“抵抗力”がなかったために、地磁気変化に対応できずに滅んでしまった-ということか・・。」

「ほら、この前さ、ネアンデルは光の中では比較的エネルギーの強烈な紫外線が少ないヨーロッパを中心に暮らしていて、彼らの後頭部の出っ張りは、比較的光が少ない環境で視力を強めようとしたためではないかって説があって、ということは、ひょっとしてネアンデルは、“光”に対してこの方面に注力しすぎて、同じ“光”に対しても磁気変化に対応するって発想まではなかったのかもしれないよ。それに比べてあたし達サピエンスは、紫外線のもとから強いアフリカの出身といわれているし、この両者の差異が結局は、絶滅と存続とにつながったのかもしれないよ・・・。」

  4人は今までぼんやりと浮かんでいた、“ネアンデルタール人地磁気変化滅亡仮説”に、それなりの数値の根拠が示されたように感じたが、ここでプレゼンテーターのヨシノは脳が疲れてきたせいか、チョコやお菓子を皆へと配って、自らは真っ先に口へと放り込み、また一人小咄しようとする。

「アー、疲れた、疲れた、力つきたカツカレーた・・。ここで少しリラックスして脳細胞もリラッキング、ちょいと一発、小咄でもと・・。ネアンデルがMRIに入れられて磁場をかけられ動けない。そのココロは、ネアンデルは寝病んでるから、動くのがMRI(無理)・・・。」

  だがヨシノが、こんな不発じゃみっともねえと、新たなサゲを探しているうち、ボードをぼっと見ていたテツオは復旧をしはじめたのか、あの“虫の知らせ”を思い出し、ここでゴキブリが虫告、いや忠告をしてくれた、“ヒトが核との共存によりそのγ線で頭がおかしくなる”仮説を、再び皆に語ってきかせてみたところ、ヨシノは早や復旧したようである。

 

「そのテツオとキンゴが言う仮説って、さっきの植物の知性のように、“自然には知性があり、それは光が担っている”という話で、いわゆる被ばくで脳に障害が生じる類の話じゃないよね。たしかに医療現場でも、ん治療で全脳照射という放射線治療の後遺症として認知障害が指摘されたり、またγ線そのものを用いるガンマーナイフという脳内病変治療もあるけれど(9)、それとは違う次元の話だよね。」

  再びボードの前に立ったヨシノは、そこで確かめるかのように、男ども二人を見回す。

「そ、そうなんだよ。つまり、僕らが思うのは、知恵や知性はヒトなどの生き物が個々もつものではなく、もとより自然界に備わっているもので、それでその“自然の知性”というものは、フィボナッチ数や黄金比にも表れているように、その大本はやはり“光”で、“光が知性そのものを担っている”と思うのさ。それはいわば“神の愛”のようなもので、だからもとより、愛も知も同じなのさ。」

「ここは愛知県じゃないけどね・・。もっともあそこは表現が自由やら不自由やら・・。ま、それは別として、あなた達二人が言うのは、では人間=ホモ・サピエンス(知恵あるヒト)の知恵というのは、今言った、愛と知や、自由と不自由、生と死や男と女などといった、要するにアダムとイヴが知恵の実を食べたあとの、善と悪との分別に象徴されているような分別知=相対知だというんでしょ。」

  ヨシノの大きな目で見られて、男二人は連れられて言わされてしまいそうだ。

「そ、その通り。もとより自然は分け隔てせず、すべては相関しているのに、人間=ホモ・サピエンスだけが、たとえば男・女と分別して、相対的あるいは相反的に、ものごとを捉えてるんだよ。それで僕らは人間の分別知・相対知の原点は何だろうかと考え合っていたところ、おそらくそれは仏教がいうところの“執着力”で、この“執着”があるからこそ自我が生じ、他人が生じ、自他の区別の生じることから分別知・相対知が始まって、そこからあらゆる比較と差別、権力の意志と奴隷根性の際限なき再生産の苦の輪廻のカルマに、人間=ホモ・サピエンスは陥るのさ。

  それでは、その“執着力”の原点は何かというと、僕らが思うに、それはヒトがその知恵と知性を頼りきってる“光”において環境変化が生じた際の、その変化に対する“抵抗力”だと思うんだよ。ほら、ゴキブリなどの虫だって、殺虫剤への耐性=抵抗力をつけるじゃないか。だから、MRIでの磁場変化でも1秒たらずで復旧できる人間のその復旧力とは、電磁波でもある光の変化に対しての抵抗力でもあるんだよ。」

「それで、人間=ホモ・サピエンスは、核に依存し、核と共存するようになってから、原爆と原発による膨大なγ線3.11フクシマのセシウムCs137だけでも1.5京Bqという天文学的なγ線(10)-に晒されるようになった。もとより地球にさほどなかったγ線は、光=電磁波でもっとも強いエネルギーを有するもの。それを人は1945年のヒロシマナガサキそれ以来、大気圏内核実験、世界中の核関連施設や原発などから、天文学的な放出量で継続的に放出してきた。

  だから、“光が知恵と知性のもと”なら、同じ光でエネルギーの強烈なγ線天文学的にして継続的な放出が、ホモ・サピエンス(知恵ある人)の知性にも、きっと影響するだろうと・・。ひょっとして、サピエンスはこの光の変化に対応できず、ネアンデルタール人みたいに絶滅をするのかもと・・、これがテツオとキンゴの言いたいことね!」

「そ、そうなんだよ、その通り。ヨシノ、まったく君は僕たちを、よく理解してくれたね・・・。」

  テツオとキンゴが手を取りあって頷きあうのを、ヨシノの目はジッと見据える。そしてまた、次なる資料をボードへと張り付ける。

 

「そういうことなら、次にこの話をしようと思う。では、サピエンスが、ネアンデルにはなかったような光に関する環境変化(この場合は磁気変化)に対してのある程度の抵抗力を持っていたから唯一のヒト属として生き残った-ということにして、次にあたし達サピエンスが、被ばくによる身体的な健康被害はさておいて、“光と知恵・知性”において、地球には元来なかったγ線に、この突如登場した同じ光で高エネルギーのγ線に、このわずか一世紀たらずの間、天文学的な放出量で継続的に晒され続けてきたなかで、あたし達サピエンスは、はたしてそれに充分に抵抗し得る“抵抗力”を持っていたのか-ということを検証すべきと思うのね。

  その前段階で着眼したのが、この“太陽放出エネルギーの波長分布”(11)ってものなんだけど、これは太陽から出る電磁波の波長ごとのエネルギーの大きさを表してるのね。太陽からは人間の目で見える範囲の可視光のほか、赤外線や紫外線など様々な電磁波が出てるんだけど、その全エネルギー量は毎秒3.83×10の23乗J(ジュール)にも達し、これは原発何百兆基分にもなるんだそうよ。それでこの波長分布はちょうど山形になってんだけど、周波数3×10の16~17乗Hz(ヘルツ)の可視光域が山の頂上を成していて、エネルギーの約40%というかなりの部分は可視光によってもたらされている-ということなのね。ということは、サピエンスは太陽光エネルギーの最高部分を自分の目でとらえようと進化したといえるから、あたしはこれはサピエンスの“光”に対する執着力の証拠の一つと見れると思う。

  それともう一つ、今度はその逆、サピエンスが避けてきた超低周波の電波に対する反応で、“シューマン共振”(12)に対する話ね。地球の大気は、大地と電離層とで囲まれた閉じた大きな共振空間=超低周波の電波が反射しあっている空間で、超低周波成分が共振増幅されている。これを“シューマン共振”というのだけど、その共振周波数は、7Hzの整数倍に近い数字の、7.8Hz、14.1Hz、20.3Hz、26.4Hz、32.5Hzで、これは磁界でいえば1/100万mT(ミリテスラ)という実に微小な強さなのね。これとサピエンスの脳波とを比べてみると、θ波(睡眠時)4~8Hz、α波(まどろみ時)8~13Hz、β波(知的活動時)でβ1波13~20Hz、β2波20~30Hzと、サピエンスの脳波はこのシューマン共振の超低周波を巧みに避けているわけよ。事実、人は7Hzや15Hz前後の刺激に不快感を覚えるといわれている

  ということは、あたし達サピエンスは、一方では太陽光エネルギーの最高部分をつかまえておきながら、またもう一方ではシューマン共振の超低周波、超低いエネルギーの電磁波を巧みに避けているという、信じられないような微細で微妙な生体反応を進化の中でしてきたということになる。

  そしてここに、あたし達サピエンスの、波数では3×10の16~17乗Hz、エネルギーでは1.6~3.3eV(エレクトロンボルト)の可視光というキャパに対して、周波数では3×10の21~25乗Hz、エネルギーでは10の5~11乗eVのγ線(13)が、いわば洪水みたいに押しよせてきたってわけよ。

  つまり、地球磁場や大気層のおかげで以て、宇宙からのγ線が地球では遮断されてきたというのに、あたし達サピエンスは自分たちの可視光というキャパに比べて、こんな超高周波で超高いエネルギーのγ線を、原爆や原発などを通じつつ、ヒロシマナガサキそれ以来、わずか100年にも満たない間に継続的に、天文学的な総量で放出をしてきたわけよ。しかもその多くを占めるシウムCs137の半減期は30年、1/1000に減るまでには300年もかかる(14)のだから、その影響はないはずがないと思う。しかもγ線は光だから、秒速約30万kmで、1秒間に地球を7周半もするし、透過力もきわめて強いといわれているから、これは“直ちに影響する”ものだと思うよ。」

  ヨシノはボードに張り付けた資料を前に、ここまで一気に話してしまうと、また疲れたといった感じで、チョコをボリボリ食べ始める。

 

「・・・ということは、知恵ある人=ホモ・サピエンスのその知恵は、自ら招いたγ線の洪水で、押し流されるということか・・・。でもさ、ヨシノ、さっきのMRIの話では、サピエンスは光に関する環境変化-この場合は磁気の変化-に対しては、400倍~3万倍の抵抗力があるのかもって言ってたじゃんか。じゃあ、光の中でγ線のエネルギーはどんどん高くはなるけれど、このまさに光そのもののγ線に対応するサピエンスの“抵抗力”みたいなものって、いったいどれほど、あるのかな?・・」

  テツオが発したこの問いに、キンゴが何かを思いついたか、ヨシノ持参の資料を指さす。

「ヨシノ、その資料の中にさ、大学図書館で見つけてきた放射線医療の本で、“電子対生成”についての記述があっただろう。それがヒントになるんじゃないか。

  ほら、物理の授業のコラムにさ、宇宙誕生直後の頃って、まるでめに“光あれ”との神の言葉(15)があるかのように、光=γ線がもととなり、物質と反物質の対生成と対消滅とが起こったという話があっただろう。それで今ふと思ったのは、この物質と反物質という“対称性の存在”と、これを認識する人間=サピエンスの“相対知”との間には、何か関係があるんじゃないかということなんだよ。つまり、この相反する対称性をもつ物質を生む光=γ線のエネルギーと、それを認識できる人間=サピエンスの相対知に必要なエネルギーとの間には、この双方とも同じ光をもととするから、何か等しいようなもの、一種の等価原理みたいなものを仮定すれば、それがヒントになるんじゃないかということなんだよ。」

  テツオの問いとキンゴのこの提案に、ヨシノは新たな資料を取り出して、開いて見せる。

「そう! そういえばこの本にさ、素粒子の一つである子について、γ線(光子)のエネルギーが1.022MeV(メガエレクトロンボルト)以上になれば、電子の対生成(創生)が起きて、陰電子と陽電子が誕生し、その各々の静止エネルギーはその半分の0.511MeVになる(16)-とある。

  ということは、この1.022MeV=1.022×10の6乗eVを、人間=サピエンスの相対知に必要なエネルギーに相当すると仮定して、これをサピエンスがキャパとしている可視光のエネルギー:1.6~3.3eVと比較すると、1.022/1.6~3.3×10の6乗は、約30万~60万倍にも達するから、相対知の原点が執着力=抵抗力との仮説の上では、この約30万~60万倍というものが、あたし達サピエンスの光のエネルギー変化に対する抵抗性比といえるのかもね・・・。」

  この“抵抗性比”という言葉に、テツオはあのゴキブリが自慢げに、“環境の変化に対して抵抗力をつけるのも進化の一つ。オレ達ァ殺虫剤に対しても約100倍の抵抗性比を持っているのもいるんだぜ”と言っていたのを思い出す。

「・・そうか、100倍どころか何十万倍もあるというのか・・。これ、“光の変化への抵抗力”という面では、同じヒト科のヒト属でも、ネアンデルタール人とはおそらく桁違いの強さだろうな・・・。

  たしかに、重力にさからって、やがては空を飛ぶ種があらわれたり、あるいは俺達人類も直立二足を成し遂げたりしたのだから、何十万倍もの抵抗力を持つことはあり得るのかもしれないな・・。」

「たしかに・・・。でも、可視光域、つまり、現実に見とめている視覚より、何十万倍もの執着力=しつこさで、いわば見た目以上に現実を膨らまして思い込んでるわけだから、これはもう“妄想”といってよく、だから当然、デカルトが言うように、“我思うゆえに我あり”ってことになるよな。だから、写真を見るだけで、十分コーフンできるんだよ・・・。

  というか・・、もしかすると順序は逆で、サピエンスの性=SEXへの執着と妄想が原点で、それがこの抵抗力につながったのかもしれないな・・・。」

  キンゴもまた、サピエンスには疲れ果てたといった感じで、一言つぶやく。

「私自身について言えば、いくら修行を重ねても、“自我”という執着を滅した“悟り”は、達せられないってことになるわね・・・。」

  と、ユリコはやや自嘲気味な笑みを浮かべる。

「これだからさ、他の生物では縄張り争いレベルのことが、世界大戦やジェノサイドにもつながるわけよ。でも、たとえこれだけ抵抗力を持つとはいっても、今まで言ってきたような時間的にも量的にも地球をぬぐう洪水みたいなγ線には、もはや到底、抵抗できないだろうと思うよ・・・。」

  そして4人は、このヨシノの言葉を一種の〆のように感じて、等しく納得するのだった。

 

  午後の陽が教会のステンドグラスにさしかかり、また七色に輝くのが見えてくる。そしてここまで考えてきた所で、4人はむしろ、これでまた新たな地平が見えてきたとも思うのだった。

「そう・・、“光が知恵の源泉で、人はそれを執着力で握っているのにすぎない”という仮説は、まさに人間=ホモ・サピエンスと他の生物との最大の相違点を示すもので、これを認めることにより、われわれホモ・サピエンスを“知恵ある人”と特別視する理由はどこにもなくなり、自然界の“万物斉同・因果応報”の大原則を、われわれ人間=ホモ・サピエンスも、他の生物と同様に、公平に受け入れざるを得なくなる。だから、もとより類と他の類人猿のゴリラとチンパンジーの遺伝子レベルの相違がわずか1~2%というのも(17)、僕はこれで納得できる。」

  ミツバチやゴキブリを思いつつ、テツオは回想するようにゆっくりと言葉をつなぐ。

「私たち、ホモ・サピエンスの絶滅なんて、今までは空想がてらに言われてきたけど、その原罪の原点たる“知恵”から先に滅びるなんて、これはまさに因果応報そのものだよね・・・。」

  ノロのユリコのこの言葉に、4人はまたしばしの間、黙り込む。

  しかし、意外に不思議なことに、ここでだれもが種の絶滅は予見しても、互いにここまで考えると、だれも絶望はしてないようだ。

  そして彼らは、しばらく沈黙するうちに、ある共通の怨念が、互いの思いにわき上がってくるのを感じる。

  -“ざまあみろッツ!!”-

  4人の中からだれとなく、そんな声が聞こえた気がした。

  祭壇のステンドグラスの虹色の光が舞い降り、今や彼ら4人の顔を、明るく照らし始めている。

  そしてここまで、口数の少なかったノロのユリコが、にわかに彼らの言葉を継いで、疲労と怒りとだんまりに淀みそうなこの場の空気を、あたかも吹き改めていくかのように語り始める。

「・・あの3.11の直後より、空間線量20mSv、食料品は100Bq、廃棄物は8000Bqと、基準を勝手に引き上げて、次々と被ばくを押しつけ、私たちを棄民した人間の大人たちは、子供を守るどころかまた戦争への道を走り始めた。人間は核爆発が起こったあとも、そのカネ儲けと権力への欲望を悔い改めず、次世代の若者・子供を貧困へと突き落とし、兵舎へそして戦場へと送っていった。今までの自然破壊の悪業と非道に加え、生物の種として子孫を破棄したこんな人間=ホモ・サピエンスは、今や因果応報の理どおり、生物としてその生存の適格を失っていくに至る。

  もとより善悪を知る知恵の実により、相対知という原罪を負ってきた私たち人間は、神がそれを食べたが死ぬと言われたとおり、はじめから行き詰まりの芽をはらんでいた。この相対知による差別と暴力という槍こそ、私たち人間の進化をつないだ原動力で、それはついに核へと至った。この差別と暴力は私たちの原罪=相対知が消えない限りなくならない。だが、この終着たる核は、差別する人に対して、差別せずに被ばくさせ、そしてついにこの相対知も、知恵のもとたる光によって、因果応報の理どおり、最後の審判を受けているということを、私たちは今垣間見たのかもしれない・・・。」

  ユリコの言葉を噛みしめるように聞き入っている3人に、彼女はそのまま語り続ける。

「私たちは皆今まで、“怨”に生きてきたといえる。ヒロシマナガサキ、そしてミナマタから3.11へと、“怨”は途切れることなく、しかし賢く生き継がれてきた。でも、私は最近こう思う。実は“怨”も“愛”も、同じなのではないだろうかと・・。

  絶滅なんて、何も絶望することはない。むしろ種の絶滅こそは、宇宙と地球が変化して生きてる証。種の絶滅があるからこそ、次の種がまた生まれるのだし、これは“生”の循環でもある。私たちホモ・サピエンスも、ネアンデルタール人の絶滅と引き換えに、この地球にはびこってきたのだから。

  ねえ! みんな! 思い出そうよ!! あの3年前、初めて私たち4人が、核と共存共栄して、次世代を犠牲にする大人社会の不条理に反意を示し、革命と独立を志し、私たちのこの“子ども革命独立国”を起こしたことを!

  以来、私たち4人は、当面の約束の地としたこの嘉南の島で、共感をしてくれた大人たちの助けを経ながら、イバラやアザミに悩まされつつ額に汗して糧を得て、エネルギーに頼らない自給自足をほぼ成し遂げ、この絶望の核の世で、私たちは愛と希望を見出して、こうして自分の頭で考えることにより、ついに私たち自身の“人間が核の世に生きる意味”を見出したのよ!」

  ユリコのこのほとばしる言葉を聞いて、だれもがその目に涙を浮かべる。ユリコもまた目に涙しながら、さらに皆を励ますように語り続ける。

「ほら、みんな! 自分自身を改めて、振り返ってみましょうよ! 普通の中高生にすぎなかった私たちは、ついにここまでやってきたのよ! 私たち、自信を持っていいんだから! 私たちは何よりも誇らしい自分を愛し、また愛されている自分たちをもお互いに、私たちは祝福できる。

  ヨシノは海をこよなく愛し、この島の自給を支え、両親も生業も、そしてただ一人の弟も愛している。また次世代の子供たちを愛するからこそ、内部被ばくに真摯に向き合う数少ない医者となる。

  キンゴは書を、また作家としての自らの文を愛し、またあのお経のようなワーグナーの音楽を熱愛している。私はどちらかというと、お経の方を愛しているけど・・。そしてキンゴは私たちの行いと思いとをブログにして世に訴え、この“核の世に生きる意味”を後世そして次世代へと伝えてくれる。

  そしてテツオは、私の夫となるテツオは・・、大地を愛し、草木を愛し、花を愛し、そして他の何よりも“自分自身”を愛している。もう少し、その愛を私に向けてくれたならと、思えるくらい・・。

  でも、テツオの田畑と花々が、私たちのこの島を、より豊かな愛の楽園にしてくれた・・。

  そして私は・・、この島のノロとして、島そのものを愛してきた・・。草木や花々、虫たち、鳥たち、生き物たちすべてを含めて、もちろん私たち4人も、島の大人たちすべての人も、私は愛してきたつもり・・。それで私は“行”を通して、日々祈りを捧げてきたのだから・・・。」

  4人は、みんな、涙を流す。

  ユリコはそのまま、語りつづける。

「だから、こうして愛に満ちてる人たちは、相対知が消えるといっても、何も恐れることはない。相対知は善と悪とを知るとはいえ、それは何より“原罪”なのよ。相対知は人と自然とを分かち、さらに人と人とを二分して、争いと差別のもととなる。だから相対知を以て、自分の権力への意志と他人への差別と暴力に執着する人々は、その相対知の消失と一緒になって、自ら最後の審判を受け、自滅していくことでしょう。

  でも、愛は、もとより神と人とのつながり。これを絶対知というのだろうか、人間の相対知とは関係なく、もとから自然に普遍的にあるものだから、愛に満ちてる人々は、相対知という目隠しが消えていくだけよりいっそう賢くなっていくでしょう。愛に満ちてる人々は、γだろうがハンマーだろうが打ち滅ぼされることはなく、種としてもヒトとしても生き残り、なおもまた、愛を広めていくと思う。

  それこそ“光”が、この愛を伝えてくれる。私たちが今ここから分岐させようとする新たなヒトの種、それは、私たち各々の性からの子孫として伝えられるだけでなく、私たちが愛するすべての人々、また生き物たちへと“光”を通して伝えられ、彼らもまた新たな進化を歩みながら、互いにつながっていくと思う・・・。」

  ユリコがここまで言い終ると、ステンドグラスからの光が4人へと差し掛かり、彼らの顔もまた虹色に輝きはじめる。

 

  涙を浮かべていたヨシノは、ここで頬を拭き取って、あらためてテツオとユリコの二人に向き合う。

「テツオとユリコ。あたし達二人にために、高校の残りの授業が受験一色に染まってしまって、本当にごめんなさい。私たち、何年浪人してみても、絶対に内部被ばく医療を継ぐ医者となるから!

  あなた達二人は外国へ出て、もっと大変だろうけど、あたし達の後へと続く子どもたちが、被ばくと戦争を逃れるために、きっとあなた達二人を頼る日が来ると思う。今まではあたし達が子どもだけど、もうこれからはあたし達が子どもを守る大人になるのよ。あたしには弟だっているのだし・・。

  あたし達はしばらく互いに離れるけれど、あたし達4人の同志はこれからも、自分で考え、自分自身の自由な意思で、生存圏と生存権を切り開いていかねばならない次の世代の、子どもたちと若者のため、一緒にはたらき続けていきましょうね!」

  テツオもユリコも、ヨシノとキンゴの手を取りながら、互いに深くうなずいて、誓いを新たにするのだった。

  そしてキンゴは、あらためてテツオを見つめて語りだす。

「テツオ、僕とヨシノはこれからは受験準備に本腰を入れていかねばならないから、僕がこれまで書いてきた島のブログ-その特別編なる僕らの仮説=『自給のための限界耕作面積論』とか、『美の作用量子論』や『性=SEXによる進化論』、あるいは『ホモ・サピエンス独立序説』なども含めて、それらを一番よく知る君に、引き継ぎたいと思うんだよ。

  それで今回、せっかくここまで僕らの仮説に“科学的根拠”の裏付けができたのだから、あとは最後のツメというものを、ぜひ君に頼みたいのさ。

  その最後のツメとは、僕が思うに、さっき僕らが仮定した、“光を知恵の源泉とした場合、対称性ある物質-たとえば陽電子と陰電子-を存在させる光=γ線のエネルギーと、その対称性を認識するサピエンスの相対知のエネルギーとの間には、どちらも光をもととするから、何らかの関係があるのでは”-ということなんだよ。

  僕はこのことへの直接の証明はできないとしても、これを暗示するような何らかの科学的な現象が、ありそうな気がするんだよ。だから、それをあげさえすれば、僕らがここまで展開してきた一連の仮説についても、よりいっそうの真実味が与えられ、ともすれば科学的に証明されたに近いレベルに、見なされ得るのではないだろうかと、思うんだよ。」

  テツオは、慎重に思慮深けに言葉をつないでいくキンゴに、思わず頭を下げて答える。

「わかった、キンゴ。ヨシノもキンゴも受験準備に忙しいなか、本当にありがとう。君らの努力は無駄にはしない。卒業まで残った時間で、ユリコと二人で、僕らの仮説を完成させよう。」

  4人は互いの健闘を祈りつつ、固い握手を交わすのだった。

 

  そしてヨシノは、プレゼンの述懐をするかのようにホワイトボードを見直しながら、ここで何かを言い足したいのか、ややトーンを落として話し始める。

「あたしさ・・、今までずっとある問題意識を持ってんだけど・・、それは以前も言ったように“なぜ被ばく問題が広がらないのか”ってことなのよ。だってさ、あたし達はヒロシマナガサキ=“原爆”を直接的に経験した唯一の国民だというのにさ、空間線量年1mSvが20mSvに、もとより1Bqさえなかった食料品が100Bq、廃棄物が8000Bqまでと、3.11後はこんな何十、何百、何千倍もの数値がいきなり“許容基準です”と法定されたというのにさ、どうしてだれも反応しないの?って、あたしはずっとその問題意識を持ってんだけど、みんなもそう思わない????

  3.11直後の頃から脱原発と言ってもさ、そう言っている人達でさえ“被ばく”をスルーするんだから、あたしはそれは脱原発の意味をなさないと思うのだけど、あたしの方が違うのかな????

  あたし達キンゴのパパとよく内部被ばくの勉強会をやるんだけど、避難者たちが経験してきた話を聞くその度に、あたし達が思うのは、“被ばくって本当に伝わらない”ってことなのよ。あたし達も、放射線は五感で察知できないし、内部被ばくも目に見えない、その仕組みも科学的で難しいのかもしれないって、いろんな色刷りパンフなんかで今風にゆるくやさしくお話をしてたのだけど、どうもそういう問題ではないらしい。

  なら、これも、やはり『はだしのゲン』にあるような、原爆犠牲者に対する差別と基を同じくするのかなとも思いもした。でも、放射能は万人を無差別に襲うものだし、県境や地域も越えて広がるし、しかも食料品100Bqなどというのは、よりによって“食べ物”に放射性廃棄物レベルの数字が適用されてこれが全国基準とされてるわけで、明日は我が身どころか、これはもうすでに直に我が身に迫った話で、今さら犠牲者への差別と棄民で済まされるものではない。

  ところが、こうして3.11後、この国では内部被ばく問題への活動が、あたかも“隠れキリシタン”みたいな感じで定着化してきた頃に、香港で逃亡犯条例をめぐっての何万人もの大規模市民行動が始まった。あたしはこれをニュースで見ていて、こう思ったのよ。何で同じ人間・市民でもわが国とこんなにも違うのかなって。何で法的な人権思想を同じように西洋から輸入したアジア人でも、こんなにも違うのかなって。何で共産党独裁国家でこれだけ市民が立ち上がれるのに、わが国では隠れキリシタンみたいになるのかなって。何で逃亡犯条例反対って自由と人権を守るために立ち上がれるのに、食料品100Bq反対って子どもと命を守るために立ち上がらないのかなって。何で旧ソビエトチェルノブイリ法でできた避難と補償が、この国ではできないどころか、ソビエトや中国・香港とは違って一応選挙はあるというのに、何で選挙の争点や話題にすらならず、また第一、選挙にさえも行かないのかって。みんなもそう思わない????」

  ヨシノがあらためて純な目で問うてくるのを、3人はもっともだと共感している。

  ヨシノは続ける。

「あたし達は今までこうした事実も含めて、ホモ・サピエンスの問題として考えてきたけれど、永年水田で培われてきた奴隷根性-国民性の問題でもあるのではとも思いもした。しかし、食品100Bqなんていうのは、それは特に子供には命に係わるものだから、自分も子供を守らないのは生物的な問題で、もう国民性では説明できず、やはり人間=ホモ・サピエンスの問題として考えざるを得ないと思う。

  それで、あたしは今日、みんなと話して考えてきたなかで、ふとあることを思ったのは、それは・・、“あたし達はもうつながれないのではないか”っていうことなのよ。

光が知恵のもとであり、光が生きとし生けるものたちをつないでいるとするのなら、あたし達はヒロシマナガサキ、それに続いて大気圏内核実験から3.11へと、放射能を比較的近くで繰り返し受けてきたから、さっき話してきたように以前からγ線でヤラレ続けてきたわけで、それであたし達ヒトの方から知恵のもとたる光とはつながれなくなってしまい、自分ら人間同士でももうつながれなくなったのではって、思ったのよね。」

「・・それは、僕たち人間が、木々や草花、また他の生物たちを見て、可愛いと思ったり共感したりするのも光がつないでいるからで、人間はその光を執着力で握っているのにすぎないから、その執着力がγ線で消し飛ばされると、もはや人は光とはつながれなくなり、同じ人間同士でももうつながれないってことなのか。いや、それどころか、もはや人は知恵・知性ともつながれないということか・・・。」

「そう・・・。そう考えると、3.11後は特に目につくようになった、従来では考えられないような悪質な犯罪や法令違反、非常に非常識な言動や、国会などで象徴的な“言葉がかみ合わない現象”、あるいは世間のいたる所にあらわれている意味不明瞭な事象なんかも、すべからく説明がつく気がするのね。しかもこれらは当事者の自覚なしでされているのだとすれば、ますます救いようがなく、明白な脳や神経または精神的な疾患とも言えないのなら、あたし達が言うような“人間と光=知恵との接続異常”に原因を求めるのもありかもしれない・・・。」

  ヨシノはここで、少しチョコを補給してから、また冷静に話を続ける。

「あたしさ、キンゴパパの内部被ばく勉強会を手伝うようになってから、いろんな会館・会場へと行ったのだけど、あたし達は小会議室でやることが多いんだけど、大会議室や大ホールでは他の講演会などニギニギしくやってるわけよ。それを時々覗いてみると、“やれば出来る思いは適う”とか、“人生楽しく思えば楽しくなれる”とか、“あるがままに受け入れよう、死でさえも受け入れよう”ってな感じの、要するに“何事もあなたのココロしだい”みたいな、いわゆるスピリテュアル系みたいなものが多くって、昔のマンガの“ココロのボス”(18)じゃないけどさ、何でもココロのせいにしようとしている。この“何でもココロ”のやり口は、3.11直後にさ、“放射能は笑っている人には来ない”というのと同じで、一種の黒魔術的な催眠術だってことは、あたし達にはすぐにわかるよ。

  あたし達は最初の頃は、これは何でも“自己責任”へと持っていき、社会の悪から目をそらさせ、貧困を自分だけのせいにさせ、医療費介護費をケチろうとする権力側の陰謀かと思っていたけど、どうもそればかりではないらしく、これは時代の風潮かもと思うようにもなってきた。

  でもさ、今考えてみてみると、この“何でもココロ”の風潮って、結局は“自分だけしか見ようとしない”という点で一致するんじゃないのかな。つまりこれは、視界から自分以外のものをはずして、社会性なるものを放棄し、この“人と人とのつながり”が希薄になった環境を助長し慰めるものだから、逆に多くの人々に歓迎されるんじゃないのかな。

  だけど、これが今まであたし達が考えてきたような、本当に人間の“知恵のもとたる光へのアクセス不通”のせいだとしたら、あたし達サピエンスって、まじにかなりヤバイよね・・・。」

「でも、僕たちまさに経験をしてきた通り、人間って“核は守れど子は守らず”が現実だし、今ヨシノが言ってきたことが、被ばくには関心持たず選挙も行かない人間たちの真相なのかもしれないよ・・・。」

  4人はここで、また深々と考え込んでしまうのだった。

 

  午後の時も過ぎ行きて、ステンドグラスからの光も、やわらかさを増してきたかに見えてくる。それにつられて4人もやや落ち着きを取り戻してきたところで、やがてユリコが、再び励ますような確かな口調で、皆へと語りかける。

「ね、みんな、どうだろう。まだいろいろと宿題はあるけれど、ホモ・サピエンスはどうやら絶滅するらしいということを、空想ではなくある程度まで科学的に、私たちは考えてきたのだから、いっそこの際、私たちは今ここで、ホモ・サピエンスからの分岐を、つまり新しいヒトの種の“独立”を、私たち4人自ら宣言をしてみては、いいんじゃないの-と思うのだけど・・・。」

  このユリコの提案に、うなだれていたヨシノが真っ先に顔を起こして“いいね!”と答える。

「そお! そのとおりよ! だってもう“ホモ・サピエンス=知恵あるヒト”ということ自体、フィクションだったと知ったのだし、もうこれ以上サピエンスのウソに付き合うのもバカバカしいし、史上初めてサピエンスからの分岐・独立を自覚したあたし達自らが、ここで次なるヒトの種を命名して、自ら名付け親となり、同時にそれになっちゃえば、いいんじゃないの。」

  テツオもキンゴも-ならそれで、いいんじゃないの-みたいな顔して応じているので、ヨシノはそのまま話し続ける。

「でさぁ! あたしね、初っぱな言って悪いんだけどぉ、沖縄の“ニライカナイ”っていう言葉にさ、ことのほか惹かれんだよねえ。ニライカナイっていうのはさ、沖縄の真っ青な海の向こうを遥拝して、楽園みたいな理想郷がかなたにあって、魂がそこに帰っていくような・・、そんな感じがするんだよねぇ・・。あたし海んちゅだしさ、新しい人類も、このニライカナイへの思い・・、神への思いというのがさ、伝わればいいなと思って・・。あたし達のこの島も、海に養われてきたのだし・・・。

  ごめんね、あたしばかりしゃべっちゃって。で、ユリコはどんな名前が、いいと思うの?」

「私? 私は、私たちのこの島の“嘉南=カナン”の字が残ればいいなと・・。だからいっそ“ニライカナン”としてみるとか・・・。キンゴは、どう?」

「僕? 僕はみんながよければ何でもいいけど・・。そうだ、僕らをここまで導いたネアンデルタレンシスに敬意を表して、学名的にそれっぽく“ニライカナンレンシス”っていうのはどうかな?

  ところで、テツオは、どう思う?」

「俺? 俺もみんながよければそれでいいけど・・。あ、そうだ。その“ニライ”の所を“ニアイ”として、“ニアイカナンレンシス”っていうのはどうかな?

  そのニアイというのは、漢字の“二藍”をあてるんだけど、これは着物の色合いで、青-藍と、赤-紅花の二つの色を配合した、微妙な移ろい全体をさして言うらしいんだ。つまり、僕が言いたいのはね・・、青-男、赤-女として、進化はLGBTこそが導くとの僕たちの仮説にもとづき、これを新人類の名に入れてはと思うのさ・・・。」

  テツオがやや顔を赤らめて言うのを聞いて、3人もこれでいいと納得をしたようだ。

「じゃあ、これで決まりね。私たち4人各々、ただ今これよりホモ・サピエンスから分岐して、全員の思いがこもった“ホモ・ニアイカナンレンシス”へと独立するのよ。

  これで私たちは、地をぬぐう洪水みたいなγ線から、人類の“ノアの箱舟”へと乗った-といえると思う・・・。」

  ユリコのこの“独立宣言”ともいうべき言葉を聞いて、4人は各々心の中で、たった今彼らの中から誕生した新しいヒトの種である“ホモ・ニアイカナンレンシス”の名を、もう一度心の底に刻み込むかのようにして繰り返してみるのだった。

 

「さあ! 私たち、これで“ノアの箱舟”へと乗ったのだし、これからは“出エジプト記”のごとく、人間の奴隷状態から脱して、またサピエンスの“出アフリカ”のごとく、この嘉南の島からなおも確かな“約束の地”を目指して、私たちは今から新たな海路につこうと船出するのよ。

  今日のこの日は私たち新人類“ホモ・ニアイカナンレンシス”の新しい“創世記”が始まる日。今からこれを記念すべく、本当にこれから大海原を、見に行きましょう! 私がそれに相応しい見晴らしのいい御嶽へと、みんなを案内してあげる!」

  ノロのユリコに先導されつつ、4人はここで教会を出て、県側の浜辺からは島の反対側へと通じる一本の道を歩いて、この嘉南島の聖地の一つ、海に面するノロの行場-御嶽へと向かっていく。

  そこはいつもテツオが田畑をやっているクスノキ向こうの、木々の茂みをかいくぐって行くのだが、岩壁を小道づたいに少し下った所には、泉が湧き出て、巨大な岩と岩とが合わさった、偶然の一致にしては見事すぎるほど美しい、直角三角形のすき間があった。この人一人がやっとすり抜けられそうな三角形のすき間の向こうに、御嶽=ノロの拝所があるのだが、そこは男子禁制とのことで、4人はここより反対側の、さらに海へと面していく岩壁づたいに細い小道を歩いていく。

  やがて小道は二手に別れ、右手に行けばそれはちょうど島の裏側、小舟が数隻入れるだけの船着き場があるという。

「この島はね、もし、県側から攻められるようなことが起こっても、ここから脱出できるのよ・・。」

  と、ノロのユリコは説明する。

  左手にそのまま行けば、やがて木々の合間から、島のシンボル-嘉南岳の独立峰の勇姿があらわれ、その裾の尾をふちどるように、さらに湾曲した小道を行けば、岩の絶壁から少し突き出た、人が数人立てるくらいの小さな岬が見えてきた。

「ワァーオッ!!」

  4人はそろって歓声をあげ、岬の上に立ち並ぶと、そこから海を、行くところ遮るものなき大海原-太平洋を、間近に見入る。

 

  海は青く、なにより青く、空の青との境もなかった。

  そこは見る限り青一色で、遮るものも、隔てるものも、何もなく、時間もそして空間というものも、何もないように思われた。

  4人はそして、この空と海とのかなたにある、目には見えない“ニライカナイ”を、互いに確かに感じた気がした。

 

  4人は今、ただこの目の前の青い光に、身も心も透かされていくような一体感を覚えながら、自分たちがこれからも生きていく希望と生き残っていく意味とを、確かに見出したとの思いが、空からの陽の光と海からの潮風とがいっしょになって、身と心に満ちていくのを、幸せに感じていた。

 

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